カテゴリー
国内旅行

神仙沼、積丹半島、余市

<三日目>

 ニセコプリンスホテルひらふ亭は、ゲレンデ直結の温泉リゾートホテルで、露天風呂からはニセコアンヌプリやその下のゲレンデが一望できます。ホテルの外装は古いですが、中はリノベされています。ホテルを出ると、ゲレンデは直ぐそこです。

 今日は、積丹半島を一周してみます。途中チセヌプリ山の北側にある、神仙沼を散策してみます。沼に行く前に、休憩所の北側にある展望台に行きます。晴れていますので、岩内町や泊村、これから行く積丹半島が一望出来ます。次に、展望台とは反対側のニセコ・神仙沼自然休養林口から、木道に入ります。20分位進むと、湿原が現れ、その先に、ニセコ山系で最も美しい沼と言われる神仙沼があります。確かに幻想的な風景です。

 積丹半島に行く途中、岩内岳の裾野の小高い丘にある円山展望台に立ち寄ってみます。ここからは岩内町の街並み、泊村の原発や積丹半島が、神仙沼の展望台に比べ、より近く見えます。ここの夜景は2018年「日本夜景遺産」に認定されているそうです。室蘭の夜景も認定されおり、初日の夜、失念し見なくて本当に残念です。

 昼食は、積丹半島の真ん中辺り、神恵内(かもえない)村にある勝栄鮨で頂くことにしました。この店は本土からの観光客だけで無く、道内の人にも人気があるらしく、昼のみの営業なので、わざわざ来ても具が無くなって、そのまま帰る人もいるようです。当日は30分程で入れました。当日、名物のウニ丼が無かったので、お鮨を頂くことにしました。

 積丹半島の絶景地「神威岬」に到着です。やはり、ここは観光客で賑わっています。大海原へせり出した神威岬の先端まで、女人禁制の門から20分程、山有り谷有りの「チャレンカの小道」を進みます。かなりきつい行程です。両側には日本海の雄大な眺めが広がっています。下は、積丹ブルーの海岸です。

<チャレンカ伝説>奥州から蝦夷地へ逃れてきた義経は、アイヌの娘チャレンカと恋に落ちた。しかし、義経は追っ手から逃れるため、チャレンカを残して神威岬から大陸へ旅立った。義経を追って神威岬にたどり着いたチャレンカは、義経が既に出発した後であることを知り、悲しみに暮れて海に身を投げた。チャレンカの嫉妬により、和人の女性を乗せた船が神威岬沖を通ると転覆するという言い伝えが生まれ、かつて神威岬は女人禁制の地とされていた。

 島武意(しまむい)海岸も見学する予定でしたが、飛行機の時間も迫っていますので、積丹町はスルーし、余市に向かいます。余市に入る手前、旧豊浜隧道の脇、ローソク岩を望み、かつてニシンの千石(せんごく)場所であった豊浜の海辺に、ソーラン節発祥の地碑が立っています。ニシンの千石場所とは、ニシンが大量に取れた魚場を言い、小樽や増毛にもあったそうです。ここから一つトンネルを抜けた先の海岸には、えびす岩と大黒岩があります。

 余市の市街に入り、若干時間がありますので、旧余市福原漁場(ぎょば)を見学します。ここは江戸時代から明治時代にかけて福原家が経営したニシン漁場の建築群で、主屋(親方家族と漁夫が生活)を中心に,文書庫、石倉(ニシン粕、ミガキニシン等の製品保管)、米味噌倉、網倉、ヤナ場(ミガキニシンを干す場所)等が展示、公開されています。今はその面影さえもありませんが、かつて松前から稚内まで700㎞にわたりニシン街道があったということが、この施設から実感できますね。これで今回の旅行は終了し、余市インターから、新千歳空港に向かいます。

カテゴリー
国内旅行

有珠山、洞爺湖、ニセコ

<二日目>

 宿泊は、ホテルはルートインで、東室蘭駅のすぐそばです。部屋の窓からは製鉄所の高炉や白鳥大橋が良く見えます。昨夜ここから室蘭八景の第一番、工場地帯の夜景を撮るはずでしたが、残念なことにすっかり忘れてしまいました。トホホです。.

 今日は、洞爺湖に向かいます。まずは有珠山ロープウエイに乗り、有珠山山頂駅へ。山頂駅に隣接するテラスにはたくさんの椅子が、洞爺湖に向かって設置されています。椅子に座りながら、紫蘇アイスをペロリ。洞爺湖の右側には昭和新山が見えます。逆に反対側には、伊達の市街地や噴火湾が見えます。

 山頂駅から歩いて10分ほど坂道を上ると火口原展望台「USU360」があります。ここからも洞爺湖は眺望できますが、1977年の噴火でできた直径350mの銀沼大火口を間近で見ることができます。火口の左側には、小有珠、有珠新山、大有珠と続く溶岩ドームが聳えています。

 山を下り、温泉街にある洞爺湖ビジターセンター・火山科学館を見学します。ここは噴火を繰り返してきた有珠山の火山活動を、体感装置や実物展示で紹介しています。シアター室では、2000年に起きた有珠山噴火の経過を上映しています。噴火の映像に合わせ椅子も振動しますので、かなり迫力があります。初めて知ったのですが、有珠山は20年から30年に一度噴火しており、そろそろ噴火する時期が迫っています。この町に住む人は、平気なのかな?と思いました。

 昼食は洞爺湖温泉街にあるレストラン「望羊蹄」で頂くことにします。この店は、1946年開店とのことで、店内は当時の面影が残っているように思います。1977年、2000年と、裏手にある有珠山が噴火していますので、良く無事で残ったものと思います。ここでは、ハンバーグ定食とホタテグラタンを頂きました。

 食事後、2000年の有珠山噴火で出来た「金比羅火口」を見に展望台に向かいます。火口には、エメラルドグリーンの水が溜まっています。その火口から真下にある温泉街に向かって泥流が流れたようで、当時のの団地と温泉施設が泥に埋もれたまま、保存されています。ほんのすぐ先は温泉街なので、危機一髪ですね。次回の噴火は、どこで起きるでしょう。本当に怖い地域です!この展望台からは洞爺湖も眺望でき、中島、遠くには羊蹄山が見えます。洞爺湖を見下ろす遠くの山の頂上には、2008年7月サミットが行われたザ・ウィンザーホテル洞爺も見えます。

