カテゴリー
国内旅行

釧路、浦幌、豊頃、池田

<一日目>

 9月もやはり行くのは北海道ですね。今回は、釧路から帯広経由で、襟裳岬に行きます。釧路空港の温度計は、23.3度(東京の最高気温は34.2度)、ひんやりです。空港から、途中の道の駅「しらぬか恋問」に、「鍛高ラムネ」を買いに寄ってみましたが、なんと店は開いていません。ここは、鍛高譚のしその産地だったのですが。

 海岸沿いに国道336号で浦幌町に入り、砂利道を進み、昆布刈石(こぶかりいし)展望台に行きます。この海岸で、昔、アイヌの人たちが、昆布を収穫していました。遠くは、襟裳岬方向です。近くに、十勝太遺跡がありますので、立ち寄ります。アイヌの人達のチャシ(宗教施設?砦?諸説あり)の遺跡で、足元にあるらしいのですが良く分かりません。ここからは十勝平野のパノラマが見えます。

 昼食は、浦幌の中心部にある喫茶「カナリア」で、地元グルメ「スパカツ」を頂きました。ソース味のスパゲッティなので、焼きそばに感じが似ています。食事の後は、道の駅「浦幌」で草大福を買いました。

 途中に浦幌神社がありましたので参拝します。「乳神神社」はおっぱいの神様として有名とのこと。高台に在りますので、境内からは、浦幌の町が良く見えます。

 豊頃に入ります。漁港のそばに十勝発祥の地碑がります。本州から渡ってきた開拓者が、ここから十勝の大地を目指したと言われています。十勝川沿いに、豊頃町の町木「はるにれの木」があります。二本の木が一体化し、扇型になったとのことで、永遠の愛を誓い合った恋人?だそうです。

 豊頃の本格的な開拓は、明治中期、大きな役割を果たしたのは二宮尊親(尊徳の孫)で、教育にも力を注ぎ、現在も「報徳のおしえ」として受け継がれているとのことです。旧二宮小学校を利用した「二宮報徳館」があります。報徳館の入り口は残念ながら閉まっていました。

 今日の最後は、池田町のワイン城に行きます。屋上からは、周りに高い建物がありませんので、十勝平野が一望できます。季節も丁度良く、風が爽やかです。レストランは終了していましたので、カフェで山幸(ぶどうの種類)のアフォガードと、白ワイン(セイオロサム)を頂きました。売店では、清舞(赤)とナイヤガラ(白)を買いました。

 今日の帯広の宿は、北海道ホテルです。よく考えず、2段ベッドの部屋を予約してしまいました。上段は慣れていないので、頭をぶつけます。

 夕食は、駅近くの「農家バル」に行きます。ここは、和牛の生産者直営で、十勝のこだわりの食材を使用しているとのこと。飲み放題付きで、二人で税込み8,800円。ビールもスパークリングワインも飲めて、料理もおいしく、本当に良いお店でした。

カテゴリー
国内旅行

旭川

<三日目>

 今日はこれまでと違い、快晴です。稚内でこの天気であれば、樺太や礼文島・利尻島も見えたに違いありません。ここから長駆旭川に行き、そこから羽田に戻ります。ホテルのそばのオホーツクミュージアムえさしはまだ開館していませんので、三笠山の展望台に行ってみます。駐車場から歩いて展望台へ行こうと思いましたが、熊危険の看板。行くのはやめて、ここから町の風景を見ました。

 枝幸を出て、天塩川温泉に立ち寄ります。途中に、宗谷本線の天塩川温泉駅がありますが、ホームが道路のそばにあるので、1両編成なのですが、停車中は遮断機が閉まったままです。

 ようやく旭川に着きました。昼時ですので、あさひかわラーメン村の青葉で、醤油ラーメンを頂きました。11時半頃でしたが、かなり並んでいました。ラーメン村の一角に、ラーメン神社があります。参拝すると、夫婦仲はアツアツで麺のように長く続くとか。

