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ジェノバ

<四日目>

 今日はトリノ発ナポリ行きのバスに乗り、ジェノヴァで途中下車します。約2時間の行程です。ちなみにナポリまでは12時間!です。他の方のブログでは、トリノ・ジェノバ間の道は、かなりの山道で、カーブがきついとありましたので、酔い止めの薬を飲みました。しかし、実際は日本と同じように平坦な高速道路で、これは全くの杞憂でした。ジェノバのバス停到着後、地下鉄に乗り、ブリニョーレ駅で降りると、今日の宿泊先のスターホテルズジェノバが見えます。

 チェックイン後、街の中心地であるフェラーリ広場に向かいます。主立った観光名所はこの周辺にあります。観光案内所で24時間のシティパスを購入した後、観光案内所の目の前にある赤の宮殿を見学します。ここはもともとは貴族の館で、1874年に、この邸宅とコレクションが市に寄贈されています。館内は、絵画が多数展示されています。美術館ですね。

 ジェノバに着いて時間も立ち、お昼時ともなりましたので、そばのピッツェリアで昼食をとることとします。ピザと飲み物とエクスプレッソのセットです。ピザは香ばしく美味しかったのですが、何せボリュームが多く、半分しか食べられませんでした。

 天気予報では、明日は雨となっていますので、今日のうちに景色を見ておきたいと思います。ブログではジェノバで一番眺望の良い所というダルベルティス城に向かいます。そこは、ダルベルティスという船の船長が世界中で集めた品々を展示しており、現在は世界文化博物館となっています。地下道脇のバス停から10分程で到着します。城のベランダからの眺めは、確かに港町横浜や神戸のようです。天気も良いのでジェノバ湾まで見渡せます。

 次は城のある高台から下り、海岸に向かいます。マリーナのある旧港をしばらく歩くと、海洋博物館が見えてきます。ここでは15世紀末以降のジェノヴァ港の歴史や、過去から現在までの船の精巧な模型等が数多く展示されています。 1672年に作られたガレー船の実物大の復元模型もあり、内部に乗船できます。屋外には、実際の潜水艦も展示され、中に入って見学できます。博物館の屋上のテラスからは、先ほどまで居たダルベルティス城や山がちな斜面に建つ住宅が眺望できます。見るからに坂がきついので、住人の往来は大変だろうなと思います。

 博物館を見学した後、しばらく旧港を散策します。ジョニーディップの主演したパイレーツオブカリビアンで使われたという船やヨーロッパ最大級と言われるジェノヴァ水族館があります。港の反対側には首都高のような高速道路が見えますが、これがジェノバの街の景観を壊したと言われているそうですが、確かにそう感じます。東京の日本橋と同じように、地下化が必要ですね。帰り際カルフールで夕食を買い、今日は、ホテルの部屋でのんびりします。

<五日目>

 天気予報ではこれから雨が降るようです。ホテルから、フェラーリ広場に続くⅩⅩセッテンブレ通りを歩いて行きます。右側にオリエンターレ市場がありますので、覗いてみます。市場の中にはフードコートがあり、そこにはコイン式のワインの自動販売機がありました。越後湯沢の日本酒の自動販売機と同じですね。

 通りの左側には、城壁の上の住宅地に行くエレベーターがあります。有料ですが、シティーパスを持っていますので、乗って上に行ってみます。港町はどこも坂道が多いですが、ジェノヴァには、エレベーターやケーブルカーがたくさんあるようです。

 今日は復元されたコロンブスのすごした家を見学に来たのですが、開館時間は10時からで、若干時間があります。ソプラーナ門をくぐり、ジェズ教会とサン・ロレンツォ教会を見学します。中はいずれも荘厳ですが、ミサの最中でしたので、写真は撮りませんでした。後日、撮りたいと思います。サン・ロレンツォ教会の柱には、地元の人が犬に見える模様がある、と言うことなので、探してみました。場所がなかなかわかりませんでしたので、AIに場所を聞いて見つけることができました。

 コロンブスの家は、コロンブスが少年時代を過ごしたこの場所に、18世紀に再建されたそうです。2階建てのこぢんまりとした家で、室内に何かあるというものではないです。この家の隣には、1905年に解体されたセント・アンドリュー教会の回廊の柱が残っています。

 次は王宮を目指します。予報通り雨が強くなってきましたので、海岸沿いのポルティコ(アーケード)を進みます。港町ですので、通りには魚屋が何軒もありました。ここの王宮 ですが、本当の王宮ではなく、もともとは貴族の大邸宅です。サヴォイア家の住まいとなったため王宮と呼ばれているようです。トリノの王宮と比べようがありません。

 昼食時となりましたので、今日はネットで一番人気の「カブール21」でジェノベーゼにトライしたいと思います。開店は12時ですが15分前に行くと、我々が一番乗りでした。お昼頃になると50人ぐらいの人で店の前はごった返してきます。時間になると小柄なおばさんが出てきて、予約者の名前を大声で叫びます。15組程呼んだ後、来た順番に中に入れてくれます。ここでは本場ジェノベーゼと魚介のフライを頂きました。噂に違わずおいしい料理でした。日本人のブログで、毎日ここに来た、というのもありましたが、うなづけます。

 雨はますます強くなります。Villetta Di Negro公園(日本庭園)の頂きにあるという「キヨッソーネ東洋美術館」に向かいます。 Googleを見ても、場所は近いのですがなかなか見つかりません。何度かトライするうち、ようやく美術館にたどり着きました。美術館の中には、明治時代に、画家であるキヨッソーネが日本に滞在した時に集めたコレクションが、多数展示されています。異国で日本文化に触れると、本当に懐かしい気がします。

 フェラーリ広場に戻ってきました。ジェノバのオペラ座の見学をしようと思いましたが、今日はやっていないとのこと。残念!オペラ座の入り口の前には、この地で生まれたパガニーニの像がありました。

 雨なので、オペラ座の隣にあるドゥカーレ宮殿に入ってみます。ドゥカーレ宮とは「総督の宮殿」を意味します。現在は、この建築そのものの鑑賞以外に、議会、展覧会、講演会などが行われる多目的文化会場として使用されています。カフェやレストランや各種ショップも有ります。雨がますますひどくなってきましたので、今日はこれでホテルに戻ります。

<六日目>

 今日は、AIによるおすすめ観光ポイントの、ジェノバ灯台とその博物館に行ってみます。雨は若干ぱらついていますが、これから晴れてくるようです。歩いて向かおうと思っていましたが、途中の道は工事中で通行できないとのこと。博物館のバスで送迎しているようです。バスを降りると目の前に灯台が迫ってきます。灯台下にある博物館は、昨夜の雨で、床が水浸しになっています。

 ジェノバの灯台は1543年に建設され、世界で4番目に古い灯台です。76メートルの高さを誇るこの灯台は、40メートルの岩の上に立っており、それも入れた高さは世界で2番目になるようです。そのため、数キロ離れたところからでも見ることができる重要なランドマークとなっています。実際に上ることが出来るのは、途中の展望台までですが、それでもビルの4階になります。展望台からは、ジェノバ湾が見渡せますが、海岸沿いにコンテナが多数置かれており、ここがイタリアの重要な物流基地であるというのが実感できます。