 温泉街に戻る途中の道に、「西山山麓火口散策路入口」という看板がありましたので、車を降りて散策してみます。西山山麓は70m隆起したとのことで、途中には断層でずれた町道がそのまま保存されています。しばらく進むと、「町道を横断した火口列」という看板がありました。当初は火口が見えたようなのですが、今は草木がうっそうと生えて、残念ながら何も見えません。ここで引き返します。

 洞爺湖からニセコに向かいますが、途中でビュースポットと言われる所、二か所立ち寄ってみます。何カ所かのビュースポットで、洞爺湖を見てきましたが、中島から有珠山、昭和新山まで見渡せる、ここサイロ展望台からが、一番眺めがいいのではないでしょうか。

 洞爺湖のある壮瞥(そうべつ)町を過ぎると、留寿都(るすつ)村に入ります。この村は、童話「赤い靴」の歌詞にある女の子の母親が、ここで開拓者として暮らしていたことから、それに因んだ像があります。近くには、指圧で有名な浪越徳治郎の像もあります。

 次は真狩(まっかり)村を通ります。ここは細川たかしの出身地と言うことで、真狩村交流プラザには細川たかしギャラリーがあります。ギャララーの真ん中に細川たかしの銅像が、それを囲むように関連する写真、衣裳などが展示されています。

 途中、真狩樹木園に立ち寄り、「羊蹄山からの湧き水」を見ていきます。この辺には、観光客は誰もいません。

 ようやくニセコに着きました。時間がありますので有島記念館を見学します。文学者の有島武郎は、ここに不在地主として「有島農場」を所有していました。記念館では、有島武郎の人となり、作品、武郎が所有した農場の足跡が紹介されています。

 最後はオフシーズンのニセコ駅に行ってみます。当然ですが、人影はまばらです。ハロウィーン前と言うことで、駅舎の前には大量のカボチャが野積みになっています。ニセコ駅の西側は、1953年まで旧簡易軌道真狩線狩太駅や軌道の転車台があり、国鉄との貨物積替場所でもあったようです。その縁もあって、ニセコ鉄道遺産群として蒸気機関車「9643」や、引退したニセコエクスプレスを展示しています。時間外のため、残念ながら収蔵車庫の扉は開放されていませんでした。日も傾いてきましたので、今日の宿泊先、ニセコプリンスホテルひらふ亭に向かいます。

カテゴリー
国内旅行

支笏湖、登別温泉、室蘭

<一日目>

 今回は北海道の西側、洞爺湖から積丹半島を回ってみます。まずは飛行場から支笏湖へ。丁度、支笏湖神社例大祭が行われていました。翌日10日の本祭では、神輿は、湖岸から水中に入り、千客万来やヒメマスの豊漁を祈願するようです。神社の正面はすぐ支笏湖です。対岸には恵庭岳が見えます。湖には小ぶりの遊覧船やアクティビティをしている人がいます。

 元々は軽便鉄道の鉄橋であった山線鉄橋を渡り、支笏湖展望台へ向かいます。急な山道の階段を10分ほど登ると、展望台があります。残念ながら展望台の周辺は、木が生い茂っており、眺望は今一つです。

 支笏湖ビジターセンターに立ち寄ります。壁面に貼られた説明書を見ると、ここの水質は全国2位(1位は田沢湖)だそうです。地図の周辺に貼られたポストイットは、熊の目撃情報です。結構出てますね。ビジターセンターには、冬期オリンピックの会場となった恵庭岳のその後の解説や、押すとその鳥の声が流れるボタンなど色々勉強になります。

 次は、登別温泉に向かいます。ここでは、温泉街から500mほど上方にある大湯沼と奥の湯をまず見学します。大湯沼はクッタラ火山の爆裂火口周辺にできた、ひょうたん型の湯の沼で、これは世界的にも珍しいそうです。沼から100mほど離れた場所に、奥の湯がありますが、熱水の噴出がよく見え、煮えたぎる湯釜のように思えます。

 山を下って温泉街のはずれに、地獄谷があります。ここもクッタラ火山の爆裂火口跡です。想像した以上に規模が大きく、見学通路がずっと続いています。通路の一番奥には鉄泉i池という間欠泉があります。最近は静かになっていて、余り活動はしないようです。見学通路の途中に薬師如来の祠があります。これは、かつてここで火薬の原料となる硫黄を取っていた南部藩の家臣が、この堂の下から湧いた温泉で目を洗ったところ、持病の眼病が治ったことで、この祠が建てられたそうです。

 昼食の時間となりました。ガイドブックによれば、2015年にご当地グルメとして「登別閻魔やきそば」が誕生したそうなので、温泉街のはずあるある「温泉市場」でさっそくそれを頂いてみます。若干辛めの味付けで、イカ、ホタテ、エビが入っています。ここは「温泉市場」というだけあって、生簀で、地元の色々な海産物が売られています。毛ガニは一杯8000円くらいだそうです。

 「温泉市場」の隣には閻魔堂があります。定期的に目が光り、からくりが動きます。せっかくですので、夢元もさぎり湯で、温泉に入ってみます。ここの湯は地獄谷と薬師堂の2カ所から引いているそうで、湯船がそれぞれあり、見た目にも泉質が違っています。最後は湯澤神社に参拝し、ここを後にします。

 室蘭は、道の駅「カナスチールみたら室蘭」からスタートします。名前ですが、由来は、カナスチールという室蘭市の企業が命名権を取得したこと、「みたら」という名前は、室蘭市が公募で決定した愛称で、「見たら感動する」「見たら来たくなる」という意味を込めて、だそうです。道の駅に隣接して、絵鞆(えとも)臨海公園が有ます。そこからは、夜景が美しいと言われる白鳥大橋が一望出来ます。次が、海岸沿いに室蘭八景を見ていきます。

 まずは艦首を模した絵鞆岬展望台から、噴火湾を一望(室蘭八景4番)します。遠くには、室蘭八景3番の大黒島が見えます。断崖に沿って狭い道を進むと、鋭く切り立った室蘭八景5番、銀屏風の岩肌が見えてきます。この断崖は、夕日が当たると銀色に輝くようです。道を更に進むと室蘭八景6番、マスイチ浜の外海展望台があります。この地名は、アイヌ語のウミネコの家(マスイ・チセ)に由来します。

 次は測量山展望台に向かいます。そこからの眺望、夜景は室蘭八景2番で、大いに宣伝されていますが、そこまでの道はわかりにくく、狭く、夜来るのはひと苦労と思います。しかしながら、宣伝するだけあって、360度パノラマビューで、市街全域が見えます。確かに夜景はきれいだろうなと思います。

