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国内旅行

阿蘇、熊本、天草

<一日目>

 夏真っ盛りですが、今回はJALの「どこでもマイル」を利用して(小松、宮崎、広島、熊本コースで、熊本が選ばれた!)、熊本を旅行します。一日目は熊本ドライブのモデルコースで行きます。最初は、新阿蘇大橋です。旧橋は熊本地震で崩落したそうです。橋は阿蘇方面に向かいますが、私達は、ここで白川水源方向に崖の道に分かれます。駐車場には与謝野鉄幹・晶子と黒木伝松の歌碑があります。

 午後の紅茶のロケ地の白川水源に着きました。入り口のそばにある売店で、湧水を入れるペットボトルを買いました。水源までの渓流は、CMのロケの場所、足をつけている人もいます。水源には柄杓と漏斗が置いていますので、それをつかってペットボトルに湧水を入れます。確かに大量に底から噴出しています。水源の上手には、白川吉見神社が鎮座しています。

 阿蘇中岳火口に向かいます。通常であれば、有料道路かロープウエーで火口を間近に見学できるとのことでが、昨年10月に噴火があったこともあり、今は阿蘇山上広場までです。

 中岳を少し下ると、草千里ヶ浜があります。鳥烏帽子岳のすそ野に、見渡すかぎりの草原があります。雨水が溜まった池もあちこちに有ります。遠くに乗馬体験をしている人が見えます。阿蘇パノラマラインの両側は牧場で、牛や馬がのんびり寝そべっています。

 昼食は、阿蘇神社の門前の、「はなびし」で赤牛を頂くこととします。阿蘇は水が豊富ということで、門前町の各お店の前には、趣向を凝らした泉が備えられています。

 昼食後は2000年以上の歴史がある阿蘇神社を参拝します。熊本地震で楼門、拝殿が倒壊したとのことですが、拝殿は復旧し、楼門は復旧中です。復旧した部分は白木となっています。御神水も豊富に流れています。

 最後は大観峰で阿蘇谷を一望したいと思います。駐車場から展望台へは、10分ほどの坂道です。展望台の先端からは、阿蘇五岳を一度に見えるはずでしたが、残念ながらガスがかかって見えません。明日、帰りにまたここに寄ってみたいと思います。

 本日の宿は、黒川温泉、「御客屋」です。外は、蒸し暑いのですが、夕飯の前に、黒川温泉の町を散歩したいと思います。町自体はそれほど大きくなく、一周20分ほどで回れます。瓜を盗んだ男の身代わりで首をはねられた地蔵が祀られている地蔵堂があります。祀られたのちに、ここで温泉が湧きだしたとのことです。

 夕食は、宿の農園で収穫された野菜や、熊本名産の赤牛、馬刺も出されました。阿蘇満喫です。

<二日目>

 ここは、歴史の宿、かつては細川藩の御用宿であったというだけあって、建物は木造で、年輪を感じます。今は、各部屋にトイレ・洗面所はありますが、昔は共同だったようです。お風呂は、5か所+家族風呂2か所あり、朝と夜で男女交代します。湯量は豊富です。朝風呂の後、朝食を頂きます。馬力納豆(桜納豆)と安蘇小国ジャージー牛乳が出ました。

 今日のスタートは、小国の鍋ケ滝です。予約が必要とのことでしたが、観客が少ないためか、不要でした。マムシに気を付けながら、階段を下っていきます。滝に近づくと、轟音とともに物凄い量の水が上から流れてきます。更にここは滝の裏側の空間がとても広く対岸まで歩いていくことが出来ます。「裏見の滝」とも呼ばれているそうです。滝の裏側に行きましたが、天井が落ちないかと心配になります。

 滝に行く途中、人形、マネキンがたくさん置いている家があります。何かなと、車を降りて確認すると、無人販売所でした。

 鍋ケ滝の途中には、抽象画家として有名な坂本善三の美術館があります。小国町の古民家を移築したそうですが、全館畳敷(日本で唯一)です。その隣には「鉾納社」という神社があります。神社の神秘的な雰囲気を高めているのが、両脇に並ぶようにそびえる2本の大木「夫婦杉」です。

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 今日も、途中大観峰に立ち寄ります。早速、展望台に向かいますが、遠くには昨日と異なり、阿蘇五岳が見えます。阿蘇五岳は、確かに左を頭にしたお釈迦様の寝姿に見えますね。今日は、パラグライダー体験を募集していました。

 山から一路、熊本市内に入ります。熊本城の堀の傍に城彩苑lという観光センターがあり、そこの山見茶屋で、「だご汁定食」と「たかな飯定食」を頂きました。だごとは熊本弁で“団子”のことだそうで、すいとん汁のようなものです。

 昼食後は、メインイベントの熊本城見学です。それにしても今日は暑くて(35度位)湿気があります。城の公開は北ルートと南ルートがありますが、北ルートから入りました。途中の堀や石垣は、まだ震災復旧中です。城は、地階から入り、最上階は6階で、エレベーターはありますが、階段で登ります。冷房は効いていますが、汗だく!最上階からは、3人のおもてなし武将隊が、広場でパフォーマンスをしています。暑すぎるので、南ルートは最上階から見るだけとしました。

 熊本城の隣には加藤神社がありますので、参拝しました。加藤神社は、明治4年創建ということで、比較的新しい神社です。現在、「NHK大河ドラマの加藤清正を」というキャンペーンがされているということを知りました。

 今日の最後は、肥後細川家の水前寺成趣園に向かいます。系譜を見ると細川護熙元総理大臣は18代目となっています。ここの庭園も阿蘇の伏流水が注いでいるとのことで、阿蘇は水が豊富さをあらためて感じました。昨夜、水前寺菜のお浸しが出ていましたが、土産物屋で実物をみることができました。

