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桐生、佐野

<二日目>

 早朝、ホテル周辺を歩いてみます。駅前から見ると、宿泊しているパークイン桐生は、本当に、駅に接していますね。ここから徒歩数分の所には、上毛鉄道の、西桐生駅があります。

 今日一番は、「床もみじ」で有名な法徳寺に行くことにします。このお寺は、桐生地域の領主であった桐生正綱により、室町時代、1450年頃に創建された臨済宗建長寺派の禅寺です。本堂に入ると、鏡面状の床に、前方に見えるもみじと天井や前方にある傘が美しく映っています。床の周りには、写真を撮る参拝客が連なっています。今日は紅葉のベストタイミングです。

 本堂からは、枯山水の庭や水琴窟がある富貴滴水の庭(市松模様はその柄が途切れることなく続いて行くことから、繁栄や継続、不変の意味が込められているそうです)も眺めることが出来ます。寺の外の庭も、もみじが丁度見頃で、新郎新婦が記念撮影しています。お寺のHPでは「ロケーションフォト」として大々的にPRしています。出口のキッチンカーで、この辺りの名物の「ぱんじゅう」が売られていましたので頂きました。

 宝徳寺から車で数分のところに白滝神社があります。この神社は、都から来て桐生に絹織物の技術を伝えた官女を機神・白滝姫ととして祀っています。神社の北側に「降臨石」(こうりんせき)と呼ばれる大岩があり、 昔、耳をあてるとその中から機音が聞こえていたとの言い伝えがあます。本殿背後の斜面上には、御神木の市指定天然記念物「白瀧神社のケヤキ」が聳えてい.ます。

 桐生の市街に戻ります。桐生新町伝統的建造物群保存地区を散策しますが、はじめは一番北側にある桐生天満宮の参拝から始めます。本殿・幣殿・拝殿は、2023年に国の重要文化財に指定されています。そこから本町通りを南に進みます。通りの左右には、織物関係の蔵や町屋、ノコギリ屋根の機織り工場などが残されています。大部分はリノベされ、お店や展示施設になっています。

 ぶらぶらしているとお昼になりましたので、藤屋本店に入ります。このお店は明治時代に開業した、創業120年の老舗です。私は、桐生の名物のひもかわうどんと昨日に続きますがソースカツ丼のセットを頂きました。妻は天丼のセットです。それにしても渡良瀬川沿いは、ソースカツ丼がどこでも名物ですね。

 昼食後は、織物参考館紫(ゆかり)を見学します。ここには明治から昭和にかけての織物に関する資料が展示されています。現在もコンピュータージャカードを使用して、織物が織られています。織られた織物は、展示され、一部販売されていましたので、干支にちなんだものを買ってみました。参考館の脇には登り台があり、そこからは工場の屋根がノコギリ状になっているのが分かります。見学後は、桐生から佐野の唐沢山城跡に向います。

 平安時代の末からこの地の領主であった佐野氏は、早くから戦いに備えて急峻な地形の唐沢山に城を築いていきます。豊臣秀吉による小田原城攻めの後には、東日本では数少ない山頂の主郭分一帯の高石垣を築き、関東屈指の山城となります。しかしながら、1602年、麓に佐野城が築かれ、城は歴史の幕を閉じています。昨日見学した金山城と同じように、ここも現在、本丸跡は、唐沢山神社となっています。唐沢山神社の鳥居をくぐると、神橋があり、敵が攻め寄せた場合、この橋を落とします。今は石の橋となってますが、当時は桟橋でした。参道(当時は大手道)を進み、左に折れ、階段を上った先に本殿(本丸)があります。

 唐沢山を下り、佐野市街に入ります。途中、犬伏新町薬師堂に立ち寄ります。ここは1600年、会津の上杉討伐に向かっていた真田の父子が、天下分け目の合戦を前に、密議を行った訣別の場所です。

 佐野厄除け大師(正式名称は惣宗寺)には、お参りをしたことがなかったので、参拝してみることにします。CMで大々的に宣伝されていますが、実物はそんなでもなかったなあという感じです。境内では菊まつりをしていました。同じ敷地には、1617年3月、 徳川家康の遺骸が日光へ移されるときに、この寺に一泊した縁で、諸大名の寄進により造営された佐野東照宮があります。その拝殿や唐門は、江戸中期を代表する華麗、精緻な技巧 によって作られただけあって、日光の東照宮並みに完成されています。

 厄除け大使の前に、佐野市観光物産会館があり、そこに「佐野名物いもフライ」というパンフレットがありました。早速試食しに Googleで見つけた「イモゾー」にい行ってみます。人気店なのか、道路には車が何台も止まっています。注文してから揚げますので少し待ちますが、熱々でほっこりのソース味の芋フライでした。

 夕方になりました。最後はやはり佐野ラーメンですね。紹介された「大和」へ行きます。店は5時からですが、時間前から並んでいました。佐野ラーメンらしく、鶏ガラと醤油のあっさりした味で、トッピングのチャーシューも柔らかめです。餃子もいただき、満腹になりましたので、最後は腹ごなしに佐野プレミアムアウトレットに立ち寄ってみます。

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足利、太田

<一日目>

 今回は栃木と群馬の県境を巡ってみます。高速バスで佐野に行き、そこで車を借りてまず足利に向います。足利の太平記館にクルマを停め、館内で足利のご当地グルメ「足利シュウマイ」を、ここはソースで頂きます。

 ではさっそく太平記館に隣接している足利学校を見学します。足利学校の創建については記録が残っておらず、諸説ありますが、歴史が明らかになるのは、1432年に上杉憲実(のりざね)が、足利の領主になって自ら再興に尽力したころからです。 1549年にはフランシスコ・ザビエルより「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されるまでになっています。さて足利学校には、入徳門から入ります。100m程先にある学校門との間には孔子像や稲荷社があります。

