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南島原、島原

<三日目>

 雲仙から、山を下り、世界遺産「原城}を目指します。途中、俵石展望台に立ち寄ります。眼下には有家町の街並み、島原和湾、遠くには天草が眺望できます。天気のいい日は阿蘇山を眺望できるようです。近くにある鮎帰りの滝にも寄ってみます。

 原城に到着しました。原城は、松倉氏の1626年の島原城築城にともなって、廃城となっています。その後、1637年から1638年にかけて起こった島原・天草一揆では、廃城となっていた原城が、一揆勢の籠城の拠点となっています。2018年この一帯が世界遺産に登録されたことから、原城内には駐車スペースがなくなり、大手口跡外の駐車場から本丸跡まで約一㎞歩くことになります。原城は、一揆直後に破壊されているため、当時を偲ぶ物は石垣のみです。今本丸に有るのは南島原市出身の彫刻家・北村西望(長崎平和祈念像の制作者)による祈りをささげる天草四郎像や、西有家町(原城の近隣)の民家の石垣に埋もれていたものを移設した天草四郎の墓です。原城からは、湯島が正面に見えます。この島は、一揆の拠点の一つとして知られ、江戸時代には「談合島」とも呼ばれ、島原・天草一揆の作戦が練られた場所です。

 近くに原城関連のガイダンス施設として「有馬キリシタン遺産記念館」がありますので見学します。施設は、キリストの伝来から繁栄の時代を示す展示とキリシタン弾圧展示の2部構成となっています。弾圧の展示では、原城発掘調査で発見された一揆軍の人骨のレプリカがあり、当時の悲惨さが伝わってきます。

 昼食は、島原半島唯一の道の駅「ひまわり」のレストランで、雲仙牛の牛丼と島原手延そうめんを頂きました。 道の駅の海寄りには、土石流被災家屋保存公園が併設されています。雲仙岳噴火災害では、この公園周辺は約2.8~3mほど土砂物で埋没したそうですが、土砂物の流れてくるスピードが緩やかだった為、倒壊はせず土砂物に埋もれたそうです。その時被災した家屋が大型テント内に3棟、屋外に6棟保存されおり、土石流の恐ろしさを体感ができます。

 雲仙普賢岳の噴火でできた溶岩ドームは、平成新山と呼ばれています。島原まゆやまロードで近くまで行ってみることにします。平成新山山頂付近には約1億立方メートルの溶岩ドームが不安定な状態で存在し、その直下の山腹斜面にも約1億7千万立方メートルの火山堆積物が今も残っているそうです。それらの土砂崩れに備えるため、新山周辺には砂防ダムなどが65基設置されているそうです。平成新山の直下で山頂から2.5㎞にある「平成新山ネイチャーセンター」を見学します。ここは、普賢岳の噴火によって荒廃した自然環境がどのように修復されていくかを直接観察できる学習施設で、雲仙火山の歴史や平成新山の誕生のしくみも解説しています。平成新山は当初の写真は全体が岩肌でしたが、今は木々が青々と茂っています。

 山から島原市内に戻り、日本百名城の一つ「島原城」を見学します。島原はお城よりも高い建物が無いので、四方が眺望できます。天守の展望台からは、海側には遠く天草、反対側には平成新山の絶景です。城内の展示には、昨日宿泊した雲仙地獄での殉教者のステンドグラスが展示されていました。

 城を出て、サンシャイン中央街のアーケードを通って、鯉の泳ぐ街に向かいます。島原は、雲仙山系に蓄えられた水が、普賢岳の噴火や群発地震の地殻変動で誘発され湧出が始まったと言われています。街の中心で豊富な湧水が見られるのは珍しいそうです。その中心地にある「島原湧水館」で、三種類のかんざらしが楽しめるかんKoiセットと抹茶づくしを頂きました。夕方、飛行機の時間も近づいてきましたので、長崎空港に向かいます。

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佐世保、波佐見、雲仙

<二日目>

 朝食後、佐世保の街を散策します。ホテルから5分程歩くと、南国風の佐世保駅があります。佐世保駅の向こうは、すぐ岸壁となっており、海上自衛隊の多用途支援艦「あまくさ」と巡視艇「ときなみ」が、停泊していました。

 国道沿いに、さるくシティ4○3アーケード方向に歩いていくと、途中に1931年に建てられたカトリック三浦町教会があります。美しいゴシック建築の教会です。太平洋戦争中空襲の目標になりにくいように、黒く塗られ、戦火から逃れたとのことです。さるくシティ4○3アーケードと国道を挟んだところに、大正時代から親しまれ続けている「戸尾市場街」と、丘の下の戦時中の防空壕を利用した商店が並ぶ「トンネル横丁」が有ります。トンネル横丁の脇の説明文を見ると、かつて横丁の商店は奥のトンネルで繋がっていたようです。

 今日は、天気も晴れていますので、佐世保市の奥にある弓張岳の展望台に行ってみます。展望台からは、アメリカ海軍や海上自衛隊の艦艇が数多く停泊する佐世保独特の風景が一望できます。西側の第二展望台からは、九十九島が一望できます。

 弓張岳を下り、海上自衛隊佐世保史料館に向かいます。この建物は、手前に旧海軍の水交社の8角形装飾屋根や蛇腹模様の外観を残しつつ、奥が7階建てとなっています。ここでは日本海軍と海上自衛隊の歴史や活動などがわかりやすく展示され、現在に至るまでの海上防衛の歴史を知ることができます。七階の展望ロビーからはアメリカ海軍の軍艦がよく見えます。当日は、手前の二つの大きなタワーがあるのがドック型輸送揚陸艦で、奥に強襲揚陸艦が停泊していました。

 次は九十九島がよく見えるという展海峰展望台に向かいます。確かにここからは、九十九島が眼前に一望できます。お昼近くなりましたので、佐世保バーガーミュージアムに立ち寄り佐世保バーガーをいただくことにします。ここのテラスからも九十九島が眺望できますが、あいにく雨模様となりましたので、屋内で頂くこととします。このミュージアムで人気NO.1というスペシャルバーガーをお願いしました。お肉のパテ、卵、ベーコン、チーズが入ったボリューミーな佐世保バーガーでした。食事後はやきものの町、波佐見に向かいます。

