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東尋坊、丸岡城、山中温泉

<三日目>

 今日は、東尋坊を見て、丸岡城、山中温泉経由で小松空港に向かいます。あわら温泉周辺は田園地帯ですが、この美松の前も田んぼです。あわら温泉の中心地で、天皇も宿泊されことのある由緒ある旧角惣の広大な跡地を開発しています。隣地の方に伺うと、星野リゾートが建つようです。最後は、あわら温泉の発祥の地を訪れます。銘文を読むと、1883年に日照り対策で掘った井戸から湯が吹き出たことが始まりとのことです。

 あわら温泉から雄島は車で15分くらいです。島までは、224mの朱塗りの大橋が架かり、歩いて渡ることができます。雄島の周囲は断崖絶壁なので、橋を渡って大湊神社の大きな鳥居をくぐり、78段の石段をのぼります。のぼりきったところが、雄島周遊のスタートです。1周は30分位です。

 時計回りにしばらく歩くと、大湊神社の拝殿が有ります。この神社は海上守護の神様と仰がれ、近くの港へ寄る船舶は必ず参拝するそうです。源義経も奥州へ下降する際、武運と海上の安全を祈願しています。拝殿正面の崖の上に海に向かって鳥居があります。ここからが参道なのでしょうか。しばらく行くと、瓜割の水の看板があります。岩礁に湧く真水小さな泉だそうです。看板の指示の通り進み、周囲の岩礁を探しますがなかなか見つかりません。15分位悪戦苦闘してようやく発見しました。ここのそばに小型の雄島灯台があります。雄島を半周した辺りから、道から樹木が無くなり、海がよく見えます。遊覧船は、東尋坊の遊覧船はこの辺りで引き返すようです。

 東尋坊につき、まず高さ50mの東尋坊タワーにのぼります。360度眼下に景色が見えます。但し、残念ながら東尋坊の崖はここからは見えません。東尋坊に行く途中、東尋坊商店街の外れの「IWABA CAFE」で一休みします。開店一番乗りということも有り、海がよく見え、東尋坊の碑の前の席に座ることが出来ました。

 100m位続く東尋坊商店街を抜けた先に、東尋坊の崖があります。一帯はマグマが冷えて固まった柱状摂理の岩石が、海食で、険しい、垂直の岩壁となっています。これほどの規模を持つものは世界的にも珍しく、地質上極めて貴重とされ、国の天然記念物および名勝に指定されています。20m超の崖を上からのぞくと、吸い込まれそうな高さで、そのため、東尋坊は自殺の名所としても有名です。遊覧船が壁の前にエンジンを止めて停泊していますが、荒波でかなり揺れています。船に弱い人は、地獄では?

 丸岡城に行く途中、坂井市の市街に入ります。三国駅の近くに坂井市龍翔博物館が有りますので見学していきます。1879年に建築された小学校の外観を復元した博物館です。4階の展望バルコニーからは、九頭竜川の河口や上流側が一望出来ます。展示は、坂井市の地理、歴史、産業、文化人等ですが、越前織りとして細い糸で作る「織ネーム」や「美術織物」の緻密さには驚嘆しました。

 昼食は、線路を隔てて反対側に有るそば処 盛安で、温かいごぼう天そばと、きのこそばを頂きました。後から知りましたが、この店は創業100年の老舗で、2021北陸ミシュランプレートに選ばれています。

 昼食後。現存12天守のひとつ、丸岡城に向かいます。この城は、柴田勝家の甥の柴田勝豊が築きました。屋根は二重ですが、内部は三階となっています。こぢんまりとした天守なので、階段は日本一急(65度)といわれ、登山の鎖場のような感覚で、ロープをつたってのぼる必要があります。

 丸岡城の近くには、一筆啓上 日本一短い手紙の館があります。「お仙泣かすな」は、丸岡藩初代藩主の本多成重(幼名お仙)の父・本多作左衛門重次が妻に宛てた手紙で、これに因んで坂井市では、1993年から「一筆啓上賞」として、日本一短い手紙(1~40文字まで)のコンクールを行っています。入賞作品は館に展示されています。

 国道364号で山中温泉を目指します。雪が心配でしたが、道の両側だけに残っています。こおろぎ橋駐車場に車を止め、山中温泉ゆげ街道を散策します。途中には、奥の細道で芭蕉が敦賀に行く前に逗留した、泉屋の址があります。ゆげ街道の突き当たり、菊の湯(女湯)の前に、足湯と飲み湯が有りましたので、温泉を飲み、足湯につかりました。

 大聖寺川沿いの鶴仙渓に行くため、お薬師通りを進み、あやとりはしに向かいます。あやとりはしはその名前のように、くねっています。橋を渡って、川沿いの遊歩道に下りてみます。既に遊歩道には雪は無く、散策できます。川は雪解け水で、かなり水量があります。こおろぎ橋まで歩き、駐車場に戻ります。

 国道364号の山道を抜けると加賀市の市街に入ります。九谷焼美術館に行ってみたところ、なんと、臨時休業!代わりに、「久谷満月」に立ち寄り、九谷焼を品定めしてみます。時間も無かったので、鑑賞のみ。回転寿し処太平で、お寿司と創業260年という加賀市橋本酒造の大日盛りを頂き、今回の旅行を終えました。

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越前海岸、あわら温泉

<二日目>

 今日は越前海岸沿いに北上し、あわら温泉に向かいます。ホテルの部屋からは敦賀駅の構内がよく見えます。朝食前にホテル周辺を歩いてみます。駅前のアーケード商店街から氣比神宮にかけて、松本零士の銀河鉄道777と宇宙戦艦ヤマトのキャラクター像28体が設置されています。スタート地点で銘文を読むと、かつて敦賀~パリ間に欧亜国際連絡列車があったことに因んでだそうです。像は、50mおきくらいにありますので、順に物語を辿ることが出来ます。

 越前海岸、国道305号を車で30分程進むと、河野地区に、かつて盛んで有った北前船の二つの家の船主屋敷を保存・公開している通りが有ります。最初は、右近家の屋敷を見学します。主屋には、かつて所有していた北前船の幟が高い天井に掲げられています。右近家は、増毛や小樽の鰊漁場を経営した他、小樽での倉庫業、炭鉱や農場経営もしていたようです。海運業はリスクも大きいことから、現在の損保ジャパンの前身の日本火災海上保険の設立に貢献し、当主は歴代の社長も務めています。裏の高台には、1935年に建てた西洋館があり、眼下に街道と日本海が一望出来ます。

 次は、中村家の屋敷を見学します。右近家同様こちらも主屋の天井は高いです。右近家同様に北前船の船主ですが、庄屋であったことから藩とのつながりが強く、藩主等視察の際は、ここに立ち寄るそうです。その縁もあって、本座敷には、福井藩主松平春嶽の「冬青(モチノキ)舎」の扁額が有ります。そのモチノキは今でも庭に高く茂っています。

