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ボルドー、パリ(2)

<ボルドー 3日目>

 今日は、昨日予約したバスツアーが11時30分から有りますので、その間、街を観光します。初めにゴシック建築の傑作といわれているSaint-Michel大聖堂に向かいます。途中、1775年に建設されたメルヘンチックな大鐘楼の下を通りますが、その鐘の重さは7750kgもあります。この鐘は毎年6回の祭日と、毎月第1日曜日の正午しか鳴らないそうです。しばらく歩くと、大聖堂に着きます。その尖塔は高さ114メートルで、ルーアン、ストラスブールに次ぐフランスで3番目の高さです。工事中なので上れません。尖塔の頂上には大天使サン=ミシェルの銅像があるはずですが、高くてよく見えません。この教会は、サンティアゴ・コンポステーラの巡礼路の一つで、教会の中にホタテ貝がシンボルのサン・ジャック(聖ヤコブ)の像があります。ちなみにフランス語でホタテ貝をサンジャックというのはこの聖人からきています。

 バスの出発地のカンコンス広場に戻ります。広場には、高さ43mの自由の女神が翼を広げて立つジロンド記念碑が有ります。ボルドーを拠点としていたジロンド派を称えるためのモニュメントです。ジャコバン派との対立で多くが処刑されています。下にある彫刻群はナチスの金属供出令で溶かされてしまい、1983年に復元されたものです。公園では、移動遊園地の設置工事が本格化しています。公園近くのNotre-Dame教会で、ゴヤの葬儀が行われたそうで、教会の前にはゴヤの銅像があります。そうこうするうちに時間となりましたのでバスに向かいます。

 昨日2階の席を予約していましたので、今日の雨は大丈夫かなと心配しましたが、布製の屋根が付いていて安心しました。バスは、市役所や裁判所などの官庁街を見た後、ガロンヌ川沿いに進み、昨日は靄っていたCité du Vin側のJacques Chaban Delmas橋を渡って川の対岸に渡ります。この橋は2013年に開通したヨーロッパで最も高い垂直昇降橋です。高さ77メートルの4本のパイルで2600トンの中央スパンを53メートルの高さまで持ち上げます。実際の昇降シーンを見たいものですね。ガロンヌ川の対岸は、現在再開発の真っ最中です。今度は旧市街地にPierre橋を渡って戻ります。約1時間のツアーですが、ボルドーの街の構造が良く分かります。

 カンコンス広場でバスを降ります。ボルドーに来ていますので、道の反対側に有るÉcole du Vin(ワイン学校)にあるLe Bar à Vinで、昼食がてらワインの試飲に挑戦してみます。つまみはプレート1人前を頼みましたが、チーズが山盛りです。味は分かるはずも有りませんが、赤を3種類、白を1種注文しました。

 Sainte-Catherine通りのラファイエットの道の反対側に、ボルドーで唯一のパサージュであるGalerie Bordelaiseが有ります。1834年4月に一般公開されています。パリのパサージュと同様に、歩行者専用、ガラスの天井、人工照明、豊かな装飾、多くの小さな店、2つの通りをつなぐ、ですが、ここのパサージュの特徴は、街区を斜めに切り抜けるという珍しい点です。

 ボルドーには3,000種類以上のマスカロン(顔の彫刻)があり、街のファサードや噴水の装飾に貢献しています。特に、ここガンベッタ広場に面した全方向の建物の各窓の上には女性の顔のマスカロンが付いています。理由をツーバスでは説明していましたが、忘れてしまいました。

 今日は、2月14日のバレンタインデーと言うことも有り、夜になると街の賑わいは益々盛り上がってきました。夕食後ホテルを出ると、ホテル前の路地にある飲食店はどこもカップルで一杯です。少し行ったところの広場も同じ状況。今日の夜は2月にしては暖かく、日本の桜の頃の陽気なので、ガロンヌ川沿いを散策してみます。途中、日本の居酒屋風の店が有りましたが、長蛇の列でした。かなりそれっぽいですね。

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ボルドー、パリ(1)

 <ボルドー 1日目>

 今回は、フランスのボルドーに行くこととします。東京~パリ14時間半、パリ~ボルドー約1時間の長丁場です。朝、日本を出て、ボルドーには、19時半(現地時間)到着です。手荷物受取所には、さっそくワインのモニュメントが。この地は、雨が多いとのことですが、当日も小雨です。空港の目の前にあるトラムA線から直接市の中心部に、そこから10分程歩いてホテルに到着しました。空港へのアクセスは抜群です。

<ボルドー 2日目> 

 朝食前にホテル周辺を散策します。まだ霧雨の状態です。ボルドー一賑やかなサン・カトリーヌ通りも人影はまばらです。水鏡で有名なブルス広場に行ってみますが、オフシーズンは水が張られていないので、鏡には見えません。但し、雨のおかげで、それらしい雰囲気はあります。通りを歩くと、ラーメン店が何軒があり、既に仕込みをしている店もありました。

 朝食後、観光案内所に行き、2日有効のCITYPASSを購入します。これには、交通機関のフリーパスとツアーが1つ付いています。その場で、翌日のバスツアーを予約しました。今日は、まずはCité du Vinに、船に乗って行くこととします。向こう岸のStalingradを経由して、Stalingradに到着しました。向こう岸へ行って戻ってくるだけですので、乗っている時間は、正味10分程です。

 桟橋を下りると、ガロンヌ川沿いに、ボルドーヴィラージュBord’eau Villageと呼ばれる、倉庫跡を改装したショッピングセンターがあります。外観は元々の四角い倉庫型を残しつつも、中はレストラン、衣料品や家庭用品店、チョコレート屋など400m程続きます。川沿いを進むと遠くに、霧にかすんだacques Chaban Delmas橋が見えます。霧のロンドンみたいですね。更に進むと目的地Cité du Vinに到着します。受付の天井はぶどうの蔓のイメージなのでしょうか。

 館内には、ワインのテイスティングルームや、ぶどうやワインの歴史、製法、香りの体験コーナや飲み方等ワインに関する多種多様な展示があります。ワインに造詣があればずーっと居られるのでしょうが、只の飲むのが好きなだけの人なので、見学もそこそこに、試飲コーナーのある8階にエレベーターで向かいます。試飲コーナーへは、早めに行ったので、客は我々だけでした。眼下に、霧雨で曇るガロンヌ川を見ながら、試飲しました。帰りがけ、館内の売店をのぞきましたが、さすがワインの殿堂だけあって、ボルドー産を初め、ワインがうずたかく展示販売されていました。

