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南島原、島原

<三日目>

 雲仙から、山を下り、世界遺産「原城」を目指します。途中、俵石展望台に立ち寄ります。眼下には有家町の街並み、島原和湾、遠くには天草がよく見えます。天気のいい日は阿蘇山も眺めることができるようです。近くにある「鮎帰りの滝」にも寄ってみます。

 原城に到着しました。原城は、松倉氏の1626年の島原城築城にともなって、廃城となっています。その後、1637年から1638年にかけて起こった島原・天草一揆では、廃城となっていた原城が、一揆勢の籠城の拠点となっています。2018年この一帯が世界遺産に登録されたことから、原城内には駐車スペースがなくなり、大手口跡外の駐車場から本丸跡まで約一㎞歩くことになります。原城は、一揆直後に破壊されているため、当時を偲ぶ物は石垣のみです。今、本丸に有るのは南島原市出身の彫刻家・北村西望(長崎平和祈念像の制作者)による祈りをささげる天草四郎像や、西有家町(原城の近隣)の民家の石垣に埋もれていたものを移設した天草四郎の墓です。原城からは、湯島が正面に見えます。この島は、一揆の拠点の一つとして知られ、江戸時代には「談合島」とも呼ばれ、島原・天草一揆の作戦が練られた場所です。

 近くに原城関連のガイダンス施設として「有馬キリシタン遺産記念館」がありますので見学します。施設は、キリストの伝来から繁栄の時代を示す展示とキリシタン弾圧展示の2部構成となっています。弾圧の展示では、原城発掘調査で発見された一揆軍の人骨のレプリカがあり、当時の悲惨さが伝わってきます。

 昼食は、島原半島唯一の道の駅「ひまわり」のレストランで、雲仙牛の牛丼と島原手延そうめんを頂きました。 道の駅の海寄りには、土石流被災家屋保存公園が併設されています。雲仙岳噴火災害では、この公園周辺は約2.8~3mほど土砂物で埋没したそうですが、土砂物の流れてくるスピードが緩やかだった為、倒壊はせず土砂物に埋もれたそうです。その時被災した家屋が大型テント内に3棟、屋外に6棟保存されおり、土石流の恐ろしさを体感ができます。

 雲仙普賢岳の噴火でできた溶岩ドームは、平成新山と呼ばれています。島原まゆやまロードで近くまで行ってみることにします。平成新山山頂付近には約1億立方メートルの溶岩ドームが不安定な状態で存在し、その直下の山腹斜面にも約1億7千万立方メートルの火山堆積物が今も残っているそうです。それらの土砂崩れに備えるため、新山周辺には砂防ダムなどが65基設置されているそうです。平成新山の直下で山頂から2.5㎞にある「平成新山ネイチャーセンター」を見学します。ここは、普賢岳の噴火によって荒廃した自然環境がどのように修復されていくかを直接観察できる学習施設で、雲仙火山の歴史や平成新山の誕生のしくみも解説しています。平成新山は当初の写真は全体が岩肌でしたが、今は木々が青々と茂っています。

 山から島原市内に戻り、日本百名城の一つ「島原城」を見学します。島原はお城よりも高い建物が無いので、四方が眺望できます。天守の展望台からは、海側には遠く天草、反対側には平成新山の絶景です。城内の展示には、昨日宿泊した雲仙地獄での殉教者のステンドグラスが展示されていました。

 城を出て、サンシャイン中央街のアーケードを通って、鯉の泳ぐ街に向かいます。島原は、雲仙山系に蓄えられた水が、普賢岳の噴火や群発地震の地殻変動で誘発され湧出が始まったと言われています。街の中心で豊富な湧水が見られるのは珍しいそうです。その中心地にある「島原湧水館」で、三種類のかんざらしが楽しめるかんKoiセットと抹茶づくしを頂きました。夕方、飛行機の時間も近づいてきましたので、長崎空港に向かいます。

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佐世保、波佐見、雲仙

<二日目>

 朝食後、佐世保の街を散策します。ホテルから5分程歩くと、南国風の佐世保駅があります。佐世保駅の向こうは、すぐ岸壁となっており、海上自衛隊の多用途支援艦「あまくさ」と巡視艇「ときなみ」が、停泊していました。