 「越前ガニは、福井県で水揚げされたオスのズワイガニで、漁期は11月6日~3月20日。他方、水ガニは、越前ガニが脱皮したばかりの若ガニで、手で割ることが出来るほどに殻は柔らかく、身出しがしやすい、身はみずみずしくジューシー、但し、漁期は2月19日~3月20日と短い。地産地消型の食材で、県外に出回る事はほぼ無い」と聞いていたので、水ガニを一度は食したいと思っていました。今日は3月13日でギリギリです。途中、まるさんビーチマートに立ち寄ると、越前ガニに並んで水ガニが有りましたが、生です。残念。次に、道の駅越前、うおいちに行ってみると、なんと茹でた水ガニがありました。早速買って外で頂くことに。確かに殻は薄く固くは有りませんが、水ガニだけあって、若干水っぽい感触。試食できて良かったです。

 昼食は道の駅越前のかねいちで海鮮丼を頂くことに。こちらは、越前ガニと地元の漁港で獲れた魚が乗っています。

 道の駅には、隣接して、越前ガニミュージアムがあります。越前ガニの生態や漁の様子、越前ガニ(揚げた漁港を示す黄色のタグが付いています)や越前沖の魚類の水槽などが多数展示されています。魚船の操作シミュレーターや轆轤(ろくろ、回して漁船を浜に引き上げる道具)体験のコーナーも有ります。

 国道を10分程進み、玉川温泉地区に入ると、玉川洞窟観音が有りますので、参拝します。言い伝えでは、玉川の漁師が、漁であげた観音様を捨てたものの、再度網にかかったことから、洞窟に祀ったとあります。元々はその名の通り、天然の洞窟内に鎮座していましたが、1989年に付近の道路が崩落し15人亡くなる事故があり、その一帯立入り禁止となっため、1994年に現在の場所、コンクリート製の人工トンネル内に祀られています。

 しばらく行くと越前岬に到着します。国道を右に折れ、展望台から日本海を眺望したいと思います。途中の丘の斜面は、越前町営の越前岬水仙ランドで、満開時は1500万本の水仙が咲くそうです。盛りは過ぎていますが、まだ若干残っています。ここの灯台にあかりが灯る夕景は「日本の夕陽百選」に選定されています。

 この一帯は山の急斜面が直接日本海に臨む地形で、海食崖が連なり、海蝕洞や奇岩奇石が点在する越前海岸の代表的な景勝地です。それぞれ色々な名前が付けれれており、一つ一つ見ていくと時間がいくら有っても足りません。 

 今日の宿泊先は、美松です。あわら温泉の西のはずれ、駅からは1㎞ほどの位置にあります。近くに喫茶店は無いので、宿泊先のロビーで、美しい庭を見ながら抹茶セットを頂き、一休みしました。玄関には藤井聡太竜王の等身大の看板があります。昨年10月に、この宿で、佐々木勇気八段との竜王戦七番勝負第2局が行われた記念です。ここでは負けましたが、4勝2敗で防衛しています。

 休息した後、街を散策します。ここは大概の人がイメージする温泉街とは異なり、源泉が74本もあり個々に源泉を持っているためか、田園に囲まれた広々としたエリアに、大きなホテル、旅館が点在して建っている感じです。これは1956年の大火で旅館が26軒のうち19軒が焼失した後、碁盤目に区画整理したためです。いまの時間、中心地の湯~わくDoriも、オフシーズンのためか?まだ時間が早いせいか?湯治客はまばらでした。

 ここの旅館は、夜はアルコール類が飲み放題!です。夕食前にここのラウンジでスパークリングワインをガンガン飲んだせいで、夕食の時は、アルコールを飲む気力は弱まりました。但し、地酒が4種類有りましたので、飲み比べはしました。私には、左端の越前岬雪舟(田辺酒造)が合いました。食後もロビーでは酒類が提供されていましたが、疲れましたので部屋に戻ります。

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武生、敦賀

<一日目>

 今回は、昨年の5月に続き、福井を訪問します。小松空港から出発し、最初は、NHKの「光る君へ」で紫式部が使っていた、武生の越前和紙の里に向かいます。初めに、そこの紙祖神である岡太(おかもと)神社を目指します。後ほど気がついたのですが、ここは岡太(おかふと)神社で、全くの別物。紛らわしいですね。しかし、この地は栗田部地区といい、26代継体天皇が潜龍(即位までの長期間在郷)した歴史有る地区で、この神社は、治水事業の安全を祈願し、476年に創建した由緒有る神社です。そのせいもあってか、建物の細工も手が込んでいます。但し、残念ながら、雪囲いで全容は見えません。本殿は高台に有り、一帯の街並みが、よく見えます。

 街の中心部にある「紙の文化博物館」に立ち寄ります。ここでは、越前和紙発祥の伝説や歴史が解説されるとともに、美しい手の込んだ和紙の見本が数多く展示されています(展示は残念ながら撮影禁止)。

 博物館の前から「和紙の里通り」が始りますが、紙すきの実演を見るため、「卯立の工芸館」に入ってみます。ここは、全国で唯一、工程を一つの工房で再現しているそうです。但し、原料の楮(こうぞ)、三椏(みつまた)は、茨城県等から調達しています。工程は、原料の乾燥した木の皮を釜で煮る→漂白しちり等を取った後、棒で1本の繊維まで打解(重い木の棒で長時間叩きます!)→繊維の入ったすき槽に、トロロアオイの根からとった粘液を入れ、すく→均一に力を加え脱水→乾燥、です。担当の方から、実演も混ぜながら、詳細に説明頂きました。

 次は、五箇地区に紙すきの業を伝えた「川上御前」を祀る岡太(おかもと)神社・大瀧神社に向かいます。日本の紙幣は、国立印刷局王子工場から始まり、越前の紙すき職人と用紙開発を進め、世界一の透かし技術を確立したとのこと。そこにはかつて岡太神社の分社もあったそうです。神社の社屋は、拝殿と本殿が一体化し、屋根は独特で、日本一複雑な形状(地元のパンフレットでは)をしています。

 昼食は、地元の武生製麺が、そばの栽培、製粉、つゆ造りまで、全てを一貫して行っている「越前そばの里」で頂くこととします。人気№2のたけふセットにしました。ちなみに№1は、福井セットで、おろしそばの代わりに、ソースカツ丼です。ここは、観光客だけでなく、地元の人も大勢来ています。

 越前には、南北朝の時代、刀匠千代鶴国安が、作刀のかたわら鎌を作ったことに始る「越前打刃物」があります。食事の後、越前打刃物の共同工房である「タケフナイフビレッジ」に立ち寄ります。次は、敦賀に向かいます。