 熊本の夜は、胃も持たれてきたので軽くイタリアン系で、ということで藁焼き酒場「ファイアー」に入ってみました。藁焼きはカツオがないとのことで、馬肉を進められましたが、牛、馬は食べてきたので、豚にしてみました。藁で焼いていることもあり香ばしいです。数品食べたのち、トラムでホテルに戻りました。

<三日目>

 今日は天草へ向かいます。キリシタンゆかりの地でもあり、天草下島にある天草市立天草キリシタン館を見学し、歴史を学びたいと思います。キリシタン館では、偶然あばれる君のTV番組のロケに遭遇しました。8月放送とのことです。

 お昼時ですのでランチとします。天然いけす料理の「とらや」で海鮮丼を頂きました。ウニ、鯛、ヒラメ、海老、いか等々大ぶりの切り身が2重に盛られていました。

 これからは空港方向に戻りながら、観光していきます。まずは、道の駅有明リップルランドに立ち寄ります。ここには現在人工のビーチがありますが、島原・天草の乱の際、緒戦で、一揆勢が島原からこの浜に上陸したとのことです。遠くには湯島が見えますが、その島で、島原勢と天草勢が密談(談合)をしていたようです。ここはたこが名産ということで、巨大なたこのモニュメントがあります。

 次は高舞登山へ向かいます。車で、舗装されていない急峻な道を行ったのち、更に展望台へ駐車場から15分ほど坂道を登ります。展望台からは絶景、「天草松島」が一望できます。確かに、「仙台松島」と同じ風景です。

 高舞登を下って、麓のリゾラテラス天草で一休み。新しくできた海辺のリゾートで開放感が溢れています。

 次は、天草うまかもん市場 藍のあまくさ村です。入り口のちくわのモニュメントはユニークですが、ここには世界最大の天草四郎像があります。物産館の入り口にも四郎像がありました。

 天草から宇土半島に渡ると、世界遺産の三角西港があります。オランダ人水理工師ムルドが設計し日本人石工が作った港で、明治期の港が完全に残るのは日本ではここだけだそうです。特に往時は、三池炭鉱の石炭を輸出していたそうです。

 三角西港から天草街道を進むと、遠浅の海岸が見えます。御輿来海岸です。砂紋と夕日とのコラボで、日本の「渚百選」「日本の夕陽百選」に選定されているようですが、残念ながら日没はまだ先です。

 まだ1時間ほど余裕があったので、天草街道を右に折れ、パワースポットの長尾剱神社へ行くこととしました。半島の横断には県道243号線を登って下るのですが、狭く曲がりくねっており、でこぼこの部分もあり、大丈夫かなと不安にはなりましたが、無事、反対側に行くことができました。長尾剱神社は海中の鳥居で有名なのですが、残念ながら今は干潮でした。境内は急な石段を上った先にあります。干潮の時こそエイの折り紙をお供えすべきなのですが、社務所は閉まっていました。

 今回の熊本旅行ではまだ熊本ラーメンといきなり団子は食していません。空港で仕上げと考えていました。が、いきなり団子は完売でした。生ものなので、熊本に到着したときに頂くべきだっと今思います。心残りです。

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国内旅行

小田原、箱根

<一日目>

 今回は県民割を利用し、箱根方面に一泊旅行しました。初めに小田原をぶらぶらしようと思いますが、まずは昼食。駅近のリョウに行きます。11:30からの開店ですが、すでに待ち人が。8番目でした。人気のまかない丼と入り口に「生シラス入荷!」とありましたのでそれを頂きました。

 昼食後は、店の前の道を、まっすぐお城に向かいます。お堀に学橋が見えますが、ここから入らず、正規登城ルートの馬出門土橋から入ることとします。

 銅門をぬけると、二の丸に入ります。目につくのは白い洋館ですが、これは他のお城の例とは異なり皇室関連ではなく、昔の図書館でした。今は観光案内所です。5月28日(土)~6月19日(日)まで、あじさいと花菖蒲祭りが開催されていたとのことで、本丸の堀沿いの花は盛りで、見事でした。期間中はライトアップされるとのことです。見たかったですね。

 本丸からは、お城はすぐそこです。天守からは、相模湾が一望出来ます。陸側を見ると、小田原駅はすぐそこです。

 天守を見学した後は、城址公園にある報徳二宮神社に行くこととします。この神社は明治27年に二宮金次郎生誕地の小田原で創建されたそうです。神社にある二宮金次郎像は、戦前に全国の小学校向けに1000体制作され、その後金属供出に会い、残った唯一の像とのことです。丁度、茅輪が鳥居にありましたので、茅輪神事で穢れ?を落としました。

 公園内のSAMURAI館で、甲冑、日本刀の展示を見学しました。ブラタモリ#28でタモリがかぶった兜の展示もありました。

 市内最大のイヌマキの木を横に見て、帰りは学橋から出ました。海岸に向かうこととします。先ほど入った、馬出門土橋を通り過ぎ、喫茶かざみどりで一休みとします。

 御幸の浜海岸に向かいます。通りの家々の塀には、「MIYUKI BEACH」というプレートで案内があります。この海岸は、夏は海水浴場となります、伊豆半島がよく見えます。

 帰りは、かまぼこ通りをぶらりとします。鈴廣の旧本店があります。小田原かまぼこ発祥の店「鱗吉」ではビールセット(地ビール+じねんじょ棒)を頂きながら足湯をしました。

 宿は強羅の「ゆとりろ庵」です。夕食は、少な目セットをお願いしました。お酒ははワインと地酒「箱根街道」です。感動したのは、ここの自販機の売価です。ほとんどコンビニで買った値段と変わらない!