 波佐見町では中尾山エリアにある中尾山交流館を目指します。途中に、日本の棚田100選に選ばれている「鬼木の棚田」がありました。中尾山交流館の二階は、この地区の18の窯元の作品が一堂に展示販売されているギャラリーとなっています。見学後、近くのギャラリーとっとっと(一真窯)で、訪れる前から予定していた瀬戸物がありましたので購入しました。波佐見町が舞台となった、小玉 ユキさん(長崎県佐世保市出身)の人気コミック「青の花 器の森」が、NHKでドラマ化され、夜ドラで10月26日から放映予定です。ドラマでは、舞台となった波佐見町が詳しく紹介されるようで、町ぐるみで応援しており、ここのギャラリーの方にも実際の撮影の状況など色々説明して頂きました。

 波佐見町歴史文化交流館に立ち寄ります。この施設は、波佐見の歴史と文化を学べるミュージアムで、カフェが併設されていますので、一休みしていきます。館内の中庭は若松白石庭(せきしょうはくせきてい)といい、登窯の燃料であった赤松と波佐見焼きの原料である白い陶石で波佐見の風景を象徴しているとのことです。カフェでは、くるみのやつ(ローストくるみとキャラメルヌガーをクッキー生地で挟んだ焼き菓子)とパウンドケーキを頂きました。

 最後に、波佐見町やきもの公園を見学します。公園の小高い丘にある「世界の窯広場」には、古代から近世にかけての、世界を代表する珍しい窯が12基再現され展示されています。東側には、中国や朝鮮半島、日本など東洋の窯を、南側にはオリエントやイギリスなどヨーロッパの窯が配置されています。

 雲仙の宿泊先は、星野リゾートの界雲仙です。このホテルの正面には、雲仙地獄の一つである「八万地獄」が広がっています。一帯は2024年8月の土砂崩れで立入り禁止となっており、現在復旧工事中です。

 ホテルの隣は地獄巡りのスタート「清七地獄」となっていますの、早速ここから地獄巡りを始めます。しばらく歩くと、「足湯広場」になります。前方には広々とした地獄が広がっています。さらに進むと「キリシタン殉教碑」があります。かつてここで、改宗しないキリスタンが熱湯に落とされたということです(翌日、島原城にその模様を描いた画が展示されていました)。最後は「大叫喚地獄」です。ここは雲仙地獄の中で、最も噴気が活発な地獄とのことです

 今日の夕食は、「あご出汁しゃぶしゃぶ会席」です。飲み物が来る前に、湯せんべいの乗った器が出ますので、木槌で叩いて湯せんべいを割ると、下から豚の角煮が出てきます。凝ってますね。飲み物は、ビール、スパークリングの他、地酒(飛鸞クラシック 平戸・森酒造場、はねぎ絞り 南島原市・吉田屋)を頂きました。煮物椀、長崎の卓袱料理を模した八寸とお造り、揚げ物、最後は長崎名物のあご出汁で豚のしゃぶしゃぶ、五島うどんで締めます。大分、長崎にこだわった料理ですね。

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平戸

<一日目>

 今回は、長崎市以外の長崎を、北から南に行ってみます。台風24号が来ており、飛行機が飛ぶか心配でしたが、幸いなことにコースはそれました。長崎空港からは、長崎の北端平戸を目指します。平戸港交流広場に駐車しますが、そこから対岸には、平戸城が見えます。昼時ですので、ちゃんぽんで有名な一楽に向かいます。途中、広場にはポルトガル船入港碑やじゃがたら娘像があります。この像は、オランダ貿易時代に、商館の外国人と一緒になった日本人母子が、じゃがたら(現インドネシア)に追放されたことを忍び、設置されたとのことです。

 昼食は一楽で頂きます。この店は、 1964年に開店し、以来つけ足してきた歴史有るチャンポンスープが有名ですので、早速「平戸ちゃんぽん」お願いしました。野菜も他の具もびっくりするくらいの量で、食べきるのに一苦労でした。

 お腹も膨れてきましたので、腹ごなしに平戸城に向かいます。昼食を食べた一楽の前には幸橋、その先は幸橋御門で、城に続く坂道になっています。昔は、城と城下町との往来は船で、 1669年、そこに幸橋と呼ばれた木橋を架けられました。 1702年、これを石橋に改架していますが、オランダ商館の石造り建築に従事した石工によって架橋されたことから、オランダ橋とも呼ばれています。 1984年に解体して改修復元され、同時に幸橋御門も復元されています。幸橋御門の脇には英國商館遺址之碑があります。坂道を10分程進むと、城の入口の北虎口門があります。

 平戸城は、別名亀岡城と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城です。三方を海に囲まれ、天然の堀とし、亀岡山(標高約53m)の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配されています。明治の廃城令で廃城となりましたが、1962年復元(天守閣三層五階建)され、日本100名城のひとつとなっています。天守閣五階まで上り、外の展望台をぐるっと一周します。当日は台風の余波のためか、非常に風が強く、眼鏡が飛ばされそうなくらいです。しかしながら、眺めは良く、遠く平戸大橋や対岸の平戸市街が一望できます。

 天守閣の東側には、見奏(けんそう)櫓や懐柔櫓が、平戸瀬戸に睨みをきかせています。平戸城本丸跡にある「亀岡神社」は、この地を治めた松浦藩主を祀った神社です。1880年に平戸城下にあった四社(七郎神社、乙宮神社、八幡神社、霊椿山神社)を合祀してできた神社です。

 平戸城から坂道を下り、平戸港交流広場に戻ります。広場にはチューリップの椅子がありますが、オランダから送られた椅子のようです。広場から平戸オランダ商館は400m程ですので、徒歩で海岸に沿って向かいます。この白亜の建物は2011年に復元された石造りの倉庫です。外観や構造はオランダの、屋根は日本の建築技術が使われた和洋折衷の建物で、館内では平戸とオランダの交流の歴史が展示されています。

 最後に、松浦史料博物館を見学します。ここは平戸藩主松浦家の旧邸宅を利用した博物館で、1893年に当主の私邸として建てられています。平安時代から、明治維新で華族となるまで1000年も続いた松浦家に伝来する約3万点の文化財が展示されています。博物館へは急な階段を上りますが、この階段は、七十八段で、縁起のよい「七転び八起き」にあやかっているようです。

