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函館

<三日目>

 ホテルの近くに土方歳三最期の地がありますので、朝食前に訪れてみます。ここは箱館戦争末期に旧幕府軍が市中取締強化のため設けた柵の一つ、一本木関門(いっぽんぎかんもん)があった地で、ここで土方歳三が銃弾に倒れています(異説もありますが)。石碑の前には季節の花やお酒が手向けられています。ファンが多いのですね。

 今日は函館市内の観光地を巡りたいと思います。昼頃に雨が強くなるということで、天気はあまり良くありません。朝、土方最後の地を見たという訳ではありませんが、初めに五稜郭に行ってみます。4月28日~7月26日まで、函館は、「ゴールデンカムイ  黄金に染まる函館」のキャンペーン中で、各エリア毎、登場人物のコンテンツが展示されています。五稜郭タワーにも、TVアニメ最終章の函館登場シーンを中心にパネルが置かれています。ここは、当然土方エリアです。タワーの展望台では、土方歳三と対面しました。

 五稜郭タワーを降りて、一の橋、二の橋を渡り、五稜郭の中心部にある函館奉行所を見学します。ここは、日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所で、当初は箱館山の麓に置かれましたが、五稜郭と共に1864年に完成しています。箱館戦争では、港に碇泊した新政府軍の軍艦からの砲弾で、被災しています。1871年に解体されましたが、2010年、庁舎の1/3が復元されています。

 雨が強くなってきましたが、観光を続けます。次は四稜郭を見学します。ここは、箱館戦争において旧幕府軍が、1869年に五稜郭の北北東の段丘上に築造した台場です。1869年春、新政府軍は反撃を開始し、5月11日の、新政府軍は箱館総攻撃をおこない、四稜郭が陥落し、箱館市街は新政府軍が制圧しています。今は、石碑と土塁があるだけです。

 雨はますます激しく強くなってきました。次は北海道東照宮(別名、函館東照宮)に参詣します。この神社は、1864年、五稜郭が完成すると、東北の鬼門に当たる現在の神山3丁目(五稜郭と四稜郭の中間地点)に、蝦夷地の鎮護として勧請されました。箱館戦争の兵火で焼失し、1992年に現在地(四稜郭から山側へ車で10分程の場所)へ移転しています。箱館戦争では、新選組の土方歳三らも参詣したと伝えられています。社務所には、劇場版コナンの中で土方歳三の愛刀として登場した「星稜刀」が展示されています。柄(つか)の下には、怪盗キッドが!その横には土方・啄木浪漫館(2024年閉館)にあったという、土方歳三の像がありました。

 幸いなことに、雨は止みました。函館駅近くの駐車場に車を置いて、金森(かねもり)赤レンガ倉庫に向かいます。これらの倉庫は、100年以上前の1909年頃に作られ、1988年に商業施設「金森赤レンガ倉庫」としてオープンしています。倉庫内はショッピングモールやビアホール・レストランなどの商業施設となっています。ベイエリアは白石のエリアです。

 昼食は、ご当地フードのラッキーピエロで、ラッキーバーガー、飲み物アイスカフェオレとバドワイザーを頂きました。全国チェーンのメーカーよりも1.5倍ありそうなボリュームです。行く途中の道路に日本最古のコンクリート電柱に遭遇しました。

 昼食後は、函館山のふもとを散策します。山のふもとだけに、坂道はかなり急で、上るのに骨が折れます。但し、坂の上からの眺めは映えます。はじめに旧函館区公会堂を見学します。1階は大食堂、2階は大広間になっており、大広間のバルコニーからは、五稜郭タワーや連絡船摩周丸をはじめ、函館市街全体が見渡せます。ブラタモリでも、ここを訪れていました。

 公会堂の下は、元町公園となっています。函館の町はこの一帯から発展したようです。公園と道を隔てて函館市旧イギリス領事館がありますので見学します。この建物は1859年から75年間、領事館として使用されたようです。領事執務室には小柄なリチャード・ユースデン領事の像がありますが、この領事は非常に小柄だったことから、「豆コンシロー」と呼ばれていたようです。

 電車通りの一つ上の通りを、電車通りと並行に歩いて行きます。大三坂、二十間坂と坂を横切っていくと、五島軒の本店がありました。一階は、入って左がレストラン、右がカフェテリアとなっています。カフェテリアに入って紅茶の焼き菓子セットをいただきました。お菓子の種類が多いです。レストランでは、ゴールデンカムイとコラボして「杉元佐一 お見合い洋食セット」が有るようですが、今回は売店で杉元のビーフスチウを購入しました。箱の絵は杉元の若い頃の傷の無い顔になっています。

 帰りの飛行機の時間も近づいてきましたので、函館駅方面に徒歩で戻ります。途中、函館の街の発展に貢献した高田屋嘉平の銅像がありました。函館市街と飛行場の間には有名な湯の川温泉があります。少し時間がありましたので、13:00~22:00で日帰り入浴ができ、550円と銭湯並みの「ホテルテトラ湯の川温泉」がありましたので、立ち寄ります。施設は値段並みですが、源泉掛け流しで湯量も豊富なので、一風呂浴びるには丁度良いと思います。さっぱりして、函館を後にします。

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北斗、木古内、知内、松前、上ノ国、江差、乙部

<二日目>

 朝食前に、函館駅周辺を散歩します。JRINNは函館駅に隣接していますので、連絡船、従って函館湾は直ぐそばです。港には連絡船摩周丸が停泊しており、対岸には昨夜上った函館山が見えます。この一帯はふれあいイカ広場と言われているようで、巨大なイカのモニュメントもあります。名物の函館朝市を通り抜け、ホテルに戻ります。

 今日は国道228号線で海岸沿いに松前半島を一周します。初めは北斗市のトラピスト修道院です。正式名称は「厳律シトー会燈台の聖母トラピスト修道院」です。修道院の手前の並木道を歩いて行こうと思いましたが、道の脇に「熊に注意」という看板がありましたので、車で並木道を進みます。ここで修道士は牧場を営んでおり、そこで作られる生乳で、バター、アイスクリーム、飴やクッキーを直営販売所で販売しています。早速バター飴とソフトクリームを買いました。ソフトクリームのボリュームはかなりあります。

 次は咸臨丸が座礁、沈没した木古内町を訪れます。咸臨丸は、1857年にオランダで建造され、1860年、日米修好通商条約批准書交換目的で渡米する幕府遣米使節護衛の随伴艦として太平洋を横断しています。その後、幕府は戊辰戦争で敗れ、北海道移住の仙台藩家臣団401名を乗せ、小樽に向かう途中、1871年、サラキ岬沖で座礁、沈没しました。幸いなことに、乗船者は難を逃れています。これを契機に、町おこしの一環として、てサラキ岬に咸臨丸モニュメントを設置し、咸臨丸のふるさとオランダをイメージしたチューリップ花壇などを整備しています。

