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恐竜博物館、越前大仏、越前大野城

<三日目>

 今日も、朝食前に散策します。昨日行った庄屋のあるガレリア元町商店街の前を通ると、福井駅に出ます。今の時間、ティラノサウルス・ロボットは残念ながら動いていません。自然史博物館の様な現代的な建物と恐竜のコントラストが面白い駅前です。福井城に行ってみますが、石垣や堀は見事に整備されており、ここに県庁が建っているのが本当に残念なことです。

 朝食後、福井県立恐竜博物館に向かいます。市内からは、意外と遠く、一時間ほどかかります。昨年、リニューアルされたとのことですが、恐竜のジオラマや骨格標本がてんこ盛りです。恐竜の好きな人であれば、ずうっと居られるのでしょうが、余り知らない人には、それほど違いが分かりません。但し、足の骨が、人の背丈よりも大きいブラキオサウルスの巨大さには驚きました。

 次は越前大仏に立ち寄ります。ここ大師山清大寺は、当初1987年観光目的で建築された寺院で、その後、税の滞納から勝山市に差押されていたようです。今は、臨済宗妙心寺派の宗教法人になったとのこと。ひっそりとした門前町を通り中に入ります。歴史はともかく、その巨大さには度肝を抜かれます。東大寺より大きい大仏(像高17m)、大仏殿(高さ52m)。日本一高い五重塔(高さ75m)。大仏殿の、1281体の小仏群等々。

 いよいよ最後の目的地、越前大野城です。越前大野城は大野市の中心部にある亀山(標高:249m)にそびえる平山城で、城下町が雲海に包まれ亀山だけ見える日に「天空の城 越前大野城」が現れるとのことです。当日は、雲海もありませんし、山の麓からは、城も見えません。車は、結ステーションに停めます。お城の登り口は3ヶ所有りますが、南口から登ってみます。坂道は整備されており、20分程でお城に到着します。そこからは、大野市内が一望出来ます。

 帰りは北登り口から、戻ります。途中に、西国三十三所石仏(亀山観音)が祀られていますが、元々は北口から南口まで並んでいましたが、1959年の伊勢湾台風により大きな被害を受けたため、現在のように集められ、上屋をかけて保存されているとのことです。確かに、石仏は大分傷んでいます。結ステーションに戻り、そこで地場の野菜やお菓子を買いました。

 これから福井を去り、大阪伊丹空港に向かいます。昼食はまだなので、北陸道、南条SAのボルガ食堂で、福井のご当地メニューであるボルガライス(オムライスの上にトンカツ+秘伝のソース)を頂くことにします。この料理は、ガイドブックによると越前市武生の発祥ということなので、まさにこの辺りです。ソースカツ丼が心残りですが、これと似てますね。

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三方五湖、朝倉氏遺跡、永平寺

<二日目>

 朝食前に、ホテル周辺を散策します。初めに、宿泊している部屋から見える、海岸に行ってみます。夏は海水浴場になるとのことですが、波は全く穏やかです。次にホテルの裏側、5分程歩いて、久々子(くぐし)湖に行ってみます。こちらも湖面は鏡のようです。早朝にもかかわらず、ボートを練習している人がいました。

 朝食後、三方五湖のレインボーライン山頂公園に向かいます。山頂へはリフトで登ります。山頂からは、三方五湖が全面に広がっています。早速、五湖テラスの丸いソファーに寝転がり、景色を満喫します。寒からず厚からず、全く気持ちの良い日和です。この公園にも、ご多分に洩れず、カップル用の趣向が多くあります。

 ハンモック広場で一休みした後、バラ園の奥にある和風カフェで、雄大な景色を堪能しながら、お茶を頂きました。公園を散策していると、五木ひろしの「ふるさと」が流れてきます。場違いな感じもしますが、音源のそばに行って納得。彼は、美浜町の出身で、名誉町民でした。寄付もしているのでしょうね。

 次は、高速で一乗谷の朝倉市遺跡に向かいます。一乗谷レストラントで、昼食を取りますが、朝食を沢山食べたので、軽く、越前そばにしました。

 昼食後は、道の反対側にある、平面復元地区を見学します。かつてこのエリアは、幹線道路が走り、寺院や職人の家が建ち並び、町屋を形成していたようです。地区の南端には、復元街並がありますので入ってみます。武家屋敷や庶民の町屋が再現されていますが、堀の石垣や建物基礎はそのまま使っているそうです。ところでこの辺りは、日本のポンペイ?と呼ばれているようですが、南北に1.7キロ㎞、278㏊の広さがあるこの一帯は、それまで農業をしていた地元の人の手によって50年以上発掘・整備が進められたとのことです。

 街並みの反対側には朝倉館跡があります。復元された唐門から中に入ります。ここには、16棟の建物が建っていたようです。館跡の奥の丘の上には、母親が住んでいた中の御殿跡、妻の住んでいた諏訪館跡があります。

 遺跡を一回りした後は、車で5分程の一乗谷遺跡博物館に行きます。駐車場に着くと、博物館の大きさに驚かされます。ロビーから入って二階に上がると、基本展示室が有りそこに城下町の巨大ジオラマがあります。圧巻は、隣にある朝倉館の原寸再現の展示です。一階には川湊の石敷遺構が間近で見られます。

 次は、30分程で永平寺です。今日は参拝者も少ないようで、駐車場もガラガラです。早速参道を通って、永平寺に向かいます。永平寺川の横には、永平寺認定の、宿坊体験の出来る宿が並んでいます。唐門は、新住職などの特別の人用なので、通用門から入ります。

 通用門から境内に入ります。参拝者の研修や宿泊の施設である吉祥院に入り、参観者控え室で永平寺のビデオを見た後、いよいよ寺院内部に入ります。

 吉祥閣の隣の天井絵が有名な傘松閣を通り、七堂伽藍を順に見学します。床には道順が描かれていますので、それに従って進みます。途中、頻繁にお坊さんとすれ違いますので、ここは実際の修行の場であるということがひしひしと感じられます。仏殿には、中央に曹洞宗の本尊である釈迦牟尼仏、幕でよく見えませんが、右に弥勒菩薩、左に阿弥陀仏が祀られています。

 次は仏殿から急で長い階段を通って法堂に進みます。中央に聖観世音菩薩がお祀りされていますが、ここは禅師が説法を行う道場で、朝のおつとめ(読経)など各種儀式が行われる場とのことです。最後は、山門を通り、吉祥閣に戻ります。

 永平寺参拝の後、福井市に向かいます。まだ時間もありますので、福井藩主松平家の別邸であった養浩館の庭園を見学することとします。回遊式のの庭園ですので、池の周囲をぐるりと回って、お庭を鑑賞します。この庭はアメリカの庭園専門誌で、2023年、日本庭園第9位に選ばれています。(1位は足立美術館、栗林公園は11位)

 庭園からの帰りは、水路に沿った遊歩道を歩きましたが、この辺りは、福井城の堀の一部だったようです。途中には、かつて福井城の北側を守っていた舎人門が、復元されていました。

 夕食は、ホテルの近くの創業45年超の「味処庄屋」で頂きます。地産地消にこだわる店とのことで、新鮮なお魚と地場の特産を頂けました。お酒も進み、お店ブランドの破竹の心に加え、黒龍(永平寺町 黒龍酒造)と一本義(勝山市 一本義久保本店)も頂いちゃいました。お値段も安かった!