 次は室蘭八景7番の地球岬の絶景です。海の青と灯台の白さのコントラストが美しいことで、室蘭で一番の観光スポットとなっています。施設は高さ100mの絶壁の上にあり、そこからは噴火湾を一望することができます。周囲には視界を遮るものはなく、水平線が続く様子は、地球が丸いことを実感できます。地球岬という名前は、アイヌ語で断崖を意味する「チケプ」に由来。 それが転訛して「チキウ」、そして「地球岬」と呼ばれるようになったとのこと。また、ここは正式にはチキウ岬で、従って灯台の名称も、チキウ岬灯台です。

 最後は、金屏風(室蘭八景5番)と言われる断崖と、トッカリショの奇勝(室蘭八景8番)です。銀屏風は夕日でしたが、金屏風の方は朝日があたると金色に輝くとのことです。トッカリショとはアイヌ語で「アザラシ岩」だそうです。火山で隆起した岩を波が侵食し、彫刻したように見えます。

 今日の宿は、東室蘭のルートインです。一休みした後、知人から紹介された「男車」に行ってみます。店は店主一人で切り盛りしていますので、注文してからでるまで、大分時間がかかります。その間、突出のトウモロコシを頬張ります。お刺身は2人で2人前を注文しましたが、見た目以上にボリュームがあり、トウモロコシとこれでお腹が膨れてきます。お酒は根室の「北の勝」を二杯。最後に、この名物と言われているキンキの煮付けをお願いしました。これまで見たことのないほどの大きさで味も美味しく、ここの一品であることがうなづけます。この店は、雰囲気も料理もとても良いのですが、若干お値段が高めかな。

カテゴリー
国内旅行

釧路

<三日目>

 今日はまず車で30分ほどのところにある釧路湿原展望台に行くことにします。朝方、霧がかかっていたので、景色が見えるかどうか心配でしたがどうやら晴れてきました。屋上からは、展望台の前面に、釧路湿原が一望できます。展望台の中は湿原をイメージした展示ブースとなっています。

 展望台の裏手には、湿原を探勝する2.5㎞ほどの歩道があります。歩道を入ると熊が目撃され早朝夕方通行禁止の立て札がありましす。心配になったので、展望台に戻り、係の人に熊は大丈夫かと聞きました。人が大勢いるので、たぶん大丈夫、と言われましたので、恐る恐る辺りを注意しながら、進むことにします。 20分程木道進むとサテライト展望台があります。一面に釧路湿原を展望できます。ここからの帰り道は木道ではなく、幅の広いバリアフリーの道となっています。

 釧路市内に戻り、昼食とします。老舗の蕎麦屋である、竹老園 東家総本店に行くことにします。1874年、初代は夜啼きそばからの創業で、現在4代目、150年の歴史があるようです。茶蕎麦と鳥なめこ蕎麦を頂きました。食事後、元々の正面に行き、庭園を鑑賞します。

 昼食後、旧太平洋炭礦の炭鉱礦展示館を見学します。入口には、ここで採掘された
6トンの日本一の大塊炭が展示されています。1階はパネルやジオラマで、炭鉱の概要や歴史が説明されています。地下には模擬坑道があり、かつて炭鉱で使用されていた設備が展示されています。炭鉱の地図を見ると、この展示館の下から7㎞先まで坑道が続いています。釧路の海岸の下に、これ程広大な地下空間があったとは、思いもよりませんでした。

 次は、釧路市立博物館を見学します。展示は1階が釧路の自然、2階が釧路の歴史、4階がアイヌの歴史となっています。1階にあるシロナガスクジラの下顎の骨の長さは 6.7m もあります。このクジラの体長は、25m程度と想定されるそうです。ゴールデンカムイの作者の野田サトル氏も取材のためここを訪れたそうで、そのときのサインが展示されています。

 博物館の近くにある春採湖(はるとりこ)に立ち寄ります。ネイチャーセンターを通り過ぎると、ハルトルチャランケチャシ跡がありますので行ってみます。チャシからは春採湖が一望でき、ここにチャシを造った理由が分かります。そばにケークウォークという喫茶店がありましたので、一休みしました。

 喫茶店に、海洋堂フィギア展のパンフレットがありましたので、釧路市立美術館に行き、見学することにします。海洋堂の歴史から始り、これまで制作されたフィギアが数多く展示されていました。

 まだ時間がありますので、釧路川に架かる弊舞橋を渡り、屋内植物園EGGとフィッシャーマンズワーフMOOを覗いてみます。建物の前では、釧路川に沿って、岸壁炉ばたがセットされていましたが、まだ若干早いため、準備中でした。

 飛行場に行く前に、早めの夕食を取ります。スパカツで有名な泉屋総本店に行きます。1階には料理のサンプルが壁一万にあります。レストランは2階です。時間が早いので、客席には人はまばらです。名物のスパカツと、Dセット(ビーフシチュー・エビフライ・カニコロッケ・ドリア/イタリアン・サラダ添え)を頂きました。何れも見た目以上のボリュームです。

 駐車場に戻りますが、高台にある釧路市立美術館の10階は、無料の展望室になっています。釧路の思い出に、立ち寄ってみます。そこからは釧路市の市街地が一望できます。インドネシアのバリ島、フィリピンのマニラ湾とともに世界三大夕日といわれる釧路の美しい夕日(本当かな?)は、残念ながらまだ早い時間でしたので、見ることは出来ませんでした。釧路空港に戻りますが、気温は、22.9度。今から暑い東京に帰ります。

カテゴリー
国内旅行

根室~釧路

<二日目>

 昨日の夕方は快晴でしたが、朝の根室はまた霧です。朝食後ホテル周辺を散歩します。根室市役所は昨年新築されたばかりで、待合室もまだピカピカです。市役所前の広場には、「ここに幸あり」の音楽碑と輸送艦「ねむろ」の主錨が展示されています。根室市の時報やゴミ収集車のメロディは「ここに幸あり」です。その理由は、「ここに幸あり」の作詩者高橋掬太郎と作曲者飯田三郎は何れも根室出身者でした。

 国の天然記念物に指定されている「車石」を見るため、花咲港に向かいます。港には8月10日のサンマ量解禁に向け準備している漁船が多数停泊しています。昨年は、ここの港がダントツで水揚げ日本一でした。9月の下旬にはさんま祭りも開催されます。港からは遠くに霧でかすんだ花咲灯台が見えます。

 丘の上に車で行くと、花咲灯台があります。灯台の下に、車石を見学するための通路があります。通路は岩場の側までありますが、オホーツクの荒波が打ち寄せ、大きな波しぶきとなってこちらに向かってきます。ロープの内側にいるのですが恐怖を感じ、スリル満点です。車石は海の反対側にあります。マグマが固まった放射状の柱状節理です。

