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四国遍路(仁淀、足摺、四万十)

(一日目)

 今回は、前から気になっていた高知の清流を見たいと思います。まず仁淀川から。河口から遡り、安居渓谷を目指しますが、最初にある沈下橋は、名越屋沈下橋です。確かに、欄干は無いですね。地元の方の車は、何事も無く渡っていきますが、我々は怖いですね。

 安居渓谷に行く途中、みかえりの滝を見学します。滝の下は透明で深そうです。目的地である安居渓谷へは、1車線の山道が6.5km、20分程続き、下は断崖で、すれ違いはドキドキです。

 安居渓谷にあるバンガロー「宝来荘」の先に車を止め、渓谷を上ります。大きな岩が、ゴロゴロあり、渓谷が濁流となったときの水圧の大きさを感じます。今は、渇水期で、流れは穏やかです。水は、想像したとおり、ブルー!です。砂防ダム周辺まで行きますが、夏場の水量が多いときは、ダムのコンクリートの上から流れ落ちる水のカーテンが見られるようです。実物を見たいですね。

 次はもう一つの渓谷、中津渓谷に向かいます。ここは、安居渓谷と異なり、道は、スムーズです。昼食は、渓流の入口にある中津渓谷ゆの森の「レストランポンテ」で取ることにします。ゆの森弁当には鰹のたたき、田舎定食にはあまごの素揚げが付いています。テラスからは、渓流が見えます。

 昼食後、早速、中津渓谷に向かいます。ここも、仁淀ブルーです。最終地点の雨竜の滝を目指します。通路は整備されていますが、橋には欄干がありませんし、見下ろすとかなりの高さがあります。道の落差もかなりあります。道の先にあった、雨竜の滝は、圧巻でしたが、夏場の水量が多い頃を見たいものです。

 滝から戻る途中、展望台に寄ってみます。長く急な階段を上ってはみましたが、木の枝が邪魔し、残炎ながら残念ながら、それほどの眺めではありませんでした。

 時間がまだありますので、四国山地を縦断し、日本三大カルストの一つ、四国カルスト東端の天狗高原に向かいます。地図では国道からわずかの感覚でしたが、意外と遠く、国道から曲がりくねった道を30分程上ります。16時頃で霧も発生し初め、着いても景色はどうかな?と思っていましたが、運良く間に合い、眼下に、標高1,000m級の四国山地の尾根を見ることが出来ました。ここから、高知市に戻ることとします。

 夕食は、郷土料理の老舗の「司 高知本店」にします。少しずつ色々味わえそうなので、「よさこいセット」を頂きました。お酒は、司牡丹酒造の「仁淀ブルー」、酔鯨酒造の「司」としました。お店は260席も有り大きいのですが、意外と混んでいました。メヒカリは高知でも特産とは知りませんでした。鰹のたたきは、さすが専門店の味です。

 食事後、アーケードを高知城の方に進み、ひろめ市場を覗いてみました。鮮魚店や物産展が集合し、大変賑やかな屋台村です。この場所は元気があります。一通り見て、帰ることとしました。今日はこれで終了。

(二日目)

 高知の宿「西鉄イン高知はりまや橋」は、名前の通り、はりまや橋の脇にあります。部屋は海側ですが、窓からは山しか見えません。

 今日のスタートは、高知城です。大手門の前には、初代藩主山内一豊の像が有り、門をくぐると、板垣退助と一豊の妻の像が出迎えます。石段を上り詰めたところが杉ノ段ですが、ここから見た本丸が一番美しいと思います。三ノ丸、二ノ丸と進み、詰門を抜けると、本丸と天守閣に出ます。高知城は、建築群が現存、保存されていますので、狭間などの防御設備や石樋、石垣を間近に観察できます。

 高知市では第三十番善楽寺にお参りします。梅見地蔵は、首から上の病や悩みにご利益があるといわれている地蔵様です。参拝後、四万十に向かいます。

 四万十では、最初に、第三十七番岩本寺にお参りします。寺には立派な宿坊がありますが、この寺と前後の札所からの距離がとくに長いことから、昔から多くの歩き遍路がこのお寺に泊まってきたとのことです。親しみやすい寺にして町おこしにもつなげようと、「スター・ウォーズ」の公式グッズなどを手掛けるSHETA(シータ)さん率いるグループに依頼し、ポップアートを多く展示しています。

 昼食は、道の駅ビオスおおがたのひなたや食堂で、宗田節のチャーシューメンを頂きました。鰹節の出汁と柔らかいチャーシューの組み合わせはとてもおいしいです。直販店で、みかん、ミニトマト、アオサを買いました。安いですね。

 足摺岬の手前に、知る人ぞ知る、唐人駄場遺跡というパワースポットがあります。この辺りから、縄文時代早期(紀元前5000年頃)から弥生時代にかけての石器や土器片が数多く出土し、一帯にはストーンサークルと思われる石の配列や、高さ6~7メートルもある巨石が林立している唐人岩があり、太古の巨大文明の名残ではないかと言われているそうです。山の中で、観光客は誰もおらず、不気味ではあります。

 今日のメイン、足摺岬に到着しました。太平洋を望む、ジョン万次郎の大きな像がお出迎えです。岬突端周辺には弘法大師にまつわる「七不思議」の遺物が点在しています。岬からは、どこまでも続く青い太平洋がどこまでも見えます。

 足摺岬の後は、近くにある第三十八番金剛福寺に参拝します。ここと今日の昼前に参拝した第三十七番岩本寺との距離は80㎞程で、四国八十八ヶ所の中で距離は最長とのことです。ここは四国最南端のためか、境内には亜熱帯植物が繁って、南国の感じです。

 途中、アコウで有名な松尾天満宮に寄ります。アコウは、他の木に着生して成長することが多く、最後には着生した木を覆いつくして枯らす「締め殺しの木」と言われています。

 今日の最後は、「道の駅 めじかの里土佐清水」です。めじかとは、ソウダガツオのことで、宗田節(そうだぶし)は、土佐清水市で獲れる(めじか)を原料としたかつお節です。ここで名物の、宗田節を使ったソフトクリームを頂きました。ソフトクリームに大量の宗田節が振りかけられています。

 今日の宿は、「なごみ宿 安住庵」です。四万十川沿いの小高い丘の上に有りますので、部屋の窓から四万十川が見えます。部屋は、2室をくっつけてスイートにリノベした部屋でした。とても贅沢ですね。

 食事は、和牛ーステーキ+会席コースです。お酒は、四万十の藤娘です。お刺身は、初鰹、カンパチ、甘エビに加え、鰹のたたきも出ました。ステーキは200g程も有り、加えて天然あゆの塩焼きと、大満足です。帰りは、屋上で四万十の夜景を観賞しました。

(三日目)

 食事の後、ホテルの屋上に上り、四万十市の風景を堪能します。ところで、屋上に上れる宿はあまりないですよね。高台にありますので、360度よく見えます。

 四万十市は、町村合併で誕生していますので、看板や店名に旧の中村市の名がが残っています。1946年の南海地震で市街地が被災したためか、古い町並はほとんど残っておらず、観光スポットも意外と少ないと感じました。

 今日のメイン、四万十川を遡ることとします。四万十と言えば沈下橋が有名ですので、いくつか訪れたいと思います。初めは、最下流にある、佐田沈下橋です。地元の車は、平気で通行しますが、普通の人には怖いですね。

 次は勝間沈下橋です。橋脚が3本ある珍しい沈下橋。川幅が広く、流れも穏やかで、右岸側は河原です。釣りバカ日誌14のロケ地で、釣りファンに有名なスポットらしいです。

 最後は、岩間沈下橋です。四万十川の沈下橋の中では最も絵になるとのことで、ポスターやパンフレットの撮影によく使用されるらしいです。駐車場の脇に、「四万十川」の歌碑があります。川に沿って国道441号線を行きますが、この辺りから断続的に一車線の狭隘道路となります。すれ違いは、ヒヤヒヤです。「酷道」と言われているようです。

 ようやく宇和島に到着しました。昼食はやはり、鯛めしです。老舗のほづみ亭で。お酒は、西予市元見屋酒店の「こいごころ」をお願いしました。頂き方は、テーブルの説明書通り。ご飯もこんなに食べきれるかと思いましたが、鯛と玉子にタレがからみ、美味しく、あっという間に完食でした。

 昼食後、宇和島城に向かいます。観光センターと駐車場は三ノ丸跡にあります。登城口から城内に入ります。いきなりの石段です。長く急な石段を登り切ったところに楽なルートと通常のルートの分かれ道に出ます。迷わず通常ルートを選択。長く急な石段の後、深さ11mと言われる井戸丸(郭)があります。

 長く急な石段を登り切った先に、本丸、天守閣が現れます。この宇和島城は均整がとれ美しいことから「鶴島城」と言われているようですが、太平の世の築城のため、狭間や石落とし等の防御設備はほとんど有りません。高知城とはかなり趣が違いますね。天守閣からは、宇和島の街と湾がよく見えます。

