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鞍馬、貴船、三条大橋

<三日目>

 昨日の雨もあがりましたので、予定通り鞍馬に向かいます。もみじのトンネルで有名な叡山電車、市原駅と二ノ瀬駅の間は紅葉も盛りを過ぎているためか、誰も外に関心が無いようです。和風な感じの鞍馬駅前で、立派な鼻の天狗が出迎えてくれます。鞍馬寺の入口である仁王門へは5分程で到着です。

 鞍馬寺仁王門の近くには鞍馬山ケーブルの山門駅がありますが、枕草子で清少納言は「近うて遠きもの鞍馬の九十九折の道」と書いていることもあり、今回はそれに乗らず、九十九折参道を歩いて行くことにしました。山門のそばには、「子供はみんなほとけの子」と書かれた「童形六体地蔵尊」が有ります。参道を上ると、御所に祀られていた由岐大明神を都の北方であるこの地に遷宮してできた由岐神社があります。ここの拝殿は中央に通路がある割拝殿という珍しい形式です。その遷宮の際の儀式に感激した鞍馬の住民が、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え守ってきたのが鞍馬の火祭の起源と言われています。参道を更に上ると、鞍馬山の本尊である尊天(大宇宙生命・宇宙エネルギー・宇宙の真理)を具象化?した「いのち」、天に聳える杉を「玉杉大黒天」と尊崇するための双福苑があります。

 中門辺りで、ようやく参道の2/3です。まだ先は続きます。遠くに朱色の転法輪堂が見えます。重怡上人(じゅういしょうにん)が13年間堂内に籠り、毎日12万遍の弥陀宝号を唱え続け、6万字の弥陀宝号を書いて法輪に納めたのが、転法輪堂の名の由来だそうです。手水舎や転法輪堂の屋根には、雪が積もっています。昨日、京都市内は雨でしたが、こちらは雪だったようです。この先の、貴船までの道が思いやられます。

 鞍馬寺の本殿金堂の本尊は尊天(毘沙門天王・千手観音菩薩・護法魔王尊の三身一体)で、秘仏のため60年に一度、丙寅(ひのえとら)の年(次回は2046年)に開扉されます。また、ここは狛犬ではなく虎です。虎は、本尊毘沙門天のお使いの神獣で、毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることによるそうです。本殿金堂前のパワースポットで有名な金剛床は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模しているとか。金剛床の南側には本殿後方にあった経塚の蓋が、結界の中に置かれています。翔雲台からは、比叡山を望むことができるそうですが、今は雲で遠くは望めません。

 いよいよ険しい山道の「奥の院参道」を進みます。かつて義経が、天狗に兵法を習うために深夜、独り通った道です。少し行くと「屏風坂の地蔵堂」が有りますが、この辺りは、義経が途中で息つぎをした場所とされています。今日、参道は、ぱらつく小雨と、木の上から落ちる雪のしずくで最悪のコンディションです。更に進むと、最澄が刻んだ不動明王が安置されている「不動堂」があります。この辺りは、義経が天狗に兵法を習った場所である「僧正ガ谷」です。夜だと確かに天狗が出そうな雰囲気です。地面が固く、木の根が地下に伸びることが出来なため、地表面でアラベスク模様を描いている「木の根道」を過ぎると、ようやく奥の院である「魔王殿」に到着です。「魔王殿」は、護法魔王尊が降臨した場所して、崇拝さ れてきたとのことです。

 ここからは、貴船に向け、滑らないよう、足下に気を付けながら、一気に坂を下ります。貴船に到着後、一服して、今度は貴船川沿いに、貴船神社の奥宮に向かいます。夏はこの辺り一帯、川床で賑わっているはずですが、今は冬。途中の寒暖計を見ると、丁度摂氏0度です。

 道の脇に鳥居が現れ、そこから奥宮への参道が始ります。最後、神門をくぐると、正面に、奥宮の本殿があります。元々は奥宮が貴船神社創建の地でした。奥宮が洪水で流損したため、1055年に、現在の地に本宮が移されています。奥宮の本殿の真下には「龍穴(りゅうけつ)」と言われる大きな穴が空いていて、その上に社が創建されているそうです。龍穴は神聖なため、誰も見ることが許されません。貴船神社の龍穴は日本三大龍穴(他は奈良県の室生龍穴、岡山県の備前龍穴)だそうです。そう言ういわれもあってか、貴船神社では一番パワースポット感があるようです。

 道を引き返し、最後は、貴船神社の本宮に参拝します。貴船神社は、全国約500社の貴船神社の総本宮です。鳥居から有名な写真スポットの階段を登り境内に入ります。境内に黒馬、白馬の像があり、横の立て札には「貴船神社は、雨乞いの社であり、日照りの時は黒馬、大雨の時は白馬または赤馬を天皇が奉じた。その後生き馬に代え、板の馬を奉じ、ここから絵馬が発祥した」とあります。また、社殿前の石垣から溢れる貴船山の湧き水を、霊泉に浮かべると文字が浮かぶ「水占みくじ」も有名です。今回は占いませんでしたが。