 酔い覚ましに、福井駅周辺をぶらぶら歩きます。「有る」とは聞いていましたが、恐竜の像がこんなに多く展示されているとは思いませんでした。

 今日の最後は、柴田公園・北庄(きたのしょう)城址にある柴田神社に参拝します。本来は勝家とお市の方をお祀りする神社と思いますが、浅井三姉妹の銅像も設置されています。この神社では、お市の方にあやかって、人を惹きつけ良縁を得ようとする「美(モテ)祈願」という変わった祈願ができるようです。祈願のピンクの幟が沢山掲げられています。

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鯖街道 大原~小浜

<一日目>

 今回は、鯖街道を京都から北上してみます。出発地は、京都出町柳ですが、車窓からの確認だけに留めます。まず初めは、大原に立ち寄り、三千院に参拝します。国道から脇道に入ると、しそ畑と「女ひとり」の歌碑が有ります。そばを流れる呂川(りょせん)に沿って坂道(響の道)を上っていきます。途中には土産物屋が多くありますが、時間が早いのとオフシーズンのためか閑散としています。

 しばらく歩くと三千院への参道がありますので、左折し階段を登って行きます。参道の左側、三千院の壁と下の土は一面苔で覆われています。御殿門から中に入り、客殿に上がります。畳に座り、しばらくお庭(聚碧園)を鑑賞します。ここでお茶を頂きたいところですが、ここではパスします。

 次はお庭の散策です。客殿から宸殿に抜け外に出ます。お庭の先には往生極楽院が有り、そこには国宝の、阿弥陀三尊像が納められています。院に上がると、間近で像を拝見できます。手が届く距離です。この辺りの苔むす庭園では、石彫刻家・杉村孝氏が手掛けた「わらべ地蔵」に出会うことができます。

 境内散策を続けます。金色不動堂の本尊は秘仏金色不動明王ですが、当日の4月は開扉される期間てあり、お姿を拝すことができました。金色不動堂の先、境内の最北端には観音堂があります。堂の右側には、檀家が奉納した小観音がびっしりと安置されています。境内の西の端には、阿弥陀石仏とおさな六地蔵がひっそりと鎮座しています。

 次は、大原の反対方向にある、寂光院に向かいます。三千院からは20分くらいの距離です。ここには平清盛の娘、安徳天皇の母である建礼門院が終生を過ごした場所ですが、山裾に一軒だけということも有り、静かなたたずまいです。観光客も少ないので、ゆったりとお茶を頂き、雰囲気を堪能できました。残念ながら、本堂は放火で2000年に焼失し、その後再建されました。ひどい話ですね。

 次は、若狭鯖街道の宿場町、熊川宿に向かいます。途中の道には、鯖街道だけあって、時折、鯖ずしの看板が掲げられています。車はそんなに通ってもいないので、商売になるのかしら?昼食は道の駅「若狭熊川宿」で頂きます。メニューには、福井だけあって、鯖ずし、越前そば、油揚に加え、鯖だしのラーメン、ソースカツ丼など福井名物で一度は食べたいものだらけです。

 即時の後は、熊川宿を散策します。今も江戸時代に形成された街並みがのこっており、「御食国(みつけくに)若狭と鯖街道」として日本に認定されています。残念ながらこの街は、水曜日が定休日とのことで、お店は皆お休みでした。

 小浜に入る前に、明通寺に参拝します。ここの本堂と三重塔は鎌倉時代中期のもので、いずれも国宝です。本堂には、薬師如来等の重要文化財の仏像が4体安置されており、寺のお坊様からお寺の由緒などを説明して頂けます。山の中腹にありますので、寺からは下界が見渡せます。

 小浜は、全国8割の箸を生産しているそうです。その規模を体験出来るのが、箸のふるさと館で、壁一面に箸が展示、販売されています。箸の研出しの体験コーナーもありますが、営業時間が過ぎており出来ませんでした。また、世界最大の箸も展示されています。

 鯖街道は一本の道ではなく、多くの道があります。若狭と京を結ぶ幾本もの街道や峠道、それぞれ固有の呼び名がありますが、総称して「鯖街道」と呼ばれるようになっています。最も多くの物資が往来したのが「若狭街道」、若狭と京を最短で結ぶのが「針畑越え」のルートで、それぞれの起点に行ってみました。

 まだ時間がありますので、ベンガラ格子や出格子の家々が軒を連ねる三丁目の街並みを見ていきます。この辺りは、旧茶屋町だったようです。どの家の軒先にも、魔除けと幸運を呼び込むため、身代わり申(さる)という赤い人形が吊されています。この辺りも、残念ながら水曜日が定休日でした。

 今日の宿は、小浜から車で30分、若狭湾を望む所に建つ「ホテル湾彩」です。夕食の席からは、暮れていく若狭湾が見えます。食事はスタンダードコースでしたが、ボリュームは満点でした。お酒は地元美浜町の「早瀬浦」です。

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湯村温泉、竹田城、丹波篠山

<三日目>

 朝、窓の外は霧がかかっています。これから行く竹田城も、今なら、雲上の城になっているのでしょうね。春来川沿いに散策してみます。川沿いに桜が、映えます。しばらく行くと、湯気が見え、荒湯(源泉)があります。玉子を茹でている人もいます。ここ湯村温泉は、今からおおよそ1200年前、平安時代初期に「慈覚大師」により発見されたと伝えられている古湯で、その像も荒湯の脇にありました。近くには、ここが舞台となったNHKのドラマ「夢千代日記」の記念碑があります。

 宿からは1時間ほどで、お城の麓にある山城の郷に到着します。ここで車をおり、竹田城まで25分程、坂道を上ります。途中には「落ちない岩」がありますが、受験生がここにお参りに来るとか。料金収受棟で入場券を買い、更に階段を上ります。さすが山城で、どこまでも登ります。

 階段の先に、竹田城の大手門(桝形虎口)があります。まっすぐ進めないように、鍵型になっています。大手門を上ると、北千畳という広い空間があります。そこからは、来るときに通ってきた播但連絡道路のコンクリート橋(虎臥城大橋)が遠くに見えます。この道路の先は、トンネルで、竹田城の真下を貫いています。

 見学通路は、三の丸、二の丸と続きます。竹田城の構造は、山の地形を利用して、北千畳、三の丸、二の丸、本丸・天守、南二の丸、南千畳と直線的に配列されています。天守からの眺望を堪能した後、南二の丸、南千畳を通て、最初の山の郷に戻ります。それにしてもこの高い山に、,石垣をどうやって築いたのでしょう。

 次は竹田城の撮影スポット、対岸の朝来(あさご)山中腹の立雲峡に行くことにします。展望台は上から3ヶ所ありますが、一番下の第三展望台で見学します。ここからでも竹田城の難攻さはよく分かります。残念ですが、今日は黄砂が激しいです。小学生の山桜の植樹が一面にありますが、10年程経過すれば、桜満開の景勝地になりそうです。

 次は、丹波篠山に向かいます。丹波市と丹波篠山市が違うということを、今回初めて知りました。昼食は篠山城近くの、大正ロマン館で、黒豆コロッケバーガーと黒豆コーヒーを頂きました。黒豆はコーヒー豆に似ていないことも無いためか、味は豆っぽい?ですがコーヒーでした。

 早速、篠山城に行ってみます。この城は、笹山という小山を利用し、藤堂高虎により築城された城で、関ヶ原後の豊臣対抗のため、防御に徹底した城です。そのためか、天守は造られず、藩政のための大書院がメインの建物となっています。多くのドラマのロケ地となっているとのことです。

 大書院の裏は、二ノ丸となっています。天守台は、通常の城郭と異なり、城の南東の隅にあります。埋門(うずみもん 非常時に埋めて遮断する門)から出ると、そこは広い三の丸です。三の丸を囲むように大きな外堀、幅は江戸城並では、と思えるような堀があります。

 篠山城の西側には、御徒士町武家屋敷群が整備されていますので、行ってみます。他にも商家群や資料館がありますが、時間もありませんのでこれで終了とします。

 最後は、ここから30分程の所にある丹波焼きの里に行くこととします。四斗谷川(しとだにがわ)沿いに、60以上の窯元がありますが、その真ん中ほどに立杭(たちくい)陶の郷(すえのさと)があり、そこには沢山の窯元の作品が展示されています。陶の郷の窯元横町はリニューアル中(10日後オープン予定!)で、アートギャラリー丹波で臨時に展示販売されていました。ここではお皿を買いました。では時間になりましたので、そろそろ伊丹に戻ります。

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舞鶴、琴引浜、余部

<二日目>

 朝食前に、ホテル周辺の散策します。ここは直ぐ近くが舞鶴高(東港)の近くです。目の前は、昔は枯木浦と呼ばれていたようです。西港が漁港メインに対し、こちら側は軍港メインです。海上自衛隊の艦船が多数停泊しています。対岸に見える赤レンガパークもかつては軍の施設でした。