 宇和島は、伊達政宗の長男、秀宗が初代藩主です。宇和島城の近くに、伊達十万石を記念した伊達博物館がありますので、行ってみます。展示は、伊達家のコレクションの武具や婚礼道具等でした。展示室の脇に兜と装束のレプリカが有り、ここで身につけ記念写真を撮るようです。(私も兜をかぶり装束を羽織って撮ってみました)

 博物館に隣接して、天赦公園があります。市の計画では、ここに、新博物館を建設し、今日、見学した博物館は、解体され、公園になるようです。途中、じゃこ天屋さんの前に、じゃこ天の自販機がありました。さすが名物です。最後に、宇和島のアーケード街「きさいやロード」に寄ってみます。「きさいや」は方言で「来てください」を意味するようですが、あまり人はいないようです。今回の旅行はこれで終わり、松山空港に向かいます。

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上毛三社巡り(妙義、赤城、榛名)

<一日目>

 秋も深まってきましたので、今回は、以前から計画していた上毛三社を巡ることとします。高崎駅から一路、妙義山に向かいます。妙義山は、白雲山、金洞山、金鶏山の三峰からなっています。白雲山の麓の「道の駅みょうぎ」で車を降り、妙義神社を目指します。参道は県道に面した一の鳥居から、ほぼ一直線に延びています。鳥居をくぐり急坂を上ると総門があります。

 総門をくぐり、石段を上がると、銅鳥居があります。これをくぐった右手奥には旧御本社の横にあった波己曽社(はこそしゃ)が、移設され鎮座しています。道を進んで石造の太鼓橋を渡ると、一直線に延びる百六十五段の石段があります。石段は長く急ですので、右側に緩めの道があります。ここはまっすぐ登ります。石段は、でこぼこしており非常に登り辛いです。

 登り切った先に随神門があり、仁王がいます。それをくぐると正面に最後の段があり、これを上ると権現造りの本社入り口である唐門があります。いよいよ拝殿でお参りです。歴史のある神社らしく、豪華な装飾が施されています。

 本社拝殿の反対側の塀には、天狗堂が鎮座しています。案内は無いので、ここは見逃す可能性があります。裏の、パワースポットとか。

 参拝を終え、下ります。帰りは、緩やかな(結構厳しいのですが)階段で戻ります。ここは、登山道の入口でもありますが、やはり熊が出るそうです。妙義神社には所々に風鈴がありますが、謂われは分かりません。社務所の横に宝物館があるのですが、残念ながら今日は閉館でした。

 道の駅みょうぎに戻ります。道の駅では、キノコや野菜を販売していましたが、メダカもあります。まいたけおにぎりを買って、ここは終了。金洞山方面に進みます。  

 金洞山の麓にある、中之岳駐車場で、車を降り、中之嶽(なかのたけ)大国神社に向かいます。ここには日本一大きなだいこく様がいます。高さは20mとのこと。小槌では無く、剣を持っています。まずは、前宮に参拝します。

次は、山の中腹にある社殿です。そのためには、急な145段の石段を登り必要があります。「石段が急なので無理をしないでください」とありますが、一気に(とはなりません)階段を登ります。中之嶽神社は、ここからはよく見えませんが鎮座する鎮座する轟岩が御神体とのことで、拝殿・幣殿のみで本殿を持たない、珍しい様式です。岩のくぼみを利用して、建立されています。

 妙義山を下りる途中、縁起だるま発祥の寺として有名な、少林山達磨寺に参拝します。ここは、前橋城の裏鬼門を護る寺であったそうです。本堂には、役目を終えただるまが、たくさん奉納されています。

 今日の最後、赤城神社を目指します。途中、昼食は、とあるうどん屋に寄る予定でしたが、残念ながらお休み。やむなく高崎の一風堂で特製赤丸新味を頂きました。赤城山大鳥居をくぐり、30分程走ると、赤城神社に到着です。ここは、大沼に面して、権現造りの本社と社務所のみのシンプルな境内です。参拝を終え、宿に向かいます。

 途中、大沼の湖畔に降りてみましたが、晩秋で時間も遅いということも有り、人影は、ほとんどありませんでした。

 今日の宿泊先は、赤城温泉ホテルです。赤城山の中腹にぽつんとありますので、大沼、小沼からは長いくねくね道です。部屋はリノベしたばかりで非常にきれいです。夕食は、上州牛すき焼き鍋のコース、前橋産ぶどうの赤ワインを頂きました。ここはアルコールの値付けがとっても良心的です。これにて本日終了。

<二日目>

 朝食後、榛名神社に向かいます。途中、榛名山ロープウェイのに立ち寄ります。出発する駅は晴れていますが、上にはガスが見えます。到着地点の山頂では、案の定、ガスで、榛名湖の端がようやく見える位です。頂上には、パワースポットの、榛名山富士山神社がありますので参拝します。社殿は、頑丈なコンクリート製です。ロープウェイで下ると、途中から視界が開けてきました。湖畔は、全く晴れています。

 榛名神社は榛名山の中腹にありますので、道を下ります。大鳥居の近くの駐車場に車を置き、坂の参道を上っていきます。鳥居の先には随神門がありますが、もともとは仁王門だったようで、神仏分離により仁王像が取り除かれ、随神像が置かれています。境内は深い森と沢山の奇岩・巨岩に囲まれており、神聖なパワーを感じます。

 しばらく歩くと、三重の塔があり、これも神仏習合の名残です。参道の左側は岩が切り立っていますので、危険な場所は落石防止のトンネルが参道を覆っています。神橋の先の岩は落ちないのでしょうか。御水屋の先には、武田信玄が戦勝祈願のため矢を射立てたという言い伝えがある矢立杉があります。その前の階段を登り、神門に向かいます。 

 神門をくぐると、社務所エリアになります。そこには、本殿工事中の看板があり、初めて本殿に行けないことを知りました。階段を登り、双龍門をくぐると、本殿エリアとなります。確かに工事中で、完成予想図がシートに描かれています。替わりの国祖社で参拝し、これで上毛三社巡りは完了です。神門をでると、紅葉の中に瓶子(みすず)の滝がみえます。とても秋を感じます。帰りに、参道のお店で、焼きまんじゅうを買いました。

 最後は、前橋をぶらりします。途中、昼食は、道沿いの「吾作」で、肉うどんとキノコうどんを頂きました。かなり腰のあるうどんでした。

 前橋は、まず群馬県庁からスタートします。途中に、前橋城の石垣の跡(車橋門跡)がありますが、お城の痕跡はほとんど残っていないようです。県庁として日本一の高さを誇るだけあって、壮観です。中に入り、エレベーターで32階の展望フロアーに向かいます。フロアーからは前橋を360度見渡せます。そこにあるYAMATOYA COFFEE 32で一休みします。

 県庁の下では、「ぐんま推しナンバープレート」(ぐんまちゃんの絵柄が入ったプレート)のイベントをしています。敷地の端に前橋城跡の碑をみつけました。お城の本丸に県庁があるんですね。隣接している楽歩堂公園に、元の県令、楫取素彦の像がありますが、碑文に寄れば、松下村塾の後継者であったり、富岡製糸場の存続に尽力したり様々活躍されたとあります。公園の北端には、前橋東照宮が有り、お参りしました。

 公園から道を隔てて臨江閣があります。これは、先ほどの像にあった楫取素彦の提言で、地元の人々の寄付で1884年に建設された迎賓館です。明治天皇、大正天皇も滞在されたとのことです。ここで、「ミステリと言う勿れ」の撮影がされたようで、ポスターが貼られています。

 臨江閣の本館の前にも庭園がありますが、臨江閣のとなりに、2008年に、臨江閣と一体化して新たに作庭されたの日本庭園があります。入口は、臨江閣の反対側にあります。回遊式庭園なのですが、上部からの水量はとても多く、川のようです。出口は、臨江閣に通じています。

 時間がまだありますので、街を散策することとします。「水と緑と詩の町」として前橋市のシンボルである広瀬川沿いの遊歩道を歩きます。川の流量は多い。途中、弁天通商店街に入ります。金物屋さんの前は、「今夜ロマンス劇場で」のロケ地です。全国どこでもそうですが、ここ前橋も完全にシャッター街です。140年続いた「藤屋」は閉店し、260年続いている陶器屋も終わりそうです。寂しい話です。

 高崎は、小麦の産地ということもあり、最近は「パスタのまち」として知られています。従って、最後は、パスタで締めくくりとします。駅ビルにある「はらっぱ」で生麺のベッロヴィスタ(魚介のパスタ)を頂きました。麺がもっちりして、ボーノ。

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散歩

草加~西新井大師

 気候も良くなってきましたので、久しぶりに散歩します。今日は、日光街道を歩いてみます。10時30分、東武スカイツリーライン獨協大学前駅を出発。初めは、綾瀬川のそばにある漸草庵百大の過客です。奥の細道に、「(深川を出発した)其(その)日、漸(ようよう)早加と云(いう)宿にたどり着(つき)にけり」とあり、そこからここの名前が取られています。ここで、早速お茶で一服。

 漸草庵の隣にある草加市伝統産業展示室を覗いてみます。草加は「せんべい、皮革、ゆかたのまち」ということで、それらが展示されています。草加せんべいと、丸菱の亜麻仁油とエゴマ油を買いました。

