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柳川、大刀洗、日田

<三日目>

 昨日は、柳川の街を散策していなかったので、食事前に少し歩いてみます。あいにく雨が降っています。まずは柳川城本丸に向かいます。かつての城跡は、本丸が柳城中学校、二の丸が柳川高等学校のキャンパスとなっており、石垣や堀が残っているのみです。元の城の中堀沿いに、遊歩道が整備されていますので、歩きながらホテルに戻ります。途中には船頭さんの訓練所の看板がありました。船頭さんを募集している会社のホームページを見ると、水に対する恐怖心が無ければ、3ヶ月の研修で、必ず漕げるようになり、唄も学べるそうです。

 朝食事後、幸いなことに、雨はあがりました。今日は、柳川城の北東(鬼門)に鎮座する三柱(みはしら)神社からスタートします。三柱神社は、初代柳川藩主 立花宗茂、岳父 戸次道雪(べっきどうせつ)、宗茂の妻 誾千代(ぎんちよ)の三神を祀っていることから三柱神社と称されています。宗茂は、関ヶ原の戦いで西軍に付いたため、一度は柳川を去ることとなりましたが、その後に功績が認められ再び柳川藩主に返り咲きました。西軍で元いた領地に戻ることができた大名は、宗茂ただ一人だったことから、「復活の神様」として、崇敬されています。一方、妻の誾千代も、父から城主を譲られ、武装し軍を指揮するなど、様々な伝説が残る「戦う女城主」として知られており、柳川では、「立花宗茂と誾千代」の大河ドラマ実現の招致活動が行われています。

 今日はこの後、アド街で3月に放映されていたことも有り、日田に向かいます。途中、今村天主堂と大刀洗平和記念館を見学します。今村天主堂は、1913年に竣工した教会で、現在、国の重要文化財に指定されています。普通の日本の住宅地のまん中に、2つの塔を持つロマネスク様式の赤レンガ作りの建物が、どーんと聳えている光景は、建設に献身的に労働奉仕をした多くの熱意が感じられます。残念ながら、建物は現在耐震工事中で、中を見学することはできません。

 そこから来るまで10分程の場所に、大刀洗平和記念館が有ります。この一帯は、かつて「東洋一」と謳われた大刀洗飛行場を中心とした、日本陸軍の西日本最大の航空拠点でした。大戦末期には、この飛行場は、知覧などに向かう特攻隊の中継基地となっていました。そうした経緯から、館内には、航空特攻で戦死した約4,000名の名簿が展示されています。航空機の展示としては、いずれも世界で唯一現存している零式艦上戦闘機三二型と九七式戦闘機、また、ゴジラ-1.0の撮影のために製作された震電の実物大模型があります。

 大刀洗から日田(ひた)に向かいます。昼時になりましたので、ここでは名物の日田焼きそばを、「三久」で頂きます。こだわりの自家製麺を使用し、炒めるというよりは焼くと行った調理法なので、通常の焼きそばに、ベビースターラーメンが入っている感じで、モチッとした食感とパリッとした食感の両方があります。ソースも自家調合だそうです。

 日田は、「進撃の巨人」の作者である諫山 創の故郷です。「進撃の巨人」の、周囲を壁に囲まれるという閉塞した設定は、作者が「壁のような山に囲まれた」と表現する出身地からの着想だそうですが、そのエリアは、更に先に行く必要があります。サッポロビール九州日田工場の敷地内に、進撃の巨人 in HITAミュージアム ANNEXがありますので、替わりにそこに行きます。館内には、作者がセレクトした、コメント付きのシーンが展示されています。