 次は知内町の道の駅「しりうち」で休憩します。この街は、「青函トンネル出入り口の町」がキャッチフレーズで、道の駅に新幹線展望台がありますので、早速、エレベーターで上ってみます。このエリアは、新幹線と在来線が走行する共用区間で、新幹線と在来線でレール幅が異なるため、3線軌条区間となっています。 本線の両側は、在来線の待避スペースとなっています。

 次は、松前町で、日本百名城の松前城を見学します。道の駅「北前船松前」に車を置き、10分程歩くと松前城(資料館)に到着します。松前城は、北海道内で唯一つの日本式城郭で、1941年に国宝に指定されましたが、1949年に飛び火により焼失してしまいます。現在の天守閣は、1961年に再建され、内部は松前城資料館となっています。松前城は公式には福山城とされていますが、備後福山城との混同を避けるため、松前城とも呼ばれています。本丸に隣接する本丸表御殿玄関は、創建当時からの物です。。箱館戦争では、土方歳三が率いる旧幕府軍に攻め落とされていますが、翌年、新政府軍が奪回しています。

 松前城に隣接して松前神社があります。ここは、旧松前城北の丸を境内地とし、松前藩の祖である武田信広を祀った神社で、1879年に社殿が建立されています。松前城の北側に,、「松前藩屋敷」というテーマパークがありますので、行ってみます。ここは「松前の春は江戸にもない」と謳われたほどに北前船で潤った松前の栄華を再現しています。松前藩屋敷の表門をくぐると、もうそこは江戸時代のたたずまいで、14棟の建物が再現されており、タイムスリップしたような感覚になります。本格的なセットなので、全国的にもう少し知られていても良いように思います。

 昼食は、景観が美しく、北海道ウォーカーの絶景感動部門で金賞を受賞したという上ノ国町の道の駅「上ノ国もんじゅ」で頂くことにします。確かにレストランから見る日本海は遮るものはなく、絶景です。ここでは、エビだし特製ラーメンをお願いしました。建物の脇から海岸にむかって神(かん)の道という階段があります。昔、海岸から山へ続くこの階段を通って、竜神が山の女神に会いに行ったという伝説があるそうです。

 食事後は、道の駅が望む山の奥にある、続日本百名城「勝山館(かつやまだて)跡」に向かいます。勝山館は、後の松前氏の祖である武田信廣(松前神社に祀られています)が15世紀後半に築いた山城です。アイヌ民族の三大蜂起の一つである、コシャマインの戦いを制した武田は、蝦夷地に渡ってきた和人をまとめていく城として造りました。しかし、後には拠点を松前に移しています。勝山館跡ガイダンス施設は、勝山館跡の上部に設置されており、200分の1の復元模型と勝山館跡をガラス越しに見比べることができる、とのことでしたが、立木が遮っており館跡を見ることはできません。そこで、ガイダンス施設を出て、館跡へ続く道を進もうと思いましたが、熊出没の看板を見て断念しました。

 先ほど断念した勝山館跡への道を4~50分下る旧笹浪家住宅の脇に出るそうですが、こちらは車で向かいます。この家はニシン漁で繁栄した笹浪家の住居兼仕事場で、江戸時代末期の建築で、北海道に現存する民家建築としては最も古いそうです。隣接する米・文庫蔵、土蔵には、旧笹浪家が所有していた古民具・アイヌ資料の他、円空仏や周辺の歴史資料が公開されています

 次は江差町を通ります。港に帆船が見えましたので、車を近づけてみます。帆船の名前は開陽丸で、幕府海軍に所属していたオランダ製の軍艦とのことです。1868年に、江差沖で暴風雨に遭い、座礁・沈没しています。大砲、弾丸、火薬缶、ロープ、帆布、サーベル、日本刀等3万2905点が引揚げ・脱塩処理され、オランダに保管されていた設計図に従い開陽丸も復元され、軍艦内に引揚げ品を配置し、「開陽丸青少年センター」(開陽丸記念館)となっているそうです。しかし現在、船の周りは2027年6月にオープン予定の「道の駅かもめ島」の整備事業が行われており、立ち入ることは出来ません。再度、訪問したいものですね。

 最後は乙部町の滝瀬海岸にある白い断崖「シラフラ」です。「シラフラ」はアイヌ語で“白い傾斜地”を意味します。高さ20mほどの白い断崖が約500mにもわたってそびえ立っています。この白い断崖は、約500万年前の火山噴火で噴出した軽石が、海底に積もり、それが隆起して出来たものと言われています。また国道229号線の先には、「館の岬」という断崖がありますので、道を進めます。近づくと、国道229号線の岩盤崩落のため、復旧工事が行われており、通行止めとなっています。車を降りて、工事現場の脇から「館の岬」を望みます。これで松前半島の海岸線を一周しましたので、国道227号線で松前半島を横切り、函館に戻ります。

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大沼公園、鹿部、南茅部

<一日目>

 今回は、函館をぐるりと巡ります。函館の右側は亀田半島、左側は松前半島で、今日は亀田半島を一周します。はじめは函館空港に隣接している、続日本百名城の志苔館(しのりだて)跡を見学します。 ここは、西には志海苔川(のりの漢字が館と違っています)、南は海に面した丘陵上に立地しています。ここは、14~15世紀頃に和人(本州から渡来した日本人)によって築かれた中世の館城ですが、アイヌとの抗争があり、最終的には館を放棄し、松前に逃れているため、16世紀以降は廃館となっています。現在は、土塁と空堀があるだけで、北側には函館空港の滑走路が走っており、飛行機の離着陸が間近で見えます。

 さて、次は七飯(ななえ)町にある大沼公園に向かいます。七飯は元々は「七重」でしたが、飯田村との統合の際「七飯」になっています。大沼公園は、新日本三景(他は、三保の松原と耶馬溪)に選定されており、活火山である駒ヶ岳とその麓に広がっている大沼湖や小沼湖には126の小島があります。一部は橋でつながれ、散策ルートとなっていますので回ってみます。島の一つ、西大島には、作家の新井満がここのログハウスで、森を吹き渡る風に着想を得て「千の風になって」を作ったことを記念するモニュメントがあります。丁度この時期はスイレンの開花の時期で、ピンクや白、黄色と微妙に色の異なるスイレンを見ることができました。

 公園散策後、小腹も空いたので、大沼公園駅前にある大沼だんごの老舗として有名な「沼の家」で、お団子を頂くことにします。ごまと餡子の2種類がありますので、両方頂きました。この団子は、ゴールデンカムイでは、五稜郭包囲戦の前に、鯉登から鶴見への差し入れとして登場しています。食後は、大沼公園駅を覗いてみます。丁度、列車が到着しました。ホームは直ぐそばです。

 昼食は車で30分程の所にある、道の駅「しかべ間欠泉公園」で取ることにします。ここは、道の駅で食材を購入し、蒸し処で自ら蒸して食べるスタイルです。早速、冷凍のホタテの稚貝、甘エビ、ホタテ饅頭を購入し、蒸し処で蒸してみます。100度近い温泉から湯気がもうもうと出ますので、10分間程度で蒸し上がります。