 旧日光街道に沿って進みます。木目調の和風太鼓橋(矢立橋)の先は、札場河岸(かし)公園です。この辺りの遊歩道は、「日本の道100選」にも選ばれています。公園は、かつての「河岸」、昔の舟運で使われた河岸場が復元され、望楼や常夜灯も再現されています。

 公園の先には、明治から昭和にかけて使われた煉瓦造水門「甚左衛門堰」が文化財として展示されています。

 草加市の旧日光街道沿いは、せんべい屋さんが実に数多くあります。そんなに売れるのかと、余計な心配をしてしまいます。

 近くに東福寺がありますので、参拝します。このお寺は、草加宿の礎を築いた大川図書が1606年に創建したとのことです。山門と鐘楼は草加市の指定文化財に指定されています

 街道沿いに、瀬崎浅間神社がありますので、参拝します。境内には、浅間庭園や、高さ4mの富士塚があり、見た目よりも奥行きの広い神社です。

 昼食時間となりましたので、谷塚駅近くで探します。AMORE営業中とありましたので、行ってみましたが予約のみとのこと。近くの源氏に入りました。週替わりのホッケ定食と、日替わりの鮭とキノコのクリームコロッケ+生ビールを頂きました。

 食事後は、花畑記念庭園に向かいます。石垣や堀に囲まれ、かつてお城があったように感じますが、1982年に足立区が区制50周年を記念して、新たに建築した庭園です。庭園の中には、桜花亭というカフェも併設されています。こんな所に、素晴らしい回遊式庭園があるとは、と感心しました。

 炎天寺に参拝します。小林一茶とここの住職が懇意だったようで「蝉鳴くや六月村の炎天寺」という句があります。「やせ蛙負けるな一茶是にあり」もこの近くで詠まれたそうで、一茶や蛙に因んだ像があります。

 島根鷲(わし)神社に参拝します。この辺りは、かつて海岸線で、日本武尊がここに上陸したとの言い伝えがあります。社殿の左側には、元の鷲神社鳥居(享和二年在銘、足立区登録有形文化財)があります。

 国土安穏(こくどあんのん)寺に参拝します。徳川秀忠、家光父子が鷹狩りの際、ここで休息していたそうです。その後、徳川家祈願所・位牌安置所となり、現寺号を頂くとともに、葵紋の使用も許されたとのことです。寺の近くの旧家「桐田家」のは、樹齢300年の黒松があります。

 いよいよ西新井大師に到着です。16時ですので、出発から5時間半経過しました。参道を抜け、山門を通ります。目の前には、巨大な西新井大師の大本堂が鎮座しています。さっそくお参りをして今日は終了。

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国内旅行

霧多布~野付半島~紋別・北見

<一日目> 

9月に入っても異常な暑さが続きますので、北海道に涼みに行ってみます。まず釧路に降りましたが、意外と涼しくは無く、微妙です。初めは厚岸。厚岸大橋を渡り、愛冠岬に向かいます。愛冠岬の先端には、「愛の鐘ベルアーチ』」があります。想いをかなえる鐘とのこと。ここから遠くには、小島、大黒島が見えます。

 厚岸の東側にあるピリカウタ展望台からは、昆布漁時期の早朝、一斉に漁場へ向かう400余隻の漁船がみえるそうですが、今は見えませんね。

 琵琶瀬展望台に立ち寄ります。ここは琵琶瀬湾と霧多布湿原に挟まれた高台で、両方がよく見えます。

 昼食は霧多布の中心地にある「善」で、霧多布昆布をつなぎにつかっているという「善そば」を頂きます。壁にはモンキーパンチの色紙、ルパン三世Payのポスターが。この浜中町がモンキーパンチの故郷ということを初めて知りました。

 善を出て、街をぶらつくと、他にもりルパン三世に因んだお店があります。浜中町は、これで街おこしをしているようです。

 霧多布岬展望台に向かいます。途中、昆布の故郷というだけあって、至る所で昆布を乾しています。霧多布岬展望台の下は断崖です。遠くには灯台が見えます。

 展望台から、灯台の方に車で向かいます。駐車場からは少し歩きます。灯台への道は、新日本歩く道紀行に選ばれています。確かに両側が断崖、絶景で、今日は風が心地よいです。ところで霧多布岬は、正式には湯沸岬(とうふつみさき)というそうです。この灯台は「恋する灯台」に認定されています。灯台の先にも、道があり最先端まで歩けます。途中の断崖から、ラッコが小さく見えます。

 霧多布岬の反対側に、琵琶瀬湾に突き出たアゼチの岬があります。夏の昆布漁が盛んな時期には、この海峡で、早朝に競い合う昆布船の出漁風景を見ることができるそうです。

 湿原の一本道を通り、霧多布湿原センターに向かいます。この湿原は霧多布の町に隣接しており、確かに人の暮らしや、漁業、農業に密着しています。展望台で休憩した後で、センターのそばに、観察用の木道がありますので散策してみます。時期的に蚊が多い!

 途中、茶内駅の前を通ると、ルパン三世の看板が見えましたので、立ち寄ることとします。浜中町はどこでもルパン三世と仲間たちに会えますね。

 宿泊先の標津に行く途中、毎日飲んでいる「別海牛乳」の生産現場を通って行くこととします。牧場の真ん中に、新酪農村展望台があり、登ってみます。高さは10Mですが、吹きさらしなので、高所恐怖症の私は、足が竦みます。

 今日の宿泊先は、標津の国道沿いにある、標津川温泉ぷるけの館ホテル川畑です。弱アルカリの源泉がホテルの駐車場から出ており、意外とお風呂は良かったです。夕食は近くの「武田」で標津前浜定食を頂きました。材料は、この辺りのものとのこと。品数が多く、満腹です。

<二日目>

 朝食前に、標津の町の散策です。狭い町ですので、30分程で一回りできます。

 今回の旅行のメインは野付半島です。今年3月19日に「氷下待ち網漁 の科学」と目がテンで放映していましたので、実際を見に行くこととしました。冬はさすがに厳しいので、今の時期としました。日本一の砂嘴を20㎞ほど、野付崎灯台に向かって走ります。両側は海です。周囲は湿原です。

 灯台から、ネイチャーセンターに戻ります。ここから、トドワラ(海水に浸食され立ち枯れたトドマツが藁状になったもの)に向け、20分程湿原を歩きます。途中、トラクターに抜かれます。乗った方が良かったか?海岸まで行き、元の道を引き返します。

 一時間ほど歩きましたので、ネイチャーセンターで別海の牛乳を使ったソフトクリームを食べ、一休みします。ここから、国後島は16㎞ほどです。中間の8㎞まで観光船は行くようです。途中、ナラワラ(海水に浸食され立ち枯れたナラが藁状になったもの)エリアも見学しました。

 ここから一挙に、紋別を目指します。昼食はシャリ町「里味」でつぶとエビのかき揚げそばを頂きました。

 昨年、網走監獄を見学しましたが、肝心の網走駅の看板を撮っていなかったので、途中立ち寄ります。

 網走、能取瑚はサンゴ草が最盛期です。サンゴ草は葉のない1年草で、秋になると赤く色を変えてゆき、深紅の絨毯のようになるようです。本土にはなく、オホーツク沿岸で見られるようです。

 網走から、1時間ほどでサロマ湖です。サロマ湖を一望できる幌岩山にあるサロマ湖展望台に向かいます。途中断崖の砂利道を15分程上りますが、道があっているのか不安になります。しばらくすると道が急に開け、サロマ湖展望台に到着します。ここからはサロマ湖が一望でき、パノラマを堪能できます。

 サロマ湖には、もう一つピラオロ展望台がありますので、途中寄ってみます。湖畔からサロマ湖を見渡せる場所です。昔、アイヌの人々がここから魚群の見張りをしていたと伝えられています。

 サロマ湖とオホーツク海を隔てる長大な砂州の人工的に開いた湖口に龍宮台展望台があります。北の方向にはは果てしなく広がる海、南はサロマ湖が一望できます。

 紋別の市街に入る前に、コムケ湖の国際キャンプ場に立ち寄ってみます。夕暮れの湖畔は鏡のように反射し、幻想的です。ところが、途中の道は、草木が散ったり木が折れたりで、竜巻があったような風景です。

 夕食は、紋別の飲食店街であるはまなす通りを散策し、通りの西の端にある「廬」で頂くこととしました。私たちの後からお店に入ってきた客は、その日強風で、帯広まで帰れなかったとのこと。北海道の西側の地域は、かなり風雨が強かったようです。JRも乱れていました。

<三日目>

 朝食前に、ホテル周辺を散歩します。中心地は狭いので30分程です。ここから紋別港がよく見えますが、流氷期は、この窓から、接岸した流氷が見えるようです。

 ホテルの窓からほたて工場が眼下に見えますので、行ってみました。貝柱をむかれたホタテが、ベルトコンベアでドンドン流れてきます。

 紋別市は流氷研究国際都市を宣言しています。その中心が、オホーツク流氷科学センターです。センターは、9時からですので、それまでその前のカリヨン広場をぶらり。はまなすが咲いています。時間になりましたので、入場します。防寒着を着て、流氷水族館、-20度の体験です。大げさでは無く、防寒着を着ても超寒いです。流氷水族館は、氷の中に様々な魚がいて、滅多に見ない面白い展示です。