 48時間のシティーパスの時間が迫っていますので、ジェノバの観光パンフレットに出ている展望台に行きたいと思います。途中、何げなくサンティッシマ アヌンツィアータ教会に入ってみました。天井画も、太くて立派な柱も本当に見事でした。外に出ると、入口の脇にティモシー・シュマルツ作の「When I Was Hungry and Thirsty」のブロンズ像があります。イエスが地面に座り、穴の開いた手を差し出して、食べ物と水を乞う姿は、はっとさせる程迫力があります。

 途中のパン屋のショーウィンドーを覗くと、羊の形をしたアニェッロ・バスクアーレというマジパンが並べられています。どこのパン屋さんにもありましたが、復活祭の頃に食べられる伝統的な食べ物のようです。(今にして思えば、食べてみたかった!)さて、展望台へはエレベーターがあるはずですが、どこを探しても見つかりません。やむなく急な階段を15分ほど登って行きます。展望は確かに素晴らしかったのですが、これまで何回も見ていますので、それほど感動ありません。た展望台の脇に、20~30人乗れるエレベーターがあります。それに乗って下に降りると、展望台の入り口は何とトンネルの中。これでは見つかるはずもありません。

 ついでに近くから出ているケーブルカーにも乗ってみることにします。上の終点まで行っても、特段に景色が見えませんでしたので、すぐに引き返してきました。

 お昼時となりました。今日は日曜日なので、レストランなどは休みのところが多いので、ホテル近くのオリエンターレ市場のフードコートに行きます。システムは日本と同じで、注文後、出来上がったときに手元のブザーが鳴る仕組みです。ベアーアンドグリルというハンバーガー屋でトリュフの入ったハンバーグを注文しました。ハンバーガーは見た目以上に大きく、かなりお腹がいっぱいになりました。食後は、ホテルに戻ります。

 空も晴れてきましたので、ジェノバ湾を見に行くことにします。ホテルの前の道をまっすぐ海側に進むと、15分ほどで到着しました。明日は、チンクエッテレに行きますので、この天気が続くことを祈ります。ホテルに帰る途中フォッカチェリアによって、今日の夕食のフォッカチェリを買って帰りました。

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トリノ

<一日目>

 今回は12日間の予定で、トリノ→ジェノバ→ミラノと北イタリアを巡りたいと思います。羽田を8時半に出て、ミラノのマルペンサ空港には18時半(日本時間の翌日2時半)着き、空港からはバスでトリノに向かいます。バス停の掲示板に予約したバスの表示がなかったので、本当にバスが来るのかとても心配になりましたが、ほどなく定刻にバス乗ることができました。トリノのバス停からトラム9号線に乗り、ポルタ・ヌオーヴァ駅前で降りると、そこからは今日の宿泊先のスターホテルズが見え、ようやくひと安心です。時刻は22時(日本時間翌日6時)で、家を5時頃出ていますので、丸1日の行程でした。

<二日目>

 今日の朝は、ポルタ・ヌオーヴァ駅に行って、予約した切符の変更ができないか、チャレンジしてみます。写真にあるように(はっきり見えませんが)入力は3月18日なのですが、発行された切符は3月19日になっています。日本で購入する場合、イタリア国鉄のシステムでよく起こるエラーらしいです。ホテルから外に出ると、若干、霧がかかっています。駅の窓口に行ってシステムのエラーだから交換して欲しい旨強く主張しましたが、変更できない切符だからできないの一点張りで、交換には応じてもらえませんでした。残念ながら€37の損害です。 

 トリノ観光の前に、駅前の観光案内所でシティパスを買おうと思いましたが、そこでは販売してないとのこと。王宮前のカステッロ広場に有る観光案内所で販売しているということなので、そこからローマ通りを歩いて観光案内所に向かいます。

 シティパスを購入しましたが、今日は王宮は休館ということなので、エジプト博物館に向かいます。トリノの観光地は中心部に固まっていますので、基本的にどこも歩いて行けます。ここのエジプト博物館はサヴォイア家の古代エジプトコレクションを元に創立されたもので、ヨーロッパで最も優れたエジプトコレクションとして有名です。棺や埋葬物など数多く展示されています。エジプトから持ってこれるものを根こそぎ持ってきているような感じがして、この行為は許されるのか、という感じもします。

 次は、奇妙な形をした塔のあるモーレ・アントネッリアーナに行きます。高さが揃っているトリノの町並みの中で、167.5mのこの塔は非常に目立ちます。塔の上の展望台へはパノラマエレベーターで登るのですが、四方はガラス張りで、下もよく見えるので、非常に怖い感じがします。展望台からは、トリノの平べったい街並みが見え、遠くにはアルプスも見えます。

 同じ建物の中に、国立映画博物館がありますので、そこも見学します。映画の歴史や撮影技術、映画のポスターや使われていた物品などを見ながら散歩できるようになっています。マリリンモンローの靴や衣装も展示されていました。

 昼食は近くのラヴィオリハウスでラビオリとワインをいただきました。この店は、トリノ生まれで、チェーン展開しているようです。下の写真は、トリノの店を撮り忘れたので、ジェノバの店を載せています。

 昼食後はバスに乗り、リンゴット地区に向かいます。はじめは、フィアット創業者らの手によって作られた自動車博物館を見学します。展示は、クラシックカーやスーパーカー、車体の構造やこの地区の生産体制の歴史などイタリア語がわからなくても理解でき、楽しめる博物館となっています。特にクラシックカーについては、触ることについて制限もないので、実際に座席に座ることもできました。

 次は、フィアットの旧リンゴット工場を再開発したショッピングセンターリンゴットに行ってみます。この工場は、1923年5月竣工した地上5階建・全長500mの工場で、1フロアでの工程が終わるごとに上階に移動させ、最後に総延長約1キロメートルの屋上テストコースで走行試験を行ったあとスロープで搬出するという、世界的にもユニークな自動車工場でした。ここは1982年に操業終了し、現在、その屋上は、「ラ・ピスタ・チンクエチェント(500コース)」となって、有料で開放されています。夕方になりましたので、今日のトリノ観光はここで終了とします。

<三日目>

 今日の観光は、王宮からスタートしますが、そこに行く前に、王宮の西側にある「ポルタ・パラッツォ」と呼ばれる市場をのぞいてみます。ここはヨーロッパ最大の青空市場といわれ、メインの野菜、果物、肉や魚などの生鮮食品に加え、洋服やバッグなどの衣料品、生活に欠かせない日用雑貨まで700程度の屋台が並んでいます。市場と王宮の間には、ローマ時代の遺跡であるパラティーナ門があり、その前にはシーザーの像が立っています。

 いよいよ王宮に入ります。ここはサヴォイア王家の公式宮殿として、1865年まで使用されていました。玄関広間から階上に向かう「はさみの階段」は、天井画と一体になったバロック空間が広がっています。大広間を中心として、王宮武器庫や聖骸布の礼拝堂、サバウダ美術館を順に巡ります。じっくり見学すると、時間がいくらあっても足りません。

 王宮のあとは、高さ約18メートルの広々とした空間のGalleria Subalpinaに行き、その左側にあるトリノで最も有名な喫茶店「バラッティ&ミラノ」に入ってみます。大きな窓からは、ガレリアがよく見えます。カプチーノとビチェリン(トリノ名物、ホット・チョコレート+エスプレッソ+生クリームの3層の混合飲料)、カンノロ・ザバイオーネ(イタリアのペストリー)を頂きました。

