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湯布院、杵築

<三日目>

 今日も晴れています。幸運なことに、朝食は、昨日と同じ席でした。今日は、湯布院に向かいます。途中、別府の街と別府湾の眺望が楽しめる、十文字原展望台と、高速道路の別府湾サービスエリア内の「恋人の聖地」に立ち寄ります。この二つの場所は下の写真にあるように立命館アジア太平洋大学の駐車場を挟んだ位置にあります。由布岳の裾野を抜けると、狭霧台展望台がありましたので、これから行く湯布院の街を眺めます。

 昼食には少し早いのですが、金鱗湖に面した「CAFE LA RUCHE」に入り、きのこのタルティーヌとホットドックを頂きます。食事後、金鱗湖周辺を散策します。紅葉しかかった木々が、鏡のような湖畔に絵画のように反射して映っています。しばらく遊歩道を歩くと天祖神社に行き着きます。境内には御神木の大杉がそびえていますので、触れて、パワーを頂きました。この金鱗湖には竜の伝説があります。「ここは昔大きな湖で竜が住んでいた。ところが由布岳の女神である宇奈岐日女(うなきひめ)が湖壁を蹴破らせ、湖水を奔流させると、現在の由布盆地が現れた。急に湖をなくし、神通力を失った竜は、天祖神に、この地に安住の地を与えてくだされば、永くこの地を護りましょうと言い、願いが叶った」と言う話です。

 金鱗湖から、ショップやカフェ、小さなギャラリーが建ち並ぶ湯の坪街道を歩いて行くと、由布院駅に到着します。道から駅にかけ観光客が大勢居ますが、8割方は外国人、特に韓国の旅行者が多いです。戻りは、辻馬車の通り道である「参宮通り」を通って帰ります。この道は、先ほどの伝説にある湯布院盆地を造った宇奈岐日女を祀った神社への参道です。

 湯布院に、大分県随一の大きさを誇る巨木があるということで、町から1㎞ほどの山裾にある大杵社(おおごしゃ)に行ってみます。そこは、当日観光客はだれもおらず、シーンと静まりかえった中に、鄙びたお社があります。その境内に、見るからに年期を経た大杉がそびえています。パワースポット感大ありです。

 湯布院に来たからには、やはり温泉に入りたいということで、湯布院盆地を見下ろす高台にある温泉保養集落「束ノ間」に立ち寄りました。ここの温泉は、昔の湯治場のスタイルで、食事の提供は無く、自炊あるいは外食です。そこの一角が立ち寄り湯となっており、券売機で入湯券を購入して、湯殿に向かいます。当日、男湯は無人だったので、晴れ晴れとした空の下、乳白色の湯殿で、雄大な由布岳を、一人で堪能できました。

 杵築では、杵築城の見学からスタートします。城の近くまで車で行けるらしいのですが、知らないので駐車場から徒歩で向かいました。杵築城は三方を海に囲まれた海城で、東向きに突き出た形状です。大きさは東西に650m、南北290mだそうです。天守までは、思った以上に歩きます。天守からの眺望は、三方が川の河口で、海城で有ったことが実感できます。

 時間が少しありますので、九州の小京都といわれている街を散策します。城から5分程歩くと台地が有り、勘定場の坂を上ると、北台武家屋敷通りになります。両側には昔の武家屋敷が建ち並びます。土塀の一部が剥落している所もありますが、良く整備されていると思います。萩などもそうですが、古い街並みの維持はとても費用が必要と思います。最後はふるさと産業館観光案内所でお土産を買い、今回の大分旅行は終了です。空港に向かいます。

 大分空港への途中、夕食を、元禄うどんで頂くことにしました。クロメ(佐賀関特産の海藻)うどんと具が多く入っている元禄特製うどんをお願いしました。それにビールとお酒:西の関(国東市)。窓の外では、守江湾が暮れていきます。

 おんせん県での最後は、空港到着口の右手にある足湯です。この温泉は別府から直送しているそうです。利用は無料です。ところで足湯ののれんに書かれていますが、大分空港を、水平型宇宙港として活用する「スペースポートおおいた」の構想があるようです。今年九月に訪れた北海道大樹町と同様ですね。

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大分、臼杵、別府

<二日目>

 今日も晴れています。窓からは、遠くに製鉄所が見えます。朝食前に府内(大分)城址に行ってみます。内堀や、周囲を囲む櫓、大手門等は美しく復元されています。但し、大手門を入った所にある大分城址公園は、殺風景な駐車場でがっかりさせられますが、天守台は残っていますので、急な階段を上って四方を見てみます。大分県の中期計画では天守閣も復元され、この一帯は様変わりとなるようです。

 朝食後は、臼杵市に向い、石仏と城を見学します。最初は臼杵石仏です。観覧券を購入して、小高い丘に登りますが、昨日の熊野磨崖仏に比べると全く楽です。ホキ石仏第一群、第二群、山王山石仏、古園石仏の順に見学します。ホキとは「崖」という意味でこの一帯の地名です。何れも平安後期から鎌倉時代の作です。古園石仏は、磨崖仏では、全国で初めて国宝に指定され、その後、石仏群の追加指定が有り現在60体程が国宝とのことです。大日如来像の前で、家内安全と身体健全の御線香を捧げました。

 臼杵石仏周辺は盆地となっており、現在、臼杵石仏公園となっています。昔は、一帯が磨崖仏を本尊とする満月寺(蓮城法師創建)という五院六房からなる天台宗の大きな寺院だったようです。現在も、臼杵石仏公園を挟んで反対側に、満月寺があり、そこには、石仏を彫ったと言われる蓮城法師と、法師に石仏を彫らせたという真名野長者夫妻の像(室町時代の作)等があります。