 次は、海岸の向こう側にある氷海展望塔オホーツクタワーに向かいます。タワーへは、長い第三防波堤を歩いて行きます。オホーツクタワーの下7.5mは、魚の展示と海中の観察ができます。チョウザメの餌付けができますが、以外と凶暴で、油断すると指が嚙まれそうです。3階は展望カフェで、流氷期は一面流氷になるようです。

 紋別市ではアラスカの油田開発用に試験的に作られた砕氷船を「ガリンコ号」と名付け、流氷時観光船として利用しています。今は、オホーツク海洋交流館の岸壁に接岸したままです。

 北見の手前、道の駅「おんねゆ温泉」で昼食を、と考えていましたが、ここにはレストランがありません。敷地に併設されている「からくり王国」で、しろタマネギを買いました。この品種は、少量しか生産していないようで、地元以外では手に入らないとのことです。

 昼食は、道の駅で頂くことが出来なかったので、北見市に向かいます。14時も過ぎていますので、結局北見のイオンで取ることになりました。

 昼食後、北見ハッカ記念館に向かいます。記念館は各種の展示、実際の蒸留実演は奥の薄荷蒸留館で行っています。半日蒸留して、とれる薄荷油はごくわずかです。運良く、蒸留桶の内部を見ることが出来ました。薄荷のいい香りがします。ここで取れた「取卸油」を買いました。

 ハッカ記念館の近くにあるピアソン記念館を訪れます。ピアソンは1888年に来日し、1914年からここで宣教活動をし、1928年にアメリカに帰国しました。その間、開拓者と交流し、様々な社会を活動したとのことです。この建物は、北海道遺産に選定されています。

 夕食までは時間がありますので、北網圏北見文化センターを見学します。北見の歴史や開拓の様子などを知ることが出来ます。

 「焼肉といえば北見でしょ焼き」のキャッチーフレーズに誘われ、空港に近い「やきにくや」に行ってみました。大正解、おいしくて、リーズナブルな価格。迫田和牛のハラミは最高。行って良かった!

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十勝~富良野~増毛

<一日目>

 全国的に高温状態が続きます。涼しさを求め、今回は北海道へ。最初は、何かと話題の夕張に向かいます。夕張といえばメロンですが、まずは高倉健主演の「幸福の黄色いハンカチ」思い出ひろばに行ってみます。駐車場には大きな看板が。ひろばには映画の炭鉱住宅が再現されています。中には来場者のメッセージが貼られているコーナがありますので、私もメッセージを書いて、貼ってみました。懐かしい気がしますので、また映画を見たくなりますね。

 「夕張は石炭の発見から始まった」と市のパンフレットにありますので、次は石炭博物館を見学します。博物館には炭鉱や街の歴史、採掘現場の移り変わりがわかりやすく展示されています。特にユニークなのは、所々にあるパンチの効いたテロップです。「全国最高の市民負担、全国最低の行政サービス」とか。外の展示は、残念ながら火災により復旧工事中でした。

 夕張の最後は、シューバロダムです。渇水期は、ダムの湖底に沈んだ町並みが見られるとのことですが、今日は、満水に近いので、見ることは出来ません。ダムの近くにある夕張川ダム総合管理事務所には、ダムに関連する展示があります。

 お昼時なので、夕張市のガイドブックに載っている「くるみ食堂」に立ち寄ります。ご夫婦が、2021年にクラウドファンディングで、立ち上げたそうです。国道からは少し離れた場所にあり、周辺の人がお客さんと思います。豚丼と地元野菜のペペロンチーノを頂きました。おいしかったです。

 昼食後は、占冠の赤岩青巌峡に行こうと思います。途中、道の駅 「自然体感しむかっぷ」に立ち寄ります。地元で作った鹿と熊の缶詰を売っていました。道路状況を聞くと、大雨のため交通止め、但し赤岩青巌峡までは行けるとののことなので、行ってみることに。赤岩トンネルに入ったところ、天井から滝のような水、前が見えません。崩落するかも!という恐怖から、慌ててUターンし、戻りました。交通止めにしないのかしら?

 占冠から、清水町にある、十勝平野を見渡せる清水丸山展望台に向かいます。途中、千年の森に立ち寄ります。ここの広さは400haもあるそうなので、見学する時間はありません。入場口まで行き、引き返しました。

 目的地の、清水丸山展望台に向かいます。途中の道にゲートがあり、行き止まりかなと思いましたが、牛の逃走防止用とのこと。開けて、閉めます。全部で3カ所あります。展望台は名前の通り丸い山の上にありますので360度見渡せます。ここは穴場と言われていますが、確かに誰もいませんでした。

 最後は、十勝牧場の白樺並木の見学です。途中、至る所に小麦畑が広がっています。もうすぐ収穫と思い並木は並木は、家畜改良センターの隣にあります。但し砂利道なので、車が通るとしばらく砂埃が舞っています。写真撮影はしばらくたって、空気が透明になってからです。見学は、これで終了し、ホテルに向かいます。

 夕食場所を探しに、ホテルを出たところで、輓馬が曳く「馬車BAR」に遭遇。しばらく歩いて、はげ天に入りました。銀座ハゲ天とは関係ないようです。十勝の料理ということで、豚丼、地場野菜の天ぷらとサラダなどを頂きました。帰りに、帯広駅を見学し、今日は終了。

<二日目>

 今日も最初は、健さんからです。南富良野町にある「鉄道員ぽっぽや」の映画セットがある幾寅(いくとら)駅に行きます。駅舎はロケのセットがそのまま残っています。残念ながら、この幾寅駅も、根室線の一部廃線に伴い、本当に廃止となったようです。駅前には、だるま食堂やひらた理容店など映画のセットがまだ残っています。

 次は、ダム湖100選に選ばれている「かなやま湖」に向かいます。湖を横切る鹿越大橋を渡り、かなやま湖畔を散策します。ここもラベンダーが丁度見頃です。この辺りは、キャンプ場やオートキャンプ場となっています。

 富良野市に入り、「布部駅」には倉本聰直筆の看板があります。「北の国 此処に始る」とありますが、今回は北の国からの関係施設には立ち寄らない予定です。

 ファーム富田は、中富良野町にあります。ファームのラベンダーやポピーは丁度、満開です。皆さん驚きますが、入園料も駐車場も無料です。有料でもおかしくないと思うのですが、どうやって維持していけるのか、不思議です。途中、名物の、ラベンダーアイスを頂きました。

 昼食はどこも混んでいますので、近くの町営の「なかふらのフラワーパーク」の「きらら」で野菜カレーを頂きました。2階が食堂になっていますが、クーラーがないので、とても蒸し暑いです。窓から、町営ラベンダー園が見えるので、食事後行ってみることにします。

 この町営ラベンダー園も、入園や駐車場は無料です。ここもラベンダーが美しいですね。冬は町営のスキー場になるようで、山の頂までリフトがあります。もちろんこれは有料。頂からは富良野が一望できます。

 富良野エリアの最後は、富良野岳の麓にある原始の泉です。思っていたよりは規模は小さめです。但し、湧き出る水はとても冷たい。富良野は、南富良野町、富良野市、中富良野町、上富良野町の4市町村から構成されているようで、ややこしいですね。夕方近くなってきましたので、宿泊先の旭川に向かいます。途中、東川町に寄ってみます。この町は、先週、7月8日(土)のアド街で、写真と水と町として紹介されていました。

 東川に行く道も一直線です。北海道はこういう景色が多いですね。東川では、道の駅「道草館」に立ち寄り、ビーツとドライトマトを買いました。町を少し散策しましたが、ふと見上げ温度計を見ると23度。爽やかですね。

 夕食の場所を探します。良さそうな店は、皆満席です。しばらく歩くと、入りにくそうな店がありました。入ってみると、ご主人がお一人、お客さんはゼロ。やっているのか伺ったところ、開店中とのことなので入ってみました。焼き魚とゴーヤチャンプルを頂きました。おいしくボリュームもありました。ご主人との話の中で、「東川」のアド街も見ていたそうです。途中、ご主人の同級生の女性が入ってこられ、ご主人のプライベートの話で盛り上がりました。

 旭川に来たからには、締めのラーメンは欠かせませんね。ホテルに帰る途中「味特」に立ち寄り、醤油ラーメンを頂きました。おいしかったのですが、お腹はパンパン。今日はこれで終了です。

 

<三日目>

 今回宿泊したJRイン旭川は、下がイオンで、駅に直結しています。そのためホテルの窓からは、列車がよく見えます。今日は、北海道の西海岸、留萌、増毛に行って、千歳に戻ることとします。

 留萌は、黄金(おうごん)岬から。市のHPには、「かつてニシンの見張り台でもあった岬は、夕陽に映し出された群来(ニシンの群)がきらきらと黄金色に輝きながら岸をめがけて押し寄せたことから「黄金岬」と呼ばれるようになった」とあります。ここの夕日は日本一だそうです。