 アマービレ舞鶴を出発します。初めは、田辺城址に向かいます。この城は、関ヶ原の戦いで、古今伝授を継承している細川幽斎がこの城に籠城し、幽斎の戦死を恐れた後陽成天皇の仲介で西軍は攻撃をするのをやめた、ということで有名です。現在の田辺城跡は舞鶴公園になっており、模擬復興されています。

 次は赤れんがパークです。これらは旧海軍舞鶴鎮守府の砲弾等の軍需品保管倉庫を保存・活用した物です。赤れんが3号棟は海上自衛隊関連グッズや舞鶴の特産品のショップとなっています。

 次は一路、日本海、網野の琴引浜を目指します。ここは鳴砂で有名です。砂浜への入場には、1台1000円の管理費が必要です。砂の上で靴を滑らしたり、手の中に砂を入れ強くもんだりすると、キュッと音がします。青い海と白い砂だけ見ると、外国のビーチにも見えますね。赤い旗が立っているところがよく鳴くよ、と、管理者に言われました。

 海岸沿いにドライブを続け、城崎マリンワールドに駐車します。ここで昼食と日和山海岸の見学をします。外の景色を見ながら、カレーを頂きました。食事後は、日和山海岸の見学です。海岸は、山陰海岸国立公園に属しており、日本海の激しい波風で浸食され複雑に入り組んでいます。遠くにみえる後ケ島は、浦島太郎伝説の島として、言い伝えでは、浦島太郎が玉手箱を開けた場所と言われているようです。

  更に海岸線を行くと、はさかり岩があります。二つの岩中に挟まり、丸い岩が落ちそうで落ちないので、合格祈願で訪れる人も多いとか。この地方で挟まることを「はさかる」と言うことから,「はさかり岩」と名付けられましたとのこと。

 海岸線を更に進み、香住の大乗寺に参拝します。この寺には、円山応挙やその一門の画家たちの襖絵などが数多くあり、応挙寺とも呼ばれています。客殿の正面には、丸山応挙の像がデンとあります。見学者は客殿左側の入口から中に入ります。仏間の十一面観音を中心に13の部屋があり、各部屋毎の障壁画を、スタッフの方に案内頂きます。

 今日の最後は、余部鉄橋です。コンクリート橋に変わりましたが、かつての鉄橋も一部が保存されています。トンネルは、そのまま使用しているため、途中からS字にカーブしています。道の駅で、餡ドーナッツとコーヒーを頂きました。

 1986年12月28日昼、回送中の列車が、日本海からの突風にあおられ、橋梁から転落し、真下の水産加工工場を直撃し、従業員の女性5名と車掌1名の計6名が死亡するという事故がありました。その慰霊碑が橋梁下にあります。合掌。新余部鉄橋は安全対策が強化されています。鉄橋には「空の駅」がありますので、さっそく見学してみます。高さ47mのエレベーターに乗って、展望施設に上ります。展望施設には、休息?眺望?のためのベンチがありますが、足下はスリットで、下が丸見えのため、恐怖を覚えます。

 鉄橋を山側に進むとホームがあります。丁度、上りの電車が停車しま反対に反対にトンネル方向の先端に進むと、旧線路は途中で切れています。新線路はトンネル方向にカーブしているのがよく分かります。

 夕食は、浜坂駅前の浜っ子を予約しています。まずはビールと地元の香住鶴をお願いし、おでんや焼き鳥、お造りを注文しました。まずおでんの分量の多さに感動、その後おつくりがなかなか出てこないので、どうしたのかなと思っていると、出されたお皿をみて腰を抜かしました。食べきれないほどです。食べ終わってお勘定をお願いしましたが、申し訳ない気がしました。

 浜坂駅前から湯村温泉に向かいます。一風呂浴びて、温泉街を散策してみました。ここには、あの、とび太君がいました。

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天橋立、伊根、経ヶ岬

<一日目>

 今回は、京都と兵庫の日本海側を巡ってみます。大阪空港から一路天橋立を目指します。駐車場から天橋立ビューランドへのリフト・モノレール乗り場までは5分ほど。あいにくリフトはまだ整備中で、モノレールで上に向かいます。残念!頂上からは、飛龍観の天橋立が見えます。右が宮津湾、左が阿蘇海です。ここには桜がまだ残っており、天橋立が映えます。

 モノレールで下におり、天橋立そばの日本三文殊の智恩寺に参拝します。このお寺や境内にある2体の地蔵菩薩は、雪舟の天橋立図にも描かれています。文殊堂の見どころの一つは、数多く掲げられている絵馬です。

 参拝で知恵を授かった後は、境内脇の四軒茶屋の一つ、松吟楼彦兵衛茶屋で、智恵の餅を頂くことにします。門前のこれら4軒の店は、江戸時代初期から続くそうです。

 休息後は、早速、天橋立に向かいます。廻旋橋を渡ると砂州がありますが、そこには、天橋立や日本三景の石碑があります。

 砂州の先にある大天橋を渡った先が天橋立です。松並木が続きますが、左の宮津湾側は天橋立海水浴場となっており、砂浜が遠くまで広がっています。道沿いにはシャワーも設置されていました。

 並木道をしばらく歩くと、天橋立神社(橋立明神)があり、その横には日本名水100選の一つ「磯清水」があります。周りを海に囲まれているにもかかわらず真水が湧いている不思議な井戸です。江戸時代以前、天橋立の砂州が南にのびる前には、舟でお参りしており、この祠まで海岸から参道が続いています。

 次は、昇龍観をみに対岸の傘松公園に向かいます。こちらはリフトが運転しています。天気が良く、風が爽やかです。場所によって天橋立が違って見えるのは不思議な気がします。遠くに冠島と沓島が見えますが、これらの島は、これから参拝する元伊勢籠神社の主祭神である彦火明命(ひこほあかりのみこと)と后神の市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)が降臨されたと伝えられている神聖な場所です。これに因んでか、願いの鐘・鍵があります。

 リフトで下におり、丹後一の宮である元伊勢籠(この)神社に参拝します。もともとこの神社は天照大神と豊受大神を祀っていましたが、それぞれ伊勢に遷ったため、元宮という意味で「元伊勢」となったとのことです。今は彦火明命をお祀りしています。

 元伊勢籠神社の奥宮で豊受大神をお祀りしている眞名井神社にも参拝することにします。坂道を5分程上ります。境内の入口には、籠神社海部家三代目の天村雲命が神々が使う「天の眞名井の水」を黄金の鉢に入れ、天上より持ち降ったという御神水が湧き出ています。境内には、波せき地蔵も祀られがいますが、昔ここまで津波が来たようです。

 天橋立地区から、伊根に向かいます。お昼も過ぎましたので、昼食は道の駅「船屋の里 伊根」でとることとします。この道の駅は、伊根湾を見下ろす高台に建っており、建屋も船屋風になっています。定番の海鮮丼を頂きました。記念碑もありますが、ここは1993年のNHK朝ドラ「ええにょぼ」の舞台となっていました。ええにょぼは、丹後弁で内外面の美しい女性だそうです。

 街に下ります。船屋は、思った以上に海岸線に近いです。伊根湾の波はとっても静かということなのでしょう。街の中心部は外国人中心に大勢の観光客がいますが、少し歩くと、人はまばらになります。260年の歴史があるという向井酒造(京春)はひときわ大きな建物です。

 次は浦嶋太郎伝説が伝わる浦嶋神社に参拝します。宇良神社とも呼ばれるようです。創建は 825年と、かなり歴史のある神社です。但し、社殿は明治時代のようです。参拝者は誰もいませんでした。

 丹後半島巡りの最後は、半島最北端の経ヶ岬に立ち寄ります。展望台は近そうに見えましたが、15分程ひたすら急な階段を上り続ける必要があります。これまでで最高の難所に感じました。途中、2018年に「恋する灯台」に選ばれた経ヶ岬灯台も見えましたが、向こうに下ってまた上ると言う気力は湧きません。展望台からは日本海、丹後半島の海岸線がよく見えます。

 きょうの宿は「アマービレ舞鶴」です。隣の別館「松栄館」は、旧海軍御用達の老舗旅館でした。映画「海賊と呼ばれた男」では、鐵造(岡田准一)とユキ(綾瀬はるか)との婚礼のロケ場所でした。

