<一日目>
季候も良いので、今回は、クラブツーリズムのバスツアーで、会津に行ってみます。東北道で南会津の大内宿を目指しますが、その前に昼食休憩を那須高原SAで取ります。ここでは、喜多方ラーメン、郡山ブラックとならんで福島のご当地ラーメンである白河ラーメンを頂きました。手打ち風の縮れ麺に、豚骨と鶏ガラだしの透き通ったあっさり醬油ベースのスープです。鳴門と海苔がトッピングされ、昔風のラーメンで、懐かしい感じです。

白川の郷

高速を下りて1時間ほど山道を上ると、大内宿に着きます。ここは、かつては会津と日光を結ぶ会津西街道の宿場で、大いに賑わったようです。通りの両側に茅葺きの建物が50軒ほど整然と並んでいます。急な石段を上って、見晴台から見ると、茅葺屋根が連なり、まるで江戸時代の街並みのようです。




大内宿をしばらくブラブラしたところで、大内宿名物のお蕎麦を頂くことにします。かつて脇本陣であった石原屋に入ってみます。梅おろしそば(高遠そば)とねぎそば(箸の替わりにネギですくって頂く)、地酒を頼みました。お酒は男山といわれましたが、この地域には男山の酒蔵が二軒あり、どっちだったのか?。ちゃんと確認しておけば良かったと思います。



ねぎそば(下)

大内宿のほぼ中央に、かつての本陣を再建した「大内宿町並み展示館」がありますので見学してみます。館内1階には江戸時代の生活用具が多数展示され、2階には蚕棚がありました。大内宿に、一軒、茅葺屋根を補修している家がありました。「所さんの目がテン」で、現在、茅葺屋根の葺き方が放映されています。大量の茅と手間がいるようで、この町並みを維持するのは一苦労と思います。大内宿の入口に、三澤屋がありますが、この店が、ねぎで食べるスタイルの元祖です。




今日の宿は、裏磐梯の「星野リゾート磐梯山温泉ホテル」です。食事はビュッフェでしたので、何回か料理を取りに行きました。また、お蕎麦も!お酒は、会津男山酒蔵の「回」です。食事後は、ロビーの日本酒の講義を聴講しました。おちょこで一杯、お酒が出されました。

(何回か目)

<二日目>
朝、ホテル周辺を散策します。まだ早いので、ロビーに人影はありません。昨日、バーカウンターでは、会津の酒の利き酒をやっていました。ホテルの前に出ましたが、普段はここから猪苗代湖が見えるはずですが、今は霧で下界が見えません。ホテルの反対側は、猫魔ヶ岳の南にあたり、広々としたゲレンデ(南エリア、旧アルツ磐梯)となっています。山の反対側は北エリア(旧猫魔スキー場)で、桧原湖を臨むゲレンデがあります。今は山全体が「星野リゾート ネコママウンテン」のビッグゲレンデとなっています。ホテルの方に伺うと、冬はタイからの観光客が、福島空港経由で、大勢来るとのことです。




ホテルから1時間弱の場所に、五色沼があります。正式名称は五色沼湖沼群といいます。今回は、五色沼で最大で、エメラルドグリーンが美しい毘沙門沼に立ち寄ります。遊歩道が整備されていますので、1.5時間ほどで10ヶ所くらいの湖面の色や表情の異なる沼を巡ることができるようです。この場所から見る磐梯山は、山がV時となっていて、かつて山体崩壊した、と言うことが良く分かります。

(後ろは売店)



昼食は、会津若松市に行き、鶴ヶ城に隣接している「鶴ヶ城会館」で頂きます。会場は、かなりの大きさです(500人収容)。今日の昼食はわっぱ飯と鶏ももときのこ鍋でした。会場で提供していたお酒は、地元ブランドの「鶴ヶ城」ですが、福島県内限定販売だそうです。



鶴ヶ城(辰泉酒造)

昼食後、さっそく城に向かいます。北出丸を抜け、本丸に通じる大手門(藩主の登城や非常事態などの際に叩かれる大太鼓が置かれていたことから、太鼓門といわれる)を通ると、正面に高い石垣の上に鶴ヶ城天守が現れます。現在の城は1965年に再建されていますが、かつての城は、戊辰戦争での激し攻防戦を耐え抜いています。本丸の石垣には、敵が来襲した際、石垣の上に素早く駆け上がるための武者走りがあります。さっそく天守に入り見学しますが、この城やその周辺は中高生で一杯です。周辺の県から大勢来ているようです。

追手前西濠(中央)



内部は、唯一の遺構である塩蔵の展示から始り、一層~四層まで会津の歴史が紹介されています。五層が展望施設となっており、会津の城下が一望出来ます。城の北東には磐梯山、その手前には,白虎隊が自刃した飯盛山がすぐ近くに見えます。



飯盛山(手前左)

説明図
天守からは南側に走長屋が出ており、本丸南側の石垣まで続いています。その途中には表門(鉄門、くろがねもん)がありますが、これは天守に通じる正面玄関です。 木製の扉と柱が鉄で覆われていることから「鉄門」と呼ばれています。本丸には、千利休の子・少庵が会津にかくまわれた際に建てられたと伝えられる茶室麟閣があります。そこでは、茶室を眺めながら、抹茶のセットを頂きました。お菓子は、藷蕷(しょよ)饅頭(山芋と米粉を使った饅頭)でした。

表門(鉄門)



茶室麟閣の裏手の石垣には、土井晩翠が鶴ヶ城と仙台城(青葉城)をイメージして作詞したことを記念した、荒城の月碑があります。そこから石垣沿いに進むと、廊下箸がありますが。この橋で本丸と二の丸がつながっています。築城当時はこちら側が追手口だったそうです。最後は、萱野国老殉節碑の前で、萱野権兵衛を偲びます。戊辰戦争の責任を取るため、会津藩の責任を負う形で、彼だけが、江戸で自刃しています。集合時間になりましたので、バスに戻り、今回の旅行を終了します。


廊下橋(奥)

高石垣