 岬を望む高台にある「海のふるさと館」に行ってみます。一階は、留萌の自然、
歴史、文化の展示と、留萌市出身で、映画音楽の巨匠・佐藤勝の特別展示室となっています。二階は展望施設です。

 留萌の最後は、千望台に行き、港や市街地を一望しました。夜は、夜景がきれいでしょうね。千望台には、ログハウス風の休憩施設がありますが、当日は営業していませんでした。気のせいか、町の密度は薄い気がします。次は、増毛に向かいます。

 昼食時ですので、増毛では最初に「まつくら」に向かいます。店の看板メニューの、特上生ちらしにしました。メニューを見ると、プラス1,200円で名物の「ジャンボ」に出来ますが、それも行けそうなかなと思います。

 食事後、駅の駐車場に車を止めます。増毛の駅は、廃線後復元整備され、町の交流拠点になっているようです。駅の反対側には、旧富田屋旅館(写真左)や旧多田商店(写真右 現在観光案内所)があり、一帯レトロ感満載です。後から知ったのですが、増毛は高倉健の「駅STATION」の舞台となっています。北海道はどこへ行っても健さんですね。

 増毛の町には、他にも旧家が多く残っています。小樽よりありそうです。重要文化財として公開されている「旧商家丸一本間家」を見学します。一階正面は呉服屋、二階は倉庫となっています。ここも、高倉健の「駅STATION」で使われています。展示室で知ったのですが、次に行く国稀(くにまれ)酒造は、この家の醸造蔵がスタートです。

 本間家が創業した酒蔵、国稀は、本間家から100m位の所にあります。店の奥では試飲が行われていまが、運転しているので、飲めません。全く残念です。店内で、特別純米酒「みずおと」を買いました。

 増毛の最後は、増毛の総鎮守、厳島神社への参拝です。拝殿の天井は、花鳥風月や雲龍の絵で飾られています。拝殿正面の本殿は宮大工が2年かけ総欅造りで細工が有名とのことですが、近くに行かないと分からないですね。

 この辺りの国道は、日本海オロロンラインと呼ばれているようです。海岸沿いの道でトンネルが続きますが、道が出来る前は、一帯、陸の孤島だったようです。途中の雄冬岬には、白銀の滝がありますので、降りてみます。滝の水は、海に直接入っていきます。

 道の駅、石狩「あいろーど厚田」で一休みです。どら焼きとオリジナルブレンドのコーヒーを頂きました。道の駅の隣は厚田公園となっており、そこの展望台は、北海道で最初に「恋人の聖地」と認定されたとのことなので、行ってみることにします。

 展望台へは、長く急な階段を10分ほど登る必要があります。裏手はスキー場のようで、リフトがあります(今は壊れている)。本来は、それでここに来るはずではないでしょうか。展望台には「誓いの鐘」というベルや、恋人たちが固く結ばれることを願って南京錠を取り付けるフェンスが設置されています。南京錠は道の駅の売店でも販売しているようです。

 今回の旅行の最後は、石狩市のはまなすの丘公園です。石狩灯台の先の湿地に木道が整備され、自生しているはまなすを間近で見ることが出来ます。この灯台は、1957年松竹映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となったとのことです。残念ながら、時期的に、花の盛りは過ぎているようで、一面のはまなす、とはなりませんでした。多くは花が散り、実がなっています。夕方も近づいてきましたので、千歳空港に戻ることとします。

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海外旅行

パリ~ハンガリー その3

(四日目)

 今日から、市街地観光です。まずは、ホテルの裏側にある王宮の丘に行くこととします。ケーブルカーの入口までは徒歩で10分程です。ケーブルカーは3区画に分かれており、1区画定員6人?です。数分で上に着きますが、なんと料金は一人2千円弱。そのためか、ほとんど乗る人はいないようです。

 ケーブルカーの出口を出ると、ドナウ川に向かって右が国立美術館、左が大統領官邸となっています。改装工事中の旧軍司令部の前を通り、丘の中心部に向かいます。

中心には、ドナウ川の向こうのペスト側から良く見えるマーチャーシュ教会があります。マーチャーシュとはこれを建てた王の名前です。また、ドナウ川の漁師がこの城塞を守っていたことから漁夫の砦といれているそうです。砦のカフェからは、ドナウ川と対岸のペスト地区が一望できます。10時の開店前でしたので、入りませんでした。

 10分程歩くと、丘の北端のウイーン門に来ます。元々は、ここに城門があったようです。門のそばの記念碑には、第二次世界大戦のブダペスト包囲戦(ソ連軍対ドイツ・ハンガリー軍)で多数の犠牲者が出たことが記述されています。オストムはこの辺りの地名です。グーグル翻訳は今一ですが、悲惨さは、伝わってきます。

 ブログで、ブダペスト在住の方が、ハンガリーの景色などのポストカードやノートがとても素敵だと、紹介されていた文房具屋の「Lúd Labor」に行ってみました。他では見かけないおしゃれな文具がたくさんあり、若いご主人もとても親切な方で、色々買いました。

 Lúd Laborを出て、しばらく歩くと、オペラ座に出ます。正門玄関から内に入ると、いわゆる「華麗で重厚な」世界が広がっています。ここはウイーンやドレスデンと異なり、第二次世界大戦の戦火を免れているそうです。

 朝から歩いていますので、カフェを探します。息子の紹介した「Parisi Passage Restaurant」はカフェゾーンは満員でした。よく分からないので、地球の歩き方のカフェの欄の一番上にある「Gerbeaud」を目指すこととし、ヴァーツイ通りを歩きます。H&MやZARAも威厳のあるビルに店を構えていると高級ブランドに見えますね。Gerbeaudは、開いていましたので、コーヒーとケーキを頂きました。

 カフェの後はまた観光です。対岸からよく見える国会議事堂に行くこととします。議事堂の前には、ハンガリー動乱のモニュメントがあり、それには弾痕の跡が残っています。大戦や動乱、ハンガリーは多くの悲惨な体験をしてきているなと感じました。ビジターセンターには、小学生が大勢、見学に訪れていました。

 次は聖イシュトヴァーン大聖堂に向かいます。イシュトヴァーンは初代ハンガリー国王の名前です。アジアの遊牧民がキリスト教を受け入れて、ヨーロッパの一国となり、国を統一した、とのことです。ドームは展望台となっています。エレベーターが混んでいましたので、階段で登ります。かなり登ります。ドームの展望台からは、ブダペスト市街が一望できます。

 ドームから降り、今度は大聖堂の内部に入ります。ハンガリー正教の総本山だけあって、壮大です。

 今日の観光、最後は、中央市場です。一階は肉や野菜などの食料品、二階は衣料や雑貨がメインとなっているようです。来ている人は、地元民よりは、観光客の方が多そうです。

 夕食は、街の中心地にあるフードコートで見つけることとします。ハンガリー料理と看板にありましたので、「Cafe Vian Gozsdu Udvar」で頂くこととします。ハンガリーの名物というアヒルのロースト、グヤーシュを注文しました。食事の最中、店の外で音楽が鳴り出し、お客さんが踊り出します。息子に後で聞くと、ハンガリー人は、踊るのが大好きとのことです。

 まだ日も明るいので、ホテルの近くのビヤホール「Belgian Brasserie Henri」に立ち寄りました。見かけは狭い感じでしたが、奥にかなりのスペースがあります。ベルギービールと鱒の焼き物を頂きました。

 外はようやく暗くなってきました、ドナウ川にかかる橋の夜景が美しいので、川沿いを少し散策してから、ホテルに戻ります。

(五日目)

 今日は、1896年に、建国1000年を記念して造られたという英雄広場からスタートします。広場の向こうは、市民公園です。そのときこの広場で博覧会が開かれ、造られたのが「ヴァイダフニャ城」とのこと。もうすぐ夏休みのためか、至る所に小中学生の団体がいます。

 この公園の中には、2022年1月に、日本人建築家の藤本壮介氏が手掛けた「ハンガリー音楽の家」がありますので、行ってみることとします。建物側面の天井には大きな穴が開いており、林と建物が一体となった構造です。建物内も、全面の壁から日が差し込み、とても明るくなっています。ここにも大勢の小学生の集団。

 音楽の家の反対側には、ヨーロッパ最大規模の温泉施設であるセーチェニ温泉があります。一見、博物館のようで、温泉には見えませんね。

 公園の周辺には、その他、国立大サーカスやブダペスト動物園もあります。公園の池の周りにあるベンチに座って一休み。英雄広場の両側には西洋美術館と現代美術館があり、見学しようと思いましたが、長蛇の列なので、諦めます。

