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名護屋城

<三日目>

 今日は名護屋城を見学して、福岡に戻ります。ホテルの東側は、唐津湾沿いに、虹の弧のように松原が連なっており、虹の松原と言われています。唐津を去る前に、立ち寄ってみます。この松原は、唐津藩の初代藩主、寺沢志摩守広高が、防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長約4.5km、幅はなんと約500m!にわたっています。ここは、三保の松原、氣比の松原(2025年3月に訪問)とともに日本三大松原の一つで、国の特別 名勝に指定されています。

 名護屋城を目指して、海岸沿いに車を走らせます。多くの巨石が天に向かって立ち並んでいる海岸が立神岩です。手前の黒っぽい2つの巨大な玄武岩の柱は、寄り添うように立っていることから、「夫婦岩」と呼ばれているそうです。また、このエリアは、湾になっていて、九州のサーフィン発祥地といわれて、人気のスポットらしいです。

 海岸線を更に進むと、国の天然記念物、七ツ釜(ななつがま)があります。七ツ釜までは、柱状節理のゴツゴツした丘を10分程歩きます。途中には玄界灘を見つめる、海を守る女神として信仰されている乙姫大明神の像が立っています。その像の下には、ががら瀬という波に浸食された柱状節理の海岸が広がっています。岬の先の七つ釜は、その名の通り波でえぐられた7つの洞窟が並列しています。最大の穴は間口の幅が3m、奥行きが110mもあるとのこと。波の状況が良ければ遊覧船で中に入ることができるようです。呼子からは毎日出航するようですが、ここから出る遊覧船は、4月から11月までのようです。

 ようやく名護屋城に着きました。はじめに名護屋城博物館で、この城の概要を知ることにします。この名護屋城は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して、出兵の拠点として築かれた城で、1592年の開戦から秀吉の死で諸大名が 撤退するまで、7年の間大陸侵攻の拠点となっています。城の面積は約17㏊で、当時は大坂城に次ぐ規模で、ここに20万人を超える人々が集まっていました。目玉の展示は、豊臣秀吉が名護屋城に持ち込ませ、茶会や外国使節の歓待に使用した「黄金の茶室」が、再現されています。

 名護屋城は大手口から入り、東出丸、三の丸、本丸へと上っていきます。本丸に着くと、目の前がパッと開け、玄界灘が目の前に表れます。秀吉は、朝鮮出兵の際、ここの本丸天守閣から、朝鮮に向かう船団を見送ったことでしょう。遠くには、かすかに壱岐が見えます。周りの島々がよく見えますので、天下を取った気分になりますね。秀吉の死後、この城は廃城となり、一部は唐津城に移築され、石垣は、島原の乱の後に、一揆などの立て篭もりを防ぐ目的で要所が破却されています。この城はわずか7年の命で、今は、天守台には大きなクスノキが生えているだけです。14時近くなりましたので、福岡に向かいます。

 飛行機の時間にはまだありましたし、昼食もまだでしたので、天神のピエトロでパスタを頂きました。まだ時間がありましたので、キャナルシティ博多で、音楽に合わせて踊る「噴水ショー」を見てから、空港に向かいました。

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多久、唐津

<二日目>

 今日は佐賀から唐津に向かいます。はじめは、多久聖廟です。ここは、多久の領主であった多久茂文が、1708年、孔子像を安置し、領民に「敬」の心を培わせるために建てた孔子廟で、足利学校(栃木県)、閑谷学校(岡山県)に次ぐ古い建物です。足利学校は、昨年11月に訪問しています。学問の廟である事にちなんで、敷地内には五角の門・合格の門がありました。

 そこから車で数分の場所に、西渓公園があります。ここは多久家の家老屋敷跡を、肥前の炭鉱王と呼ばれた高取伊好(これよし)が、私費を投じて整備した公園です。高取伊好の旧宅が唐津で公開されていますので後で見学します。公園は桜と紅葉の名所です。公園の隣は、多久家が寄進した多久神社と多久八幡神社があります。八幡神社には、市の天然記念物となっている巨大な三本杉がありました。

 途中の、道の駅 、厳木「風のふるさと館」で一休みします。厳木は 「きゅうらぎ」 と読み、難読地名です。団子やみかん、小城のの羊羹など色々買ってみました。この道の駅には、土台が2m、本体12mの巨大な佐用姫の像があります。佐用姫とは厳木町にいたとされる豪族の娘で、悲恋の物語が伝説として語られており、風のふるさとの象徴です。後で知ったのですが、この像は15分に1回、回転しているそうです、

