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桐生、佐野

<二日目>

 早朝、ホテル周辺を歩いてみます。駅前から見ると、宿泊しているパークイン桐生は、本当に、駅に接していますね。ここから徒歩数分の所には、上毛鉄道の、西桐生駅があります。

 今日一番は、「床もみじ」で有名な法徳寺に行くことにします。このお寺は、桐生地域の領主であった桐生正綱により、室町時代、1450年頃に創建された臨済宗建長寺派の禅寺です。本堂に入ると、鏡面状の床に、前方に見えるもみじと天井や前方にある傘が美しく映っています。床の周りには、写真を撮る参拝客が連なっています。今日は紅葉のベストタイミングです。

 本堂からは、枯山水の庭や水琴窟がある富貴滴水の庭(市松模様はその柄が途切れることなく続いて行くことから、繁栄や継続、不変の意味が込められているそうです)も眺めることが出来ます。寺の外の庭も、もみじが丁度見頃で、新郎新婦が記念撮影しています。お寺のHPでは「ロケーションフォト」として大々的にPRしています。出口のキッチンカーで、この辺りの名物の「ぱんじゅう」が売られていましたので頂きました。

 宝徳寺から車で数分のところに白滝神社があります。この神社は、都から来て桐生に絹織物の技術を伝えた官女を機神・白滝姫ととして祀っています。神社の北側に「降臨石」(こうりんせき)と呼ばれる大岩があり、 昔、耳をあてるとその中から機音が聞こえていたとの言い伝えがあます。本殿背後の斜面上には、御神木の市指定天然記念物「白瀧神社のケヤキ」が聳えてい.ます。

 桐生の市街に戻ります。桐生新町伝統的建造物群保存地区を散策しますが、はじめは一番北側にある桐生天満宮の参拝から始めます。本殿・幣殿・拝殿は、2023年に国の重要文化財に指定されています。そこから本町通りを南に進みます。通りの左右には、織物関係の蔵や町屋、ノコギリ屋根の機織り工場などが残されています。大部分はリノベされ、お店や展示施設になっています。

 ぶらぶらしているとお昼になりましたので、藤屋本店に入ります。このお店は明治時代に開業した、創業120年の老舗です。私は、桐生の名物のひもかわうどんと昨日に続きますがソースカツ丼のセットを頂きました。妻は天丼のセットです。それにしても渡良瀬川沿いは、ソースカツ丼がどこでも名物ですね。

 昼食後は、織物参考館紫(ゆかり)を見学します。ここには明治から昭和にかけての織物に関する資料が展示されています。現在もコンピュータージャカードを使用して、織物が織られています。織られた織物は、展示され、一部販売されていましたので、干支にちなんだものを買ってみました。参考館の脇には登り台があり、そこからは工場の屋根がノコギリ状になっているのが分かります。見学後は、桐生から佐野の唐沢山城跡に向います。

 平安時代の末からこの地の領主であった佐野氏は、早くから戦いに備えて急峻な地形の唐沢山に城を築いていきます。豊臣秀吉による小田原城攻めの後には、東日本では数少ない山頂の主郭分一帯の高石垣を築き、関東屈指の山城となります。しかしながら、1602年、麓に佐野城が築かれ、城は歴史の幕を閉じています。昨日見学した金山城と同じように、ここも現在、本丸跡は、唐沢山神社となっています。唐沢山神社の鳥居をくぐると、神橋があり、敵が攻め寄せた場合、この橋を落とします。今は石の橋となってますが、当時は桟橋でした。参道(当時は大手道)を進み、左に折れ、階段を上った先に本殿(本丸)があります。

 唐沢山を下り、佐野市街に入ります。途中、犬伏新町薬師堂に立ち寄ります。ここは1600年、会津の上杉討伐に向かっていた真田の父子が、天下分け目の合戦を前に、密議を行った訣別の場所です。

 佐野厄除け大師(正式名称は惣宗寺)には、お参りをしたことがなかったので、参拝してみることにします。CMで大々的に宣伝されていますが、実物はそんなでもなかったなあという感じです。境内では菊まつりをしていました。同じ敷地には、1617年3月、 徳川家康の遺骸が日光へ移されるときに、この寺に一泊した縁で、諸大名の寄進により造営された佐野東照宮があります。その拝殿や唐門は、江戸中期を代表する華麗、精緻な技巧 によって作られただけあって、日光の東照宮並みに完成されています。

 厄除け大使の前に、佐野市観光物産会館があり、そこに「佐野名物いもフライ」というパンフレットがありました。早速試食しに Googleで見つけた「イモゾー」にい行ってみます。人気店なのか、道路には車が何台も止まっています。注文してから揚げますので少し待ちますが、熱々でほっこりのソース味の芋フライでした。

 夕方になりました。最後はやはり佐野ラーメンですね。紹介された「大和」へ行きます。店は5時からですが、時間前から並んでいました。佐野ラーメンらしく、鶏ガラと醤油のあっさりした味で、トッピングのチャーシューも柔らかめです。餃子もいただき、満腹になりましたので、最後は腹ごなしに佐野プレミアムアウトレットに立ち寄ってみます。

