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高台寺、吉田山、真如堂、くろ谷 金戒光明寺、岡﨑神社

<一日目>

 今日は12月24日クリスマスの日です。北政所ねねが祈願し、徳川家康が創建させた高台寺から参拝を始めます。境内へは、ねねの道から台所坂を上り、台所門から入ります。見学の受付は庫裡の左側にあり、そこから施設内に入っていきます。まず目にするのが、茸のような茶室、遺芳庵です。

 方丈に入ると、眼前に石庭である波心庭が現れます。庭の向こう側には勅使門が見えます。方丈は観月台を通って開山堂につながっていますが、今は通行止めになっています。観月台では、往時北政所は、無き秀吉を偲びながら月を眺めていたそうです。開山堂の隣は霊屋(みたまや)で、秀吉と北政所をお祀りする霊廟で、中には秀吉と北政所の木造が安置されています。霊屋の戸には、桐紋が菊紋より上に描かれています。AIに理由を聞くと、「天皇より上」を意味するわけではなく、むしろ「天皇の代理者としての自分」を強調する意図が強い、との事でした。

 高台寺に住む北政所の周辺には、茶湯坊主衆が4,5人いて、禅三昧の生活を送りながら、秀吉のように茶をたしなむことも多かったようです。それもあって、高台寺の高台には、伏見城から移設された「傘亭」「時雨亭」という利休好みの茶室があります。帰りは竹林の小道を通って出口に向かいます。

 ねねの道を挟んで向かい側に、北政所ねねが77歳で没するまでの19年間を過ごした圓徳院があります。ここは高台寺と異なり、訪れる人はあまりいません。抹茶のセットを頂きながら、南庭をじっくり鑑賞しました。この寺には、長谷川等伯が桐紋襖の上に描いた、非常に珍しい襖絵が所蔵されています。展示されているのは残念ながら複製ですが。

 今日は、クリスマスイブということもあり、夜はどこも混んでそうです。そのため昼をメインにしたいと思い、昨年に続き今出川のエピスで、野菜のテリーヌが付いたスペシャルランチコースをお願いしました。野菜のテリーヌは皿一面に食用花が散りばめられ昨年よりバージョンアップしてます。スープからメイン、デザートまで美味しくいただきました。

 食事の後は、腹ごなしに吉田山に登ろうと思います。今出川通りを進むと、左に浄土宗を開いた法然上人がかつて住んでいた百萬遍知恩寺がありますので、参拝していきます。しばらくすると、吉田神社北参道がありますので、参道を登ります。10分程行くと吉田山展望台があります。名前は展望台ですが、周りには木々が生い茂っており、残念ながら何も展望できません。熊も出そうな鬱蒼とした森の中なので、グーグルを頼りに吉田神社の方向に進もうとしたのですが、GPSが狂ってしまったのか、神楽岡通りの方向に出てしまいました。

 神楽岡通りを進むと、天台宗の古刹、真如堂(真正極楽寺)があります。「真正」の由来は「極楽寺と名乗る寺は多いが、ここが正真正銘の極楽の霊地」という意味で、その本堂を表す「真如堂」が通称として定着したそうです。次は、くろ谷金戒光明寺に向かいます。この寺には、幕末、京都守護職に任命された会津藩主松平容保が本陣を構えていました。幕末の動乱で幕府側に立って亡くなった会津藩士の墓地があります。墓碑の前には、生花や供物が捧げられており、亡くなった人の子孫が今でも日々お参りしているんだと感じました。

 光明寺の由来は、法然上人が43歳の時、山頂の石の上で念仏をした時、「紫雲全山にみなぎり光明があたりを照らした」ことからこの地に草庵をむすんだことが始まりです。くろ谷の岡は東の崖が険しく、西の傾斜に本坊から山内寺院が整然と建ちならんでいます。一万をこえると言われる墓碑もその殆んどが西向きで建てられているそうです。

 吉田山から、坂道をずうっと下ってきました。今日の最後は、東天王岡﨑神社を参拝します。ここは桓武天皇が長岡京より遷都した際、鎮護の為に都の四方に建立された社の一つで、東(卯の方位)に位置する事から東天王と称されています。ここは、ご祭神がたくさんの御子神をもうけたことから、子授け安産の信仰を集めています。また、多産なうさぎは古くから氏神様の神使いと伝えられた事もあり、境内には各所にうさぎの像があります。

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桐生、佐野

<二日目>

 早朝、ホテル周辺を歩いてみます。駅前から見ると、宿泊しているパークイン桐生は、本当に、駅に接していますね。ここから徒歩数分の所には、上毛鉄道の、西桐生駅があります。

