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小諸、軽井沢

<二日目>

 ホテルからは、小諸中心部が一望出来ます。眼下に小諸駅があり、電車の発着もよく見えます。食事の前に、小諸市内を散歩、ホテルそばの北国街道からスタートします。最初は、旧小諸本陣問屋場ですが、現在大修理中です。その直ぐ先には、脇本陣の宿「粂屋」が有ります。この通りは300m位ですが、意外と昔の建物が残っており、北国街道の雰囲気を感じることが出来ます。

 小諸は、島崎藤村が7年間小諸義塾の教師として過ごしたことから、藤村ゆかりの地としてもアピールしています。藤村がかつて過ごした場所がある、北国街道に直交する道の一つを「藤村プロムナード」と名付けています。また、近くに清酒「浅間嶽」の醸造元である大塚酒造の酒蔵がありますが、HPには「軟水主体の信州の酒蔵のなかで、小諸の水は随一の硬度を誇り「浅間嶽」の酒質の核を成しています」とあり、蔵が開いている時間に来て、試飲したいな~と思いました。途中、小諸城大手門や小諸宿本陣主屋を見学してホテルに戻ります。

 小諸→軽井沢は、電車で25分です。駅前交番の奥にあるレンタ-カー屋で車を借り、最初は旧碓氷峠に向かいます。まず、そこに鎮座する神社に参拝しますが、そこは参道から本宮まで、真ん中が群馬県と長野県の県境となっており、本宮に向かって左が熊野皇大神社(長野県、信州)、右が熊野神社(群馬県、上州)です。ややこしいですね。

 次に、浅間山や八ヶ岳が一望できるという見晴台に行ってみますが、丁度ガスが濃くなり、眺望は全くありません。ここにも県境が有ります。

 この辺で一服。神社の丁度反対側にある「元祖力餅しげのや」に入り、味噌くるみとあんこの力餅を頂きました。店にはオープンテラスが有り、とても開放感があります。ここも残念ながらガスのため、遠くの視界はありません。この店にも神社からの県境が横切っています。外に出ると「中山道」の道標がありました。ここは、軽井沢と高崎を結ぶ中山道、その碓氷峠なんですね。

 軽井沢に降ります。上皇ご夫妻がかつてプレーされた軽井沢会テニスコート近くの駐車場に停めます。テニスコート通りを通って、旧軽井沢通り(旧中山道)に出ます。平日の午前中ですが、そこそこ観光客がいます。通りから犀星の径に入ると、そこは急に別荘のエリアとなります。室生犀星旧居は1931年に建てられていますが、和風の建築と苔むした庭が調和して、京都の苔寺のような感じです。

 旧軽井沢通りを更に北に進むと、ショー記念礼拝堂、ショー記念館が有ります。ショーは軽井沢の避暑地としての適性を初めて紹介した人です。軽井沢に最初の別荘を建てています。その別荘は現在ショーハウス記念館として無料で開放されています。避暑地なので、冬はとても寒い感じがします。道を更に進むと、矢ヶ瀬川にぶつかり、そこには碓氷峠の石碑があります。

 昼食の時間となりましたので、ハルニレテラスに行ってみます。湯川沿いのハルニレの木立の中に多くのレストランがありますが、どこも混んでおり、1時間以上の待ちです。ここでの食事は諦め、追分でお蕎麦を頂くことにしました。

 追分の「ささくら」は、昼食時でも有り混んでいましたが、15分程待って座れました。たれが、クルミだれ、とろろ、ざるつゆの3種類付いているそば三昧をお願いしました。量も多く、いろいろな味が楽しめました。ささくらの道の反対側には、脇本陣油屋の跡が有ります。現在の建物の前に、今有る建物と同じ規模の建物があったようです。

 旧中山道の追分宿(江戸から20番目の宿)を、東の一里塚から西の分去れ(わかされ)まで歩いてみます。ちなみに追分の1里塚は日本橋から39番目とのこと。まず1里塚近くにある追分宿郷土館をを、見学します。そこで探検マップを頂き、スタートです。館に隣接する浅間神社(あさまじんじゃ)に参拝します。この本殿は、軽井沢町で一番古い建物で、江戸時代ここから浅間山に登っていったそうです。

