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醍醐寺、随心院、勧修寺、大石神社

<三日目>

 今日は気温が急激に低下しています。午後は雪になるとの予報です。今日は醍醐寺からスタートします。本来は桜のシーズンが良いのでしょうが、混んでいそうなので、一番人がいなさそうな時期に来てみました。総門を抜けると仁王門に向かって桜馬場があります.左手に国宝の唐門があります。

 仁王門をくぐると堂塔の並ぶ伽藍が広がります。応仁の乱ではここも兵火に巻き込まれ、五重塔のみが残されるだけとなったようです。、秀吉はここで花見を行うこととし、境内整備の一環として三宝院(後で見学)を再興すなどしています。こうして1598年に醍醐の花見が盛大に行われています。しかし、その年の8月に死去。その後も豊臣秀頼により伽藍の整備が行われ、1600年には秀吉の代から行われていた醍醐寺の本堂である金堂(国宝)の紀州湯浅からの移築工事も完成しています。道を進んで日月門をくぐります。

 当日は、12月26日で、年に6回訪れる己巳(つちのとみ)の日です。その日は、午前10時から宇賀弁財天開扉法要が行われるとのことなので、醍醐寺の東端にある弁天堂に急ぎます。10時から法螺貝とともに開扉され、参拝者の金運上昇、諸芸上達・才能開花が祈られます。祈願は30分程続けられます。当日は非常に寒く体が冷えていきます。期間終了後、弁財天に参拝者します。その後、隣の観音堂に参拝します。そこでは、お坊さんに自分の体の悪いところを伝え、平癒を祈願してもらいました。

 道を引き返し、三宝院を見学します。ここは元々は醍醐寺の居住する本房です。現在の三宝院は、秀吉が醍醐の花見を契機として整備したもので、秀吉自らが基本設計をしています。表書院(国宝)からは、その全体を見渡せます。この庭には桜は無く、秀吉はもみじ狩りをここで催したかったようです。残念ながらその夏に死んでいます。

 今日は運よく、普段は公開されていない表書院の左側に入ることができます。純浄観(重文)は、秀吉が醍醐の花見で使用した建物を、ここに移築したものと言われています。正面に洗濯機のような「藤戸石」がありますが、この石は、天下を治める者が所有する石として、歴代の権力者によって引き継がれています(①金閣②銀閣③細川邸④旧二条城(義昭御所)⑤聚楽第⑥醍醐寺三宝院)。座主の居住空間と言われる奥宸殿は、座ると正面に藤戸石が見えるように造られた、とガイドの方が説明していました。

 昼食は醍醐寺のフレンチカフェ「ル・クロ スゥ ル スリジェ」で、薬膳カレーをいただきました。店の意味ですが、オーナーシェフである黒岩功氏のフレンチレストラン「ル・クロ」と、フランス語で「桜の樹の下で」を意味する「sous le cerisier」を組み合わせたものなので、やはり春はすごい人出なのでしょうね。

 食事後は、小野小町ゆかりの隋心院に、徒歩で向かいます。15分程です。ここ小野地区は小野妹子や小野小町など公卿・貴族を輩出した小野氏一族の拠点です。寺の玄関を入ると、ジミー西村の大きな小野小町の像があります。中の能之間には、だるま商店の「 極彩色梅匂小町絵図」があり、小野小町の一生が、左から、4つのシーンに分割して描かれています。本堂の奥は、杉苔の美しい、「洛巽(らくそん、京の東の意味)の苔寺」とも言われる庭園が有り、雨の日は、特に映えるようです。

 寺の外に出ます。入口のそばには、百人一首の小野小町の歌碑が、少し離れた竹林には、小町が顔が使ったという「小町化粧(けわい)井戸」があります。本堂裏手には、小町邸に通った深草少将が置いていったというカヤの実にちなんだ?カヤの木が供養塔の後ろに聳えています。更に奥まった竹林には‪、小町に寄せられた千通の手紙が埋められていると伝わる小町文塚もあります。

 せっかくですので徒歩で真言宗山階派の大本山、勸修寺に向います。この寺には、氷室池を中心とする約2万㎡の池泉回遊式庭園があり、氷池園とも呼ばれています。さっそく園内に入り、まず指示通り、さざれ石に触れてみます。書院南庭には、横に這うように広がっている樹齢約750年の偃柏槙(はいひゃくしん、樹齢750年)、その中に、徳川光圀寄進と伝えられている灯籠が据えられています。受付で鳥の餌のパンの耳を頂きましたので、氷室池に行きましたが、残念ながら鳥はいませんでした。