 今日の夕食は、宿の近くの「卑弥呼」で頂きます。お酒も含め地の物をおいしく頂きましたが、今回は「土エビ」が特に印象に残ります。土エビは、漁獲量が少なく、時間が経つと頭の部分がすぐに黒くなるので、ほぼ産地で消費されているため、幻のエビと呼ばれ、刺身に出会えたら超ラッキーなんだそうです。今日の締めに満足して宿に戻ります。

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宮崎(高千穂~日向~日南)

<一日目>

 昨年の1月、鹿児島の霧島にある天孫降臨地、千穂河原へ行きましたので、今回は天孫降臨のもう一方の地、宮崎の高千穂に行くこととしました。熊本空港から向かいますが、途中、通潤橋に立ち寄ります。これは、1854年、水不足に悩む白糸台地に水を送るため、惣庄屋・布田保之助によって造られた石造アーチ水路橋です。昨年9月、新美の巨人たちで放送されていましたが、間近で見ると、大きさと美しさに感動します。放水は4月からなので残念ながら見学出来ませんでした。

 高千穂に着きましたが、天気もいいので、高千穂あまてらす鉄道に乗車してみます。この路線は、かつては高千穂と延岡を結んでいましたが、2005年の台風14号で大きな被害を受け、廃線となっています。今は、日本一の高さを誇る鉄橋からの眺めを目玉に、観光鉄道となっています。施設は全体的に錆びており、メンテは大変そうです。

 高千穂は、駐車場はどこも満車で、第3駐車場に隣接する売店の駐車場に停めることができました。車を降りて、下を覗くと、高千穂峡の水面はずうっと下です。降りるのも帰ってくるのも一苦労しそう。どんどん川を下りながら、本日のメインイベントであるボートが見えてきました。

 ボートの前に、昼食とします。高千穂は流しそうめん発祥の地とのことなので、御橋そばの、「千穂の家」に入ります。店内は、ほとんど中国語。おにぎりと川魚のセットを注文しました。係の人が上流で流しますので、箸で掬います。掬いそこねた麺は、最後のざるで回収されます。

 予約時間になりましたので、貸しボート場に降りていきます。そこまで行くのも、かなりの下り坂です。救命胴衣を身につけいよいよ乗船します。

 真名井の滝に向かって漕ぎだします。滝の下には、沢山のボートがいますので、ぶつからないように、お互い、気を付けて漕ぎます。滝の下を、濡れないように通り、更に進みます。近くに鴨が泳いでいます。慣れているせいか、逃げません。30分はあっという間に過ぎますので、船着き場に戻ります。

 ボートが終了しましたので、次は坂を20分程一気に登り、高千穂神社を目指します。高千穂神社は、高千穂郷八十八社の総社です。境内には「秩父杉」や「夫婦杉」など杉の巨木がそびえています。境内社の荒立神社・四皇子社では、丁度工事?があり、男神坐像、女神坐像を合間から見ることが出来ました。

 次は、天岩戸神社に参拝します。この神社は、照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)が弟素盞鳴尊(すさのおのみこと)を避けてこもった天岩戸(あまのいわと)をご神体としています。これに因んで、二ノ鳥居の手前には、手力男命(たぢからおのかみ)が岩戸を取り払い給う舞の像が鎮座し、その下にはその神楽歌の石碑(よろずよの あまのいわとのかみかぐら おもしろかれや すえはめでたし)があります。ご神体の天岩戸の洞窟は、西本宮の奥、谷を挟んで反対の壁の中腹にあるそうで、30分に1回ご案内頂けますが、今回はお願いしませんでした。

 参拝の後は、天安河原(あまのやすかわら)にお参りします。西本宮から岩戸川を500mほど遡った所にある河原で、そこには仰慕窟(ぎょうぼがいわや)があり、照皇大神の岩戸隠れの際に八百万の神々が集まって相談した場所と伝えられているます。窟には天安河原宮があり、思兼神(オモイカネノカミ 八百万の神に照皇大神を岩戸の外に出すための知恵を授けた)を主祭神として八百萬神が祀られています。窟の周辺には「願いを込めて小石を積むと願いが叶う」として多数の石積みがあります。この辺りはパワースポット感が充満しています。

 高千穂の最後は、槵觸(くしふる)神社です。当初は、天孫降臨の地として伝えられる「槵觸の峰」に創建されましたが、1694年に、ここに社殿が建立されたとのことです。本殿までは急な階段が続きます。森の中に有り、神聖な気持ちにさせられます。

 高千穂から、延岡に向かいます。途中、道の駅「青雲橋(せいうんばし)」で一休み。高千穂一帯は、山間地農林業複合システムで、世界農業遺産に登録されています。棚田があちこちに広がっています。

 延岡に着きましたが、ホテルに行く前に、続日本百名城である延岡城を見学してみます。ここは天守はありませんが、石垣が有名で、通称「千人殺しの石垣」は、高さ22m、野面石を巧みに積み上げています。管理事務所で城のスタンプを押しました。

 事前に調べてこなかったので、町をブラブラ、良さそうな店があったので、入ることに。正解!。地元のお魚のお造り、あげみ、メヒカリの唐揚げ、チキン南蛮、豆腐サラダ、お酒もビール、日本酒、焼酎と延岡の味を堪能しました。

 帰る途中、うどん屋の看板が見えましたので、入ってみます。「白」があっさりしている、とお店の人に言われましたので、お願いしました。実際は、たっぷりのロールキャベツが入っています。超満腹になり、フーフーしながら宿に帰りました。

<二日目>

 今日は、あいにくの雨です。まずは日向岬のクルスの海から。展望台では、願いが叶うというクルスの鐘を思いっきり鳴らします。展望台の先端からはクルスの海がよく見えます。クルスは、クロスから来ているそうで、確か海は十字になっています。隣の島(今は海の下で見えません)と合わせると「叶」の字にも見えるようです。

 次は、日向岬の突端にある馬ヶ背に向かいます。観光案内所には、日向岬を歌っている水森かおりの大きな看板がありますが、彼女はこの歌で日向市観光大使になっています。初めは、細島灯台見学です。灯台からは、今から行く馬ヶ背が見えます。

 更に進むと日本一の柱状岩と言われる岩の裂け目があります。アクリル板の展望台があり、下を覗くと70mの断崖で足が竦みます。

 突端にに向かって更に進むと、馬の背にみえる「馬ヶ背」があります。ここからは日向岬が一望できます。岬には、日向市出身の若山牧水の歌碑があります。(樹は妙に草うるはしき青の國日向は夏の香にかをるかな)

 日向岬の付け根に大御(おおみ)神社がありますので参拝します。天照大神を祀っており、「日向のお伊勢様」と呼ばれているそうです。荒々しい日向灘に面して建つお社は、なかなか壮観です。

 昼時となりましたので、国道沿いにある「いけすレストラン大漁丸」に入ります。折角ですので「天孫降臨」を一合天ぷら定食と天ぷら定食と刺身定食をお願いしましたが、そのお膳の大きさ、ボリュームに驚きました。

 レストランから海側に進むと、美々津(みみつ)の街があります。江戸から大正にかけて廻船で栄え、街並みが歴史地区として保存されていますので散策してみます。

 中町通りに日向市歴史民俗資料館がありますので、見学してみます。節句の時期でしたので、おひな様が豪勢に飾られています。当時の繁栄振りが感じられます。また、その頃は武士を見下ろすのは、はばかられるということで、二階へは隠し階段で上がるようになっています。駐車場のそばには山頭火の歌碑があります(墓がならんで そこまで 波がおしよせて)が、確かにここは波に近いですね。

 この海から神武天皇は大和に向けて出航したと言われています。その際、旧暦の8月1日の夜明け前、予定より出航が早まったため、皆に、「起きよ、起きよ」と言って集合させたことに因んで、「起きよ祭り」というのがこの地区で行われるそうです。遠くの灯台の周りには八つの瀬が見えますが、神武天皇が美々津に戻ることが無かったことから、地元の漁師はこの瀬の間を通らないそうです。