 喫茶店を出て、カリニャーノ宮殿にあるイタリア統一博物館を見学します。ここには、フランス革命からナポレオン時代、ウィーン体制から第一次世界大戦に至るまでのイタリア史を語る資料や、遺品、武器、芸術作品などが展示されています。イタリア統一後、首都はトリノ(1861年)、フィレンツェ(1865年)、ローマ(1871年)と変遷していますが、首都であった期間の国会はここにありました。

 見学の最後は、アーマダ宮殿にある市立古典美術館です。もともと古代ローマの砦であったものを改造していますので、西側と東側では趣が全く異なります。ここの美術館の塔の上には登ることができ、王宮前の広場やトリノの市街がよく見えます。運の良いことに、この日はフェルメールの「青衣の女」が、アムステルダム国立美術館から来ており、じっくり鑑賞出来ました。

 主立った観光地はだいたい行きましたので、中心部からバスで、郊外のCONADというスーパーマーケットに行ってみます。日本のイオンやヨーカドーみたいなスーパーのようです。そこでお土産用や自宅用の食料品を買ってみました。

 トリノの最後の夕食は、「地球の歩き方」に出ている「イル・ヴィーコロ」に行ってみます。時間がありましたので、その前に、ポー川に行ってみます。夜のポー川は、昼に比べかなり美しく見えますね。店では、リゾット2種類、カツレツ、野菜サラダを頼みましたが、リゾット二皿は我々には多いので一皿で十分といわれ、更に取分け皿も出してくれました。この対応はヨーロッパでは初めての体験ですが、地球の歩き方に出ていることもあり、この店には日本人がよく来るのでしょうか。

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法隆寺、中宮寺、法輪寺、法起寺

<三日目>

 最終日の今日は、法隆寺を中心に、斑鳩エリアをまわりたいと思います。JR大和路線の法隆寺駅で降り、駅前のコーヒーショップ「ゲーブル」で、さっそく自転車を借ります。10分ほどで法隆寺参道に到着しますので、南大門の脇に駐輪します。南大門の下をくぐると、正面には中門、その奥に五重塔や金堂を中心とする西院伽藍が見え、です。

 中門左にある入口から、西院伽藍に入ります。西院伽藍にある建物は、飛鳥、奈良、平安時代に建てられたもので、すべて国宝です。金堂は、法隆寺で最初に建立された建物です。屋根を支える支柱には、登り龍や下り龍が取り付けられていますが、これは江戸時代の大修理の際に付けられたものです。五重塔は日本最古の五重塔で、舎利を安置するための建物です。最下層の屋根と裳階(もこし)の間には、歯を食い縛って建物を支えている邪気が置かれています。僧侶が仏道を学び法要を行う施設である大講堂は、一度は落雷で焼失していますが、再建、と言っても平安時代の990年にされたものです。西院伽藍を囲む回廊自体も、国宝です。

 西院伽藍を出て、その西側にある西円堂(さいえんどう)に向かいます。途中には国宝の三経院・西室(僧が生活をするための僧坊)があります。西円堂は、夢殿と同じ八角円堂形式で、中には国宝の薬師如来像が収められています。また西円堂は、境内の小高い所にあるため、そこからは西院伽藍が一望出来ます。西円堂の脇に、時の鐘として使われている鐘楼があります。訪れた時、丁度、鐘が突かれていました。この音を聞いて、正岡子規はあの有名な俳句を考えたのでしょうか。

 次は、国宝の聖霊院・東室(西室と同じく僧坊)を過ぎ、西院伽藍の東側にある大宝蔵院に向かいます。ここには、百済観音像が安置されている百済観音堂を中心に、東西に宝蔵が置かれ、法隆寺に伝来する数々の名宝が展示・保管されています。大宝蔵院を見学した後、西院と東院の境に建っている東大門(中ノ門)をくぐり、東院伽藍に入り、夢殿に向かいます。

 東院四脚門は東院の東側の出入口です。そこを出て、東院廻廊をくぐると、正面に夢殿が現われ、甍の上には見事な宝珠が輝いています。ここは聖徳太子の斑鳩の宮の跡で、太子信仰の聖地です。東院廻廊のそばには、袴腰(はかまごし)と呼ばれる形式の東院鐘楼があります。

 法隆寺の隣には、中宮寺があります。ここは、聖徳太子の母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の祈願で創建された寺で、日本最古の尼寺です。1968年に建てられた本堂には、アルカイックスマイルと呼ばれる穏やかな笑顔をたたえた国宝の菩薩半跏思惟像が本尊として安置されており、間近で見ることが出来ます。

 ここからは法隆寺地区を離れ、斑鳩を自転車で巡ります。最初は、斑鳩神社です。ここは平安時代に法隆寺別当が、自身が菅原氏の子孫であるとして菅原道真を祀ったといわれて、境内には牛の像が鎮座しています。旧法隆寺村の産土神として信仰されているようです。

 次は法輪寺です。ここの創建は飛鳥時代に遡り、聖徳太子の長子である山背大兄王が、聖徳太子の病気平癒を願って建立したと伝えられています。かつて国宝であった三重塔は落雷で消失しましたが、1975年に創建当初の様式で再健されています。講堂は本来は僧が勉強するための建物ですが、1960年に耐火・耐震の収蔵庫として改築されています。その講堂で、保管、保存されている仏像を見学します。

 斑鳩エリアは、お寺が点在していますので、観光用にサイクルロードは整備されています。今の季節、2月は若干寒いのですが、サイクリングには最適のような気がします。法起寺には、5分程で到着です。この寺も法輪寺と同じように聖徳太子の子である山背大兄王が創建しています。ここの三重塔は706年頃の当初の姿を残しており、日本最古のもので、当然国宝指定されています。

 昼食時となりました。サイクリングロードを、法隆寺と反対の方向に進み、「大和路うどんわらじや」に入ります。にぎり盛り定食とさば押し寿司定食を頂きました。

 昼食後、まだ時間がありましたので、法隆寺とは反対側、龍田川に向かいます。途中、藤ノ木古墳、藤ノ木古墳に関する展示が見られる斑鳩文化財センターに立ち寄ります。藤ノ木古墳は6世紀後半に作られた50mの円墳です。未盗掘の石棺からは、二体の被葬者と世界でも類を見ない豪華な馬具や副葬品が出土しています。それらはセンター内で展示されています。センターの外には、朱色に塗られた藤ノ木古墳石棺の実物大レプリカがありました。

 百人一首、在原業平の歌った「ちはやぶる」の龍田川が、近くを流れていますので、せっかくですので行ってみます。途中に、龍田神社があります。この神社は、社伝では、聖徳太子が法隆寺を建立した際、その鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したというのが始まりのようです。文化財センターから、15分程で竜田川の川べりに到着しました。紅葉の名所らしいのですが、川は両岸とも改修されていて、想像していたイメージとはかなり違っていました。時間も大分押してきましたので、奈良駅に戻りたいと思います。

 奈良の最後に、葛といえば吉野葛。天極堂のJR奈良駅前店で、プルンとした本葛の弾力と透明感がある作りたてでしか味わえない葛もちを頂きました。本店は混んでいるようですが、ここはそうでもありません。今回の旅行はここで終了です。

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郡山城、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡

<二日目>

 今日は奈良の西の京(右京)を巡りたいと思います。その前に、NHK大河の豊臣秀長で話題になっている大和郡山城訪ねてみたいと思います。近鉄郡山駅で降り、歩くこと10分、目の前に郡山城の堀が見えてきます。やはり秀長の幟が立っていました。堀に架かっている竹林橋址を渡り、竹林門跡を過ぎると、すぐ本丸ですが、そこには初代郡山藩主・柳沢吉里の父であり、5代将軍・徳川綱吉に重宝された側用人の柳澤吉保を祀っている柳澤神社が鎮座しています。

 さっそく天守台に上り、周辺を眺めてみます。ここからは東大寺の屋根が見えるとのことでしたが、今は見えません。但し、薬師寺の二本の三重塔は見えます。一帯は現在、郡山城跡公園として、急ピッチで整備しているようです。

 次は再び近鉄橿原線に乗り、西ノ京駅で降り、薬師寺に向かいます。5分程で興楽門に到着します。そこから境内に入り、御朱印受付や売店のある東僧坊を抜けると、目の前に大講堂と金堂が現れます。いずれの建物も再建された建物ですが、中にある仏像は国宝揃いです。

 境内の南側には西塔と東棟が建っています。裳階(もこし)を付けているため、いずれも六重の塔に見えますが、三重の塔です。西塔は再建された塔ですが、東棟は薬師寺創建当初から唯一現存する塔で、平城京としての最古の構造物とされ、国宝となっています。周囲の回廊も再建されたものです。中門から一旦外に出て、回廊に沿って進むと、東院堂がありますが、これは鎌倉時代に再建されたもので、やはり国宝になっています。

 先ほど入った興楽門から出て道を渡り、薬師寺の北の境内に入ります。そこには西遊記のモデルそして有名な玄奘三蔵の遺骨を祀っているという玄奘三蔵院があります。今日は公開日では無いので、礼門から見るだけです。

 次は唐招提寺に向かいます。この辺一帯は、かつては平城京の中(右京)でしたが、今は全くの田園地帯で、その面影は有りません。ちなみに東大寺や興福寺は左京の一番東側です。徒歩10分ほどで到着です。南大門から入ると正面に教科書にもある有名な金堂が鎮座しています。建物も国宝ですが、堂内で祀られている千手観音菩薩立像をはじめ9体の仏像が国宝です。国宝の経蔵、宝蔵の前を横切り、境内北東の奥にある鑑真和上の墓所(開山御廟)に向かいます。途中の林の苔は、一面絨毯のような美しさでした。

 開山御廟は、緑深い木立の中にあります。鑑真和上が亡くなってから1250年たちますが、参拝する人は途絶えないそうです。和上の姿を写した「御身代わり像」が、開山堂に祀られていますので、参拝します。最後は、正式な僧となるための授戒の儀式を行っていた戒壇に行きます。今は、基壇のみが残るだけです。

 昼時となりましたが、周囲には食事の出来そうなところが無いので、平城宮跡に向かって歩くことにします。15分程歩くと、平城宮跡近くに「花惣奈良本店」が有りましたので入ります。炊き込みご飯定食と和定食を頂きました。

 食後はいよいよ平城宮跡に入ります。徒歩で5分ほどです。入口には、迫力ある復元遣唐使船が置かれています。なにせ平城宮跡はとても広い(130ha)ので、自転車での見学が必須です。天平みはらし館で、借りることにします。見学は朱雀門からスタート。朱雀門からは、遠くに大極門、東楼(ほぼ完成)、西楼(復元中)からなる南門が小さく見えます。

 平城宮跡内を通過する近鉄奈良線を超えて、南門に向かいます。自転車でも5分くらいかかります。南門は現在工事中のため、中には入れませんが、大極門の向こうには、第一次大極殿(平城京遷都710年~恭仁京遷都740年の間使用)が見えます。自転車で向かいます。大極殿は天皇の即位式や重要な国家儀式で使われていた施設で、周囲は、かつては回廊で囲まれていました。内部には天皇が着座するための高御座も展示されています。

 第一次大極殿の東側には、第二次大極殿(平城京再遷都745年~長岡京遷都784年の間使用)の遺構が広がっています。第二次大極殿は第一次大極殿と異なり、復元せずに、遺構として保存していくようです。第二次大極殿の北側は内裏だったようです。

 第二次大極殿の東側に遺構展示館があります。奈良時代の役所の建物跡である遺構を、発見当時の状態で保存・展示しています。この遺構からは他の役所ではあまり用いられないレンガが多数出土したことから、特別の役所(太政官?)が存在したのではないかという説もあるようです。

 内裏と遺構展示館の間に、天皇家のための役所である推定宮内省があります。役所では、土間に机と椅子を置き執務したと考えらるそうです。机は正倉院宝物の復元品とのこと。推定宮内省のそばで、井戸跡が発見され、当時に近い状態で復元展示されています。

 平城宮の東に張り出した部分を東院といい、その南東隅に大きな庭園の遺跡が発見されています。これを復元したものが、東院庭園です。これは迎賓館の役割を担い、宴会や儀式が催されていたようです。

 平城宮跡の見学の最後は、平城宮跡資料館に立ち寄ります。ここでは、宮殿内部の様子から役所の仕事まで、わかりやすく展示しています。役所の出土品の中で興味を引いたのは、小刀で、木簡を削って修正するためのもので、現在の消しゴムですね。平城宮内の寝室や書斎、居間も再現されていますが、貴族の生活は、現在とあまり変わりがないような感じがしました。戻る途中、丁度、近鉄奈良線の電車がやってきました。遺跡の中を、電車が走っているのは、何か変な感じがします。

 バスでJR奈良駅に戻る途中、朱雀大路に、平城宮いざない館がありますので、見学してみます。この施設は奈良時代の平城宮を体感するための施設らしいですが、遺構展示館や平城宮跡資料館など、 似たような施設がここには三箇所もあり、それも皆無料で、予算のかけ過ぎのような気がします。平城宮いざない館の正面には、明治時代から大正時代にかけて、平城宮の保存活動を行った棚田嘉十郎を顕彰する銅像があります。

 今晩の夕食は、当初の予定通りJR奈良駅ホーム下の「奈良のうまいものプラザ」の農園直送レストラン「古都華」で頂くことにします。奈良の銘柄牛「大和牛」のハンバーグとたっぷりの地元野菜、奈良のお米「ヒノヒカリ」のごはんのセットです。添えられている野菜は超ボリュームが有ります。それと、法隆寺をイメージして造られたという純米大吟醸「斑鳩の里(千代酒造、御所市)」。奈良づくしです!