 敦賀港を囲むように金ケ崎緑地が整備され、その周囲に歴史有る建物が並んでいます。ところが、一帯は全て定休日が水曜日。残念ながら、どこにも入れませんでした。調査不足ですね。敦賀赤レンガ倉庫では、翌日から9月2日まで「かいじゅうステップSDGs大作戦 in敦賀赤レンガ倉庫」が開催されるようで、PR動画を作成していました。

 気を取り直し、神社仏閣を巡ります。最初は近くの金崎宮(かねがさきぐう)です。ここは南北朝の戦いで金ケ崎城に籠城し、非業の死をとげた、後醍醐天皇の2人の皇子、尊良親王、恒良親王を祀る神社です。尊良親王が永年思いを寄せた姫とめでたく結ばれたことから、恋の宮として有名です。また、「金ケ崎の退き口」の際、お市の方が、両端をひもで結んだ小豆袋を兄の織田信長に届けたことで、窮地を脱したという逸話に因み、「難関突破守」も置かれています。

 次は、越前国一宮の氣比(けひ)神社です。ここは、古事記や日本書紀にも記述が有り、主祭神の氣比の大神は、2000年以上前に、ここに降臨したと言われています。境内の建物は空襲で焼失したそうですが、火災を免れた朱色の大鳥居は、日本三大木造大鳥居(他は、春日大社と厳島神社)と言われています。境内には、702年に社殿建立の際に湧き出したという神水(名称は長命水、飲んでみました)や、南北朝争乱の1336年に宮司氣比氏治が南朝後醍醐天皇を奉じ氣比大明神の神旗を掲げたと云う旗掲の松(落雷で焼け、旧松根として残る)があります。またこの神社は、奥の細道の最後の方で松尾芭蕉が訪れています。

 宿泊先であるマンテンホテルに行く前に、日本三大松原(他は、美保の松原と虹の松原)である氣比の松原に立ち寄ります。ホテルは駅の直ぐ近くにあります。新幹線が開通したことも有り、駅舎は真新しいです。

 夕食はホテルの方の勧めも有り、まるさん屋に入ります。このお店は、下が魚介系の土産物屋で、2階が昼から夜までずうっと開いていて、寿司から鍋から定食から何でもある居酒屋です。地の物、季節の物を、色々頼んでみました。地元の人も訪れるおいしい店でした。これで1日目は終了です。

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尾道、三原

<三日目>

 宿泊先のホテルから岸壁までは100m位です。目の前の尾道海道は非常に狭く、ここから対岸の向島(むかいしま)までは300m位です。

 尾道といえば坂の街、早速、大宝山(通称・千光寺山)の頂上を目指すべく、ロープウェイ山麓駅に向かいます。1階が切符売り場で、3階が乗り場です。乗り場へは、左にある階段か右にあるエレベーターで行きますが、とりあえず今回はエレベーターで。乗っている時間は3分ですので、あっという間に山頂駅に到着です。

 頂上の千光寺公園には、2022年に出来た千光寺頂上展望台PEAKが有りますので早速上り、尾道のパノラマを堪能します。今日は快晴で、左には瀬戸内しまなみ海道の尾道大橋が、正面には向島の造船所が、右には瀬戸内海の島々がよく見えます。

 絶景を見た後、文学のこみち(千光寺公園の山頂から千光寺までつづく散歩道)を下っていきます。途中には、尾道ゆかりの作家・詩人の名作が刻まれた文学碑が所々にあります。こみちとはいうものの、巨岩、奇岩がごろごろの道で、この山の成り立ちは何だったんだろうか、とか、岩は下に落ちて行かないのかな云々と考えさせられます。

 文学のこみちを下った先の、標高140m地点に、806年に弘法大師が開基した千光寺があります。ここの境内からも尾道市街や尾道水道、向島等が一望できますが、ここから取られた朱色の本堂の写真が観光案内などに使用されています。本堂は山の斜面にありますので、突き出た舞台造りで、朱色なので別名「赤堂」とも呼ばれています。この辺りにも大きな石がごろごろあります。

 千光寺からの道を下りる途中、尾道ゲストハウス 「みはらし亭」で一休みと思いましたが、時間が早く、残念ながらまだ開店していません。その辺りから下を見ると、これも尾道紹介の写真には必ずある天寧寺海雲塔がよく見えます。この塔は、1367年に足利義詮が建立し、国の重要文化財となっていますが、現在は三重塔ですが、建築当時は五重塔であったようです。長い坂道の途中、猫が居ましたが、尾道の猫は絵になりますね。

 ロープウェイの山麓駅に接してある、艮(うしとら)神社に参拝します。この神社は平安時代初期の806年創建で、尾道で最初にできた神社とされています。拝殿の手前にある楠は樹齢900年と推定されており、「艮神社のクスノキ群」として広島県指定の天然記念物となっています。また、ここは、大林監督の映画「時をかける少女」のロケ現場で、原田知世演じる主人公の芳山和子が時空を超えて降り立った場所です。それらしい雰囲気はあります。

 昼時となりましたので、やはり尾道ラーメンを頂くことにします。観光協会の店マップを見て、近くにある「丸ぼし」に入りました。店の名前にもあるように、醤油味ベースに、いりこだしがきいています。

 千光寺山からよく見えた尾道市役所に行ってみます。市役所の5階屋上は展望デッキとして開放されており、尾道海道や反対側の千光寺山方向が一望出来ます。当日は風も無く穏やかな日でしたので、しばらく、バルコニーでのんびりします。次はお隣の三原市の三原城に向かいます。

 三原城は、小早川隆景が築いた城で、満潮時に瀬戸内海から見ると、海の上に浮かんで見えることから、かつては「浮城」と呼ばれたそうです。残念ながら、1894年、山陽鉄道三原駅建設の際に、城地は駅用地となり、山陽新幹線開業と三原駅高架化により、高架が本丸および天主台跡を貫いてしまっています。そのため、天守台跡へは駅のコンコースから階段を上っていきますが、立派な堀と石垣以外は残っていません。

 三原市内を歩いてみます。三原沖は岩場が多く、タコの絶好の棲みかとなっているそうで、三原のタコは「三原やっさタコ」というブランドになっています。それに因んでか、道路脇にはタコのモニュメントがあちこちに有ります。市は「浮城三原城」と打ち出していますが、遺構が、街の外れの船入櫓跡位しか残っていないのが残念です。

 空港に向かう途中、紅葉で有名な臨済宗の佛通寺に参拝します。紅葉シーズンの11月は交通規制がされたり無料のシャトルバスが出たりで大賑わいのようですが、今は逆に訪れる人は誰も無く、静寂に包まれています。境内は枯山水で、落ち葉一つ無く掃き清められていますが、お坊さんの影も声もありません。逆に不気味です。

 最後は、小早川隆景の居城であった新高山(にいたかやま)城跡に行ってみます。この城は沼田川を望み、標高約200mの船木山に建つ峻厳な山城です。駐車増から案内が有りますので、行けるところまで行ってみることにします。全くの登山道で、本丸跡まではかなりの覚悟が必要です。急な坂道になったところで、ギブアップ。町の案内パンフレットを見ると、城跡からは、付近一帯を初め、瀬戸内海も望めるようです。この城は、小早川隆景が先ほど行った三原城に移ったため、1596年に廃城になっています。いつかは城の縄張りを見ようと思いながら、広島空港に向かいます。