 英雄広場から、地下鉄1号線(ブダペストの最初の地下鉄)に乗車します。ブダペストでは2回に1回、検札に当たりますので、一日券が必須です。

 オペラ劇場の前で降り、劇場とは道の反対側にある老舗のカフェ「Művész Kávéház」で一休みです。

 カフェを出て、ブダペスト最大のショッピングセンターに向かいます。途中、世界一美しいといわれるマックを覗いてみます。

 ショッピングセンター「Westend City Center」はブダペスト西駅の隣にあります。ブダペストっぽいモノ?ということでTシャツを買いました。

 今日の最後は、ゲッレールトの丘に見えるシュロの葉を掲げた女性像を見に行きます。工事中で、像の下には行けませんので、柵の外からの見学となります。碑文には「記憶してください、彼らはハンガリー独立のため、自由と幸福のため犠牲を払いました」(グーグル翻訳)とあります。この像は、もともとはドイツから解放したソ連兵の慰霊のため造られたそうで、もとは台座にソ連兵の像があったようですが、撤去されたとのことです。高台にありますので、眺めは最高です。来るときはバスで来ましたが、帰りは階段を歩いて降ります。

 ブダペストでの最後の夜ですので、夜景を見に行きます。夜景はこれで最後です。

(六日目)

 明日の朝は6時のフライトなので、午前中、市内観光した後、夕方、空港近くのホテルに移動します。初日、ケーブルカーで行った王宮の丘に、今回はバスで行ってみます。バス停で降り、階段を登ると、なんと漁夫の砦に出ました。最初からこれで来れば良かったですね。丘からの帰りも、徒歩で下のセール・カルマン広場に向かいます。そこから地下鉄2号線に乗り、街の中心部に向かいます。地下鉄のホームに、ブダペストでは唯一見た日本企業のCMがありました。

 地下鉄を降りて、リスト広場に向かいます。広場には、音楽アカデミー(リスト音楽院)があります。近くには、リストが住んでいた建物もあります。建物の前までは行きましたが、入館しませんでした。

 ブダペストでの最後の昼食は、リスト広場の「Cafe Vian」のテラス席で頂くこととしました。

 昼食の後、ドナウ川の中にあるマルギット島に行くこととします。島全体が公園となっています。公園内には大きな噴水が有り、音楽に合わせ、水流が変化します。日本では見たことも無いほど水流が変化します。小学生の集団も釘付けです。最後に、マルギット島にかかるマルギット橋から、ドナウ川の見納めをします。

 ブダペストから、空港そばのホテルに移動しました。後は、明日の6時発のパリ行きに乗るだけです。ところが夕方、突然、エールフランスから「明日の便が19時に振替となった」とのメール。帰国できなくなりますので、エールフランスとラインで交渉し、なんとかアムステルダム経由のパリ行きに乗れそうです。

 パリ行きの便が確定しない中、気が気ではなかったのですが、空港近くの「Zila Kávéház」で、息子とともに、ハンガリー最後の食事を頂きました。見たとおり、ボリュームがあります。

(七日目) 

 最後の日の早朝、徒歩で空港に向かいます。空には三日月かかっています。なんとか当日は無事パリに到着し、日本行きの便に乗ることが出来ました。

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海外旅行

パリ~ハンガリー その2

(一日目)

 今日はハンガリーに向かいます。パリのストの影響を心配しましたが、何事も無くオルリー空港に着きました。ハンガリーには格安航空WIZZ AIRで行きます。格安航空なので、行きの飛行機が到着し乗客が降りている最中にもかかわらず、搭乗口への入場が始まり、搭乗も、前のドアと後ろのドアから一斉に行います。Time is money ですね。

 2時間ほどで、リスト・フェレンツ国際空港に着きます。飛行機を降りるとき、こちらでも前と後から一斉です。ここは国際空港ですが、ターミナルは2つで、こぢんまりしています。

 空港までは息子が迎えに来てくれました。息子の自宅に寄り土産を渡した後は、夕食会場に直行です。お店は、ブダペスト市内を見下ろすゲッレールトの丘にある「Búsuló Juhász」です。最初に、養命酒に似た味のunicumを一気にのみ、その後、ビール、ワインを頂きました。食事は、豚肉と鶏肉の料理にします。子供によると、ハンガリーの牛肉は固く、あくが強いとのこと。帰る頃には日も暮れ、ゲッレールトの丘からはドナウ川沿いの夜景がよく見えます。食事後、ホテルに戻りますが、ホテル前からはドナウ川、川の向こうには国会議事堂が見えます。

(二日目)

 息子の車で、土曜日はブダペスト郊外、日曜日はウイーンに行くこととします。朝食前に、ホテルの周辺を散策します。ホテルのそばの鎖橋は、ホテル側は現在工事中で、反対側は終了しています。(従って夜景も左右で異なります)

 今日、最初は、「センテンドレ」です。ブダペストから北に車で小一時間の所です。オスマン帝国から逃れてきたセルビア人が定住し、今もセルビア文化が残っているの町とのことです。土曜日で時間も早いので、駐車場は空いています。「Pゾーン」は有料駐車エリアとのことで、管理人はおらず、ネットで料金を払います。払わないと反則切符が出ます。

 川沿いに町に向かいます。町自体は小さく1時間も歩けば、大概の所には行けそうです。ハンガリーはパプリカが名産で、どこの土産物屋にも乾燥したパプリカや粉末のパプリカが置いてあります。

 日も高く、暑くなってきましたので、ジェラートを頂きました。センテンドレで最も高い鐘楼のあるベオグラード大聖堂セルビア正教教会に向かいます。入口で寄付をしたのち、教会の中に入ります。壁一面にイコンが有り、壮麗です。

 次は、ハンガリー名物の軽食「ランゴーシュ」を食べに、「Fantazia」に向かいます。ランゴーシュは大きな揚げパンの上にサワークリームとチーズがトッピングされているのが定番です。一見重い食べものに見えますが、割とさっぱりしています。

 センテンドレの次は「エステルゴム」です。30分程で到着です。エステルゴムは、ハンガリー正教の総本山で、その巨大な大聖堂が有名です。大聖堂から見える蛇行したドナウ川の眺めが有名です。大聖堂の上には上れますが、今回は断念。

 代わりに、対岸のスロヴァキアに渡ってみることとします。あっという間です。ハンガリーは7カ国から囲まれていますが、日本人からは想像できませんね。売店で、水を買いました。ハンガリーはフリントですが、ここはユーロです。

帰り際、車をとめ、ハンガリーの大地を体感してみました。一面の麦畑です。

 今日の夕食は、スペイン料理の店「La nube」 に行きます。時間もまだありますので、ドナウ川沿いに徒歩で行くこととします。途中、王宮の庭があり、道の反対側には、夜、ライトアップされる王宮の庭や、その上の王宮の丘を見るための長いベンチがあります。ひょっとしたら世界一の長さ?

 「La nube」では、タパスを10種類ほど、ワインも大量に頂きました。メニューは英語でも書かれていましたが、よく分からないので適当に注文しています。

 帰りは、歩く元気もなくなったので、ホテルまでトラムで帰ります。トラムでは、進行方向の左には王宮の庭や王宮の丘、右にはドナウ川が見え、とてもロマンチックです。

 

(三日目)

 今日は、車でオーストリア、ウイーンに行きます。国境は、昔の検問所跡を、素通りです。ウイーンでは、駐車場は、オペラ座前の地下駐車場です。ベストです。

 3時間弱のドライブでしたので、休憩のため、有名カフェのツェントラルを目指します。オペラ座のファサードの下をくぐり、アルベルティーナ美術館を左に見ます。確かに馬車が至る所を走っています。が、馬糞が匂う。

 ヘレンガッセ(ガッセは通り)を更に進みます。左手、王宮の前には、母マリア・テレジアとともに共同統治を行っていたヨーゼフ2世の像があります。通りの右側にはチョコレート屋、おいしそう!とほほ。ツェントラルは予想通り、長蛇の列でした。

 ツェントラルのそばの、フライウイングパサージュに入ってみます。今日は、日曜日なのでお店は皆休業です。

 昼食は、 どこも混んでいましたので人通りの比較的少ない場所にあった「Toni’s」 のテラス席で頂きます。車で来ているので、お酒が飲めなかったのが心残りです。

 食事後は、やはり有名カフェに行ってみたい。王宮の正面にあるデメールを目指します。が、残念、ここも長蛇の列。時間が無いので並ぶのは諦めます。次回に持ち越し。

 時間も無くなりましたので、駐車場に戻ることとします。王宮の前を左に曲がり、アルベルティーナ美術館の前を通り抜けます。その前に行列がありますが、ホットドッグ屋のビッツィンガーでした。すごい人気店なので、食べてみたいのですが、時間がかかりそうです。

 オペラ座の道の反対側に老舗ののゲルストナーがあり、覗いてみましたが、ここも満員。結局は、その店の対面にあるスタバでコーヒーをテイクアウトし、帰りしな車中で飲むこととなりました。ブダペストに戻り本日終了。

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海外旅行

パリ~ハンガリー その1

 コロナも一段落、季節も良くなって来ましたので、子供の駐在しているハンガリーに行くこととしました。海外旅行は4年ぶりです。久々のパリを散策してから、ハンガリーに向かうこととします。当初はボルドーにも行く予定でしたが、フランスのストが心配で取りやめしました。

(一日目)