 平戸を去るにあたって、平戸大橋を二か所から見学してみました。一つ目は平戸瀬戸市場から、もう一つは田平公園からです。後者の写真は見栄えがしますね。次は平戸から今日の宿泊先の佐世保に向かいます。

 佐世保の夕食はさるくシティ4○3アーケードの近くにある、「ささいずみ」を予約しています。庶民の料亭として、創業100年を超えるお店とのことで、長崎のブランド魚「長崎ハーブ鯖」や活きあじのたたき、すり身揚げ、佐世保レモンステーキなど佐世保の名物を地酒とともに一通り頼んでみました。噂にたがわず美味しい店でした。台風のせいでイカの水揚げがなく、食べられなかったことが残念です。帰り際、夜のさるくシティ4○3アーケードを進んでみましたが、全長約1キロで一直線のアーケードとしては日本一ということで、最後までは行けず、途中で引き返しました。

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函館

<三日目>

 ホテルの近くに土方歳三最期の地がありますので、朝食前に訪れてみます。ここは箱館戦争末期に旧幕府軍が市中取締強化のため設けた柵の一つ、一本木関門(いっぽんぎかんもん)があった地で、ここで土方歳三が銃弾に倒れています(異説もありますが)。石碑の前には季節の花やお酒が手向けられています。ファンが多いのですね。

 今日は函館市内の観光地を巡りたいと思います。昼頃に雨が強くなるということで、天気はあまり良くありません。朝、土方最後の地を見たという訳ではありませんが、初めに五稜郭に行ってみます。4月28日~7月26日まで、函館は、「ゴールデンカムイ  黄金に染まる函館」のキャンペーン中で、各エリア毎、登場人物のコンテンツが展示されています。五稜郭タワーにも、TVアニメ最終章の函館登場シーンを中心にパネルが置かれています。ここは、当然土方エリアです。タワーの展望台では、土方歳三と対面しました。

 五稜郭タワーを降りて、一の橋、二の橋を渡り、五稜郭の中心部にある函館奉行所を見学します。ここは、日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所で、当初は箱館山の麓に置かれましたが、五稜郭と共に1864年に完成しています。箱館戦争では、港に碇泊した新政府軍の軍艦からの砲弾で、被災しています。1871年に解体されましたが、2010年、庁舎の1/3が復元されています。

 雨が強くなってきましたが、観光を続けます。次は四稜郭を見学します。ここは、箱館戦争において旧幕府軍が、1869年に五稜郭の北北東の段丘上に築造した台場です。1869年春、新政府軍は反撃を開始し、5月11日の、新政府軍は箱館総攻撃をおこない、四稜郭が陥落し、箱館市街は新政府軍が制圧しています。今は、石碑と土塁があるだけです。

 雨はますます激しく強くなってきました。次は北海道東照宮(別名、函館東照宮)に参詣します。この神社は、1864年、五稜郭が完成すると、東北の鬼門に当たる現在の神山3丁目(五稜郭と四稜郭の中間地点)に、蝦夷地の鎮護として勧請されました。箱館戦争の兵火で焼失し、1992年に現在地(四稜郭から山側へ車で10分程の場所)へ移転しています。箱館戦争では、新選組の土方歳三らも参詣したと伝えられています。社務所には、劇場版コナンの中で土方歳三の愛刀として登場した「星稜刀」が展示されています。柄(つか)の下には、怪盗キッドが!その横には土方・啄木浪漫館(2024年閉館)にあったという、土方歳三の像がありました。

 幸いなことに、雨は止みました。函館駅近くの駐車場に車を置いて、金森(かねもり)赤レンガ倉庫に向かいます。これらの倉庫は、100年以上前の1909年頃に作られ、1988年に商業施設「金森赤レンガ倉庫」としてオープンしています。倉庫内はショッピングモールやビアホール・レストランなどの商業施設となっています。ベイエリアは白石のエリアです。

 昼食は、ご当地フードのラッキーピエロで、ラッキーバーガー、飲み物アイスカフェオレとバドワイザーを頂きました。全国チェーンのメーカーよりも1.5倍ありそうなボリュームです。行く途中の道路に日本最古のコンクリート電柱に遭遇しました。

 昼食後は、函館山のふもとを散策します。山のふもとだけに、坂道はかなり急で、上るのに骨が折れます。但し、坂の上からの眺めは映えます。はじめに旧函館区公会堂を見学します。1階は大食堂、2階は大広間になっており、大広間のバルコニーからは、五稜郭タワーや連絡船摩周丸をはじめ、函館市街全体が見渡せます。ブラタモリでも、ここを訪れていました。

 公会堂の下は、元町公園となっています。函館の町はこの一帯から発展したようです。公園と道を隔てて函館市旧イギリス領事館がありますので見学します。この建物は1859年から75年間、領事館として使用されたようです。領事執務室には小柄なリチャード・ユースデン領事の像がありますが、この領事は非常に小柄だったことから、「豆コンシロー」と呼ばれていたようです。

 電車通りの一つ上の通りを、電車通りと並行に歩いて行きます。大三坂、二十間坂と坂を横切っていくと、五島軒の本店がありました。一階は、入って左がレストラン、右がカフェテリアとなっています。カフェテリアに入って紅茶の焼き菓子セットをいただきました。お菓子の種類が多いです。レストランでは、ゴールデンカムイとコラボして「杉元佐一 お見合い洋食セット」が有るようですが、今回は売店で杉元のビーフスチウを購入しました。箱の絵は杉元の若い頃の傷の無い顔になっています。

 帰りの飛行機の時間も近づいてきましたので、函館駅方面に徒歩で戻ります。途中、函館の街の発展に貢献した高田屋嘉平の銅像がありました。函館市街と飛行場の間には有名な湯の川温泉があります。少し時間がありましたので、13:00~22:00で日帰り入浴ができ、550円と銭湯並みの「ホテルテトラ湯の川温泉」がありましたので、立ち寄ります。施設は値段並みですが、源泉掛け流しで湯量も豊富なので、一風呂浴びるには丁度良いと思います。さっぱりして、函館を後にします。

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北斗、木古内、知内、松前、上ノ国、江差、乙部

<二日目>

 朝食前に、函館駅周辺を散歩します。JRINNは函館駅に隣接していますので、連絡船、従って函館湾は直ぐそばです。港には連絡船摩周丸が停泊しており、対岸には昨夜上った函館山が見えます。この一帯はふれあいイカ広場と言われているようで、巨大なイカのモニュメントもあります。名物の函館朝市を通り抜け、ホテルに戻ります。