 昼食のためCité du Vinをでて、近くのフードコートに行きました。ベーグル、肉、魚、チーズ等色々なお店がありその場で食べることができます。平日の昼の早い時間でしたが、近くに勤務する人?でかなり賑わっていました。なんとなく落ち着かないので、Cité du VinのレストランLatitude20で頂くこととします。アントレとメインの定食、お任せワイン3杯のセットを頂きました。爽やかな味のムタバル(焼きなすのペースト)もパンにのせて頂けますし、牛肉のカレー風味も以外とあっさりして有りかなと思いました。

 Cité du Vinの近くにはドイツの旧潜水艦基地があり、今は港湾になっています。周囲にはその基地を活用したデジタルアートセンターや美術館があるのですが、オフシーズンで残念ながら休館です。Musée Mer Marine(海洋博物館)は開いていましたので、行ってみます。館内には、軍艦を含めた船舶模型が多数展示され、海運の歴史が解説されています。港湾の上に宇宙船のアートがありますが、ボルドー市はトラム開業に合わせ「街の芸術」事業をし、16作品を展示したそうですが、その内の一つです。

 帰りはトラムで旧市街に戻ります。Saint-André教会は、Palais Rohanというボルドー市庁舎の目の前にあります。その教会の鐘楼であるPey Berlandの塔は、最上階(地上50m)までは229段もの階段を登る必要がありますが、そこからはボルドーの街並みが一望できます。但し、階段は狭く、すれ違いも一苦労で、延々と続きます。

 次はトラムで対岸に渡り、スターリングラード広場で下ります。ここにも、「街の芸術」事業の一環のライオンの作品があります。Pierre橋を渡って旧市街に戻ります。ガロンヌ川に沿ってホテルに向かいますが、川に向かって、いくつかの門がありますが、川から来る敵に備えていたのでしょうか。途中、ボルドー名物のカヌレの店がありましたので、買って帰りました。カヌレは店によって値段はピンキリです。買った店は、比較的安価な店です。今日の観光はこれで終了。

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尾道、三原

<三日目>

 宿泊先のホテルから岸壁までは100m位です。目の前の尾道海道は非常に狭く、ここから対岸の向島(むかいしま)までは300m位です。

 尾道といえば坂の街、早速、大宝山(通称・千光寺山)の頂上を目指すべく、ロープウェイ山麓駅に向かいます。1階が切符売り場で、3階が乗り場です。乗り場へは、左にある階段か右にあるエレベーターで行きますが、とりあえず今回はエレベーターで。乗っている時間は3分ですので、あっという間に山頂駅に到着です。

 頂上の千光寺公園には、2022年に出来た千光寺頂上展望台PEAKが有りますので早速上り、尾道のパノラマを堪能します。今日は快晴で、左には瀬戸内しまなみ海道の尾道大橋が、正面には向島の造船所が、右には瀬戸内海の島々がよく見えます。

 絶景を見た後、文学のこみち(千光寺公園の山頂から千光寺までつづく散歩道)を下っていきます。途中には、尾道ゆかりの作家・詩人の名作が刻まれた文学碑が所々にあります。こみちとはいうものの、巨岩、奇岩がごろごろの道で、この山の成り立ちは何だったんだろうか、とか、岩は下に落ちて行かないのかな云々と考えさせられます。

 文学のこみちを下った先の、標高140m地点に、806年に弘法大師が開基した千光寺があります。ここの境内からも尾道市街や尾道水道、向島等が一望できますが、ここから取られた朱色の本堂の写真が観光案内などに使用されています。本堂は山の斜面にありますので、突き出た舞台造りで、朱色なので別名「赤堂」とも呼ばれています。この辺りにも大きな石がごろごろあります。

 千光寺からの道を下りる途中、尾道ゲストハウス 「みはらし亭」で一休みと思いましたが、時間が早く、残念ながらまだ開店していません。その辺りから下を見ると、これも尾道紹介の写真には必ずある天寧寺海雲塔がよく見えます。この塔は、1367年に足利義詮が建立し、国の重要文化財となっていますが、現在は三重塔ですが、建築当時は五重塔であったようです。長い坂道の途中、猫が居ましたが、尾道の猫は絵になりますね。

 ロープウェイの山麓駅に接してある、艮(うしとら)神社に参拝します。この神社は平安時代初期の806年創建で、尾道で最初にできた神社とされています。拝殿の手前にある楠は樹齢900年と推定されており、「艮神社のクスノキ群」として広島県指定の天然記念物となっています。また、ここは、大林監督の映画「時をかける少女」のロケ現場で、原田知世演じる主人公の芳山和子が時空を超えて降り立った場所です。それらしい雰囲気はあります。

 昼時となりましたので、やはり尾道ラーメンを頂くことにします。観光協会の店マップを見て、近くにある「丸ぼし」に入りました。店の名前にもあるように、醤油味ベースに、いりこだしがきいています。

 千光寺山からよく見えた尾道市役所に行ってみます。市役所の5階屋上は展望デッキとして開放されており、尾道海道や反対側の千光寺山方向が一望出来ます。当日は風も無く穏やかな日でしたので、しばらく、バルコニーでのんびりします。次はお隣の三原市の三原城に向かいます。

 三原城は、小早川隆景が築いた城で、満潮時に瀬戸内海から見ると、海の上に浮かんで見えることから、かつては「浮城」と呼ばれたそうです。残念ながら、1894年、山陽鉄道三原駅建設の際に、城地は駅用地となり、山陽新幹線開業と三原駅高架化により、高架が本丸および天主台跡を貫いてしまっています。そのため、天守台跡へは駅のコンコースから階段を上っていきますが、立派な堀と石垣以外は残っていません。

 三原市内を歩いてみます。三原沖は岩場が多く、タコの絶好の棲みかとなっているそうで、三原のタコは「三原やっさタコ」というブランドになっています。それに因んでか、道路脇にはタコのモニュメントがあちこちに有ります。市は「浮城三原城」と打ち出していますが、遺構が、街の外れの船入櫓跡位しか残っていないのが残念です。

 空港に向かう途中、紅葉で有名な臨済宗の佛通寺に参拝します。紅葉シーズンの11月は交通規制がされたり無料のシャトルバスが出たりで大賑わいのようですが、今は逆に訪れる人は誰も無く、静寂に包まれています。境内は枯山水で、落ち葉一つ無く掃き清められていますが、お坊さんの影も声もありません。逆に不気味です。

 最後は、小早川隆景の居城であった新高山(にいたかやま)城跡に行ってみます。この城は沼田川を望み、標高約200mの船木山に建つ峻厳な山城です。駐車増から案内が有りますので、行けるところまで行ってみることにします。全くの登山道で、本丸跡まではかなりの覚悟が必要です。急な坂道になったところで、ギブアップ。町の案内パンフレットを見ると、城跡からは、付近一帯を初め、瀬戸内海も望めるようです。この城は、小早川隆景が先ほど行った三原城に移ったため、1596年に廃城になっています。いつかは城の縄張りを見ようと思いながら、広島空港に向かいます。