 臼杵は、当初はキリシタン大名として有名な大友宗麟の領地でしたが、最終的には、稲葉家が廃藩置県まで治めていました。稲葉家は東京に移りましたが、里帰り用の下屋敷が現存しています。その隣には、地元出身の実業家、荘田平五郎が1918年に寄贈した大正時代の図書館があります。落ち着いた街の雰囲気が漂います。では臼杵城に向かいます。

 臼杵城は、周囲の海が天然の要害となり、堅固な守りを誇っていたようです。それではまず鐙(あぶみ)坂から城内に入っていきます。落石の危険があるため、坂は防護壁で覆われています。上りきったところに大門櫓があり、そこから二の丸に入ります。現在、ここは公園で、一部はグラウンドになっています。二の丸から空堀の間を進むと本丸になります。本丸も天守櫓も、今はその面影はありません。城の東端には亀首櫓跡があります。遠くに津久見島が見えますが、かつてはこの下から海が続いていました。最後、臼杵市観光交流プラザに立ち寄ります。

 昼食は別府、地獄蒸し工房鉄輪(かんなわ)で、地獄蒸し料理を頂くことに。平日でも混んでいますので、予約をして、先に地獄巡り観光を始めます。地獄巡りの共通券には7つの地獄がセットされているので、近くの白池地獄からスタートします。ここはその名の通り、青白いお湯が大量に沸いています。どの地獄も別個にアトラクションを持っており、ここはアマゾンの熱帯魚です。次は、鬼山地獄です。ここも緑白色のお湯がモクモクと沸き出しています。ここはワニの大量展示です。ワニは夜行性なので、あまり動きません。次は、かまど地獄です。一丁目から六丁目まで様々な色の温泉が湧いています。そろそろ予約した蒸し工房の時間になりますので一旦観光を中断します。

 地獄蒸し工房鉄輪のシステムは、各自食材を選んで、自ら15分程98度100%地熱の蒸しガマで蒸すという物です。食材は持ち込みも出来ます。メニュー3番の地獄蒸し玉手箱を選択しました。アルコールは禁止で、ノンアルビールを自動販売機で購入しました。

 昼食後は、海地獄から再開です。ここは温泉の熱を利用した庭園がアトラクションです。ここもコバルトブルーの温泉が大量に吹き出しています。温度は98度とのこと。この地区の最後は鬼石坊主地獄です。粘土質の熱泥が球状に沸いており、坊主頭に似ていることがその名の由来だそうです。べつの噴出口からは轟音が鳴り、それが鬼のいびきの様に聞こえることから、「鬼の高いびき」とも呼ばれるものもあります。ここの足湯場が空いていましたので、早速入ってみました。

 血の池地獄、龍巻地獄は2㎞ほど離れています。行く途中の道からは、別府の街と別府湾がよく見えます。血の池地獄はその名の通り、酸化鉄やマネシウムを含んでいるため、噴気まで赤く染まっています。高台に上って全体を見回すと、以外と面積は広く湯量の豊富さが窺えます。最後は、龍巻地獄です。間欠泉です。15分毎に噴き出すようです。危険なので、上に覆いがあり、遠くに熱湯が行かないようになっています。これで、地獄巡りは終了。いずれにしてもこの一帯の湯量はすごい!それでは宿に向かいます。

 今日の宿は、界別府です。部屋の窓は別府湾に面しており、晴れていましたので、大分の工業地帯や遠くには四国も見えます。食事にはまだ時間もありますので、別府の街を歩いてみます。駅前の通りには、歴史を感じさせるアーケードや温泉があります。駅の看板にはやはり温泉マークが描かれていました。駅前に手湯の施設がありましたので手を浸してみました。

 夕食は遅めの19時30分からです。このホテルは、隈研吾設計事務所の設計で、竹細工、手漉き和紙など当地の工芸を用いて内部空間をデザインしたそうです。そんなことを感じながら、2階から1階の食事処に向かいます。席は幸運にも、窓のある席でした。料理もタイミング良く出され、素敵なひとときを過ごしことが出来ました。

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熊野磨崖仏、宇佐神宮、耶馬溪、大分

<一日目>

 今回は温泉県、大分に来ました。空港から、最初の目的地、熊野磨崖仏に向かいます。受付で参拝料を支払い、入口から階段を登って行きます。途中は、急ですが、道は整備されています。10分程行くと、熊野神社の鳥居が有り、そこから先は鬼が積んだという急な石段です。足下の悪い中、手すりにつかまりながら100m程登ると、ようやく磨崖仏のある広場に出ます。

 この磨崖仏は11世紀頃(平安時代後期)の造立作と言われており、右は「不動明王(約8m)」、左は「大日如来(6.8m)」となっています。急な石段を更に上ると熊野神社に到着します。名前の通り、ここの神様は、紀州熊野からお迎えした権現様です。

 次は、全国4万社ある八幡社(応神天皇を主祭神とする)の総本宮である宇佐神宮に参拝します。駐車場脇にある太鼓橋前大鳥居をくぐり、神橋を渡って表参道に入ります。さすがに総本宮だけあって、掃き清められた表参道が、神橋を渡った所にある大鳥居から300m位続きます。ここ宇佐神宮の鳥居は、柱の上部に黒い台輪があるのが特徴です。

 表参道の右側には宝物館(残念ながら当日休館)、日本三沢の池と言われている初澤の池(他の二つは奈良の猿沢の池、京都の広沢の池)があります(他の二つほどは大きくないですが)。手水舎の水盤は日本一の大きさだそうです。皇族下乗場を過ぎると、上宮本殿と下宮への分かれ道になりますので、左の石段を進みます。途中には三角形の石が寄り沿うように並ぶ夫婦岩が有ります。一人なら両足で、二人ならそれぞれが手をつないで踏むと幸せになるとか。