 食事後、道の駅に隣接している間欠泉を見学します。10分ほどの周期で、噴出高約15メートル、温度103度の熱湯が地面から噴出してきます。予想以上の迫力です!眺望の館の1階は通称「洞窟の道」となっており、パネルやビデオで、活火山である駒ヶ岳の噴火による被害や間歇泉のしくみ等がパネルやビデオで紹介されています。しかべ焼きが売られていましたので、頂きましたが、味も形も明石焼きです。

 次は、2021年に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」を見学します。最初は大船遺跡です。途中、三味線滝がありましたので、車を降りて、マイナスイオンに浸かります。この遺跡は、5500~4000年前の1500年にわたって営まれた集落で、床を深く彫り込んだ(中には2m超も)縦穴建物が特徴です。発掘された縦穴は、年代を経る毎に囲炉裏が大きくなっています。説明頂いた係の方によると、寒冷化の影響と言うことです。管理棟の脇にはこれまで発掘された石皿が大量に並べられていました。

 次は、垣ノ島遺跡です。遺跡には函館市縄文文化交流センターがありますので、見学します。ここには縄文時代の土器や狩猟道具が数多く展示されていますが、ここから車で10分程先にある著保内(ちょぼない)遺跡で発見された、北海道唯一の国宝、中空土偶が展示されています。垣ノ島遺跡の入口から遺跡内に入ると、目の前には広大な草原が広がっており、地面の下には縦穴建物群が埋まっているとのことです。ここは、大船遺跡より古く、9000~3000年前の定住の跡です。

 日も傾いてきましたので、函館に向います。途中、道の駅「なとわ・えさん」の展望デッキで、恵山岬と津軽海峡を一望しながら、はこだてプリンとコーヒーを頂きました。「なとわ」は方言で「あなたとわたし」という意味です。国道沿いには、北海道本州最短の地や、汐首岬灯台、旧戸井線アーチ橋がありますので、車を止めて見学します。

 夕食は、ホテルのガイドブックにあった「函館山」で頂きます。 ホテルの明日の朝食は、お寿司のバイキングなので、お刺身系以外の物を注文してみました。お酒は、国稀(増毛)と絹雪(旭川)です。

 食事後は、函館山に上り、函館の夜景を見たいと思います。行く途中、下から山頂をみると、ガスっています。ロープウェイでは、途中までは市街の夜景が美しく見えましたが、山頂からは、残念ながら、ガスでぼんやりとしか見えませんでした。これで今日の観光は終了し、宿泊先の函館駅に隣接しているJRINNに戻ります。

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新潟、新発田

<二日目>

 今日は新潟市内を観光した後、新発田へ向かいたいと思います。まず、新潟市の海岸である寄居浜で海の匂いを体感し、旧斎藤家別邸に向かいます。駐車場から徒歩で向かう途中、新潟大神宮がありましたので、参拝します。その参道には、坂口安吾生誕碑がありました。

 また途中にはカトリック新潟教会がありましたので入ってみます。この聖堂は、スイス出身の建築家によって設計され、左右対称に塔が並び立つ「ロマネスク様式」を取り入れた和洋折衷の木造建築として、昭和2年に建てられたのだそうです。残念ながら、修繕工事中で、外壁にはフェンスが張られていました。

 さていよいよ国指定名勝旧齋藤家別邸に入ります。ここは明治から昭和初期にかけて新潟の三大財閥の一つに数えられた、豪商四代目喜十郎が、1918年に建てた別荘です。砂丘地形を巧みに利用し、深山幽谷の趣を仕立てた庭園は、完成までに三年の歳月をかけたと言われています。主屋の一階・二階からみる新緑の庭は美しく、いつまでも見ていられます。ということで、庭を見ながら一服することとしました。秋も紅葉が美しいでしょうね。

 次は旧小澤家住宅に向かいます。ここは江戸時代後期から新潟で活躍していた旧小澤家の店舗兼住宅です。この住宅はかつての新潟における町家の典型例で、当時の屋敷構えが、ほぼそのまま残されているそうです。残念ながら、藤の花は、盛りを過ぎていました。

 次は新発田に向かいます。お昼時ですので、途中へぎそばで有名な「小嶋屋総本店」に立ち寄ります。お昼時と言うことで、少し混んでいました。注文したのは天へぎセットと、たれソースかつ重セットです。たれソースかつ重は新潟の名物とのこと。蕎麦はフノリがたっぷりはいっているためかつるつるつやつやです。

 新発田では、まず日本百名城である新発田城の見学から始めます。現在は本丸の半分と二の丸の一部が自衛隊新発田駐屯地となっており、城址とは壁で仕切られています。本丸の表門と二の丸隅櫓(本丸鉄砲櫓の跡に移築)が現存建築で、辰巳櫓と三階櫓は復元建築です。1669年に大地震があり、石垣の大半が崩れたことから、当時の最高の技術で積み直ししており、切込接布(はぎぬの)積みの美しい仕上がりになっています。表門のそばには堀部安兵衛像があります。安兵衛は新発田藩士の子どもで、ここで誕生していますが、新発田の人は、それを誇りに感じているようです。

 城址と駐屯地の間に、自衛隊の白壁兵舎広報史料館があり、見学します。館内には日清戦争から太平洋戦争に至る数々の作戦に参加した歩兵第16連隊・歩兵第116連隊等郷土部隊の関連資料や将兵の当時の装備品等を展示しています。新発田城ジオラマが展示されていますが、本丸を時計の10時4時の線で区切った右上が自衛隊の駐屯地です。

 新発田は、モダンな画風で一世を風靡した蕗谷虹児(ふきやこうじ)の誕生地でもあり、蕗谷虹児記念館がありますので見学してみます。1階では、「宮嶋美明・蕗谷虹児 ふたり展」を開催しており、2階には実際に使用していた画材など貴重な資料が展示されています。チャペルのような建物は、虹児が放浪したこともあるロシアの教会をイメージしたとのことです。

 新発田の最後は、新発田藩四代目藩主溝口重雄(しげかつ)が作庭した大名庭園、清水園です。この庭は、近江八景を取り入れた純京都風の回遊式庭園で、中央には草書体の「水」の字をかたどった池が配置されており、池の周囲には五つの茶室が点在しています。庭の中には、「蔵の資料館」と呼ばれる巨大な蔵があります。その中には新発田藩の資料に加え、堀部安兵衛の資料も多数あります。新発田にとって、彼は特別な存在なのでしょう。

 新潟市に戻り、昨日、萬代橋から見えていた「朱鷺メッセ」に行ってみます。朱鷺メッセは、新潟コンベンションセンターとホテル日航が上層部に入っている万代島ビルから構成されるています。ビル最上階の31階はBefcoばかうけ展望室となっており、土産物屋とイベント会場になっています。当日は、新潟手ぬぐい展を 開催していました。新潟旅行の最後に新潟市を俯瞰し、お土産を買って、駅に戻ることにします。

