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恐竜博物館、越前大仏、越前大野城

<三日目>

 今日も、朝食前に散策します。昨日行った庄屋のあるガレリア元町商店街の前を通ると、福井駅に出ます。今の時間、ティラノサウルス・ロボットは残念ながら動いていません。自然史博物館の様な現代的な建物と恐竜のコントラストが面白い駅前です。福井城に行ってみますが、石垣や堀は見事に整備されており、ここに県庁が建っているのが本当に残念なことです。

 朝食後、福井県立恐竜博物館に向かいます。市内からは、意外と遠く、一時間ほどかかります。昨年、リニューアルされたとのことですが、恐竜のジオラマや骨格標本がてんこ盛りです。恐竜の好きな人であれば、ずうっと居られるのでしょうが、余り知らない人には、それほど違いが分かりません。但し、足の骨が、人の背丈よりも大きいブラキオサウルスの巨大さには驚きました。

 次は越前大仏に立ち寄ります。ここ大師山清大寺は、当初1987年観光目的で建築された寺院で、その後、税の滞納から勝山市に差押されていたようです。今は、臨済宗妙心寺派の宗教法人になったとのこと。ひっそりとした門前町を通り中に入ります。歴史はともかく、その巨大さには度肝を抜かれます。東大寺より大きい大仏(像高17m)、大仏殿(高さ52m)。日本一高い五重塔(高さ75m)。大仏殿の、1281体の小仏群等々。

 いよいよ最後の目的地、越前大野城です。越前大野城は大野市の中心部にある亀山(標高:249m)にそびえる平山城で、城下町が雲海に包まれ亀山だけ見える日に「天空の城 越前大野城」が現れるとのことです。当日は、雲海もありませんし、山の麓からは、城も見えません。車は、結ステーションに停めます。お城の登り口は3ヶ所有りますが、南口から登ってみます。坂道は整備されており、20分程でお城に到着します。そこからは、大野市内が一望出来ます。

 帰りは北登り口から、戻ります。途中に、西国三十三所石仏(亀山観音)が祀られていますが、元々は北口から南口まで並んでいましたが、1959年の伊勢湾台風により大きな被害を受けたため、現在のように集められ、上屋をかけて保存されているとのことです。確かに、石仏は大分傷んでいます。結ステーションに戻り、そこで地場の野菜やお菓子を買いました。

 これから福井を去り、大阪伊丹空港に向かいます。昼食はまだなので、北陸道、南条SAのボルガ食堂で、福井のご当地メニューであるボルガライス(オムライスの上にトンカツ+秘伝のソース)を頂くことにします。この料理は、ガイドブックによると越前市武生の発祥ということなので、まさにこの辺りです。ソースカツ丼が心残りですが、これと似てますね。

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三方五湖、朝倉氏遺跡、永平寺

<二日目>

 朝食前に、ホテル周辺を散策します。初めに、宿泊している部屋から見える、海岸に行ってみます。夏は海水浴場になるとのことですが、波は全く穏やかです。次にホテルの裏側、5分程歩いて、久々子(くぐし)湖に行ってみます。こちらも湖面は鏡のようです。早朝にもかかわらず、ボートを練習している人がいました。

 朝食後、三方五湖のレインボーライン山頂公園に向かいます。山頂へはリフトで登ります。山頂からは、三方五湖が全面に広がっています。早速、五湖テラスの丸いソファーに寝転がり、景色を満喫します。寒からず厚からず、全く気持ちの良い日和です。この公園にも、ご多分に洩れず、カップル用の趣向が多くあります。

 ハンモック広場で一休みした後、バラ園の奥にある和風カフェで、雄大な景色を堪能しながら、お茶を頂きました。公園を散策していると、五木ひろしの「ふるさと」が流れてきます。場違いな感じもしますが、音源のそばに行って納得。彼は、美浜町の出身で、名誉町民でした。寄付もしているのでしょうね。