 ガイドブックに、「わざわざ行きたい絶景スポット」として「環境芸術の森」がありましたので、行ってみることにします。ここは、環境芸術家の鶴田正明が、40年かけて作った森とのこと。入り口近くにある風遊山莊2階の、漆のテーブルに、森の自然が映り込んだ様は確かに幻想的です。普段は赤い絨毯、ましてや籐の椅子には座れないそうなのですが、今日はオフシーズンで誰もいませんでしたので、係の方に、座った姿を撮って頂きました。

 最後は、日本の滝百選の見帰りの滝です。 6月は、伊岐佐川の遊歩道沿いに、50種4万株のあじさいが咲き誇るそうですが、残念ながら今はかれています。山あり谷ありの遊歩道を、15分ほど進むと、見帰りの滝があります。今の季節にしては水量も多く、辺りはマイナスイオンに溢れていました。

 唐津市内に入りました。昼食は、ちゃんぽんにしようと思い、住宅街にある長福に入ります。具沢山でおいしく頂きました。無料の「つくだ煮」「辛味きくらげ」もあります。

 唐津は、唐津城からスタートします。、唐津城は、松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸に位置し、天守のある本丸は唐津湾に面する海城です。近づくと、天守まではかなり登りそうに見えましたので、石垣の下にあるエレベーターに乗り本丸に向かうことにします。一人100円で、石垣に沿って登りますので、ケーブルカーのように斜めに上ります。天守は1966年に完成していますので、近代的なビルの中に居るようです。天守からは、唐津湾や市街が一望できます。

 唐津城を出て、松浦川に架かる城内橋を渡り、15分程歩くと、旧唐津銀行に着きます。行内に入ると、小樽の旧日本銀行支店の雰囲気に似ています。壁面の説明文を読むと、やはり辰野金吾が設計していました。ここの 2階は、佐賀出身の偉人、辰野金吾記念館となっています。

 もう少し市内を歩きます。次は、午前に多久市の西渓公園にあった銅像の人物、炭鉱経営者として財をなした高取伊好の旧邸を見学します。2300坪もありますので、入口に行くまで長い土塀が続きます。旧高取邸は、来賓をもてなす施設でもあったので、杉戸絵、欄間等の意匠に手が込んでいる上に、大広間に能舞台も設けられています。2024年の1月には、ここで、人間国宝大槻文藏の能と野村萬斎の狂言が公演されたそうです。残念ながら邸内は撮影禁止なので、建物の外側を撮影します。お風呂は離れにあります。冬は寒そうですね。

 今日の宿は唐津シーサイドホテルです。窓から唐津湾が見えますが、なんとなくハワイの風景に似てますね。今日はここでゆっくり過ごしたいと思います。

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大野城、吉野ヶ里、佐賀城

<一日目>

 今回は佐賀を巡りたいと思います。途中、福岡空港から車で20分程の四王寺山(しおうじやま)にある、日本百名城の一つ、大野城跡に立ち寄ります。ここは、唐・新羅連合軍に白村江で大敗をきした日本が、九州北部の防御態勢を固めるため造られた山城で、有事の際に大宰府政庁の官人や住民が逃げ込み籠城する「逃げ城」であったようです。尾根に沿って版築土塁が8㎞に渡って築かれています。炭化米が出土した焼米ヶ原には、高床式の食料備蓄倉庫があったようです。

 少し下ったところに大宰府口城門跡があります。山の麓の大宰府政庁と、ここで行き来していたのでしょうか。道路の反対側には、4棟分の高床式倉庫の礎石である増長天礎石群があります。説明文には、倉庫の高さは8mで1棟に5~600人の1年分の稲穀が蓄えられていた、とあります。この景色からは想像も出来ませんね。そばに小さな「鏡ヶ池」があり、当時の井戸と考えられています。ここで雨乞いのため鏡を投じたとの言い伝えがあるため、「鏡ヶ池」と呼ばれているようです。

 次は佐賀、吉野ヶ里歴史公園に向かいます。お昼時ですので、歴史公園センター(東口)にある吉野ヶ里歴史公園レストランで、古代貝汁御膳と佐賀の恵みハンバーグ定食を頂きました。古代貝汁御膳はアサリの味噌汁、わらすぼ(有明海のみに生息する、ハゼ科の魚)、いか焼売、赤米、みつせ鶏(佐賀県で飼育されているフランス系赤鶏をルーツに持つ銘柄鶏)での混ぜご飯でした。この御膳は、わらすぼとムツゴロウの炙りが交互に出るとのことなので、売店で、ムツゴロウの干物を買ってみました。