 新幹線にまだ時間があります。鶏はまだ食べていなかったので、、駅チカの「くつろぎの里 蒼心」で、新潟っぽいもの?を頂きました。お酒はもちろん〆張鶴(村上市 宮尾酒造)です。

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村上、新潟

<一日目>

 今回は新潟県の北部を旅行します。はじめに村上市にある村上城(続100名城)に上ります。この城は、標高135mの臥牛山(がぎゅうさん)に築かれた城で、戦国時代には本庄氏の本拠地でしたが、江戸時代には、村上氏・堀氏・松平氏と城主は入れ替わっています。登山口の前にある村上城跡保存育英会で続100名城のスタンプを押した後、登山口から七曲がり道、高低差100mを、一気に上ります。15分程で、城の入口である四つ門が見えてきます。この門は、山頂部の最もくびれた部分に位置しており、一つの門で城内、場外の左右の通路仕切っていることかから、その名がついているようです。

 二の丸から本丸に近づくと、細い城道を見下ろすように出櫓があり、その下には山頂部の本丸と二ノ丸を画している黒門がありました。更に道を上ると、本丸唯一の出入り口にあたる冠木門があります。その門を入ると、本丸と天守台があり、そこからは、市内、その先には日本海のパノラマが広がっています。

 お昼時になりました。今日はせっかく村上に来ましたので、鮭料理の「千年鮭きっかわ井筒屋」に行ってみます。ここは昔、松尾芭蕉が泊まった宿だったようです。ここでは鮭料理八品のセットをお願いしました。先付けで、鮭の酒びたし、手まり寿司、白子の寒風干しが出ます。続いて、鮭の塩引と酒びたし皮が出されますので、ミニ七輪でさっと焼きます。酒びたし皮は、チリチリと丸まり、おどり焼きになります。最後はご飯と一緒に残りの鮭料理が出てきます。ご飯は一膳目は塩引き鮭と一緒に頂き、二膳目は出汁で、茶漬けで頂きました。何れもおいしく頂きましたが、少し塩分は多めです。

 食事後、同じ通りにある「千年鮭きっかわ」を見学します。ここは、塩引き酒や酒の酒びたしなど村上伝統の料理を加工販売する老舗です。築140年の町屋では、天井から吊り下げられた千匹の鮭が見られます。

 商店街の通りから、脇の道に入ります。ここ安善小路は、黒い板の塀で統一され、村上市街の中で、最も城下町の風性が感じられるところです。道の中程には400年ほど前に創建された安善寺があり、下層に屋根のない二階造りの楼門は、往時をしのばせます。

 最後は、三の丸にある駐車場に戻り、同じ敷地にある三か所の資料館を順に見学していきます。最初は、若林家住宅で、二百数十年前から明治期まで、村上藩士若林家とその子孫が生活していた建物です。若林家は150石の者頭(ものがしら)役で、17人の足軽を指揮していたようです。庭に面した縁側には、村上らしく、鮭が干されていました。

 続いて、村上歴史文化館を見学します。外観は村上市にあった明治時代後期の旧藤井医院を参考に設計されたとのことです。村上市所蔵の民俗資料や歴史資料が展示されています。食文化では、江戸時代の祝い膳が展示されていましたが、酒の肴は今と全く同じですね。

 最後は、おしゃぎり会館です。毎年7月7日に開催される村上大祭で引き回される「おしゃぎり」と呼ばれる大きな山車を、1、2階福抜けのブースで展示しています。ここの2階には、村上歴代城主の関連資料や刀剣、甲冑などの歴史資料が展示されています。

 次は、村上市街を離れ、笹川流れに向かいます。笹川流れとは、国指定名勝天然記念物で県立自然公園に指定されている景勝地で、約11㎞の海岸線には、激しい荒波により侵食されて作られた奇岩が多くあり、変化に富んでいます。とりあえず道の駅笹川流れの夕日会館に立ち寄り、ソフトクリームを頂きます。展望台から海岸線をみます。ここは恋人の聖地ではありませんが、柵には鍵が多くかけられていました。

 観光案内のパンフレットでは、遊覧船から眺めるのがおすすめとありますが、日本海の荒波、揺れると具合が悪くなりますので、国道から奇岩を眺めることに止めました。

 新潟市に戻り、今日の宿泊先であるアパホテルに到着しました。一服してから、徒歩で、新潟日報メディアシップ20階の展望フロア「そらの広場」に向かいます。ここは地上約100mに位置しており、眼下には信濃川や新潟市中心部、遠くには日本海を、望むことができます。萬代橋の近くには新潟ブルースの歌碑が有りました。

 今日の夕食は萬代橋のたもとに有り、新潟ブランド牛を味わえるというビストロ椿に行くことにします。村上は鮭と牛が2大グルメですが、牛は食べていなかったので、店の方に村上牛を頂けるか伺ったところ、タリアータは村上牛とのことなので、それをお願いしました。出された料理は何れもおいしく、ボリュームもそこそこあり、いい店だと思います。帰る際、萬代橋からは、遠くに朱鷺メッセやホテル日航の夜景が見えます。

 新潟日報メディアシップの展望フロアは、夜も11時までやってるということなので、ホテルに戻る前に、夜景を見に再度上ってみます。明るい時とは違って、夜景はロマンチックですね。

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栃木、壬生、宇都宮、益子

<一日目>

 今回は栃木県南部を観光します。蔵の街、栃木市からスタートです。初めに、蔵の街遊覧船に乗船し、巴波川(うずまがわ)を、舟で20分程遊覧します。船頭さんによると、栃木宿は、江戸末期の天狗党の襲撃で放火されたため、江戸時代から残っている建物は、ここの船着き場に沿って建っている木材廻船問屋を営んでいた塚田家の建物だけということです。船頭さんは一通り歴史を説明した後で、「栃木河岸船頭唄」を唄ってくれます。最後に、「券は一日乗船券なので、今日は何回でも乗船できますよ」と、言っていました。

 昼時となりましたので、食事をしたいと思います。観光協会の前を通って、ガイドブックに載っていた老舗洋食店の「赤城亭」に行ってみました。残念ながら、当日は予約者で満員とのこと。気を取り直し、近くの「かな半」に入り、「もろ湯葉丼」を頂きました。「もろ」とは、茨城県北部から宮城県沖で獲れる「ネズミザメ(モウカザメ)」のことで、それを醤油や砂糖でやわらかく煮付けた料理は、栃木県民のソールフードとのこと。「もろ湯葉丼」は、「もろ」と湯葉の合体で完全に地元料理ですね。

 食事後、近くにある栃木市郷土参考館を見学します。ここは質屋を営んでいた板倉家の主屋と土蔵で、約200年前の建物だそうです。主屋へはは、格子戸のくぐり戸からかがんで入ります。土蔵は間口5.4m、奥行き12.6mで、当時のまま残されています。土蔵の中は共同参考館として、昔のこの地域の民俗資料が展示されています。

