<一日目>
今回は佐賀を巡りたいと思います。途中、福岡空港から車で20分程の四王寺山(しおうじやま)にある、日本百名城の一つ、大野城跡に立ち寄ります。ここは、唐・新羅連合軍に白村江で大敗をきした日本が、九州北部の防御態勢を固めるため造られた山城で、有事の際に大宰府政庁の官人や住民が逃げ込み籠城する「逃げ城」であったようです。尾根に沿って版築土塁が8㎞に渡って築かれています。炭化米が出土した焼米ヶ原には、高床式の食料備蓄倉庫があったようです。

(九州博物館、
手前は大宰府天満宮)



少し下ったところに大宰府口城門跡があります。山の麓の大宰府政庁と、ここで行き来していたのでしょうか。道路の反対側には、4棟分の高床式倉庫の礎石である増長天礎石群があります。説明文には、倉庫の高さは8mで1棟に5~600人の1年分の稲穀が蓄えられていた、とあります。この景色からは想像も出来ませんね。そばに小さな「鏡ヶ池」があり、当時の井戸と考えられています。ここで雨乞いのため鏡を投じたとの言い伝えがあるため、「鏡ヶ池」と呼ばれているようです。




次は佐賀、吉野ヶ里歴史公園に向かいます。お昼時ですので、歴史公園センター(東口)にある吉野ヶ里歴史公園レストランで、古代貝汁御膳と佐賀の恵みハンバーグ定食を頂きました。古代貝汁御膳はアサリの味噌汁、わらすぼ(有明海のみに生息する、ハゼ科の魚)、いか焼売、赤米、みつせ鶏(佐賀県で飼育されているフランス系赤鶏をルーツに持つ銘柄鶏)での混ぜご飯でした。この御膳は、わらすぼとムツゴロウの炙りが交互に出るとのことなので、売店で、ムツゴロウの干物を買ってみました。

(東口)

レストラン

佐賀の恵み
ハンバーグ定食

ムツゴロウの干物
昼食後、さっそく公園東口から中に入ります。入り口からは田手川を跨ぐ幅のとても広い天の浮橋を通って、環濠入り口まで行きます。環濠は堀と城壁で囲まれ、堀の内側には防御のため先を尖らした乱杭もあります。集落全体が守りをかためており、弥生時代は思った以上に戦があったようです。




入口そばの展示室に入ってみます。出土した甕棺が多く展示されていますが、遺体を、二つの甕棺を左右につなげた中に入れて埋葬する、ということをここで初めて知りました。また、上層人と庶民の衣裳の違い、渡来人(吉野ヶ里地区)と在来系(唐津地区)の人相の違いなど、興味深い展示があります。




集落はいろいろなエリアに分かれていますが、王たちの家がある南内郭から見学します。このエリアは塀で囲まれ、物見やぐらが四棟も建っており警備が厳重なことが伺えます。物見やぐらからは、集落一面が見渡せます。


(物見やぐらの眺望)

(物見やぐらの眺望)

次はその隣にある北内郭です。ここは、巨大な主祭殿や物見やぐらが発掘された場所で、祭祀儀礼や政治を行う場所であったようです。二重の堀や高い柵があり、厳重に警護されているようです。2階は主祭殿での重要な祭祀のあとの宴会の様子、3階はクニの最高司祭者が祖霊からのお告げを聞くために祈っている様子が展示されています。主祭殿の隣には、最高司祭者の住居がありますが、最高司祭者はこのエリアの外には出なかったようです。




次はお墓のエリアに行きます。北側にはピラミッドのような巨大な北墳丘墓が有り、内部では甕棺の発掘状況が展示されています。ここは王やそれに近い身分の人が埋葬された場所です。手前の原っぱには、庶民の遺体が埋葬された甕棺が、300m、500基の墓列があります。




次は市と倉のエリアです。ここには、高床式の倉庫群と、中心には市が行われていた建物があります。見学の最後は、南のムラのエリアです。この区域には塀や壕などは無く、竪穴住居3~4棟に対し共同の高床倉庫1棟が付くという、他と地域の一般的な集落と似ています。これで吉野ヶ里歴史公園の半分は回ったことになります。本当に、ここは広いですね。


次は、日本100名城の一つ、佐賀城に向かいます。吉野ヶ里歴史公園からは30分ほどです。佐賀城は天守から三の丸まで1726年に焼失していますが、本丸再建に際して造られた本丸の門である鯱の門は、当時の姿を残しています。本丸御殿も再建されているのですが、明治以降役所や小学校として使用されていました。2004年、その遺構を残しながら佐賀城本丸歴史館として開館しています。 入口から外書院に入ると、外御書院の大空間が現れます。ここには本丸完成披露の折、千人の家臣が集まったと言われています。




御座間は、藩主鍋島直正の仕事部屋です。ここも鯱の門と同様、現存する天保期の建物です。鍋島公が座っていらっしゃいますので、私も隣に座って写真を撮らせて頂きました。ここの障子の一部は石垣張りとなっています。当時は、大きな紙がなかったので、紙が重なる部分を石垣のように見立てたようです。東廊下には、没後150年を記念して、佐賀の偉人、江藤新平の功績を紹介しています。御料理間では幕末の佐賀藩が推進した反射炉や蒸気船など、科学技術の成果を紹介しています。




佐賀城の堀は、幅70m程もあり、とても広く感じます。残念ながら、昭和のはじめに半分ほど埋め立てられ、現在は西側の半分が残っています。本丸の西側は土塁石垣で、外面が石垣、内側は土塁という珍しい造りです。南西の隅には、珍しい亀甲乱積の櫓台石垣があります。道路(昔は堀)を隔てて、反対側のかつての三の丸には佐賀県立博物館・美術館があります。美術館のミュージアムカフェ「cafe TRES(カフェトレス)」に入り、有田の酒蔵「宗政酒造」のピルスナーで喉を潤します。出されたグラスも、有田焼でした!


西側土塁石垣(奥)


美術館は佐賀出身で東京美術学校(東京藝術大学)教授であった岡田三郎助の絵画常設され、博物館はこれまた佐賀出身の大隈重信が作った高輪築堤の説明がメインでした。美術館の外には東京から移設した岡田三郎助のアトリエが公開されていました。やはり佐賀の偉人オシですね。




今日の夕食は、ホテルそばの第三吉(きち)丸に入ってみます。まずは佐賀の地元食、ガニ漬け(小型のカニの塩辛)、ムツゴロウの煮付け、うみたけ(ミル貝のような見た目の大きな水管が特徴の二枚貝、その水管を食す)の一夜干しをトライしてみます。お酒は小城市の「天山」です。後も佐賀尽くしで、佐賀牛のサイコロステーキ、みつぜ地鶏の塩焼、いか焼売と続きました。佐賀を堪能した夜となりました。


突出し(右)