 階段の先にある鳥居と西大門を抜けると、国宝の宇佐神宮本殿となります。本殿そのものは回廊に囲まれ、直接は見ることが出来ませんが、一之御殿、二之御殿、三之御殿と三棟が八幡造りという形式で、横並びで建って居るそうです。回廊の横には樹齢800年といわれる楠の神木があります。本殿の反対側には、宇佐神宮の奥宮が鎮座する御許山(おもとさん)の遙拝所、急な階段(百段)と南大門があります。

 本殿の参拝を終え、若宮神社(応神天皇の子、仁徳天皇とその皇子を祀る)を通って、下宮に参拝します。ここは古くは神へ捧げる食事を調理する場であったとのこと。下宮も回廊に囲まれ、内部には一之御殿、二之御殿、三之御殿と三棟が八幡造りという形式であります。ここは上宮とことなり、回廊の正面にお社が見えます。

 八幡大神が現れたという御霊水に向かいます。途中、池の向こうに能楽殿が見えます。御霊水の内部には3か所、泉が有ります。覆いを開けると、湧水がありますが、濁っていて飲めそうにはありません。期待外れ。傍に柄杓があり、水を持って帰ることは可能です。最後は、寄藻川に架かる呉橋(くれはし)をみて、参拝を終了します。この橋は、10年に1度の勅祭の時だけ扉が開くようです。

 昼食を取るため、寄藻川沿いの道を歩き、仲見世に向かいます。文福で、だんご汁定食を頂きました。だんごというと球状にしたものと考えますが、大分では手で引きのばしたものをだんごと言うようです。定食には、名物の鳥の天ぷらも付いていました。

 昼食後は、耶馬渓に向かいます。最初は、山国川(やまくにがわ)に架かる耶馬渓橋の見学です。1929年に作られた8連アーチの石橋で、長さは116mあり、石橋としては日本一の長さです。そこから10分ほど車で川沿いを進むと荒々しい岩肌の競秀峰があります。そこへの道は現在は、トンネル交互一方通行で行けますが、昔は「鎖渡し」と呼ばれる難所で、遭難者も多かったとのこと。見かねた江戸時代の僧「禅海」が自らノミと槌で掘ったのが青の洞窟です。よくも手で掘れたなと思う規模です。

 山国川水系の山移川(やまうつりがわ)をせき止めて、1985年造られたのが耶馬溪ダムです。完成を記念して、耶馬渓ダム記念公園「渓石園」が造られました。耶馬渓の石とダムの水を利用して、耶馬渓の渓流を再現しています。無料で、美しい庭園を鑑賞することができます。

 今日の最後の目的地である、耶馬渓随一の景勝地、深耶馬に到着し、さっそく一目八景展望台に行ってみます。紅葉シーズンはこの展望台は超満員のようですが、今はまだ紅葉には早く、また日暮れも近いので、観光客はまばらです。ここからは群猿山や夫婦岩など奇岩や断崖を一望できます。下を山移川が流れていますが、巨石が転がっており、洪水時の流れの強さが伺えます。この辺りは山だけでなく、途中にある山移川の流域には奥入瀬渓流のように木々のトンネルがあり、紅葉シーズンはさぞや美しいと思われます。

 耶馬渓から大分市へは、高速で1時間半ほど。今日の宿泊先はホテル日航大分オアシスタワーです。ホテルでアーケード街にある「八條」を紹介され、行ってみます。お通しの鮭の豆乳煮から始まり、関アジ関サバ、アジフライ、ホタテのバター蒸、締めは大分の郷土料理の琉球丼でと、何れも美味で大満足でした。

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小諸、軽井沢

<二日目>

 ホテルからは、小諸中心部が一望出来ます。眼下に小諸駅があり、電車の発着もよく見えます。食事の前に、小諸市内を散歩、ホテルそばの北国街道からスタートします。最初は、旧小諸本陣問屋場ですが、現在大修理中です。その直ぐ先には、脇本陣の宿「粂屋」が有ります。この通りは300m位ですが、意外と昔の建物が残っており、北国街道の雰囲気を感じることが出来ます。

 小諸は、島崎藤村が7年間小諸義塾の教師として過ごしたことから、藤村ゆかりの地としてもアピールしています。藤村がかつて過ごした場所がある、北国街道に直交する道の一つを「藤村プロムナード」と名付けています。また、近くに清酒「浅間嶽」の醸造元である大塚酒造の酒蔵がありますが、HPには「軟水主体の信州の酒蔵のなかで、小諸の水は随一の硬度を誇り「浅間嶽」の酒質の核を成しています」とあり、蔵が開いている時間に来て、試飲したいな~と思いました。途中、小諸城大手門や小諸宿本陣主屋を見学してホテルに戻ります。

 小諸→軽井沢は、電車で25分です。駅前交番の奥にあるレンタ-カー屋で車を借り、最初は旧碓氷峠に向かいます。まず、そこに鎮座する神社に参拝しますが、そこは参道から本宮まで、真ん中が群馬県と長野県の県境となっており、本宮に向かって左が熊野皇大神社(長野県、信州)、右が熊野神社(群馬県、上州)です。ややこしいですね。

 次に、浅間山や八ヶ岳が一望できるという見晴台に行ってみますが、丁度ガスが濃くなり、眺望は全くありません。ここにも県境が有ります。

 この辺で一服。神社の丁度反対側にある「元祖力餅しげのや」に入り、味噌くるみとあんこの力餅を頂きました。店にはオープンテラスが有り、とても開放感があります。ここも残念ながらガスのため、遠くの視界はありません。この店にも神社からの県境が横切っています。外に出ると「中山道」の道標がありました。ここは、軽井沢と高崎を結ぶ中山道、その碓氷峠なんですね。

 軽井沢に降ります。上皇ご夫妻がかつてプレーされた軽井沢会テニスコート近くの駐車場に停めます。テニスコート通りを通って、旧軽井沢通り(旧中山道)に出ます。平日の午前中ですが、そこそこ観光客がいます。通りから犀星の径に入ると、そこは急に別荘のエリアとなります。室生犀星旧居は1931年に建てられていますが、和風の建築と苔むした庭が調和して、京都の苔寺のような感じです。