<二日目>

 朝湯の後、朝食を頂き、宿のあたりを散歩します。宿はケーブルカー中強羅駅のすぐ近くです。今日は、天気も良く強羅方面に明星ヶ岳も良く見えます。頂上は雲に隠れていますが。

 今日は天気も良さそうなので、箱根神社、九頭龍神社、箱根神社の奥宮である箱根元宮の「三社参り」を目指します。たまたま、先週の美の巨人たちで放映されていました。まず、箱根神社を目指します。第三鳥居は清掃作業中でした。確かに洗浄すると、朱がよく映えます。

 箱根神社の正参道では、太い杉の木の間を90段登ります。途中には、曽我兄弟にちなんだ、曽我神社があります。境内に入りますと、竜神水がありますので、用意してきたペットボトルにいれます。持っていない人にはペットボトルが販売されています。帰りは脇参道で、森の小道をのんびり下っていきます。

 次は、駒ケ岳にある、天空の社殿、箱根本宮を目指します。ロープウエー駅に近づくと、ロープウエーが途中に止まっています。なんと、今週は点検整備で運休とのこと、箱根神社のどこかに説明があればと思いました。

 気を取り直して、九頭龍神社の本宮を目指します。15分ほど歩くと、箱根九頭龍の森に着きます。ロッジを運営しているようです。神社はこの施設の中にありますので、事務所で、入場券を購入します。事務所の脇には船着き場もあり、参拝船やチャーター船で、ここまでは来ることもできるようです。更に10分ほど遊歩道を歩くと、ようやく神社に着きます。ここはパワースポット、良縁の神様だそうです。神社には小さな桟橋もありますが、美の巨人たちでは、チャーターしたモーターボートでここまで来ていました。

 濡れて足場も良くないので、帰りは遊歩道ではなく、車道で戻ります。途中、箱根神社の芦ノ湖に面した平和の鳥居への参道では、結婚式用の写真を撮影した?花嫁さんが登って来ていました。大変そうですね。

 昼食はベーカリーアンドテーブルで頂きます。コロナ前は並んでも入れなかったとか。一番人気の「米粉のカレードーナツ」と「キーウイのクリームパン」にします。食べてみると、写真で見るように、本当にカレーの中に卵が丸ごと1 個入っていました。

 午後、湖畔にだいぶん霧が出てきましたので、芦ノ湖から小田原に戻ります。旅の最後は、小田原駅西口のロータリーにある北条早雲公像の見学です。

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国内旅行

知床、阿寒湖、釧路湿原

<一日目>

 久々の北海道。今回は東方面です。女満別空港で降り、一路ウトロまで向かいます。途中、斜里町の観光スポットの、「天に続く道」、「オシンコシンの滝」、「三重の滝」を通ります。それにしても、やはり寒い。ここは、7度です。

 沈んだ観光船が出港したウトロの町に到着しました。どことなく、暗い雰囲気です。観光船の事務所の前も閑散としています。それでも、大型観光船「おーろら号」は羅臼港を出ていました。

 ウトロから知床横断道路を通り、羅臼を目指します。山を登ると、眼下にウトロの町が見えます。山道は、ウトロ側は濃霧でしたが、羅臼側は雲一つない晴天でした。

 羅臼に昼時着きましたので、昼食とします。やはり海鮮。道の駅「知床・らうす」の知床食堂で、「ウニ・カニ丼」「サーモン・イクラ・カニ丼」を頂きました。窓からは、国後島が見えます。

 昼食後、羅臼国後展望塔に向かいます。今日は珍しく?快晴です。名前の通りここからは国後島がよく見えます。知床旅情の見え方は、誇張ではと思っていたのですが、本当に「丘に登ればクナシリがよく見え」ます。

 知床横断道路でウトロに戻ります。道の駅「ウトロ・シリエトク」に立ち寄ります。コケモモアイスを頂き、「ハマナス」「コケモモ」「ハスカップ」のジャムを買いました。ちなみに、シリエトクとは、アイヌ語で大地の先端を意味し、知床の語源だそうです。

 網走に戻り、オホーツク流氷館に向かいます。3階は天都山展望台となっています。流氷体感室(気温マイナス15度)で流氷の実物に触れ、振ったタオルが凍る体験もしました。小一時間の滞在でしたが、帰るころには濃霧になっていました。

 網走の夜は、五十集屋(いさばや)に行きました。メニューで、その日でお勧めとあるものは、皆頼んでみました。お酒は、網走の「君が袖」、根室の「北の勝大海」、釧路の「福司」を順にトライしてみました。

<二日目>

 網走の朝です。静かです。

 網走監獄の前に、能取灯台に立ち寄りました。ここは、「子ぎつねヘレン」「南極料理人」「狙った恋の落とし方」や、JALの嵐のCMのロケで使われています。確かに見渡す限りの草原と、オホーツク海を望む断崖に、ポツンと灯台があり、ロマンティックではあります。

 いよいよ網走監獄博物館です。有名な白鳥由栄の脱獄シーンもマネキンで再現されています。でも網走も寒い。6月で9度です。監獄の暖房の再現もありますが、一棟でストーブが2台だけです。ここは冬はマイナス20度にもなるといわれていますが、ほとんど効き目がないように感じます。

 美幌峠へは網走湖沿いの道を走ります。途中、道の駅「メルヘンの丘めまんべつ」を通りますが、近くに、有名な7本のカラマツが並ぶ絵本のような風景があります。写真を撮るため畑に入る人がいるようで、「畑への立ち入り禁止」という看板もあります。

 美幌峠からは、屈斜路湖が一望できます。中島もよく見えます。道の駅「ぐるっとパノラマ美幌峠」の展望台は、道の駅から徒歩で10分程度です。昼時ですので、昼食をとりました。「美幌豚と行者にんにくの醤油ラーメン」「美幌和牛と玉ねぎカレー」を頂きました。