 今回の京都旅行の最後は、忠臣蔵で名高い、大石内蔵助を祭神とする大石神社に参拝したいと思います。運良く勸修寺のそばのバス停から、大石神社の近くまでバスが出ていました。 この神社は、京都市街地からの交通の便が悪いためか、参拝者は誰もいませんでした。境内の脇で、来年の干支のミニチュアホースの「花子」が、寂しそうに?迎えてくれました。正月は主役になるのかもしれません。帰りは、大石神社の近くから、東山を突き抜け四条河原町まで行くバスがありますので、それに乗って戻ります。

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智積院、法住院、養源院、京博、豊国神社

<二日目>

 今日も朝から小雨が降っています。今日は東山の南側、三十三間堂の周辺を巡りたいと思います。南大門から三十三間堂を通る道は、かつては巨大な大仏が鎮座する方広寺への参道でした。10時前に着いてしまいましたので、開館している真言宗智山派の総本山智積院の宝物館に向かいます。そこには長谷川等伯一門が描いた桜や楓などの障壁画(国宝)が展示されています。展示室内は撮影禁止ですが、部屋の4面におかれた障壁画は迫力があり圧巻です。次に、国宝の障壁画がかつて飾られていた大書院とその庭園を見学します。大書院は庭園に面して建ち、平安期の寝殿造りの釣殿のように、庭園の池が書院の縁の下に入り込んでいます。贅沢な造りですね。

 南大門から、方広寺参道を進みます。南大門のそばには、方広寺南隅の石碑があります。一番南にあるのは法住寺です。ここは後白河上皇が開いた法住寺殿の跡で、その境内は14ヘクタール以上の広大な敷地で、三十三間堂もその御堂の一つでした。現在の寺は上皇の御陵を守ってきた寺です。ここのご本尊は、木曽義仲の焼き討ちの際に後白河院を守ったと伝わる身代わり不動明王です。

 次はその隣にある養源院を見学します。この寺はもともと淀殿が、父、浅井長政の菩提を伴うために創建されたお寺です。ほどなく焼失していますが、淀殿の妹で徳川秀忠の妻江の願いにより、浅井家と徳川家、双方の菩提として再建されています。本堂廊下の上の血天井、その廊下にある俵屋宗達の杉戸絵を見学します。廊下の手前には麒麟、廊下の先は唐獅子が杉戸に描かれています。血天井には、手や足、人の姿がはっきり見て取れます。コナンではここが紹介されたようです。

 昼になりましたので、方広寺参道の上に立つ京都国立博物館に行き、前田珈琲のカフェでナポリタンとサンドイッチのランチを頂きました。食事後は、平成知新館の常設展を見学します。

 方広寺に向かいます。歩道の脇の京都国立博物館の石垣はかつての方広寺の石垣です。非常に巨大で、秀吉の権勢がうかがえます。方広寺の隣には明治期、1880年に再建された豊国神社があります。参道の唐門は、伏見城の遺構ですが、西本願寺・大徳寺の唐門と合わせて、国宝の三唐門と呼ばれているそうです。

 豊国神社と方広寺の間に、方広寺鐘銘事件のもととなった鐘がつるされている鐘楼(重文)があります。鐘の表面に書かれている銘文は、「国家安康」、「君臣豊楽」の部分が白くマーキングされています。豊国神社と方広寺の間の細い道を進むと、かつて大仏と大仏殿があった公園があります。大仏があった場所は、地面が盛り上がっています。

 豊国神社では、最後に、秀吉にゆかりの深い品々が展示されている宝物館を見学します。

 方広寺からは、かつては大仏を正面に見たからその名前がついたと思われる正面通りを鴨川に向かって進みます。左手には、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、戦功の証として持ち帰った耳や鼻を供養したと伝わる耳塚があります。鴨川に架かる正面橋を通ると、川で清掃している人がいました。水は、脛までしかない、水深は以外と浅いんですね。橋を渡った先に、ホテル「丸福樓(まるふくろう)」があります。ここは、かつで任天堂の創業地、旧本社社屋だった場所です。

 川端通りと正面通りの交差点にある京菓子「甘春堂本店」で、柿餅と花びら餅を買ってみました。柿餅は、見た目も本物の干し柿とそっくりで、インパクトがあります。花びら餅は、京都でお正月にだけいただく伝統の御菓子の一つだそうで、白味噌のあんをゴボウと共に求肥(ぎゅうひ)で包んであり、12月~翌年1月の期間限定とのこと。甘春堂の創業は1865年ですが、家歴は、遠く方広寺大仏造営に遡るとのことです!ホテルに戻り、お茶で頂きました。