 学校の中にある孔子廟へは杏壇門(孔子が弟子たちを教えたところに杏の木が植えられていたことに由来)から入ります。その門の前には字降松(かなふりまつ)があります。読めない字や意味のわからない言葉などを、紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふりがなや注釈がつけられていたことから、そう呼ばれるようになったそうです。孔子座像と小野篁像を参拝したのち、隣の方丈・庫裡に向かいます。

 庫裡の入口の前に、「宥座之器」があります。空の時には傾いているこの器は、少し水を入れるとまっすぐになり、八分目を超えて入れすぎるとひっくり返ります。孔子が理想とした中庸(ちゅうよう)がよいことを実感させるもので、実際、器にヒシャクで水を入れると、まさにそうなりました。方丈からは南庭園が見えますが、池の水際は鶴が羽ばたくような形になっています。最後に、学生が学んだり生活していた衆寮と、歴代庠主(しょうしゅう、学校長)の墓を見学しました。

 次は、足利一門の氏寺の鑁阿(ばんな)寺です。この寺は、周囲に土塁と堀が巡らされた寺城で、「足利氏宅跡」として国史跡です。また、鎌倉時代後期に建てられた本堂は、国宝に指定されています。多宝塔の周辺は、丁度紅葉が見頃でした。

 昼は、ご当地グルメの「ポテト入り焼きそば」と「ソースカツ丼」を食べたいと思い、「焼きそばハウスおおぜき」に行きます。テーブルは店の外にもありますが、調理場の真ん前のカウンターんで頂くことにします。確かにポテトの入った焼きそばは珍しいですね。ソースカツ丼も、カツにソースが馴染んでいました。

 足利市は渡良瀬川によって南北に分かれており、足利学校と焼きそばハウスおおぜきも川を挟んでいます。その橋の1つが渡良瀬橋で、歌手の森高千里「渡良瀬橋」で歌われています。渡良瀬橋北側に「渡良瀬橋歌碑」が設置されていますので、見に行きます。川と反対側の面には歌詞が書かれておりボタンを押すとメロディーが流れます。音がわれており、気分が損なわれますので、直した方がいいと思います。 

 足利の最後は、足利氏の始まりの地である下野國一社八幡宮に参拝します。ここは1056年、足利氏の初代義康の祖父である源義家が、奥羽の内乱に向かう折、戦勝祈願のため勧進したと伝えられている神社です。ちなみに尊氏は8代目です。

 車で30分ほど行くと、大田市の金山城跡に到着します。ここはもともとは新田一族のよって築城された山城で、最後は、豊臣秀吉の北条氏征伐により、廃城となっています。当初はあまり期待もしませんでしたが、石垣や土塁の規模は想像以上のもので、やはり日本100名城の一つになるのも頷けます。三の丸の下には月の池、日の池と二つの大きな池があり水の豊富さが伺えます。当日は舗装された道路を堀り返し、発掘調査が行われていました。

 本丸があった場所には、現在。新田神社があります。ガイドの方は、神社があるため、発掘調査が進まないと嘆いていました。本丸からは、足利や佐野の方面が、遠くまで見渡せます。

 城跡の近くに、曹源寺栄螺(さざえ)堂がありますので、立ち寄ってみます。残念ながら見学は15時までと言うことなので、外から見学するだけです。ここは紫陽花でも有名ですので、次回は梅雨の時期に来て、堂内のらせん階段を登ってみたいと思います。

 今日の宿泊は桐生駅前ですか、まだ時間もありますので、徳川氏発祥の地の東照宮として知られている世良田東照宮(国重文・国史跡)に立ち寄ってみます。徳川家康の先祖は、新田氏の始祖である義重(足利氏初代義康と兄弟)から新田荘の内、ここ「世良田」 他5カ郷を譲り受けたこの新田義季(よしすえ)と言われ、三代将軍家光がこの神社を創建しています。残念ながら本殿、拝殿は現在修復中でした。同じ敷地内には、天海僧正が徳川家康公から命じられ復興した長楽寺があります。長楽寺の蓮池とそれにかかる渡月橋には、竜宮につながっているとされる伝説があるそうです。当日は蓮池の水は抜かれていました。

 今日の宿は桐生駅前パークイン桐生です。夕食は、近くの左門末広町店で頂きます。揚げ物、焼き物、何れもおいしく、地酒も頂き、店員さんの愛想も良く、お値段も安くて、大当たりのお店でした。ホテルに帰り、窓から下を見ると、ホームが本当に近く見えます。本数は少ないので、音は気になりません。

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蔵王

<二日目>

 今日は蔵王に向かいます。窓から外を見ると晴れてはいますが、山の上を雲が厚くす覆っています。蔵王ドライブの最初は滝見台で、そこからは、三階滝(高さ181mで日本の滝百選の一つ)と不動滝(高さ53.5m)が見えます。(追記:ブラタモリ で10/25(土)・11/1(土)、これから行く御釜と蔵王温泉を放映していました)

 そこから車で少し行くと蔵王不動尊があります。真っ赤に燃え盛る炎を背にした不動明王です。ここから近くの高台からは、不動滝をより間近に眺められます。

 今日のメインの御釜に向かいます。御釜は約800年前に出来た噴火口とされ、水質はpH3.5の強酸性で、生物は一切生息していないようです。御釜に隣接する刈田岳(1758m)山頂にある蔵王刈田嶺神社奥宮は、麓の蔵王刈田嶺神社里宮からの蔵王古道の終着点です。滝見台からは車で通ってきました。ところで、御釜周辺は1894年以後噴火していませんが、地震微動は有り、御釜の向こう側にある馬の背カルデラは、想定火口域とのこと。警報が鳴ったら直ぐに、蔵王山頂レストハウスへの避難が必要になります。