 今日一番は、「床もみじ」で有名な法徳寺に行くことにします。このお寺は、桐生地域の領主であった桐生正綱により、室町時代、1450年頃に創建された臨済宗建長寺派の禅寺です。本堂に入ると、鏡面状の床に、前方に見えるもみじと天井や前方にある傘が美しく映っています。床の周りには、写真を撮る参拝客が連なっています。今日は紅葉のベストタイミングです。

 本堂からは、枯山水の庭や水琴窟がある富貴滴水の庭(市松模様はその柄が途切れることなく続いて行くことから、繁栄や継続、不変の意味が込められているそうです)も眺めることが出来ます。寺の外の庭も、もみじが丁度見頃で、新郎新婦が記念撮影しています。お寺のHPでは「ロケーションフォト」として大々的にPRしています。出口のキッチンカーで、この辺りの名物の「ぱんじゅう」が売られていましたので頂きました。

 宝徳寺から車で数分のところに白滝神社があります。この神社は、都から来て桐生に絹織物の技術を伝えた官女を機神・白滝姫ととして祀っています。神社の北側に「降臨石」(こうりんせき)と呼ばれる大岩があり、 昔、耳をあてるとその中から機音が聞こえていたとの言い伝えがあます。本殿背後の斜面上には、御神木の市指定天然記念物「白瀧神社のケヤキ」が聳えてい.ます。

 桐生の市街に戻ります。桐生新町伝統的建造物群保存地区を散策しますが、はじめは一番北側にある桐生天満宮の参拝から始めます。本殿・幣殿・拝殿は、2023年に国の重要文化財に指定されています。そこから本町通りを南に進みます。通りの左右には、織物関係の蔵や町屋、ノコギリ屋根の機織り工場などが残されています。大部分はリノベされ、お店や展示施設になっています。

 ぶらぶらしているとお昼になりましたので、藤屋本店に入ります。このお店は明治時代に開業した、創業120年の老舗です。私は、桐生の名物のひもかわうどんと昨日に続きますがソースカツ丼のセットを頂きました。妻は天丼のセットです。それにしても渡良瀬川沿いは、ソースカツ丼がどこでも名物ですね。

 昼食後は、織物参考館紫(ゆかり)を見学します。ここには明治から昭和にかけての織物に関する資料が展示されています。現在もコンピュータージャカードを使用して、織物が織られています。織られた織物は、展示され、一部販売されていましたので、干支にちなんだものを買ってみました。参考館の脇には登り台があり、そこからは工場の屋根がノコギリ状になっているのが分かります。見学後は、桐生から佐野の唐沢山城跡に向います。

 平安時代の末からこの地の領主であった佐野氏は、早くから戦いに備えて急峻な地形の唐沢山に城を築いていきます。豊臣秀吉による小田原城攻めの後には、東日本では数少ない山頂の主郭分一帯の高石垣を築き、関東屈指の山城となります。しかしながら、1602年、麓に佐野城が築かれ、城は歴史の幕を閉じています。昨日見学した金山城と同じように、ここも現在、本丸跡は、唐沢山神社となっています。唐沢山神社の鳥居をくぐると、神橋があり、敵が攻め寄せた場合、この橋を落とします。今は石の橋となってますが、当時は桟橋でした。参道(当時は大手道)を進み、左に折れ、階段を上った先に本殿(本丸)があります。

 唐沢山を下り、佐野市街に入ります。途中、犬伏新町薬師堂に立ち寄ります。ここは1600年、会津の上杉討伐に向かっていた真田の父子が、天下分け目の合戦を前に、密議を行った訣別の場所です。

 佐野厄除け大師(正式名称は惣宗寺)には、お参りをしたことがなかったので、参拝してみることにします。CMで大々的に宣伝されていますが、実物はそんなでもなかったなあという感じです。境内では菊まつりをしていました。同じ敷地には、1617年3月、 徳川家康の遺骸が日光へ移されるときに、この寺に一泊した縁で、諸大名の寄進により造営された佐野東照宮があります。その拝殿や唐門は、江戸中期を代表する華麗、精緻な技巧 によって作られただけあって、日光の東照宮並みに完成されています。

 厄除け大使の前に、佐野市観光物産会館があり、そこに「佐野名物いもフライ」というパンフレットがありました。早速試食しに Googleで見つけた「イモゾー」にい行ってみます。人気店なのか、道路には車が何台も止まっています。注文してから揚げますので少し待ちますが、熱々でほっこりのソース味の芋フライでした。