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興福寺、春日大社、東大寺

<一日目>

 今回は25年ぶりの奈良です。久しぶりなので、有名所を一回りします。初日は奈良公園周辺です。 JR奈良駅の前には、現在は観光案内所となっているJR奈良駅旧駅舎がありますが、そこからスタートします。そばにある平城宮大極殿跡案内道標を、横目に、三条通を東に、猿沢池まで進みます。そこからは高台にある興福寺の、現在修復中の五重塔がよく見えます。

 三条通りからは、興福寺の三重塔の脇の南円堂参道を登り、境内に入ります。興福寺は藤原不比等により710年に創建されています。参道の正面に南円堂がありますが、ここは「西国三十三所」の第九番札所ということもあり、参拝者が大勢います。南円堂の反対側には、釈迦の舎利を納める墓標である国宝の五重塔があります。2034年3月に竣工ということなので、姿はまだまだ見られませんね。境内左側に進むと、北円堂があります。これは興福寺残る最後の建物(1210年)で、やはり国宝となっています。

 先ほど通った南円堂参道の脇にあった三重塔です。これも北円堂と共に興福寺で最古の建物で、やはり国宝となっています。木割が細く、鎌倉時代の建物ですが、平安の建築様式を伝えています。中央の中金堂に入ってみます。 1717年に焼失し300年後の2018年に再建落慶しています。ここの本尊である釈迦如来坐像は、当初は藤原鎌足が蘇我入鹿の打倒を祈願して造立したそうです。回廊・中門までは復元されていませんが、礎石だけは残されています。次は隣の東金堂に入ってみます。建物自体が国宝ですが、なんと18体もの国宝の仏像が、安置されています。

 最後に国宝館を見学します。ここは有名な阿修羅像をはじめ、国宝の仏像、仏具が多数展示されています。 7割ぐらいは国宝です!猿沢の池から興福寺境内への五十二段のを右手に見て、次は春日大社に向かいます。52段は菩薩の修行の段階を表しているそうです。

 興福寺と春日大社の境界に一の鳥居があります。そこから二の鳥居まで、1キロ弱ほど、長い長い参道を進みます。春日大神の使いである神鹿(しんろく)は、古代から殺生が禁止され、現在は1200頭が一帯に生息しているそうです。オス鹿には気を付けよとの看板がありますが、角が切られていない鹿は、確かに危ない気がします。

 春日大社の大宮へは南門から入ります。通常の参拝は、幣殿で行いますが、特別拝観の場合は、本殿の前まで行けますので行ってみます。初めは大宮を囲む回廊を巡ります。回廊には燈籠が沢山掲げられています。ここの夜は、幻想的で美しいそうです。回廊の先は、御蓋山浮雲峰遙拝所 (みかさやまうきぐものみねようはいじょ)となっています。御蓋山は鹿島の武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿の背に乗り天降した場所で、現在も禁足地として入山が厳しく制限されいます。

 中門は本殿の直前にある楼門で約10mの高さがあります。中門の両側に左右に約13m、鳥が翼を広げたように御廊があります。本殿は見ることは出来ませんが、御祭神の4つの社が建っています。御廊の左には樹齢1000年といわれる高さ20mの大杉があります。春日大社には3000基の燈籠があるそうで、年三回万燈籠神事があるそうで、それを体感出来るように、藤浪之屋の内部で再現されています。

 本殿を参拝した後、少し離れたところにある春日若宮と夫婦(めおと)大黒社に参拝します。夫婦大黒社は日本で唯一夫婦の大黒様をお祀りした社で、縁結びの神様です。水占いをしている人がいました。ここの水占いは、水に浸した紙を、納所に収めるんですね。

 お昼の時間となりました。春日荷茶屋で名物の万葉粥を頂きたかったのですが、あいにく臨時休業。春日大社国宝殿に併設されているカフェ・ショップ 鹿音(KAON)で、「春日の滋養ラーメンセット」を頂きました。

 食後は15分ほど歩いて東大寺に向かいます。ここには比較的修学旅行生が多くいました。南大門の下をくぐり、両側の金剛力士像を見ながら参道を進みます。突き当たりは大仏殿の中門で、回廊を左に曲がり、拝観入口から大仏殿前庭に入ります。

 さっそく大仏殿の盧遮那仏座像を参拝します。大仏殿の前にある金銅八角燈籠は、創建当時の状態で残っているそうで、国宝です。大仏殿の柱の穴の前には、やはり人が並らんでいます。私もトライしようと思い、 穴の前まで行ってみましたが、通り抜けられそうもなかったので、やめました。大仏殿の出口には、びんずる様が鎮座していますが、高すぎて、私の治したい悪いところには、残念なことに手が届きませんでした。

 大仏殿を見た後は、裏参道を上り、東大寺で一番高いところにある二月堂に向かいます。ここは3月に行われる「お水取り」と呼ばれる修二会(しゅにえ)の舞台です。二月堂の休憩所には、修二会で使われる籠松明が壁展示されていました。二月堂の隣は法華堂(三月堂)で、東大寺境内では最古の仏堂です。

 二月堂から裏参道を下ってきます。途中からは、東大寺の鎮守社である手向山(たむけやま)八幡宮の参道になります。鳥居の脇には、 1200 年前、大仏殿前に建てられたという 2 基の「七重の塔」を摸して大阪万博で展示された古河パビリオンの七重塔の相輪が置かれています。東大寺ミュージアムで仏像、仏具を見学した後、併設されている茶廊・葉風泰夢(ハーフタイム)で一服することとし、ここのオリジナル菓子である青蓮(せいれん)とあんず日餅(にっぺい)のセットを頂きました。

 東大寺の最後は、鑑真和上から戒を受けるための御堂として建てられた、戒壇堂です。ここには天平時代の傑作である国宝の四天王像が安置されているらしいのですが、時間も遅くなったため、門は閉まっていました。戒壇堂は外から見るだけでした。まだ明るいので、近くにある正倉院に立ち寄ります。公開は午後3時までですが、時間内でも建物の中には入れませんので、塀の外から正倉院の建物を眺めてみることにしました。今日は、ずいぶん歩きました。ここからは、バスでホテルに戻ることにします。

 夕食は、ホテルのおすすめリストにあった三条通りに面した「Kura」に入ります。地場料理の店とありましたが、メニューには、いかにも奈良という料理はなかったので、とりあえずありきたりのものを頂きました。但し、お酒は宇陀市久保本家酒造の「睡龍」をお願いしました。食後、ホテルに戻る途中、 JR奈良駅の下にある「奈良のうまいものプラザ」に入ります。ここにはイートインコーナーがあり、奈良のものが頂けるということなので、明日の夕食はここにしたいと思います。

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名護屋城

<三日目>

 今日は名護屋城を見学して、福岡に戻ります。ホテルの東側は、唐津湾沿いに、虹の弧のように松原が連なっており、虹の松原と言われています。唐津を去る前に、立ち寄ってみます。この松原は、唐津藩の初代藩主、寺沢志摩守広高が、防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長約4.5km、幅はなんと約500m!にわたっています。ここは、三保の松原、氣比の松原(2025年3月に訪問)とともに日本三大松原の一つで、国の特別 名勝に指定されています。

 名護屋城を目指して、海岸沿いに車を走らせます。多くの巨石が天に向かって立ち並んでいる海岸が立神岩です。手前の黒っぽい2つの巨大な玄武岩の柱は、寄り添うように立っていることから、「夫婦岩」と呼ばれているそうです。また、このエリアは、湾になっていて、九州のサーフィン発祥地といわれて、人気のスポットらしいです。

 海岸線を更に進むと、国の天然記念物、七ツ釜(ななつがま)があります。七ツ釜までは、柱状節理のゴツゴツした丘を10分程歩きます。途中には玄界灘を見つめる、海を守る女神として信仰されている乙姫大明神の像が立っています。その像の下には、ががら瀬という波に浸食された柱状節理の海岸が広がっています。岬の先の七つ釜は、その名の通り波でえぐられた7つの洞窟が並列しています。最大の穴は間口の幅が3m、奥行きが110mもあるとのこと。波の状況が良ければ遊覧船で中に入ることができるようです。呼子からは毎日出航するようですが、ここから出る遊覧船は、4月から11月までのようです。