 昼食後、さっそく公園東口から中に入ります。入り口からは田手川を跨ぐ幅のとても広い天の浮橋を通って、環濠入り口まで行きます。環濠は堀と城壁で囲まれ、堀の内側には防御のため先を尖らした乱杭もあります。集落全体が守りをかためており、弥生時代は思った以上に戦があったようです。

 入口そばの展示室に入ってみます。出土した甕棺が多く展示されていますが、遺体を、二つの甕棺を左右につなげた中に入れて埋葬する、ということをここで初めて知りました。また、上層人と庶民の衣裳の違い、渡来人(吉野ヶ里地区)と在来系(唐津地区)の人相の違いなど、興味深い展示があります。

 集落はいろいろなエリアに分かれていますが、王たちの家がある南内郭から見学します。このエリアは塀で囲まれ、物見やぐらが四棟も建っており警備が厳重なことが伺えます。物見やぐらからは、集落一面が見渡せます。

 次はその隣にある北内郭です。ここは、巨大な主祭殿や物見やぐらが発掘された場所で、祭祀儀礼や政治を行う場所であったようです。二重の堀や高い柵があり、厳重に警護されているようです。2階は主祭殿での重要な祭祀のあとの宴会の様子、3階はクニの最高司祭者が祖霊からのお告げを聞くために祈っている様子が展示されています。主祭殿の隣には、最高司祭者の住居がありますが、最高司祭者はこのエリアの外には出なかったようです。

 次はお墓のエリアに行きます。北側にはピラミッドのような巨大な北墳丘墓が有り、内部では甕棺の発掘状況が展示されています。ここは王やそれに近い身分の人が埋葬された場所です。手前の原っぱには、庶民の遺体が埋葬された甕棺が、300m、500基の墓列があります。

 次は市と倉のエリアです。ここには、高床式の倉庫群と、中心には市が行われていた建物があります。見学の最後は、南のムラのエリアです。この区域には塀や壕などは無く、竪穴住居3~4棟に対し共同の高床倉庫1棟が付くという、他と地域の一般的な集落と似ています。これで吉野ヶ里歴史公園の半分は回ったことになります。本当に、ここは広いですね。

 次は、日本100名城の一つ、佐賀城に向かいます。吉野ヶ里歴史公園からは30分ほどです。佐賀城は天守から三の丸まで1726年に焼失していますが、本丸再建に際して造られた本丸の門である鯱の門は、当時の姿を残しています。本丸御殿も再建されているのですが、明治以降役所や小学校として使用されていました。2004年、その遺構を残しながら佐賀城本丸歴史館として開館しています。 入口から外書院に入ると、外御書院の大空間が現れます。ここには本丸完成披露の折、千人の家臣が集まったと言われています。

 御座間は、藩主鍋島直正の仕事部屋です。ここも鯱の門と同様、現存する天保期の建物です。鍋島公が座っていらっしゃいますので、私も隣に座って写真を撮らせて頂きました。ここの障子の一部は石垣張りとなっています。当時は、大きな紙がなかったので、紙が重なる部分を石垣のように見立てたようです。東廊下には、没後150年を記念して、佐賀の偉人、江藤新平の功績を紹介しています。御料理間では幕末の佐賀藩が推進した反射炉や蒸気船など、科学技術の成果を紹介しています。

 佐賀城の堀は、幅70m程もあり、とても広く感じます。残念ながら、昭和のはじめに半分ほど埋め立てられ、現在は西側の半分が残っています。本丸の西側は土塁石垣で、外面が石垣、内側は土塁という珍しい造りです。南西の隅には、珍しい亀甲乱積の櫓台石垣があります。道路(昔は堀)を隔てて、反対側のかつての三の丸には佐賀県立博物館・美術館があります。美術館のミュージアムカフェ「cafe TRES(カフェトレス)」に入り、有田の酒蔵「宗政酒造」のピルスナーで喉を潤します。出されたグラスも、有田焼でした!

 美術館は佐賀出身で東京美術学校(東京藝術大学)教授であった岡田三郎助の絵画常設され、博物館はこれまた佐賀出身の大隈重信が作った高輪築堤の説明がメインでした。美術館の外には東京から移設した岡田三郎助のアトリエが公開されていました。やはり佐賀の偉人オシですね。

 今日の夕食は、ホテルそばの第三吉(きち)丸に入ってみます。まずは佐賀の地元食、ガニ漬け(小型のカニの塩辛)、ムツゴロウの煮付け、うみたけ(ミル貝のような見た目の大きな水管が特徴の二枚貝、その水管を食す)の一夜干しをトライしてみます。お酒は小城市の「天山」です。後も佐賀尽くしで、佐賀牛のサイコロステーキ、みつぜ地鶏の塩焼、いか焼売と続きました。佐賀を堪能した夜となりました。