 今日の最後は、日田の豆田町の散策です。無料駐車場は、月隈公園に有りますが、そこは、慶長年間に小川壱岐守が永山城を築城し、徳川の時代からは幕府直轄地となり、日田代官の居城となったところです。今は、その城跡は石垣と堀の一部が残るだけになっています。花月川に架かる御幸橋を渡ると、豆田町に入ります。御幸通りをしばらく進み、左折、左折で上町通りに入ります。「歴史薫る小京都」といわれていますが、街自体はそれほど大きくありませんので、30分位で一周できます。最後に、上町通りの端に、清酒薫長醸造元・薫長酒蔵史料館がありましたので入り、日田の記念に「薫長ミニボトルセット」を購入しました。この街は、大宰府と異なり、韓国語を話す人が7割くらいで、中国語はあまり聞こえてきません。湯布院も同じ状況でしたので、韓国語を話す人は、福岡からここを経由して湯布院に向かうのでしょうか?これで今回の福岡の旅行は終了し、福岡空港に戻ります。

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福岡城、久留米、柳川

<二日目>

 今日も天気は良さそうです。初めは福岡城に行きます。この城は、黒田長政が関ヶ原の戦いの戦功により、筑前国ほぼ一国(52万石余)を与えられ、福岡藩の初代藩主になり、それに伴い豊前国中津(大分県中津)から移ったことにより造られました。城名は、黒田氏の故地である備前国邑久郡福岡(岡山県)に由来します。海側からは、鶴が羽ばたく姿に似ているため「舞鶴城」とも呼ばれており、この一帯は現在、舞鶴公園となっています。建物はあまり残っていませんが、石垣や縄張りがほぼ当時のままの姿だそうです。地元からは天守の建設要望が有るそうで、ここで行われる「さくらまつり」では仮設の天守が造られます。行った日は、その解体工事がされており、残念ながら、天守台に上ることが出来ませんでした。

 舞鶴公園内の元平和台球場の跡地に、鴻臚館跡展示館がありますので見学します。鴻臚館は飛鳥・奈良・平安の約400年間、中国大陸や朝鮮半島からの使節団の迎賓館や、日本の遣唐使や遣新羅使の宿泊所として使用されました。この遺構の発見は1987年と最近です。ここからまっすぐに昨日訪れた大宰府まで道が続いていたようです。

 今日の宿泊先は柳川ですが、途中の久留米で、久留米城と水天宮に立ち寄ります。初めは、久留米城ですが、これは、江戸時代の250年間この地を治めた有馬氏の居城です。城は、筑後川が宝満川と合流する左岸の丘の上に築かれています。明治になり、城は解体され、現在は本丸に、有馬記念館と篠山神社が建てられています。二の丸・三ノ丸はブリヂストン久留米工場の敷地となっています。

 次は水天宮です。安徳天皇の母である高倉平中宮(建礼門院)に使えていた女官伊勢が、壇ノ浦の戦いの後、筑後川の川辺りに遁れ、1190年、初めて水天宮を祀ったのが、水天宮の由来です。従って、水天宮の御祭神は、安徳天皇、高倉平中宮(安徳天皇の母、二位の尼 平時子(建礼門院の母、平清盛の正妻)と天御中主之神(あめのみなかぬしのかみ、最初の神)です。東京の水天宮は、有馬藩邸の御分霊が、現在の中央区日本橋に御遷座したもので、全国各地に鎮座する水天宮はすべてここの御分霊社です。

 柳川市の北東、中山熊野神社で、「中山大藤まつり」が開催されていますので、立ち寄ります。一面の藤棚できれいだったのですが、4月17日段階ではまだ1分?咲きです。柳川市のホームページの写真を見ると、22日の満開時は見たことも無い程美しい光景で、非常に残念です。それにしても藤の花の蔓は一週間程で一気に伸びるんですね。藤を見た後は、柳川市内に入るの手前にある「からたち」に入り、当店一押しという店内の広告を見て、担々風旨辛うどんを注文しました。確かに辛旨でした。

 宿に車を置き、早速、徒歩での市内観光です。ホテル近くの「柳川藩主立花家邸 
御花」に行きます。ここは、五代藩主 立花貞俶(さだよし)が、二の丸から建物を移築し、側室や子息たちを住まわせた場所です。季節の花々で彩られるようになったことから、「御花畠(ばたけ)」の愛称でよばれたようです。現在も立花家が「御花」として受け継ぎ、資料館を維持しながら、ここでホテル、宴会場を運営しています。大広間からは松濤園が隅々見渡せ、気候も丁度良かったので、いつまでも眺めていたい気分でした。居間のひな壇の回りには色とりどりの「さげもん」が飾られていますが、これは、柳川の習わしだそうです。