 次は根室半島の付け根にある落石(おちいし)岬に向かいます。駐車場からは、アカエゾマツなどの樹林帯と湿原の中を20分程歩きます。森林内の湿地はサカイツツジの自生南限(開花は6月で既に終了)で、国の天然記念物に指定されています。途中に、落石無線電信局の建物と碑があります。1908~1959年まで運営されていたようです。岬の端には落石岬灯台があり、これも日本の灯台50選(今回では納沙布、花咲)に入っています。下を覗くと太平洋の荒波が海岸に打ち付けています。

 根室に戻ります。お昼は「根室花まる根室店」で頂くことにします。東京にも、支店が10軒ほどありますが、入ったことはありません。「今日はホタテが入荷せず冷凍物です」と、店の人が言っています。あとは、生なんですね。たらばガニや活ツブ、イワシ、マグロ等のお鮨と風蓮湖のちかフライを頂きました。大きなお店ですが、お昼近くなると、待つ人が増えてきます。人気があるんですね。

 昼食後、根室金刀比羅神社を参拝します。この神社は、1806年に、北洋漁業の開拓者高田屋嘉兵衛が、漁場の守護神 として金刀比羅大神をお祀りしたのが初めです。駐車場側の鳥居を通り東門を抜けると、夏限定の風鈴小道(こみち)と名付けたゲートがあります。戦前、千島列島には69社の神社が存在していたそうで、ここの神社では、島民が奉遷した11社の御神体をお預かりしています。記念に本土最東のご朱印を頂きました。

 参道の脇には展望台があり、そこからは根室湾が一望できます。その先に、あじさいの小道がありますが、本土でのあじさいは盛りを過ぎていますが、ここではまだ走りです。また、ここの参道には豊漁・海上安全を願い、沢山の大漁旗が掲げられています。境内のお祭り史料館にある御神輿は1935年製で1.5トンもあるそうです。

 次は明治公園にある巨大サイロを見に行きます。芝生広場の中央に立ち、高さは15m、直径は6mのレンガ造りのサイロです。日本で二番目に古いそうで、一番目は北海道大学にあるそうです。いよいよ根室市街を離れますが、街の西端にある、旧根室国後間海底電信線陸揚施設を見学します。あいにく、全体を透明な特殊ガラス覆う保存工事が行われていました。この施設は、根室と国後島を結ぶ海底ケーブルの陸揚げ施設でした。

 次は根室湾と風蓮湖の間にある長さ8㎞、幅1.3㎞の巨大な砂州、春国岱(しゅんくにたい)に行きます。ここはラムサール条約の登録湿地で、春国岱原生野鳥公園で木道も整備されています。動植物の宝庫だそうですが、現在は、ヒグマが出現しているためか、閉鎖されています。

 最後は、春国岱の対岸にある道の駅「スワン44ねむろ」で休憩します。道の駅には双眼鏡が設置され、ガラス越しに対岸の春国岱の野鳥が観察できます。10月中旬には、数千羽のオオハクチョウが飛来し、春と秋にはシギやチドリの仲間が渡ってくるなど、風蓮湖は一年を通じて野鳥で賑わっているようです。

 風蓮湖からは、2時間弱で釧路に到着します。釧路も霧がかかっています。夕食は、海産物は少し飽きてきましたので、イタリアンということで、ネットで「TAKKE」を予約します。食材が何れも地元産で、食器にもこだわっており、味も良いのですが、若干ボリュームが不足している感じがしました。

カテゴリー
国内旅行

根室

<一日目>

 暑い日が続きます。今回は北海道の、根室、釧路に行ってみます。釧路空港は、霧雨、気温は22度です。レンタカーを借り、一路根室に向かいます。2時間ほど走り、根室に着く頃は、お昼時です。入ろうとしていたお寿司屋さんが臨時休業でしたので、近くの喫茶ドリアンで、根室のご当地グルメのエスカロップとオリエンタルライスを頂きます。エスカロップは、刻んだタケノコの入ったバターライスの上にかつがのったもの、オリエンタルライスはドライカレーの上に焼いたハラミ肉がのったものです。北海道の名物料理は、かつやお肉が、スパゲッティやチャーハンにのったものが多い気がします。

 昼食後は、納沙布岬に向かいます。途中、観光スポットに立ち寄って行きます。最初は、牧の内の文化遺産にあるノツカマフチャシ跡に行きます。この一帯には、かつて旧海軍の飛行場があったようです。チャシは、アイヌが16世紀から18世紀にかけて根室半島を中心に北海道の各地に築造していた城でが、石の構築物ではないので、今は、盛土があるだけです。チャシのある海岸に向かいますが、熊が出そうで、ドキドキしながら進みます。道が開けた先に、ノツカマフチャシ1号チャシが見えます。濃霧が無ければ、ここから択捉島や歯舞諸島が見えるのですが。

 次は、北方原生花園(かえん)です。75haの花園は今が満開の時期で、高山植物なので地味ですが一面に咲いています。遠くに見えるミズナラの林は、強風で地をはうような独特の形をしています。

 最後は、日本百名城の一つに指定されている、オンネモトチャシ跡です。温根元湾の西岸に突出した岬の上に2ヶ所盛土し、濠で区画されています。海からはお供え餅のように見えるようです。道の途中にオーロラタワーという96mの展望台がありますが、霧で全体が霞んでいます。この辺りでは運営できないようで、今は廃墟となっています。

 本州最東端の駄目だ納沙布岬に到着。相変わらずの濃霧で、残念ながら北方領土は見えません。岬には、希望の鐘や希望の道、四島のかけ橋等返還を願うモニュメントが数多くあります。根室市北方資料館で、本土最東端到達証明書を頂きました。昨年稚内で最北端到達証明書を頂いています。ちなみに最西端は長崎、最南端は鹿児島で頂けます。

 10分程歩いて納沙布岬灯台に向かいます。この灯台も日本本土の最東端の地に位置し、また、「日本の灯台50選」にも選ばれています。岬の先の水道は暗礁や浅瀬が多く、航海の難所として恐れられていたそうです。灯台の下を覗くと、波は大荒れでそれはうなずけます。