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広島、呉

<二日目>

 市内の見学は、ホテル周辺を徒歩で巡ることにします。本通りアーケードを進むと元安川に突き当たり、相生橋方向に川沿いを歩きます。橋は架け替えられていますが、原爆は、この橋を目標に投下されたといわれています。途中には、勤労学徒慰霊塔、鈴木三重吉文学碑などがあります。爆心近くの橋のたもとにある原爆ドーム周辺では、大勢の外国人が記念写真を撮っていましたが、彼らの心境はどんな物かなと考えました。

 橋を渡って平和記念公園に入ります。入口そばには、平和の時計塔がありますが、原爆投下の8時15分に、毎日チャイムがなるそうです。近くには、平和の鐘が有り、平和を祈念すれば誰でも打てるそうなので、私も鳴らしてみました。更に進むと、原爆の子の像がありますが、よく知られている佐々木禎子さん(当時12歳)の死をきっかけに建てられています。国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼそうです。道の反対側には、丹下健三が設計した、平和の灯、原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館が、原爆ドームとの直線上に並んで見えます。

 北に向かい、広島城を目指します。途中には、昨年2月に開業したばかりの白亜のサッカースタジアム、エディオンピースウイング広島がそびえています。そこから広島城がよく見えましたので、もう一息、と思いきや、城は立派な掘りで周囲を囲まれ、入口は反対側一ヶ所のみ。結果的に遠回りでした。城の天守閣は原爆で壊滅し、1958年に復元されています。天守の周りには高い建物は無いので、遠くまで見渡せ、原爆ドームも遠くに見ることができます。

 城から東に進み、縮景園を目指します。ここは江戸時代、浅野家の大名庭園でしたが、昭和に入って県に寄贈されています。しかし、原爆の爆心から1㎞ほどの所にあるため壊滅的被害にあいましたが、戦後、徐々に復旧し今の姿になりました。短い時間でしたが、ボランティアの方から、園内を案内して頂きました。この庭園で原爆後も残ったのは一部の木と、跨虹橋のみです。池は汽水域なので、鯉は苦手らしく、真水の湧き出る場所に集まっています。市内観光はこれで終了し、呉に向かいます。

 呉には13時頃到着しましたので、早速、昼食です。ここは、やはり海自カレー、大和ミュージアム近くのBEACONで牡蛎フライカレーを頂きました。「護衛艦さみだれ」の味だそうです。

 昼食後、大和ミュージアムの前で、艦船めぐりの案内をしていましたので、さっそく申し込みます。14時発です。湾内に有るため波は穏やかです。出航すると直ぐに、大和を建造した旧呉海軍工廠造船部(現JMU)の工場群が見えてきます。現在は、デンマークに本拠を置くMAERSK社のコンテナ船(全長 335m、総トン数127,814t)の大型コンテナ船を建造中です。岸壁からは呉港の全体は見えないのですが、思った以上の艦船が停泊しており、多くの護衛艦や潜水艦、その他の補助艦船が間近で見学出来ます。運良く、昼食べたカレーの親元である護衛艦さみだれも見ることが出来ました。航空母艦に換装された、目の前にある護衛艦かがは、ひときわ大きく感じます。

 クルーズの興奮も冷めないまま、大和ミュージアムに入場します。入口から入ると直ぐに大和の1/10の模型が出迎えます。ここの施設は呉市の施設なので、呉市や呉鎮守府、呉の造船業などの歴史がパネルや模型、遺物などで説明されています。くわえて、ゼロ戦、回天、海龍等の実物展示もあります。入場料は500円でとても安価と感じます。

 大和ミュージアムの次は、道を隔てた先にある、てつのくじら館です。海上自衛隊のPR施設なので無料なのですが、呉だけにあって、内容は充実しています。1階は海上自衛隊の歴史、2階は掃海艇の活躍、3階が潜水艦の活躍の構成です。屋外に展示されているのは、潜水艦あきしお(1983~2004年)で、艦内に入って、潜望鏡も覗けますし、操縦席に座り、操縦桿を握ることも出来ます。潜水艦の居住空間は、船長室含め、やはり超コンパクトですね。

 呉からは、宿泊先の尾道国際ホテルまで1時間ほどです。夕食はホテルの方のオススメも有り、尾道駅近くの「たまがんぞう」へ。変わった作りの入口が一階にあり、客席は、2階はカウンター、3、4階が座敷です。3階の窓際の席からは、尾道水道が見えますが、真っ暗、何も見えません。やはり地元のと言うことで、刺身、ガンス天(愛媛のじゃこ天と似ているが、ガンス天はパン粉を付けて魚のすり身を揚げている)、しまなみリーフのソーセージ、タコの唐揚げ、〆には尾道つけ麺。日本酒は、亀齢と神雷を頂きました。気持ちよく、ホテルに帰りました。

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岩国、宮島

<一日目>

 正月明け、瀬戸内は暖かそうなので、今回は広島に行ってみます。ところが、寒気が訪れ、山の上にあるためか、広島空港周辺は薄らと雪。先が思いやられます。高速で1時間ほどで岩国の錦帯橋に着きます。海岸に近いためか、雪は無し。快晴です。しかし残念なことに、錦帯橋は3月中旬まで保全工事とのことで、橋全体がシートと木枠に囲まれています。こう言う姿はあまり写真では見ませんね。但し、渡ることは出来ました。

 岩国城へのロープウェイの前は、岩国を治めた吉川家の居館や家臣の屋敷跡地に造られた𠮷香公園となっており、初代藩主、吉川広家の像を初め、当時の建造物が多く残っています。公園は噴水や芝生、木陰、ベンチが整備され日本の歴史公園100選に選ばれているそうです。

 公園を横切ると、ロープウェイ駅があり、数分で頂上に到着します。天守へは、平坦な道と、険しい道がありますので、とりあえずは平坦な道を進みます。10分程で天守に到着します。現在の天守は、1962年に復元された物ですが、麓から見えるように本来の場所より50m南になっているようです。そのおかげで、天守からの眺望は抜群です。下には錦帯橋、遠くには瀬戸内海の島々が、パノラマのように一望出来ます。

 帰りは、険しい道を降りますが、実際はあまり険しくはないです。大回りしないので、逆に近道です。ロープウェイ駅の前にある、からくり時計は、1時間毎に3回奏でるようです。ここからも下界一面が眺望できます。城の下を流れる錦川の河口に2012年に開港した岩国錦帯橋空港がありますが、これは米軍岩国基地の滑走路を利用した軍民共用の空港です。今話題のオスプレイが見えるかと探しましたが、遠くてよく見えませんでした。