 今日は国道228号線で海岸沿いに松前半島を一周します。初めは北斗市のトラピスト修道院です。正式名称は「厳律シトー会燈台の聖母トラピスト修道院」です。修道院の手前の並木道を歩いて行こうと思いましたが、道の脇に「熊に注意」という看板がありましたので、車で並木道を進みます。ここで修道士は牧場を営んでおり、そこで作られる生乳で、バター、アイスクリーム、飴やクッキーを直営販売所で販売しています。早速バター飴とソフトクリームを買いました。ソフトクリームのボリュームはかなりあります。

 次は咸臨丸が座礁、沈没した木古内町を訪れます。咸臨丸は、1857年にオランダで建造され、1860年、日米修好通商条約批准書交換目的で渡米する幕府遣米使節護衛の随伴艦として太平洋を横断しています。その後、幕府は戊辰戦争で敗れ、北海道移住の仙台藩家臣団401名を乗せ、小樽に向かう途中、1871年、サラキ岬沖で座礁、沈没しました。幸いなことに、乗船者は難を逃れています。これを契機に、町おこしの一環として、てサラキ岬に咸臨丸モニュメントを設置し、咸臨丸のふるさとオランダをイメージしたチューリップ花壇などを整備しています。

 次は知内町の道の駅「しりうち」で休憩します。この街は、「青函トンネル出入り口の町」がキャッチフレーズで、道の駅に新幹線展望台がありますので、早速、エレベーターで上ってみます。このエリアは、新幹線と在来線が走行する共用区間で、新幹線と在来線でレール幅が異なるため、3線軌条区間となっています。 本線の両側は、在来線の待避スペースとなっています。

 次は、松前町で、日本百名城の松前城を見学します。道の駅「北前船松前」に車を置き、10分程歩くと松前城(資料館)に到着します。松前城は、北海道内で唯一つの日本式城郭で、1941年に国宝に指定されましたが、1949年に飛び火により焼失してしまいます。現在の天守閣は、1961年に再建され、内部は松前城資料館となっています。松前城は公式には福山城とされていますが、備後福山城との混同を避けるため、松前城とも呼ばれています。本丸に隣接する本丸表御殿玄関は、創建当時からの物です。。箱館戦争では、土方歳三が率いる旧幕府軍に攻め落とされていますが、翌年、新政府軍が奪回しています。

 松前城に隣接して松前神社があります。ここは、旧松前城北の丸を境内地とし、松前藩の祖である武田信広を祀った神社で、1879年に社殿が建立されています。松前城の北側に,、「松前藩屋敷」というテーマパークがありますので、行ってみます。ここは「松前の春は江戸にもない」と謳われたほどに北前船で潤った松前の栄華を再現しています。松前藩屋敷の表門をくぐると、もうそこは江戸時代のたたずまいで、14棟の建物が再現されており、タイムスリップしたような感覚になります。本格的なセットなので、全国的にもう少し知られていても良いように思います。

 昼食は、景観が美しく、北海道ウォーカーの絶景感動部門で金賞を受賞したという上ノ国町の道の駅「上ノ国もんじゅ」で頂くことにします。確かにレストランから見る日本海は遮るものはなく、絶景です。ここでは、エビだし特製ラーメンをお願いしました。建物の脇から海岸にむかって神(かん)の道という階段があります。昔、海岸から山へ続くこの階段を通って、竜神が山の女神に会いに行ったという伝説があるそうです。

 食事後は、道の駅が望む山の奥にある、続日本百名城「勝山館(かつやまだて)跡」に向かいます。勝山館は、後の松前氏の祖である武田信廣(松前神社に祀られています)が15世紀後半に築いた山城です。アイヌ民族の三大蜂起の一つである、コシャマインの戦いを制した武田は、蝦夷地に渡ってきた和人をまとめていく城として造りました。しかし、後には拠点を松前に移しています。勝山館跡ガイダンス施設は、勝山館跡の上部に設置されており、200分の1の復元模型と勝山館跡をガラス越しに見比べることができる、とのことでしたが、立木が遮っており館跡を見ることはできません。そこで、ガイダンス施設を出て、館跡へ続く道を進もうと思いましたが、熊出没の看板を見て断念しました。

 先ほど断念した勝山館跡への道を4~50分下る旧笹浪家住宅の脇に出るそうですが、こちらは車で向かいます。この家はニシン漁で繁栄した笹浪家の住居兼仕事場で、江戸時代末期の建築で、北海道に現存する民家建築としては最も古いそうです。隣接する米・文庫蔵、土蔵には、旧笹浪家が所有していた古民具・アイヌ資料の他、円空仏や周辺の歴史資料が公開されています

 次は江差町を通ります。港に帆船が見えましたので、車を近づけてみます。帆船の名前は開陽丸で、幕府海軍に所属していたオランダ製の軍艦とのことです。1868年に、江差沖で暴風雨に遭い、座礁・沈没しています。大砲、弾丸、火薬缶、ロープ、帆布、サーベル、日本刀等3万2905点が引揚げ・脱塩処理され、オランダに保管されていた設計図に従い開陽丸も復元され、軍艦内に引揚げ品を配置し、「開陽丸青少年センター」(開陽丸記念館)となっているそうです。しかし現在、船の周りは2027年6月にオープン予定の「道の駅かもめ島」の整備事業が行われており、立ち入ることは出来ません。再度、訪問したいものですね。

 最後は乙部町の滝瀬海岸にある白い断崖「シラフラ」です。「シラフラ」はアイヌ語で“白い傾斜地”を意味します。高さ20mほどの白い断崖が約500mにもわたってそびえ立っています。この白い断崖は、約500万年前の火山噴火で噴出した軽石が、海底に積もり、それが隆起して出来たものと言われています。また国道229号線の先には、「館の岬」という断崖がありますので、道を進めます。近づくと、国道229号線の岩盤崩落のため、復旧工事が行われており、通行止めとなっています。車を降りて、工事現場の脇から「館の岬」を望みます。これで松前半島の海岸線を一周しましたので、国道227号線で松前半島を横切り、函館に戻ります。