 夕方になりました。最後はやはり佐野ラーメンですね。紹介された「大和」へ行きます。店は5時からですが、時間前から並んでいました。佐野ラーメンらしく、鶏ガラと醤油のあっさりした味で、トッピングのチャーシューも柔らかめです。餃子もいただき、満腹になりましたので、最後は腹ごなしに佐野プレミアムアウトレットに立ち寄ってみます。

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足利、太田

<一日目>

 今回は栃木と群馬の県境を巡ってみます。高速バスで佐野に行き、そこで車を借りてまず足利に向います。足利の太平記館にクルマを停め、館内で足利のご当地グルメ「足利シュウマイ」を、ここはソースで頂きます。

 ではさっそく太平記館に隣接している足利学校を見学します。足利学校の創建については記録が残っておらず、諸説ありますが、歴史が明らかになるのは、1432年に上杉憲実(のりざね)が、足利の領主になって自ら再興に尽力したころからです。 1549年にはフランシスコ・ザビエルより「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されるまでになっています。さて足利学校には、入徳門から入ります。100m程先にある学校門との間には孔子像や稲荷社があります。

 学校の中にある孔子廟へは杏壇門(孔子が弟子たちを教えたところに杏の木が植えられていたことに由来)から入ります。その門の前には字降松(かなふりまつ)があります。読めない字や意味のわからない言葉などを、紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふりがなや注釈がつけられていたことから、そう呼ばれるようになったそうです。孔子座像と小野篁像を参拝したのち、隣の方丈・庫裡に向かいます。

 庫裡の入口の前に、「宥座之器」があります。空の時には傾いているこの器は、少し水を入れるとまっすぐになり、八分目を超えて入れすぎるとひっくり返ります。孔子が理想とした中庸(ちゅうよう)がよいことを実感させるもので、実際、器にヒシャクで水を入れると、まさにそうなりました。方丈からは南庭園が見えますが、池の水際は鶴が羽ばたくような形になっています。最後に、学生が学んだり生活していた衆寮と、歴代庠主(しょうしゅう、学校長)の墓を見学しました。

 次は、足利一門の氏寺の鑁阿(ばんな)寺です。この寺は、周囲に土塁と堀が巡らされた寺城で、「足利氏宅跡」として国史跡です。また、鎌倉時代後期に建てられた本堂は、国宝に指定されています。多宝塔の周辺は、丁度紅葉が見頃でした。

 昼は、ご当地グルメの「ポテト入り焼きそば」と「ソースカツ丼」を食べたいと思い、「焼きそばハウスおおぜき」に行きます。テーブルは店の外にもありますが、調理場の真ん前のカウンターんで頂くことにします。確かにポテトの入った焼きそばは珍しいですね。ソースカツ丼も、カツにソースが馴染んでいました。

 足利市は渡良瀬川によって南北に分かれており、足利学校と焼きそばハウスおおぜきも川を挟んでいます。その橋の1つが渡良瀬橋で、歌手の森高千里「渡良瀬橋」で歌われています。渡良瀬橋北側に「渡良瀬橋歌碑」が設置されていますので、見に行きます。川と反対側の面には歌詞が書かれておりボタンを押すとメロディーが流れます。音がわれており、気分が損なわれますので、直した方がいいと思います。 

 足利の最後は、足利氏の始まりの地である下野國一社八幡宮に参拝します。ここは1056年、足利氏の初代義康の祖父である源義家が、奥羽の内乱に向かう折、戦勝祈願のため勧進したと伝えられている神社です。ちなみに尊氏は8代目です。

 車で30分ほど行くと、大田市の金山城跡に到着します。ここはもともとは新田一族のよって築城された山城で、最後は、豊臣秀吉の北条氏征伐により、廃城となっています。当初はあまり期待もしませんでしたが、石垣や土塁の規模は想像以上のもので、やはり日本100名城の一つになるのも頷けます。三の丸の下には月の池、日の池と二つの大きな池があり水の豊富さが伺えます。当日は舗装された道路を堀り返し、発掘調査が行われていました。

 本丸があった場所には、現在。新田神社があります。ガイドの方は、神社があるため、発掘調査が進まないと嘆いていました。本丸からは、足利や佐野の方面が、遠くまで見渡せます。

 城跡の近くに、曹源寺栄螺(さざえ)堂がありますので、立ち寄ってみます。残念ながら見学は15時までと言うことなので、外から見学するだけです。ここは紫陽花でも有名ですので、次回は梅雨の時期に来て、堂内のらせん階段を登ってみたいと思います。

