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国内旅行

北斗、木古内、知内、松前、上ノ国、江差、乙部

<二日目>

 朝食前に、函館駅周辺を散歩します。JRINNは函館駅に隣接していますので、連絡船、従って函館湾は直ぐそばです。港には連絡船摩周丸が停泊しており、対岸には昨夜上った函館山が見えます。この一帯はふれあいイカ広場と言われているようで、巨大なイカのモニュメントもあります。名物の函館朝市を通り抜け、ホテルに戻ります。

 今日は国道228号線で海岸沿いに松前半島を一周します。初めは北斗市のトラピスト修道院です。正式名称は「厳律シトー会燈台の聖母トラピスト修道院」です。修道院の手前の並木道を歩いて行こうと思いましたが、道の脇に「熊に注意」という看板がありましたので、車で並木道を進みます。ここで修道士は牧場を営んでおり、そこで作られる生乳で、バター、アイスクリーム、飴やクッキーを直営販売所で販売しています。早速バター飴とソフトクリームを買いました。ソフトクリームのボリュームはかなりあります。

 次は咸臨丸が座礁、沈没した木古内町を訪れます。咸臨丸は、1857年にオランダで建造され、1860年、日米修好通商条約批准書交換目的で渡米する幕府遣米使節護衛の随伴艦として太平洋を横断しています。その後、幕府は戊辰戦争で敗れ、北海道移住の仙台藩家臣団401名を乗せ、小樽に向かう途中、1871年、サラキ岬沖で座礁、沈没しました。幸いなことに、乗船者は難を逃れています。これを契機に、町おこしの一環として、てサラキ岬に咸臨丸モニュメントを設置し、咸臨丸のふるさとオランダをイメージしたチューリップ花壇などを整備しています。

 次は知内町の道の駅「しりうち」で休憩します。この街は、「青函トンネル出入り口の町」がキャッチフレーズで、道の駅に新幹線展望台がありますので、早速、エレベーターで上ってみます。このエリアは、新幹線と在来線が走行する共用区間で、新幹線と在来線でレール幅が異なるため、3線軌条区間となっています。 本線の両側は、在来線の待避スペースとなっています。

 次は、松前町で、日本百名城の松前城を見学します。道の駅「北前船松前」に車を置き、10分程歩くと松前城(資料館)に到着します。松前城は、北海道内で唯一つの日本式城郭で、1941年に国宝に指定されましたが、1949年に飛び火により焼失してしまいます。現在の天守閣は、1961年に再建され、内部は松前城資料館となっています。松前城は公式には福山城とされていますが、備後福山城との混同を避けるため、松前城とも呼ばれています。本丸に隣接する本丸表御殿玄関は、創建当時からの物です。。箱館戦争では、土方歳三が率いる旧幕府軍に攻め落とされていますが、翌年、新政府軍が奪回しています。

 松前城に隣接して松前神社があります。ここは、旧松前城北の丸を境内地とし、松前藩の祖である武田信広を祀った神社で、1879年に社殿が建立されています。松前城の北側に,、「松前藩屋敷」というテーマパークがありますので、行ってみます。ここは「松前の春は江戸にもない」と謳われたほどに北前船で潤った松前の栄華を再現しています。松前藩屋敷の表門をくぐると、もうそこは江戸時代のたたずまいで、14棟の建物が再現されており、タイムスリップしたような感覚になります。本格的なセットなので、全国的にもう少し知られていても良いように思います。

 昼食は、景観が美しく、北海道ウォーカーの絶景感動部門で金賞を受賞したという上ノ国町の道の駅「上ノ国もんじゅ」で頂くことにします。確かにレストランから見る日本海は遮るものはなく、絶景です。ここでは、エビだし特製ラーメンをお願いしました。建物の脇から海岸にむかって神(かん)の道という階段があります。昔、海岸から山へ続くこの階段を通って、竜神が山の女神に会いに行ったという伝説があるそうです。

 食事後は、道の駅が望む山の奥にある、続日本百名城「勝山館(かつやまだて)跡」に向かいます。勝山館は、後の松前氏の祖である武田信廣(松前神社に祀られています)が15世紀後半に築いた山城です。アイヌ民族の三大蜂起の一つである、コシャマインの戦いを制した武田は、蝦夷地に渡ってきた和人をまとめていく城として造りました。しかし、後には拠点を松前に移しています。勝山館跡ガイダンス施設は、勝山館跡の上部に設置されており、200分の1の復元模型と勝山館跡をガラス越しに見比べることができる、とのことでしたが、立木が遮っており館跡を見ることはできません。そこで、ガイダンス施設を出て、館跡へ続く道を進もうと思いましたが、熊出没の看板を見て断念しました。

 先ほど断念した勝山館跡への道を4~50分下る旧笹浪家住宅の脇に出るそうですが、こちらは車で向かいます。この家はニシン漁で繁栄した笹浪家の住居兼仕事場で、江戸時代末期の建築で、北海道に現存する民家建築としては最も古いそうです。隣接する米・文庫蔵、土蔵には、旧笹浪家が所有していた古民具・アイヌ資料の他、円空仏や周辺の歴史資料が公開されています

 次は江差町を通ります。港に帆船が見えましたので、車を近づけてみます。帆船の名前は開陽丸で、幕府海軍に所属していたオランダ製の軍艦とのことです。1868年に、江差沖で暴風雨に遭い、座礁・沈没しています。大砲、弾丸、火薬缶、ロープ、帆布、サーベル、日本刀等3万2905点が引揚げ・脱塩処理され、オランダに保管されていた設計図に従い開陽丸も復元され、軍艦内に引揚げ品を配置し、「開陽丸青少年センター」(開陽丸記念館)となっているそうです。しかし現在、船の周りは2027年6月にオープン予定の「道の駅かもめ島」の整備事業が行われており、立ち入ることは出来ません。再度、訪問したいものですね。

 最後は乙部町の滝瀬海岸にある白い断崖「シラフラ」です。「シラフラ」はアイヌ語で“白い傾斜地”を意味します。高さ20mほどの白い断崖が約500mにもわたってそびえ立っています。この白い断崖は、約500万年前の火山噴火で噴出した軽石が、海底に積もり、それが隆起して出来たものと言われています。また国道229号線の先には、「館の岬」という断崖がありますので、道を進めます。近づくと、現在防災対策事業が行われており、通行止めとなっています。車を降りて、工事現場の脇から「館の岬」を望みます。これで松前半島の海岸線を一周しましたので、国道227号線で松前半島を横切り、函館に戻ります。