 ロープウェイを下り、昼食を頂きに近くの長州屋に入ります。山口県ですので名物の瓦そばと岩国寿司を頂きます。瓦そばは、熱く焼いた瓦の上に乗った茶そばを、甘しょっぱいつけ汁で頂く物ですが、西南戦争の際に熊本城を囲む薩摩軍の兵士たちが、野戦の合間に瓦を使って野草、肉などを焼いて食べたという話に参考に、1961年に山口県の温泉旅館で考案されたとのことです。付け合わせで頂いた岩国寿司は小さく見えますが、強く圧縮されていますので、見た目以上にボリュームがあります。駐車場に帰る途中に、佐々木小次郎の像がありました。吉川英治の「宮本武蔵」のなかでは岩国生まれとなっていますが、実際は不明です。次は宮島に向かいます。

 車は宮島口の駐車場に置き、フェリーで宮島に渡ります。ここのフェリーの構造は前後に自動車の出入り口が付いている(前後が同じ形)ため、旋回せずに接岸できます。10分程で宮島に着きますが、行きの船は観光客向けに大鳥居のそばまで近づいてくれます。今日は1月8日ですが、宮島フェリーターミナルには、まだお正月飾りがされていました。関西流?

 接岸後は厳島神社を目指します。途中には厳島の碑と宮島の碑が並んであります。それぞれの名称の違いが気になりますが、正式な地理上の名前(地図)は「厳島」、PR等に使う場合は通称としての「宮島」を使うとのことです。表参道商店街を抜け、石大鳥居から厳島神社の境内に入ります。

 参道の中程に常夜燈が有り、そこから大鳥居がよく見えます。時刻は14時半頃でほぼ満潮の時刻です。干潮時は、この常夜燈の手前の階段から下りられるようです。受付した後、東回廊から神社内に入ります。ブラタモリで放送していましたが、回廊の床板の隙間が、潮が満ち引きする入り江に建つ社殿を守るための工夫だそうです。観光客が大勢いる火焼前(ひたき:海に向かって突き出た部分。船を誘導するためのかがり火が灯されていたことによる)、高舞台(たかぶたい:海に面した舞台、日本三舞台)を見た後、御本社に参拝し、西回廊を通って外に出ます。

 弥山(みせん)へのロープウェイへは、厳島神社から歩いて15分程とのことなので、行ってみることに。坂道を進み、柳小路、藤の棚公園を過ぎても、まだロープウェイの「ロの字」も見えません。道があってるのかなとも思い始めた頃、あと一息の看板が有りました。それでもまだ、急な階段が100歩以上有りそうです。ようやく、紅葉谷駅に到着しました。観光客で来れる人は居るのかしら?

 山頂へはロープウェイを途中で乗り換え、25分程で到着します。2回目を待っている時間もありますので、正味の乗っている時間は初め10分、次は4分程です。但し下は断崖なので、10分でもかなり長く感じます。後ろを振り返ると、遠くに宮島に向かっているフェリーが見えます。駅から弥山山頂までは徒歩20分程とのことなので、諦め、駅から直ぐの、獅子岩展望台から眺望することにしますが、天気も良く、江田島をはじめ瀬戸内海全体がよく見えます。

 帰りは、下り坂なので楽に下りられます。途中に、ロープウェイ駅行き無料バスの停留所が有りましたが、最初からここに来れば良かったとは思いますが、後の祭りです。厳島神社の境内を通り、表参道商店街に進み、途中の「藤い屋宮島本店」で、紅葉まんじゅうセットで一服し、宮島観光を終了します。

 宮島を後にし、今日の宿の広島ワシントンホテルに向かいます。広島での夕食は、やはりお好み焼きと思い、広島出身の方から紹介してもらった「いっちゃん」に行きます。市内にはみっちゃんが何店舗か有りますが、いっちゃんはそこからの、のれん分けともこと。店主(市居馨氏)が掲載されている本がテーブルの上に置いてありましたので、読んでみると、お店がミシュランガイドに掲載されたり、NHK「プロフェショナル仕事の流儀」に出演したりしている超有名な方のようです。壁にも多くのサインが貼ってあります。しかしながら、来ているお客さんは近所の人やサラリーマンで、そんな大層な店には思えません。お店の人の勧めもあって、牡蛎とチーズのお好み焼きを頂きました。思った以上にあっさりした味でした。

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鞍馬、貴船、三条大橋

<三日目>

 昨日の雨もあがりましたので、予定通り鞍馬に向かいます。もみじのトンネルで有名な叡山電車、市原駅と二ノ瀬駅の間は紅葉も盛りを過ぎているためか、誰も外に関心が無いようです。和風な感じの鞍馬駅前で、立派な鼻の天狗が出迎えてくれます。鞍馬寺の入口である仁王門へは5分程で到着です。

 鞍馬寺仁王門の近くには鞍馬山ケーブルの山門駅がありますが、枕草子で清少納言は「近うて遠きもの鞍馬の九十九折の道」と書いていることもあり、今回はそれに乗らず、九十九折参道を歩いて行くことにしました。山門のそばには、「子供はみんなほとけの子」と書かれた「童形六体地蔵尊」が有ります。参道を上ると、御所に祀られていた由岐大明神を都の北方であるこの地に遷宮してできた由岐神社があります。ここの拝殿は中央に通路がある割拝殿という珍しい形式です。その遷宮の際の儀式に感激した鞍馬の住民が、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え守ってきたのが鞍馬の火祭の起源と言われています。参道を更に上ると、鞍馬山の本尊である尊天(大宇宙生命・宇宙エネルギー・宇宙の真理)を具象化?した「いのち」、天に聳える杉を「玉杉大黒天」と尊崇するための双福苑があります。

 中門辺りで、ようやく参道の2/3です。まだ先は続きます。遠くに朱色の転法輪堂が見えます。重怡上人(じゅういしょうにん)が13年間堂内に籠り、毎日12万遍の弥陀宝号を唱え続け、6万字の弥陀宝号を書いて法輪に納めたのが、転法輪堂の名の由来だそうです。手水舎や転法輪堂の屋根には、雪が積もっています。昨日、京都市内は雨でしたが、こちらは雪だったようです。この先の、貴船までの道が思いやられます。

 鞍馬寺の本殿金堂の本尊は尊天(毘沙門天王・千手観音菩薩・護法魔王尊の三身一体)で、秘仏のため60年に一度、丙寅(ひのえとら)の年(次回は2046年)に開扉されます。また、ここは狛犬ではなく虎です。虎は、本尊毘沙門天のお使いの神獣で、毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることによるそうです。本殿金堂前のパワースポットで有名な金剛床は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模しているとか。金剛床の南側には本殿後方にあった経塚の蓋が、結界の中に置かれています。翔雲台からは、比叡山を望むことができるそうですが、今は雲で遠くは望めません。