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広島、呉

<二日目>

 市内の見学は、ホテル周辺を徒歩で巡ることにします。本通りアーケードを進むと元安川に突き当たり、相生橋方向に川沿いを歩きます。橋は架け替えられていますが、原爆は、この橋を目標に投下されたといわれています。途中には、勤労学徒慰霊塔、鈴木三重吉文学碑などがあります。爆心近くの橋のたもとにある原爆ドーム周辺では、大勢の外国人が記念写真を撮っていましたが、彼らの心境はどんな物かなと考えました。

 橋を渡って平和記念公園に入ります。入口そばには、平和の時計塔がありますが、原爆投下の8時15分に、毎日チャイムがなるそうです。近くには、平和の鐘が有り、平和を祈念すれば誰でも打てるそうなので、私も鳴らしてみました。更に進むと、原爆の子の像がありますが、よく知られている佐々木禎子さん(当時12歳)の死をきっかけに建てられています。国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼそうです。道の反対側には、丹下健三が設計した、平和の灯、原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館が、原爆ドームとの直線上に並んで見えます。

 北に向かい、広島城を目指します。途中には、昨年2月に開業したばかりの白亜のサッカースタジアム、エディオンピースウイング広島がそびえています。そこから広島城がよく見えましたので、もう一息、と思いきや、城は立派な掘りで周囲を囲まれ、入口は反対側一ヶ所のみ。結果的に遠回りでした。城の天守閣は原爆で壊滅し、1958年に復元されています。天守の周りには高い建物は無いので、遠くまで見渡せ、原爆ドームも遠くに見ることができます。

 城から東に進み、縮景園を目指します。ここは江戸時代、浅野家の大名庭園でしたが、昭和に入って県に寄贈されています。しかし、原爆の爆心から1㎞ほどの所にあるため壊滅的被害にあいましたが、戦後、徐々に復旧し今の姿になりました。短い時間でしたが、ボランティアの方から、園内を案内して頂きました。この庭園で原爆後も残ったのは一部の木と、跨虹橋のみです。池は汽水域なので、鯉は苦手らしく、真水の湧き出る場所に集まっています。市内観光はこれで終了し、呉に向かいます。

 呉には13時頃到着しましたので、早速、昼食です。ここは、やはり海自カレー、大和ミュージアム近くのBEACONで牡蛎フライカレーを頂きました。「護衛艦さみだれ」の味だそうです。

 昼食後、大和ミュージアムの前で、艦船めぐりの案内をしていましたので、さっそく申し込みます。14時発です。湾内に有るため波は穏やかです。出航すると直ぐに、大和を建造した旧呉海軍工廠造船部(現JMU)の工場群が見えてきます。現在は、デンマークに本拠を置くMAERSK社のコンテナ船(全長 335m、総トン数127,814t)の大型コンテナ船を建造中です。岸壁からは呉港の全体は見えないのですが、思った以上の艦船が停泊しており、多くの護衛艦や潜水艦、その他の補助艦船が間近で見学出来ます。運良く、昼食べたカレーの親元である護衛艦さみだれも見ることが出来ました。航空母艦に換装された、目の前にある護衛艦かがは、ひときわ大きく感じます。

 クルーズの興奮も冷めないまま、大和ミュージアムに入場します。入口から入ると直ぐに大和の1/10の模型が出迎えます。ここの施設は呉市の施設なので、呉市や呉鎮守府、呉の造船業などの歴史がパネルや模型、遺物などで説明されています。くわえて、ゼロ戦、回天、海龍等の実物展示もあります。入場料は500円でとても安価と感じます。

 大和ミュージアムの次は、道を隔てた先にある、てつのくじら館です。海上自衛隊のPR施設なので無料なのですが、呉だけにあって、内容は充実しています。1階は海上自衛隊の歴史、2階は掃海艇の活躍、3階が潜水艦の活躍の構成です。屋外に展示されているのは、潜水艦あきしお(1983~2004年)で、艦内に入って、潜望鏡も覗けますし、操縦席に座り、操縦桿を握ることも出来ます。潜水艦の居住空間は、船長室含め、やはり超コンパクトですね。

 呉からは、宿泊先の尾道国際ホテルまで1時間ほどです。夕食はホテルの方のオススメも有り、尾道駅近くの「たまがんぞう」へ。変わった作りの入口が一階にあり、客席は、2階はカウンター、3、4階が座敷です。3階の窓際の席からは、尾道水道が見えますが、真っ暗、何も見えません。やはり地元のと言うことで、刺身、ガンス天(愛媛のじゃこ天と似ているが、ガンス天はパン粉を付けて魚のすり身を揚げている)、しまなみリーフのソーセージ、タコの唐揚げ、〆には尾道つけ麺。日本酒は、亀齢と神雷を頂きました。気持ちよく、ホテルに帰りました。

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岩国、宮島

<一日目>

 正月明け、瀬戸内は暖かそうなので、今回は広島に行ってみます。ところが、寒気が訪れ、山の上にあるためか、広島空港周辺は薄らと雪。先が思いやられます。高速で1時間ほどで岩国の錦帯橋に着きます。海岸に近いためか、雪は無し。快晴です。しかし残念なことに、錦帯橋は3月中旬まで保全工事とのことで、橋全体がシートと木枠に囲まれています。こう言う姿はあまり写真では見ませんね。但し、渡ることは出来ました。

 岩国城へのロープウェイの前は、岩国を治めた吉川家の居館や家臣の屋敷跡地に造られた𠮷香公園となっており、初代藩主、吉川広家の像を初め、当時の建造物が多く残っています。公園は噴水や芝生、木陰、ベンチが整備され日本の歴史公園100選に選ばれているそうです。

 公園を横切ると、ロープウェイ駅があり、数分で頂上に到着します。天守へは、平坦な道と、険しい道がありますので、とりあえずは平坦な道を進みます。10分程で天守に到着します。現在の天守は、1962年に復元された物ですが、麓から見えるように本来の場所より50m南になっているようです。そのおかげで、天守からの眺望は抜群です。下には錦帯橋、遠くには瀬戸内海の島々が、パノラマのように一望出来ます。

 帰りは、険しい道を降りますが、実際はあまり険しくはないです。大回りしないので、逆に近道です。ロープウェイ駅の前にある、からくり時計は、1時間毎に3回奏でるようです。ここからも下界一面が眺望できます。城の下を流れる錦川の河口に2012年に開港した岩国錦帯橋空港がありますが、これは米軍岩国基地の滑走路を利用した軍民共用の空港です。今話題のオスプレイが見えるかと探しましたが、遠くてよく見えませんでした。

