<一日目>
今回は、紅葉にはまだ若干早いですが、山形県の立石寺と蔵王に行くことにします。根本中堂そばの駐車場に車を置き、まずはお参りです。ここにある不滅の法灯は、もともとは延暦寺から分かれたものですが、信長の焼き討ち後、延暦寺再建のおりは、ここから分けたと伝えられています。途中には、芭蕉の句碑と像があります。




山門から入場します。ここから奥の院までの参道には石段が 800段あるそうで、一つ一つ石段を上ることによって、煩悩が消えていくと言われています。途中に姥堂がありますが、このお堂から下は地獄、上は極楽という浄土口です。ここは古来からの修行の道で、一番狭いところは四寸道と言われています。




(残り640段)
芭蕉の弟子たちがこの地を訪れ、この場所が芭蕉翁の句をしたためた場所ではないかと思い、翁の遺した短冊をこの地に埋めて塚を立てたものが「せみ塚」となっています。反対側の崖には、弥陀洞があります。風化した岩の表面が、阿弥陀如来の姿に見える人には、ご利益があると言われています。ようやく仁王門に到着です。立石寺の参道脇の断崖には、岩に掘られた窪みが多数見られます。これらは単なる自然の地形ではなく、修行者や信仰者の供養のために設けられたもので、お墓としての利用もあるようです。




たくさんの窪み
奥の院に行く前に、開山堂と五大堂に立ち寄ります。開山堂は立石寺を開山した円仁のお堂で、木製の尊像が安置されています。そのそばに納経堂がありますが、これは山内で最も古い建物だそうです。開山堂の脇を上ると、いよいよ五大堂です。ここは五大明王を祀り、天下太平を祈る道場で、山寺随一の展望台です。眼下に、山寺の門前町や山里が一望できます。

納経堂(左)


(仙台方向)

(正面は立石寺駅)
いよいよ奥の院です。最後の階段を上り切ったところに奥の院があります。奥の院は左の大仏殿と右の如法堂の総称です。参拝後、線香とろうそくを奉納しました。




登山口から奥の院まで上り、奥の院から下山口まで下って2時間弱の行程です。昼食は美登屋でお蕎麦を頂くことに。板そば(二人前)と名物のだしそばをお願いしました。ゆであがる前に、出羽桜を1合。そばの1人前はボリュームはそれほど多くないと考えていましたか、ここの1人前はボリュームがあり、お腹がいっぱいに。当面蕎麦は食べたくない感じです。昼食後は山形市へ向かいます。




市内に入る前に、馬見ヶ崎川沿いの日本一の芋煮会フェスティバル会場そばにある大鍋、三代目「鍋太郎」直径6.5mを見学します。当然日本一です。次に市内に入り旧山形県庁および県会議事堂であった「文翔館」の見学です。この建物は1916年完成、英国近世復興様式で、大正建築の傑作と言われており、国の重要文化財に指定されています。現在は山形県郷土館として、山形の歴史や文化、文学が紹介されています。

使う鍋



文翔館前からの七日町商店街の大通りを進むと、水の町屋七日町御殿堰があります。市内を流れていた水路を回収復元して、町屋風の建物や蔵の中に飲食店や雑貨店を配置しています。ただし長さは 80mくらいです。山形城跡の霞城公園に向かいます。途中、餅の星野屋に立ち寄り、お餅をいただきました。




ずんだ餅
ごま餅
現在の城郭は11代城主最上義光が築いたものが原型とされています。二ノ丸東大手門が復元されており、そこから霞城公園に入ります。最上義光(よしあき)騎馬像の前を過ぎると、正面に特徴ある形式の山形市郷土館(旧済生館本館)が見えてきます。この建物は1878年に建てられ、最初は県立病院として、その後市立病院済生館の本館として使用されていました。当初は医学校も作られ、オーストリア人石医師ローレツ博士が招聘されています。




(旧済生館本館)


せっかくですので済生館の隣にある山形県立博物館も見学してみます。ここには、はにわの国宝「縄文の女神」を始め、山形県の自然と文化が展示されています。特別展として「両羽博物図譜」(博物学者松森胤保(たねやす)に描かれた動物たち)が開催されていました。私にとって全く知らない人ですが、両羽(羽前・雨後、山形・秋田)に生息している動植物が、超細密に図譜に描かれています。展示では、それらの剥製や標本が図譜と比較できるように近くにおかれていました。これで市内見学を終了しホテルに向かいます。



(松森胤保展)

夕食は、山形の旨いもの、美味しい酒があると言うことで、ホテルの案内にも載っている母家 (マザーハウス)に行きます。いも煮をはじめとして山形の地のものを頂きました。お酒も山形正宗(天童市、水戸部酒造)と雅山流如月(米沢市、新藤酒造)をトライ。



舞茸の天ぷら(下)