 追分宿の中程に堀辰雄文学記念館があります。堀辰雄は1944年から1953年に亡くなるまでこの地で過ごしています。記念館には、原稿、書簡、初版本、遺品他が展示されています。敷地には、住んでいた家が展示されており、当時の生活窺えます。書庫は完成しましたが、書籍を搬入する前に、亡くなったとのことです。合掌

 追分宿の西にある分去れ(わかされ)までやってきました。左は中山道、京都まで、右は北国街道、直江津までです。今回の旅行では、善光寺から逆に、上田、小諸とここまで北国街道を辿ってきました。分去れの近くには、旅人が一休みしていた「枡形の茶屋 津軽屋」が保存されています。肝心の本陣跡は今は草ぼうぼうです。近くの「一歩BAKERY」のテラスでパンとコーヒーを頂き、街道の散歩を締めくくりました。

 駐車場に向かう途中、手前にある泉洞寺に寄ってみます。このお寺には、堀辰雄も訪れていたようです。境内には地蔵尊が多くありますが、卓球地蔵尊やカーリング地蔵尊と言うのもあります。

 最後は、北軽井沢の白糸の滝に向かいます。遊歩道の入り口から「白糸の滝」までは、水量の多い湯川の源流に沿って、5分程度歩けば到着します。浅間山の地下水が高さ3m位の位置にある岩肌から滔々と湧き出してきます。不思議な光景なのでしばらく眺めていました。暗くなってきましたので、軽井沢に戻ります。

 軽井沢に着いた頃、丁度雨が降ってきました。夕食は、駅の近くのサンジェルマンで、評判の和牛ひれステーキを頂きました。店の外観は、喫茶店風です(写真撮り忘れ!)。確かに肉は柔らかくて、ペロリと入ります。

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善光寺、上田城、小諸城

<一日目>

 今回は、電車で長野へ。長野駅からは路線バスで、善光寺大門に直行します。仲見世を進むと立派な仁王門がありますが、1918年に再建されたもの。仁王像は、高村光雲と米原雲海の作です。さすが迫力があります。更に仲見世を進むと、駒返橋があります。これが橋?という見た目ですが、かつて源頼朝が善光寺を参拝した際、馬の蹄が穴に挟まり、馬を返したという逸話があるようです。

 さらに進むと、「善光寺」の扁額がかかげられた巨大な山門(1750年建立)があります。この山門には登れるようです。山門をくぐり、右手にある六地蔵、ぬれ仏を過ぎると、いよいよ本堂です。その階段を上り、外陣に入ると「びんずる尊者」に会います。病人・けが人は、その像の患部と同じ場所を撫でることで治癒されるとのことなので、私も目鼻口を一撫でしました。外陣での参拝の後、巡り券を購入し、本堂内部での参拝とお戒壇めぐりをします。お戒壇めぐりはご本尊の下の真っ暗な回廊を通り、中間地点にある「極楽の錠前」を探り当てるものですが、光のなにも無い空間を、手探りで進むという滅多にない経験をしました。

 まだ時間もありますので、善光寺近くの長野県立美術館を見学します。丁度、「琳派、若冲、ときめきの日本美術(京都細見美術館の名品)」を催していました。若冲は、極彩色の有名な絵は有りませんでしたが、鶏の掛け軸、屏風絵など20点ほど展示されていました。美術館のある城山公園では、信越放送「夢テレビ」のイベントが行われており、あばれる君とカミナリがゲストで来ていました。

 善光寺の表参道である中央通りを駅に向かって歩きます。大門の八幡屋礒五郎本店は、ベンチが七味缶のデザインです。少し歩くと、小川の庄おやき村がありましたので入ってみます。焼きおやきは食べたことが無かったので、店の奥にある焼きのコーナーに行ってみます。お茶はセルフですが、テーブルがあり、焼き立てを頂くことが出来ます。

 11時、開店と同時に今むらそば本店に入ります。まずは日本酒(菊秀)を飲んで、次におそばを頂きます。「クイチそば」はこの店の登録商標だそうです。せいろには冷たいつけ汁も付いていますので、暖かいそばと冷たいそばが味わえます。

 蕎麦屋さんの前からは、善光寺表参道秋まつりの会場となっています。チンドン屋や4基の町神輿、木遣り、太鼓、お囃子などが巡回しています。中央通りの歩道に長蛇の列、そして遠くには煙が見えましたので、近くに寄ってみると、案の定サンマを焼いていました。時間になりましたので、長野駅から新幹線に乗り上田に向かいます。