 いよいよ険しい山道の「奥の院参道」を進みます。かつて義経が、天狗に兵法を習うために深夜、独り通った道です。少し行くと「屏風坂の地蔵堂」が有りますが、この辺りは、義経が途中で息つぎをした場所とされています。今日、参道は、ぱらつく小雨と、木の上から落ちる雪のしずくで最悪のコンディションです。更に進むと、最澄が刻んだ不動明王が安置されている「不動堂」があります。この辺りは、義経が天狗に兵法を習った場所である「僧正ガ谷」です。夜だと確かに天狗が出そうな雰囲気です。地面が固く、木の根が地下に伸びることが出来なため、地表面でアラベスク模様を描いている「木の根道」を過ぎると、ようやく奥の院である「魔王殿」に到着です。「魔王殿」は、護法魔王尊が降臨した場所して、崇拝さ れてきたとのことです。

 ここからは、貴船に向け、滑らないよう、足下に気を付けながら、一気に坂を下ります。貴船に到着後、一服して、今度は貴船川沿いに、貴船神社の奥宮に向かいます。夏はこの辺り一帯、川床で賑わっているはずですが、今は冬。途中の寒暖計を見ると、丁度摂氏0度です。

 道の脇に鳥居が現れ、そこから奥宮への参道が始ります。最後、神門をくぐると、正面に、奥宮の本殿があります。元々は奥宮が貴船神社創建の地でした。奥宮が洪水で流損したため、1055年に、現在の地に本宮が移されています。奥宮の本殿の真下には「龍穴(りゅうけつ)」と言われる大きな穴が空いていて、その上に社が創建されているそうです。龍穴は神聖なため、誰も見ることが許されません。貴船神社の龍穴は日本三大龍穴(他は奈良県の室生龍穴、岡山県の備前龍穴)だそうです。そう言ういわれもあってか、貴船神社では一番パワースポット感があるようです。

 道を引き返し、最後は、貴船神社の本宮に参拝します。貴船神社は、全国約500社の貴船神社の総本宮です。鳥居から有名な写真スポットの階段を登り境内に入ります。境内に黒馬、白馬の像があり、横の立て札には「貴船神社は、雨乞いの社であり、日照りの時は黒馬、大雨の時は白馬または赤馬を天皇が奉じた。その後生き馬に代え、板の馬を奉じ、ここから絵馬が発祥した」とあります。また、社殿前の石垣から溢れる貴船山の湧き水を、霊泉に浮かべると文字が浮かぶ「水占みくじ」も有名です。今回は占いませんでしたが。

 貴船神社から貴船口駅までは長い下り坂で、徒歩30分くらいですが、これまで歩き続けでしたので、バスに乗ります。5分くらいで貴船口駅に着きます。ここまで来ると、鞍馬山の雪が嘘のように思えます。貴船口から出町柳までの間は、年の瀬で雪模様と言うことも有り、電車内はガラガラでした。

 昼食は、出町柳のフランス料理店epiceで、昼のコースを頂きました。お手軽コースでしたが、魚と肉の両方がでました。何れもおいしかったのですが、特に、オードブルの野菜テリーヌは、非常に手の込んだ料理となっています。店構は古民家を改装した京都らしい町屋で、窓から見える坪庭が雰囲気を出しています。

 最後の見学は二條大橋のそばにある、島津製作所創業記念資料館です。epiceを出て、京阪出町柳駅から、京阪三条駅に行きます。三条大橋はブラタモリの東海道五十七次の番組で東海道の終点として放送していましたので、今回は、番組で出たものの実物を確認をしてみます。まず、橋の東側には、高山彦九郎像があります。幕末の勤王の志士に多くの影響を与えた人物で、昨日見学した皇居を望拝しています。そばには、駅伝発祥の地碑が有りますが、五十七次に因んだためでしょうか。橋を渡って西側で、擬宝珠をチェックすると、やはり、豊臣の文字が有ります。これが出来てから400年は経っているんですね。

 資料館に行く途中、高瀬川沿いを進むと、佐久間象山・大村益次郎遭難の碑と、当時の高瀬舟の復元が有ります。橋のそばの石碑を見ると角倉氏邸址とあり、高瀬川を開鑿した角倉了以は、この辺りに住んでいたようです。

 最後は、高瀬川最北の高瀬川取水口のそばにある、島津製作所創業記念資料館の見学です。この場所は、1875年の創業から45年間本店兼住居として使用されていました。今ある二棟は南棟が1888年、北棟が1894年に増築したもので、登録有形文化財となっています。中は、完全にリノベされており、創業の由来やこれまで製造してきた理化学実験装置等が数多く展示されています。壁に掲げられている家訓は、心に響き頭が下がります。

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京都御所、平安神宮

<二日目>

 当初は鞍馬に行く予定でしたが、駅に行く途中で雨が降り出したので、急遽、明日行く予定だった京都御所に行き先を変更します。平安時代の御所は、ここから西2㎞に有りましたが、焼失後、南北朝時代1331年から500年間ここは御所として使用されています。見学者は乾御門から入り、参観者休憩所で案内開始時刻を待ちます。その間、売店でお土産を購入しました。

 スタートは、宜秋門(ぎしゅうもん)からです。ここから参内した高貴な公家や武家は玄関である御車寄からは入り、諸大夫の間で控えます。こには、襖の絵によって、右から虎の間、鶴の間、桜の間と三つの部屋に分かれていますが、それは身分が高い順です。畳も壁も異なっています。桜の間を使用する人は、御車寄からでは無く、外から直接入ります。隣には新御車寄が有りますが、これは、大正天皇の即位の礼の際、南面からの出入のために新設されたています。 

 京都御所の南には、天皇と国賓のみ使用する、正門である建礼門が有ります。その門から、朱色の承明門を通ると、正面に重要な儀式が行われる紫宸殿が見えます。かつてここで「五箇条の御誓文」が発布されています。紫宸殿の前には、天皇側から見て、右には橘(寒さ対策で小屋の中)、左には桜があります。紫宸殿の中には、天皇の玉座である高御座が置かれています。平成、今上天皇の即位の礼の際は、分解して皇居に運んだそうです。

 紫宸殿の東側にある宜陽殿(ぎようでん)は、御物・宝物を保管しておく納殿ですが、その北側の紫宸殿につながる軒廊で、光る君でおなじみの陣定(じんのさだめ)が行われたそうです。紫宸殿北側の渡り廊下の下を行くと、天皇の日常のおすまいである清涼殿が正面に見えます。その中央、畳を敷いた部分が日常の御座である昼御座(ひるおまし)です。