 夜はホテル近くの居酒屋「にこみや岳」です。開業以来継ぎ足しているという出汁のもつ煮込やおでん、おいしかったので、目の前のオススメメニューを色々頂きました。お酒は、蒼空(伏見の藤岡酒造)と玉川(丹後の木下酒造)です。気楽に入れる良い店でした。

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高台寺、吉田山、真如堂、くろ谷 金戒光明寺、岡﨑神社

<一日目>

 今日は12月24日クリスマスの日です。北政所ねねが祈願し、徳川家康が創建させた高台寺から参拝を始めます。境内へは、ねねの道から台所坂を上り、台所門から入ります。見学の受付は庫裡の左側にあり、そこから施設内に入っていきます。まず目にするのが、茸のような茶室、遺芳庵です。

 方丈に入ると、眼前に石庭である波心庭が現れます。庭の向こう側には勅使門が見えます。方丈は観月台を通って開山堂につながっていますが、今は通行止めになっています。観月台では、往時北政所は、無き秀吉を偲びながら月を眺めていたそうです。開山堂の隣は霊屋(みたまや)で、秀吉と北政所をお祀りする霊廟で、中には秀吉と北政所の木造が安置されています。霊屋の戸には、桐紋が菊紋より上に描かれています。AIに理由を聞くと、「天皇より上」を意味するわけではなく、むしろ「天皇の代理者としての自分」を強調する意図が強い、との事でした。

 高台寺に住む北政所の周辺には、茶湯坊主衆が4,5人いて、禅三昧の生活を送りながら、秀吉のように茶をたしなむことも多かったようです。それもあって、高台寺の高台には、伏見城から移設された「傘亭」「時雨亭」という利休好みの茶室があります。帰りは竹林の小道を通って出口に向かいます。

 ねねの道を挟んで向かい側に、北政所ねねが77歳で没するまでの19年間を過ごした圓徳院があります。ここは高台寺と異なり、訪れる人はあまりいません。抹茶のセットを頂きながら、南庭をじっくり鑑賞しました。この寺には、長谷川等伯が桐紋襖の上に描いた、非常に珍しい襖絵が所蔵されています。展示されているのは残念ながら複製ですが。

 今日は、クリスマスイブということもあり、夜はどこも混んでそうです。そのため昼をメインにしたいと思い、昨年に続き今出川のエピスで、野菜のテリーヌが付いたスペシャルランチコースをお願いしました。野菜のテリーヌは皿一面に食用花が散りばめられ昨年よりバージョンアップしてます。スープからメイン、デザートまで美味しくいただきました。

 食事の後は、腹ごなしに吉田山に登ろうと思います。今出川通りを進むと、左に浄土宗を開いた法然上人がかつて住んでいた百萬遍知恩寺がありますので、参拝していきます。しばらくすると、吉田神社北参道がありますので、参道を登ります。10分程行くと吉田山展望台があります。名前は展望台ですが、周りには木々が生い茂っており、残念ながら何も展望できません。熊も出そうな鬱蒼とした森の中なので、グーグルを頼りに吉田神社の方向に進もうとしたのですが、GPSが狂ってしまったのか、神楽岡通りの方向に出てしまいました。

 神楽岡通りを進むと、天台宗の古刹、真如堂(真正極楽寺)があります。「真正」の由来は「極楽寺と名乗る寺は多いが、ここが正真正銘の極楽の霊地」という意味で、その本堂を表す「真如堂」が通称として定着したそうです。次は、くろ谷金戒光明寺に向かいます。この寺には、幕末、京都守護職に任命された会津藩主松平容保が本陣を構えていました。幕末の動乱で幕府側に立って亡くなった会津藩士の墓地があります。墓碑の前には、生花や供物が捧げられており、亡くなった人の子孫が今でも日々お参りしているんだと感じました。

 光明寺の由来は、法然上人が43歳の時、山頂の石の上で念仏をした時、「紫雲全山にみなぎり光明があたりを照らした」ことからこの地に草庵をむすんだことが始まりです。くろ谷の岡は東の崖が険しく、西の傾斜に本坊から山内寺院が整然と建ちならんでいます。一万をこえると言われる墓碑もその殆んどが西向きで建てられているそうです。

 吉田山から、坂道をずうっと下ってきました。今日の最後は、東天王岡﨑神社を参拝します。ここは桓武天皇が長岡京より遷都した際、鎮護の為に都の四方に建立された社の一つで、東(卯の方位)に位置する事から東天王と称されています。ここは、ご祭神がたくさんの御子神をもうけたことから、子授け安産の信仰を集めています。また、多産なうさぎは古くから氏神様の神使いと伝えられた事もあり、境内には各所にうさぎの像があります。