 次は北原白秋生家・記念館を見学します。ここは白秋生誕百年を記念して、酒造業を営む白秋の分家の土地に建設されているそうです。白秋は酒造業を営む裕福な家に生まれていますが、大火で酒蔵が全焼し、家は傾きます。焼け残った母屋を復元したものが、現在、生家として公開されています。記念館では、白秋の人生とともに、柳川の歴史が紹介されています。

 柳川で真っ先に思い浮かぶ風景は、かつての柳川城の掘割を、どんこ舟(どんことはハゼの仲間、観光用に使われる以前にはどんこ舟で魚をとっていた)で巡っていく風景です。掘割は市全域には総延長およそ930㎞!有るそうです。本日宿泊するホテルの裏側から川下りの舟が出ますので、早速船着き場まで行き、乗船します。波がありませんので、舟は揺れずに進みます。低い橋を横切るときは、客は体を舟の底で横にする必要があります。そのとき船頭さんは、舟から上の橋に飛び乗り、横切った後、舟に飛び降りてきます。観光船の運営会社は7社有りますので、舟は前後に見え、船頭さんの歌声も聞こえてきます。今回乗った伯舟観光の船頭さんも、地元の民謡など3曲歌って頂けました。船頭さんは自己紹介していましたが、ホールでも歌う現役のオペラ歌手だそうです。

 夕食は、地場の材料を使った特別会席です。柳川は鰻が名物なので、前菜で鰻の骨煎餅がどーんと出ます。献立を見て知らなかった食材は、前菜のクチゾコ(有明海で獲れるシタビラメの仲間)のしょんしょん(味もろみ)焼き、お造りのせいまき(有明海産のクルマエビ)、酢の物のミロッゲ(有明海産の赤貝)です。スマホで確認しながら頂きました。最後は鰻の相盛り重、デザートのプリンとスイカで終了です。

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宗像大社、太宰府、博多

<一日目>

 暑くなる前に、九州福岡に行きます。福岡空港から、最初は、宗像大社に向かいます。この社は、日本書紀で、天照大神が素戔嗚の剣を噛み砕き、プッと吹き出した破片から生まれた宗像三女神(田心姫神 たごりひめのかみ、湍津姫神 たぎつひめのかみ、市杵島姫神 いちきしまひめのかみ)を祀っています。厳島神社、松尾大社など宗像神を祀る全国6200社の総本山です。宗像三神は、沖ノ島(田心姫神、沖津宮)、大島(湍津姫神 中津宮)、宗像市田島(市杵島姫神 辺津宮)にそれぞれ祀られています。宗像大社は、三社の総称です。

 辺津宮参拝後、高宮参道の途中に、第二宮(田心姫神の御分霊)、第三宮(湍津姫神の御分霊)がありますので、お参りします。これで、三社にお参りしたことになります。参道を上り、一番奥に高宮祭場があります。ここは市杵島姫神降臨の場とされ、全国でも珍しい社殿の無い古代祭場です。パワースポット感が溢れています。

 辺津宮の境内に、沖ノ島から出土した奉献品8万点(全て国宝!)を中心に所蔵している神宝館が有りますので、見学します。これほど国宝が膨大な理由は、沖ノ島全体が御神体で、神職以外は上陸できず、1000年以上手つかずで守られていたためです。

 次は、太宰府に向かいます。まずは天満宮へ。宗像大社とは違い、参道も境内も中国語を話す人で溢れ、ぱっと見7割?くらいか。まずは花より団子ということで、参道にある中村屋で、焼きたての梅ヶ枝餅を買いました。焼きたてなので、餅が香ばしく、中の餡子とコラボします。この餅は、不遇の日々を送っていた道真公を哀れんだ尼が、餅に梅の枝を添えて送ったのが由来だそうです。