 昼食は摩周湖に向かいます。残念ながら、摩周湖第一展望台のレストハウスは工事中でした。次に、高さが上になり、目線が異なる摩周湖第三展望台に行きます。珍しい?のか今日は晴天です。両方の展望台の景色を堪能することが出来ました。

 摩周湖の最後は、「神の子池」に行きます。国道からの途中の道は、舗装されていません。ここは摩周湖の地下水でできているパワースポットです。幸運なことに、当日は快晴で、池はエメラルドグリーンでした。

 阿寒湖への途中、硫黄山に立ち寄ります。箱根とは異なり、噴出口のそばまで近づけます。温泉卵も黒くありません。活火山ということもあり、対処が間に合わなかった場合は、レストハウスの地下に避難せよとあります。なにも無くて良かったです。

 阿寒湖につき、ニュー阿寒ホテルにチェックイン。部屋の窓からは、阿寒湖が一望できます。窓の下には釣りをしている人も見えます。夕食は、ビュッフェで、和洋中のアラカルトです。お酒はスパークリングワインを1本お願いしました。

<三日目>

 朝食前の散歩です。風もなく湖畔は穏やかです。岸にはマリモ?らしきものが漂っています。ホテルから15分程ボッケ遊歩道を歩くと、見晴らしスポットがあります。そのそばにはボッケという熱い泥の噴出口があります。

 散歩の後の朝食は昨夕と同じ場所で、ビュッフェです。部屋の窓から遊覧船の出航を見たのち、チェックアウトしました。一路、釧路湿原を目指します。

 釧路湿原、最初の目的地のサルボ展望台は、シラルトロ沼からはすぐそこです。展望台の駐車場は10台くらいのスペースで、展望台はそこから20分ほど坂道を登ります。塘路湖の方向は良く見えますが、反対の湿原側は木が生い茂り残念ながらよく見えません。駐車場に帰る途中シカと出くわしました。

 次は細岡展望台です。ここはサルボ展望台とは異なり、施設も大規模で、湿原の大パノラマもよく見えます。展望台と国道の途中に釧路川の川岸があり、直接触れることが出来ます。

 昼食は釧路町で運営している「ロ・バザール」に立ち寄ります。釧路町は昆布森で育った仙鳳趾(せんぽうし)の牡蠣が名産とのことで、カキフライとカキボナーラ、クラフトビールを頂きました。

 釧路市に着きました。フィッシャーマンズワーフに行きます。近くの幣舞橋(ぬさまいばし)は北海道三大名橋とのこと。夕日が美しいらしいですが、まだ残念ながら日中です。フィッシャーマンズワーフの中では海産物をはじめとする特産品を販売していますが、毛ガニのキャッチャーには驚きました。2階の喫茶店で一休みです。

 ここの近くに道立釧路芸術館があります。「日本の洋画130年」(笠間日動美術館コレクション)を開催していましたので行ってみました。佐伯祐三や岸田劉生の絵がありました。

 まだ時間がありますので、町をぶらり。公園の遊具も船にちなんでいます。美川憲一、水森かおり歌碑があります。美川憲一の歌碑は近づくと歌が流れます。

 釧路の晩餐は、16時半から空いている「あぶり屋」に行きました。おすすめをいろいろ注文しましたが、最後は、釧路の地酒、福司のぬる燗で、北海道旅行の〆としました。

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京都、宇治

<一日目> 

 まん防も3月で終了しましたので、早速、京都、宇治に行くこととしました。朝早くに出発したので、四条烏丸の「のむら」で、おばんざい小鉢の朝食を頂きました。ショーケースから小鉢を4つ選びます。ついでに朝ビールも。

 宿(ホテルインターゲート京都 四条新町)に荷物を預け、まずは二条城に向け出発です。徳川の威信をかけた城だけ合って、二の丸御殿の細工や材質は他の城の比ではないなと感心しました。どことなく東照宮に似ています。大政奉還の舞台でとなった大広間も見ることができました(内部は撮影禁止)。通常は超混みとのことですが、今は入り口の下駄箱で分かるように空いています。

 二条城の天守閣は落雷で、本丸は大火で焼失したとのこと。天守閣跡からは、本丸庭園や京都の街が良く見えます。

 次は、二条城の北側にある神泉苑に向かいます。寺の中央には法成就池があります。弘法大師空海が 雨乞いのために北インドから善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を招き、祈雨が叶ったことが名前の由来で、善女龍王は池の中に棲んでおられるとのこと。

 新撰組に縁のある壬生に行くのですが途中、三条会商店街を通ります。商店街の側にある武信(たけのぶ)稲荷神社には、樹齢850年のエノキのご神木がありますが、このエノキに坂本龍馬がおりょうへの伝言を彫ったとの逸話があります。ご神木の一部が空洞化し落下した枝は、チェンソーアートで龍の姿になっています。

 壬生の光縁寺に新撰組隊士の墓があるとのことで訪ねてみました。ガイドブックでは墓の見学ができるとのことでしたが、門は閉まっており、入れなさそうです。残念。途中の酒屋さんには新撰組に因んだお酒が売られていました。

 新撰組壬生屯所跡(八木家邸宅)に着きました。邸宅の管理、ガイドは邸宅前にある京都鶴屋鶴寿庵が行っています。ガイドの方に、芹澤鴨+平山五郎+女性2人が屏風の上から刺された場所と、芹澤鴨が最後に切られた場所を案内されました。見学の後は、鶴寿庵で屯所餅と抹茶を頂きます。

 屯所見学が終わって、惨殺された芹澤鴨と平山五郎の墓がある壬生寺に立ち寄りました。

 壬生から北に向かうと、島原地区になります。江戸時代の日本三大遊郭の一つと言われていますが、大門や道がクランクしていること、見返り柳など雰囲気は吉原に似ています。但し、吉原と異なり今は全くその面影はありません。