 次は、日光例幣使街道で、伝統的建物保存地区になっている嘉右衛門町に行きます。日光例幣使とは、朝廷から毎年日光東照宮へ幣束(へいそく)を奉納していた勅使のことです。例幣使を迎える街道の中でも栃木塾は、舟運で栄え、街道随一の賑やかさだったそうです。嘉右衛門町の一角に、油伝(あぶでん)味噌が有りますので、入ってみます。ここは1781年に油屋として創業し、幕末からは味噌の製造をしています。味噌屋ですので、名物の「伝兵衛もち」と「田楽盛合わせ」、飲み物は、地酒のわかこま(若駒酒造、小山市)とクラフトビールを頂きました。

 栃木市の次は、おもちゃのまち壬生町に向かいます。1960年代に、東京下町の葛飾区や墨田区から、玩具工場を誘致し、ここにおもちゃの工業団地が作られました。はじめは、町営のおもちゃ博物館を見学します。ここの1階は、子供の遊び場となっていますが、2階はブリキやキャラクターグッズなど貴重なおもちゃ9000点を展示した博物館となっています。懐かしいおもちゃがたくさん展示されていました。別館の鉄道模型の展示コーナーには、巨大で精巧なジオラマがあり、持ち込んだ車両を走らせる運転体験もできるそうです。

 次はバンダイミュージアムの見学です。ここは日本のおもちゃ、西洋のアンティークトイ、エジソン発明品、ガンダムの四つのテーマから構成されています。日本のおもちゃに関しては、町営のおもちゃ博物館と似たような展示になっていますが、仮面ライダーやウルトラマンのフィギアがずらりと並び、かつて手にしたものも多く有り、懐かしさを感じます。

 雨が強くなってきましたので、これで観光は終了し、今日の宿泊先である宇都宮市のダイワロイネットに向かいます。夕食は、駅そばの「ビストロキャトルズ」に入ります。「10種具材のサラダ」と「前菜盛り合わせ」を、お願いしましが、サラダは席の前で、それぞれの具材をボールで混ぜていきます。初めて見たパフォーマンスです。最後はパスタで締め、今日はホテルに戻ります。

<二日目>

 今日は昨日の雨もやみ、絶好の観光日和です。部屋の窓からは正面にJR宇都宮駅、下には宇都宮ライトレールの駅が見えます。食事前にJR宇都宮駅行き、ビーナスが餃子の皮に包まれた「餃子のビーナス」を見に行きました。 1994年制作で30年以上も立っていますので、昔の写真と比べると大谷石はだいぶすり減っているような気がします。

 今日は、宇都宮市内を観光し、その後益子に向かいます。宇都宮ではまず二荒山(ふたあらやま)神社に参拝します。日光の二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)との区別のために地名を冠して「宇都宮二荒山神社」と呼ばれるようです。行ってみると、大鳥居の後ろには、3×3バスケットボールの特設コートが設置されています。本日はセレモニーで明日、明後日と試合があるようです。会場脇から入り、石段を上って、拝殿で参拝します。途中の石段には、無料自由席のステッカーが貼られていました。

 次は、カトリック松が峰教会に向かいます。ここは1932年の創建で、ロマネスク様式で、日本では数少ない双塔の教会建築です。宇都宮特産の大谷石を大部分に使い、国の登録有形文化財にも指定されています。

 最後は、宇都宮城址です。宇都宮城は、戊辰戦争(ここで土方歳三も戦った)で建物の大半が焼失し、後に土塁は壊され、堀も埋め立てられています。こうした中、宇都宮市は、市制110周年事業として、本丸西側にあたる約3・7ヘクタールの「復元」を計画。用地買収や建設費など160億かけ、土塁や堀などを造り、宇都宮城址公園として開園しています。土塁の中は、ものしり館(地域歴史博物館)と防災倉庫となっています。ものしり館には、城址公園が出来るまでの経緯と宇都宮城のジオラマなどが展示されています。ものしり館では、地元のボランティアの方から、宇都宮城の歴史を説明頂きました。

 駐車場に戻ります。途中、オリオン通りを通ると、大関和(オオゼキチカ)の大きな垂れ幕が掲げられています。栃木県は、PRで今年は彼女を前面に出すようです。宇都宮二荒山神社と道路の反対側に宇都宮二荒山神社の摂社下之宮が有ります。もともとはここが、宇都宮二荒山神社発祥の社とのことです。

 次は益子に向かいます。お昼時間ですので、昼食は、手打ちそば「うえの」で頂くことにしました。「海老天ざる」と、「とろろそば」をお願いしました。そばは、こしがあって量もそこそこ有り、良いお店でした。

 食事後は、民芸運動の主導者の一人で、人間国宝でもあった陶芸家濱田庄司の住まいと工房だった「濱田庄司記念益子参考館」に行きます。ここには、彼が収集した工芸品が展示され、濱田庄司の作品と工房も見ることができます。濱田庄司の住まいは、益子町の高野家の母屋を移築したもので、民芸風にアレンジされて、雰囲気を体感出来ます。茅の防虫のためか、煙で常にいぶされています。

 住まいの近くには、細工場(さいくば、仕事場)があり、そこには、濱田庄司が実際に使用していた手回し轆轤が置いてあります。そこから少し下りたところに、濱田庄司が使用していた全長16m八室からなる大登り窯があります。この窯は、東日本大震災の時に崩壊ましたが修復され、「濱田庄司登り窯復活プロジェクト」で数回火が入っています。当日は、2026年1月の窯の区割表が黒板に残されていました。。

 参考館の次は、益子観光南駐車場に車を置き、城内坂通りをブラブラ歩き、益子焼窯元共販センターや「やまに」の何軒かあるお店を覗いてみます。来週の連休期間中は40万人がここを訪れるそうですが、今は閑散としています。日も傾いてきましたので、益子焼の製造販売もしている「カフェレストラン壺々炉(こころ)」で一休みして、戻ることにします。

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国内旅行

法隆寺、中宮寺、法輪寺、法起寺

<三日目>

 最終日の今日は、法隆寺を中心に、斑鳩エリアをまわりたいと思います。JR大和路線の法隆寺駅で降り、駅前のコーヒーショップ「ゲーブル」で、さっそく自転車を借ります。10分ほどで法隆寺参道に到着しますので、南大門の脇に駐輪します。南大門の下をくぐると、正面には中門、その奥に五重塔や金堂を中心とする西院伽藍が見え、です。

 中門左にある入口から、西院伽藍に入ります。西院伽藍にある建物は、飛鳥、奈良、平安時代に建てられたもので、すべて国宝です。金堂は、法隆寺で最初に建立された建物です。屋根を支える支柱には、登り龍や下り龍が取り付けられていますが、これは江戸時代の大修理の際に付けられたものです。五重塔は日本最古の五重塔で、舎利を安置するための建物です。最下層の屋根と裳階(もこし)の間には、歯を食い縛って建物を支えている邪気が置かれています。僧侶が仏道を学び法要を行う施設である大講堂は、一度は落雷で焼失していますが、再建、と言っても平安時代の990年にされたものです。西院伽藍を囲む回廊自体も、国宝です。