 次は、高速で一乗谷の朝倉市遺跡に向かいます。一乗谷レストラントで、昼食を取りますが、朝食を沢山食べたので、軽く、越前そばにしました。

 昼食後は、道の反対側にある、平面復元地区を見学します。かつてこのエリアは、幹線道路が走り、寺院や職人の家が建ち並び、町屋を形成していたようです。地区の南端には、復元街並がありますので入ってみます。武家屋敷や庶民の町屋が再現されていますが、堀の石垣や建物基礎はそのまま使っているそうです。ところでこの辺りは、日本のポンペイ?と呼ばれているようですが、南北に1.7キロ㎞、278㏊の広さがあるこの一帯は、それまで農業をしていた地元の人の手によって50年以上発掘・整備が進められたとのことです。

 街並みの反対側には朝倉館跡があります。復元された唐門から中に入ります。ここには、16棟の建物が建っていたようです。館跡の奥の丘の上には、母親が住んでいた中の御殿跡、妻の住んでいた諏訪館跡があります。

 遺跡を一回りした後は、車で5分程の一乗谷遺跡博物館に行きます。駐車場に着くと、博物館の大きさに驚かされます。ロビーから入って二階に上がると、基本展示室が有りそこに城下町の巨大ジオラマがあります。圧巻は、隣にある朝倉館の原寸再現の展示です。一階には川湊の石敷遺構が間近で見られます。

 次は、30分程で永平寺です。今日は参拝者も少ないようで、駐車場もガラガラです。早速参道を通って、永平寺に向かいます。永平寺川の横には、永平寺認定の、宿坊体験の出来る宿が並んでいます。唐門は、新住職などの特別の人用なので、通用門から入ります。

 通用門から境内に入ります。参拝者の研修や宿泊の施設である吉祥院に入り、参観者控え室で永平寺のビデオを見た後、いよいよ寺院内部に入ります。

 吉祥閣の隣の天井絵が有名な傘松閣を通り、七堂伽藍を順に見学します。床には道順が描かれていますので、それに従って進みます。途中、頻繁にお坊さんとすれ違いますので、ここは実際の修行の場であるということがひしひしと感じられます。仏殿には、中央に曹洞宗の本尊である釈迦牟尼仏、幕でよく見えませんが、右に弥勒菩薩、左に阿弥陀仏が祀られています。

 次は仏殿から急で長い階段を通って法堂に進みます。中央に聖観世音菩薩がお祀りされていますが、ここは禅師が説法を行う道場で、朝のおつとめ(読経)など各種儀式が行われる場とのことです。最後は、山門を通り、吉祥閣に戻ります。

 永平寺参拝の後、福井市に向かいます。まだ時間もありますので、福井藩主松平家の別邸であった養浩館の庭園を見学することとします。回遊式のの庭園ですので、池の周囲をぐるりと回って、お庭を鑑賞します。この庭はアメリカの庭園専門誌で、2023年、日本庭園第9位に選ばれています。(1位は足立美術館、栗林公園は11位)

 庭園からの帰りは、水路に沿った遊歩道を歩きましたが、この辺りは、福井城の堀の一部だったようです。途中には、かつて福井城の北側を守っていた舎人門が、復元されていました。

 夕食は、ホテルの近くの創業45年超の「味処庄屋」で頂きます。地産地消にこだわる店とのことで、新鮮なお魚と地場の特産を頂けました。お酒も進み、お店ブランドの破竹の心に加え、黒龍(永平寺町 黒龍酒造)と一本義(勝山市 一本義久保本店)も頂いちゃいました。お値段も安かった!

 酔い覚ましに、福井駅周辺をぶらぶら歩きます。「有る」とは聞いていましたが、恐竜の像がこんなに多く展示されているとは思いませんでした。

 今日の最後は、柴田公園・北庄(きたのしょう)城址にある柴田神社に参拝します。本来は勝家とお市の方をお祀りする神社と思いますが、浅井三姉妹の銅像も設置されています。この神社では、お市の方にあやかって、人を惹きつけ良縁を得ようとする「美(モテ)祈願」という変わった祈願ができるようです。祈願のピンクの幟が沢山掲げられています。