 根室駅に戻る途中に、歯舞神社がありましたので、参拝していきます。根室半島では、神主さんが常駐する神社は、市内の金比羅神社だけですので、ここも無人です。

 根室駅に戻ります。それまで最東端だった東根室駅が廃止となりましたので、この駅が、正真正銘の最東端の駅になりました。待合室には20人程の乗客が根室線の到着を待っています。今日は2時間ほどの遅れがあるようで、札幌に向かう人は、戻ることが出来ないため、対応を考えています。駅そばのスーパを覗くと、花咲ガニが売られています。一杯800円です。

 今日はホテルで紹介してもらった居酒屋「壱炉」にきます。根室といえば花咲ガニですが、突出しやカニクリームコロッケにカニの身が多く入っている上に、オススメの「甲羅詰め」にはむき身がぎゅうぎゅうに入っています。これで1200円!ここでしか食べられませんね。あとは、干し柳かれいと、幻の魚といわれる八角もお願いしました。いずれも身は大きく味は最高です。値段も良心的で、大満足の食事でした。店のすぐ外は根室湾で、まだ日暮れ前ですので、朝方の霧も晴れ、防波堤の先に穏やかな海が見えます。

 ホテルに戻ったのは7時です。まだ外は明るいままです。部屋の窓からは根室湾がよく見えます。

カテゴリー
国内旅行

大阪・関西万博

<一日目>

 夏は暑そうなので、早めに大阪・関西万博に行くことにしました。私にとり55年振りの万博です。早朝の新幹線にのり、早速朝食と、ついでにお酒も頂きます。駅弁は、厚岸の氏家待合所のかきめしですが、北海道からどうやってくるのでしょうね。そうこうするうちに、程なく大阪に着きました。外はあいにく雨です。会場に隣接する夢州駅を出て、1時間ほどで入場できました。

 見学するパビリオンは特に決めていませんので、待ちの列が短そうなカタール国から入ってみます。このパビリオンは、隈研吾が手がけたそうで、アラビアの帆船がイメージされているようです。壁沿いの回廊の天井は空いており、風通しは良いのですが、雨天の場合は逆に濡れてしまいます。カタールの紹介では、沿岸地域の風景のジオラマが多く展示されていました。

 次は隣のアラブ首長国連邦に入ります。ここは、空に向かって伸びるナツメヤシの木に着想を得たパビリオンになっています。ロケットも「大地から天空へ」の象徴となっています。

 次はポルトガルのパビリオンに入ります。建物全体がロープで囲まれていて、帆船をイメージしているようです。ここも隈研吾です。館内に入ると、お馴染みの昔のモルトガル商人が描かれた絵や日本語になったポルトガルの言葉が壁に投影され、日本との歴史的つながりを紹介しています。海洋保護を訴える映像は、迫力があります。

 次は、あまりなじみの無いトルクメニスタン館に入ります。1階ではシルクロードで栄えたトルクメニスタンの歴史が放映されています。2階はトルクメニスタンの農業や工業の経済面の展示、3階はトルクメニスタン料理を味わうことの出来るカフェとなっています。

 55年前の万博では入場できなかったので、今回はリベンジの意味も有り、必達のアメリカ館です。意外と早く、1.5時間で入場できました。ここのマスコットキャラクターは星条旗をモチーフにした「スパーク」で、各エリアで解説してくれます。美しいアメリカのコーナではニューヨークから始り、ワイキキ、グランドキャニオン等の迫力ある光景をスパークが紹介します。大リーグの大谷も登場します。宇宙開発のシーンでは、ロケットの発射から始り、月や火星、小惑星帯への旅を、スパークが案内して行きます。展示の最後は、55年前にもあった月の石の展示です。

 アメリカ館の側に、大屋根リングへのエスカレーターがありますので、上ってみます。途中からはポルトガル館が、上からはアメリカ館がよく見えます。今は曇っていて直射日光がないので、大屋根リングの上には気持ちの良い風が吹いています。

 次は1週間前予約で取れた日本館です。円環状の構造は、いのちのリレーを体現しているそうです。並んでいる列に大量のミストが降り注ぎます。今日は不要ですが、真夏は必須ですね。スタートは、万博会場内で出たごみがベルトコンベアーで運ばれます。それらが微生物のはたらきで分解され、バイオガスとして再生、製品となっていきます。パビリオンは「ごみを食べる日本館」となっています。南極で採取された火星の石も展示されています。

 17時になります。昼食は、コンビニで買ったバームやブランを列に並びながら食べていましたが、休憩も兼ね「好きやねん大阪フードコートEAST」でうどんとビールを頂きます。フードコートの脇は、ウォータープラザですが、水面に逆さに映った大屋根リングもきれいですね。コモンズE、コモンズDと順に見学していきます。コモンズEは一部だけの開放で、準備中の感じがします。漫画のレジェンドたちの絵が、展示されています。

 スマホでの当日予約が、18時35分、いのち動的平衡館で取れていますので、行ってみます。本来、物質は、「エントロピー増大の法則」に従って、無秩序になる方向にしか動かないが、生命だけは、この法則に抗って、なんとか秩序を維持しようとしている。これが生命のもっとも重要な本質、動的平衡である。これを、LEDの光のインスタレーションで、体感させる、というものですが、どうですかね。今日の最後はハンガリー館です。干し草の山をイメージしています。1時間ほど並ぶと、ホールに案内され、中央に歌手がいます。10分程、ハンガリー民謡「春の風は水を溢れさせる」を独唱します。

 もうすぐ21時になりますので、今日の最終イベント、ドローンショー「One World One Planet」を見に、ウォータープラザ前のベンチに行きます。本来は、ここで噴水ショーが行われるはずでしたが、レジオネラ菌が基準値を超えているということで中止になっています。10分程のショウーの後、ドローンが出口の方向を案内して、今日の全てのプログラムが終了です。帰りがけ、大屋根リングの下を通りますが、夜間もきれいですね。

<二日目>

 今日は昨日降った雨の影響で、空気が澄んで、爽やかな朝となっています。夢州駅には8時40分に到着、荷物検査を終了し、会場内には9時30分に入場できました。

 朝早いので、当日予約登録端末のある場所に行ってみます。ラッキーにも列は空いています。11時から「未来都市」が予約できました。会場には、小中学生の集団が大勢います。関西中から来ているのでしょうか?1週間前予約で三菱未来館が取れていますので、入ってみます。ここでは、9mの大型LEDスクリーンに、未知なる深海から遥かなる火星へ、バーティカルシャトルに乗っていのちを巡る壮大な旅の物語が10分程上映されます。字幕も無く、日本語だけなので、外国人にはハードルが高そうです。