 最後の観光先であるザ温泉に行きます。ここではロープウェイに乗り山の上からの景色を楽しみたいと思います。計画では、蔵王温泉駅から蔵王中央ロープウェイに乗ってドッコ沼を見る予定でしたが、誤って手前の蔵王山麓駅(標高855m)から蔵王ロープウエイに乗ってしまいました(ブラタモリでは蔵王中央ロープウェイに乗っています)。ロープウェイは、途中の樹氷高原駅で乗り換え、地蔵山頂駅(標高1661m)まで20分程で一気に800m上昇します。さすがに、頂上は冷え切っており、長居できません。

 山頂は寒いので、中腹の樹氷高原駅に戻ります。丁度日も出て暖かくなってきましたので、ハンモック広場でハンモックの上で横になったり、百万人テラスで、ソファーに腰掛けながら下界を見おろします。

 蔵王温泉では最後に、蔵王温泉大露天風呂に入浴して行きます。川のそばに石でできた大きな湯船があるだけの露天風呂です。一度に200人が入れるとのことですが、当日の入浴者はは15人ぐらいでした。

 帰りの新幹線にはまだ時間がありますので、途中、かみのやま温泉に立ち寄り、上山城を見ていきます。この城は1982年に再建され、場内は上山の歴史を伝える郷土資料館になっています。残念ながら当日の木曜日は定休日でした。お城の周辺にある上山藩の藩主であった松平利長・信一を祀る月岡神社や武家屋敷を回ってみました。

 夕食は、昨日、お蕎麦もいも煮も食べましたので、山形駅そばも山形五十番飯店で、中華にします。蔵王温泉では中途半端な時間となり、昼食を食べていませんでしたので、ここではあれやこれや頼んでみました。お酒も羽陽男山つららぎ(山形市男山酒造)を注文。満腹となり、店を出ましたが、列車にはまだ時間があります。デザートは行けそうなので、駅ビルS-PALのカプリチョーザで、アフォガートとスパークリングワインを頂きました。最後までよく飲みましたね。以上で山形への旅行は終わりました。

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立石寺、山形市

<一日目>

 今回は、紅葉にはまだ若干早いですが、山形県の立石寺と蔵王に行くことにします。根本中堂そばの駐車場に車を置き、まずはお参りです。ここにある不滅の法灯は、もともとは延暦寺から分かれたものですが、信長の焼き討ち後、延暦寺再建のおりは、ここから分けたと伝えられています。途中には、芭蕉の句碑と像があります。

 山門から入場します。ここから奥の院までの参道には石段が 800段あるそうで、一つ一つ石段を上ることによって、煩悩が消えていくと言われています。途中に姥堂がありますが、このお堂から下は地獄、上は極楽という浄土口です。ここは古来からの修行の道で、一番狭いところは四寸道と言われています。

 芭蕉の弟子たちがこの地を訪れ、この場所が芭蕉翁の句をしたためた場所ではないかと思い、翁の遺した短冊をこの地に埋めて塚を立てたものが「せみ塚」となっています。反対側の崖には、弥陀洞があります。風化した岩の表面が、阿弥陀如来の姿に見える人には、ご利益があると言われています。ようやく仁王門に到着です。立石寺の参道脇の断崖には、岩に掘られた窪みが多数見られます。これらは単なる自然の地形ではなく、修行者や信仰者の供養のために設けられたもので、お墓としての利用もあるようです。

 奥の院に行く前に、開山堂と五大堂に立ち寄ります。開山堂は立石寺を開山した円仁のお堂で、木製の尊像が安置されています。そのそばに納経堂がありますが、これは山内で最も古い建物だそうです。開山堂の脇を上ると、いよいよ五大堂です。ここは五大明王を祀り、天下太平を祈る道場で、山寺随一の展望台です。眼下に、山寺の門前町や山里が一望できます。

 いよいよ奥の院です。最後の階段を上り切ったところに奥の院があります。奥の院は左の大仏殿と右の如法堂の総称です。参拝後、線香とろうそくを奉納しました。

 登山口から奥の院まで上り、奥の院から下山口まで下って2時間弱の行程です。昼食は美登屋でお蕎麦を頂くことに。板そば(二人前)と名物のだしそばをお願いしました。ゆであがる前に、出羽桜を1合。そばの1人前はボリュームはそれほど多くないと考えていましたか、ここの1人前はボリュームがあり、お腹がいっぱいに。当面蕎麦は食べたくない感じです。昼食後は山形市へ向かいます。

 市内に入る前に、馬見ヶ崎川沿いの日本一の芋煮会フェスティバル会場そばにある大鍋、三代目「鍋太郎」直径6.5mを見学します。当然日本一です。次に市内に入り旧山形県庁および県会議事堂であった「文翔館」の見学です。この建物は1916年完成、英国近世復興様式で、大正建築の傑作と言われており、国の重要文化財に指定されています。現在は山形県郷土館として、山形の歴史や文化、文学が紹介されています。

 文翔館前からの七日町商店街の大通りを進むと、水の町屋七日町御殿堰があります。市内を流れていた水路を回収復元して、町屋風の建物や蔵の中に飲食店や雑貨店を配置しています。ただし長さは 80mくらいです。山形城跡の霞城公園に向かいます。途中、餅の星野屋に立ち寄り、お餅をいただきました。