 貴船神社から貴船口駅までは長い下り坂で、徒歩30分くらいですが、これまで歩き続けでしたので、バスに乗ります。5分くらいで貴船口駅に着きます。ここまで来ると、鞍馬山の雪が嘘のように思えます。貴船口から出町柳までの間は、年の瀬で雪模様と言うことも有り、電車内はガラガラでした。

 昼食は、出町柳のフランス料理店epiceで、昼のコースを頂きました。お手軽コースでしたが、魚と肉の両方がでました。何れもおいしかったのですが、特に、オードブルの野菜テリーヌは、非常に手の込んだ料理となっています。店構は古民家を改装した京都らしい町屋で、窓から見える坪庭が雰囲気を出しています。

 最後の見学は二條大橋のそばにある、島津製作所創業記念資料館です。epiceを出て、京阪出町柳駅から、京阪三条駅に行きます。三条大橋はブラタモリの東海道五十七次の番組で東海道の終点として放送していましたので、今回は、番組で出たものの実物を確認をしてみます。まず、橋の東側には、高山彦九郎像があります。幕末の勤王の志士に多くの影響を与えた人物で、昨日見学した皇居を望拝しています。そばには、駅伝発祥の地碑が有りますが、五十七次に因んだためでしょうか。橋を渡って西側で、擬宝珠をチェックすると、やはり、豊臣の文字が有ります。これが出来てから400年は経っているんですね。

 資料館に行く途中、高瀬川沿いを進むと、佐久間象山・大村益次郎遭難の碑と、当時の高瀬舟の復元が有ります。橋のそばの石碑を見ると角倉氏邸址とあり、高瀬川を開鑿した角倉了以は、この辺りに住んでいたようです。

 最後は、高瀬川最北の高瀬川取水口のそばにある、島津製作所創業記念資料館の見学です。この場所は、1875年の創業から45年間本店兼住居として使用されていました。今ある二棟は南棟が1888年、北棟が1894年に増築したもので、登録有形文化財となっています。中は、完全にリノベされており、創業の由来やこれまで製造してきた理化学実験装置等が数多く展示されています。壁に掲げられている家訓は、心に響き頭が下がります。

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京都御所、平安神宮

<二日目>

 当初は鞍馬に行く予定でしたが、駅に行く途中で雨が降り出したので、急遽、明日行く予定だった京都御所に行き先を変更します。平安時代の御所は、ここから西2㎞に有りましたが、焼失後、南北朝時代1331年から500年間ここは御所として使用されています。見学者は乾御門から入り、参観者休憩所で案内開始時刻を待ちます。その間、売店でお土産を購入しました。

 スタートは、宜秋門(ぎしゅうもん)からです。ここから参内した高貴な公家や武家は玄関である御車寄からは入り、諸大夫の間で控えます。こには、襖の絵によって、右から虎の間、鶴の間、桜の間と三つの部屋に分かれていますが、それは身分が高い順です。畳も壁も異なっています。桜の間を使用する人は、御車寄からでは無く、外から直接入ります。隣には新御車寄が有りますが、これは、大正天皇の即位の礼の際、南面からの出入のために新設されたています。 

 京都御所の南には、天皇と国賓のみ使用する、正門である建礼門が有ります。その門から、朱色の承明門を通ると、正面に重要な儀式が行われる紫宸殿が見えます。かつてここで「五箇条の御誓文」が発布されています。紫宸殿の前には、天皇側から見て、右には橘(寒さ対策で小屋の中)、左には桜があります。紫宸殿の中には、天皇の玉座である高御座が置かれています。平成、今上天皇の即位の礼の際は、分解して皇居に運んだそうです。

 紫宸殿の東側にある宜陽殿(ぎようでん)は、御物・宝物を保管しておく納殿ですが、その北側の紫宸殿につながる軒廊で、光る君でおなじみの陣定(じんのさだめ)が行われたそうです。紫宸殿北側の渡り廊下の下を行くと、天皇の日常のおすまいである清涼殿が正面に見えます。その中央、畳を敷いた部分が日常の御座である昼御座(ひるおまし)です。