 三菱未来館の後は、そこから最も遠い位置(約2㎞先)にある「未来の都市」に急ぎます。ここのコンセプトは、リアル会場とバーチャル空間でSociety 5.0が実現する未来社会を多様な「共創」によって創り上げる、という意味不明?なものです。40億年・幸せの旅では、高さ5m、長さ92mのスクリーンに人類誕生から、Society 5.0まで物語が映されます。未来との対話では、未来都市の暮らしを感じ、Society 5.0と
未来の都市では、観客がスマホを通じて社会創造に参加出来ます。分かったような、分からないようなですね。最後の企業展示のブースは、川崎重工やIHI等が現在研究中のコンセプトモデルを披露しています。

 近くの風の広場マーケットプレイスで、一休みし、タコ焼きとビールを頂きます。屋根付き屋外ステージであるポップアップステージでは、アフリカの音楽が演奏されています。コモンズCのアルジェリア館とカンボジア館に入ってみます。アルジェリア館の壁に、日本はアルジェリアがフランスからの独立を支援したと書かれています。具体的に何をしたかは書かれていませんでした。後日調べると、独立戦争中の1958年に国民解放戦線の東京事務所開設を認め、国連での独立協議を支援したことがあったようです。カンボジア館は、稲穂が一面に稲穂が展示されてい遺跡は遺跡はアンコールワットでは無く、コーケー寺院(世界遺産)が展示されています。

 コモンズC館のチリに入ってみます。ワインとかが並べられているのかな?と思いましたが、館内全体がチリの先住民族であるマプチェ族が手で織った「マクン(Makün)」と呼ばれる大きな織物で覆われています。公式ビデオを見ると人を包み込むマントという意味だそうです。次は、モナコ館です。ここではモナコの超高級ホテルのオテルド・パリ・モンテカルロが出しているワインバーでの試飲ができます。並ぶ列は館内見学とは別になっています。ここでは一杯2千円のロワールの白を頂きました。現地ではこんな値段では飲めないでしょうね。

 大屋根リングのほぼ中央に、人口の森である「静けさの森」があります。中央にある直径20mほどの池を囲むように、万博記念公園をはじめ大阪府内の公園等から、将来間伐予定の樹木など約1,500本を移植したそうです。枯れゆく予定であったいのちを再生し、生態系との共創を象徴する空間だそうです。ここには、入場者もあまりいないので、リラックスできます。

 いのちパークでは、暑熱対策も兼ね、15分に1度、下からミストが吹き出します。子供は大はしゃぎです。コモンズCのペルー館を見学します。ペルーはナスカの地上絵やインカのマチュピチュ等古代文明が有名ですが、展示は前期:シパン王の宝飾展(モチェ文化)と後期:ナスカ文化展(地上絵と土器)となっているようで、当日は前期の展示でした。

 最後のパビリオンは、コモンズAです。ここには、28か国のブースがあります。パラオ共和国のブースでは、2015年、パラオのペリリュー島に慰霊訪問されたて上皇上皇后の写真が展示されていました。イエメン共和国のブースでは、指輪や蜂蜜が売られていましたが、そこでのイエメン商人と関西主婦の掛け合いは、迫力がありました。

 新幹線は、19時頃の出発ですが、16時頃会場を後にします。この時間帯は、17時からの夜間券で入場する人と、帰る人が同じくらいに感じます。二日間立ちっぱなしであったことから、疲労感、半端ありません。

 新幹線を待つ間、新大阪駅1階の「味の小路」にある「天之介」で夕食を頂きます。串カツとおでんを頂きました。ソースは二度付け禁止といわれましたが、ソースの容器を使い回すのは、なんとなく気になります。新幹線での、コーヒーとデザートで、今回の旅行は終了です。

カテゴリー
国内旅行

大内宿、裏磐梯五色沼、鶴ヶ城

<一日目>

 季候も良いので、今回は、クラブツーリズムのバスツアーで、会津に行ってみます。東北道で南会津の大内宿を目指しますが、その前に昼食休憩を那須高原SAで取ります。ここでは、喜多方ラーメン、郡山ブラックとならんで福島のご当地ラーメンである白河ラーメンを頂きました。手打ち風の縮れ麺に、豚骨と鶏ガラだしの透き通ったあっさり醬油ベースのスープです。鳴門と海苔がトッピングされ、昔風のラーメンで、懐かしい感じです。

 高速を下りて1時間ほど山道を上ると、大内宿に着きます。ここは、かつては会津と日光を結ぶ会津西街道の宿場で、大いに賑わったようです。通りの両側に茅葺きの建物が50軒ほど整然と並んでいます。急な石段を上って、見晴台から見ると、茅葺屋根が連なり、まるで江戸時代の街並みのようです。

 大内宿をしばらくブラブラしたところで、大内宿名物のお蕎麦を頂くことにします。かつて脇本陣であった石原屋に入ってみます。梅おろしそば(高遠そば)とねぎそば(箸の替わりにネギですくって頂く)、地酒を頼みました。お酒は男山といわれましたが、この地域には男山の酒蔵が二軒あり、どっちだったのか?。ちゃんと確認しておけば良かったと思います。

 大内宿のほぼ中央に、かつての本陣を再建した「大内宿町並み展示館」がありますので見学してみます。館内1階には江戸時代の生活用具が多数展示され、2階には蚕棚がありました。大内宿に、一軒、茅葺屋根を補修している家がありました。「所さんの目がテン」で、現在、茅葺屋根の葺き方が放映されていますが、ここ大内宿の職人さんが、お手伝いしているようです。屋根葺きには大量の茅と手間が必要なので、この町並みを維持するのは一苦労と思います。大内宿の入口に、三澤屋がありますが、この店が、ねぎで食べるスタイルの元祖です。

 今日の宿は、裏磐梯の「星野リゾート磐梯山温泉ホテル」です。食事はビュッフェでしたので、何回か料理を取りに行きました。また、お蕎麦も!お酒は、会津男山酒蔵の「回」です。食事後は、ロビーの日本酒の講義を聴講しました。おちょこで一杯、お酒が出されました。

<二日目>

 朝、ホテル周辺を散策します。まだ早いので、ロビーに人影はありません。昨日、バーカウンターでは、会津の酒の利き酒をやっていました。ホテルの前に出ましたが、普段はここから猪苗代湖が見えるはずですが、今は霧で下界が見えません。ホテルの反対側は、猫魔ヶ岳の南にあたり、広々としたゲレンデ(南エリア、旧アルツ磐梯)となっています。山の反対側は北エリア(旧猫魔スキー場)で、桧原湖を臨むゲレンデがあります。今は山全体が「星野リゾート ネコママウンテン」のビッグゲレンデとなっています。ホテルの方に伺うと、冬はタイからの観光客が、福島空港経由で、大勢来るとのことです。