 次は定番の旭山動物園に行ってみます。稚内と違い、24~5度位、日差しも強くなってきました。シロクマは暑さでげんなりのようです。こちらもソフトクリームで一休みです。平日のせいかもしれませんが、8割くらいは、外国人観光客です。

 次は、旭川デザインセンターに行きます。大雪山系の森の木を伐り出し、生活の道具をつくり始めたのが、旭川家具の発祥で、大小100以上の工房やメーカーがあるそうです。その拠点がこのセンターです。当日はIFDA(International Furniture Design Competition Asahikawa 2024)の発表、展示を行っていました。センターには、椅子が多く陳列されているミュージアム、各家具メーカーの展示・販売コーナーがあり、一見の価値があります。

 デザインセンターのすぐそばに、男山酒造り資料舘がありますので見学してみます。醸造の工程が、ガラス越しに見えます。試飲もできますが、運転のため不可。まったく残念!記念に1本買いました。代わりに、館の外にある「延命長寿の水」と呼ばれる男山の仕込水を飲んで我慢です。一人18リットル迄持ち帰れるそうです。ここも、8割程が外国人観光客です。

 まだ時間がありますので、北海道立旭川美術館で開催されている「日本の洋画 150年の輝き」展を見ていきます。それぞれの絵のそばにある日動画廊の長谷川徳七さんの解説、取得の経緯が非常に面白いです。展示されていた鴨居玲の自画像は、本人がしていた指輪と交換したそうです。丁度いい時間となりましたので、空港に向かいます。

カテゴリー
国内旅行

稚内、猿払、浜頓別、枝幸

<二日目>

 ホテルの窓からは、北防波堤ドームが見えます。チェックアウト後、徒歩でそこに向かいます。10分程で到着します。この場所は、北埠頭が樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、1931年から1936年にかけ建設された防波堤です。太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、確かに古代ローマ建築物を思わせますね。ここから樺太の大泊まで、国鉄稚泊航路があり、167㎞の海上を約9時間で行ったそうです。

 歩いて、駅の方向に向かいます。途中、大鵬上陸地の記念碑があります。碑文には、「当初小樽に向かう予定だったが、母親の体調不良のため稚内で途中下船した。その船は、その後、留萌沖でソ連潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した」とあります。運が良い人だったんですね。今回はロシア人を見かけませんでしたが、街のあちこちにロシア語の表記があります。

 さて、次は宗谷岬に向かいます。途中、空港近くの、北の桜守パークに立ち寄ります。ここは、「吉永小百合」さん主演の映画「北の桜守」のオープンセットを映画の資料展示施設として活用した施設です。

  津軽・会津・秋田藩陣屋の跡に立ち寄ります。北方警備のため、幕府は、ただ単に寒さに強いはずという理由から、まず本州最北端の津軽藩士が、翌年には同じ東北の会津・秋田藩士が、宗谷に派遣されましたが、東北とは比べ物にならないほど厳しい自然環境と野菜不足等が原因で多数の越冬死者をだしたといいます。その後、病気の予防薬としてコーヒー豆が配給されたことから、苦労した藩士をを悼むためのコーヒー豆の形の記念碑もあります。

 間宮林蔵の樺太就航の地にも立ち寄ってみます。林蔵を樺太に送った宗谷アイヌの記念碑もあります。遠くにトドや、弁天島(日本施政下の最北端)が見えます。

 ようやく宗谷岬に到着しました。まずは宗谷岬音楽碑のボタンを押して、千葉紘子の歌う宗谷岬のメロディを聞きます。次は、日本最北端の地の碑に行き、最北端を感じます。残念ながら、今日も樺太は見えません。振り返ると、高台に宗谷岬灯台が見えますので、登ってみます。