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足利、太田

<一日目>

 今回は栃木と群馬の県境を巡ってみます。高速バスで佐野に行き、そこで車を借りてまず足利に向います。足利の太平記館にクルマを停め、館内で足利のご当地グルメ「足利シュウマイ」を、ここはソースで頂きます。

 ではさっそく太平記館に隣接している足利学校を見学します。足利学校の創建については記録が残っておらず、諸説ありますが、歴史が明らかになるのは、1432年に上杉憲実(のりざね)が、足利の領主になって自ら再興に尽力したころからです。 1549年にはフランシスコ・ザビエルより「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されるまでになっています。さて足利学校には、入徳門から入ります。100m程先にある学校門との間には孔子像や稲荷社があります。

 学校の中にある孔子廟へは杏壇門(孔子が弟子たちを教えたところに杏の木が植えられていたことに由来)から入ります。その門の前には字降松(かなふりまつ)があります。読めない字や意味のわからない言葉などを、紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふりがなや注釈がつけられていたことから、そう呼ばれるようになったそうです。孔子座像と小野篁像を参拝したのち、隣の方丈・庫裡に向かいます。

 庫裡の入口の前に、「宥座之器」があります。空の時には傾いているこの器は、少し水を入れるとまっすぐになり、八分目を超えて入れすぎるとひっくり返ります。孔子が理想とした中庸(ちゅうよう)がよいことを実感させるもので、実際、器にヒシャクで水を入れると、まさにそうなりました。方丈からは南庭園が見えますが、池の水際は鶴が羽ばたくような形になっています。最後に、学生が学んだり生活していた衆寮と、歴代庠主(しょうしゅう、学校長)の墓を見学しました。

 次は、足利一門の氏寺の鑁阿(ばんな)寺です。この寺は、周囲に土塁と堀が巡らされた寺城で、「足利氏宅跡」として国史跡です。また、鎌倉時代後期に建てられた本堂は、国宝に指定されています。多宝塔の周辺は、丁度紅葉が見頃でした。

 昼は、ご当地グルメの「ポテト入り焼きそば」と「ソースカツ丼」を食べたいと思い、「焼きそばハウスおおぜき」に行きます。テーブルは店の外にもありますが、調理場の真ん前のカウンターんで頂くことにします。確かにポテトの入った焼きそばは珍しいですね。ソースカツ丼も、カツにソースが馴染んでいました。

 足利市は渡良瀬川によって南北に分かれており、足利学校と焼きそばハウスおおぜきも川を挟んでいます。その橋の1つが渡良瀬橋で、歌手の森高千里「渡良瀬橋」で歌われています。渡良瀬橋北側に「渡良瀬橋歌碑」が設置されていますので、見に行きます。川と反対側の面には歌詞が書かれておりボタンを押すとメロディーが流れます。音がわれており、気分が損なわれますので、直した方がいいと思います。 

 足利の最後は、足利氏の始まりの地である下野國一社八幡宮に参拝します。ここは1056年、足利氏の初代義康の祖父である源義家が、奥羽の内乱に向かう折、戦勝祈願のため勧進したと伝えられている神社です。ちなみに尊氏は8代目です。

 車で30分ほど行くと、大田市の金山城跡に到着します。ここはもともとは新田一族のよって築城された山城で、最後は、豊臣秀吉の北条氏征伐により、廃城となっています。当初はあまり期待もしませんでしたが、石垣や土塁の規模は想像以上のもので、やはり日本100名城の一つになるのも頷けます。三の丸の下には月の池、日の池と二つの大きな池があり水の豊富さが伺えます。当日は舗装された道路を堀り返し、発掘調査が行われていました。

 本丸があった場所には、現在。新田神社があります。ガイドの方は、神社があるため、発掘調査が進まないと嘆いていました。本丸からは、足利や佐野の方面が、遠くまで見渡せます。

 城跡の近くに、曹源寺栄螺(さざえ)堂がありますので、立ち寄ってみます。残念ながら見学は15時までと言うことなので、外から見学するだけです。ここは紫陽花でも有名ですので、次回は梅雨の時期に来て、堂内のらせん階段を登ってみたいと思います。

 今日の宿泊は桐生駅前ですか、まだ時間もありますので、徳川氏発祥の地の東照宮として知られている世良田東照宮(国重文・国史跡)に立ち寄ってみます。徳川家康の先祖は、新田氏の始祖である義重(足利氏初代義康と兄弟)から新田荘の内、ここ「世良田」 他5カ郷を譲り受けたこの新田義季(よしすえ)と言われ、三代将軍家光がこの神社を創建しています。残念ながら本殿、拝殿は現在修復中でした。同じ敷地内には、天海僧正が徳川家康公から命じられ復興した長楽寺があります。長楽寺の蓮池とそれにかかる渡月橋には、竜宮につながっているとされる伝説があるそうです。当日は蓮池の水は抜かれていました。

 今日の宿は桐生駅前パークイン桐生です。夕食は、近くの左門末広町店で頂きます。揚げ物、焼き物、何れもおいしく、地酒も頂き、店員さんの愛想も良く、お値段も安くて、大当たりのお店でした。ホテルに帰り、窓から下を見ると、ホームが本当に近く見えます。本数は少ないので、音は気になりません。