 ロープウェイを下り、昼食を頂きに近くの長州屋に入ります。山口県ですので名物の瓦そばと岩国寿司を頂きます。瓦そばは、熱く焼いた瓦の上に乗った茶そばを、甘しょっぱいつけ汁で頂く物ですが、西南戦争の際に熊本城を囲む薩摩軍の兵士たちが、野戦の合間に瓦を使って野草、肉などを焼いて食べたという話に参考に、1961年に山口県の温泉旅館で考案されたとのことです。付け合わせで頂いた岩国寿司は小さく見えますが、強く圧縮されていますので、見た目以上にボリュームがあります。駐車場に帰る途中に、佐々木小次郎の像がありました。吉川英治の「宮本武蔵」のなかでは岩国生まれとなっていますが、実際は不明です。次は宮島に向かいます。

 車は宮島口の駐車場に置き、フェリーで宮島に渡ります。ここのフェリーの構造は前後に自動車の出入り口が付いている(前後が同じ形)ため、旋回せずに接岸できます。10分程で宮島に着きますが、行きの船は観光客向けに大鳥居のそばまで近づいてくれます。今日は1月8日ですが、宮島フェリーターミナルには、まだお正月飾りがされていました。関西流?

 接岸後は厳島神社を目指します。途中には厳島の碑と宮島の碑が並んであります。それぞれの名称の違いが気になりますが、正式な地理上の名前(地図)は「厳島」、PR等に使う場合は通称としての「宮島」を使うとのことです。表参道商店街を抜け、石大鳥居から厳島神社の境内に入ります。

 参道の中程に常夜燈が有り、そこから大鳥居がよく見えます。時刻は14時半頃でほぼ満潮の時刻です。干潮時は、この常夜燈の手前の階段から下りられるようです。受付した後、東回廊から神社内に入ります。ブラタモリで放送していましたが、回廊の床板の隙間が、潮が満ち引きする入り江に建つ社殿を守るための工夫だそうです。観光客が大勢いる火焼前(ひたき:海に向かって突き出た部分。船を誘導するためのかがり火が灯されていたことによる)、高舞台(たかぶたい:海に面した舞台、日本三舞台)を見た後、御本社に参拝し、西回廊を通って外に出ます。

 弥山(みせん)へのロープウェイへは、厳島神社から歩いて15分程とのことなので、行ってみることに。坂道を進み、柳小路、藤の棚公園を過ぎても、まだロープウェイの「ロの字」も見えません。道があってるのかなとも思い始めた頃、あと一息の看板が有りました。それでもまだ、急な階段が100歩以上有りそうです。ようやく、紅葉谷駅に到着しました。観光客で来れる人は居るのかしら?

 山頂へはロープウェイを途中で乗り換え、25分程で到着します。2回目を待っている時間もありますので、正味の乗っている時間は初め10分、次は4分程です。但し下は断崖なので、10分でもかなり長く感じます。後ろを振り返ると、遠くに宮島に向かっているフェリーが見えます。駅から弥山山頂までは徒歩20分程とのことなので、諦め、駅から直ぐの、獅子岩展望台から眺望することにしますが、天気も良く、江田島をはじめ瀬戸内海全体がよく見えます。

 帰りは、下り坂なので楽に下りられます。途中に、ロープウェイ駅行き無料バスの停留所が有りましたが、最初からここに来れば良かったとは思いますが、後の祭りです。厳島神社の境内を通り、表参道商店街に進み、途中の「藤い屋宮島本店」で、紅葉まんじゅうセットで一服し、宮島観光を終了します。

 宮島を後にし、今日の宿の広島ワシントンホテルに向かいます。広島での夕食は、やはりお好み焼きと思い、広島出身の方から紹介してもらった「いっちゃん」に行きます。市内にはみっちゃんが何店舗か有りますが、いっちゃんはそこからの、のれん分けともこと。店主(市居馨氏)が掲載されている本がテーブルの上に置いてありましたので、読んでみると、お店がミシュランガイドに掲載されたり、NHK「プロフェショナル仕事の流儀」に出演したりしている超有名な方のようです。壁にも多くのサインが貼ってあります。しかしながら、来ているお客さんは近所の人やサラリーマンで、そんな大層な店には思えません。お店の人の勧めもあって、牡蛎とチーズのお好み焼きを頂きました。思った以上にあっさりした味でした。

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鞍馬、貴船、三条大橋

<三日目>

 昨日の雨もあがりましたので、予定通り鞍馬に向かいます。もみじのトンネルで有名な叡山電車、市原駅と二ノ瀬駅の間は紅葉も盛りを過ぎているためか、誰も外に関心が無いようです。和風な感じの鞍馬駅前で、立派な鼻の天狗が出迎えてくれます。鞍馬寺の入口である仁王門へは5分程で到着です。

 鞍馬寺仁王門の近くには鞍馬山ケーブルの山門駅がありますが、枕草子で清少納言は「近うて遠きもの鞍馬の九十九折の道」と書いていることもあり、今回はそれに乗らず、九十九折参道を歩いて行くことにしました。山門のそばには、「子供はみんなほとけの子」と書かれた「童形六体地蔵尊」が有ります。参道を上ると、御所に祀られていた由岐大明神を都の北方であるこの地に遷宮してできた由岐神社があります。ここの拝殿は中央に通路がある割拝殿という珍しい形式です。その遷宮の際の儀式に感激した鞍馬の住民が、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え守ってきたのが鞍馬の火祭の起源と言われています。参道を更に上ると、鞍馬山の本尊である尊天(大宇宙生命・宇宙エネルギー・宇宙の真理)を具象化?した「いのち」、天に聳える杉を「玉杉大黒天」と尊崇するための双福苑があります。

 中門辺りで、ようやく参道の2/3です。まだ先は続きます。遠くに朱色の転法輪堂が見えます。重怡上人(じゅういしょうにん)が13年間堂内に籠り、毎日12万遍の弥陀宝号を唱え続け、6万字の弥陀宝号を書いて法輪に納めたのが、転法輪堂の名の由来だそうです。手水舎や転法輪堂の屋根には、雪が積もっています。昨日、京都市内は雨でしたが、こちらは雪だったようです。この先の、貴船までの道が思いやられます。

