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湯布院、杵築

<三日目>

 今日も晴れています。幸運なことに、朝食は、昨日と同じ席でした。今日は、湯布院に向かいます。途中、別府の街と別府湾の眺望が楽しめる、十文字原展望台と、高速道路の別府湾サービスエリア内の「恋人の聖地」に立ち寄ります。この二つの場所は下の写真にあるように立命館アジア太平洋大学の駐車場を挟んだ位置にあります。由布岳の裾野を抜けると、狭霧台展望台がありましたので、これから行く湯布院の街を眺めます。

 昼食には少し早いのですが、金鱗湖に面した「CAFE LA RUCHE」に入り、きのこのタルティーヌとホットドックを頂きます。食事後、金鱗湖周辺を散策します。紅葉しかかった木々が、鏡のような湖畔に絵画のように反射して映っています。しばらく遊歩道を歩くと天祖神社に行き着きます。境内には御神木の大杉がそびえていますので、触れて、パワーを頂きました。この金鱗湖には竜の伝説があります。「ここは昔大きな湖で竜が住んでいた。ところが由布岳の女神である宇奈岐日女(うなきひめ)が湖壁を蹴破らせ、湖水を奔流させると、現在の由布盆地が現れた。急に湖をなくし、神通力を失った竜は、天祖神に、この地に安住の地を与えてくだされば、永くこの地を護りましょうと言い、願いが叶った」と言う話です。

 金鱗湖から、ショップやカフェ、小さなギャラリーが建ち並ぶ湯の坪街道を歩いて行くと、由布院駅に到着します。道から駅にかけ観光客が大勢居ますが、8割方は外国人、特に韓国の旅行者が多いです。戻りは、辻馬車の通り道である「参宮通り」を通って帰ります。この道は、先ほどの伝説にある湯布院盆地を造った宇奈岐日女を祀った神社への参道です。

 湯布院に、大分県随一の大きさを誇る巨木があるということで、町から1㎞ほどの山裾にある大杵社(おおごしゃ)に行ってみます。そこは、当日観光客はだれもおらず、シーンと静まりかえった中に、鄙びたお社があります。その境内に、見るからに年期を経た大杉がそびえています。パワースポット感大ありです。

 湯布院に来たからには、やはり温泉に入りたいということで、湯布院盆地を見下ろす高台にある温泉保養集落「束ノ間」に立ち寄りました。ここの温泉は、昔の湯治場のスタイルで、食事の提供は無く、自炊あるいは外食です。そこの一角が立ち寄り湯となっており、券売機で入湯券を購入して、湯殿に向かいます。当日、男湯は無人だったので、晴れ晴れとした空の下、乳白色の湯殿で、雄大な由布岳を、一人で堪能できました。

 杵築では、杵築城の見学からスタートします。城の近くまで車で行けるらしいのですが、知らないので駐車場から徒歩で向かいました。杵築城は三方を海に囲まれた海城で、東向きに突き出た形状です。大きさは東西に650m、南北290mだそうです。天守までは、思った以上に歩きます。天守からの眺望は、三方が川の河口で、海城で有ったことが実感できます。

 時間が少しありますので、九州の小京都といわれている街を散策します。城から5分程歩くと台地が有り、勘定場の坂を上ると、北台武家屋敷通りになります。両側には昔の武家屋敷が建ち並びます。土塀の一部が剥落している所もありますが、良く整備されていると思います。萩などもそうですが、古い街並みの維持はとても費用が必要と思います。最後はふるさと産業館観光案内所でお土産を買い、今回の大分旅行は終了です。空港に向かいます。

 大分空港への途中、夕食を、元禄うどんで頂くことにしました。クロメ(佐賀関特産の海藻)うどんと具が多く入っている元禄特製うどんをお願いしました。それにビールとお酒:西の関(国東市)。窓の外では、守江湾が暮れていきます。

 おんせん県での最後は、空港到着口の右手にある足湯です。この温泉は別府から直送しているそうです。利用は無料です。ところで足湯ののれんに書かれていますが、大分空港を、水平型宇宙港として活用する「スペースポートおおいた」の構想があるようです。今年九月に訪れた北海道大樹町と同様ですね。

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大分、臼杵、別府

<二日目>

 今日も晴れています。窓からは、遠くに製鉄所が見えます。朝食前に府内(大分)城址に行ってみます。内堀や、周囲を囲む櫓、大手門等は美しく復元されています。但し、大手門を入った所にある大分城址公園は、殺風景な駐車場でがっかりさせられますが、天守台は残っていますので、急な階段を上って四方を見てみます。大分県の中期計画では天守閣も復元され、この一帯は様変わりとなるようです。

 朝食後は、臼杵市に向い、石仏と城を見学します。最初は臼杵石仏です。観覧券を購入して、小高い丘に登りますが、昨日の熊野磨崖仏に比べると全く楽です。ホキ石仏第一群、第二群、山王山石仏、古園石仏の順に見学します。ホキとは「崖」という意味でこの一帯の地名です。何れも平安後期から鎌倉時代の作です。古園石仏は、磨崖仏では、全国で初めて国宝に指定され、その後、石仏群の追加指定が有り現在60体程が国宝とのことです。大日如来像の前で、家内安全と身体健全の御線香を捧げました。