 更に南下します。途中、日向国一宮の都農神社がありますので、参拝します。この神社には色々な神事があります。最初は神の石神事です。参道に神の石がありますので、その石を持ち願を掛けて参拝し、その後本殿の裏に廻って、納所に納めると願がかなうとのことです。他には、お腹にハートマークが見えるご神象や、撫でうさぎ、撫で大国、願掛け太鼓等々。強く印象に残ったのは、まるでビロードの様な参道脇の苔でした。

 今日の最後は、西都原古墳群の見学です。初めにガイダンスセンターに立ち寄りガイドマップを頂きます。初めにそこから徒歩で、鬼の窟(いわや)(206号墳)に向かいます。古墳を見るのは初めてですが、ここは一面、古墳だらけです。6世紀後半とのことですが、良く保存されています。

 次は、4号地下式横穴墓にいきますが、残念ながら横穴墓を見るモニターは故障中でした。その隣には、前方後円墳(109号墳)があります。

 次は、西都原考古博物館を見学します。この博物館は、外観も内部も古墳をイメージして造られています。資料も充実しており、入場無料というのもすごいですね。

 最後は、13号墳を見学します。4世紀後半の前方後円墳ということで、1700年位前に造られたものですが、中の状況や外観が良く残っています。いずれにしても、ここ西都原古墳群は総数319基あるそうで、短時間では見切れません。

 夕食は、お魚が続いたので、洋食にしたいと思い、街をブラブラ歩きます。やはり県庁所在地の繁華街は明るい!西橋通りのビルの五階に「イタリアンバールPACE」がありましたので、入ってみます。エレベータを出るとそこは店内で、全て個室でしす。お願いした料理は材料にも気を遣い、手が込んでいてなかなか行けます。

 ホテルまで歩いて帰りますが、宮崎だけあって南国調ですね。

<三日目>

 今日の天気は、曇り時々雨です。初めに、神武天皇をご祭神としている宮﨑神宮に参拝します。歴史のある神宮らしく、シンプルですが厳かな雰囲気が漂います。昨日訪れた美々津から、神武天皇は出航したと伝えられていますが、その復元船が展示されていました。「起きよ」に因んで「おきよ丸」と命名されています。

 次は彦火火出見命(ひこほほでみのみこと、山幸彦)と豊玉姫命をお祀りしている青島神社に参拝します。青島への参道は荒々しい日向灘を、弥生橋で渡ります。波は高く、近くにサーファーがいるくらいです。海岸線の波状の岩は、鬼の洗濯板と呼ばれ、国の天然記念物となっています。

 青島に渡り、海岸沿いに歩くと鳥居があります。しばらく進むと手水舎、神門が有り、突き当たりが拝殿となります。

 本宮に通じるお成り道の入り口には、絵馬のトンネル(祈りの古道)があります。その先は、熱帯や亜熱帯の植物が群生し、その代表はビロウ(ヤシ科)です。一帯は、国の天然記念物となっています。本宮の奥には投瓮(とうか)所があります。素焼きの盃を奥の磐境に投げ、入れば心願成就、割れれば開運厄祓とされるそうですが、私は後者の開運でした。島からの帰り際、海の向こうに木の花ドームがみえますが、巨人軍が春季キャンプをしていたようです。

 疲れてきましたので、参道脇のAOSHIMAYAで一服。昼時も近づいてきましたので、昼食をとることに。

 昼食は、青島駅に面した岩見でうどんを頂くこととしました。ここは茹で立てを出すということで、注文してから20分待ちます。店内には、有名人のサインが多数ありますが、巨人軍もここに来ていたようです。

 神社巡りの最後は、鵜戸神宮です。ここは海を見下ろす洞窟で豊玉姫が出産したといわれ、今はその洞窟に本殿があるという珍しい造りの神社です。まずは駐車場から長い階段を上ります。その先のトンネルを抜け、今度は長い下り坂となり、ようやく平坦な参道となります。

 鳥居をくぐり、神門、楼門、千鳥橋と進みます。この辺りからでも、眼前に広がる日向灘と奇岩は見応えがあります。

 玉橋を渡るといよいよ本殿が下に見えてきます。いずれにしても波は荒く、しぶきがかかってきそうです。本殿は、豊玉姫の産殿の址とされる洞窟内にすっぽり建っています。天井が落ちないか不安になり、かなりの圧迫感があります。

 本殿下の磯には、豊玉姫が出産のために乗って来たと言われる霊石亀石(れいせきかめいし・桝形岩)があります。この亀石の背中に桝形の窪みがあり、この窪みに男性は左手、女性は右手で「運玉」を投げ入れ、見事入ると願いが叶うといわれています。青島神社と異なり失敗は許されないので、ここではトライせず。代わりに,運玉の碑にお賽銭をあげ、稲荷神社に参拝して帰りました。

 次は飫肥城址に向かいますが、途中、日向灘の南端、日南海岸の入江の町、油津(あぶらつ)に立ち寄ります。この町は、江戸時代は、飫肥藩の外港として飫肥杉を積み出し、昭和初期は、東洋一のマグロ基地といわれるほどの水揚げを誇り、その富がこの町に豪壮な町並みを創りだしました。その面影が、堀川運河や赤レンガ倉庫に残っています。

 いよいよ今回の最終地、飫肥藩(5万1千石)の城址に到着しました。早速、お城の大手門から入ってみます。入るとまず枡形が有り、更に石段を上った所に飫肥城歴史資料館があります。入館するためドアを開けると太鼓が打ち鳴らされ、気分を盛り上げます。展示は、武具、丁度品等かなり充実しています。

 歴史資料館の脇にある階段を上ると、松尾の丸があります。これは江戸時代の藩主の御殿を、1979年に再建したものです。御座の間には雛祭りの飾りと御座が有り、座ることが出来ます。藩主の気分?

 松尾の丸を下ります。旧本丸跡の看板があり、左手の高台が旧本丸とあります。今はいやしの森と言われているようです。

 次は豫章館(よしょうかん)です。ここは、1869年に造られた藩主伊東家の住まいです。広い空間に庭石や石灯籠・庭木などが巧みに配置され、閑静な佇まいの枯山水式庭園です。ここでも時節柄、ひな人形が飾られていました。

 最後は小村寿太郎記念館を見学します。幼少期から、不平等条約改正まで、出来事がパネルで説明されています。「楽しみは昼のワイン」が時に記憶に残りました。

 宮崎の最後は空港での宮崎ラーメンです。意外とあっさりしており、徳島・和歌山ラーメンに似ていると思いました。

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国内旅行

四国遍路(仁淀、足摺、四万十)

(一日目)

 今回は、前から気になっていた高知の清流を見たいと思います。まず仁淀川から。河口から遡り、安居渓谷を目指しますが、最初にある沈下橋は、名越屋沈下橋です。確かに、欄干は無いですね。地元の方の車は、何事も無く渡っていきますが、我々は怖いですね。

 安居渓谷に行く途中、みかえりの滝を見学します。滝の下は透明で深そうです。目的地である安居渓谷へは、1車線の山道が6.5km、20分程続き、下は断崖で、すれ違いはドキドキです。

 安居渓谷にあるバンガロー「宝来荘」の先に車を止め、渓谷を上ります。大きな岩が、ゴロゴロあり、渓谷が濁流となったときの水圧の大きさを感じます。今は、渇水期で、流れは穏やかです。水は、想像したとおり、ブルー!です。砂防ダム周辺まで行きますが、夏場の水量が多いときは、ダムのコンクリートの上から流れ落ちる水のカーテンが見られるようです。実物を見たいですね。

 次はもう一つの渓谷、中津渓谷に向かいます。ここは、安居渓谷と異なり、道は、スムーズです。昼食は、渓流の入口にある中津渓谷ゆの森の「レストランポンテ」で取ることにします。ゆの森弁当には鰹のたたき、田舎定食にはあまごの素揚げが付いています。テラスからは、渓流が見えます。

 昼食後、早速、中津渓谷に向かいます。ここも、仁淀ブルーです。最終地点の雨竜の滝を目指します。通路は整備されていますが、橋には欄干がありませんし、見下ろすとかなりの高さがあります。道の落差もかなりあります。道の先にあった、雨竜の滝は、圧巻でしたが、夏場の水量が多い頃を見たいものです。