 鞍馬寺の本殿金堂の本尊は尊天(毘沙門天王・千手観音菩薩・護法魔王尊の三身一体)で、秘仏のため60年に一度、丙寅(ひのえとら)の年(次回は2046年)に開扉されます。また、ここは狛犬ではなく虎です。虎は、本尊毘沙門天のお使いの神獣で、毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることによるそうです。本殿金堂前のパワースポットで有名な金剛床は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模しているとか。金剛床の南側には本殿後方にあった経塚の蓋が、結界の中に置かれています。翔雲台からは、比叡山を望むことができるそうですが、今は雲で遠くは望めません。

 いよいよ険しい山道の「奥の院参道」を進みます。かつて義経が、天狗に兵法を習うために深夜、独り通った道です。少し行くと「屏風坂の地蔵堂」が有りますが、この辺りは、義経が途中で息つぎをした場所とされています。今日、参道は、ぱらつく小雨と、木の上から落ちる雪のしずくで最悪のコンディションです。更に進むと、最澄が刻んだ不動明王が安置されている「不動堂」があります。この辺りは、義経が天狗に兵法を習った場所である「僧正ガ谷」です。夜だと確かに天狗が出そうな雰囲気です。地面が固く、木の根が地下に伸びることが出来なため、地表面でアラベスク模様を描いている「木の根道」を過ぎると、ようやく奥の院である「魔王殿」に到着です。「魔王殿」は、護法魔王尊が降臨した場所して、崇拝さ れてきたとのことです。

 ここからは、貴船に向け、滑らないよう、足下に気を付けながら、一気に坂を下ります。貴船に到着後、一服して、今度は貴船川沿いに、貴船神社の奥宮に向かいます。夏はこの辺り一帯、川床で賑わっているはずですが、今は冬。途中の寒暖計を見ると、丁度摂氏0度です。

 道の脇に鳥居が現れ、そこから奥宮への参道が始ります。最後、神門をくぐると、正面に、奥宮の本殿があります。元々は奥宮が貴船神社創建の地でした。奥宮が洪水で流損したため、1055年に、現在の地に本宮が移されています。奥宮の本殿の真下には「龍穴(りゅうけつ)」と言われる大きな穴が空いていて、その上に社が創建されているそうです。龍穴は神聖なため、誰も見ることが許されません。貴船神社の龍穴は日本三大龍穴(他は奈良県の室生龍穴、岡山県の備前龍穴)だそうです。そう言ういわれもあってか、貴船神社では一番パワースポット感があるようです。

 道を引き返し、最後は、貴船神社の本宮に参拝します。貴船神社は、全国約500社の貴船神社の総本宮です。鳥居から有名な写真スポットの階段を登り境内に入ります。境内に黒馬、白馬の像があり、横の立て札には「貴船神社は、雨乞いの社であり、日照りの時は黒馬、大雨の時は白馬または赤馬を天皇が奉じた。その後生き馬に代え、板の馬を奉じ、ここから絵馬が発祥した」とあります。また、社殿前の石垣から溢れる貴船山の湧き水を、霊泉に浮かべると文字が浮かぶ「水占みくじ」も有名です。今回は占いませんでしたが。

 貴船神社から貴船口駅までは長い下り坂で、徒歩30分くらいですが、これまで歩き続けでしたので、バスに乗ります。5分くらいで貴船口駅に着きます。ここまで来ると、鞍馬山の雪が嘘のように思えます。貴船口から出町柳までの間は、年の瀬で雪模様と言うことも有り、電車内はガラガラでした。

 昼食は、出町柳のフランス料理店epiceで、昼のコースを頂きました。お手軽コースでしたが、魚と肉の両方がでました。何れもおいしかったのですが、特に、オードブルの野菜テリーヌは、非常に手の込んだ料理となっています。店構は古民家を改装した京都らしい町屋で、窓から見える坪庭が雰囲気を出しています。

 最後の見学は二條大橋のそばにある、島津製作所創業記念資料館です。epiceを出て、京阪出町柳駅から、京阪三条駅に行きます。三条大橋はブラタモリの東海道五十七次の番組で東海道の終点として放送していましたので、今回は、番組で出たものの実物を確認をしてみます。まず、橋の東側には、高山彦九郎像があります。幕末の勤王の志士に多くの影響を与えた人物で、昨日見学した皇居を望拝しています。そばには、駅伝発祥の地碑が有りますが、五十七次に因んだためでしょうか。橋を渡って西側で、擬宝珠をチェックすると、やはり、豊臣の文字が有ります。これが出来てから400年は経っているんですね。

 資料館に行く途中、高瀬川沿いを進むと、佐久間象山・大村益次郎遭難の碑と、当時の高瀬舟の復元が有ります。橋のそばの石碑を見ると角倉氏邸址とあり、高瀬川を開鑿した角倉了以は、この辺りに住んでいたようです。

 最後は、高瀬川最北の高瀬川取水口のそばにある、島津製作所創業記念資料館の見学です。この場所は、1875年の創業から45年間本店兼住居として使用されていました。今ある二棟は南棟が1888年、北棟が1894年に増築したもので、登録有形文化財となっています。中は、完全にリノベされており、創業の由来やこれまで製造してきた理化学実験装置等が数多く展示されています。壁に掲げられている家訓は、心に響き頭が下がります。

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京都御所、平安神宮

<二日目>

 当初は鞍馬に行く予定でしたが、駅に行く途中で雨が降り出したので、急遽、明日行く予定だった京都御所に行き先を変更します。平安時代の御所は、ここから西2㎞に有りましたが、焼失後、南北朝時代1331年から500年間ここは御所として使用されています。見学者は乾御門から入り、参観者休憩所で案内開始時刻を待ちます。その間、売店でお土産を購入しました。

 スタートは、宜秋門(ぎしゅうもん)からです。ここから参内した高貴な公家や武家は玄関である御車寄からは入り、諸大夫の間で控えます。こには、襖の絵によって、右から虎の間、鶴の間、桜の間と三つの部屋に分かれていますが、それは身分が高い順です。畳も壁も異なっています。桜の間を使用する人は、御車寄からでは無く、外から直接入ります。隣には新御車寄が有りますが、これは、大正天皇の即位の礼の際、南面からの出入のために新設されたています。 

 京都御所の南には、天皇と国賓のみ使用する、正門である建礼門が有ります。その門から、朱色の承明門を通ると、正面に重要な儀式が行われる紫宸殿が見えます。かつてここで「五箇条の御誓文」が発布されています。紫宸殿の前には、天皇側から見て、右には橘(寒さ対策で小屋の中)、左には桜があります。紫宸殿の中には、天皇の玉座である高御座が置かれています。平成、今上天皇の即位の礼の際は、分解して皇居に運んだそうです。