 夕刻着の便で、パリ到着。飛行機は、アラスカ、グリーンランド経由なので、これまでより、数時間多くかかります。そのせいか、とても疲れましたので、今日はホテル近くの、オランピア劇場の辺りをブラブラして終了。この劇場では、先月29日、小説家でミュージシャン(?)の辻仁成が出演し、大喝采を浴びたそうです。そのときの、ファサードには「TSUJI」の赤い文字がありました。

(二日目)

 今日は、買い物メインで行きます。ストの影響はあるのでしょうか。まずはその前に、明後日オルリーバスで空港に行きますので、出発地点であるDenfert Rochereau駅の確認です。駅前には、骸骨が600万体あると言われるカタコンブがありますが、やはり混んでいました。何回かトライしましたが、まだ見学出来ていません。

 以前、パリ水道局で、パリの子供たちが使っているという水筒を購入したのですが、とてもかわいいので、是非また手に入れたいと思い、再度訪れました。場所はミラボー橋を渡って直ぐ左です。水道局内部は展示スペースとなっており、水道水の試飲コーナーもあります。残念ながら、売店は無くなったとのことで、市役所の売店に行くように指示されました。

 バスに乗り、市役所に向かいます。途中、通常ルートとは外れ、右岸から左岸に向かいます。どうやらストの集会が行われている辺りを避けているようです。しばらくしてから右岸に戻りましたので、市役所前で下車します。市役所の売店に行ってみましたが、お目当てのモノはありませんでした。

 道の反対側にあるLe BHV Maraisに立ち寄り、トイレをお借りします。パリは、公共のトイレが非常に少なく、情報ではマレ地区ではここだけ、それも大きなデパートなのに1カ所だけです。次に、ここ最近パリジェンヌに大人気のブランド「Sezane」を見に行きます。ストで交通機関の状況が不明なので、歩いて行きます。フランスは丁度バカンス前ということで、大胆な色合いのバカンス用の服がメインで、残念ながら、これはという服はありませんでした。

 雑貨を見に、Merciまで歩きます。月並みですが、パリっぽいお皿を買いました。

 ユニクロを見に、オペラに行きます。オペラ・ガルニエは現在工事中(2024年末まで)で、建物のファサードには、シャネルの全面広告が見えます。道の反対にあるユニクロも、改修工事のためか残念ながら休業中です。オペラ大通りを歩いているとテイルと、長い行列があります。パテシエCédric Groletのお店です。

 その近くに、モノプリのピラミド店があります。今回は、そこでエコバッグを9個購入しました。お土産用です。

 この日の夕食は、モンパルナスのLe Bistrot du Domeで頂きます。向かいの本家Du Domeよりおいしいという人もいるようです。もともとは魚屋やですので、魚介料理がメインです。FRUITS DE MERと舌平目のムニエルを頂きました。

(三日目)

 今日は、最初に、ビュット・ショーモン公園の散策です。行きすがら、オランピア劇場の前を通ると、出演者の看板の工事をしていました。季節も丁度良く、多くの人が、のんびりと休息しています。公園は斜面にありますので、下には池が、上からは遠くにパリの町並みが見えます。

 ノートルダム大聖堂の修復工事を見に行くこととします。2019年の火災後、5年で復活と宣言していましたので、来年完工のはずです。オリンピックに間に合わせるのでしょうか。

 次は、ボンマルシェに行きます。途中、クリュニュー・ラ・ソルボンヌの地下鉄の駅に入ると、天井には無数のサイン。これはジーン・バゼンによって作成された、作家、詩人、哲学者、研究者、王の名前で、本人の署名をモザイクで再現しているそうです。ボンマルシェは、ラファイエットやプランタンに比べ、落ち着いた雰囲気があります。トイレは、ものすごく広い。こちらは逆に落ち着かない感じです。

 靴は、ボンマルシェの道の反対側にある「BOCAGE」で買いました。昼も遅くなりましたので、いったんホテルに戻ります。

 ホテルで休憩した後、セーヌ川方面に向かいます。「デモがあるので、中心部へは行かないように」と外務省のHPには書かれています。大統領府であるエリゼ宮の前を通りますが、特段、緊張感はありません。デモは終了したようです。シャンゼリゼ大通りを横切り、グラン・パレの前を通ります。

 セーヌ川に到着。コンコルド橋の袂では、エッフェル塔を背景に、映画の撮影をしているようです。

 当日は、日差しが強いので、なるべく木陰に入りながら、エッフェル塔を目指します。セーヌ川とエッフェル塔は絵になりますね。エッフェル塔の対岸では、日本風の屋台がセットされていました。夜になると、映えるのかもしれません。

 今度はセーヌ川から、シャンリゼ大通りを目指し手歩くと、凱旋門に突き当たります。側面と正面は大分イメージが違いますね。

 シャンリゼ大通りをコンコルド広場の方にしばらく歩きます。左に曲がり、Marbeuf通りに入り、今日の夕食の場所、「Le Relais de l’Entrecote」を目指します。今は18時半、19時からなので十分間に合うと考えていました。が、なんと既に50名程の列となっていました。私たちの後からも、何組も来ます。幸いなことに、一回目のターンで座ることが出来ました。ここは、メインのメニューはステーキ(2枚)のみです。周りは、全員観光客のようです。パリはこれで終了。明日は、ハンガリーに向かいます。

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四国遍路(高松~松山)

<一日目> 

今回は、香川、愛媛を旅します。これまで気にもとめていなかった四国遍路、今回は、お参りしたいと思います。高松空港から栗林公園への途中に、83番一宮寺が有りますので、早速参拝します。西門から手水舎を通ると、本堂があります。お参りの後、脇の納札入に納め札をお納めします。本堂のそばに、薬師如来の小さな祠があります。これは「地獄の釜」と呼ばれ、悪いことをする人が、祠に頭を入れると頭が抜けなくなるいう言い伝えがあるそうです。

 栗林公園に到着しました。南庭回遊コースと、北庭回遊ーコースが有り、それぞれ1時間程とのこと。今回は南コースとしました。公園の松は300年間手入れされてきたとのことで、どれも盆栽のように枝がくねくねしています。30分程お庭を回遊した後、掬月亭(きくげつてい)で一服することとします。

 入り口で、入亭料を払い、中で、抹茶とお菓子を頂きます。その後、掬月亭一ノ間を見学しますが、そこから眺める庭園は絶景です。湖畔を渡った5月のそよ風が、気持ちよく、ず~と畳に寝そべっていました。ふと見ると、天井に池のさざ波の光が反射しています。いつまでもは居られないので、泣く泣く亭を出ました。

 回遊も終盤となり、掬月亭を横に見ながら、ビューポイントである、飛来峰、芙蓉峰に登ります。南湖と北湖の間には、和船の乗り場があります。

 次は、高さ日本一の石垣を有する丸亀城です。高いだけあって、坂は急で長い。この坂は、見返り坂と呼ばれていますが、急なので、時々立ち止まって振り返りたくため、そう言われてるそうです。その石垣に鎮座する天守は、現存十二天守の一つです。天守からは、丸亀市内が良く見えます。

 お昼時ですので、道の途中にある「こがね製麺所」で、温玉ぶっかけ「中」とたこの天ぷらを頂きました。「中」はうどん2玉の意味とは、うどんが出てから分かりました。多かった!

 昼食後、次は、こんぴらさんに向かいます。駐車場は、あまり考えず、琴電琴平駅の近くにしてしまいました。参道まで、少し歩きます。参道1段目から、大門までは土産物屋が左右に続きます。大門で365段目、そこからは境内になります。飴を売っている五人百姓を通り、桜馬場西詰銅鳥居(431段)まで行きます。ここでちょっと休憩。

 ここでようやく半分になります。桜馬場西詰銅鳥居のそばには、今治造船所が奉納した巨大なプロペラがあります。そこから階段を登った先に、書院があります。丁度若冲の絵の特別展がされていました。旭社の手前の階段で、上りと下りが分かれますので、右側を登ります。さて、いよいよ御前四段坂が最後の階段です。御本宮へは、785段でした。

 日も大分傾いてきましたので、フォトジェニックなエリア(琴弾公園、父母ヶ浜)に向かいます。途中、68番神恵院、69番観音寺に参拝します。ここは、四国で唯一境内に二つの寺院があることで有名です。

 名勝・琴弾(ことひき)公園に車を止め、銭形展望台に行くこととします。急な山道を、15分程登ります。今日はこれで、3回目のクライミングです。今日は良く登ったので、明日しんどいかも。展望台からは、銭形の東西122m、南北90m、周囲345mもある巨大な砂絵が見えます。これを見れば健康で長生きし、お金に不自由しないといわれていますが、本当かな?