 滝から戻る途中、展望台に寄ってみます。長く急な階段を上ってはみましたが、木の枝が邪魔し、残炎ながら残念ながら、それほどの眺めではありませんでした。

 時間がまだありますので、四国山地を縦断し、日本三大カルストの一つ、四国カルスト東端の天狗高原に向かいます。地図では国道からわずかの感覚でしたが、意外と遠く、国道から曲がりくねった道を30分程上ります。16時頃で霧も発生し初め、着いても景色はどうかな?と思っていましたが、運良く間に合い、眼下に、標高1,000m級の四国山地の尾根を見ることが出来ました。ここから、高知市に戻ることとします。

 夕食は、郷土料理の老舗の「司 高知本店」にします。少しずつ色々味わえそうなので、「よさこいセット」を頂きました。お酒は、司牡丹酒造の「仁淀ブルー」、酔鯨酒造の「司」としました。お店は260席も有り大きいのですが、意外と混んでいました。メヒカリは高知でも特産とは知りませんでした。鰹のたたきは、さすが専門店の味です。

 食事後、アーケードを高知城の方に進み、ひろめ市場を覗いてみました。鮮魚店や物産展が集合し、大変賑やかな屋台村です。この場所は元気があります。一通り見て、帰ることとしました。今日はこれで終了。

(二日目)

 高知の宿「西鉄イン高知はりまや橋」は、名前の通り、はりまや橋の脇にあります。部屋は海側ですが、窓からは山しか見えません。

 今日のスタートは、高知城です。大手門の前には、初代藩主山内一豊の像が有り、門をくぐると、板垣退助と一豊の妻の像が出迎えます。石段を上り詰めたところが杉ノ段ですが、ここから見た本丸が一番美しいと思います。三ノ丸、二ノ丸と進み、詰門を抜けると、本丸と天守閣に出ます。高知城は、建築群が現存、保存されていますので、狭間などの防御設備や石樋、石垣を間近に観察できます。

 高知市では第三十番善楽寺にお参りします。梅見地蔵は、首から上の病や悩みにご利益があるといわれている地蔵様です。参拝後、四万十に向かいます。

 四万十では、最初に、第三十七番岩本寺にお参りします。寺には立派な宿坊がありますが、この寺と前後の札所からの距離がとくに長いことから、昔から多くの歩き遍路がこのお寺に泊まってきたとのことです。親しみやすい寺にして町おこしにもつなげようと、「スター・ウォーズ」の公式グッズなどを手掛けるSHETA(シータ)さん率いるグループに依頼し、ポップアートを多く展示しています。

 昼食は、道の駅ビオスおおがたのひなたや食堂で、宗田節のチャーシューメンを頂きました。鰹節の出汁と柔らかいチャーシューの組み合わせはとてもおいしいです。直販店で、みかん、ミニトマト、アオサを買いました。安いですね。

 足摺岬の手前に、知る人ぞ知る、唐人駄場遺跡というパワースポットがあります。この辺りから、縄文時代早期(紀元前5000年頃)から弥生時代にかけての石器や土器片が数多く出土し、一帯にはストーンサークルと思われる石の配列や、高さ6~7メートルもある巨石が林立している唐人岩があり、太古の巨大文明の名残ではないかと言われているそうです。山の中で、観光客は誰もおらず、不気味ではあります。

 今日のメイン、足摺岬に到着しました。太平洋を望む、ジョン万次郎の大きな像がお出迎えです。岬突端周辺には弘法大師にまつわる「七不思議」の遺物が点在しています。岬からは、どこまでも続く青い太平洋がどこまでも見えます。

 足摺岬の後は、近くにある第三十八番金剛福寺に参拝します。ここと今日の昼前に参拝した第三十七番岩本寺との距離は80㎞程で、四国八十八ヶ所の中で距離は最長とのことです。ここは四国最南端のためか、境内には亜熱帯植物が繁って、南国の感じです。

 途中、アコウで有名な松尾天満宮に寄ります。アコウは、他の木に着生して成長することが多く、最後には着生した木を覆いつくして枯らす「締め殺しの木」と言われています。

 今日の最後は、「道の駅 めじかの里土佐清水」です。めじかとは、ソウダガツオのことで、宗田節(そうだぶし)は、土佐清水市で獲れる(めじか)を原料としたかつお節です。ここで名物の、宗田節を使ったソフトクリームを頂きました。ソフトクリームに大量の宗田節が振りかけられています。

 今日の宿は、「なごみ宿 安住庵」です。四万十川沿いの小高い丘の上に有りますので、部屋の窓から四万十川が見えます。部屋は、2室をくっつけてスイートにリノベした部屋でした。とても贅沢ですね。

 食事は、和牛ーステーキ+会席コースです。お酒は、四万十の藤娘です。お刺身は、初鰹、カンパチ、甘エビに加え、鰹のたたきも出ました。ステーキは200g程も有り、加えて天然あゆの塩焼きと、大満足です。帰りは、屋上で四万十の夜景を観賞しました。

(三日目)

 食事の後、ホテルの屋上に上り、四万十市の風景を堪能します。ところで、屋上に上れる宿はあまりないですよね。高台にありますので、360度よく見えます。

 四万十市は、町村合併で誕生していますので、看板や店名に旧の中村市の名がが残っています。1946年の南海地震で市街地が被災したためか、古い町並はほとんど残っておらず、観光スポットも意外と少ないと感じました。

 今日のメイン、四万十川を遡ることとします。四万十と言えば沈下橋が有名ですので、いくつか訪れたいと思います。初めは、最下流にある、佐田沈下橋です。地元の車は、平気で通行しますが、普通の人には怖いですね。

 次は勝間沈下橋です。橋脚が3本ある珍しい沈下橋。川幅が広く、流れも穏やかで、右岸側は河原です。釣りバカ日誌14のロケ地で、釣りファンに有名なスポットらしいです。

 最後は、岩間沈下橋です。四万十川の沈下橋の中では最も絵になるとのことで、ポスターやパンフレットの撮影によく使用されるらしいです。駐車場の脇に、「四万十川」の歌碑があります。川に沿って国道441号線を行きますが、この辺りから断続的に一車線の狭隘道路となります。すれ違いは、ヒヤヒヤです。「酷道」と言われているようです。

 ようやく宇和島に到着しました。昼食はやはり、鯛めしです。老舗のほづみ亭で。お酒は、西予市元見屋酒店の「こいごころ」をお願いしました。頂き方は、テーブルの説明書通り。ご飯もこんなに食べきれるかと思いましたが、鯛と玉子にタレがからみ、美味しく、あっという間に完食でした。

 昼食後、宇和島城に向かいます。観光センターと駐車場は三ノ丸跡にあります。登城口から城内に入ります。いきなりの石段です。長く急な石段を登り切ったところに楽なルートと通常のルートの分かれ道に出ます。迷わず通常ルートを選択。長く急な石段の後、深さ11mと言われる井戸丸(郭)があります。

 長く急な石段を登り切った先に、本丸、天守閣が現れます。この宇和島城は均整がとれ美しいことから「鶴島城」と言われているようですが、太平の世の築城のため、狭間や石落とし等の防御設備はほとんど有りません。高知城とはかなり趣が違いますね。天守閣からは、宇和島の街と湾がよく見えます。

 宇和島は、伊達政宗の長男、秀宗が初代藩主です。宇和島城の近くに、伊達十万石を記念した伊達博物館がありますので、行ってみます。展示は、伊達家のコレクションの武具や婚礼道具等でした。展示室の脇に兜と装束のレプリカが有り、ここで身につけ記念写真を撮るようです。(私も兜をかぶり装束を羽織って撮ってみました)

 博物館に隣接して、天赦公園があります。市の計画では、ここに、新博物館を建設し、今日、見学した博物館は、解体され、公園になるようです。途中、じゃこ天屋さんの前に、じゃこ天の自販機がありました。さすが名物です。最後に、宇和島のアーケード街「きさいやロード」に寄ってみます。「きさいや」は方言で「来てください」を意味するようですが、あまり人はいないようです。今回の旅行はこれで終わり、松山空港に向かいます。

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国内旅行

上毛三社巡り(妙義、赤城、榛名)