 現在の城郭は11代城主最上義光が築いたものが原型とされています。二ノ丸東大手門が復元されており、そこから霞城公園に入ります。最上義光(よしあき)騎馬像の前を過ぎると、正面に特徴ある形式の山形市郷土館(旧済生館本館)が見えてきます。この建物は1878年に建てられ、最初は県立病院として、その後市立病院済生館の本館として使用されていました。当初は医学校も作られ、オーストリア人石医師ローレツ博士が招聘されています。

 せっかくですので済生館の隣にある山形県立博物館も見学してみます。ここには、はにわの国宝「縄文の女神」を始め、山形県の自然と文化が展示されています。特別展として「両羽博物図譜」(博物学者松森胤保(たねやす)に描かれた動物たち)が開催されていました。私にとって全く知らない人ですが、両羽(羽前・雨後、山形・秋田)に生息している動植物が、超細密に図譜に描かれています。展示では、それらの剥製や標本が図譜と比較できるように近くにおかれていました。これで市内見学を終了しホテルに向かいます。

 夕食は、山形の旨いもの、美味しい酒があると言うことで、ホテルの案内にも載っている母家 (マザーハウス)に行きます。いも煮をはじめとして山形の地のものを頂きました。お酒も山形正宗(天童市、水戸部酒造)と雅山流如月(米沢市、新藤酒造)をトライ。

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神仙沼、積丹半島、余市

<三日目>

 ニセコプリンスホテルひらふ亭は、ゲレンデ直結の温泉リゾートホテルで、露天風呂からはニセコアンヌプリやその下のゲレンデが一望できます。ホテルの外装は古いですが、中はリノベされています。ホテルを出ると、ゲレンデは直ぐそこです。

 今日は、積丹半島を一周してみます。途中チセヌプリ山の北側にある、神仙沼を散策してみます。沼に行く前に、休憩所の北側にある展望台に行きます。晴れていますので、岩内町や泊村、これから行く積丹半島が一望出来ます。次に、展望台とは反対側のニセコ・神仙沼自然休養林口から、木道に入ります。20分位進むと、湿原が現れ、その先に、ニセコ山系で最も美しい沼と言われる神仙沼があります。確かに幻想的な風景です。

 積丹半島に行く途中、岩内岳の裾野の小高い丘にある円山展望台に立ち寄ってみます。ここからは岩内町の街並み、泊村の原発や積丹半島が、神仙沼の展望台に比べ、より近く見えます。ここの夜景は2018年「日本夜景遺産」に認定されているそうです。室蘭の夜景も認定されおり、初日の夜、失念し見なくて本当に残念です。

 昼食は、積丹半島の真ん中辺り、神恵内(かもえない)村にある勝栄鮨で頂くことにしました。この店は本土からの観光客だけで無く、道内の人にも人気があるらしく、昼のみの営業なので、わざわざ来ても具が無くなって、そのまま帰る人もいるようです。当日は30分程で入れました。当日、名物のウニ丼が無かったので、お鮨を頂くことにしました。

 積丹半島の絶景地「神威岬」に到着です。やはり、ここは観光客で賑わっています。大海原へせり出した神威岬の先端まで、女人禁制の門から20分程、山有り谷有りの「チャレンカの小道」を進みます。かなりきつい行程です。両側には日本海の雄大な眺めが広がっています。下は、積丹ブルーの海岸です。

<チャレンカ伝説>奥州から蝦夷地へ逃れてきた義経は、アイヌの娘チャレンカと恋に落ちた。しかし、義経は追っ手から逃れるため、チャレンカを残して神威岬から大陸へ旅立った。義経を追って神威岬にたどり着いたチャレンカは、義経が既に出発した後であることを知り、悲しみに暮れて海に身を投げた。チャレンカの嫉妬により、和人の女性を乗せた船が神威岬沖を通ると転覆するという言い伝えが生まれ、かつて神威岬は女人禁制の地とされていた。

 島武意(しまむい)海岸も見学する予定でしたが、飛行機の時間も迫っていますので、積丹町はスルーし、余市に向かいます。余市に入る手前、旧豊浜隧道の脇、ローソク岩を望み、かつてニシンの千石(せんごく)場所であった豊浜の海辺に、ソーラン節発祥の地碑が立っています。ニシンの千石場所とは、ニシンが大量に取れた魚場を言い、小樽や増毛にもあったそうです。ここから一つトンネルを抜けた先の海岸には、えびす岩と大黒岩があります。

 余市の市街に入り、若干時間がありますので、旧余市福原漁場(ぎょば)を見学します。ここは江戸時代から明治時代にかけて福原家が経営したニシン漁場の建築群で、主屋(親方家族と漁夫が生活)を中心に,文書庫、石倉(ニシン粕、ミガキニシン等の製品保管)、米味噌倉、網倉、ヤナ場(ミガキニシンを干す場所)等が展示、公開されています。今はその面影さえもありませんが、かつて松前から稚内まで700㎞にわたりニシン街道があったということが、この施設から実感できますね。これで今回の旅行は終了し、余市インターから、新千歳空港に向かいます。

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有珠山、洞爺湖、ニセコ

<二日目>

 宿泊は、ホテルはルートインで、東室蘭駅のすぐそばです。部屋の窓からは製鉄所の高炉や白鳥大橋が良く見えます。昨夜ここから室蘭八景の第一番、工場地帯の夜景を撮るはずでしたが、残念なことにすっかり忘れてしまいました。トホホです。.