 旧軽井沢通りを更に北に進むと、ショー記念礼拝堂、ショー記念館が有ります。ショーは軽井沢の避暑地としての適性を初めて紹介した人です。軽井沢に最初の別荘を建てています。その別荘は現在ショーハウス記念館として無料で開放されています。避暑地なので、冬はとても寒い感じがします。道を更に進むと、矢ヶ瀬川にぶつかり、そこには碓氷峠の石碑があります。

 昼食の時間となりましたので、ハルニレテラスに行ってみます。湯川沿いのハルニレの木立の中に多くのレストランがありますが、どこも混んでおり、1時間以上の待ちです。ここでの食事は諦め、追分でお蕎麦を頂くことにしました。

 追分の「ささくら」は、昼食時でも有り混んでいましたが、15分程待って座れました。たれが、クルミだれ、とろろ、ざるつゆの3種類付いているそば三昧をお願いしました。量も多く、いろいろな味が楽しめました。ささくらの道の反対側には、脇本陣油屋の跡が有ります。現在の建物の前に、今有る建物と同じ規模の建物があったようです。

 旧中山道の追分宿(江戸から20番目の宿)を、東の一里塚から西の分去れ(わかされ)まで歩いてみます。ちなみに追分の1里塚は日本橋から39番目とのこと。まず1里塚近くにある追分宿郷土館をを、見学します。そこで探検マップを頂き、スタートです。館に隣接する浅間神社(あさまじんじゃ)に参拝します。この本殿は、軽井沢町で一番古い建物で、江戸時代ここから浅間山に登っていったそうです。

 追分宿の中程に堀辰雄文学記念館があります。堀辰雄は1944年から1953年に亡くなるまでこの地で過ごしています。記念館には、原稿、書簡、初版本、遺品他が展示されています。敷地には、住んでいた家が展示されており、当時の生活窺えます。書庫は完成しましたが、書籍を搬入する前に、亡くなったとのことです。合掌

 追分宿の西にある分去れ(わかされ)までやってきました。左は中山道、京都まで、右は北国街道、直江津までです。今回の旅行では、善光寺から逆に、上田、小諸とここまで北国街道を辿ってきました。分去れの近くには、旅人が一休みしていた「枡形の茶屋 津軽屋」が保存されています。肝心の本陣跡は今は草ぼうぼうです。近くの「一歩BAKERY」のテラスでパンとコーヒーを頂き、街道の散歩を締めくくりました。

 駐車場に向かう途中、手前にある泉洞寺に寄ってみます。このお寺には、堀辰雄も訪れていたようです。境内には地蔵尊が多くありますが、卓球地蔵尊やカーリング地蔵尊と言うのもあります。

 最後は、北軽井沢の白糸の滝に向かいます。遊歩道の入り口から「白糸の滝」までは、水量の多い湯川の源流に沿って、5分程度歩けば到着します。浅間山の地下水が高さ3m位の位置にある岩肌から滔々と湧き出してきます。不思議な光景なのでしばらく眺めていました。暗くなってきましたので、軽井沢に戻ります。

 軽井沢に着いた頃、丁度雨が降ってきました。夕食は、駅の近くのサンジェルマンで、評判の和牛ひれステーキを頂きました。店の外観は、喫茶店風です(写真撮り忘れ!)。確かに肉は柔らかくて、ペロリと入ります。

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善光寺、上田城、小諸城

<一日目>

 今回は、電車で長野へ。長野駅からは路線バスで、善光寺大門に直行します。仲見世を進むと立派な仁王門がありますが、1918年に再建されたもの。仁王像は、高村光雲と米原雲海の作です。さすが迫力があります。更に仲見世を進むと、駒返橋があります。これが橋?という見た目ですが、かつて源頼朝が善光寺を参拝した際、馬の蹄が穴に挟まり、馬を返したという逸話があるようです。

 さらに進むと、「善光寺」の扁額がかかげられた巨大な山門(1750年建立)があります。この山門には登れるようです。山門をくぐり、右手にある六地蔵、ぬれ仏を過ぎると、いよいよ本堂です。その階段を上り、外陣に入ると「びんずる尊者」に会います。病人・けが人は、その像の患部と同じ場所を撫でることで治癒されるとのことなので、私も目鼻口を一撫でしました。外陣での参拝の後、巡り券を購入し、本堂内部での参拝とお戒壇めぐりをします。お戒壇めぐりはご本尊の下の真っ暗な回廊を通り、中間地点にある「極楽の錠前」を探り当てるものですが、光のなにも無い空間を、手探りで進むという滅多にない経験をしました。

 まだ時間もありますので、善光寺近くの長野県立美術館を見学します。丁度、「琳派、若冲、ときめきの日本美術(京都細見美術館の名品)」を催していました。若冲は、極彩色の有名な絵は有りませんでしたが、鶏の掛け軸、屏風絵など20点ほど展示されていました。美術館のある城山公園では、信越放送「夢テレビ」のイベントが行われており、あばれる君とカミナリがゲストで来ていました。

 善光寺の表参道である中央通りを駅に向かって歩きます。大門の八幡屋礒五郎本店は、ベンチが七味缶のデザインです。少し歩くと、小川の庄おやき村がありましたので入ってみます。焼きおやきは食べたことが無かったので、店の奥にある焼きのコーナーに行ってみます。お茶はセルフですが、テーブルがあり、焼き立てを頂くことが出来ます。

 11時、開店と同時に今むらそば本店に入ります。まずは日本酒(菊秀)を飲んで、次におそばを頂きます。「クイチそば」はこの店の登録商標だそうです。せいろには冷たいつけ汁も付いていますので、暖かいそばと冷たいそばが味わえます。