 今日の宿泊は桐生駅前ですか、まだ時間もありますので、徳川氏発祥の地の東照宮として知られている世良田東照宮(国重文・国史跡)に立ち寄ってみます。徳川家康の先祖は、新田氏の始祖である義重(足利氏初代義康と兄弟)から新田荘の内、ここ「世良田」 他5カ郷を譲り受けたこの新田義季(よしすえ)と言われ、三代将軍家光がこの神社を創建しています。残念ながら本殿、拝殿は現在修復中でした。同じ敷地内には、天海僧正が徳川家康公から命じられ復興した長楽寺があります。長楽寺の蓮池とそれにかかる渡月橋には、竜宮につながっているとされる伝説があるそうです。当日は蓮池の水は抜かれていました。

 今日の宿は桐生駅前パークイン桐生です。夕食は、近くの左門末広町店で頂きます。揚げ物、焼き物、何れもおいしく、地酒も頂き、店員さんの愛想も良く、お値段も安くて、大当たりのお店でした。ホテルに帰り、窓から下を見ると、ホームが本当に近く見えます。本数は少ないので、音は気になりません。

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蔵王

<二日目>

 今日は蔵王に向かいます。窓から外を見ると晴れてはいますが、山の上を雲が厚くす覆っています。蔵王ドライブの最初は滝見台で、そこからは、三階滝(高さ181mで日本の滝百選の一つ)と不動滝(高さ53.5m)が見えます。(追記:ブラタモリ で10/25(土)・11/1(土)、これから行く御釜と蔵王温泉を放映していました)

 そこから車で少し行くと蔵王不動尊があります。真っ赤に燃え盛る炎を背にした不動明王です。ここから近くの高台からは、不動滝をより間近に眺められます。

 今日のメインの御釜に向かいます。御釜は約800年前に出来た噴火口とされ、水質はpH3.5の強酸性で、生物は一切生息していないようです。御釜に隣接する刈田岳(1758m)山頂にある蔵王刈田嶺神社奥宮は、麓の蔵王刈田嶺神社里宮からの蔵王古道の終着点です。滝見台からは車で通ってきました。ところで、御釜周辺は1894年以後噴火していませんが、地震微動は有り、御釜の向こう側にある馬の背カルデラは、想定火口域とのこと。警報が鳴ったら直ぐに、蔵王山頂レストハウスへの避難が必要になります。

 最後の観光先であるザ温泉に行きます。ここではロープウェイに乗り山の上からの景色を楽しみたいと思います。計画では、蔵王温泉駅から蔵王中央ロープウェイに乗ってドッコ沼を見る予定でしたが、誤って手前の蔵王山麓駅(標高855m)から蔵王ロープウエイに乗ってしまいました(ブラタモリでは蔵王中央ロープウェイに乗っています)。ロープウェイは、途中の樹氷高原駅で乗り換え、地蔵山頂駅(標高1661m)まで20分程で一気に800m上昇します。さすがに、頂上は冷え切っており、長居できません。

 山頂は寒いので、中腹の樹氷高原駅に戻ります。丁度日も出て暖かくなってきましたので、ハンモック広場でハンモックの上で横になったり、百万人テラスで、ソファーに腰掛けながら下界を見おろします。

 蔵王温泉では最後に、蔵王温泉大露天風呂に入浴して行きます。川のそばに石でできた大きな湯船があるだけの露天風呂です。一度に200人が入れるとのことですが、当日の入浴者はは15人ぐらいでした。

 帰りの新幹線にはまだ時間がありますので、途中、かみのやま温泉に立ち寄り、上山城を見ていきます。この城は1982年に再建され、場内は上山の歴史を伝える郷土資料館になっています。残念ながら当日の木曜日は定休日でした。お城の周辺にある上山藩の藩主であった松平利長・信一を祀る月岡神社や武家屋敷を回ってみました。

 夕食は、昨日、お蕎麦もいも煮も食べましたので、山形駅そばも山形五十番飯店で、中華にします。蔵王温泉では中途半端な時間となり、昼食を食べていませんでしたので、ここではあれやこれや頼んでみました。お酒も羽陽男山つららぎ(山形市男山酒造)を注文。満腹となり、店を出ましたが、列車にはまだ時間があります。デザートは行けそうなので、駅ビルS-PALのカプリチョーザで、アフォガートとスパークリングワインを頂きました。最後までよく飲みましたね。以上で山形への旅行は終わりました。