 清涼殿を出た後は、文学や芸能に関わる儀式などに使用された御学問所(おがくもんじょ)です。孝明天皇が徳川家茂や徳川慶喜と対面する際にも用い、1868年には、岩倉具視を中心とした討幕派が御学問所に参内し、王政復古の大号令を発しました。道を隔てた先にある御常御殿(おつねごてん)は、天皇の日常のお住まいの機能を清涼殿から独立させた御殿で、戦前までは、天皇の京都ご滞在の際には、この御殿が使用されていました。最後は、その隣にある御三間(おみま)です。その名のとおり3つの部屋をもつ御殿で、ここも御常御殿に近い東側を上座として、上段の間、中段の間、下段の間の順に並び、庇の高さが異なっています。帰りは御台所跡を抜けて、出発地点に戻りますが、ここは戦争当時空襲に備えて、建物の間隔を広げるため、台所の施設を取り壊したため空き地となっているとのことです。御所見学の感想ですが、御所周辺も中も、維新以降、いろいろな出来事が起こっていますね。

 一時間程歩きましたので、見学通路そばの、京都御苑中立売(なかだちうり)休憩所で、一休みとします。体験型お茶セット1,400円を頂きました。抹茶の泡立ては、以外と難しいです。

 乾御門を出て、烏丸通りを渡ったところで、カフェレストランUENOYAMAが目にとまりました。昼食には若干早いのですが、混雑も避けたいので、入ることに。きのこパスタのランチセットを頂きましたが、パスタのおいしさに加えサラダも鰹のたたきや彩り野菜が入っていたりで大正解のお店でした。

 光の君の晴明を訪れる前に、最強の御利益があると言われる霊光殿天満宮を参拝します。ここは、2度の蒙古来襲の際、時の後宇多天皇が必勝祈願をし見事退散させたことで有名になり、家康もそれにあやかり、天満宮ですが、ともに合祀されています。道真と家康二人にお墨付きを得た「天下無敵必勝利運」のお守りを頂きました。天満宮なので、ご神体の牛もいます。

 次は晴明に因んだ、堀川に架けられている一条戻橋を訪れます、。ここは一条の名の通り、かつての内裏の東北の角、鬼門に当たります。当時はこの橋の向こう(東側)は寂れており、橋を渡ることには特別の意味があったようです。晴明は十二神将を式神として使役し家の中に置いていたが、彼の妻が怖がったので、十二神将を戻橋の下に置き、必要なときに召喚していたという言い伝えがあります。橋から5分程歩くと晴明神社があり、実際に戻橋で使われていた欄干の柱が使用され、昔の風情を再現した一條戻橋と式神石像が置かれています。

 京都御苑の反対側、東側に、紫式部の邸宅跡の廬山寺が有りますので、京都御苑を横切ります。途中、今度は御所の外側から、宜秋門と建礼門を見ていきます。御苑東側に接して、明治維新に貢献した三條實萬・三條實美父子を祀る梨木(なしのき)神社があります。ここの一の鳥居と二の鳥居の間には、珍しいことにマンションが有りますが、社殿の修復等の資金集めのため、苦渋の決断で参道を定期借地権で貸したそうです。やむを得ないと思いますが、神社庁の承認は得られなかったようです。

 神社から寺町通りを渡ると、紫式部の邸宅跡に建つ天台宗の廬山寺が有ります。看板に寄ると、紫式部はこの場所で源氏物語を書いていたようです。但し、現在の本堂は1794年に、光格天皇の仙洞御所の一部が移築されたものです。紫式部が居た頃はこの辺りは街外れで、寂しい場所と思います。

 雨もまだ降ったり止んだりですので、雨宿りも兼ねて京都国立近代美術館を見学することにします。丁度、コレクション展をしていました。モンドリアンや甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)、竹久夢二等の絵が展示されていました。見た後は、Ⅰ階のcafé de 505 (カフェ・ド・ゴマルゴ)で、一休みします。

 雨も止んできましたので、平安神宮に行ってみます。美術館の前に神宮の大鳥居があり、そこから参道が平安神宮に続いています。応天門下で入場券を買い、境内に入ります。2025年に御鎮座130の式年を迎えるとのことで、大極殿は大規模に補修工事を行っています。外拝殿で参拝した後、神苑を見学しますが、夕方で雨模様であったためか、観光客はほとんどいません。暮れなずむ中、池に映る泰平閣や神宮会館には幻想的な雰囲気があります。

 今日は四条河原町の「おにかい」で新鮮な京野菜をメインに頂くこととします。1階の入口は狭く、急な階段を上っていきます。野菜料理を数種類食べたあと、魚の煮付け、フライ、牛のステーキを頂きました。〆の鯛飯には、野菜の煮汁を入れ、茶漬けで食べることも出来ます。従業員は皆さん若く、威勢が良いので、こちらも元気が出ますね。

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宇治、石峰寺、伏見稲荷

<一日目>

 人混みを避け、師走の京都に行ってみます。今日は「NHK光る君へ」の影響も有り、源氏物語宇治十帖の舞台、宇治へ。JR宇治駅で降り、宇治橋に向かいます。途中のパン屋さんは、土地柄か、抹茶系が多いですね。宇治橋の袂の夢浮橋之古蹟に、紫式部像が鎮座しています。