 蕎麦屋さんの前からは、善光寺表参道秋まつりの会場となっています。チンドン屋や4基の町神輿、木遣り、太鼓、お囃子などが巡回しています。中央通りの歩道に長蛇の列、そして遠くには煙が見えましたので、近くに寄ってみると、案の定サンマを焼いていました。時間になりましたので、長野駅から新幹線に乗り上田に向かいます。

 上田までは10分程です。上田駅は、通路から外壁まで真田の六文銭一色です。駅のお城口から上田城を目指して歩きます。駅前で、真田幸村の騎馬像がお出迎えです。

 街の中心部の道路には、真田十勇士の像があります。途中上田藩主居館跡がありますが、なんとそこは現在、上田高等学校の敷地となっています。お堀と塀に囲まれた校舎です。

 お城の手前にある上田市観光会館で、パンフレットを頂きましたが、この場所の主役は真田親子の甲冑です。壁には、来た人のサインが掲げられていますが、結構有名人が来てますね。

 二の丸橋の入り口から城内に入ります。入口右手に二の丸跡があり、左に折れ、進むと、東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん、虎口とは城の出入口のこと)が見えてきます。櫓門の右側に真田石がありますが、これは真田信之が松代移封の際、父の形見として持ち運ぼうとしたが動かせなかったという大石です。ところで櫓門の前に大勢の人がいますが、当日「95点以上で1万円、年間最高得点者には100万円!」という透明カラオケBOXが開催されており、その参加者と観客です。

 櫓門は、南櫓の石垣を上って、中に入ることが出来ます。櫓内部の狭間から下ある上田城跡公園を覗くと、丁度「やきとりJAPANフェスティバル2024in信州上田」の最中で、焼鳥の煙が狼煙のようにも見えます。昔はこのエリアは、千曲川の流れる天然の堀だったようです。

 櫓を下りて、すぐそばにある眞田神社に参拝します。この神社は、もともとは真田氏の後ここを治めていた松平氏の先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社でした。当然ですよね。それを、1963年に眞田神社と改称し、歴代の上田城主を御祭神とすることにしています。神社の脇には、眞田井戸(本丸唯一の井戸、深さ16.5m)や西櫓(県宝)があります。本丸跡は今は特に何もありません。

 上田城から15分歩くと、柳町という旧北国街道の昔ながらの街並みがあります。ぶらりした後で、はすみふぁーむ&ワイナリー(アンテナショップ)で、白ワインとシードルを頂きました。ここから徒歩で上田駅に行き、今日の最終地の小諸に行きます。

 小諸駅までは、しなの電鉄で20分ほどです。小諸駅の反対側、東西自由通路の階段を下りたところに懐古園(小諸城址)の三の門があります。料金所で散策券(300円)を購入して園内に入ります。すぐに傾斜が急で高い(写真に写っている人と比べると高さがわかります)二の丸の石垣が現れます。

 しばらく進むと、懐古神社が見えてきます。本丸跡の立て札がそばにあります。この神社は、廃藩置県で廃城となり、城が荒廃していく様を憂いた元藩士らが資金を集め、本丸跡に祀ったのが懐古神社とのことです。神社の左側には天守台の跡がありますが、上から下を覗くと、高さは10m位あるでしょうか。手すりもなにも無いので、落ちたら命は有りません。酔っ払いと心臓の悪い人は登らないでとの注意書きがあります。

 馬場の跡を進み、冨士見展望台に行きます。本来は富士山が見えるのでしょうが、その方向に木立があり、見ることはできません。その場所から白鶴橋を通って市営の動物園に行くことが出来ます。この橋から下を覗くと、高さは30mは有るでしょうか、険しい渓谷となっています。この城を作った武田信玄、仙石秀久は、この周囲が急峻な地形を最大限活用してこの城を整備したようです。

 最後は、水の手展望台に行き、千曲川の流れを見ます。展望台のそばには島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の詩碑があります。藤村は、こうした荒涼とした城跡、千曲川、周囲の山々を見て詩情に浸ったのでしょう。「小諸なる古城のほとり・・・・嗚呼古城なにをか語り、岸の波なにをか答ふ・・・・」

 今日の宿は、懐古園から歩いて数分の場所にある小諸グランドキャッスルホテルです。夕食はそこから徒歩で15分ほどの、レストラン車留夢で、そこの評判の大浅間爆裂ハンバーグを頂きました。まずサラダ、次にハンバーグが出てきますが、中はまだ生なので、熱い鉄板の上で切り分け、火を通しながら頂きます。油ははねますが、評判通り美味しく頂けました。

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襟裳、新冠、苫小牧

<三日目>

 朝の5時頃、夜が明け始めますので、朝食前に、ホテルの外の海岸を散歩します。海岸では拾い昆布漁(流れ着いた昆布の採取)がおこなわれています。漁師さんがまっけ(ひっかける鈎)を投げて、都度手繰り寄せますが、ほとんど昆布は拾えていません。早朝にもかかわらず、昆布が既に干場(かんば)に並べられています。

 漁港では、大きなブリが盛んに水揚げされています。漁師さんに聞くと、温暖化の影響で、サケは不良で、ブリが取れるようになったとのことです。昆布漁の船が港にずらりと並んでいますので、今日の昆布漁は休業のようです。

 ホテルに戻る前に、襟裳神社に参拝していきます。ホテルの入り口には、マスコットの犬が、鎮座しています。その前を通っても、こちらは無視されます。

 チェックアウト後、襟裳岬に向かいます。天気は良く、さわやかな風が吹いています。岬の遊歩道を散策します。展望台の横には、島倉千代子と森進一の歌碑が、並んで建っています。展望台から岬の先端へは、5分程歩きます。先端から見える岩礁にはアザラシがいるようですが、肉眼ではよく見えません。