 上田までは10分程です。上田駅は、通路から外壁まで真田の六文銭一色です。駅のお城口から上田城を目指して歩きます。駅前で、真田幸村の騎馬像がお出迎えです。

 街の中心部の道路には、真田十勇士の像があります。途中上田藩主居館跡がありますが、なんとそこは現在、上田高等学校の敷地となっています。お堀と塀に囲まれた校舎です。

 お城の手前にある上田市観光会館で、パンフレットを頂きましたが、この場所の主役は真田親子の甲冑です。壁には、来た人のサインが掲げられていますが、結構有名人が来てますね。

 二の丸橋の入り口から城内に入ります。入口右手に二の丸跡があり、左に折れ、進むと、東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん、虎口とは城の出入口のこと)が見えてきます。櫓門の右側に真田石がありますが、これは真田信之が松代移封の際、父の形見として持ち運ぼうとしたが動かせなかったという大石です。ところで櫓門の前に大勢の人がいますが、当日「95点以上で1万円、年間最高得点者には100万円!」という透明カラオケBOXが開催されており、その参加者と観客です。

 櫓門は、南櫓の石垣を上って、中に入ることが出来ます。櫓内部の狭間から下ある上田城跡公園を覗くと、丁度「やきとりJAPANフェスティバル2024in信州上田」の最中で、焼鳥の煙が狼煙のようにも見えます。昔はこのエリアは、千曲川の流れる天然の堀だったようです。

 櫓を下りて、すぐそばにある眞田神社に参拝します。この神社は、もともとは真田氏の後ここを治めていた松平氏の先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社でした。当然ですよね。それを、1963年に眞田神社と改称し、歴代の上田城主を御祭神とすることにしています。神社の脇には、眞田井戸(本丸唯一の井戸、深さ16.5m)や西櫓(県宝)があります。本丸跡は今は特に何もありません。

 上田城から15分歩くと、柳町という旧北国街道の昔ながらの街並みがあります。ぶらりした後で、はすみふぁーむ&ワイナリー(アンテナショップ)で、白ワインとシードルを頂きました。ここから徒歩で上田駅に行き、今日の最終地の小諸に行きます。

 小諸駅までは、しなの電鉄で20分ほどです。小諸駅の反対側、東西自由通路の階段を下りたところに懐古園(小諸城址)の三の門があります。料金所で散策券(300円)を購入して園内に入ります。すぐに傾斜が急で高い(写真に写っている人と比べると高さがわかります)二の丸の石垣が現れます。

 しばらく進むと、懐古神社が見えてきます。本丸跡の立て札がそばにあります。この神社は、廃藩置県で廃城となり、城が荒廃していく様を憂いた元藩士らが資金を集め、本丸跡に祀ったのが懐古神社とのことです。神社の左側には天守台の跡がありますが、上から下を覗くと、高さは10m位あるでしょうか。手すりもなにも無いので、落ちたら命は有りません。酔っ払いと心臓の悪い人は登らないでとの注意書きがあります。

 馬場の跡を進み、冨士見展望台に行きます。本来は富士山が見えるのでしょうが、その方向に木立があり、見ることはできません。その場所から白鶴橋を通って市営の動物園に行くことが出来ます。この橋から下を覗くと、高さは30mは有るでしょうか、険しい渓谷となっています。この城を作った武田信玄、仙石秀久は、この周囲が急峻な地形を最大限活用してこの城を整備したようです。

 最後は、水の手展望台に行き、千曲川の流れを見ます。展望台のそばには島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の詩碑があります。藤村は、こうした荒涼とした城跡、千曲川、周囲の山々を見て詩情に浸ったのでしょう。「小諸なる古城のほとり・・・・嗚呼古城なにをか語り、岸の波なにをか答ふ・・・・」

 今日の宿は、懐古園から歩いて数分の場所にある小諸グランドキャッスルホテルです。夕食はそこから徒歩で15分ほどの、レストラン車留夢で、そこの評判の大浅間爆裂ハンバーグを頂きました。まずサラダ、次にハンバーグが出てきますが、中はまだ生なので、熱い鉄板の上で切り分け、火を通しながら頂きます。油ははねますが、評判通り美味しく頂けました。