 島原の通りを東に進むと、西本願寺と東本願寺を通ります。西本願寺は、龍虎殿から入り、御影堂、阿弥陀堂を見学しました。東本願寺は、参拝のみです。更に、東に向かいます。

 七条大橋で鴨川を渡り、最後は三十三間の見学です。鎌倉殿の13人で登場する後白河上皇や清盛に関係しますので親近感がわきます。千体余の観音立像がすべて国宝で、至近距離で見学可能です。ここも、入り口の下駄箱で分かるように、見学者は多くありませんでした。ここで1日目は終了。鴨川沿いに四条河原町を経由して宿に帰ります。

 初日はすべて徒歩で通したこともあり、疲れたので宿のすぐ側の百足屋本店で、おばんざい懐石料理(新町コース)を頂くこととしました。観光客が少ないためか、客は私たちだけのようです。帰り際に、お店の方に「まん防が終わってこれからお客さんも増えますよね」と言ったところ「桜も終わり、葵祭も中止となって、先行きが見えません」と言われ、そうなんだと感じました。

<二日目>

 朝食は宿のそばの前田珈琲本店で、スペシャルモーニングを頂きました。帰りしなブラブラしていると、本能寺跡に出くわしました。この辺にあったんだと感心。

 今日のメインは迎賓館見学ですが、途中、聖徳太子が開いたといわれる六角堂に寄ります。確かに本堂は六角形ですね。山門をくぐると、敷石の中央にまるい穴があいた六角形の石があります。六角堂が京都の中心とされたことから、体の中心であるへそになぞらえて「へそ石」と呼ばれているそうです。

 遂に京都迎賓館に到着です。門の前で予約者点呼の後、地下の駐車場で注意事項の説明がありました。地下は撮影禁止です。その後、駐車場のスロープから地上に出て、迎賓館に入ります。①夕映の間、②藤の間、③桐の間、④庭園、最後は入り口右手にある聚楽の間(ロビー)に案内されます。壁や調度品は日本伝統技能の粋です。

 京都御所の北側に、相国寺があります。相国寺は臨済宗相国寺派の大本山で、金閣寺、銀閣寺は塔頭寺院(末寺)です。初めは、方丈ですが、裏方丈(石の川が造られている苔庭)、表方丈(白砂を敷き詰めただけの前庭)があります。次は、法堂で、天井には蟠龍図があります。お寺の方によると、鳴き龍で八方睨みはここだけとのことです。内部は撮影禁止のため、今回の特別拝観券を添付しました。最後は、開山塔で夢窓国師像が安置されています。

 お昼時となりました。烏丸通に面した「スケルツォ」で生パスタとグラスワインを頂きました。食後は、下鴨神社に向かいます。

 途中、上御霊神社に立ち寄りました。文政2年(1467年)に畠山政長と畠山義就がここで争ったのが応仁の乱の始まりとのことです。参拝後、出雲路橋を渡り、しばらくすると下鴨神社の参道になります。

 下鴨神社は、崇神天皇の七年(BC90)に修造がおこなわれたという記録があり、それ以前の神代時代からまつられていたとのこと。いずれにしてもすべての案件に対するパワースポットらしいです。とは言え、歩き続けでしたので、参拝の後、休憩所でお汁粉を頂きました。

 参道に沿って、潮見の小川が流れています。「風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける」(百人一首:従二位家隆)にある小川です。参道の先にある河合神社は下鴨神社の摂社です。鴨長明は河合神社の禰宜の息子として幼少時代を過ごし、河合神社には長明が晩年過ごしたと言われる建物を再現した方丈の庵が展示されています。びっくりするくらい小さい!今日の最後は、京都仙洞御所・京都大宮御所、出町枡形商店街を通って向かいます。

 京都仙洞御所・京都大宮御所のツアーは15時30分からです(なんと無料!)。参観者休所を定刻に出発し、最初は、大宮御殿を外から見ます。これは京都迎賓館ができるまでは、迎賓館として使用されていたとのこと。ダイアナ妃もかつてここに宿泊したそうです。その後、北池、南池の周りを小一時間巡ります。庭が大変美しく整備されています。※仙洞御所:上皇の御所、大宮御所:皇太后の御所

 宿に帰る途中、京都御所の西側にある、澤井醤油に立ち寄りました。うすくち醤油と刺身醤油を買いました。

 今日も良く歩きましたので、遠出はせずに、近くのおばんざい居酒屋の「太郎屋」に行きました。濁りワインを飲みながら、家庭料理をいろいろ頼んでみました。

<三日目>

 今回の旅行の目的は、京都迎賓館と宇治平等院です。最終日は、宇治平等院の見学です。鳳凰堂内部の見学は早い人順なので、早めに行きました。ここもまだ観光客は多くないようで、並ばずに入ることができました。丁度、藤の花が満開でした。

 朝早く出ていますので、朝食はJR宇治駅近くの中村藤吉本店でとりたいと思います。店に入って奥に、製茶工場を改装したカフェがあり、そこで、きつね茶蕎麦、炊き込みご飯、抹茶ゼリーのセットを頂きました。

 帰りは京阪電車で戻ります。終点の出町柳駅から、バスで銀閣寺に向かいます。4月の中旬ですが、今日は日差しが強烈です。銀閣寺は足利義政の住居ということもあり、思ったよりこぢんまりしています。展望所からは、近くに銀閣寺、遠くには嵐山、愛宕山がよく見えます。

 河原町方面で昼食をとることとし、バスで向かいます。車窓からいろいろ見えますが、河原町通りの牛光は混んでるようです。木屋町通りの「Conel」でハンバーグランチと飲み物を頂きました。ハンバーグのソースは柚子胡椒にしました。