 展望台の下には、風の館という体験施設があります。そこの展望ゾーンには望遠鏡が10台ほど設置され、係の方が事前に角度を調整していますので、覗くとそこにゼニガタアザラシがいます。館には、えりもの風体験コーナーがあり、最大で25m/sの風を体験dきます。風洞の直前は、その風速なのですが、確かに立っているのは難しいです。

 襟裳岬から広尾方向向かう砂浜は、百人浜と呼ばれています。名前の由来は諸説ありますが、何れもこの場所で多数の人が亡くなったことは共通しています。ここ一帯は、かつて開拓民が燃料にするために木を切りつくして森が砂漠化し、生活の糧である昆布が死滅しかかっていました。それを、再び緑の森に復元させるため、1953年から壮大な治山事業が開始され、現在に至っています。この経緯は、NHKのプロジェクトXでも取り上げられています。展望台からは、和人の青年とアイヌの娘の別れ、その娘の涙でできたと伝えられている悲恋沼が見えます。

 国道336号沿いに、えりも町郷土資料館がありますので、見学します。館内には、えりもの昔の生活の展示等ありますが、圧巻は昆布の標本展示です。北海道で採取される代表的な昆布が一堂に観察できます。場所別に、これ程の等級差があることを、初めて知りました。この一帯で取れる昆布は、日高(三石)昆布ですが、北海道には、他に、羅臼、利尻など7種類あるようです。

 昼食は、静内の回転すし「ちょいす」で。「お得な10貫セット」と、エビとウニを追加で頂きました。

 新冠は、競走馬の産地として知られています。競走馬の牧場が集積している「サラブレッド銀座」に向かいます。その起点には「サラブレッド銀座駐車場」があり、そこからは、広大な、牧牛とは異なった、牧場が俯瞰できます。その通りを車で10分ほど行くと、優駿記念館と優駿メモリアルパークがあります。館内には、過去の優駿の記録、記念品が多数展示され、メモリアルパークには、オグリキャップをはじめとした優駿の墓があります。その中でも、オグリキャップの墓は一番立派です。

 次は、判官岬に向かいます。途中、新冠川にかかるメロディー大橋を渡ってみます。橋の手すりには楽譜が施され、橋の中央の庇部分に行くと、鐘のメロディーが流れます。車を降りて、15分程雑木林の中を歩きます。人が誰も居ませんので、ヒグマが出ないかとびくびくしながら進みます。木立を抜けると、判官岬の展望台があり、そこから新冠の街と太平洋が一望できます。帰りも、怖いので急いで林を抜けます。

 新冠は、レコードの街も標榜しており、その中心であるレコード館には、100万枚を超えるレコードが収蔵されているそうです。ここの駐車場にも、ハイセイコーの像があります。さて、ここからは、高速を通り新千歳に向かいます。

 飛行場に行く前に、苫小牧で創業し、ハスカップを使ったロールケーキで有名な三星(みつぼし)本店に行き、ショートケーキを頂きました。時間もなくあわただしかったので、今度は余裕を持って伺いたいと思います。

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帯広、更別、幕別、大樹、広尾

<二日目>

 今日は、帯広から襟裳に向かいます。帯広の本格的な開拓は、依田勉三等の「晩成社」が、1883年に、この地に入植したことから始まります。帯広を発つ前に、これに因んだ史跡を見学していきます。

 次は、旧国鉄広尾線の幸福駅に向かいます。駅舎とその周辺は幸福交通公園・ふれあい広場として整備されています。駅舎には訪れた人のメッセージがたくさん張られています。この駅舎から幸せの鐘を覗く位置は、カップルが記念写真をとる定位置です。売店で切符が売られていましたので、記念に買いました。

 次は、道の駅「さらべつ」に立ち寄ります。更別では、地元高校生の考えたキーマカレーやチーズカレーを買ってみました。後で伺ったのですが、更別は道内で唯一衛星通信での5G配信で、ドローンの自動航行による農薬散布や、無人ロボットトラクターの実証実験がされているとのことです。

 次は、幕別町の道の駅「忠類」に向かいますが、その前に、丸山展望台に行き、十勝平野を俯瞰します。展望台を下ったところに道の駅は有ります。忠類は、ゆり根の名産地らしく、ゆり根やゆり根入りの食品が多数販売されています。さっそくゆり根大福を買ってみました。道の駅の隣に、忠類ナウマン象記念館があります。1969年に、旧忠類村晩成の農道工事現場で、偶然化石が発見されたとのことです。ここのマンホールは、ナウマン象がモチーフとなっています。

 大樹町に着きました。昼食ですが、ご当地グルメはチーズサーモン丼とのこと。昼に頂けるのは、晩成温泉の食堂だけとのことなので、30分(25㎞)程車で走って、行きました。チーズサーモン丼は、その名の通りチーズで包んだサーモンの天ぷらがのった天丼です。大樹町で盛んな酪農と漁業のハイブリッドなのですが、こんなものかな、という感じです。食事後、温泉に入りました。タオル付で500円、褐色のモール温泉で、湯船の窓からは太平洋が望めます。

 大樹町は、「宇宙のまち」を標榜しています。ホリエモンが出資、役員をしているインターステラテクノロジズの本社、打ち上げ場があります。その一角に、大樹町宇宙交流センターがありますので、見学してみます。ここでは、案内の方から丁寧な説明を伺うことができます。現在は1000mの滑走路ですが、将来的には3000mの滑走路(用地確保済)を建設そうです。現在開発しているのは、特に需要が伸びている小型人工衛星を打ち上げるためのロケット「ZERO」で、2024年度の打ち上げを目指すとのことでした。町には技術者が集まり、人口も増え始めているようです。