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大沼公園、鹿部、南茅部

<一日目>

 今回は、函館をぐるりと巡ります。函館の右側は亀田半島、左側は松前半島で、今日は亀田半島を一周します。はじめは函館空港に隣接している、続日本百名城の志苔館(しのりだて)跡を見学します。 ここは、西には志海苔川(のりの漢字が館と違っています)、南は海に面した丘陵上に立地しています。ここは、14~15世紀頃に和人(本州から渡来した日本人)によって築かれた中世の館城ですが、アイヌとの抗争があり、最終的には館を放棄し、松前に逃れているため、16世紀以降は廃館となっています。現在は、土塁と空堀があるだけで、北側には函館空港の滑走路が走っており、飛行機の離着陸が間近で見えます。

 さて、次は七飯(ななえ)町にある大沼公園に向かいます。七飯は元々は「七重」でしたが、飯田村との統合の際「七飯」になっています。大沼公園は、新日本三景(他は、三保の松原と耶馬溪)に選定されており、活火山である駒ヶ岳とその麓に広がっている大沼湖や小沼湖には126の小島があります。一部は橋でつながれ、散策ルートとなっていますので回ってみます。島の一つ、西大島には、作家の新井満がここのログハウスで、森を吹き渡る風に着想を得て「千の風になって」を作ったことを記念するモニュメントがあります。丁度この時期はスイレンの開花の時期で、ピンクや白、黄色と微妙に色の異なるスイレンを見ることができました。

 公園散策後、小腹も空いたので、大沼公園駅前にある大沼だんごの老舗として有名な「沼の家」で、お団子を頂くことにします。ごまと餡子の2種類がありますので、両方頂きました。この団子は、ゴールデンカムイでは、五稜郭包囲戦の前に、鯉登から鶴見への差し入れとして登場しています。食後は、大沼公園駅を覗いてみます。丁度、列車が到着しました。ホームは直ぐそばです。

 昼食は車で30分程の所にある、道の駅「しかべ間欠泉公園」で取ることにします。ここは、道の駅で食材を購入し、蒸し処で自ら蒸して食べるスタイルです。早速、冷凍のホタテの稚貝、甘エビ、ホタテ饅頭を購入し、蒸し処で蒸してみます。100度近い温泉から湯気がもうもうと出ますので、10分間程度で蒸し上がります。

 食事後、道の駅に隣接している間欠泉を見学します。10分ほどの周期で、噴出高約15メートル、温度103度の熱湯が地面から噴出してきます。予想以上の迫力です!眺望の館の1階は通称「洞窟の道」となっており、パネルやビデオで、活火山である駒ヶ岳の噴火による被害や間歇泉のしくみ等がパネルやビデオで紹介されています。しかべ焼きが売られていましたので、頂きましたが、味も形も明石焼きです。

 次は、2021年に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」を見学します。最初は大船遺跡です。途中、三味線滝がありましたので、車を降りて、マイナスイオンに浸かります。この遺跡は、5500~4000年前の1500年にわたって営まれた集落で、床を深く彫り込んだ(中には2m超も)縦穴建物が特徴です。発掘された縦穴は、年代を経る毎に囲炉裏が大きくなっています。説明頂いた係の方によると、寒冷化の影響と言うことです。管理棟の脇にはこれまで発掘された石皿が大量に並べられていました。

 次は、垣ノ島遺跡です。遺跡には函館市縄文文化交流センターがありますので、見学します。ここには縄文時代の土器や狩猟道具が数多く展示されていますが、ここから車で10分程先にある著保内(ちょぼない)遺跡で発見された、北海道唯一の国宝、中空土偶が展示されています。垣ノ島遺跡の入口から遺跡内に入ると、目の前には広大な草原が広がっており、地面の下には縦穴建物群が埋まっているとのことです。ここは、大船遺跡より古く、9000~3000年前の定住の跡です。

 日も傾いてきましたので、函館に向います。途中、道の駅「なとわ・えさん」の展望デッキで、恵山岬と津軽海峡を一望しながら、はこだてプリンとコーヒーを頂きました。「なとわ」は方言で「あなたとわたし」という意味です。国道沿いには、北海道本州最短の地や、汐首岬灯台、旧戸井線アーチ橋がありますので、車を止めて見学します。

 夕食は、ホテルのガイドブックにあった「函館山」で頂きます。 ホテルの明日の朝食は、お寿司のバイキングなので、お刺身系以外の物を注文してみました。お酒は、国稀(増毛)と絹雪(旭川)です。

 食事後は、函館山に上り、函館の夜景を見たいと思います。行く途中、下から山頂をみると、ガスっています。ロープウェイでは、途中までは市街の夜景が美しく見えましたが、山頂からは、残念ながら、ガスでぼんやりとしか見えませんでした。これで今日の観光は終了し、宿泊先の函館駅に隣接しているJRINNに戻ります。

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新潟、新発田

<二日目>

 今日は新潟市内を観光した後、新発田へ向かいたいと思います。まず、新潟市の海岸である寄居浜で海の匂いを体感し、旧斎藤家別邸に向かいます。駐車場から徒歩で向かう途中、新潟大神宮がありましたので、参拝します。その参道には、坂口安吾生誕碑がありました。

 また途中にはカトリック新潟教会がありましたので入ってみます。この聖堂は、スイス出身の建築家によって設計され、左右対称に塔が並び立つ「ロマネスク様式」を取り入れた和洋折衷の木造建築として、昭和2年に建てられたのだそうです。残念ながら、修繕工事中で、外壁にはフェンスが張られていました。

 さていよいよ国指定名勝旧齋藤家別邸に入ります。ここは明治から昭和初期にかけて新潟の三大財閥の一つに数えられた、豪商四代目喜十郎が、1918年に建てた別荘です。砂丘地形を巧みに利用し、深山幽谷の趣を仕立てた庭園は、完成までに三年の歳月をかけたと言われています。主屋の一階・二階からみる新緑の庭は美しく、いつまでも見ていられます。ということで、庭を見ながら一服することとしました。秋も紅葉が美しいでしょうね。

 次は旧小澤家住宅に向かいます。ここは江戸時代後期から新潟で活躍していた旧小澤家の店舗兼住宅です。この住宅はかつての新潟における町家の典型例で、当時の屋敷構えが、ほぼそのまま残されているそうです。残念ながら、藤の花は、盛りを過ぎていました。