 今日は、洞爺湖に向かいます。まずは有珠山ロープウエイに乗り、有珠山山頂駅へ。山頂駅に隣接するテラスにはたくさんの椅子が、洞爺湖に向かって設置されています。椅子に座りながら、紫蘇アイスをペロリ。洞爺湖の右側には昭和新山が見えます。逆に反対側には、伊達の市街地や噴火湾が見えます。

 山頂駅から歩いて10分ほど坂道を上ると火口原展望台「USU360」があります。ここからも洞爺湖は眺望できますが、1977年の噴火でできた直径350mの銀沼大火口を間近で見ることができます。火口の左側には、小有珠、有珠新山、大有珠と続く溶岩ドームが聳えています。

 山を下り、温泉街にある洞爺湖ビジターセンター・火山科学館を見学します。ここは噴火を繰り返してきた有珠山の火山活動を、体感装置や実物展示で紹介しています。シアター室では、2000年に起きた有珠山噴火の経過を上映しています。噴火の映像に合わせ椅子も振動しますので、かなり迫力があります。初めて知ったのですが、有珠山は20年から30年に一度噴火しており、そろそろ噴火する時期が迫っています。この町に住む人は、平気なのかな?と思いました。

 昼食は洞爺湖温泉街にあるレストラン「望羊蹄」で頂くことにします。この店は、1946年開店とのことで、店内は当時の面影が残っているように思います。1977年、2000年と、裏手にある有珠山が噴火していますので、良く無事で残ったものと思います。ここでは、ハンバーグ定食とホタテグラタンを頂きました。

 食事後、2000年の有珠山噴火で出来た「金比羅火口」を見に展望台に向かいます。火口には、エメラルドグリーンの水が溜まっています。その火口から真下にある温泉街に向かって泥流が流れたようで、当時のの団地と温泉施設が泥に埋もれたまま、保存されています。ほんのすぐ先は温泉街なので、危機一髪ですね。次回の噴火は、どこで起きるでしょう。本当に怖い地域です!この展望台からは洞爺湖も眺望でき、中島、遠くには羊蹄山が見えます。洞爺湖を見下ろす遠くの山の頂上には、2008年7月サミットが行われたザ・ウィンザーホテル洞爺も見えます。

 温泉街に戻る途中の道に、「西山山麓火口散策路入口」という看板がありましたので、車を降りて散策してみます。西山山麓は70m隆起したとのことで、途中には断層でずれた町道がそのまま保存されています。しばらく進むと、「町道を横断した火口列」という看板がありました。当初は火口が見えたようなのですが、今は草木がうっそうと生えて、残念ながら何も見えません。ここで引き返します。

 洞爺湖からニセコに向かいますが、途中でビュースポットと言われる所、二か所立ち寄ってみます。何カ所かのビュースポットで、洞爺湖を見てきましたが、中島から有珠山、昭和新山まで見渡せる、ここサイロ展望台からが、一番眺めがいいのではないでしょうか。

 洞爺湖のある壮瞥(そうべつ)町を過ぎると、留寿都(るすつ)村に入ります。この村は、童話「赤い靴」の歌詞にある女の子の母親が、ここで開拓者として暮らしていたことから、それに因んだ像があります。近くには、指圧で有名な浪越徳治郎の像もあります。

 次は真狩(まっかり)村を通ります。ここは細川たかしの出身地と言うことで、真狩村交流プラザには細川たかしギャラリーがあります。ギャララーの真ん中に細川たかしの銅像が、それを囲むように関連する写真、衣裳などが展示されています。

 途中、真狩樹木園に立ち寄り、「羊蹄山からの湧き水」を見ていきます。この辺には、観光客は誰もいません。

 ようやくニセコに着きました。時間がありますので有島記念館を見学します。文学者の有島武郎は、ここに不在地主として「有島農場」を所有していました。記念館では、有島武郎の人となり、作品、武郎が所有した農場の足跡が紹介されています。

 最後はオフシーズンのニセコ駅に行ってみます。当然ですが、人影はまばらです。ハロウィーン前と言うことで、駅舎の前には大量のカボチャが野積みになっています。ニセコ駅の西側は、1953年まで旧簡易軌道真狩線狩太駅や軌道の転車台があり、国鉄との貨物積替場所でもあったようです。その縁もあって、ニセコ鉄道遺産群として蒸気機関車「9643」や、引退したニセコエクスプレスを展示しています。時間外のため、残念ながら収蔵車庫の扉は開放されていませんでした。日も傾いてきましたので、今日の宿泊先、ニセコプリンスホテルひらふ亭に向かいます。

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支笏湖、登別温泉、室蘭

<一日目>

 今回は北海道の西側、洞爺湖から積丹半島を回ってみます。まずは飛行場から支笏湖へ。丁度、支笏湖神社例大祭が行われていました。翌日10日の本祭では、神輿は、湖岸から水中に入り、千客万来やヒメマスの豊漁を祈願するようです。神社の正面はすぐ支笏湖です。対岸には恵庭岳が見えます。湖には小ぶりの遊覧船やアクティビティをしている人がいます。

 元々は軽便鉄道の鉄橋であった山線鉄橋を渡り、支笏湖展望台へ向かいます。急な山道の階段を10分ほど登ると、展望台があります。残念ながら展望台の周辺は、木が生い茂っており、眺望は今一つです。

 支笏湖ビジターセンターに立ち寄ります。壁面に貼られた説明書を見ると、ここの水質は全国2位(1位は田沢湖)だそうです。地図の周辺に貼られたポストイットは、熊の目撃情報です。結構出てますね。ビジターセンターには、冬期オリンピックの会場となった恵庭岳のその後の解説や、押すとその鳥の声が流れるボタンなど色々勉強になります。

 次は、登別温泉に向かいます。ここでは、温泉街から500mほど上方にある大湯沼と奥の湯をまず見学します。大湯沼はクッタラ火山の爆裂火口周辺にできた、ひょうたん型の湯の沼で、これは世界的にも珍しいそうです。沼から100mほど離れた場所に、奥の湯がありますが、熱水の噴出がよく見え、煮えたぎる湯釜のように思えます。