 紫宸殿の東側にある宜陽殿(ぎようでん)は、御物・宝物を保管しておく納殿ですが、その北側の紫宸殿につながる軒廊で、光る君でおなじみの陣定(じんのさだめ)が行われたそうです。紫宸殿北側の渡り廊下の下を行くと、天皇の日常のおすまいである清涼殿が正面に見えます。その中央、畳を敷いた部分が日常の御座である昼御座(ひるおまし)です。

 清涼殿を出た後は、文学や芸能に関わる儀式などに使用された御学問所(おがくもんじょ)です。孝明天皇が徳川家茂や徳川慶喜と対面する際にも用い、1868年には、岩倉具視を中心とした討幕派が御学問所に参内し、王政復古の大号令を発しました。道を隔てた先にある御常御殿(おつねごてん)は、天皇の日常のお住まいの機能を清涼殿から独立させた御殿で、戦前までは、天皇の京都ご滞在の際には、この御殿が使用されていました。最後は、その隣にある御三間(おみま)です。その名のとおり3つの部屋をもつ御殿で、ここも御常御殿に近い東側を上座として、上段の間、中段の間、下段の間の順に並び、庇の高さが異なっています。帰りは御台所跡を抜けて、出発地点に戻りますが、ここは戦争当時空襲に備えて、建物の間隔を広げるため、台所の施設を取り壊したため空き地となっているとのことです。御所見学の感想ですが、御所周辺も中も、維新以降、いろいろな出来事が起こっていますね。

 一時間程歩きましたので、見学通路そばの、京都御苑中立売(なかだちうり)休憩所で、一休みとします。体験型お茶セット1,400円を頂きました。抹茶の泡立ては、以外と難しいです。

 乾御門を出て、烏丸通りを渡ったところで、カフェレストランUENOYAMAが目にとまりました。昼食には若干早いのですが、混雑も避けたいので、入ることに。きのこパスタのランチセットを頂きましたが、パスタのおいしさに加えサラダも鰹のたたきや彩り野菜が入っていたりで大正解のお店でした。

 光の君の晴明を訪れる前に、最強の御利益があると言われる霊光殿天満宮を参拝します。ここは、2度の蒙古来襲の際、時の後宇多天皇が必勝祈願をし見事退散させたことで有名になり、家康もそれにあやかり、天満宮ですが、ともに合祀されています。道真と家康二人にお墨付きを得た「天下無敵必勝利運」のお守りを頂きました。天満宮なので、ご神体の牛もいます。

 次は晴明に因んだ、堀川に架けられている一条戻橋を訪れます、。ここは一条の名の通り、かつての内裏の東北の角、鬼門に当たります。当時はこの橋の向こう(東側)は寂れており、橋を渡ることには特別の意味があったようです。晴明は十二神将を式神として使役し家の中に置いていたが、彼の妻が怖がったので、十二神将を戻橋の下に置き、必要なときに召喚していたという言い伝えがあります。橋から5分程歩くと晴明神社があり、実際に戻橋で使われていた欄干の柱が使用され、昔の風情を再現した一條戻橋と式神石像が置かれています。

 京都御苑の反対側、東側に、紫式部の邸宅跡の廬山寺が有りますので、京都御苑を横切ります。途中、今度は御所の外側から、宜秋門と建礼門を見ていきます。御苑東側に接して、明治維新に貢献した三條實萬・三條實美父子を祀る梨木(なしのき)神社があります。ここの一の鳥居と二の鳥居の間には、珍しいことにマンションが有りますが、社殿の修復等の資金集めのため、苦渋の決断で参道を定期借地権で貸したそうです。やむを得ないと思いますが、神社庁の承認は得られなかったようです。

 神社から寺町通りを渡ると、紫式部の邸宅跡に建つ天台宗の廬山寺が有ります。看板に寄ると、紫式部はこの場所で源氏物語を書いていたようです。但し、現在の本堂は1794年に、光格天皇の仙洞御所の一部が移築されたものです。紫式部が居た頃はこの辺りは街外れで、寂しい場所と思います。

 雨もまだ降ったり止んだりですので、雨宿りも兼ねて京都国立近代美術館を見学することにします。丁度、コレクション展をしていました。モンドリアンや甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)、竹久夢二等の絵が展示されていました。見た後は、Ⅰ階のcafé de 505 (カフェ・ド・ゴマルゴ)で、一休みします。

 雨も止んできましたので、平安神宮に行ってみます。美術館の前に神宮の大鳥居があり、そこから参道が平安神宮に続いています。応天門下で入場券を買い、境内に入ります。2025年に御鎮座130の式年を迎えるとのことで、大極殿は大規模に補修工事を行っています。外拝殿で参拝した後、神苑を見学しますが、夕方で雨模様であったためか、観光客はほとんどいません。暮れなずむ中、池に映る泰平閣や神宮会館には幻想的な雰囲気があります。

 今日は四条河原町の「おにかい」で新鮮な京野菜をメインに頂くこととします。1階の入口は狭く、急な階段を上っていきます。野菜料理を数種類食べたあと、魚の煮付け、フライ、牛のステーキを頂きました。〆の鯛飯には、野菜の煮汁を入れ、茶漬けで食べることも出来ます。従業員は皆さん若く、威勢が良いので、こちらも元気が出ますね。

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国内旅行

宇治、石峰寺、伏見稲荷

<一日目>

 人混みを避け、師走の京都に行ってみます。今日は「NHK光る君へ」の影響も有り、源氏物語宇治十帖の舞台、宇治へ。JR宇治駅で降り、宇治橋に向かいます。途中のパン屋さんは、土地柄か、抹茶系が多いですね。宇治橋の袂の夢浮橋之古蹟に、紫式部像が鎮座しています。

 縣(あがた)神社一の鳥居からのあがた通りではなく、横の平等院表参道に進みます。但し、今回は平等院へは行かず、宇治川沿いの、あじろぎの道を歩きます。今年は、暖冬の影響で紅葉が遅かったので、この辺りは丁度見頃です。

 宇治川の中州は「中の島」といい、塔ノ島と橘島からなっています。あじろぎの道から喜撰橋を渡り、塔ノ島に行くと、島の名前の由来となった浮島十三重石塔が有ります。鎌倉時代に建てられた塔ですが、高さ15mもあり想像以上に巨大です。この石塔は、洪水や地震でたびたび倒壊しており、現在のものは明治時代末期に発掘、修造されたものです。対岸を見ると、宇治発電所からの激しい放水流が見えます。橘島に渡ると、樹齢70年の「宇治川しだれ」に出会います。この辺りは、桜の木が多く、シーズンになると宇治川さくらまつりが開催され、ライトアップもされる様です。朝霧橋を渡り、対岸に渡ります。