 ホテルから1時間弱の場所に、五色沼があります。正式名称は五色沼湖沼群といいます。今回は、五色沼で最大で、エメラルドグリーンが美しい毘沙門沼に立ち寄ります。遊歩道が整備されていますので、1.5時間ほどで10ヶ所くらいの湖面の色や表情の異なる沼を巡ることができるようです。この場所から見る磐梯山は、山がV時となっていて、かつて山体崩壊した、と言うことが良く分かります。

 昼食は、会津若松市に行き、鶴ヶ城に隣接している「鶴ヶ城会館」で頂きます。会場は、かなりの大きさです(500人収容)。今日の昼食はわっぱ飯と鶏ももときのこ鍋でした。会場で提供していたお酒は、地元ブランドの「鶴ヶ城」ですが、福島県内限定販売だそうです。

 昼食後、さっそく城に向かいます。北出丸を抜け、本丸に通じる大手門(藩主の登城や非常事態などの際に叩かれる大太鼓が置かれていたことから、太鼓門といわれる)を通ると、正面に高い石垣の上に鶴ヶ城天守が現れます。現在の城は1965年に再建されていますが、かつての城は、戊辰戦争での激し攻防戦を耐え抜いています。本丸の石垣には、敵が来襲した際、石垣の上に素早く駆け上がるための武者走りがあります。さっそく天守に入り見学しますが、この城やその周辺は中高生で一杯です。周辺の県から大勢来ているようです。

 内部は、唯一の遺構である塩蔵の展示から始り、一層~四層まで会津の歴史が紹介されています。五層が展望施設となっており、会津の城下が一望出来ます。城の北東には磐梯山、その手前には,白虎隊が自刃した飯盛山がすぐ近くに見えます。

 天守からは南側に走長屋が出ており、本丸南側の石垣まで続いています。その途中には表門(鉄門、くろがねもん)がありますが、これは天守に通じる正面玄関です。 木製の扉と柱が鉄で覆われていることから「鉄門」と呼ばれています。本丸には、千利休の子・少庵が会津にかくまわれた際に建てられたと伝えられる茶室麟閣があります。そこでは、茶室を眺めながら、抹茶のセットを頂きました。お菓子は、藷蕷(しょよ)饅頭(山芋と米粉を使った饅頭)でした。

 茶室麟閣の裏手の石垣には、土井晩翠が鶴ヶ城と仙台城(青葉城)をイメージして作詞したことを記念した、荒城の月碑があります。そこから石垣沿いに進むと、廊下箸がありますが。この橋で本丸と二の丸がつながっています。築城当時はこちら側が追手口だったそうです。最後は、萱野国老殉節碑の前で、萱野権兵衛を偲びます。戊辰戦争の責任を取るため、会津藩の責任を負う形で、彼だけが、江戸で自刃しています。集合時間になりましたので、バスに戻り、今回の旅行を終了します。

カテゴリー
国内旅行

柳川、大刀洗、日田

<三日目>

 昨日は、柳川の街を散策していなかったので、食事前に少し歩いてみます。あいにく雨が降っています。まずは柳川城本丸に向かいます。かつての城跡は、本丸が柳城中学校、二の丸が柳川高等学校のキャンパスとなっており、石垣や堀が残っているのみです。元の城の中堀沿いに、遊歩道が整備されていますので、歩きながらホテルに戻ります。途中には船頭さんの訓練所の看板がありました。船頭さんを募集している会社のホームページを見ると、水に対する恐怖心が無ければ、3ヶ月の研修で、必ず漕げるようになり、唄も学べるそうです。

 朝食事後、幸いなことに、雨はあがりました。今日は、柳川城の北東(鬼門)に鎮座する三柱(みはしら)神社からスタートします。三柱神社は、初代柳川藩主 立花宗茂、岳父 戸次道雪(べっきどうせつ)、宗茂の妻 誾千代(ぎんちよ)の三神を祀っていることから三柱神社と称されています。宗茂は、関ヶ原の戦いで西軍に付いたため、一度は柳川を去ることとなりましたが、その後に功績が認められ再び柳川藩主に返り咲きました。西軍で元いた領地に戻ることができた大名は、宗茂ただ一人だったことから、「復活の神様」として、崇敬されています。一方、妻の誾千代も、父から城主を譲られ、武装し軍を指揮するなど、様々な伝説が残る「戦う女城主」として知られており、柳川では、「立花宗茂と誾千代」の大河ドラマ実現の招致活動が行われています。

 今日はこの後、アド街で3月に放映されていたことも有り、日田に向かいます。途中、今村天主堂と大刀洗平和記念館を見学します。今村天主堂は、1913年に竣工した教会で、現在、国の重要文化財に指定されています。普通の日本の住宅地のまん中に、2つの塔を持つロマネスク様式の赤レンガ作りの建物が、どーんと聳えている光景は、建設に献身的に労働奉仕をした多くの熱意が感じられます。残念ながら、建物は現在耐震工事中で、中を見学することはできません。

 そこから来るまで10分程の場所に、大刀洗平和記念館が有ります。この一帯は、かつて「東洋一」と謳われた大刀洗飛行場を中心とした、日本陸軍の西日本最大の航空拠点でした。大戦末期には、この飛行場は、知覧などに向かう特攻隊の中継基地となっていました。そうした経緯から、館内には、航空特攻で戦死した約4,000名の名簿が展示されています。航空機の展示としては、いずれも世界で唯一現存している零式艦上戦闘機三二型と九七式戦闘機、また、ゴジラ-1.0の撮影のために製作された震電の実物大模型があります。

 大刀洗から日田(ひた)に向かいます。昼時になりましたので、ここでは名物の日田焼きそばを、「三久」で頂きます。こだわりの自家製麺を使用し、炒めるというよりは焼くと行った調理法なので、通常の焼きそばに、ベビースターラーメンが入っている感じで、モチッとした食感とパリッとした食感の両方があります。ソースも自家調合だそうです。

 日田は、「進撃の巨人」の作者である諫山 創の故郷です。「進撃の巨人」の、周囲を壁に囲まれるという閉塞した設定は、作者が「壁のような山に囲まれた」と表現する出身地からの着想だそうですが、そのエリアは、更に先に行く必要があります。サッポロビール九州日田工場の敷地内に、進撃の巨人 in HITAミュージアム ANNEXがありますので、替わりにそこに行きます。館内には、作者がセレクトした、コメント付きのシーンが展示されています。