 清涼殿を出た後は、文学や芸能に関わる儀式などに使用された御学問所(おがくもんじょ)です。孝明天皇が徳川家茂や徳川慶喜と対面する際にも用い、1868年には、岩倉具視を中心とした討幕派が御学問所に参内し、王政復古の大号令を発しました。道を隔てた先にある御常御殿(おつねごてん)は、天皇の日常のお住まいの機能を清涼殿から独立させた御殿で、戦前までは、天皇の京都ご滞在の際には、この御殿が使用されていました。最後は、その隣にある御三間(おみま)です。その名のとおり3つの部屋をもつ御殿で、ここも御常御殿に近い東側を上座として、上段の間、中段の間、下段の間の順に並び、庇の高さが異なっています。帰りは御台所跡を抜けて、出発地点に戻りますが、ここは戦争当時空襲に備えて、建物の間隔を広げるため、台所の施設を取り壊したため空き地となっているとのことです。御所見学の感想ですが、御所周辺も中も、維新以降、いろいろな出来事が起こっていますね。

 一時間程歩きましたので、見学通路そばの、京都御苑中立売(なかだちうり)休憩所で、一休みとします。体験型お茶セット1,400円を頂きました。抹茶の泡立ては、以外と難しいです。

 乾御門を出て、烏丸通りを渡ったところで、カフェレストランUENOYAMAが目にとまりました。昼食には若干早いのですが、混雑も避けたいので、入ることに。きのこパスタのランチセットを頂きましたが、パスタのおいしさに加えサラダも鰹のたたきや彩り野菜が入っていたりで大正解のお店でした。

 光の君の晴明を訪れる前に、最強の御利益があると言われる霊光殿天満宮を参拝します。ここは、2度の蒙古来襲の際、時の後宇多天皇が必勝祈願をし見事退散させたことで有名になり、家康もそれにあやかり、天満宮ですが、ともに合祀されています。道真と家康二人にお墨付きを得た「天下無敵必勝利運」のお守りを頂きました。天満宮なので、ご神体の牛もいます。

 次は晴明に因んだ、堀川に架けられている一条戻橋を訪れます、。ここは一条の名の通り、かつての内裏の東北の角、鬼門に当たります。当時はこの橋の向こう(東側)は寂れており、橋を渡ることには特別の意味があったようです。晴明は十二神将を式神として使役し家の中に置いていたが、彼の妻が怖がったので、十二神将を戻橋の下に置き、必要なときに召喚していたという言い伝えがあります。橋から5分程歩くと晴明神社があり、実際に戻橋で使われていた欄干の柱が使用され、昔の風情を再現した一條戻橋と式神石像が置かれています。

 京都御苑の反対側、東側に、紫式部の邸宅跡の廬山寺が有りますので、京都御苑を横切ります。途中、今度は御所の外側から、宜秋門と建礼門を見ていきます。御苑東側に接して、明治維新に貢献した三條實萬・三條實美父子を祀る梨木(なしのき)神社があります。ここの一の鳥居と二の鳥居の間には、珍しいことにマンションが有りますが、社殿の修復等の資金集めのため、苦渋の決断で参道を定期借地権で貸したそうです。やむを得ないと思いますが、神社庁の承認は得られなかったようです。

 神社から寺町通りを渡ると、紫式部の邸宅跡に建つ天台宗の廬山寺が有ります。看板に寄ると、紫式部はこの場所で源氏物語を書いていたようです。但し、現在の本堂は1794年に、光格天皇の仙洞御所の一部が移築されたものです。紫式部が居た頃はこの辺りは街外れで、寂しい場所と思います。

 雨もまだ降ったり止んだりですので、雨宿りも兼ねて京都国立近代美術館を見学することにします。丁度、コレクション展をしていました。モンドリアンや甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)、竹久夢二等の絵が展示されていました。見た後は、Ⅰ階のcafé de 505 (カフェ・ド・ゴマルゴ)で、一休みします。

 雨も止んできましたので、平安神宮に行ってみます。美術館の前に神宮の大鳥居があり、そこから参道が平安神宮に続いています。応天門下で入場券を買い、境内に入ります。2025年に御鎮座130の式年を迎えるとのことで、大極殿は大規模に補修工事を行っています。外拝殿で参拝した後、神苑を見学しますが、夕方で雨模様であったためか、観光客はほとんどいません。暮れなずむ中、池に映る泰平閣や神宮会館には幻想的な雰囲気があります。

 今日は四条河原町の「おにかい」で新鮮な京野菜をメインに頂くこととします。1階の入口は狭く、急な階段を上っていきます。野菜料理を数種類食べたあと、魚の煮付け、フライ、牛のステーキを頂きました。〆の鯛飯には、野菜の煮汁を入れ、茶漬けで食べることも出来ます。従業員は皆さん若く、威勢が良いので、こちらも元気が出ますね。

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宇治、石峰寺、伏見稲荷

<一日目>

 人混みを避け、師走の京都に行ってみます。今日は「NHK光る君へ」の影響も有り、源氏物語宇治十帖の舞台、宇治へ。JR宇治駅で降り、宇治橋に向かいます。途中のパン屋さんは、土地柄か、抹茶系が多いですね。宇治橋の袂の夢浮橋之古蹟に、紫式部像が鎮座しています。

 縣(あがた)神社一の鳥居からのあがた通りではなく、横の平等院表参道に進みます。但し、今回は平等院へは行かず、宇治川沿いの、あじろぎの道を歩きます。今年は、暖冬の影響で紅葉が遅かったので、この辺りは丁度見頃です。

 宇治川の中州は「中の島」といい、塔ノ島と橘島からなっています。あじろぎの道から喜撰橋を渡り、塔ノ島に行くと、島の名前の由来となった浮島十三重石塔が有ります。鎌倉時代に建てられた塔ですが、高さ15mもあり想像以上に巨大です。この石塔は、洪水や地震でたびたび倒壊しており、現在のものは明治時代末期に発掘、修造されたものです。対岸を見ると、宇治発電所からの激しい放水流が見えます。橘島に渡ると、樹齢70年の「宇治川しだれ」に出会います。この辺りは、桜の木が多く、シーズンになると宇治川さくらまつりが開催され、ライトアップもされる様です。朝霧橋を渡り、対岸に渡ります。

 上流方向に進み、道元禅師が1233年伏見深草で開き、曹洞宗最古の道場である興聖(こうしょう)寺に参拝します。石門から参道である琴坂を登り、山門から境内に入ります。曹洞宗の道場であることからか、造りは永平寺に似ています。洩れ聞こえる会話から、多くの僧が修行に来られているようです。ここの法堂は伏見城の遺構を用いて建立されているため、天井には血の手形、足形があります。

 下流方向に戻り、宇治神社に参拝します。言い伝えでは、応神天皇の皇子・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)が河内の国からこの土地に向かう途中で、道に迷っていたところ、一羽のうさぎが現れ、何度も振り返りながら正しい道へと案内したとのこと。そのことから兎は、正しい道へと導く「神使のみかえり兎」とされているようです。その後、菟道稚郎子命はここで自害し、ここに祀られています。