 国道沿いに、さるくシティ4○3アーケード方向に歩いていくと、途中に1931年に建てられたカトリック三浦町教会があります。美しいゴシック建築の教会です。太平洋戦争中空襲の目標になりにくいように、黒く塗られ、戦火から逃れたとのことです。さるくシティ4○3アーケードと国道を挟んだところに、大正時代から親しまれ続けている「戸尾市場街」と、丘の下の戦時中の防空壕を利用した商店が並ぶ「トンネル横丁」が有ります。トンネル横丁の脇の説明文を見ると、かつて横丁の商店は奥のトンネルで繋がっていたようです。

 今日は、天気も晴れていますので、佐世保市の奥にある弓張岳の展望台に行ってみます。展望台からは、アメリカ海軍や海上自衛隊の艦艇が数多く停泊する佐世保独特の風景が一望できます。西側の第二展望台からは、九十九島が一望できます。

 弓張岳を下り、海上自衛隊佐世保史料館に向かいます。この建物は、手前に旧海軍の水交社の8角形装飾屋根や蛇腹模様の外観を残しつつ、奥が7階建てとなっています。ここでは日本海軍と海上自衛隊の歴史や活動などがわかりやすく展示され、現在に至るまでの海上防衛の歴史を知ることができます。七階の展望ロビーからはアメリカ海軍の軍艦がよく見えます。当日は、手前の二つの大きなタワーがあるのがドック型輸送揚陸艦で、奥に強襲揚陸艦が停泊していました。

 次は九十九島がよく見えるという展海峰展望台に向かいます。確かにここからは、九十九島が眼前に一望できます。お昼近くなりましたので、佐世保バーガーミュージアムに立ち寄り佐世保バーガーをいただくことにします。ここのテラスからも九十九島が眺望できますが、あいにく雨模様となりましたので、屋内で頂くこととします。このミュージアムで人気NO.1というスペシャルバーガーをお願いしました。お肉のパテ、卵、ベーコン、チーズが入ったボリューミーな佐世保バーガーでした。食事後はやきものの町、波佐見に向かいます。

 波佐見町では中尾山エリアにある中尾山交流館を目指します。途中に、日本の棚田100選に選ばれている「鬼木の棚田」がありました。中尾山交流館の二階は、この地区の18の窯元の作品が一堂に展示販売されているギャラリーとなっています。見学後、近くのギャラリーとっとっと(一真窯)で、訪れる前から予定していた瀬戸物がありましたので購入しました。波佐見町が舞台となった、小玉 ユキさん(長崎県佐世保市出身)の人気コミック「青の花 器の森」が、NHKでドラマ化され、夜ドラで10月26日から放映予定です。ドラマでは、舞台となった波佐見町が詳しく紹介されるようで、町ぐるみで応援しており、ここのギャラリーの方にも実際の撮影の状況など色々説明して頂きました。

 波佐見町歴史文化交流館に立ち寄ります。この施設は、波佐見の歴史と文化を学べるミュージアムで、カフェが併設されていますので、一休みしていきます。館内の中庭は若松白石庭(せきしょうはくせきてい)といい、登窯の燃料であった赤松と波佐見焼きの原料である白い陶石で波佐見の風景を象徴しているとのことです。カフェでは、くるみのやつ(ローストくるみとキャラメルヌガーをクッキー生地で挟んだ焼き菓子)とパウンドケーキを頂きました。

 最後に、波佐見町やきもの公園を見学します。公園の小高い丘にある「世界の窯広場」には、古代から近世にかけての、世界を代表する珍しい窯が12基再現され展示されています。東側には、中国や朝鮮半島、日本など東洋の窯を、南側にはオリエントやイギリスなどヨーロッパの窯が配置されています。

 雲仙の宿泊先は、星野リゾートの界雲仙です。このホテルの正面には、雲仙地獄の一つである「八万地獄」が広がっています。一帯は2024年8月の土砂崩れで立入り禁止となっており、現在復旧工事中です。

 ホテルの隣は地獄巡りのスタート「清七地獄」となっていますの、早速ここから地獄巡りを始めます。しばらく歩くと、「足湯広場」になります。前方には広々とした地獄が広がっています。さらに進むと「キリシタン殉教碑」があります。かつてここで、改宗しないキリスタンが熱湯に落とされたということです(翌日、島原城にその模様を描いた画が展示されていました)。最後は「大叫喚地獄」です。ここは雲仙地獄の中で、最も噴気が活発な地獄とのことです

 今日の夕食は、「あご出汁しゃぶしゃぶ会席」です。飲み物が来る前に、湯せんべいの乗った器が出ますので、木槌で叩いて湯せんべいを割ると、下から豚の角煮が出てきます。凝ってますね。飲み物は、ビール、スパークリングの他、地酒(飛鸞クラシック 平戸・森酒造場、はねぎ絞り 南島原市・吉田屋)を頂きました。煮物椀、長崎の卓袱料理を模した八寸とお造り、揚げ物、最後は長崎名物のあご出汁で豚のしゃぶしゃぶ、五島うどんで締めます。大分、長崎にこだわった料理ですね。