 山を下って温泉街のはずれに、地獄谷があります。ここもクッタラ火山の爆裂火口跡です。想像した以上に規模が大きく、見学通路がずっと続いています。通路の一番奥には鉄泉i池という間欠泉があります。最近は静かになっていて、余り活動はしないようです。見学通路の途中に薬師如来の祠があります。これは、かつてここで火薬の原料となる硫黄を取っていた南部藩の家臣が、この堂の下から湧いた温泉で目を洗ったところ、持病の眼病が治ったことで、この祠が建てられたそうです。

 昼食の時間となりました。ガイドブックによれば、2015年にご当地グルメとして「登別閻魔やきそば」が誕生したそうなので、温泉街のはずあるある「温泉市場」でさっそくそれを頂いてみます。若干辛めの味付けで、イカ、ホタテ、エビが入っています。ここは「温泉市場」というだけあって、生簀で、地元の色々な海産物が売られています。毛ガニは一杯8000円くらいだそうです。

 「温泉市場」の隣には閻魔堂があります。定期的に目が光り、からくりが動きます。せっかくですので、夢元もさぎり湯で、温泉に入ってみます。ここの湯は地獄谷と薬師堂の2カ所から引いているそうで、湯船がそれぞれあり、見た目にも泉質が違っています。最後は湯澤神社に参拝し、ここを後にします。

 室蘭は、道の駅「カナスチールみたら室蘭」からスタートします。名前ですが、由来は、カナスチールという室蘭市の企業が命名権を取得したこと、「みたら」という名前は、室蘭市が公募で決定した愛称で、「見たら感動する」「見たら来たくなる」という意味を込めて、だそうです。道の駅に隣接して、絵鞆(えとも)臨海公園が有ます。そこからは、夜景が美しいと言われる白鳥大橋が一望出来ます。次が、海岸沿いに室蘭八景を見ていきます。

 まずは艦首を模した絵鞆岬展望台から、噴火湾を一望(室蘭八景4番)します。遠くには、室蘭八景3番の大黒島が見えます。断崖に沿って狭い道を進むと、鋭く切り立った室蘭八景5番、銀屏風の岩肌が見えてきます。この断崖は、夕日が当たると銀色に輝くようです。道を更に進むと室蘭八景6番、マスイチ浜の外海展望台があります。この地名は、アイヌ語のウミネコの家(マスイ・チセ)に由来します。

 次は測量山展望台に向かいます。そこからの眺望、夜景は室蘭八景2番で、大いに宣伝されていますが、そこまでの道はわかりにくく、狭く、夜来るのはひと苦労と思います。しかしながら、宣伝するだけあって、360度パノラマビューで、市街全域が見えます。確かに夜景はきれいだろうなと思います。

 次は室蘭八景7番の地球岬の絶景です。海の青と灯台の白さのコントラストが美しいことで、室蘭で一番の観光スポットとなっています。施設は高さ100mの絶壁の上にあり、そこからは噴火湾を一望することができます。周囲には視界を遮るものはなく、水平線が続く様子は、地球が丸いことを実感できます。地球岬という名前は、アイヌ語で断崖を意味する「チケプ」に由来。 それが転訛して「チキウ」、そして「地球岬」と呼ばれるようになったとのこと。また、ここは正式にはチキウ岬で、従って灯台の名称も、チキウ岬灯台です。

 最後は、金屏風(室蘭八景5番)と言われる断崖と、トッカリショの奇勝(室蘭八景8番)です。銀屏風は夕日でしたが、金屏風の方は朝日があたると金色に輝くとのことです。トッカリショとはアイヌ語で「アザラシ岩」だそうです。火山で隆起した岩を波が侵食し、彫刻したように見えます。

 今日の宿は、東室蘭のルートインです。一休みした後、知人から紹介された「男車」に行ってみます。店は店主一人で切り盛りしていますので、注文してからでるまで、大分時間がかかります。その間、突出のトウモロコシを頬張ります。お刺身は2人で2人前を注文しましたが、見た目以上にボリュームがあり、トウモロコシとこれでお腹が膨れてきます。お酒は根室の「北の勝」を二杯。最後に、この名物と言われているキンキの煮付けをお願いしました。これまで見たことのないほどの大きさで味も美味しく、ここの一品であることがうなづけます。この店は、雰囲気も料理もとても良いのですが、若干お値段が高めかな。

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釧路

<三日目>

 今日はまず車で30分ほどのところにある釧路湿原展望台に行くことにします。朝方、霧がかかっていたので、景色が見えるかどうか心配でしたがどうやら晴れてきました。屋上からは、展望台の前面に、釧路湿原が一望できます。展望台の中は湿原をイメージした展示ブースとなっています。

 展望台の裏手には、湿原を探勝する2.5㎞ほどの歩道があります。歩道を入ると熊が目撃され早朝夕方通行禁止の立て札がありましす。心配になったので、展望台に戻り、係の人に熊は大丈夫かと聞きました。人が大勢いるので、たぶん大丈夫、と言われましたので、恐る恐る辺りを注意しながら、進むことにします。 20分程木道進むとサテライト展望台があります。一面に釧路湿原を展望できます。ここからの帰り道は木道ではなく、幅の広いバリアフリーの道となっています。

 釧路市内に戻り、昼食とします。老舗の蕎麦屋である、竹老園 東家総本店に行くことにします。1874年、初代は夜啼きそばからの創業で、現在4代目、150年の歴史があるようです。茶蕎麦と鳥なめこ蕎麦を頂きました。食事後、元々の正面に行き、庭園を鑑賞します。