 ようやく名護屋城に着きました。はじめに名護屋城博物館で、この城の概要を知ることにします。この名護屋城は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して、出兵の拠点として築かれた城で、1592年の開戦から秀吉の死で諸大名が 撤退するまで、7年の間大陸侵攻の拠点となっています。城の面積は約17㏊で、当時は大坂城に次ぐ規模で、ここに20万人を超える人々が集まっていました。目玉の展示は、豊臣秀吉が名護屋城に持ち込ませ、茶会や外国使節の歓待に使用した「黄金の茶室」が、再現されています。

 名護屋城は大手口から入り、東出丸、三の丸、本丸へと上っていきます。本丸に着くと、目の前がパッと開け、玄界灘が目の前に表れます。秀吉は、朝鮮出兵の際、ここの本丸天守閣から、朝鮮に向かう船団を見送ったことでしょう。遠くには、かすかに壱岐が見えます。周りの島々がよく見えますので、天下を取った気分になりますね。秀吉の死後、この城は廃城となり、一部は唐津城に移築され、石垣は、島原の乱の後に、一揆などの立て篭もりを防ぐ目的で要所が破却されています。この城はわずか7年の命で、今は、天守台には大きなクスノキが生えているだけです。14時近くなりましたので、福岡に向かいます。

 飛行機の時間にはまだありましたし、昼食もまだでしたので、天神のピエトロでパスタを頂きました。まだ時間がありましたので、キャナルシティ博多で、音楽に合わせて踊る「噴水ショー」を見てから、空港に向かいました。

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多久、唐津

<二日目>

 今日は佐賀から唐津に向かいます。はじめは、多久聖廟です。ここは、多久の領主であった多久茂文が、1708年、孔子像を安置し、領民に「敬」の心を培わせるために建てた孔子廟で、足利学校(栃木県)、閑谷学校(岡山県)に次ぐ古い建物です。足利学校は、昨年11月に訪問しています。学問の廟である事にちなんで、敷地内には五角の門・合格の門がありました。

 そこから車で数分の場所に、西渓公園があります。ここは多久家の家老屋敷跡を、肥前の炭鉱王と呼ばれた高取伊好(これよし)が、私費を投じて整備した公園です。高取伊好の旧宅が唐津で公開されていますので後で見学します。公園は桜と紅葉の名所です。公園の隣は、多久家が寄進した多久神社と多久八幡神社があります。八幡神社には、市の天然記念物となっている巨大な三本杉がありました。

 途中の、道の駅 、厳木「風のふるさと館」で一休みします。厳木は 「きゅうらぎ」 と読み、難読地名です。団子やみかん、小城のの羊羹など色々買ってみました。この道の駅には、土台が2m、本体12mの巨大な佐用姫の像があります。佐用姫とは厳木町にいたとされる豪族の娘で、悲恋の物語が伝説として語られており、風のふるさとの象徴です。後で知ったのですが、この像は15分に1回、回転しているそうです、

 ガイドブックに、「わざわざ行きたい絶景スポット」として「環境芸術の森」がありましたので、行ってみることにします。ここは、環境芸術家の鶴田正明が、40年かけて作った森とのこと。入り口近くにある風遊山莊2階の、漆のテーブルに、森の自然が映り込んだ様は確かに幻想的です。普段は赤い絨毯、ましてや籐の椅子には座れないそうなのですが、今日はオフシーズンで誰もいませんでしたので、係の方に、座った姿を撮って頂きました。

 最後は、日本の滝百選の見帰りの滝です。 6月は、伊岐佐川の遊歩道沿いに、50種4万株のあじさいが咲き誇るそうですが、残念ながら今はかれています。山あり谷ありの遊歩道を、15分ほど進むと、見帰りの滝があります。今の季節にしては水量も多く、辺りはマイナスイオンに溢れていました。

 唐津市内に入りました。昼食は、ちゃんぽんにしようと思い、住宅街にある長福に入ります。具沢山でおいしく頂きました。無料の「つくだ煮」「辛味きくらげ」もあります。

 唐津は、唐津城からスタートします。、唐津城は、松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸に位置し、天守のある本丸は唐津湾に面する海城です。近づくと、天守まではかなり登りそうに見えましたので、石垣の下にあるエレベーターに乗り本丸に向かうことにします。一人100円で、石垣に沿って登りますので、ケーブルカーのように斜めに上ります。天守は1966年に完成していますので、近代的なビルの中に居るようです。天守からは、唐津湾や市街が一望できます。

 唐津城を出て、松浦川に架かる城内橋を渡り、15分程歩くと、旧唐津銀行に着きます。行内に入ると、小樽の旧日本銀行支店の雰囲気に似ています。壁面の説明文を読むと、やはり辰野金吾が設計していました。ここの 2階は、佐賀出身の偉人、辰野金吾記念館となっています。

 もう少し市内を歩きます。次は、午前に多久市の西渓公園にあった銅像の人物、炭鉱経営者として財をなした高取伊好の旧邸を見学します。2300坪もありますので、入口に行くまで長い土塀が続きます。旧高取邸は、来賓をもてなす施設でもあったので、杉戸絵、欄間等の意匠に手が込んでいる上に、大広間に能舞台も設けられています。2024年の1月には、ここで、人間国宝大槻文藏の能と野村萬斎の狂言が公演されたそうです。残念ながら邸内は撮影禁止なので、建物の外側を撮影します。お風呂は離れにあります。冬は寒そうですね。

 今日の宿は唐津シーサイドホテルです。窓から唐津湾が見えますが、なんとなくハワイの風景に似てますね。今日はここでゆっくり過ごしたいと思います。

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大野城、吉野ヶ里、佐賀城

<一日目>

 今回は佐賀を巡りたいと思います。途中、福岡空港から車で20分程の四王寺山(しおうじやま)にある、日本百名城の一つ、大野城跡に立ち寄ります。ここは、唐・新羅連合軍に白村江で大敗をきした日本が、九州北部の防御態勢を固めるため造られた山城で、有事の際に大宰府政庁の官人や住民が逃げ込み籠城する「逃げ城」であったようです。尾根に沿って版築土塁が8㎞に渡って築かれています。炭化米が出土した焼米ヶ原には、高床式の食料備蓄倉庫があったようです。

 少し下ったところに大宰府口城門跡があります。山の麓の大宰府政庁と、ここで行き来していたのでしょうか。道路の反対側には、4棟分の高床式倉庫の礎石である増長天礎石群があります。説明文には、倉庫の高さは8mで1棟に5~600人の1年分の稲穀が蓄えられていた、とあります。この景色からは想像も出来ませんね。そばに小さな「鏡ヶ池」があり、当時の井戸と考えられています。ここで雨乞いのため鏡を投じたとの言い伝えがあるため、「鏡ヶ池」と呼ばれているようです。