 今日の最後は、広尾町です。ここには、ノルウェーオスロ市から認められた、日本で唯一のサンタランドがあります。そこに行く前に、サンタランドがある大丸山の頂上展望台から、広尾町の市街地の全景を見てから、山の中腹のサンタランドに向かいます。入口でベルを鳴らして入ります。やはりここにも「恋人の聖地」がありました。サンタの家でサンタグッズを買いました。今年は「サンタランドツリー点灯式」は10月26日(土)だそうですが、イルミネーションは夜ですよね。

 今日の宿泊先の襟裳町に向かいます。途中の道は、絶壁と岩礁の中、多額の費用をかけて通したことから「黄金道路」と呼ばれています。途中には、岩盤から湧き出た水が道路のすぐ脇に流れ落ちるのが珍しい「フンベの滝」があります。冬は氷瀑になるようです。海岸沿いに慰霊碑が多くありますが、昔から海難が多かったのでしょう。

 今日の宿は、クリフハウス・柳田旅館です。イギリスのアンティーク家具が自慢です。窓からは襟裳漁港と太平洋が見えます。

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釧路、浦幌、豊頃、池田

<一日目>

 9月もやはり行くのは北海道ですね。今回は、釧路から帯広経由で、襟裳岬に行きます。釧路空港の温度計は、23.3度(東京の最高気温は34.2度)、ひんやりです。空港から、途中の道の駅「しらぬか恋問」に、「鍛高ラムネ」を買いに寄ってみましたが、なんと店は開いていません。ここは、鍛高譚のしその産地だったのですが。

 海岸沿いに国道336号で浦幌町に入り、砂利道を進み、昆布刈石(こぶかりいし)展望台に行きます。この海岸で、昔、アイヌの人たちが、昆布を収穫していました。遠くは、襟裳岬方向です。近くに、十勝太遺跡がありますので、立ち寄ります。アイヌの人達のチャシ(宗教施設?砦?諸説あり)の遺跡で、足元にあるらしいのですが良く分かりません。ここからは十勝平野のパノラマが見えます。

 昼食は、浦幌の中心部にある喫茶「カナリア」で、地元グルメ「スパカツ」を頂きました。ソース味のスパゲッティなので、焼きそばに感じが似ています。食事の後は、道の駅「浦幌」で草大福を買いました。

 途中に浦幌神社がありましたので参拝します。「乳神神社」はおっぱいの神様として有名とのこと。高台に在りますので、境内からは、浦幌の町が良く見えます。

 豊頃に入ります。漁港のそばに十勝発祥の地碑がります。本州から渡ってきた開拓者が、ここから十勝の大地を目指したと言われています。十勝川沿いに、豊頃町の町木「はるにれの木」があります。二本の木が一体化し、扇型になったとのことで、永遠の愛を誓い合った恋人?だそうです。

 豊頃の本格的な開拓は、明治中期、大きな役割を果たしたのは二宮尊親(尊徳の孫)で、教育にも力を注ぎ、現在も「報徳のおしえ」として受け継がれているとのことです。旧二宮小学校を利用した「二宮報徳館」があります。報徳館の入り口は残念ながら閉まっていました。

 今日の最後は、池田町のワイン城に行きます。屋上からは、周りに高い建物がありませんので、十勝平野が一望できます。季節も丁度良く、風が爽やかです。レストランは終了していましたので、カフェで山幸(ぶどうの種類)のアフォガードと、白ワイン(セイオロサム)を頂きました。売店では、清舞(赤)とナイヤガラ(白)を買いました。

 今日の帯広の宿は、北海道ホテルです。よく考えず、2段ベッドの部屋を予約してしまいました。上段は慣れていないので、頭をぶつけます。

 夕食は、駅近くの「農家バル」に行きます。ここは、和牛の生産者直営で、十勝のこだわりの食材を使用しているとのこと。飲み放題付きで、二人で税込み8,800円。ビールもスパークリングワインも飲めて、料理もおいしく、本当に良いお店でした。

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旭川

<三日目>

 今日はこれまでと違い、快晴です。稚内でこの天気であれば、樺太や礼文島・利尻島も見えたに違いありません。ここから長駆旭川に行き、そこから羽田に戻ります。ホテルのそばのオホーツクミュージアムえさしはまだ開館していませんので、三笠山の展望台に行ってみます。駐車場から歩いて展望台へ行こうと思いましたが、熊危険の看板。行くのはやめて、ここから町の風景を見ました。

 枝幸を出て、天塩川温泉に立ち寄ります。途中に、宗谷本線の天塩川温泉駅がありますが、ホームが道路のそばにあるので、1両編成なのですが、停車中は遮断機が閉まったままです。

 ようやく旭川に着きました。昼時ですので、あさひかわラーメン村の青葉で、醤油ラーメンを頂きました。11時半頃でしたが、かなり並んでいました。ラーメン村の一角に、ラーメン神社があります。参拝すると、夫婦仲はアツアツで麺のように長く続くとか。

 次は定番の旭山動物園に行ってみます。稚内と違い、24~5度位、日差しも強くなってきました。シロクマは暑さでげんなりのようです。こちらもソフトクリームで一休みです。平日のせいかもしれませんが、8割くらいは、外国人観光客です。

 次は、旭川デザインセンターに行きます。大雪山系の森の木を伐り出し、生活の道具をつくり始めたのが、旭川家具の発祥で、大小100以上の工房やメーカーがあるそうです。その拠点がこのセンターです。当日はIFDA(International Furniture Design Competition Asahikawa 2024)の発表、展示を行っていました。センターには、椅子が多く陳列されているミュージアム、各家具メーカーの展示・販売コーナーがあり、一見の価値があります。

 デザインセンターのすぐそばに、男山酒造り資料舘がありますので見学してみます。醸造の工程が、ガラス越しに見えます。試飲もできますが、運転のため不可。まったく残念!記念に1本買いました。代わりに、館の外にある「延命長寿の水」と呼ばれる男山の仕込水を飲んで我慢です。一人18リットル迄持ち帰れるそうです。ここも、8割程が外国人観光客です。

