<二日目>
当初は鞍馬に行く予定でしたが、駅に行く途中で雨が降り出したので、急遽、明日行く予定だった京都御所に行き先を変更します。平安時代の御所は、ここから西2㎞に有りましたが、焼失後、南北朝時代1331年から500年間ここは御所として使用されています。見学者は乾御門から入り、参観者休憩所で案内開始時刻を待ちます。その間、売店でお土産を購入しました。
スタートは、宜秋門(ぎしゅうもん)からです。ここから参内した高貴な公家や武家は玄関である御車寄からは入り、諸大夫の間で控えます。こには、襖の絵によって、右から虎の間、鶴の間、桜の間と三つの部屋に分かれていますが、それは身分が高い順です。畳も壁も異なっています。桜の間を使用する人は、御車寄からでは無く、外から直接入ります。隣には新御車寄が有りますが、これは、大正天皇の即位の礼の際、南面からの出入のために新設されたています。
畳の縁の違い
京都御所の南には、天皇と国賓のみ使用する、正門である建礼門が有ります。その門から、朱色の承明門を通ると、正面に重要な儀式が行われる紫宸殿が見えます。かつてここで「五箇条の御誓文」が発布されています。紫宸殿の前には、天皇側から見て、右には橘(寒さ対策で小屋の中)、左には桜があります。紫宸殿の中には、天皇の玉座である高御座が置かれています。平成、今上天皇の即位の礼の際は、分解して皇居に運んだそうです。
左には橘
右には桜
紫宸殿の東側にある宜陽殿(ぎようでん)は、御物・宝物を保管しておく納殿ですが、その北側の紫宸殿につながる軒廊で、光る君でおなじみの陣定(じんのさだめ)が行われたそうです。紫宸殿北側の渡り廊下の下を行くと、天皇の日常のおすまいである清涼殿が正面に見えます。その中央、畳を敷いた部分が日常の御座である昼御座(ひるおまし)です。
(陣の定め会場)
(左は紫宸殿)
(昼御座)
清涼殿を出た後は、文学や芸能に関わる儀式などに使用された御学問所(おがくもんじょ)です。孝明天皇が徳川家茂や徳川慶喜と対面する際にも用い、1868年には、岩倉具視を中心とした討幕派が御学問所に参内し、王政復古の大号令を発しました。道を隔てた先にある御常御殿(おつねごてん)は、天皇の日常のお住まいの機能を清涼殿から独立させた御殿で、戦前までは、天皇の京都ご滞在の際には、この御殿が使用されていました。最後は、その隣にある御三間(おみま)です。その名のとおり3つの部屋をもつ御殿で、ここも御常御殿に近い東側を上座として、上段の間、中段の間、下段の間の順に並び、庇の高さが異なっています。帰りは御台所跡を抜けて、出発地点に戻りますが、ここは戦争当時空襲に備えて、建物の間隔を広げるため、台所の施設を取り壊したため空き地となっているとのことです。御所見学の感想ですが、御所周辺も中も、維新以降、いろいろな出来事が起こっていますね。
一時間程歩きましたので、見学通路そばの、京都御苑中立売(なかだちうり)休憩所で、一休みとします。体験型お茶セット1,400円を頂きました。抹茶の泡立ては、以外と難しいです。
乾御門を出て、烏丸通りを渡ったところで、カフェレストランUENOYAMAが目にとまりました。昼食には若干早いのですが、混雑も避けたいので、入ることに。きのこパスタのランチセットを頂きましたが、パスタのおいしさに加えサラダも鰹のたたきや彩り野菜が入っていたりで大正解のお店でした。
UENOYAMA
光の君の晴明を訪れる前に、最強の御利益があると言われる霊光殿天満宮を参拝します。ここは、2度の蒙古来襲の際、時の後宇多天皇が必勝祈願をし見事退散させたことで有名になり、家康もそれにあやかり、天満宮ですが、ともに合祀されています。道真と家康二人にお墨付きを得た「天下無敵必勝利運」のお守りを頂きました。天満宮なので、ご神体の牛もいます。
次は晴明に因んだ、堀川に架けられている一条戻橋を訪れます、。ここは一条の名の通り、かつての内裏の東北の角、鬼門に当たります。当時はこの橋の向こう(東側)は寂れており、橋を渡ることには特別の意味があったようです。晴明は十二神将を式神として使役し家の中に置いていたが、彼の妻が怖がったので、十二神将を戻橋の下に置き、必要なときに召喚していたという言い伝えがあります。橋から5分程歩くと晴明神社があり、実際に戻橋で使われていた欄干の柱が使用され、昔の風情を再現した一條戻橋と式神石像が置かれています。
京都御苑の反対側、東側に、紫式部の邸宅跡の廬山寺が有りますので、京都御苑を横切ります。途中、今度は御所の外側から、宜秋門と建礼門を見ていきます。御苑東側に接して、明治維新に貢献した三條實萬・三條實美父子を祀る梨木(なしのき)神社があります。ここの一の鳥居と二の鳥居の間には、珍しいことにマンションが有りますが、社殿の修復等の資金集めのため、苦渋の決断で参道を定期借地権で貸したそうです。やむを得ないと思いますが、神社庁の承認は得られなかったようです。
神社から寺町通りを渡ると、紫式部の邸宅跡に建つ天台宗の廬山寺が有ります。看板に寄ると、紫式部はこの場所で源氏物語を書いていたようです。但し、現在の本堂は1794年に、光格天皇の仙洞御所の一部が移築されたものです。紫式部が居た頃はこの辺りは街外れで、寂しい場所と思います。
雨もまだ降ったり止んだりですので、雨宿りも兼ねて京都国立近代美術館を見学することにします。丁度、コレクション展をしていました。モンドリアンや甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)、竹久夢二等の絵が展示されていました。見た後は、Ⅰ階のcafé de 505 (カフェ・ド・ゴマルゴ)で、一休みします。
玉露バームクーヘン
雨も止んできましたので、平安神宮に行ってみます。美術館の前に神宮の大鳥居があり、そこから参道が平安神宮に続いています。応天門下で入場券を買い、境内に入ります。2025年に御鎮座130の式年を迎えるとのことで、大極殿は大規模に補修工事を行っています。外拝殿で参拝した後、神苑を見学しますが、夕方で雨模様であったためか、観光客はほとんどいません。暮れなずむ中、池に映る泰平閣や神宮会館には幻想的な雰囲気があります。
(披露宴会場)
今日は四条河原町の「おにかい」で新鮮な京野菜をメインに頂くこととします。1階の入口は狭く、急な階段を上っていきます。野菜料理を数種類食べたあと、魚の煮付け、フライ、牛のステーキを頂きました。〆の鯛飯には、野菜の煮汁を入れ、茶漬けで食べることも出来ます。従業員は皆さん若く、威勢が良いので、こちらも元気が出ますね。
チーズのソース)