 次は新発田に向かいます。お昼時ですので、途中へぎそばで有名な「小嶋屋総本店」に立ち寄ります。お昼時と言うことで、少し混んでいました。注文したのは天へぎセットと、たれソースかつ重セットです。たれソースかつ重は新潟の名物とのこと。蕎麦はフノリがたっぷりはいっているためかつるつるつやつやです。

 新発田では、まず日本百名城である新発田城の見学から始めます。現在は本丸の半分と二の丸の一部が自衛隊新発田駐屯地となっており、城址とは壁で仕切られています。本丸の表門と二の丸隅櫓(本丸鉄砲櫓の跡に移築)が現存建築で、辰巳櫓と三階櫓は復元建築です。1669年に大地震があり、石垣の大半が崩れたことから、当時の最高の技術で積み直ししており、切込接布(はぎぬの)積みの美しい仕上がりになっています。表門のそばには堀部安兵衛像があります。安兵衛は新発田藩士の子どもで、ここで誕生していますが、新発田の人は、それを誇りに感じているようです。

 城址と駐屯地の間に、自衛隊の白壁兵舎広報史料館があり、見学します。館内には日清戦争から太平洋戦争に至る数々の作戦に参加した歩兵第16連隊・歩兵第116連隊等郷土部隊の関連資料や将兵の当時の装備品等を展示しています。新発田城ジオラマが展示されていますが、本丸を時計の10時4時の線で区切った右上が自衛隊の駐屯地です。

 新発田は、モダンな画風で一世を風靡した蕗谷虹児(ふきやこうじ)の誕生地でもあり、蕗谷虹児記念館がありますので見学してみます。1階では、「宮嶋美明・蕗谷虹児 ふたり展」を開催しており、2階には実際に使用していた画材など貴重な資料が展示されています。チャペルのような建物は、虹児が放浪したこともあるロシアの教会をイメージしたとのことです。

 新発田の最後は、新発田藩四代目藩主溝口重雄(しげかつ)が作庭した大名庭園、清水園です。この庭は、近江八景を取り入れた純京都風の回遊式庭園で、中央には草書体の「水」の字をかたどった池が配置されており、池の周囲には五つの茶室が点在しています。庭の中には、「蔵の資料館」と呼ばれる巨大な蔵があります。その中には新発田藩の資料に加え、堀部安兵衛の資料も多数あります。新発田にとって、彼は特別な存在なのでしょう。

 新潟市に戻り、昨日、萬代橋から見えていた「朱鷺メッセ」に行ってみます。朱鷺メッセは、新潟コンベンションセンターとホテル日航が上層部に入っている万代島ビルから構成されるています。ビル最上階の31階はBefcoばかうけ展望室となっており、土産物屋とイベント会場になっています。当日は、新潟手ぬぐい展を 開催していました。新潟旅行の最後に新潟市を俯瞰し、お土産を買って、駅に戻ることにします。

 新幹線にまだ時間があります。鶏はまだ食べていなかったので、、駅チカの「くつろぎの里 蒼心」で、新潟っぽいもの?を頂きました。お酒はもちろん〆張鶴(村上市 宮尾酒造)です。

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国内旅行

村上、新潟

<一日目>

 今回は新潟県の北部を旅行します。はじめに村上市にある村上城(続100名城)に上ります。この城は、標高135mの臥牛山(がぎゅうさん)に築かれた城で、戦国時代には本庄氏の本拠地でしたが、江戸時代には、村上氏・堀氏・松平氏と城主は入れ替わっています。登山口の前にある村上城跡保存育英会で続100名城のスタンプを押した後、登山口から七曲がり道、高低差100mを、一気に上ります。15分程で、城の入口である四つ門が見えてきます。この門は、山頂部の最もくびれた部分に位置しており、一つの門で城内、場外の左右の通路仕切っていることかから、その名がついているようです。

 二の丸から本丸に近づくと、細い城道を見下ろすように出櫓があり、その下には山頂部の本丸と二ノ丸を画している黒門がありました。更に道を上ると、本丸唯一の出入り口にあたる冠木門があります。その門を入ると、本丸と天守台があり、そこからは、市内、その先には日本海のパノラマが広がっています。

 お昼時になりました。今日はせっかく村上に来ましたので、鮭料理の「千年鮭きっかわ井筒屋」に行ってみます。ここは昔、松尾芭蕉が泊まった宿だったようです。ここでは鮭料理八品のセットをお願いしました。先付けで、鮭の酒びたし、手まり寿司、白子の寒風干しが出ます。続いて、鮭の塩引と酒びたし皮が出されますので、ミニ七輪でさっと焼きます。酒びたし皮は、チリチリと丸まり、おどり焼きになります。最後はご飯と一緒に残りの鮭料理が出てきます。ご飯は一膳目は塩引き鮭と一緒に頂き、二膳目は出汁で、茶漬けで頂きました。何れもおいしく頂きましたが、少し塩分は多めです。

 食事後、同じ通りにある「千年鮭きっかわ」を見学します。ここは、塩引き酒や酒の酒びたしなど村上伝統の料理を加工販売する老舗です。築140年の町屋では、天井から吊り下げられた千匹の鮭が見られます。

 商店街の通りから、脇の道に入ります。ここ安善小路は、黒い板の塀で統一され、村上市街の中で、最も城下町の風性が感じられるところです。道の中程には400年ほど前に創建された安善寺があり、下層に屋根のない二階造りの楼門は、往時をしのばせます。

 最後は、三の丸にある駐車場に戻り、同じ敷地にある三か所の資料館を順に見学していきます。最初は、若林家住宅で、二百数十年前から明治期まで、村上藩士若林家とその子孫が生活していた建物です。若林家は150石の者頭(ものがしら)役で、17人の足軽を指揮していたようです。庭に面した縁側には、村上らしく、鮭が干されていました。

 続いて、村上歴史文化館を見学します。外観は村上市にあった明治時代後期の旧藤井医院を参考に設計されたとのことです。村上市所蔵の民俗資料や歴史資料が展示されています。食文化では、江戸時代の祝い膳が展示されていましたが、酒の肴は今と全く同じですね。

 最後は、おしゃぎり会館です。毎年7月7日に開催される村上大祭で引き回される「おしゃぎり」と呼ばれる大きな山車を、1、2階福抜けのブースで展示しています。ここの2階には、村上歴代城主の関連資料や刀剣、甲冑などの歴史資料が展示されています。