 上流方向に進み、道元禅師が1233年伏見深草で開き、曹洞宗最古の道場である興聖(こうしょう)寺に参拝します。石門から参道である琴坂を登り、山門から境内に入ります。曹洞宗の道場であることからか、造りは永平寺に似ています。洩れ聞こえる会話から、多くの僧が修行に来られているようです。ここの法堂は伏見城の遺構を用いて建立されているため、天井には血の手形、足形があります。

 下流方向に戻り、宇治神社に参拝します。言い伝えでは、応神天皇の皇子・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)が河内の国からこの土地に向かう途中で、道に迷っていたところ、一羽のうさぎが現れ、何度も振り返りながら正しい道へと案内したとのこと。そのことから兎は、正しい道へと導く「神使のみかえり兎」とされているようです。その後、菟道稚郎子命はここで自害し、ここに祀られています。

 宇治神社の後方に、菟道稚郎子命・応神天皇・祀っている祀っている宇治上(かみ)神社が有ります。拝殿、本殿ともに国宝で、一帯は世界文化遺産に登録されています。特に、本殿は1060年頃のものとされ、現存最古の神社建築です。拝殿は、鎌倉前期の造営。国宝で有り、世界文化遺産なのですが、神社自体は、とても簡素です。

 宇治川東岸からこの一帯までの道は、さわらびの道となっています。道を先に進み宇治市源氏物語ミュージアムを見学します。内部には、源氏物語での宮中や宇治十帖のシーンが再現されており、平安の文化を体験出来ます。体験コーナーには源氏香が展示されています。源氏香は、5種類の香木がそれぞれ5つずつある中から5つ選び、その香木の香りの違いを当てるもので、組合せが全部で52通りあるので、『源氏物語』全54帖から最初と最後を除いた52帖の各名が解答名に使われています。実際やってみると、私にとっては匂いそのものが微かで、良く分かりません。

 遅くなりましたが、昼食は、宇治橋近くのつばめ屋で、えび天茶蕎麦を頂きました。最後は、近くにある、宇治橋の管理を任された放生院(橋寺)見て宇治を後にします。

 伏見では、稲荷に行く前に、若冲が晩年過ごしたことで有名な石峰寺を訪れてみます。住宅街にある細い石段を上って行くと、黄檗宗に特徴的な龍宮造りの山門が見えてきます。門をくぐり受付を済ませ、参拝の後、裏手にある若冲の墓を訪れます。ここが、今人気が沸騰している若冲の墓ですが、ここの周りは静寂に包まれています。更に石段を上り、唐門を過ぎると竹藪が有り、その中に500体(かつては1000体)の、若冲が石工に彫らせた羅漢像が展開しています。現在、写真撮影は禁止されていますが、色々な表情の苔むした石像がこちらを見ており、その規模観や迫力はこれまで見た五百羅漢の中では一番でした。

 今日の最後は稲荷神社の総本宮の伏見稲荷大社です。石峰寺からは徒歩10分程です。大社では、早速狐が出迎えます。伏見稲荷大社では、右の狐は稲穂・玉、左の狐は巻物・鍵をくわえているようです。それぞれの由来は諸説有るようですが、狐を見るたびに確認していきます。そうこうするうちに千本鳥居に入り、途中の三つ辻を左に曲がり、今日の観光は終了とします。

 夕食はホテルのそばの風屋杉原に行きます。前回同様、カウウターですが、今夜は比較的お客さんが少なかったためか、ご主人から、駅伝の話(昔活躍されており、今は支援側、後援チームは週末の京都高校駅伝に参加する由)、錦市場の問題、地元京都のオススメのお酒等々お話をずっと伺うことが出来ました。話に夢中になり、写した料理以外にも色々頂きましたが、撮影を忘れてしまいました。知識が増え思い出深い夜になりました。

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国内旅行

湯布院、杵築

<三日目>

 今日も晴れています。幸運なことに、朝食は、昨日と同じ席でした。今日は、湯布院に向かいます。途中、別府の街と別府湾の眺望が楽しめる、十文字原展望台と、高速道路の別府湾サービスエリア内の「恋人の聖地」に立ち寄ります。この二つの場所は下の写真にあるように立命館アジア太平洋大学の駐車場を挟んだ位置にあります。由布岳の裾野を抜けると、狭霧台展望台がありましたので、これから行く湯布院の街を眺めます。

 昼食には少し早いのですが、金鱗湖に面した「CAFE LA RUCHE」に入り、きのこのタルティーヌとホットドックを頂きます。食事後、金鱗湖周辺を散策します。紅葉しかかった木々が、鏡のような湖畔に絵画のように反射して映っています。しばらく遊歩道を歩くと天祖神社に行き着きます。境内には御神木の大杉がそびえていますので、触れて、パワーを頂きました。この金鱗湖には竜の伝説があります。「ここは昔大きな湖で竜が住んでいた。ところが由布岳の女神である宇奈岐日女(うなきひめ)が湖壁を蹴破らせ、湖水を奔流させると、現在の由布盆地が現れた。急に湖をなくし、神通力を失った竜は、天祖神に、この地に安住の地を与えてくだされば、永くこの地を護りましょうと言い、願いが叶った」と言う話です。

 金鱗湖から、ショップやカフェ、小さなギャラリーが建ち並ぶ湯の坪街道を歩いて行くと、由布院駅に到着します。道から駅にかけ観光客が大勢居ますが、8割方は外国人、特に韓国の旅行者が多いです。戻りは、辻馬車の通り道である「参宮通り」を通って帰ります。この道は、先ほどの伝説にある湯布院盆地を造った宇奈岐日女を祀った神社への参道です。

 湯布院に、大分県随一の大きさを誇る巨木があるということで、町から1㎞ほどの山裾にある大杵社(おおごしゃ)に行ってみます。そこは、当日観光客はだれもおらず、シーンと静まりかえった中に、鄙びたお社があります。その境内に、見るからに年期を経た大杉がそびえています。パワースポット感大ありです。

 湯布院に来たからには、やはり温泉に入りたいということで、湯布院盆地を見下ろす高台にある温泉保養集落「束ノ間」に立ち寄りました。ここの温泉は、昔の湯治場のスタイルで、食事の提供は無く、自炊あるいは外食です。そこの一角が立ち寄り湯となっており、券売機で入湯券を購入して、湯殿に向かいます。当日、男湯は無人だったので、晴れ晴れとした空の下、乳白色の湯殿で、雄大な由布岳を、一人で堪能できました。

 杵築では、杵築城の見学からスタートします。城の近くまで車で行けるらしいのですが、知らないので駐車場から徒歩で向かいました。杵築城は三方を海に囲まれた海城で、東向きに突き出た形状です。大きさは東西に650m、南北290mだそうです。天守までは、思った以上に歩きます。天守からの眺望は、三方が川の河口で、海城で有ったことが実感できます。