 おすすめ参拝ルートのに従って、境内を進みます。鳥居の前には、天神様の使いの牛がいます。参拝者は、鼻の辺りを撫でるので、そこが金色に光っています。鳥居をくぐると、心字池に架かる太鼓橋を渡ります。雰囲気は、亀戸天神に似ています。本家にあやかっているので当然です橋を橋を渡りきったところに、麒麟と鷽(うそ)の像があります。側の説明書によれば、麒麟は聖人が現れて王道が行われるとき出現する想像上の動物で、暗に道真を讃え、鷽は、一年中の嘘を天神様の誠心と取り替える鷽替神事ゆかりの鳥で、幸運を運ぶとあります。

 楼門の先に、本殿が有りますが、現在は大改修中で、2027年頃までは仮の本殿で参拝します。屋根には樹木が生い茂っていますが、工事開始時の写真と比較すると、大分成長し、大きく、太くなっています。2年後完成予定とのことですが、屋根の重量が増え、落ちないかと心配です。本殿右手はに、飛梅の木があります。道真公を慕って、都から大宰府へ一夜にして飛んできたと伝えられる、太宰府天満宮の特別な御神木です。本殿裏手には、観光客はあまりいませんが、樹齢1500年の大楠やひろはちしゃの木といった天然記念物があります。

 次は、太宰府天満宮近くにある九州国立博物館を見学します。東京、京都、奈良に次いで4番目に開館していますが、その大きさは、想像以上の巨大さです。常設展は4階で、特別展は3階で、訪れた時の特別展は、はにわ展でした。東京の次に開催されていたようです。常設展のテーマは日本とアジア、ヨーロッパの文化交流の歴史ですが、その古代の展示は、「はにわ」から始っており、はにわの展示物もかなり充実しているので、わざわざ特別展に行かなくても、と、感じました。昼食をまだ取っていないので、ここのレストラン「いい乃じ」で、九州の食材である明太出し巻き、あおさ海苔、糸島あげが入った「いい乃じうどん」を頂きました。

 大宰府政庁跡を訪れます。大河ドラマ、「光る君へ」では、まひろが来ていましたが、今は一面の原っぱで、礎石だけが残っています。跡地に隣接して、大宰府展示館がありますので見学します。そこには、大宰府政庁と大宰府のジオラマが有り、当時の様子を説明しています。当時は、大宰府政庁から博多まで、一直線の道があったようです。今の元号、令和は、ここで催された、万葉集「梅花の宴」、<時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ…>という満ち足りた情景から採られていますが、その梅花の宴で出された食事のジオラマもあります。今見ても豪華ですね。

 博多まで戻る途中に、水城跡が有りますので立ち寄ります。この辺りは、博多湾から太宰府に抜ける平野が最も狭くなる場所で、守りに適していることから、白村江で大敗した翌年の664年、長さ1.2㎞、幅80m、高さ9mの土塁と、その博多側に幅60m、深さ4mの濠が、突貫工事で造られています。かつて東門があった場所の近くに、土塁をくり抜いて「水城館」が設けられていますので、そこで5分程の説明ビデオを見た後、東堤の土塁に登ってみます。上から、西堤の土塁が見えます(濠の跡は見えません)が、想像以上に大きく、これを1年で造らねばならなかったという、その危機感が伝わってきます。ここを訪れるまでは、水城は海岸に近い場所にあるから水城だ、と考えていましたが、巨大な濠があったから水城というんですね。

 夕食はホテルの方の紹介で、近くの、「遊食亭」に行きます。ビジネスセンターに近いためか、お客は、会社帰りや接待のサラリーマンが大半でした。刺身中心に地場のものを頂き、日本酒も、「博多一本〆」と「博多の森」をお願いしました。刺身のイカも、残りの部分は、天ぷらにしてもらいました。

 時間がまだ早いので、中州エリアの屋台を覗いてみます。ここも外国人が多いですね。なんとなく入る気にもなれないので、30分程歩き、「元祖長浜屋」に行き、トン骨ラーメンを頂きました。帰りはバスでホテル近くまで戻ります。部屋に戻りましたが、窓の外からは、まだどこからか、バンド演奏が聞こえてきます。