 西院伽藍を出て、その西側にある西円堂(さいえんどう)に向かいます。途中には国宝の三経院・西室(僧が生活をするための僧坊)があります。西円堂は、夢殿と同じ八角円堂形式で、中には国宝の薬師如来像が収められています。また西円堂は、境内の小高い所にあるため、そこからは西院伽藍が一望出来ます。西円堂の脇に、時の鐘として使われている鐘楼があります。訪れた時、丁度、鐘が突かれていました。この音を聞いて、正岡子規はあの有名な俳句を考えたのでしょうか。

 次は、国宝の聖霊院・東室(西室と同じく僧坊)を過ぎ、西院伽藍の東側にある大宝蔵院に向かいます。ここには、百済観音像が安置されている百済観音堂を中心に、東西に宝蔵が置かれ、法隆寺に伝来する数々の名宝が展示・保管されています。大宝蔵院を見学した後、西院と東院の境に建っている東大門(中ノ門)をくぐり、東院伽藍に入り、夢殿に向かいます。

 東院四脚門は東院の東側の出入口です。そこを出て、東院廻廊をくぐると、正面に夢殿が現われ、甍の上には見事な宝珠が輝いています。ここは聖徳太子の斑鳩の宮の跡で、太子信仰の聖地です。東院廻廊のそばには、袴腰(はかまごし)と呼ばれる形式の東院鐘楼があります。

 法隆寺の隣には、中宮寺があります。ここは、聖徳太子の母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の祈願で創建された寺で、日本最古の尼寺です。1968年に建てられた本堂には、アルカイックスマイルと呼ばれる穏やかな笑顔をたたえた国宝の菩薩半跏思惟像が本尊として安置されており、間近で見ることが出来ます。

 ここからは法隆寺地区を離れ、斑鳩を自転車で巡ります。最初は、斑鳩神社です。ここは平安時代に法隆寺別当が、自身が菅原氏の子孫であるとして菅原道真を祀ったといわれて、境内には牛の像が鎮座しています。旧法隆寺村の産土神として信仰されているようです。

 次は法輪寺です。ここの創建は飛鳥時代に遡り、聖徳太子の長子である山背大兄王が、聖徳太子の病気平癒を願って建立したと伝えられています。かつて国宝であった三重塔は落雷で消失しましたが、1975年に創建当初の様式で再健されています。講堂は本来は僧が勉強するための建物ですが、1960年に耐火・耐震の収蔵庫として改築されています。その講堂で、保管、保存されている仏像を見学します。

 斑鳩エリアは、お寺が点在していますので、観光用にサイクルロードは整備されています。今の季節、2月は若干寒いのですが、サイクリングには最適のような気がします。法起寺には、5分程で到着です。この寺も法輪寺と同じように聖徳太子の子である山背大兄王が創建しています。ここの三重塔は706年頃の当初の姿を残しており、日本最古のもので、当然国宝指定されています。

 昼食時となりました。サイクリングロードを、法隆寺と反対の方向に進み、「大和路うどんわらじや」に入ります。にぎり盛り定食とさば押し寿司定食を頂きました。

 昼食後、まだ時間がありましたので、法隆寺とは反対側、龍田川に向かいます。途中、藤ノ木古墳、藤ノ木古墳に関する展示が見られる斑鳩文化財センターに立ち寄ります。藤ノ木古墳は6世紀後半に作られた50mの円墳です。未盗掘の石棺からは、二体の被葬者と世界でも類を見ない豪華な馬具や副葬品が出土しています。それらはセンター内で展示されています。センターの外には、朱色に塗られた藤ノ木古墳石棺の実物大レプリカがありました。

 百人一首、在原業平の歌った「ちはやぶる」の龍田川が、近くを流れていますので、せっかくですので行ってみます。途中に、龍田神社があります。この神社は、社伝では、聖徳太子が法隆寺を建立した際、その鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したというのが始まりのようです。文化財センターから、15分程で竜田川の川べりに到着しました。紅葉の名所らしいのですが、川は両岸とも改修されていて、想像していたイメージとはかなり違っていました。時間も大分押してきましたので、奈良駅に戻りたいと思います。

 奈良の最後に、葛といえば吉野葛。天極堂のJR奈良駅前店で、プルンとした本葛の弾力と透明感がある作りたてでしか味わえない葛もちを頂きました。本店は混んでいるようですが、ここはそうでもありません。今回の旅行はここで終了です。

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国内旅行

郡山城、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡

<二日目>

 今日は奈良の西の京(右京)を巡りたいと思います。その前に、NHK大河の豊臣秀長で話題になっている大和郡山城訪ねてみたいと思います。近鉄郡山駅で降り、歩くこと10分、目の前に郡山城の堀が見えてきます。やはり秀長の幟が立っていました。堀に架かっている竹林橋址を渡り、竹林門跡を過ぎると、すぐ本丸ですが、そこには初代郡山藩主・柳沢吉里の父であり、5代将軍・徳川綱吉に重宝された側用人の柳澤吉保を祀っている柳澤神社が鎮座しています。

 さっそく天守台に上り、周辺を眺めてみます。ここからは東大寺の屋根が見えるとのことでしたが、今は見えません。但し、薬師寺の二本の三重塔は見えます。一帯は現在、郡山城跡公園として、急ピッチで整備しているようです。

 次は再び近鉄橿原線に乗り、西ノ京駅で降り、薬師寺に向かいます。5分程で興楽門に到着します。そこから境内に入り、御朱印受付や売店のある東僧坊を抜けると、目の前に大講堂と金堂が現れます。いずれの建物も再建された建物ですが、中にある仏像は国宝揃いです。

 境内の南側には西塔と東棟が建っています。裳階(もこし)を付けているため、いずれも六重の塔に見えますが、三重の塔です。西塔は再建された塔ですが、東棟は薬師寺創建当初から唯一現存する塔で、平城京としての最古の構造物とされ、国宝となっています。周囲の回廊も再建されたものです。中門から一旦外に出て、回廊に沿って進むと、東院堂がありますが、これは鎌倉時代に再建されたもので、やはり国宝になっています。

 先ほど入った興楽門から出て道を渡り、薬師寺の北の境内に入ります。そこには西遊記のモデルそして有名な玄奘三蔵の遺骨を祀っているという玄奘三蔵院があります。今日は公開日では無いので、礼門から見るだけです。

 次は唐招提寺に向かいます。この辺一帯は、かつては平城京の中(右京)でしたが、今は全くの田園地帯で、その面影は有りません。ちなみに東大寺や興福寺は左京の一番東側です。徒歩10分ほどで到着です。南大門から入ると正面に教科書にもある有名な金堂が鎮座しています。建物も国宝ですが、堂内で祀られている千手観音菩薩立像をはじめ9体の仏像が国宝です。国宝の経蔵、宝蔵の前を横切り、境内北東の奥にある鑑真和上の墓所(開山御廟)に向かいます。途中の林の苔は、一面絨毯のような美しさでした。