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鯖街道 大原~小浜

<一日目>

 今回は、鯖街道を京都から北上してみます。出発地は、京都出町柳ですが、車窓からの確認だけに留めます。まず初めは、大原に立ち寄り、三千院に参拝します。国道から脇道に入ると、しそ畑と「女ひとり」の歌碑が有ります。そばを流れる呂川(りょせん)に沿って坂道(響の道)を上っていきます。途中には土産物屋が多くありますが、時間が早いのとオフシーズンのためか閑散としています。

 しばらく歩くと三千院への参道がありますので、左折し階段を登って行きます。参道の左側、三千院の壁と下の土は一面苔で覆われています。御殿門から中に入り、客殿に上がります。畳に座り、しばらくお庭(聚碧園)を鑑賞します。ここでお茶を頂きたいところですが、ここではパスします。

 次はお庭の散策です。客殿から宸殿に抜け外に出ます。お庭の先には往生極楽院が有り、そこには国宝の、阿弥陀三尊像が納められています。院に上がると、間近で像を拝見できます。手が届く距離です。この辺りの苔むす庭園では、石彫刻家・杉村孝氏が手掛けた「わらべ地蔵」に出会うことができます。

 境内散策を続けます。金色不動堂の本尊は秘仏金色不動明王ですが、当日の4月は開扉される期間てあり、お姿を拝すことができました。金色不動堂の先、境内の最北端には観音堂があります。堂の右側には、檀家が奉納した小観音がびっしりと安置されています。境内の西の端には、阿弥陀石仏とおさな六地蔵がひっそりと鎮座しています。

 次は、大原の反対方向にある、寂光院に向かいます。三千院からは20分くらいの距離です。ここには平清盛の娘、安徳天皇の母である建礼門院が終生を過ごした場所ですが、山裾に一軒だけということも有り、静かなたたずまいです。観光客も少ないので、ゆったりとお茶を頂き、雰囲気を堪能できました。残念ながら、本堂は放火で2000年に焼失し、その後再建されました。ひどい話ですね。

 次は、若狭鯖街道の宿場町、熊川宿に向かいます。途中の道には、鯖街道だけあって、時折、鯖ずしの看板が掲げられています。車はそんなに通ってもいないので、商売になるのかしら?昼食は道の駅「若狭熊川宿」で頂きます。メニューには、福井だけあって、鯖ずし、越前そば、油揚に加え、鯖だしのラーメン、ソースカツ丼など福井名物で一度は食べたいものだらけです。

 即時の後は、熊川宿を散策します。今も江戸時代に形成された街並みがのこっており、「御食国(みつけくに)若狭と鯖街道」として日本に認定されています。残念ながらこの街は、水曜日が定休日とのことで、お店は皆お休みでした。

 小浜に入る前に、明通寺に参拝します。ここの本堂と三重塔は鎌倉時代中期のもので、いずれも国宝です。本堂には、薬師如来等の重要文化財の仏像が4体安置されており、寺のお坊様からお寺の由緒などを説明して頂けます。山の中腹にありますので、寺からは下界が見渡せます。

 小浜は、全国8割の箸を生産しているそうです。その規模を体験出来るのが、箸のふるさと館で、壁一面に箸が展示、販売されています。箸の研出しの体験コーナーもありますが、営業時間が過ぎており出来ませんでした。また、世界最大の箸も展示されています。

 鯖街道は一本の道ではなく、多くの道があります。若狭と京を結ぶ幾本もの街道や峠道、それぞれ固有の呼び名がありますが、総称して「鯖街道」と呼ばれるようになっています。最も多くの物資が往来したのが「若狭街道」、若狭と京を最短で結ぶのが「針畑越え」のルートで、それぞれの起点に行ってみました。

 まだ時間がありますので、ベンガラ格子や出格子の家々が軒を連ねる三丁目の街並みを見ていきます。この辺りは、旧茶屋町だったようです。どの家の軒先にも、魔除けと幸運を呼び込むため、身代わり申(さる)という赤い人形が吊されています。この辺りも、残念ながら水曜日が定休日でした。

 今日の宿は、小浜から車で30分、若狭湾を望む所に建つ「ホテル湾彩」です。夕食の席からは、暮れていく若狭湾が見えます。食事はスタンダードコースでしたが、ボリュームは満点でした。お酒は地元美浜町の「早瀬浦」です。