 寺社めぐりの締めくくりは、八坂神社です。拝殿にある鈴が非接触で振れたり、緒が抗菌仕様だったりして、さすが天下の八坂神社だと感心しました。ラストは八坂神社の末社でパワースポットの美御前社(うつくしごぜんしゃ)に参拝し、「美容水」で頬を清めました。

 最後はイノダコーヒ本店で、アラビアの真珠を頂いて帰ることとします。今回も良く歩きました。

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出雲大社、鳥取砂丘、松江

【一日目】

 全国的にまだまん延防止等重点措置がとられていますが、山陰に行くこととしました。空は快晴。米子鬼太郎空港から、車で出雲大社に向かいます。途中、ベタ踏み坂として有名な江島大橋を通ります。島根の橋はここに限らず、下を大型船が通るためか、桁がどこも高くなっています。

 出雲大社の駐車場ですが、予想通り、ガラガラです。大社に参拝する前に、神在月(他の場所は神無月)に全国の神様がいらっしゃる浜(稲佐の浜)と道(神迎の道)に向かいます。

 神迎(かみむかえ)の道は、神様の通られる道なので、掃き清められ、各家の軒下には一輪挿しが飾られています。

 神迎の道沿いには、出雲そばのお店が多くあります。「かねや」に入り、三色割子5段をお願いしました。一時過ぎには、お店は閑散となりました。普段は混んでいるのでしょうね。

 食事を終えて、道を急ぎます。稲佐の浜に到着です。浜の中央には神事が行われる弁天島がありますが、工事中で側には行けません。近くの浜で、砂を頂きます。後ほど大社に供えます。

 いよいよ大社に参拝します。鳥居は銅製で毛利藩が寄進したそうです。参道は左を進みます。

 境内のあちこちにウサギ像があります。因幡の白ウサギがモチーフにちなんでいるのでしょう。

 拝殿と御本殿(八足門から)で参拝をします。

 ご本殿の裏手には、素鵞社(そがのやしろ)が鎮座しています。社の下で稲佐の浜で頂いてきた砂をお供えし、代わりに素鵞社の砂を頂きます。

 参拝を終えて、神門通りに戻ります。神門通りの先には、一の鳥居があり、その下あたりに、一畑電車の出雲大社前駅があります。

 出雲大社から、今日の宿泊先の玉造温泉に行く途中、木綿街道に立ち寄ることとしました。木綿の流通の道として栄えたとのことで、酒蔵や醤油蔵、旧家など風情ある町並みです。但し、時節柄?観光客ゼロ。ここの宇美神社も縁結びの社だそうです。

 宿は「佳翠苑皆美」です。従業員は多く、皆さん丁寧で、逆に恐縮しました。宿は割と混んでいました。ここは、2021年度の「人気温泉旅館ホテル250選」で「料理」「接客」「温泉・浴場」「施設」「雰囲気」の5項目でいずれもベスト10前後となっているとのことです。

 いよいよ夕食です。和風懐石です。

 お酒は、地ワインと豊の秋を頂きました。

 最後は、炊き込みご飯とデザートで終了。良い一日目でした。

【二日目】

 朝食は、和洋50種類以上あるというビュッフェで頂きました。昨夜は見えませんでしたが、お庭がとても美しいです。

 食事の後は、玉作湯造神社に参拝です。玉造温泉は、宍道湖に注ぐ玉湯川に沿って両側に温泉宿があります。神社の途中、川岸に足湯がありました。

 玉作湯神社は高台にあります。二の鳥居から階段を上がると、一の鳥居に着きます。時間が早かったことから、残念ながら社務所はまだあいていません。叶い石は頂けませんでした。拝殿で参拝後、石はありませんが願い石に触れ、お願いをしてきました。宿に戻って、最後、最上階にある展望露天風呂に入りました。

 鳥取砂丘への途中、黄泉の国にまつわるパワースポットに立ち寄ることとします。イザナギノミコトと結婚し、国生みとと神生みを行った女神イザナミノミコトを祀る揖夜(いや)神社です。

 近くには、黄泉比良(よもつひら)坂があります。夫であるイザナギノミコトは死んでしまったイザナミノミコトに会いたくて、黄泉の国に行くのですが、変わり果てた妻の姿に驚き、現世に逃げ帰ります。追っ手が来る中やっとの思いで脱出し、千引(ちびき)の岩で封印をしますが、ここがその場所です。途中ここに生えていた桃の実を追っ手に投げ、退散させたそうです。

 砂丘の前に、鳥取城址に立ち寄ることとします。二の丸の石垣の下に迎賓館等を設計した片山東熊設計の仁風閣があります。旧藩主はこの窓から、石垣をご覧になっていたのでしょうね。仁風閣の向かいにある鳥取博物館で、小早川秋聲展をしていました。東京で見逃していたので、さっと見学しました。

 いよいよ砂丘です。今日は雨が降ったりやんだりで、本来は良くないのはずですが、砂丘ツアーには好都合と思います。というのは砂がしっとりしているため、砂が靴に入らず、またそれほど抜からないので比較的歩きやすく、砂塵もないためです。とはいうものの、砂丘中央の第二砂丘列の頂上に行くのは一苦労です。砂丘の中にいると、日本にいるとは思えない幻想的な感じになります。

 白兎海岸の道の駅から、白兎神社に参拝に向かいます。階段を上った先に、イナバの白ウサギと大黒様、大黒様と結婚する八上比売(やがみひめ)の砂像があります。一の鳥居の上には、社務所で頂くはずの「縁の結び石」があります。石を投げて鳥居の上に置くことができたら願いが叶うそうです。手水舎でてをかざすと大音量で、唱歌「大黒さま」が流れてきます。社務所に参拝者が来たことを知らせるのでしょうか。白兎神社ですが、本来は白兎の治癒にあやかり皮膚病の御利益のはずなのですが、大黒様と八上比売の方の恋愛成就の御利益メインになっているようです。神社入り口ににはピンクハートの兎ポストもあります。