 縣(あがた)神社一の鳥居からのあがた通りではなく、横の平等院表参道に進みます。但し、今回は平等院へは行かず、宇治川沿いの、あじろぎの道を歩きます。今年は、暖冬の影響で紅葉が遅かったので、この辺りは丁度見頃です。

 宇治川の中州は「中の島」といい、塔ノ島と橘島からなっています。あじろぎの道から喜撰橋を渡り、塔ノ島に行くと、島の名前の由来となった浮島十三重石塔が有ります。鎌倉時代に建てられた塔ですが、高さ15mもあり想像以上に巨大です。この石塔は、洪水や地震でたびたび倒壊しており、現在のものは明治時代末期に発掘、修造されたものです。対岸を見ると、宇治発電所からの激しい放水流が見えます。橘島に渡ると、樹齢70年の「宇治川しだれ」に出会います。この辺りは、桜の木が多く、シーズンになると宇治川さくらまつりが開催され、ライトアップもされる様です。朝霧橋を渡り、対岸に渡ります。

 上流方向に進み、道元禅師が1233年伏見深草で開き、曹洞宗最古の道場である興聖(こうしょう)寺に参拝します。石門から参道である琴坂を登り、山門から境内に入ります。曹洞宗の道場であることからか、造りは永平寺に似ています。洩れ聞こえる会話から、多くの僧が修行に来られているようです。ここの法堂は伏見城の遺構を用いて建立されているため、天井には血の手形、足形があります。

 下流方向に戻り、宇治神社に参拝します。言い伝えでは、応神天皇の皇子・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)が河内の国からこの土地に向かう途中で、道に迷っていたところ、一羽のうさぎが現れ、何度も振り返りながら正しい道へと案内したとのこと。そのことから兎は、正しい道へと導く「神使のみかえり兎」とされているようです。その後、菟道稚郎子命はここで自害し、ここに祀られています。

 宇治神社の後方に、菟道稚郎子命・応神天皇・祀っている祀っている宇治上(かみ)神社が有ります。拝殿、本殿ともに国宝で、一帯は世界文化遺産に登録されています。特に、本殿は1060年頃のものとされ、現存最古の神社建築です。拝殿は、鎌倉前期の造営。国宝で有り、世界文化遺産なのですが、神社自体は、とても簡素です。

 宇治川東岸からこの一帯までの道は、さわらびの道となっています。道を先に進み宇治市源氏物語ミュージアムを見学します。内部には、源氏物語での宮中や宇治十帖のシーンが再現されており、平安の文化を体験出来ます。体験コーナーには源氏香が展示されています。源氏香は、5種類の香木がそれぞれ5つずつある中から5つ選び、その香木の香りの違いを当てるもので、組合せが全部で52通りあるので、『源氏物語』全54帖から最初と最後を除いた52帖の各名が解答名に使われています。実際やってみると、私にとっては匂いそのものが微かで、良く分かりません。

 遅くなりましたが、昼食は、宇治橋近くのつばめ屋で、えび天茶蕎麦を頂きました。最後は、近くにある、宇治橋の管理を任された放生院(橋寺)見て宇治を後にします。

 伏見では、稲荷に行く前に、若冲が晩年過ごしたことで有名な石峰寺を訪れてみます。住宅街にある細い石段を上って行くと、黄檗宗に特徴的な龍宮造りの山門が見えてきます。門をくぐり受付を済ませ、参拝の後、裏手にある若冲の墓を訪れます。ここが、今人気が沸騰している若冲の墓ですが、ここの周りは静寂に包まれています。更に石段を上り、唐門を過ぎると竹藪が有り、その中に500体(かつては1000体)の、若冲が石工に彫らせた羅漢像が展開しています。現在、写真撮影は禁止されていますが、色々な表情の苔むした石像がこちらを見ており、その規模観や迫力はこれまで見た五百羅漢の中では一番でした。

 今日の最後は稲荷神社の総本宮の伏見稲荷大社です。石峰寺からは徒歩10分程です。大社では、早速狐が出迎えます。伏見稲荷大社では、右の狐は稲穂・玉、左の狐は巻物・鍵をくわえているようです。それぞれの由来は諸説有るようですが、狐を見るたびに確認していきます。そうこうするうちに千本鳥居に入り、途中の三つ辻を左に曲がり、今日の観光は終了とします。

 夕食はホテルのそばの風屋杉原に行きます。前回同様、カウウターですが、今夜は比較的お客さんが少なかったためか、ご主人から、駅伝の話(昔活躍されており、今は支援側、後援チームは週末の京都高校駅伝に参加する由)、錦市場の問題、地元京都のオススメのお酒等々お話をずっと伺うことが出来ました。話に夢中になり、写した料理以外にも色々頂きましたが、撮影を忘れてしまいました。知識が増え思い出深い夜になりました。