 まだ時間がありますので、北海道立旭川美術館で開催されている「日本の洋画 150年の輝き」展を見ていきます。それぞれの絵のそばにある日動画廊の長谷川徳七さんの解説、取得の経緯が非常に面白いです。展示されていた鴨居玲の自画像は、本人がしていた指輪と交換したそうです。丁度いい時間となりましたので、空港に向かいます。

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稚内、猿払、浜頓別、枝幸

<二日目>

 ホテルの窓からは、北防波堤ドームが見えます。チェックアウト後、徒歩でそこに向かいます。10分程で到着します。この場所は、北埠頭が樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、1931年から1936年にかけ建設された防波堤です。太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、確かに古代ローマ建築物を思わせますね。ここから樺太の大泊まで、国鉄稚泊航路があり、167㎞の海上を約9時間で行ったそうです。

 歩いて、駅の方向に向かいます。途中、大鵬上陸地の記念碑があります。碑文には、「当初小樽に向かう予定だったが、母親の体調不良のため稚内で途中下船した。その船は、その後、留萌沖でソ連潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した」とあります。運が良い人だったんですね。今回はロシア人を見かけませんでしたが、街のあちこちにロシア語の表記があります。

 さて、次は宗谷岬に向かいます。途中、空港近くの、北の桜守パークに立ち寄ります。ここは、「吉永小百合」さん主演の映画「北の桜守」のオープンセットを映画の資料展示施設として活用した施設です。

  津軽・会津・秋田藩陣屋の跡に立ち寄ります。北方警備のため、幕府は、ただ単に寒さに強いはずという理由から、まず本州最北端の津軽藩士が、翌年には同じ東北の会津・秋田藩士が、宗谷に派遣されましたが、東北とは比べ物にならないほど厳しい自然環境と野菜不足等が原因で多数の越冬死者をだしたといいます。その後、病気の予防薬としてコーヒー豆が配給されたことから、苦労した藩士をを悼むためのコーヒー豆の形の記念碑もあります。

 間宮林蔵の樺太就航の地にも立ち寄ってみます。林蔵を樺太に送った宗谷アイヌの記念碑もあります。遠くにトドや、弁天島(日本施政下の最北端)が見えます。

 ようやく宗谷岬に到着しました。まずは宗谷岬音楽碑のボタンを押して、千葉紘子の歌う宗谷岬のメロディを聞きます。次は、日本最北端の地の碑に行き、最北端を感じます。残念ながら、今日も樺太は見えません。振り返ると、高台に宗谷岬灯台が見えますので、登ってみます。

 宗谷岬灯台のある高台一帯は、宗谷岬公園となっており、たくさんのモニュメントがあります。その中でも一番規模が大きいものは、祈りの塔です。これは、1983年に発生した「大韓航空機撃墜事件」での遭難者の慰霊と世界の恒久平和を願うために建立され、塔の高さ19.83メートルは事故発生年を表しています。大岬旧海軍望楼跡は、日露戦争前は宗谷海峡がロシアとの境界であったことから、バルチック艦隊を監視する任務を負っていました。

 稚内の最後は、ホタテの貝殻を敷き詰めた「白い道」の見学です。途中には、稚内の風の強さを利用したウインドファームがあり、風車が林立しています。白い道は、本来フットパスコースなので、道幅が狭く、車のすれ違いは大変ですが、丘陵をずうと続く白い道は、幻想的です。

 稚内市からは、国道238号線で、猿払村、浜頓別町、最後は枝幸(えさし)町まで行きます。昼食のため、道の駅さるふつ公園に立ち寄ります。ホタテの網焼きがいいかなと思い、さるべつまるごと館に行きましたが、あいにく終了。同じ敷地にあるホテルさるふつ内の風雪で、帆立ラーメン(貝柱2個)と帆立焼きカレー(貝柱5個)を頂きました。さすが天然ほたて貝の水揚量日本一の村ですね。

 ひたすら一直線の猿払村道エサヌカ線を過ぎると、浜頓別に入り、ベニヤ原生花園を見学します。原生花園とは人の手を加えていない、あくまで自然そのもののことを言うそうです。歩道や木道が整備されており、散策はしやすいです。セリ科のエゾニュウが満開でした。

 浜頓別でも、道の駅「北オホーツクはまとんべつ」に寄ってみます。中にあるこんがり屋でコーヒを頂きます。ここは町民が交流することを目的に作られた道の駅で、中には、遊具施設もあります。

 道の駅の近くに道内最大の湖であるクッチャロ湖(大沼)があり、立ち寄ってみます。キャンプ場の近くに、白鳥の舎がありますが、これは、冬でも白鳥を観察できるように作られた建物です。

 浜頓別町と枝幸町の境界に、神威(カムイ)岬があります。この場所は、アイヌ語で「カムイ・エトゥ(神の岬)」「カムイ・エト(神の鼻)」と呼ばれていたとのこと。神威岬の崖の中腹には、北見神威岬灯台(きたみかむいみさきとうだい)が立っています。

 しばらく行くと、北オホーツク道立自然公園に指定されているウスタイベ千畳岩が現れます。海岸沿いに柱状節理の岩が、波の浸食で、畳を重ねたかのような形になっています。が特徴的。オホーツク海を赤く染める朝日は他では見たことのない千畳敷

 今日は、最後に、枝幸町の道の駅、マリーンアイランド岡島に立ち寄ります。建物の形が、船に似せているのが特徴です。偶然、今日もNHKのスタッフに遭遇。今日の夕方、ここから番組を中継するそうです。

 今日の宿は、ホテルニュー幸林です。早速会場へ行き、頂くこととします。枝幸町は、毛ガニ籠漁水揚げ日本一ということもあってか、毛ガニが半身ついています。ボリューム満点とは、ホテルのHPに書かれていましたが、想像以上のボリュームでした。