<一日目>

 秋も深まってきましたので、今回は、以前から計画していた上毛三社を巡ることとします。高崎駅から一路、妙義山に向かいます。妙義山は、白雲山、金洞山、金鶏山の三峰からなっています。白雲山の麓の「道の駅みょうぎ」で車を降り、妙義神社を目指します。参道は県道に面した一の鳥居から、ほぼ一直線に延びています。鳥居をくぐり急坂を上ると総門があります。

 総門をくぐり、石段を上がると、銅鳥居があります。これをくぐった右手奥には旧御本社の横にあった波己曽社(はこそしゃ)が、移設され鎮座しています。道を進んで石造の太鼓橋を渡ると、一直線に延びる百六十五段の石段があります。石段は長く急ですので、右側に緩めの道があります。ここはまっすぐ登ります。石段は、でこぼこしており非常に登り辛いです。

 登り切った先に随神門があり、仁王がいます。それをくぐると正面に最後の段があり、これを上ると権現造りの本社入り口である唐門があります。いよいよ拝殿でお参りです。歴史のある神社らしく、豪華な装飾が施されています。

 本社拝殿の反対側の塀には、天狗堂が鎮座しています。案内は無いので、ここは見逃す可能性があります。裏の、パワースポットとか。

 参拝を終え、下ります。帰りは、緩やかな(結構厳しいのですが)階段で戻ります。ここは、登山道の入口でもありますが、やはり熊が出るそうです。妙義神社には所々に風鈴がありますが、謂われは分かりません。社務所の横に宝物館があるのですが、残念ながら今日は閉館でした。

 道の駅みょうぎに戻ります。道の駅では、キノコや野菜を販売していましたが、メダカもあります。まいたけおにぎりを買って、ここは終了。金洞山方面に進みます。  

 金洞山の麓にある、中之岳駐車場で、車を降り、中之嶽(なかのたけ)大国神社に向かいます。ここには日本一大きなだいこく様がいます。高さは20mとのこと。小槌では無く、剣を持っています。まずは、前宮に参拝します。

次は、山の中腹にある社殿です。そのためには、急な145段の石段を登り必要があります。「石段が急なので無理をしないでください」とありますが、一気に(とはなりません)階段を登ります。中之嶽神社は、ここからはよく見えませんが鎮座する鎮座する轟岩が御神体とのことで、拝殿・幣殿のみで本殿を持たない、珍しい様式です。岩のくぼみを利用して、建立されています。

 妙義山を下りる途中、縁起だるま発祥の寺として有名な、少林山達磨寺に参拝します。ここは、前橋城の裏鬼門を護る寺であったそうです。本堂には、役目を終えただるまが、たくさん奉納されています。

 今日の最後、赤城神社を目指します。途中、昼食は、とあるうどん屋に寄る予定でしたが、残念ながらお休み。やむなく高崎の一風堂で特製赤丸新味を頂きました。赤城山大鳥居をくぐり、30分程走ると、赤城神社に到着です。ここは、大沼に面して、権現造りの本社と社務所のみのシンプルな境内です。参拝を終え、宿に向かいます。

 途中、大沼の湖畔に降りてみましたが、晩秋で時間も遅いということも有り、人影は、ほとんどありませんでした。

 今日の宿泊先は、赤城温泉ホテルです。赤城山の中腹にぽつんとありますので、大沼、小沼からは長いくねくね道です。部屋はリノベしたばかりで非常にきれいです。夕食は、上州牛すき焼き鍋のコース、前橋産ぶどうの赤ワインを頂きました。ここはアルコールの値付けがとっても良心的です。これにて本日終了。

<二日目>

 朝食後、榛名神社に向かいます。途中、榛名山ロープウェイのに立ち寄ります。出発する駅は晴れていますが、上にはガスが見えます。到着地点の山頂では、案の定、ガスで、榛名湖の端がようやく見える位です。頂上には、パワースポットの、榛名山富士山神社がありますので参拝します。社殿は、頑丈なコンクリート製です。ロープウェイで下ると、途中から視界が開けてきました。湖畔は、全く晴れています。

 榛名神社は榛名山の中腹にありますので、道を下ります。大鳥居の近くの駐車場に車を置き、坂の参道を上っていきます。鳥居の先には随神門がありますが、もともとは仁王門だったようで、神仏分離により仁王像が取り除かれ、随神像が置かれています。境内は深い森と沢山の奇岩・巨岩に囲まれており、神聖なパワーを感じます。

 しばらく歩くと、三重の塔があり、これも神仏習合の名残です。参道の左側は岩が切り立っていますので、危険な場所は落石防止のトンネルが参道を覆っています。神橋の先の岩は落ちないのでしょうか。御水屋の先には、武田信玄が戦勝祈願のため矢を射立てたという言い伝えがある矢立杉があります。その前の階段を登り、神門に向かいます。 

 神門をくぐると、社務所エリアになります。そこには、本殿工事中の看板があり、初めて本殿に行けないことを知りました。階段を登り、双龍門をくぐると、本殿エリアとなります。確かに工事中で、完成予想図がシートに描かれています。替わりの国祖社で参拝し、これで上毛三社巡りは完了です。神門をでると、紅葉の中に瓶子(みすず)の滝がみえます。とても秋を感じます。帰りに、参道のお店で、焼きまんじゅうを買いました。

 最後は、前橋をぶらりします。途中、昼食は、道沿いの「吾作」で、肉うどんとキノコうどんを頂きました。かなり腰のあるうどんでした。

 前橋は、まず群馬県庁からスタートします。途中に、前橋城の石垣の跡(車橋門跡)がありますが、お城の痕跡はほとんど残っていないようです。県庁として日本一の高さを誇るだけあって、壮観です。中に入り、エレベーターで32階の展望フロアーに向かいます。フロアーからは前橋を360度見渡せます。そこにあるYAMATOYA COFFEE 32で一休みします。

 県庁の下では、「ぐんま推しナンバープレート」(ぐんまちゃんの絵柄が入ったプレート)のイベントをしています。敷地の端に前橋城跡の碑をみつけました。お城の本丸に県庁があるんですね。隣接している楽歩堂公園に、元の県令、楫取素彦の像がありますが、碑文に寄れば、松下村塾の後継者であったり、富岡製糸場の存続に尽力したり様々活躍されたとあります。公園の北端には、前橋東照宮が有り、お参りしました。

 公園から道を隔てて臨江閣があります。これは、先ほどの像にあった楫取素彦の提言で、地元の人々の寄付で1884年に建設された迎賓館です。明治天皇、大正天皇も滞在されたとのことです。ここで、「ミステリと言う勿れ」の撮影がされたようで、ポスターが貼られています。

 臨江閣の本館の前にも庭園がありますが、臨江閣のとなりに、2008年に、臨江閣と一体化して新たに作庭されたの日本庭園があります。入口は、臨江閣の反対側にあります。回遊式庭園なのですが、上部からの水量はとても多く、川のようです。出口は、臨江閣に通じています。

 時間がまだありますので、街を散策することとします。「水と緑と詩の町」として前橋市のシンボルである広瀬川沿いの遊歩道を歩きます。川の流量は多い。途中、弁天通商店街に入ります。金物屋さんの前は、「今夜ロマンス劇場で」のロケ地です。全国どこでもそうですが、ここ前橋も完全にシャッター街です。140年続いた「藤屋」は閉店し、260年続いている陶器屋も終わりそうです。寂しい話です。

 高崎は、小麦の産地ということもあり、最近は「パスタのまち」として知られています。従って、最後は、パスタで締めくくりとします。駅ビルにある「はらっぱ」で生麺のベッロヴィスタ(魚介のパスタ)を頂きました。麺がもっちりして、ボーノ。

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国内旅行

霧多布~野付半島~紋別・北見

<一日目> 

9月に入っても異常な暑さが続きますので、北海道に涼みに行ってみます。まず釧路に降りましたが、意外と涼しくは無く、微妙です。初めは厚岸。厚岸大橋を渡り、愛冠岬に向かいます。愛冠岬の先端には、「愛の鐘ベルアーチ』」があります。想いをかなえる鐘とのこと。ここから遠くには、小島、大黒島が見えます。