 昼食後、旧太平洋炭礦の炭鉱礦展示館を見学します。入口には、ここで採掘された
6トンの日本一の大塊炭が展示されています。1階はパネルやジオラマで、炭鉱の概要や歴史が説明されています。地下には模擬坑道があり、かつて炭鉱で使用されていた設備が展示されています。炭鉱の地図を見ると、この展示館の下から7㎞先まで坑道が続いています。釧路の海岸の下に、これ程広大な地下空間があったとは、思いもよりませんでした。

 次は、釧路市立博物館を見学します。展示は1階が釧路の自然、2階が釧路の歴史、4階がアイヌの歴史となっています。1階にあるシロナガスクジラの下顎の骨の長さは 6.7m もあります。このクジラの体長は、25m程度と想定されるそうです。ゴールデンカムイの作者の野田サトル氏も取材のためここを訪れたそうで、そのときのサインが展示されています。

 博物館の近くにある春採湖(はるとりこ)に立ち寄ります。ネイチャーセンターを通り過ぎると、ハルトルチャランケチャシ跡がありますので行ってみます。チャシからは春採湖が一望でき、ここにチャシを造った理由が分かります。そばにケークウォークという喫茶店がありましたので、一休みしました。

 喫茶店に、海洋堂フィギア展のパンフレットがありましたので、釧路市立美術館に行き、見学することにします。海洋堂の歴史から始り、これまで制作されたフィギアが数多く展示されていました。

 まだ時間がありますので、釧路川に架かる弊舞橋を渡り、屋内植物園EGGとフィッシャーマンズワーフMOOを覗いてみます。建物の前では、釧路川に沿って、岸壁炉ばたがセットされていましたが、まだ若干早いため、準備中でした。

 飛行場に行く前に、早めの夕食を取ります。スパカツで有名な泉屋総本店に行きます。1階には料理のサンプルが壁一万にあります。レストランは2階です。時間が早いので、客席には人はまばらです。名物のスパカツと、Dセット(ビーフシチュー・エビフライ・カニコロッケ・ドリア/イタリアン・サラダ添え)を頂きました。何れも見た目以上のボリュームです。

 駐車場に戻りますが、高台にある釧路市立美術館の10階は、無料の展望室になっています。釧路の思い出に、立ち寄ってみます。そこからは釧路市の市街地が一望できます。インドネシアのバリ島、フィリピンのマニラ湾とともに世界三大夕日といわれる釧路の美しい夕日(本当かな?)は、残念ながらまだ早い時間でしたので、見ることは出来ませんでした。釧路空港に戻りますが、気温は、22.9度。今から暑い東京に帰ります。

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根室~釧路

<二日目>

 昨日の夕方は快晴でしたが、朝の根室はまた霧です。朝食後ホテル周辺を散歩します。根室市役所は昨年新築されたばかりで、待合室もまだピカピカです。市役所前の広場には、「ここに幸あり」の音楽碑と輸送艦「ねむろ」の主錨が展示されています。根室市の時報やゴミ収集車のメロディは「ここに幸あり」です。その理由は、「ここに幸あり」の作詩者高橋掬太郎と作曲者飯田三郎は何れも根室出身者でした。

 国の天然記念物に指定されている「車石」を見るため、花咲港に向かいます。港には8月10日のサンマ量解禁に向け準備している漁船が多数停泊しています。昨年は、ここの港がダントツで水揚げ日本一でした。9月の下旬にはさんま祭りも開催されます。港からは遠くに霧でかすんだ花咲灯台が見えます。

 丘の上に車で行くと、花咲灯台があります。灯台の下に、車石を見学するための通路があります。通路は岩場の側までありますが、オホーツクの荒波が打ち寄せ、大きな波しぶきとなってこちらに向かってきます。ロープの内側にいるのですが恐怖を感じ、スリル満点です。車石は海の反対側にあります。マグマが固まった放射状の柱状節理です。

 次は根室半島の付け根にある落石(おちいし)岬に向かいます。駐車場からは、アカエゾマツなどの樹林帯と湿原の中を20分程歩きます。森林内の湿地はサカイツツジの自生南限(開花は6月で既に終了)で、国の天然記念物に指定されています。途中に、落石無線電信局の建物と碑があります。1908~1959年まで運営されていたようです。岬の端には落石岬灯台があり、これも日本の灯台50選(今回では納沙布、花咲)に入っています。下を覗くと太平洋の荒波が海岸に打ち付けています。

 根室に戻ります。お昼は「根室花まる根室店」で頂くことにします。東京にも、支店が10軒ほどありますが、入ったことはありません。「今日はホタテが入荷せず冷凍物です」と、店の人が言っています。あとは、生なんですね。たらばガニや活ツブ、イワシ、マグロ等のお鮨と風蓮湖のちかフライを頂きました。大きなお店ですが、お昼近くなると、待つ人が増えてきます。人気があるんですね。

 昼食後、根室金刀比羅神社を参拝します。この神社は、1806年に、北洋漁業の開拓者高田屋嘉兵衛が、漁場の守護神 として金刀比羅大神をお祀りしたのが初めです。駐車場側の鳥居を通り東門を抜けると、夏限定の風鈴小道(こみち)と名付けたゲートがあります。戦前、千島列島には69社の神社が存在していたそうで、ここの神社では、島民が奉遷した11社の御神体をお預かりしています。記念に本土最東のご朱印を頂きました。

 参道の脇には展望台があり、そこからは根室湾が一望できます。その先に、あじさいの小道がありますが、本土でのあじさいは盛りを過ぎていますが、ここではまだ走りです。また、ここの参道には豊漁・海上安全を願い、沢山の大漁旗が掲げられています。境内のお祭り史料館にある御神輿は1935年製で1.5トンもあるそうです。