 臼杵石仏周辺は盆地となっており、現在、臼杵石仏公園となっています。昔は、一帯が磨崖仏を本尊とする満月寺(蓮城法師創建)という五院六房からなる天台宗の大きな寺院だったようです。現在も、臼杵石仏公園を挟んで反対側に、満月寺があり、そこには、石仏を彫ったと言われる蓮城法師と、法師に石仏を彫らせたという真名野長者夫妻の像(室町時代の作)等があります。

 臼杵は、当初はキリシタン大名として有名な大友宗麟の領地でしたが、最終的には、稲葉家が廃藩置県まで治めていました。稲葉家は東京に移りましたが、里帰り用の下屋敷が現存しています。その隣には、地元出身の実業家、荘田平五郎が1918年に寄贈した大正時代の図書館があります。落ち着いた街の雰囲気が漂います。では臼杵城に向かいます。

 臼杵城は、周囲の海が天然の要害となり、堅固な守りを誇っていたようです。それではまず鐙(あぶみ)坂から城内に入っていきます。落石の危険があるため、坂は防護壁で覆われています。上りきったところに大門櫓があり、そこから二の丸に入ります。現在、ここは公園で、一部はグラウンドになっています。二の丸から空堀の間を進むと本丸になります。本丸も天守櫓も、今はその面影はありません。城の東端には亀首櫓跡があります。遠くに津久見島が見えますが、かつてはこの下から海が続いていました。最後、臼杵市観光交流プラザに立ち寄ります。

 昼食は別府、地獄蒸し工房鉄輪(かんなわ)で、地獄蒸し料理を頂くことに。平日でも混んでいますので、予約をして、先に地獄巡り観光を始めます。地獄巡りの共通券には7つの地獄がセットされているので、近くの白池地獄からスタートします。ここはその名の通り、青白いお湯が大量に沸いています。どの地獄も別個にアトラクションを持っており、ここはアマゾンの熱帯魚です。次は、鬼山地獄です。ここも緑白色のお湯がモクモクと沸き出しています。ここはワニの大量展示です。ワニは夜行性なので、あまり動きません。次は、かまど地獄です。一丁目から六丁目まで様々な色の温泉が湧いています。そろそろ予約した蒸し工房の時間になりますので一旦観光を中断します。

 地獄蒸し工房鉄輪のシステムは、各自食材を選んで、自ら15分程98度100%地熱の蒸しガマで蒸すという物です。食材は持ち込みも出来ます。メニュー3番の地獄蒸し玉手箱を選択しました。アルコールは禁止で、ノンアルビールを自動販売機で購入しました。

 昼食後は、海地獄から再開です。ここは温泉の熱を利用した庭園がアトラクションです。ここもコバルトブルーの温泉が大量に吹き出しています。温度は98度とのこと。この地区の最後は鬼石坊主地獄です。粘土質の熱泥が球状に沸いており、坊主頭に似ていることがその名の由来だそうです。べつの噴出口からは轟音が鳴り、それが鬼のいびきの様に聞こえることから、「鬼の高いびき」とも呼ばれるものもあります。ここの足湯場が空いていましたので、早速入ってみました。

 血の池地獄、龍巻地獄は2㎞ほど離れています。行く途中の道からは、別府の街と別府湾がよく見えます。血の池地獄はその名の通り、酸化鉄やマネシウムを含んでいるため、噴気まで赤く染まっています。高台に上って全体を見回すと、以外と面積は広く湯量の豊富さが窺えます。最後は、龍巻地獄です。間欠泉です。15分毎に噴き出すようです。危険なので、上に覆いがあり、遠くに熱湯が行かないようになっています。これで、地獄巡りは終了。いずれにしてもこの一帯の湯量はすごい!それでは宿に向かいます。

 今日の宿は、界別府です。部屋の窓は別府湾に面しており、晴れていましたので、大分の工業地帯や遠くには四国も見えます。食事にはまだ時間もありますので、別府の街を歩いてみます。駅前の通りには、歴史を感じさせるアーケードや温泉があります。駅の看板にはやはり温泉マークが描かれていました。駅前に手湯の施設がありましたので手を浸してみました。

 夕食は遅めの19時30分からです。このホテルは、隈研吾設計事務所の設計で、竹細工、手漉き和紙など当地の工芸を用いて内部空間をデザインしたそうです。そんなことを感じながら、2階から1階の食事処に向かいます。席は幸運にも、窓のある席でした。料理もタイミング良く出され、素敵なひとときを過ごしことが出来ました。

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熊野磨崖仏、宇佐神宮、耶馬溪、大分

<一日目>

 今回は温泉県、大分に来ました。空港から、最初の目的地、熊野磨崖仏に向かいます。受付で参拝料を支払い、入口から階段を登って行きます。途中は、急ですが、道は整備されています。10分程行くと、熊野神社の鳥居が有り、そこから先は鬼が積んだという急な石段です。足下の悪い中、手すりにつかまりながら100m程登ると、ようやく磨崖仏のある広場に出ます。