 次は、村上市街を離れ、笹川流れに向かいます。笹川流れとは、国指定名勝天然記念物で県立自然公園に指定されている景勝地で、約11㎞の海岸線には、激しい荒波により侵食されて作られた奇岩が多くあり、変化に富んでいます。とりあえず道の駅笹川流れの夕日会館に立ち寄り、ソフトクリームを頂きます。展望台から海岸線をみます。ここは恋人の聖地ではありませんが、柵には鍵が多くかけられていました。

 観光案内のパンフレットでは、遊覧船から眺めるのがおすすめとありますが、日本海の荒波、揺れると具合が悪くなりますので、国道から奇岩を眺めることに止めました。

 新潟市に戻り、今日の宿泊先であるアパホテルに到着しました。一服してから、徒歩で、新潟日報メディアシップ20階の展望フロア「そらの広場」に向かいます。ここは地上約100mに位置しており、眼下には信濃川や新潟市中心部、遠くには日本海を、望むことができます。萬代橋の近くには新潟ブルースの歌碑が有りました。

 今日の夕食は萬代橋のたもとに有り、新潟ブランド牛を味わえるというビストロ椿に行くことにします。村上は鮭と牛が2大グルメですが、牛は食べていなかったので、店の方に村上牛を頂けるか伺ったところ、タリアータは村上牛とのことなので、それをお願いしました。出された料理は何れもおいしく、ボリュームもそこそこあり、いい店だと思います。帰る際、萬代橋からは、遠くに朱鷺メッセやホテル日航の夜景が見えます。

 新潟日報メディアシップの展望フロアは、夜も11時までやってるということなので、ホテルに戻る前に、夜景を見に再度上ってみます。明るい時とは違って、夜景はロマンチックですね。

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国内旅行

栃木、壬生、宇都宮、益子

<一日目>

 今回は栃木県南部を観光します。蔵の街、栃木市からスタートです。初めに、蔵の街遊覧船に乗船し、巴波川(うずまがわ)を、舟で20分程遊覧します。船頭さんによると、栃木宿は、江戸末期の天狗党の襲撃で放火されたため、江戸時代から残っている建物は、ここの船着き場に沿って建っている木材廻船問屋を営んでいた塚田家の建物だけということです。船頭さんは一通り歴史を説明した後で、「栃木河岸船頭唄」を唄ってくれます。最後に、「券は一日乗船券なので、今日は何回でも乗船できますよ」と、言っていました。

 昼時となりましたので、食事をしたいと思います。観光協会の前を通って、ガイドブックに載っていた老舗洋食店の「赤城亭」に行ってみました。残念ながら、当日は予約者で満員とのこと。気を取り直し、近くの「かな半」に入り、「もろ湯葉丼」を頂きました。「もろ」とは、茨城県北部から宮城県沖で獲れる「ネズミザメ(モウカザメ)」のことで、それを醤油や砂糖でやわらかく煮付けた料理は、栃木県民のソールフードとのこと。「もろ湯葉丼」は、「もろ」と湯葉の合体で完全に地元料理ですね。

 食事後、近くにある栃木市郷土参考館を見学します。ここは質屋を営んでいた板倉家の主屋と土蔵で、約200年前の建物だそうです。主屋へはは、格子戸のくぐり戸からかがんで入ります。土蔵は間口5.4m、奥行き12.6mで、当時のまま残されています。土蔵の中は共同参考館として、昔のこの地域の民俗資料が展示されています。

 次は、日光例幣使街道で、伝統的建物保存地区になっている嘉右衛門町に行きます。日光例幣使とは、朝廷から毎年日光東照宮へ幣束(へいそく)を奉納していた勅使のことです。例幣使を迎える街道の中でも栃木塾は、舟運で栄え、街道随一の賑やかさだったそうです。嘉右衛門町の一角に、油伝(あぶでん)味噌が有りますので、入ってみます。ここは1781年に油屋として創業し、幕末からは味噌の製造をしています。味噌屋ですので、名物の「伝兵衛もち」と「田楽盛合わせ」、飲み物は、地酒のわかこま(若駒酒造、小山市)とクラフトビールを頂きました。

 栃木市の次は、おもちゃのまち壬生町に向かいます。1960年代に、東京下町の葛飾区や墨田区から、玩具工場を誘致し、ここにおもちゃの工業団地が作られました。はじめは、町営のおもちゃ博物館を見学します。ここの1階は、子供の遊び場となっていますが、2階はブリキやキャラクターグッズなど貴重なおもちゃ9000点を展示した博物館となっています。懐かしいおもちゃがたくさん展示されていました。別館の鉄道模型の展示コーナーには、巨大で精巧なジオラマがあり、持ち込んだ車両を走らせる運転体験もできるそうです。

 次はバンダイミュージアムの見学です。ここは日本のおもちゃ、西洋のアンティークトイ、エジソン発明品、ガンダムの四つのテーマから構成されています。日本のおもちゃに関しては、町営のおもちゃ博物館と似たような展示になっていますが、仮面ライダーやウルトラマンのフィギアがずらりと並び、かつて手にしたものも多く有り、懐かしさを感じます。

 雨が強くなってきましたので、これで観光は終了し、今日の宿泊先である宇都宮市のダイワロイネットに向かいます。夕食は、駅そばの「ビストロキャトルズ」に入ります。「10種具材のサラダ」と「前菜盛り合わせ」を、お願いしましが、サラダは席の前で、それぞれの具材をボールで混ぜていきます。初めて見たパフォーマンスです。最後はパスタで締め、今日はホテルに戻ります。

<二日目>

 今日は昨日の雨もやみ、絶好の観光日和です。部屋の窓からは正面にJR宇都宮駅、下には宇都宮ライトレールの駅が見えます。食事前にJR宇都宮駅行き、ビーナスが餃子の皮に包まれた「餃子のビーナス」を見に行きました。 1994年制作で30年以上も立っていますので、昔の写真と比べると大谷石はだいぶすり減っているような気がします。

 今日は、宇都宮市内を観光し、その後益子に向かいます。宇都宮ではまず二荒山(ふたあらやま)神社に参拝します。日光の二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)との区別のために地名を冠して「宇都宮二荒山神社」と呼ばれるようです。行ってみると、大鳥居の後ろには、3×3バスケットボールの特設コートが設置されています。本日はセレモニーで明日、明後日と試合があるようです。会場脇から入り、石段を上って、拝殿で参拝します。途中の石段には、無料自由席のステッカーが貼られていました。