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平戸

<一日目>

 今回は、長崎市以外の長崎を、北から南に行ってみます。台風24号が来ており、飛行機が飛ぶか心配でしたが、幸いなことにコースはそれました。長崎空港からは、長崎の北端平戸を目指します。平戸港交流広場に駐車しますが、そこから対岸には、平戸城が見えます。昼時ですので、ちゃんぽんで有名な一楽に向かいます。途中、広場にはポルトガル船入港碑やじゃがたら娘像があります。この像は、オランダ貿易時代に、商館の外国人と一緒になった日本人母子が、じゃがたら(現インドネシア)に追放されたことを忍び、設置されたとのことです。

 昼食は一楽で頂きます。この店は、 1964年に開店し、以来つけ足してきた歴史有るチャンポンスープが有名ですので、早速「平戸ちゃんぽん」お願いしました。野菜も他の具もびっくりするくらいの量で、食べきるのに一苦労でした。

 お腹も膨れてきましたので、腹ごなしに平戸城に向かいます。昼食を食べた一楽の前には幸橋、その先は幸橋御門で、城に続く坂道になっています。昔は、城と城下町との往来は船で、 1669年、そこに幸橋と呼ばれた木橋を架けられました。 1702年、これを石橋に改架していますが、オランダ商館の石造り建築に従事した石工によって架橋されたことから、オランダ橋とも呼ばれています。 1984年に解体して改修復元され、同時に幸橋御門も復元されています。幸橋御門の脇には英國商館遺址之碑があります。坂道を10分程進むと、城の入口の北虎口門があります。

 平戸城は、別名亀岡城と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城です。三方を海に囲まれ、天然の堀とし、亀岡山(標高約53m)の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配されています。明治の廃城令で廃城となりましたが、1962年復元(天守閣三層五階建)され、日本100名城のひとつとなっています。天守閣五階まで上り、外の展望台をぐるっと一周します。当日は台風の余波のためか、非常に風が強く、眼鏡が飛ばされそうなくらいです。しかしながら、眺めは良く、遠く平戸大橋や対岸の平戸市街が一望できます。

 天守閣の東側には、見奏(けんそう)櫓や懐柔櫓が、平戸瀬戸に睨みをきかせています。平戸城本丸跡にある「亀岡神社」は、この地を治めた松浦藩主を祀った神社です。1880年に平戸城下にあった四社(七郎神社、乙宮神社、八幡神社、霊椿山神社)を合祀してできた神社です。

 平戸城から坂道を下り、平戸港交流広場に戻ります。広場にはチューリップの椅子がありますが、オランダから送られた椅子のようです。広場から平戸オランダ商館は400m程ですので、徒歩で海岸に沿って向かいます。この白亜の建物は2011年に復元された石造りの倉庫です。外観や構造はオランダの、屋根は日本の建築技術が使われた和洋折衷の建物で、館内では平戸とオランダの交流の歴史が展示されています。

 最後に、松浦史料博物館を見学します。ここは平戸藩主松浦家の旧邸宅を利用した博物館で、1893年に当主の私邸として建てられています。平安時代から、明治維新で華族となるまで1000年も続いた松浦家に伝来する約3万点の文化財が展示されています。博物館へは急な階段を上りますが、この階段は、七十八段で、縁起のよい「七転び八起き」にあやかっているようです。

 平戸を去るにあたって、平戸大橋を二か所から見学してみました。一つ目は平戸瀬戸市場から、もう一つは田平公園からです。後者の写真は見栄えがしますね。次は平戸から今日の宿泊先の佐世保に向かいます。

 佐世保の夕食はさるくシティ4○3アーケードの近くにある、「ささいずみ」を予約しています。庶民の料亭として、創業100年を超えるお店とのことで、長崎のブランド魚「長崎ハーブ鯖」や活きあじのたたき、すり身揚げ、佐世保レモンステーキなど佐世保の名物を地酒とともに一通り頼んでみました。噂にたがわず美味しい店でした。台風のせいでイカの水揚げがなく、食べられなかったことが残念です。帰り際、夜のさるくシティ4○3アーケードを進んでみましたが、全長約1キロで一直線のアーケードとしては日本一ということで、最後までは行けず、途中で引き返しました。