 最後は、ウユニ塩湖のような天空の鏡で有名な父母ヶ浜(ちちぶがはま)に行ってみます。たまたま今は、風がなく、干潮で、べストタイミングです。大勢、砂浜にでて、砂浜に現れている水たまり(潮溜り)で撮影をしていました。

 今日の宿は、リーガロイヤル新居浜です。夕食は、昼のうどんの量が多く、炭水化物はとりたくない感じなので、ホテルのそばのビッグボーイで、ステーキとしました。今日はこれで終了。

<二日目>

 新居浜に来ていますので、住友のルーツ、別子銅山採掘場跡を訪れることとします。山に入ると道はどんどん急になり、最後は車のすれ違いができない道を、15分ほど上り、東洋のマチュピチュと言われる東平(とうなる)地区に到着します。資料館やマイン工房は10時からなので、人は居ません。さっそく、展望台に上り産業遺産を見学します。本当にマチュピチュに見えますね。遠くには新居浜市街、瀬戸内海も見えます。

 帰る途中、道の駅「マイントピア別子」に立ち寄りました。ここには、鉱山鉄道や観光坑道があります。入場券を買って、時速10㎞の鉱山鉄道に5分程乗車し、観光坑道に向かいます。

 観光坑道は、全長333mあるとのこと。坑道の中には、昔の採掘風景のジオラマや、体験ゾーンがあります。坑道内はひんやりしています。

 鉱山見学のあと、道の駅に隣接している「旧端出場(はでば)水力発電所」を見学しました。この発電所は1897年から1970年まで稼働していました。最盛期は、ここから精錬工場のあった瀬戸内海の四阪島まで送電していたそうです。

 山での観光はこれで切り上げ、しまなみ海道に向かいます。お昼近くになりましたので、途中、今治の「CALULU」で、バーガーセットを頂きました。お店の雰囲気は、南国調です。

 しまなみ海道では、まず、来島海峡大橋で大島に渡り、隈研吾設計の亀老山展望台に行くこととします。そこからは、来島海峡大橋や対岸の今治市街がよく見えます。ここの藻塩ジェラートは有名なので頂いてみました。ちょっとしょっぱいです。汗をかく夏はいいかもしれません。

 次は、大島の対岸にある村上海賊ミュージアムに行きます。玄関には、村上水軍が、かつて使った機動力が高い小型船「小早船」が復元展示されています。館内は島の地理、海賊の活躍・歴史が常設展示されています。展望デッキからは、村上海賊の本拠地「能島」がよく見えます。本当に小さな島です。

 能島をよく見るため、近くのカレイ山展望台に向かいます。展望台からは、伯方・大島大橋、伯方島、鵜島、能島が見下ろせます。

 最後は、伯方・大島大橋、大三島橋を通り大三島に渡り、伊予国一宮の大山祇(おおやまづみ)神社に参拝します。三島神社や大山祇神社の総本社であり、日本総鎮守、山の神・海の神・戦いの神です。ここは奈良時代、778年(宝亀九年)勧進ということでとても由緒があり、境内には、樹齢2600年の楠の御神木も鎮座しています。

 夕食は、松山市、五志喜に入りました。媛会食と松山鯛飯セット、お酒は雪雀を頂きました。媛会食は、宇和島鯛めし、ミニ五色そうめん、今治せんざんき、じゃこ天、釜揚げちりめんサラダ、ふくめん、天婦羅、緋のかぶら漬け、みかんいなり、と、愛媛がつまっているとのこと。店の隣は郵便局ですが、ポストの上には明日行く予定の松山城が乗っていました。

 今日の宿は八千代です。部屋には源泉使用の温泉露天風呂が付いています。部屋は、和室・食事処・寝室の3間があり、とても贅沢な造りとなっています。今晩は、のんびりします。

<三日目>

 朝食前に、道後温泉の町を散歩します。ハイカラ通りに行ってみますが、朝なのでどこも閉まっています。道後温泉駅を経由して、湯神社を参拝します。高台にある神社からは、道後温泉本館の工事風景がよく見えます。道後温泉椿の湯、道後温泉別館飛鳥の前を通って帰ります。

 松山城に行く前に、道後温泉にある51番石手寺を参拝します。ここにはたくさんのパワースプットがあります。まずは仁王門の大きなわらじ。お賽銭のお金が沢山埋め込まれていますが、このわらじを触った手で、身体の悪い部分を触ると治るとか。本堂左側には、元気再生石と罪障消滅・再生くぐり輪があります。その先には、160mもあるマントラ洞窟があり、薄暗く、ひんやりとした空気の中で、密教の世界を体感できます。更には、四国八十八霊場お砂なでがあり、撫でると全ての霊場を巡るのと同じご利益があるそうです。参道には、正岡子規の句碑がありますが、市内には子規の句碑は100カ所ほどもあるようです。

 いよいよ松山城です。下からは、ロープウェイとリフトが併走していますが、今日は天気が良いので、リフトに乗り、天守を目指します。本丸の最初の戸無門には当初から門が無く、次の筒井門に誘うために設置されたと言われてます。

 天守まで、多くの門を通り、いよいよ内部に入ります。内部には、武具や歴史の資料が展示されていますが、ここは火縄銃や日本刀、甲冑のレプリカが有り、実際触って重さを体感することができます。天守からは、瀬戸内海がよく見えます。

 リフトに乗って、下に戻ります。ロープウェイ駅のある通りには、土産物屋が多くありますが、えひめ観光物産館では、100円で「蛇口からみかんジュース」を体験し、山田屋まんじゅう店では、二個おまんじゅうを買ったところ、お茶も頂きました。

 次は、今、旬な、大洲を散策します。オランダの非営利団体「グリーン・デスティネーションズ」は、世界100の都市を「持続可能な観光地」として毎年、発表していまが、大洲市は「文化・伝統保全」の部門で、今年、1位を受賞しています。大洲市の、城下町の歴史を生かしつつ観光客を誘致する点が評価されたようです。松山からは、車で1時間ほどで、大洲総合案内所の駐車場に到着です。今日は暑く、30度を超えています。お昼時ですので、案内所に隣接してる「分油屋」で豚肉が入った栗ご飯「とんくりまぶし」とお酒「鵜州」(養老大洲市大洲市)を頂きました。ダシをかけてお茶漬けにしても頂きました。

 ここは城下町ですので、早速、大洲城の見学です。狭い町ですので、徒歩10分程で到着します。天守は、2004年に復元工事が完成しています。眼下には、肱川(ひじかわ)が流れています。

 次は、街の反対側にある臥龍山荘に向かいます。途中、今回の賞で評価された、「市内に点在する古民家を、昔ながらの外観を生かしつつホテルに改装」の実際や、保全された町並みを見ていきます。

 臥龍山荘は、元々は大洲藩の遊勝地でした。2011年には、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで一つ星となっています。そこに建つ臥龍院は、桂離宮や修学院離宮を参考に造られたとされおり、京都の雰囲気があります。

 帰りの時間も近づいてきましたので、そばの臥龍茶屋で、抹茶セットで一服。その後、松山空港に向かいます。

(おまけ)愛媛空港のJALサクララウンジには、なんと、山田屋のまんじゅうと、「蛇口からみかんジュース」がありました!これが愛媛の象徴?

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国内旅行

野島崎(のじまざき)

 今日は、HISバスツアーで千葉県最南端、野島埼に行ってみます。野島崎は、国土地理院の表記で、海上保安庁では「野島埼(のじまさき)」です。難しい!午後から晴れるとのことですが、雨はざんざん降りです。連休明けで道は空いており、東京駅を出発し、40分程で海ほたるに到着しました。駐車場の窓から見ると、海は大荒れです。

 1時間半ほどで、野島崎に到着しました。雨は、ほぼ止んでいます。まずは野島埼灯台を目指します。この灯台は、1869年(明治2年)に、日本で最初に点灯した対岸の観音埼灯台に呼応して、2番目に点灯したとのことです。道が三叉路になっていますので、中央を進み、灯台に向かいます。入口で入場券を買います。

 階段は77段、その後急なはしごのような細い階段を登り、展望デッキに出ます。そこからは360度の風景です。荒い波が見えます。

 帰りは、厳島神社を通って、遊歩道に行くことにします。厳島神社の御祭神は天照大御神が生んだ三柱の女神で、海上の守護神です。拝殿の脇には「平和の愛鍵」という、恋と子宝に恵まれる祠があります。

 遊歩道の入口には、伊弉諾尊と伊弉册尊をお祀りする三峯神社の、鳥居と祠があります。遊歩道をしばらく歩きましたが、集合時間になりましたので戻ります。

 次は、おまちかね「とみうらマート」でビワの食べ放題です。20個ほど頂きました。普段は食べないので、一生分かな?産地でも贈答用のビワは高価ですね。

 ビワに食べ飽きた後は、隣にある道の駅「枇杷倶楽部」で買い物です。地元も食材をいろいろ買いました。ここには、日本テレビのアナウンサーも来たようです。

 今日の昼食は、「浜焼市場きよっぱち」で、お刺身と浜焼きの食べ放題です。今日は空いていましたので、牡蛎の殻むきはお店の方にお願いできました。刺身類は、ご飯にのせ海鮮丼も造ります。お酒も頂きます。あっという間の1時間でした。

 昼食後は、亀岩の洞窟を見学します。洞窟を見下ろす場所に、幸運の鐘がありましたので鳴らしてみます。川に降りるとそばに亀岩の洞窟がありますが、今日は昨日からの雨で濁流となっています。3月、9月の早朝、洞窟の向こうから日が差し込みハートに見えるそうです。

 帰路は、三井アウトレットパーク木更津に2時間滞在しました。アクアラインでバスの車窓から海を見ると、朝とは違い穏やかになっています。