 時間が少しありますので、九州の小京都といわれている街を散策します。城から5分程歩くと台地が有り、勘定場の坂を上ると、北台武家屋敷通りになります。両側には昔の武家屋敷が建ち並びます。土塀の一部が剥落している所もありますが、良く整備されていると思います。萩などもそうですが、古い街並みの維持はとても費用が必要と思います。最後はふるさと産業館観光案内所でお土産を買い、今回の大分旅行は終了です。空港に向かいます。

 大分空港への途中、夕食を、元禄うどんで頂くことにしました。クロメ(佐賀関特産の海藻)うどんと具が多く入っている元禄特製うどんをお願いしました。それにビールとお酒:西の関(国東市)。窓の外では、守江湾が暮れていきます。

 おんせん県での最後は、空港到着口の右手にある足湯です。この温泉は別府から直送しているそうです。利用は無料です。ところで足湯ののれんに書かれていますが、大分空港を、水平型宇宙港として活用する「スペースポートおおいた」の構想があるようです。今年九月に訪れた北海道大樹町と同様ですね。

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国内旅行

大分、臼杵、別府

<二日目>

 今日も晴れています。窓からは、遠くに製鉄所が見えます。朝食前に府内(大分)城址に行ってみます。内堀や、周囲を囲む櫓、大手門等は美しく復元されています。但し、大手門を入った所にある大分城址公園は、殺風景な駐車場でがっかりさせられますが、天守台は残っていますので、急な階段を上って四方を見てみます。大分県の中期計画では天守閣も復元され、この一帯は様変わりとなるようです。

 朝食後は、臼杵市に向い、石仏と城を見学します。最初は臼杵石仏です。観覧券を購入して、小高い丘に登りますが、昨日の熊野磨崖仏に比べると全く楽です。ホキ石仏第一群、第二群、山王山石仏、古園石仏の順に見学します。ホキとは「崖」という意味でこの一帯の地名です。何れも平安後期から鎌倉時代の作です。古園石仏は、磨崖仏では、全国で初めて国宝に指定され、その後、石仏群の追加指定が有り現在60体程が国宝とのことです。大日如来像の前で、家内安全と身体健全の御線香を捧げました。

 臼杵石仏周辺は盆地となっており、現在、臼杵石仏公園となっています。昔は、一帯が磨崖仏を本尊とする満月寺(蓮城法師創建)という五院六房からなる天台宗の大きな寺院だったようです。現在も、臼杵石仏公園を挟んで反対側に、満月寺があり、そこには、石仏を彫ったと言われる蓮城法師と、法師に石仏を彫らせたという真名野長者夫妻の像(室町時代の作)等があります。

 臼杵は、当初はキリシタン大名として有名な大友宗麟の領地でしたが、最終的には、稲葉家が廃藩置県まで治めていました。稲葉家は東京に移りましたが、里帰り用の下屋敷が現存しています。その隣には、地元出身の実業家、荘田平五郎が1918年に寄贈した大正時代の図書館があります。落ち着いた街の雰囲気が漂います。では臼杵城に向かいます。

 臼杵城は、周囲の海が天然の要害となり、堅固な守りを誇っていたようです。それではまず鐙(あぶみ)坂から城内に入っていきます。落石の危険があるため、坂は防護壁で覆われています。上りきったところに大門櫓があり、そこから二の丸に入ります。現在、ここは公園で、一部はグラウンドになっています。二の丸から空堀の間を進むと本丸になります。本丸も天守櫓も、今はその面影はありません。城の東端には亀首櫓跡があります。遠くに津久見島が見えますが、かつてはこの下から海が続いていました。最後、臼杵市観光交流プラザに立ち寄ります。

 昼食は別府、地獄蒸し工房鉄輪(かんなわ)で、地獄蒸し料理を頂くことに。平日でも混んでいますので、予約をして、先に地獄巡り観光を始めます。地獄巡りの共通券には7つの地獄がセットされているので、近くの白池地獄からスタートします。ここはその名の通り、青白いお湯が大量に沸いています。どの地獄も別個にアトラクションを持っており、ここはアマゾンの熱帯魚です。次は、鬼山地獄です。ここも緑白色のお湯がモクモクと沸き出しています。ここはワニの大量展示です。ワニは夜行性なので、あまり動きません。次は、かまど地獄です。一丁目から六丁目まで様々な色の温泉が湧いています。そろそろ予約した蒸し工房の時間になりますので一旦観光を中断します。

 地獄蒸し工房鉄輪のシステムは、各自食材を選んで、自ら15分程98度100%地熱の蒸しガマで蒸すという物です。食材は持ち込みも出来ます。メニュー3番の地獄蒸し玉手箱を選択しました。アルコールは禁止で、ノンアルビールを自動販売機で購入しました。

 昼食後は、海地獄から再開です。ここは温泉の熱を利用した庭園がアトラクションです。ここもコバルトブルーの温泉が大量に吹き出しています。温度は98度とのこと。この地区の最後は鬼石坊主地獄です。粘土質の熱泥が球状に沸いており、坊主頭に似ていることがその名の由来だそうです。べつの噴出口からは轟音が鳴り、それが鬼のいびきの様に聞こえることから、「鬼の高いびき」とも呼ばれるものもあります。ここの足湯場が空いていましたので、早速入ってみました。

 血の池地獄、龍巻地獄は2㎞ほど離れています。行く途中の道からは、別府の街と別府湾がよく見えます。血の池地獄はその名の通り、酸化鉄やマネシウムを含んでいるため、噴気まで赤く染まっています。高台に上って全体を見回すと、以外と面積は広く湯量の豊富さが窺えます。最後は、龍巻地獄です。間欠泉です。15分毎に噴き出すようです。危険なので、上に覆いがあり、遠くに熱湯が行かないようになっています。これで、地獄巡りは終了。いずれにしてもこの一帯の湯量はすごい!それでは宿に向かいます。

 今日の宿は、界別府です。部屋の窓は別府湾に面しており、晴れていましたので、大分の工業地帯や遠くには四国も見えます。食事にはまだ時間もありますので、別府の街を歩いてみます。駅前の通りには、歴史を感じさせるアーケードや温泉があります。駅の看板にはやはり温泉マークが描かれていました。駅前に手湯の施設がありましたので手を浸してみました。

 夕食は遅めの19時30分からです。このホテルは、隈研吾設計事務所の設計で、竹細工、手漉き和紙など当地の工芸を用いて内部空間をデザインしたそうです。そんなことを感じながら、2階から1階の食事処に向かいます。席は幸運にも、窓のある席でした。料理もタイミング良く出され、素敵なひとときを過ごしことが出来ました。