 夕食はホテル近くの「海鮮問屋村上水産」に行きました。イカ、モサエビ(殻は唐揚げにして頂きました)、赤カレイ、砂丘らっきょ、イカシュウ等々。ワインと日本酒に合います。今日も満足な一日でした。

【三日目】

 鳥取を発ち、一路境港に向かいます。境港は、駅前から水木しげるロードが始まります。道の両側にある妖怪のブロンズ像は全部で177体あるとのこと。水木しげる記念館ですが、通常であれば妖怪の着ぐるみがお出迎えとのことですが、観光客が少ないためか、お出迎えは無しです。

 境港駅前には、水木しげる先生執筆中の像があります。鬼太郎とねずみ男が見ています。駅の待合室のベンチも妖怪一色です。

 境港のお昼と言えばは、お寿司です。駅の隣に、妖怪巨大壁画が書かれている「みなとさかい交流館」があり、その1階にある大漁丸に入りました。東京では頂けない、旬の鮮魚だらけです。のどくろの握りと肝も頂きました。

 昼食後は、松江に向かいます。松江と言えば、松江城。お堀の脇の駐車場に車を止めて、さっそく天守に向かいます。途中には、鳥取城と同様、洋館(興雲閣、現在、中は喫茶スペース)がありました。いずれも、天皇の行幸対応で造られたものです。天守からは、南方に宍道湖が見えます。

 お城を出て、お堀沿いに散策します。残念ながら、小泉八雲記念館は休館中でした。途中、堀沿いの塩見縄手地区(縄手とは縄のようにのびた道をいい、ここは日本の道百選に選ばれた)にある武家屋敷を見学しました。

 休憩したいところです。堀から道を上ったところに、藩主松平不昧公が建てた茶室(明々庵)が移設され、そのそばで、抹茶を頂くことができます。明々庵へは急な石段を登りますが、そのおかげでお城がよく見えます。

 宍道湖の夕日スポットに行くこととします。ここは夕方になると、宍道湖に沈む夕日と嫁ヶ島、袖師地蔵のシルエットがとてもロマンチックで美しいとのことですが、まだ時間が早いのが残炎。今回の旅行最後の食事は「やまいち」で頂くこととします。カレイの唐揚げ定食を頂きました。始めに、豆腐と卵とお漬物。カレイは、からっと揚がっていて、骨まで頂けました。しじみ汁は、しじみが山盛りでした。

 夕食の後、帰りの飛行機にはまだ時間がありましたので、美保神社と美保灯台に寄ることとします。途中には夫婦岩があります。美保神社は、漁業・商売繁盛の神(えびす様)と農業・子孫繁栄の神(ミツホヒメノミコト)が祀られています。出雲大社(大黒様)と両方参拝「両参り」が縁起がいいとされていますので、これで達成しました。

 美保神社の鳥居をくぐると右側に石畳の通りがあります。通りの先にある仏谷寺への江戸時代の参拝道の遺構とのことです。あたりはもう薄暗くなってきていましたので、人もおらず、少し不気味な感じがしました。

 いよいよフィナーレは美保灯台です。この灯台は1898年に初点灯された山陰最古の灯台で、「世界の歴史的灯台100選」や「日本の灯台50選」に選ばれている日本を代表する灯台とのことです。目の前の漆黒の美保湾と灯台の点滅は非常に幻想的でした。

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国内旅行

山口(萩~下関)

【一日目】 

 山口県は、県全体が2月1日から蔓延防止等重点措置の対象となりましたが、昨年既に予約していることもあり予定通り出発しました。山口宇部空港からまずは秋吉台に向かいます。朝方雨がぱらついていましたが、あがりそうです。

 秋吉台の駐車場はガラガラです。入り口に続く土産物屋もほとんど閉店です。秋芳洞の入り口から最終地点までは1㎞くらいのアップダウンですが、すれ違ったのは5組位でほとんど無人です。おかげ様でじっくり洞内を鑑賞できました。 

 洞窟の途中にエレベーターがあり、秋吉台に上ります。(下は秋芳洞、上は秋吉台)エレベーター出口から、カルスト展望台へ行くのですが、地図では徒歩5分とありますが、急な坂道であり、洞内アップダウンの後には応えます。一息では行けません。展望台に着くと、一面のカルスト台地が見えます。展望台の隣にあるジオパークセンターで休憩です。甘いものでエネルギーを補充しました。

 出口からの道は木の匂いが立ちこめ森林浴です。途中の土産物屋では、鍾乳石を売っていました。国定公園で採取していいのかな? これから山口に向かいますが、途中、超パワースポットの別府弁天池に立ち寄ります。ここの湧き水は透明度が高く、日本の名水百選に選定されています。水は蛇口から飲み放題です。

 萩へ行く途中、山口市の瑠璃光寺に立ち寄りました。お寺には国宝の五重塔があります。日本三名塔とのことです。本堂への階段の左側には身代わり地蔵、右側には後生車(ごしょうぐるま)があります。閻魔大魔王に罪を許してもらい極楽浄土へ行けるように車を回してお願いするそうです。思いっきり回しました。

 萩に着き、早速、散策です。城下町周辺は世界遺産になっており、道路がアスファルト舗装でなければ、江戸時代にタイムスリップしたようです。世界遺産地区の内にある萩博物館は蔓延防止のため明後日まで臨時休業とのこと。残念!それにしても三日間でいいのかしら?景観維持にはコストも掛かりそうで、残念ながらメンテされていない塀もありました。晋作広場には高杉晋作の立志増があります。地元の人によれば、萩城を見ているそうです。指月橋から城址に入ります。ここもあたりには誰もいません。暗くなりましたので宿に戻ります。