 次は、カトリック松が峰教会に向かいます。ここは1932年の創建で、ロマネスク様式で、日本では数少ない双塔の教会建築です。宇都宮特産の大谷石を大部分に使い、国の登録有形文化財にも指定されています。

 最後は、宇都宮城址です。宇都宮城は、戊辰戦争(ここで土方歳三も戦った)で建物の大半が焼失し、後に土塁は壊され、堀も埋め立てられています。こうした中、宇都宮市は、市制110周年事業として、本丸西側にあたる約3・7ヘクタールの「復元」を計画。用地買収や建設費など160億かけ、土塁や堀などを造り、宇都宮城址公園として開園しています。土塁の中は、ものしり館(地域歴史博物館)と防災倉庫となっています。ものしり館には、城址公園が出来るまでの経緯と宇都宮城のジオラマなどが展示されています。ものしり館では、地元のボランティアの方から、宇都宮城の歴史を説明頂きました。

 駐車場に戻ります。途中、オリオン通りを通ると、大関和(オオゼキチカ)の大きな垂れ幕が掲げられています。栃木県は、PRで今年は彼女を前面に出すようです。宇都宮二荒山神社と道路の反対側に宇都宮二荒山神社の摂社下之宮が有ります。もともとはここが、宇都宮二荒山神社発祥の社とのことです。

 次は益子に向かいます。お昼時間ですので、昼食は、手打ちそば「うえの」で頂くことにしました。「海老天ざる」と、「とろろそば」をお願いしました。そばは、こしがあって量もそこそこ有り、良いお店でした。

 食事後は、民芸運動の主導者の一人で、人間国宝でもあった陶芸家濱田庄司の住まいと工房だった「濱田庄司記念益子参考館」に行きます。ここには、彼が収集した工芸品が展示され、濱田庄司の作品と工房も見ることができます。濱田庄司の住まいは、益子町の高野家の母屋を移築したもので、民芸風にアレンジされて、雰囲気を体感出来ます。茅の防虫のためか、煙で常にいぶされています。

 住まいの近くには、細工場(さいくば、仕事場)があり、そこには、濱田庄司が実際に使用していた手回し轆轤が置いてあります。そこから少し下りたところに、濱田庄司が使用していた全長16m八室からなる大登り窯があります。この窯は、東日本大震災の時に崩壊ましたが修復され、「濱田庄司登り窯復活プロジェクト」で数回火が入っています。当日は、2026年1月の窯の区割表が黒板に残されていました。。

 参考館の次は、益子観光南駐車場に車を置き、城内坂通りをブラブラ歩き、益子焼窯元共販センターや「やまに」の何軒かあるお店を覗いてみます。来週の連休期間中は40万人がここを訪れるそうですが、今は閑散としています。日も傾いてきましたので、益子焼の製造販売もしている「カフェレストラン壺々炉(こころ)」で一休みして、戻ることにします。

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海外旅行

ミラノ

<十日目>

 いよいよ今日は最終日です。有名どころの観光地はすでに大概見ていますので、今日は、買物とミラノ散策に当てたいと思います。はじめに地下鉄2号線でガリバルディ駅に行きます。駅の周辺は、ポルタ・ヌォーバとして開発されたビジネス街で、遠くには、建物の周囲一面に木が植えられている「垂直の森」が見えます。ここで、地元の有名スーパーEsselingaに行き、イタリアの食材を買いたいと思います。売り場で、私の目を引いたのは、イタリアのワインコーナーで、ワインが地域ごとに並べられています。もっとイタリアに居られたら、これを順番に飲めたのにな、と思いました。

 次は、デパートのリナシェンテに行くため、ドゥオーモに向かいます。ドゥオーモ脇のガッレリアに入り、地面の雄牛のモザイク画の急所部分に靴のかかとを入れ、ぐるぐる回る光景を見ます。こうすると願いが叶うとされていて、前回来た際、私もしてみました。ガッレリアを出て、ドゥオーモの奥側のリナシェンテに入ります。

 買い物をしていると、お昼時となりました。今回の旅行では、パスタやリゾットなど炭水化物系が多かったので、最後は肉でガツンと行きたいと思います。例によってAIに肉が手軽に食べられるところを聞いたところ「Da Mario Steak House」を紹介されたので、行ってみます。確かにこの店はお手軽な店らしく、昼食時のサラリーマンや工事関係者など、地元の人が大勢入店してきます。アルゼンチン産アンガスビーフのスライス300g以上とチーズハンバーガーをお願いしました。肉はボリュームが多く、全部食べきれないほどでした。

 食後も、買い物を続けます。次はイタリアで750年の歴史をもつ老舗製紙会社ファブリアーノへ向います。美しい色彩と、とにかく書きやすい厚手の紙が魅力のメーカーで、日本ではなかなか無い深いグレーの表紙のノートを買いました。ミラノ中央駅に戻り、dmというドイツのドラッグストアで、イタリアでも人気でオリジナル商品がネット上で評判がよいので、いくつかボディケア商品を買ってみました。また、KIKOという、ミラノ発祥のイタリアで人気のコスメショップがあり、日本にはまだ入ってきていないので、覗いてみました。

 ミラノの最後は、ナヴィリオ地区のナヴィリオ・グランデ沿いのエリアで、アペリティーボを楽しみたいと思います。ミラノ中央駅から、地下鉄緑線(linea2)でポルタジェノバ駅で下車し、徒歩で約5分で、ミラノでは珍しくなった運河が現れます。運河沿いに、既に大勢の人々が行き来していますが、運河に架かるアルダ・メリーニ橋には愛の南京錠がぎっしりかけられ、下の部分にはステッカーが隙間無く張られています。橋のたもとには、南京錠売りが居ます。

 アペリティーボは「食前酒」という意味ですが、ここミラノ(イタリア全土かも?)でアペリティーボと言えば、ドリンク一杯とブッフェ形式の食事が食べ放題というシステムです。調子の良い呼び子に声を掛けられた事もあり、運河沿いの「La contea navigli」に入ります。アペリティーボのお酒は、イタリアの定番スプリッツをお願いしました。食事はフリーなので、ここで夕食もとることとし、ワインも追加し、暮れなずむ空を見ながら、ミラノの最後の夜を過ごしました。