 開山御廟は、緑深い木立の中にあります。鑑真和上が亡くなってから1250年たちますが、参拝する人は途絶えないそうです。和上の姿を写した「御身代わり像」が、開山堂に祀られていますので、参拝します。最後は、正式な僧となるための授戒の儀式を行っていた戒壇に行きます。今は、基壇のみが残るだけです。

 昼時となりましたが、周囲には食事の出来そうなところが無いので、平城宮跡に向かって歩くことにします。15分程歩くと、平城宮跡近くに「花惣奈良本店」が有りましたので入ります。炊き込みご飯定食と和定食を頂きました。

 食後はいよいよ平城宮跡に入ります。徒歩で5分ほどです。入口には、迫力ある復元遣唐使船が置かれています。なにせ平城宮跡はとても広い(130ha)ので、自転車での見学が必須です。天平みはらし館で、借りることにします。見学は朱雀門からスタート。朱雀門からは、遠くに大極門、東楼(ほぼ完成)、西楼(復元中)からなる南門が小さく見えます。

 平城宮跡内を通過する近鉄奈良線を超えて、南門に向かいます。自転車でも5分くらいかかります。南門は現在工事中のため、中には入れませんが、大極門の向こうには、第一次大極殿(平城京遷都710年~恭仁京遷都740年の間使用)が見えます。自転車で向かいます。大極殿は天皇の即位式や重要な国家儀式で使われていた施設で、周囲は、かつては回廊で囲まれていました。内部には天皇が着座するための高御座も展示されています。

 第一次大極殿の東側には、第二次大極殿(平城京再遷都745年~長岡京遷都784年の間使用)の遺構が広がっています。第二次大極殿は第一次大極殿と異なり、復元せずに、遺構として保存していくようです。第二次大極殿の北側は内裏だったようです。

 第二次大極殿の東側に遺構展示館があります。奈良時代の役所の建物跡である遺構を、発見当時の状態で保存・展示しています。この遺構からは他の役所ではあまり用いられないレンガが多数出土したことから、特別の役所(太政官?)が存在したのではないかという説もあるようです。

 内裏と遺構展示館の間に、天皇家のための役所である推定宮内省があります。役所では、土間に机と椅子を置き執務したと考えらるそうです。机は正倉院宝物の復元品とのこと。推定宮内省のそばで、井戸跡が発見され、当時に近い状態で復元展示されています。

 平城宮の東に張り出した部分を東院といい、その南東隅に大きな庭園の遺跡が発見されています。これを復元したものが、東院庭園です。これは迎賓館の役割を担い、宴会や儀式が催されていたようです。

 平城宮跡の見学の最後は、平城宮跡資料館に立ち寄ります。ここでは、宮殿内部の様子から役所の仕事まで、わかりやすく展示しています。役所の出土品の中で興味を引いたのは、小刀で、木簡を削って修正するためのもので、現在の消しゴムですね。平城宮内の寝室や書斎、居間も再現されていますが、貴族の生活は、現在とあまり変わりがないような感じがしました。戻る途中、丁度、近鉄奈良線の電車がやってきました。遺跡の中を、電車が走っているのは、何か変な感じがします。

 バスでJR奈良駅に戻る途中、朱雀大路に、平城宮いざない館がありますので、見学してみます。この施設は奈良時代の平城宮を体感するための施設らしいですが、遺構展示館や平城宮跡資料館など、 似たような施設がここには三箇所もあり、それも皆無料で、予算のかけ過ぎのような気がします。平城宮いざない館の正面には、明治時代から大正時代にかけて、平城宮の保存活動を行った棚田嘉十郎を顕彰する銅像があります。

 今晩の夕食は、当初の予定通りJR奈良駅ホーム下の「奈良のうまいものプラザ」の農園直送レストラン「古都華」で頂くことにします。奈良の銘柄牛「大和牛」のハンバーグとたっぷりの地元野菜、奈良のお米「ヒノヒカリ」のごはんのセットです。添えられている野菜は超ボリュームが有ります。それと、法隆寺をイメージして造られたという純米大吟醸「斑鳩の里(千代酒造、御所市)」。奈良づくしです!

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国内旅行

興福寺、春日大社、東大寺

<一日目>

 今回は25年ぶりの奈良です。久しぶりなので、有名所を一回りします。初日は奈良公園周辺です。 JR奈良駅の前には、現在は観光案内所となっているJR奈良駅旧駅舎がありますが、そこからスタートします。そばにある平城宮大極殿跡案内道標を、横目に、三条通を東に、猿沢池まで進みます。そこからは高台にある興福寺の、現在修復中の五重塔がよく見えます。

 三条通りからは、興福寺の三重塔の脇の南円堂参道を登り、境内に入ります。興福寺は藤原不比等により710年に創建されています。参道の正面に南円堂がありますが、ここは「西国三十三所」の第九番札所ということもあり、参拝者が大勢います。南円堂の反対側には、釈迦の舎利を納める墓標である国宝の五重塔があります。2034年3月に竣工ということなので、姿はまだまだ見られませんね。境内左側に進むと、北円堂があります。これは興福寺残る最後の建物(1210年)で、やはり国宝となっています。

 先ほど通った南円堂参道の脇にあった三重塔です。これも北円堂と共に興福寺で最古の建物で、やはり国宝となっています。木割が細く、鎌倉時代の建物ですが、平安の建築様式を伝えています。中央の中金堂に入ってみます。 1717年に焼失し300年後の2018年に再建落慶しています。ここの本尊である釈迦如来坐像は、当初は藤原鎌足が蘇我入鹿の打倒を祈願して造立したそうです。回廊・中門までは復元されていませんが、礎石だけは残されています。次は隣の東金堂に入ってみます。建物自体が国宝ですが、なんと18体もの国宝の仏像が、安置されています。

 最後に国宝館を見学します。ここは有名な阿修羅像をはじめ、国宝の仏像、仏具が多数展示されています。 7割ぐらいは国宝です!猿沢の池から興福寺境内への五十二段のを右手に見て、次は春日大社に向かいます。52段は菩薩の修行の段階を表しているそうです。

 興福寺と春日大社の境界に一の鳥居があります。そこから二の鳥居まで、1キロ弱ほど、長い長い参道を進みます。春日大神の使いである神鹿(しんろく)は、古代から殺生が禁止され、現在は1200頭が一帯に生息しているそうです。オス鹿には気を付けよとの看板がありますが、角が切られていない鹿は、確かに危ない気がします。

 春日大社の大宮へは南門から入ります。通常の参拝は、幣殿で行いますが、特別拝観の場合は、本殿の前まで行けますので行ってみます。初めは大宮を囲む回廊を巡ります。回廊には燈籠が沢山掲げられています。ここの夜は、幻想的で美しいそうです。回廊の先は、御蓋山浮雲峰遙拝所 (みかさやまうきぐものみねようはいじょ)となっています。御蓋山は鹿島の武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿の背に乗り天降した場所で、現在も禁足地として入山が厳しく制限されいます。