 次は佐賀、吉野ヶ里歴史公園に向かいます。お昼時ですので、歴史公園センター(東口)にある吉野ヶ里歴史公園レストランで、古代貝汁御膳と佐賀の恵みハンバーグ定食を頂きました。古代貝汁御膳はアサリの味噌汁、わらすぼ(有明海のみに生息する、ハゼ科の魚)、いか焼売、赤米、みつせ鶏(佐賀県で飼育されているフランス系赤鶏をルーツに持つ銘柄鶏)での混ぜご飯でした。この御膳は、わらすぼとムツゴロウの炙りが交互に出るとのことなので、売店で、ムツゴロウの干物を買ってみました。

 昼食後、さっそく公園東口から中に入ります。入り口からは田手川を跨ぐ幅のとても広い天の浮橋を通って、環濠入り口まで行きます。環濠は堀と城壁で囲まれ、堀の内側には防御のため先を尖らした乱杭もあります。集落全体が守りをかためており、弥生時代は思った以上に戦があったようです。

 入口そばの展示室に入ってみます。出土した甕棺が多く展示されていますが、遺体を、二つの甕棺を左右につなげた中に入れて埋葬する、ということをここで初めて知りました。また、上層人と庶民の衣裳の違い、渡来人(吉野ヶ里地区)と在来系(唐津地区)の人相の違いなど、興味深い展示があります。

 集落はいろいろなエリアに分かれていますが、王たちの家がある南内郭から見学します。このエリアは塀で囲まれ、物見やぐらが四棟も建っており警備が厳重なことが伺えます。物見やぐらからは、集落一面が見渡せます。

 次はその隣にある北内郭です。ここは、巨大な主祭殿や物見やぐらが発掘された場所で、祭祀儀礼や政治を行う場所であったようです。二重の堀や高い柵があり、厳重に警護されているようです。2階は主祭殿での重要な祭祀のあとの宴会の様子、3階はクニの最高司祭者が祖霊からのお告げを聞くために祈っている様子が展示されています。主祭殿の隣には、最高司祭者の住居がありますが、最高司祭者はこのエリアの外には出なかったようです。

 次はお墓のエリアに行きます。北側にはピラミッドのような巨大な北墳丘墓が有り、内部では甕棺の発掘状況が展示されています。ここは王やそれに近い身分の人が埋葬された場所です。手前の原っぱには、庶民の遺体が埋葬された甕棺が、300m、500基の墓列があります。

 次は市と倉のエリアです。ここには、高床式の倉庫群と、中心には市が行われていた建物があります。見学の最後は、南のムラのエリアです。この区域には塀や壕などは無く、竪穴住居3~4棟に対し共同の高床倉庫1棟が付くという、他と地域の一般的な集落と似ています。これで吉野ヶ里歴史公園の半分は回ったことになります。本当に、ここは広いですね。

 次は、日本100名城の一つ、佐賀城に向かいます。吉野ヶ里歴史公園からは30分ほどです。佐賀城は天守から三の丸まで1726年に焼失していますが、本丸再建に際して造られた本丸の門である鯱の門は、当時の姿を残しています。本丸御殿も再建されているのですが、明治以降役所や小学校として使用されていました。2004年、その遺構を残しながら佐賀城本丸歴史館として開館しています。 入口から外書院に入ると、外御書院の大空間が現れます。ここには本丸完成披露の折、千人の家臣が集まったと言われています。

 御座間は、藩主鍋島直正の仕事部屋です。ここも鯱の門と同様、現存する天保期の建物です。鍋島公が座っていらっしゃいますので、私も隣に座って写真を撮らせて頂きました。ここの障子の一部は石垣張りとなっています。当時は、大きな紙がなかったので、紙が重なる部分を石垣のように見立てたようです。東廊下には、没後150年を記念して、佐賀の偉人、江藤新平の功績を紹介しています。御料理間では幕末の佐賀藩が推進した反射炉や蒸気船など、科学技術の成果を紹介しています。

 佐賀城の堀は、幅70m程もあり、とても広く感じます。残念ながら、昭和のはじめに半分ほど埋め立てられ、現在は西側の半分が残っています。本丸の西側は土塁石垣で、外面が石垣、内側は土塁という珍しい造りです。南西の隅には、珍しい亀甲乱積の櫓台石垣があります。道路(昔は堀)を隔てて、反対側のかつての三の丸には佐賀県立博物館・美術館があります。美術館のミュージアムカフェ「cafe TRES(カフェトレス)」に入り、有田の酒蔵「宗政酒造」のピルスナーで喉を潤します。出されたグラスも、有田焼でした!

 美術館は佐賀出身で東京美術学校(東京藝術大学)教授であった岡田三郎助の絵画常設され、博物館はこれまた佐賀出身の大隈重信が作った高輪築堤の説明がメインでした。美術館の外には東京から移設した岡田三郎助のアトリエが公開されていました。やはり佐賀の偉人オシですね。

 今日の夕食は、ホテルそばの第三吉(きち)丸に入ってみます。まずは佐賀の地元食、ガニ漬け(小型のカニの塩辛)、ムツゴロウの煮付け、うみたけ(ミル貝のような見た目の大きな水管が特徴の二枚貝、その水管を食す)の一夜干しをトライしてみます。お酒は小城市の「天山」です。後も佐賀尽くしで、佐賀牛のサイコロステーキ、みつぜ地鶏の塩焼、いか焼売と続きました。佐賀を堪能した夜となりました。

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醍醐寺、随心院、勧修寺、大石神社

<三日目>

 今日は気温が急激に低下しています。午後は雪になるとの予報です。今日は醍醐寺からスタートします。本来は桜のシーズンが良いのでしょうが、混んでいそうなので、一番人がいなさそうな時期に来てみました。総門を抜けると仁王門に向かって桜馬場があります.左手に国宝の唐門があります。

 仁王門をくぐると堂塔の並ぶ伽藍が広がります。応仁の乱ではここも兵火に巻き込まれ、五重塔のみが残されるだけとなったようです。、秀吉はここで花見を行うこととし、境内整備の一環として三宝院(後で見学)を再興すなどしています。こうして1598年に醍醐の花見が盛大に行われています。しかし、その年の8月に死去。その後も豊臣秀頼により伽藍の整備が行われ、1600年には秀吉の代から行われていた醍醐寺の本堂である金堂(国宝)の紀州湯浅からの移築工事も完成しています。道を進んで日月門をくぐります。

 当日は、12月26日で、年に6回訪れる己巳(つちのとみ)の日です。その日は、午前10時から宇賀弁財天開扉法要が行われるとのことなので、醍醐寺の東端にある弁天堂に急ぎます。10時から法螺貝とともに開扉され、参拝者の金運上昇、諸芸上達・才能開花が祈られます。祈願は30分程続けられます。当日は非常に寒く体が冷えていきます。期間終了後、弁財天に参拝者します。その後、隣の観音堂に参拝します。そこでは、お坊さんに自分の体の悪いところを伝え、平癒を祈願してもらいました。

 道を引き返し、三宝院を見学します。ここは元々は醍醐寺の居住する本房です。現在の三宝院は、秀吉が醍醐の花見を契機として整備したもので、秀吉自らが基本設計をしています。表書院(国宝)からは、その全体を見渡せます。この庭には桜は無く、秀吉はもみじ狩りをここで催したかったようです。残念ながらその夏に死んでいます。