 この磨崖仏は11世紀頃(平安時代後期)の造立作と言われており、右は「不動明王(約8m)」、左は「大日如来(6.8m)」となっています。急な石段を更に上ると熊野神社に到着します。名前の通り、ここの神様は、紀州熊野からお迎えした権現様です。

 次は、全国4万社ある八幡社(応神天皇を主祭神とする)の総本宮である宇佐神宮に参拝します。駐車場脇にある太鼓橋前大鳥居をくぐり、神橋を渡って表参道に入ります。さすがに総本宮だけあって、掃き清められた表参道が、神橋を渡った所にある大鳥居から300m位続きます。ここ宇佐神宮の鳥居は、柱の上部に黒い台輪があるのが特徴です。

 表参道の右側には宝物館(残念ながら当日休館)、日本三沢の池と言われている初澤の池(他の二つは奈良の猿沢の池、京都の広沢の池)があります(他の二つほどは大きくないですが)。手水舎の水盤は日本一の大きさだそうです。皇族下乗場を過ぎると、上宮本殿と下宮への分かれ道になりますので、左の石段を進みます。途中には三角形の石が寄り沿うように並ぶ夫婦岩が有ります。一人なら両足で、二人ならそれぞれが手をつないで踏むと幸せになるとか。

 階段の先にある鳥居と西大門を抜けると、国宝の宇佐神宮本殿となります。本殿そのものは回廊に囲まれ、直接は見ることが出来ませんが、一之御殿、二之御殿、三之御殿と三棟が八幡造りという形式で、横並びで建って居るそうです。回廊の横には樹齢800年といわれる楠の神木があります。本殿の反対側には、宇佐神宮の奥宮が鎮座する御許山(おもとさん)の遙拝所、急な階段(百段)と南大門があります。

 本殿の参拝を終え、若宮神社(応神天皇の子、仁徳天皇とその皇子を祀る)を通って、下宮に参拝します。ここは古くは神へ捧げる食事を調理する場であったとのこと。下宮も回廊に囲まれ、内部には一之御殿、二之御殿、三之御殿と三棟が八幡造りという形式であります。ここは上宮とことなり、回廊の正面にお社が見えます。

 八幡大神が現れたという御霊水に向かいます。途中、池の向こうに能楽殿が見えます。御霊水の内部には3か所、泉が有ります。覆いを開けると、湧水がありますが、濁っていて飲めそうにはありません。期待外れ。傍に柄杓があり、水を持って帰ることは可能です。最後は、寄藻川に架かる呉橋(くれはし)をみて、参拝を終了します。この橋は、10年に1度の勅祭の時だけ扉が開くようです。

 昼食を取るため、寄藻川沿いの道を歩き、仲見世に向かいます。文福で、だんご汁定食を頂きました。だんごというと球状にしたものと考えますが、大分では手で引きのばしたものをだんごと言うようです。定食には、名物の鳥の天ぷらも付いていました。

 昼食後は、耶馬渓に向かいます。最初は、山国川(やまくにがわ)に架かる耶馬渓橋の見学です。1929年に作られた8連アーチの石橋で、長さは116mあり、石橋としては日本一の長さです。そこから10分ほど車で川沿いを進むと荒々しい岩肌の競秀峰があります。そこへの道は現在は、トンネル交互一方通行で行けますが、昔は「鎖渡し」と呼ばれる難所で、遭難者も多かったとのこと。見かねた江戸時代の僧「禅海」が自らノミと槌で掘ったのが青の洞窟です。よくも手で掘れたなと思う規模です。

 山国川水系の山移川(やまうつりがわ)をせき止めて、1985年造られたのが耶馬溪ダムです。完成を記念して、耶馬渓ダム記念公園「渓石園」が造られました。耶馬渓の石とダムの水を利用して、耶馬渓の渓流を再現しています。無料で、美しい庭園を鑑賞することができます。

 今日の最後の目的地である、耶馬渓随一の景勝地、深耶馬に到着し、さっそく一目八景展望台に行ってみます。紅葉シーズンはこの展望台は超満員のようですが、今はまだ紅葉には早く、また日暮れも近いので、観光客はまばらです。ここからは群猿山や夫婦岩など奇岩や断崖を一望できます。下を山移川が流れていますが、巨石が転がっており、洪水時の流れの強さが伺えます。この辺りは山だけでなく、途中にある山移川の流域には奥入瀬渓流のように木々のトンネルがあり、紅葉シーズンはさぞや美しいと思われます。

 耶馬渓から大分市へは、高速で1時間半ほど。今日の宿泊先はホテル日航大分オアシスタワーです。ホテルでアーケード街にある「八條」を紹介され、行ってみます。お通しの鮭の豆乳煮から始まり、関アジ関サバ、アジフライ、ホタテのバター蒸、締めは大分の郷土料理の琉球丼でと、何れも美味で大満足でした。