 中門は本殿の直前にある楼門で約10mの高さがあります。中門の両側に左右に約13m、鳥が翼を広げたように御廊があります。本殿は見ることは出来ませんが、御祭神の4つの社が建っています。御廊の左には樹齢1000年といわれる高さ20mの大杉があります。春日大社には3000基の燈籠があるそうで、年三回万燈籠神事があるそうで、それを体感出来るように、藤浪之屋の内部で再現されています。

 本殿を参拝した後、少し離れたところにある春日若宮と夫婦(めおと)大黒社に参拝します。夫婦大黒社は日本で唯一夫婦の大黒様をお祀りした社で、縁結びの神様です。水占いをしている人がいました。ここの水占いは、水に浸した紙を、納所に収めるんですね。

 お昼の時間となりました。春日荷茶屋で名物の万葉粥を頂きたかったのですが、あいにく臨時休業。春日大社国宝殿に併設されているカフェ・ショップ 鹿音(KAON)で、「春日の滋養ラーメンセット」を頂きました。

 食後は15分ほど歩いて東大寺に向かいます。ここには比較的修学旅行生が多くいました。南大門の下をくぐり、両側の金剛力士像を見ながら参道を進みます。突き当たりは大仏殿の中門で、回廊を左に曲がり、拝観入口から大仏殿前庭に入ります。

 さっそく大仏殿の盧遮那仏座像を参拝します。大仏殿の前にある金銅八角燈籠は、創建当時の状態で残っているそうで、国宝です。大仏殿の柱の穴の前には、やはり人が並らんでいます。私もトライしようと思い、 穴の前まで行ってみましたが、通り抜けられそうもなかったので、やめました。大仏殿の出口には、びんずる様が鎮座していますが、高すぎて、私の治したい悪いところには、残念なことに手が届きませんでした。

 大仏殿を見た後は、裏参道を上り、東大寺で一番高いところにある二月堂に向かいます。ここは3月に行われる「お水取り」と呼ばれる修二会(しゅにえ)の舞台です。二月堂の休憩所には、修二会で使われる籠松明が壁展示されていました。二月堂の隣は法華堂(三月堂)で、東大寺境内では最古の仏堂です。

 二月堂から裏参道を下ってきます。途中からは、東大寺の鎮守社である手向山(たむけやま)八幡宮の参道になります。鳥居の脇には、 1200 年前、大仏殿前に建てられたという 2 基の「七重の塔」を摸して大阪万博で展示された古河パビリオンの七重塔の相輪が置かれています。東大寺ミュージアムで仏像、仏具を見学した後、併設されている茶廊・葉風泰夢(ハーフタイム)で一服することとし、ここのオリジナル菓子である青蓮(せいれん)とあんず日餅(にっぺい)のセットを頂きました。

 東大寺の最後は、鑑真和上から戒を受けるための御堂として建てられた、戒壇堂です。ここには天平時代の傑作である国宝の四天王像が安置されているらしいのですが、時間も遅くなったため、門は閉まっていました。戒壇堂は外から見るだけでした。まだ明るいので、近くにある正倉院に立ち寄ります。公開は午後3時までですが、時間内でも建物の中には入れませんので、塀の外から正倉院の建物を眺めてみることにしました。今日は、ずいぶん歩きました。ここからは、バスでホテルに戻ることにします。

 夕食は、ホテルのおすすめリストにあった三条通りに面した「Kura」に入ります。地場料理の店とありましたが、メニューには、いかにも奈良という料理はなかったので、とりあえずありきたりのものを頂きました。但し、お酒は宇陀市久保本家酒造の「睡龍」をお願いしました。食後、ホテルに戻る途中、 JR奈良駅の下にある「奈良のうまいものプラザ」に入ります。ここにはイートインコーナーがあり、奈良のものが頂けるということなので、明日の夕食はここにしたいと思います。

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国内旅行

名護屋城

<三日目>

 今日は名護屋城を見学して、福岡に戻ります。ホテルの東側は、唐津湾沿いに、虹の弧のように松原が連なっており、虹の松原と言われています。唐津を去る前に、立ち寄ってみます。この松原は、唐津藩の初代藩主、寺沢志摩守広高が、防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長約4.5km、幅はなんと約500m!にわたっています。ここは、三保の松原、氣比の松原(2025年3月に訪問)とともに日本三大松原の一つで、国の特別 名勝に指定されています。

 名護屋城を目指して、海岸沿いに車を走らせます。多くの巨石が天に向かって立ち並んでいる海岸が立神岩です。手前の黒っぽい2つの巨大な玄武岩の柱は、寄り添うように立っていることから、「夫婦岩」と呼ばれているそうです。また、このエリアは、湾になっていて、九州のサーフィン発祥地といわれて、人気のスポットらしいです。

 海岸線を更に進むと、国の天然記念物、七ツ釜(ななつがま)があります。七ツ釜までは、柱状節理のゴツゴツした丘を10分程歩きます。途中には玄界灘を見つめる、海を守る女神として信仰されている乙姫大明神の像が立っています。その像の下には、ががら瀬という波に浸食された柱状節理の海岸が広がっています。岬の先の七つ釜は、その名の通り波でえぐられた7つの洞窟が並列しています。最大の穴は間口の幅が3m、奥行きが110mもあるとのこと。波の状況が良ければ遊覧船で中に入ることができるようです。呼子からは毎日出航するようですが、ここから出る遊覧船は、4月から11月までのようです。

 ようやく名護屋城に着きました。はじめに名護屋城博物館で、この城の概要を知ることにします。この名護屋城は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して、出兵の拠点として築かれた城で、1592年の開戦から秀吉の死で諸大名が 撤退するまで、7年の間大陸侵攻の拠点となっています。城の面積は約17㏊で、当時は大坂城に次ぐ規模で、ここに20万人を超える人々が集まっていました。目玉の展示は、豊臣秀吉が名護屋城に持ち込ませ、茶会や外国使節の歓待に使用した「黄金の茶室」が、再現されています。

 名護屋城は大手口から入り、東出丸、三の丸、本丸へと上っていきます。本丸に着くと、目の前がパッと開け、玄界灘が目の前に表れます。秀吉は、朝鮮出兵の際、ここの本丸天守閣から、朝鮮に向かう船団を見送ったことでしょう。遠くには、かすかに壱岐が見えます。周りの島々がよく見えますので、天下を取った気分になりますね。秀吉の死後、この城は廃城となり、一部は唐津城に移築され、石垣は、島原の乱の後に、一揆などの立て篭もりを防ぐ目的で要所が破却されています。この城はわずか7年の命で、今は、天守台には大きなクスノキが生えているだけです。14時近くなりましたので、福岡に向かいます。

 飛行機の時間にはまだありましたし、昼食もまだでしたので、天神のピエトロでパスタを頂きました。まだ時間がありましたので、キャナルシティ博多で、音楽に合わせて踊る「噴水ショー」を見てから、空港に向かいました。