 厚岸の東側にあるピリカウタ展望台からは、昆布漁時期の早朝、一斉に漁場へ向かう400余隻の漁船がみえるそうですが、今は見えませんね。

 琵琶瀬展望台に立ち寄ります。ここは琵琶瀬湾と霧多布湿原に挟まれた高台で、両方がよく見えます。

 昼食は霧多布の中心地にある「善」で、霧多布昆布をつなぎにつかっているという「善そば」を頂きます。壁にはモンキーパンチの色紙、ルパン三世Payのポスターが。この浜中町がモンキーパンチの故郷ということを初めて知りました。

 善を出て、街をぶらつくと、他にもりルパン三世に因んだお店があります。浜中町は、これで街おこしをしているようです。

 霧多布岬展望台に向かいます。途中、昆布の故郷というだけあって、至る所で昆布を乾しています。霧多布岬展望台の下は断崖です。遠くには灯台が見えます。

 展望台から、灯台の方に車で向かいます。駐車場からは少し歩きます。灯台への道は、新日本歩く道紀行に選ばれています。確かに両側が断崖、絶景で、今日は風が心地よいです。ところで霧多布岬は、正式には湯沸岬(とうふつみさき)というそうです。この灯台は「恋する灯台」に認定されています。灯台の先にも、道があり最先端まで歩けます。途中の断崖から、ラッコが小さく見えます。

 霧多布岬の反対側に、琵琶瀬湾に突き出たアゼチの岬があります。夏の昆布漁が盛んな時期には、この海峡で、早朝に競い合う昆布船の出漁風景を見ることができるそうです。

 湿原の一本道を通り、霧多布湿原センターに向かいます。この湿原は霧多布の町に隣接しており、確かに人の暮らしや、漁業、農業に密着しています。展望台で休憩した後で、センターのそばに、観察用の木道がありますので散策してみます。時期的に蚊が多い!

 途中、茶内駅の前を通ると、ルパン三世の看板が見えましたので、立ち寄ることとします。浜中町はどこでもルパン三世と仲間たちに会えますね。

 宿泊先の標津に行く途中、毎日飲んでいる「別海牛乳」の生産現場を通って行くこととします。牧場の真ん中に、新酪農村展望台があり、登ってみます。高さは10Mですが、吹きさらしなので、高所恐怖症の私は、足が竦みます。

 今日の宿泊先は、標津の国道沿いにある、標津川温泉ぷるけの館ホテル川畑です。弱アルカリの源泉がホテルの駐車場から出ており、意外とお風呂は良かったです。夕食は近くの「武田」で標津前浜定食を頂きました。材料は、この辺りのものとのこと。品数が多く、満腹です。

<二日目>

 朝食前に、標津の町の散策です。狭い町ですので、30分程で一回りできます。

 今回の旅行のメインは野付半島です。今年3月19日に「氷下待ち網漁 の科学」と目がテンで放映していましたので、実際を見に行くこととしました。冬はさすがに厳しいので、今の時期としました。日本一の砂嘴を20㎞ほど、野付崎灯台に向かって走ります。両側は海です。周囲は湿原です。

 灯台から、ネイチャーセンターに戻ります。ここから、トドワラ(海水に浸食され立ち枯れたトドマツが藁状になったもの)に向け、20分程湿原を歩きます。途中、トラクターに抜かれます。乗った方が良かったか?海岸まで行き、元の道を引き返します。

 一時間ほど歩きましたので、ネイチャーセンターで別海の牛乳を使ったソフトクリームを食べ、一休みします。ここから、国後島は16㎞ほどです。中間の8㎞まで観光船は行くようです。途中、ナラワラ(海水に浸食され立ち枯れたナラが藁状になったもの)エリアも見学しました。

 ここから一挙に、紋別を目指します。昼食はシャリ町「里味」でつぶとエビのかき揚げそばを頂きました。

 昨年、網走監獄を見学しましたが、肝心の網走駅の看板を撮っていなかったので、途中立ち寄ります。

 網走、能取瑚はサンゴ草が最盛期です。サンゴ草は葉のない1年草で、秋になると赤く色を変えてゆき、深紅の絨毯のようになるようです。本土にはなく、オホーツク沿岸で見られるようです。

 網走から、1時間ほどでサロマ湖です。サロマ湖を一望できる幌岩山にあるサロマ湖展望台に向かいます。途中断崖の砂利道を15分程上りますが、道があっているのか不安になります。しばらくすると道が急に開け、サロマ湖展望台に到着します。ここからはサロマ湖が一望でき、パノラマを堪能できます。

 サロマ湖には、もう一つピラオロ展望台がありますので、途中寄ってみます。湖畔からサロマ湖を見渡せる場所です。昔、アイヌの人々がここから魚群の見張りをしていたと伝えられています。

 サロマ湖とオホーツク海を隔てる長大な砂州の人工的に開いた湖口に龍宮台展望台があります。北の方向にはは果てしなく広がる海、南はサロマ湖が一望できます。

 紋別の市街に入る前に、コムケ湖の国際キャンプ場に立ち寄ってみます。夕暮れの湖畔は鏡のように反射し、幻想的です。ところが、途中の道は、草木が散ったり木が折れたりで、竜巻があったような風景です。

 夕食は、紋別の飲食店街であるはまなす通りを散策し、通りの西の端にある「廬」で頂くこととしました。私たちの後からお店に入ってきた客は、その日強風で、帯広まで帰れなかったとのこと。北海道の西側の地域は、かなり風雨が強かったようです。JRも乱れていました。

<三日目>

 朝食前に、ホテル周辺を散歩します。中心地は狭いので30分程です。ここから紋別港がよく見えますが、流氷期は、この窓から、接岸した流氷が見えるようです。

 ホテルの窓からほたて工場が眼下に見えますので、行ってみました。貝柱をむかれたホタテが、ベルトコンベアでドンドン流れてきます。

 紋別市は流氷研究国際都市を宣言しています。その中心が、オホーツク流氷科学センターです。センターは、9時からですので、それまでその前のカリヨン広場をぶらり。はまなすが咲いています。時間になりましたので、入場します。防寒着を着て、流氷水族館、-20度の体験です。大げさでは無く、防寒着を着ても超寒いです。流氷水族館は、氷の中に様々な魚がいて、滅多に見ない面白い展示です。

 次は、海岸の向こう側にある氷海展望塔オホーツクタワーに向かいます。タワーへは、長い第三防波堤を歩いて行きます。オホーツクタワーの下7.5mは、魚の展示と海中の観察ができます。チョウザメの餌付けができますが、以外と凶暴で、油断すると指が嚙まれそうです。3階は展望カフェで、流氷期は一面流氷になるようです。

 紋別市ではアラスカの油田開発用に試験的に作られた砕氷船を「ガリンコ号」と名付け、流氷時観光船として利用しています。今は、オホーツク海洋交流館の岸壁に接岸したままです。

 北見の手前、道の駅「おんねゆ温泉」で昼食を、と考えていましたが、ここにはレストランがありません。敷地に併設されている「からくり王国」で、しろタマネギを買いました。この品種は、少量しか生産していないようで、地元以外では手に入らないとのことです。

 昼食は、道の駅で頂くことが出来なかったので、北見市に向かいます。14時も過ぎていますので、結局北見のイオンで取ることになりました。

 昼食後、北見ハッカ記念館に向かいます。記念館は各種の展示、実際の蒸留実演は奥の薄荷蒸留館で行っています。半日蒸留して、とれる薄荷油はごくわずかです。運良く、蒸留桶の内部を見ることが出来ました。薄荷のいい香りがします。ここで取れた「取卸油」を買いました。

 ハッカ記念館の近くにあるピアソン記念館を訪れます。ピアソンは1888年に来日し、1914年からここで宣教活動をし、1928年にアメリカに帰国しました。その間、開拓者と交流し、様々な社会を活動したとのことです。この建物は、北海道遺産に選定されています。

 夕食までは時間がありますので、北網圏北見文化センターを見学します。北見の歴史や開拓の様子などを知ることが出来ます。

 「焼肉といえば北見でしょ焼き」のキャッチーフレーズに誘われ、空港に近い「やきにくや」に行ってみました。大正解、おいしくて、リーズナブルな価格。迫田和牛のハラミは最高。行って良かった!