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立石寺、山形市

<一日目>

 今回は、紅葉にはまだ若干早いですが、山形県の立石寺と蔵王に行くことにします。根本中堂そばの駐車場に車を置き、まずはお参りです。ここにある不滅の法灯は、もともとは延暦寺から分かれたものですが、信長の焼き討ち後、延暦寺再建のおりは、ここから分けたと伝えられています。途中には、芭蕉の句碑と像があります。

 山門から入場します。ここから奥の院までの参道には石段が 800段あるそうで、一つ一つ石段を上ることによって、煩悩が消えていくと言われています。途中に姥堂がありますが、このお堂から下は地獄、上は極楽という浄土口です。ここは古来からの修行の道で、一番狭いところは四寸道と言われています。

 芭蕉の弟子たちがこの地を訪れ、この場所が芭蕉翁の句をしたためた場所ではないかと思い、翁の遺した短冊をこの地に埋めて塚を立てたものが「せみ塚」となっています。反対側の崖には、弥陀洞があります。風化した岩の表面が、阿弥陀如来の姿に見える人には、ご利益があると言われています。ようやく仁王門に到着です。立石寺の参道脇の断崖には、岩に掘られた窪みが多数見られます。これらは単なる自然の地形ではなく、修行者や信仰者の供養のために設けられたもので、お墓としての利用もあるようです。

 奥の院に行く前に、開山堂と五大堂に立ち寄ります。開山堂は立石寺を開山した円仁のお堂で、木製の尊像が安置されています。そのそばに納経堂がありますが、これは山内で最も古い建物だそうです。開山堂の脇を上ると、いよいよ五大堂です。ここは五大明王を祀り、天下太平を祈る道場で、山寺随一の展望台です。眼下に、山寺の門前町や山里が一望できます。

 いよいよ奥の院です。最後の階段を上り切ったところに奥の院があります。奥の院は左の大仏殿と右の如法堂の総称です。参拝後、線香とろうそくを奉納しました。

 登山口から奥の院まで上り、奥の院から下山口まで下って2時間弱の行程です。昼食は美登屋でお蕎麦を頂くことに。板そば(二人前)と名物のだしそばをお願いしました。ゆであがる前に、出羽桜を1合。そばの1人前はボリュームはそれほど多くないと考えていましたか、ここの1人前はボリュームがあり、お腹がいっぱいに。当面蕎麦は食べたくない感じです。昼食後は山形市へ向かいます。

 市内に入る前に、馬見ヶ崎川沿いの日本一の芋煮会フェスティバル会場そばにある大鍋、三代目「鍋太郎」直径6.5mを見学します。当然日本一です。次に市内に入り旧山形県庁および県会議事堂であった「文翔館」の見学です。この建物は1916年完成、英国近世復興様式で、大正建築の傑作と言われており、国の重要文化財に指定されています。現在は山形県郷土館として、山形の歴史や文化、文学が紹介されています。

 文翔館前からの七日町商店街の大通りを進むと、水の町屋七日町御殿堰があります。市内を流れていた水路を回収復元して、町屋風の建物や蔵の中に飲食店や雑貨店を配置しています。ただし長さは 80mくらいです。山形城跡の霞城公園に向かいます。途中、餅の星野屋に立ち寄り、お餅をいただきました。

 現在の城郭は11代城主最上義光が築いたものが原型とされています。二ノ丸東大手門が復元されており、そこから霞城公園に入ります。最上義光(よしあき)騎馬像の前を過ぎると、正面に特徴ある形式の山形市郷土館(旧済生館本館)が見えてきます。この建物は1878年に建てられ、最初は県立病院として、その後市立病院済生館の本館として使用されていました。当初は医学校も作られ、オーストリア人石医師ローレツ博士が招聘されています。

 せっかくですので済生館の隣にある山形県立博物館も見学してみます。ここには、はにわの国宝「縄文の女神」を始め、山形県の自然と文化が展示されています。特別展として「両羽博物図譜」(博物学者松森胤保(たねやす)に描かれた動物たち)が開催されていました。私にとって全く知らない人ですが、両羽(羽前・雨後、山形・秋田)に生息している動植物が、超細密に図譜に描かれています。展示では、それらの剥製や標本が図譜と比較できるように近くにおかれていました。これで市内見学を終了しホテルに向かいます。

 夕食は、山形の旨いもの、美味しい酒があると言うことで、ホテルの案内にも載っている母家 (マザーハウス)に行きます。いも煮をはじめとして山形の地のものを頂きました。お酒も山形正宗(天童市、水戸部酒造)と雅山流如月(米沢市、新藤酒造)をトライ。