 今日は運よく、普段は公開されていない表書院の左側に入ることができます。純浄観(重文)は、秀吉が醍醐の花見で使用した建物を、ここに移築したものと言われています。正面に洗濯機のような「藤戸石」がありますが、この石は、天下を治める者が所有する石として、歴代の権力者によって引き継がれています(①金閣②銀閣③細川邸④旧二条城(義昭御所)⑤聚楽第⑥醍醐寺三宝院)。座主の居住空間と言われる奥宸殿は、座ると正面に藤戸石が見えるように造られた、とガイドの方が説明していました。

 昼食は醍醐寺のフレンチカフェ「ル・クロ スゥ ル スリジェ」で、薬膳カレーをいただきました。店の意味ですが、オーナーシェフである黒岩功氏のフレンチレストラン「ル・クロ」と、フランス語で「桜の樹の下で」を意味する「sous le cerisier」を組み合わせたものなので、やはり春はすごい人出なのでしょうね。

 食事後は、小野小町ゆかりの隋心院に、徒歩で向かいます。15分程です。ここ小野地区は小野妹子や小野小町など公卿・貴族を輩出した小野氏一族の拠点です。寺の玄関を入ると、ジミー西村の大きな小野小町の像があります。中の能之間には、だるま商店の「 極彩色梅匂小町絵図」があり、小野小町の一生が、左から、4つのシーンに分割して描かれています。本堂の奥は、杉苔の美しい、「洛巽(らくそん、京の東の意味)の苔寺」とも言われる庭園が有り、雨の日は、特に映えるようです。

 寺の外に出ます。入口のそばには、百人一首の小野小町の歌碑が、少し離れた竹林には、小町が顔が使ったという「小町化粧(けわい)井戸」があります。本堂裏手には、小町邸に通った深草少将が置いていったというカヤの実にちなんだ?カヤの木が供養塔の後ろに聳えています。更に奥まった竹林には‪、小町に寄せられた千通の手紙が埋められていると伝わる小町文塚もあります。

 せっかくですので徒歩で真言宗山階派の大本山、勸修寺に向います。この寺には、氷室池を中心とする約2万㎡の池泉回遊式庭園があり、氷池園とも呼ばれています。さっそく園内に入り、まず指示通り、さざれ石に触れてみます。書院南庭には、横に這うように広がっている樹齢約750年の偃柏槙(はいひゃくしん、樹齢750年)、その中に、徳川光圀寄進と伝えられている灯籠が据えられています。受付で鳥の餌のパンの耳を頂きましたので、氷室池に行きましたが、残念ながら鳥はいませんでした。

 今回の京都旅行の最後は、忠臣蔵で名高い、大石内蔵助を祭神とする大石神社に参拝したいと思います。運良く勸修寺のそばのバス停から、大石神社の近くまでバスが出ていました。 この神社は、京都市街地からの交通の便が悪いためか、参拝者は誰もいませんでした。境内の脇で、来年の干支のミニチュアホースの「花子」が、寂しそうに?迎えてくれました。正月は主役になるのかもしれません。帰りは、大石神社の近くから、東山を突き抜け四条河原町まで行くバスがありますので、それに乗って戻ります。

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智積院、法住院、養源院、京博、豊国神社

<二日目>

 今日も朝から小雨が降っています。今日は東山の南側、三十三間堂の周辺を巡りたいと思います。南大門から三十三間堂を通る道は、かつては巨大な大仏が鎮座する方広寺への参道でした。10時前に着いてしまいましたので、開館している真言宗智山派の総本山智積院の宝物館に向かいます。そこには長谷川等伯一門が描いた桜や楓などの障壁画(国宝)が展示されています。展示室内は撮影禁止ですが、部屋の4面におかれた障壁画は迫力があり圧巻です。次に、国宝の障壁画がかつて飾られていた大書院とその庭園を見学します。大書院は庭園に面して建ち、平安期の寝殿造りの釣殿のように、庭園の池が書院の縁の下に入り込んでいます。贅沢な造りですね。

 南大門から、方広寺参道を進みます。南大門のそばには、方広寺南隅の石碑があります。一番南にあるのは法住寺です。ここは後白河上皇が開いた法住寺殿の跡で、その境内は14ヘクタール以上の広大な敷地で、三十三間堂もその御堂の一つでした。現在の寺は上皇の御陵を守ってきた寺です。ここのご本尊は、木曽義仲の焼き討ちの際に後白河院を守ったと伝わる身代わり不動明王です。

 次はその隣にある養源院を見学します。この寺はもともと淀殿が、父、浅井長政の菩提を伴うために創建されたお寺です。ほどなく焼失していますが、淀殿の妹で徳川秀忠の妻江の願いにより、浅井家と徳川家、双方の菩提として再建されています。本堂廊下の上の血天井、その廊下にある俵屋宗達の杉戸絵を見学します。廊下の手前には麒麟、廊下の先は唐獅子が杉戸に描かれています。血天井には、手や足、人の姿がはっきり見て取れます。コナンではここが紹介されたようです。

 昼になりましたので、方広寺参道の上に立つ京都国立博物館に行き、前田珈琲のカフェでナポリタンとサンドイッチのランチを頂きました。食事後は、平成知新館の常設展を見学します。

 方広寺に向かいます。歩道の脇の京都国立博物館の石垣はかつての方広寺の石垣です。非常に巨大で、秀吉の権勢がうかがえます。方広寺の隣には明治期、1880年に再建された豊国神社があります。参道の唐門は、伏見城の遺構ですが、西本願寺・大徳寺の唐門と合わせて、国宝の三唐門と呼ばれているそうです。

 豊国神社と方広寺の間に、方広寺鐘銘事件のもととなった鐘がつるされている鐘楼(重文)があります。鐘の表面に書かれている銘文は、「国家安康」、「君臣豊楽」の部分が白くマーキングされています。豊国神社と方広寺の間の細い道を進むと、かつて大仏と大仏殿があった公園があります。大仏があった場所は、地面が盛り上がっています。

 豊国神社では、最後に、秀吉にゆかりの深い品々が展示されている宝物館を見学します。

 方広寺からは、かつては大仏を正面に見たからその名前がついたと思われる正面通りを鴨川に向かって進みます。左手には、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、戦功の証として持ち帰った耳や鼻を供養したと伝わる耳塚があります。鴨川に架かる正面橋を通ると、川で清掃している人がいました。水は、脛までしかない、水深は以外と浅いんですね。橋を渡った先に、ホテル「丸福樓(まるふくろう)」があります。ここは、かつで任天堂の創業地、旧本社社屋だった場所です。

 川端通りと正面通りの交差点にある京菓子「甘春堂本店」で、柿餅と花びら餅を買ってみました。柿餅は、見た目も本物の干し柿とそっくりで、インパクトがあります。花びら餅は、京都でお正月にだけいただく伝統の御菓子の一つだそうで、白味噌のあんをゴボウと共に求肥(ぎゅうひ)で包んであり、12月~翌年1月の期間限定とのこと。甘春堂の創業は1865年ですが、家歴は、遠く方広寺大仏造営に遡るとのことです!ホテルに戻り、お茶で頂きました。

 夜はホテル近くの居酒屋「にこみや岳」です。開業以来継ぎ足しているという出汁のもつ煮込やおでん、おいしかったので、目の前のオススメメニューを色々頂きました。お酒は、蒼空(伏見の藤岡酒造)と玉川(丹後の木下酒造)です。気楽に入れる良い店でした。