 夕食は河豚会席でした。ふぐ刺し、ふぐちり、ふぐ天、和牛のプレート焼き等々。お酒は、地ワイン(維新ファイブ)とプーチン来日時に飲んだという萩の酒、東洋美人を頂きました。長い1日でした。

【二日目】

 朝の散歩ですが、日の出は東京と30分程違います。6時過ぎでもまだ真っ暗です。散歩の後、朝食です。萩は河豚、鮟鱇、烏賊が特産とのことで、それぞれが出ました。宿はリゾートホテル美萩で海岸に面しています。宿泊客が少ないので、大浴場、露天風呂とも今朝は無人でした。

 最初は、松陰神社に向かいます。神社に入ると、真っ先にあの有名な松下村塾があります。その隣に、松陰が幽囚されていた旧宅があります。その奥が、松陰神社です。訪れる人が少ないこともあり、厳粛な気持ちになります。境内の土産物屋で、国光製菓のママレード、夏みかんの丸漬けを買うことができました。(国光製菓は水曜日が定休で買うことを諦めていました)

 次は、山口の観光案内には必ず掲載されている元之隅神社に向かいます。CNNが「日本で最も美しい場所31」のひとつに選出したこともあり、混雑期には駐車までに何時間もかかる場合があるとのことですが、今日は時節柄ガラガラです。鳥居の向こうには、波によって海水が中の空気と一緒に吹き上がる「龍宮の潮吹」も見えます。大鳥居の中央上部(高さ約5m)に設置されている日本一入れにくいとされている有名なお賽銭箱ですが、誰もいませんでしたので、何回も投げるうちに、コツをつかみ、何回も入りました。願いも数多く叶うかも?高台の千畳敷から、一帯を眺めて、次に進みます。

 次は、本土と角島を結ぶ「角島大橋」です。これも山口の観光名所で、パンフレットには必ずあります。人もいないし車も通っていません。この橋は「土木学会デザイン賞2003」の優秀賞も受賞しているそうです。昼食は角島の先端にあるグランビスタ角島で、海鮮丼と瓦そばのセットを頂きました。店の前の堤防がロケ地になったとのことで、現場紹介の大きな看板があります。

 最後は、下関です。下関グランドホテルに宿泊しましたが、目の前が連絡船の船着き場で、関門海峡を通過する貨物船がよく見えます。夕食ですが、ホテルに近い「カモンワーフ」に行きました。蔓防で飲食店はほとんど閉店しています。3階にある敦煌で中華定食を頂きました。飲めないこともあり、客は1組のみでした。眺めは最高です。もったいないね。

【三日目】

 朝食の前に、まずは散歩です。林芙美子生誕の地、金子みすゞ顕彰碑、最古の現役郵便局等々を1時間かけて見てきました。朝食には、やはり河豚が出ました。

 朝食後は、関門橋まで歩くこととします。まずは亀山八幡宮。世界一のふぐの像があります。境内では豆まきの準備をしていました。しばらく行くと赤間神宮があります。壇ノ浦の合戦で入水崩御された安徳天皇をお祀りしています。境内には、平家一門の墓があり、その横には、芳一堂があります。小泉八雲の「耳なし芳一」のモデルとのこと。赤間神社に隣接して、日清戦争の講和会議の舞台となった春帆楼があり、その敷地の中には日清講和記念館があります。(春帆楼はふぐ料理公許第一号、春帆楼のとらふく雑炊スープは空港売店では売り切れでした)しばらく歩くと関門橋が大きくなってきます。

 いよいよ対岸に渡ります。関門トンネルの人道は無料です。全長780メートルですが、途中に県境があります。あっという間に渡ってしまいます。対岸に下関が見えます。門司側の出口の側にある和布刈(めかり)神社は、非常に古く、神功皇后が三韓征伐の後、西暦200年創建と言われています。

 しばらく海岸沿いに歩くと門司の街につきます。門司港レトロ展望室に上り、関門海峡を一望します。海岸沿いにレトロな建物を見学していると、お腹がすいてきます。門司と言えば焼きカレー、何軒もありましたが①6年連続福岡ブランド認定店、②秘密のケンミンショー福岡県代表、③お客様が選ぶ「門司港で1番おいしい焼きカレー」1位・・・?とありましたのでプリンセスピピにしました。野菜ソムリエ焼きカレー、ふぐのフライと門司港バナナビア(ノンアルコール)を頂きました。そうこうするうちに下関に戻る時間となりましたので、連絡船に乗船しました。かなり揺れますが、5分くらいであっと言うまにつきます。泊まったホテルの真ん前です。

 下関に戻り、唐戸市場に行きました。午前5時から午後3時までのことで、もうすぐ終了時間です。今考えれば、朝食前にここを訪れるべきでした。早朝からお店と食堂が開いていました。最後は、現存する最古の領事館である旧下関英国領事館を訪れます。一階がギャラリー(無料)で2階がLizというカフェです。ダージリンと焼き菓子を頂きました。これで観光終了。山口宇部空港に戻ります。

 山口宇部空港は、蔓防のためレストランは閉店、アルコールも売っていません。仕方が無いので、10分程歩いて、空港の外のスーパーマーケットで飲み物とおつまみを買ってきました。山口のお土産は、松陰神社で買った、国光製菓のママレード、夏みかんの丸漬け、長州地サイダー、ミヨシノ醤油、中・四国限定 ポッカ瀬戸内レモンレモネードとチョンマゲビールと重いものばかりでした。