 今日の最後は、日田の豆田町の散策です。無料駐車場は、月隈公園に有りますが、そこは、慶長年間に小川壱岐守が永山城を築城し、徳川の時代からは幕府直轄地となり、日田代官の居城となったところです。今は、その城跡は石垣と堀の一部が残るだけになっています。花月川に架かる御幸橋を渡ると、豆田町に入ります。御幸通りをしばらく進み、左折、左折で上町通りに入ります。「歴史薫る小京都」といわれていますが、街自体はそれほど大きくありませんので、30分位で一周できます。最後に、上町通りの端に、清酒薫長醸造元・薫長酒蔵史料館がありましたので入り、日田の記念に「薫長ミニボトルセット」を購入しました。この街は、大宰府と異なり、韓国語を話す人が7割くらいで、中国語はあまり聞こえてきません。湯布院も同じ状況でしたので、韓国語を話す人は、福岡からここを経由して湯布院に向かうのでしょうか?これで今回の福岡の旅行は終了し、福岡空港に戻ります。

カテゴリー
国内旅行

福岡城、久留米、柳川

<二日目>

 今日も天気は良さそうです。初めは福岡城に行きます。この城は、黒田長政が関ヶ原の戦いの戦功により、筑前国ほぼ一国(52万石余)を与えられ、福岡藩の初代藩主になり、それに伴い豊前国中津(大分県中津)から移ったことにより造られました。城名は、黒田氏の故地である備前国邑久郡福岡(岡山県)に由来します。海側からは、鶴が羽ばたく姿に似ているため「舞鶴城」とも呼ばれており、この一帯は現在、舞鶴公園となっています。建物はあまり残っていませんが、石垣や縄張りがほぼ当時のままの姿だそうです。地元からは天守の建設要望が有るそうで、ここで行われる「さくらまつり」では仮設の天守が造られます。行った日は、その解体工事がされており、残念ながら、天守台に上ることが出来ませんでした。

 舞鶴公園内の元平和台球場の跡地に、鴻臚館跡展示館がありますので見学します。鴻臚館は飛鳥・奈良・平安の約400年間、中国大陸や朝鮮半島からの使節団の迎賓館や、日本の遣唐使や遣新羅使の宿泊所として使用されました。この遺構の発見は1987年と最近です。ここからまっすぐに昨日訪れた大宰府まで道が続いていたようです。

 今日の宿泊先は柳川ですが、途中の久留米で、久留米城と水天宮に立ち寄ります。初めは、久留米城ですが、これは、江戸時代の250年間この地を治めた有馬氏の居城です。城は、筑後川が宝満川と合流する左岸の丘の上に築かれています。明治になり、城は解体され、現在は本丸に、有馬記念館と篠山神社が建てられています。二の丸・三ノ丸はブリヂストン久留米工場の敷地となっています。

 次は水天宮です。安徳天皇の母である高倉平中宮(建礼門院)に使えていた女官伊勢が、壇ノ浦の戦いの後、筑後川の川辺りに遁れ、1190年、初めて水天宮を祀ったのが、水天宮の由来です。従って、水天宮の御祭神は、安徳天皇、高倉平中宮(安徳天皇の母、二位の尼 平時子(建礼門院の母、平清盛の正妻)と天御中主之神(あめのみなかぬしのかみ、最初の神)です。東京の水天宮は、有馬藩邸の御分霊が、現在の中央区日本橋に御遷座したもので、全国各地に鎮座する水天宮はすべてここの御分霊社です。

 柳川市の北東、中山熊野神社で、「中山大藤まつり」が開催されていますので、立ち寄ります。一面の藤棚できれいだったのですが、4月17日段階ではまだ1分?咲きです。柳川市のホームページの写真を見ると、22日の満開時は見たことも無い程美しい光景で、非常に残念です。それにしても藤の花の蔓は一週間程で一気に伸びるんですね。藤を見た後は、柳川市内に入るの手前にある「からたち」に入り、当店一押しという店内の広告を見て、担々風旨辛うどんを注文しました。確かに辛旨でした。

 宿に車を置き、早速、徒歩での市内観光です。ホテル近くの「柳川藩主立花家邸 
御花」に行きます。ここは、五代藩主 立花貞俶(さだよし)が、二の丸から建物を移築し、側室や子息たちを住まわせた場所です。季節の花々で彩られるようになったことから、「御花畠(ばたけ)」の愛称でよばれたようです。現在も立花家が「御花」として受け継ぎ、資料館を維持しながら、ここでホテル、宴会場を運営しています。大広間からは松濤園が隅々見渡せ、気候も丁度良かったので、いつまでも眺めていたい気分でした。居間のひな壇の回りには色とりどりの「さげもん」が飾られていますが、これは、柳川の習わしだそうです。

 次は北原白秋生家・記念館を見学します。ここは白秋生誕百年を記念して、酒造業を営む白秋の分家の土地に建設されているそうです。白秋は酒造業を営む裕福な家に生まれていますが、大火で酒蔵が全焼し、家は傾きます。焼け残った母屋を復元したものが、現在、生家として公開されています。記念館では、白秋の人生とともに、柳川の歴史が紹介されています。

 柳川で真っ先に思い浮かぶ風景は、かつての柳川城の掘割を、どんこ舟(どんことはハゼの仲間、観光用に使われる以前にはどんこ舟で魚をとっていた)で巡っていく風景です。掘割は市全域には総延長およそ930㎞!有るそうです。本日宿泊するホテルの裏側から川下りの舟が出ますので、早速船着き場まで行き、乗船します。波がありませんので、舟は揺れずに進みます。低い橋を横切るときは、客は体を舟の底で横にする必要があります。そのとき船頭さんは、舟から上の橋に飛び乗り、横切った後、舟に飛び降りてきます。観光船の運営会社は7社有りますので、舟は前後に見え、船頭さんの歌声も聞こえてきます。今回乗った伯舟観光の船頭さんも、地元の民謡など3曲歌って頂けました。船頭さんは自己紹介していましたが、ホールでも歌う現役のオペラ歌手だそうです。

 夕食は、地場の材料を使った特別会席です。柳川は鰻が名物なので、前菜で鰻の骨煎餅がどーんと出ます。献立を見て知らなかった食材は、前菜のクチゾコ(有明海で獲れるシタビラメの仲間)のしょんしょん(味もろみ)焼き、お造りのせいまき(有明海産のクルマエビ)、酢の物のミロッゲ(有明海産の赤貝)です。スマホで確認しながら頂きました。最後は鰻の相盛り重、デザートのプリンとスイカで終了です。