 次は明治公園にある巨大サイロを見に行きます。芝生広場の中央に立ち、高さは15m、直径は6mのレンガ造りのサイロです。日本で二番目に古いそうで、一番目は北海道大学にあるそうです。いよいよ根室市街を離れますが、街の西端にある、旧根室国後間海底電信線陸揚施設を見学します。あいにく、全体を透明な特殊ガラス覆う保存工事が行われていました。この施設は、根室と国後島を結ぶ海底ケーブルの陸揚げ施設でした。

 次は根室湾と風蓮湖の間にある長さ8㎞、幅1.3㎞の巨大な砂州、春国岱(しゅんくにたい)に行きます。ここはラムサール条約の登録湿地で、春国岱原生野鳥公園で木道も整備されています。動植物の宝庫だそうですが、現在は、ヒグマが出現しているためか、閉鎖されています。

 最後は、春国岱の対岸にある道の駅「スワン44ねむろ」で休憩します。道の駅には双眼鏡が設置され、ガラス越しに対岸の春国岱の野鳥が観察できます。10月中旬には、数千羽のオオハクチョウが飛来し、春と秋にはシギやチドリの仲間が渡ってくるなど、風蓮湖は一年を通じて野鳥で賑わっているようです。

 風蓮湖からは、2時間弱で釧路に到着します。釧路も霧がかかっています。夕食は、海産物は少し飽きてきましたので、イタリアンということで、ネットで「TAKKE」を予約します。食材が何れも地元産で、食器にもこだわっており、味も良いのですが、若干ボリュームが不足している感じがしました。

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根室

<一日目>

 暑い日が続きます。今回は北海道の、根室、釧路に行ってみます。釧路空港は、霧雨、気温は22度です。レンタカーを借り、一路根室に向かいます。2時間ほど走り、根室に着く頃は、お昼時です。入ろうとしていたお寿司屋さんが臨時休業でしたので、近くの喫茶ドリアンで、根室のご当地グルメのエスカロップとオリエンタルライスを頂きます。エスカロップは、刻んだタケノコの入ったバターライスの上にかつがのったもの、オリエンタルライスはドライカレーの上に焼いたハラミ肉がのったものです。北海道の名物料理は、かつやお肉が、スパゲッティやチャーハンにのったものが多い気がします。

 昼食後は、納沙布岬に向かいます。途中、観光スポットに立ち寄って行きます。最初は、牧の内の文化遺産にあるノツカマフチャシ跡に行きます。この一帯には、かつて旧海軍の飛行場があったようです。チャシは、アイヌが16世紀から18世紀にかけて根室半島を中心に北海道の各地に築造していた城でが、石の構築物ではないので、今は、盛土があるだけです。チャシのある海岸に向かいますが、熊が出そうで、ドキドキしながら進みます。道が開けた先に、ノツカマフチャシ1号チャシが見えます。濃霧が無ければ、ここから択捉島や歯舞諸島が見えるのですが。

 次は、北方原生花園(かえん)です。75haの花園は今が満開の時期で、高山植物なので地味ですが一面に咲いています。遠くに見えるミズナラの林は、強風で地をはうような独特の形をしています。

 最後は、日本百名城の一つに指定されている、オンネモトチャシ跡です。温根元湾の西岸に突出した岬の上に2ヶ所盛土し、濠で区画されています。海からはお供え餅のように見えるようです。道の途中にオーロラタワーという96mの展望台がありますが、霧で全体が霞んでいます。この辺りでは運営できないようで、今は廃墟となっています。

 本州最東端の駄目だ納沙布岬に到着。相変わらずの濃霧で、残念ながら北方領土は見えません。岬には、希望の鐘や希望の道、四島のかけ橋等返還を願うモニュメントが数多くあります。根室市北方資料館で、本土最東端到達証明書を頂きました。昨年稚内で最北端到達証明書を頂いています。ちなみに最西端は長崎、最南端は鹿児島で頂けます。

 10分程歩いて納沙布岬灯台に向かいます。この灯台も日本本土の最東端の地に位置し、また、「日本の灯台50選」にも選ばれています。岬の先の水道は暗礁や浅瀬が多く、航海の難所として恐れられていたそうです。灯台の下を覗くと、波は大荒れでそれはうなずけます。

 根室駅に戻る途中に、歯舞神社がありましたので、参拝していきます。根室半島では、神主さんが常駐する神社は、市内の金比羅神社だけですので、ここも無人です。

 根室駅に戻ります。それまで最東端だった東根室駅が廃止となりましたので、この駅が、正真正銘の最東端の駅になりました。待合室には20人程の乗客が根室線の到着を待っています。今日は2時間ほどの遅れがあるようで、札幌に向かう人は、戻ることが出来ないため、対応を考えています。駅そばのスーパを覗くと、花咲ガニが売られています。一杯800円です。

 今日はホテルで紹介してもらった居酒屋「壱炉」にきます。根室といえば花咲ガニですが、突出しやカニクリームコロッケにカニの身が多く入っている上に、オススメの「甲羅詰め」にはむき身がぎゅうぎゅうに入っています。これで1200円!ここでしか食べられませんね。あとは、干し柳かれいと、幻の魚といわれる八角もお願いしました。いずれも身は大きく味は最高です。値段も良心的で、大満足の食事でした。店のすぐ外は根室湾で、まだ日暮れ前ですので、朝方の霧も晴れ、防波堤の先に穏やかな海が見えます。

 ホテルに戻ったのは7時です。まだ外は明るいままです。部屋の窓からは根室湾がよく見えます。