 宇治神社の後方に、菟道稚郎子命・応神天皇・祀っている祀っている宇治上(かみ)神社が有ります。拝殿、本殿ともに国宝で、一帯は世界文化遺産に登録されています。特に、本殿は1060年頃のものとされ、現存最古の神社建築です。拝殿は、鎌倉前期の造営。国宝で有り、世界文化遺産なのですが、神社自体は、とても簡素です。

 宇治川東岸からこの一帯までの道は、さわらびの道となっています。道を先に進み宇治市源氏物語ミュージアムを見学します。内部には、源氏物語での宮中や宇治十帖のシーンが再現されており、平安の文化を体験出来ます。体験コーナーには源氏香が展示されています。源氏香は、5種類の香木がそれぞれ5つずつある中から5つ選び、その香木の香りの違いを当てるもので、組合せが全部で52通りあるので、『源氏物語』全54帖から最初と最後を除いた52帖の各名が解答名に使われています。実際やってみると、私にとっては匂いそのものが微かで、良く分かりません。

 遅くなりましたが、昼食は、宇治橋近くのつばめ屋で、えび天茶蕎麦を頂きました。最後は、近くにある、宇治橋の管理を任された放生院(橋寺)見て宇治を後にします。

 伏見では、稲荷に行く前に、若冲が晩年過ごしたことで有名な石峰寺を訪れてみます。住宅街にある細い石段を上って行くと、黄檗宗に特徴的な龍宮造りの山門が見えてきます。門をくぐり受付を済ませ、参拝の後、裏手にある若冲の墓を訪れます。ここが、今人気が沸騰している若冲の墓ですが、ここの周りは静寂に包まれています。更に石段を上り、唐門を過ぎると竹藪が有り、その中に500体(かつては1000体)の、若冲が石工に彫らせた羅漢像が展開しています。現在、写真撮影は禁止されていますが、色々な表情の苔むした石像がこちらを見ており、その規模観や迫力はこれまで見た五百羅漢の中では一番でした。

 今日の最後は稲荷神社の総本宮の伏見稲荷大社です。石峰寺からは徒歩10分程です。大社では、早速狐が出迎えます。伏見稲荷大社では、右の狐は稲穂・玉、左の狐は巻物・鍵をくわえているようです。それぞれの由来は諸説有るようですが、狐を見るたびに確認していきます。そうこうするうちに千本鳥居に入り、途中の三つ辻を左に曲がり、今日の観光は終了とします。

 夕食はホテルのそばの風屋杉原に行きます。前回同様、カウウターですが、今夜は比較的お客さんが少なかったためか、ご主人から、駅伝の話(昔活躍されており、今は支援側、後援チームは週末の京都高校駅伝に参加する由)、錦市場の問題、地元京都のオススメのお酒等々お話をずっと伺うことが出来ました。話に夢中になり、写した料理以外にも色々頂きましたが、撮影を忘れてしまいました。知識が増え思い出深い夜になりました。

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国内旅行

湯布院、杵築

<三日目>

 今日も晴れています。幸運なことに、朝食は、昨日と同じ席でした。今日は、湯布院に向かいます。途中、別府の街と別府湾の眺望が楽しめる、十文字原展望台と、高速道路の別府湾サービスエリア内の「恋人の聖地」に立ち寄ります。この二つの場所は下の写真にあるように立命館アジア太平洋大学の駐車場を挟んだ位置にあります。由布岳の裾野を抜けると、狭霧台展望台がありましたので、これから行く湯布院の街を眺めます。

 昼食には少し早いのですが、金鱗湖に面した「CAFE LA RUCHE」に入り、きのこのタルティーヌとホットドックを頂きます。食事後、金鱗湖周辺を散策します。紅葉しかかった木々が、鏡のような湖畔に絵画のように反射して映っています。しばらく遊歩道を歩くと天祖神社に行き着きます。境内には御神木の大杉がそびえていますので、触れて、パワーを頂きました。この金鱗湖には竜の伝説があります。「ここは昔大きな湖で竜が住んでいた。ところが由布岳の女神である宇奈岐日女(うなきひめ)が湖壁を蹴破らせ、湖水を奔流させると、現在の由布盆地が現れた。急に湖をなくし、神通力を失った竜は、天祖神に、この地に安住の地を与えてくだされば、永くこの地を護りましょうと言い、願いが叶った」と言う話です。

 金鱗湖から、ショップやカフェ、小さなギャラリーが建ち並ぶ湯の坪街道を歩いて行くと、由布院駅に到着します。道から駅にかけ観光客が大勢居ますが、8割方は外国人、特に韓国の旅行者が多いです。戻りは、辻馬車の通り道である「参宮通り」を通って帰ります。この道は、先ほどの伝説にある湯布院盆地を造った宇奈岐日女を祀った神社への参道です。

 湯布院に、大分県随一の大きさを誇る巨木があるということで、町から1㎞ほどの山裾にある大杵社(おおごしゃ)に行ってみます。そこは、当日観光客はだれもおらず、シーンと静まりかえった中に、鄙びたお社があります。その境内に、見るからに年期を経た大杉がそびえています。パワースポット感大ありです。

 湯布院に来たからには、やはり温泉に入りたいということで、湯布院盆地を見下ろす高台にある温泉保養集落「束ノ間」に立ち寄りました。ここの温泉は、昔の湯治場のスタイルで、食事の提供は無く、自炊あるいは外食です。そこの一角が立ち寄り湯となっており、券売機で入湯券を購入して、湯殿に向かいます。当日、男湯は無人だったので、晴れ晴れとした空の下、乳白色の湯殿で、雄大な由布岳を、一人で堪能できました。

 杵築では、杵築城の見学からスタートします。城の近くまで車で行けるらしいのですが、知らないので駐車場から徒歩で向かいました。杵築城は三方を海に囲まれた海城で、東向きに突き出た形状です。大きさは東西に650m、南北290mだそうです。天守までは、思った以上に歩きます。天守からの眺望は、三方が川の河口で、海城で有ったことが実感できます。

 時間が少しありますので、九州の小京都といわれている街を散策します。城から5分程歩くと台地が有り、勘定場の坂を上ると、北台武家屋敷通りになります。両側には昔の武家屋敷が建ち並びます。土塀の一部が剥落している所もありますが、良く整備されていると思います。萩などもそうですが、古い街並みの維持はとても費用が必要と思います。最後はふるさと産業館観光案内所でお土産を買い、今回の大分旅行は終了です。空港に向かいます。

 大分空港への途中、夕食を、元禄うどんで頂くことにしました。クロメ(佐賀関特産の海藻)うどんと具が多く入っている元禄特製うどんをお願いしました。それにビールとお酒:西の関(国東市)。窓の外では、守江湾が暮れていきます。

 おんせん県での最後は、空港到着口の右手にある足湯です。この温泉は別府から直送しているそうです。利用は無料です。ところで足湯ののれんに書かれていますが、大分空港を、水平型宇宙港として活用する「スペースポートおおいた」の構想があるようです。今年九月に訪れた北海道大樹町と同様ですね。