 宗谷岬灯台のある高台一帯は、宗谷岬公園となっており、たくさんのモニュメントがあります。その中でも一番規模が大きいものは、祈りの塔です。これは、1983年に発生した「大韓航空機撃墜事件」での遭難者の慰霊と世界の恒久平和を願うために建立され、塔の高さ19.83メートルは事故発生年を表しています。大岬旧海軍望楼跡は、日露戦争前は宗谷海峡がロシアとの境界であったことから、バルチック艦隊を監視する任務を負っていました。

 稚内の最後は、ホタテの貝殻を敷き詰めた「白い道」の見学です。途中には、稚内の風の強さを利用したウインドファームがあり、風車が林立しています。白い道は、本来フットパスコースなので、道幅が狭く、車のすれ違いは大変ですが、丘陵をずうと続く白い道は、幻想的です。

 稚内市からは、国道238号線で、猿払村、浜頓別町、最後は枝幸(えさし)町まで行きます。昼食のため、道の駅さるふつ公園に立ち寄ります。ホタテの網焼きがいいかなと思い、さるべつまるごと館に行きましたが、あいにく終了。同じ敷地にあるホテルさるふつ内の風雪で、帆立ラーメン(貝柱2個)と帆立焼きカレー(貝柱5個)を頂きました。さすが天然ほたて貝の水揚量日本一の村ですね。

 ひたすら一直線の猿払村道エサヌカ線を過ぎると、浜頓別に入り、ベニヤ原生花園を見学します。原生花園とは人の手を加えていない、あくまで自然そのもののことを言うそうです。歩道や木道が整備されており、散策はしやすいです。セリ科のエゾニュウが満開でした。

 浜頓別でも、道の駅「北オホーツクはまとんべつ」に寄ってみます。中にあるこんがり屋でコーヒを頂きます。ここは町民が交流することを目的に作られた道の駅で、中には、遊具施設もあります。

 道の駅の近くに道内最大の湖であるクッチャロ湖(大沼)があり、立ち寄ってみます。キャンプ場の近くに、白鳥の舎がありますが、これは、冬でも白鳥を観察できるように作られた建物です。

 浜頓別町と枝幸町の境界に、神威(カムイ)岬があります。この場所は、アイヌ語で「カムイ・エトゥ(神の岬)」「カムイ・エト(神の鼻)」と呼ばれていたとのこと。神威岬の崖の中腹には、北見神威岬灯台(きたみかむいみさきとうだい)が立っています。

 しばらく行くと、北オホーツク道立自然公園に指定されているウスタイベ千畳岩が現れます。海岸沿いに柱状節理の岩が、波の浸食で、畳を重ねたかのような形になっています。が特徴的。オホーツク海を赤く染める朝日は他では見たことのない千畳敷

 今日は、最後に、枝幸町の道の駅、マリーンアイランド岡島に立ち寄ります。建物の形が、船に似せているのが特徴です。偶然、今日もNHKのスタッフに遭遇。今日の夕方、ここから番組を中継するそうです。

 今日の宿は、ホテルニュー幸林です。早速会場へ行き、頂くこととします。枝幸町は、毛ガニ籠漁水揚げ日本一ということもあってか、毛ガニが半身ついています。ボリューム満点とは、ホテルのHPに書かれていましたが、想像以上のボリュームでした。

カテゴリー
国内旅行

稚内

<一日目> 

 暑い夏は、北海道、それも北か東が過ごしいやすいと思い、今回は最北の地、稚内に行くことにしました。飛行機は12時半頃稚内に到着しますので、早速、昼食をとるため、稚内副港市場にある「てっぺん食堂」に向かいます。この場所はにしん街道(松前町~稚内市、総延長約700km)の出発地点でもあります。うに丼にも目が行きますが、ここはよくばり海鮮丼にします。海の幸のボリューム満点です。

 市場の施設内には、かつての樺太への入り口、稚内港駅舎をだるまストーブや木製の改札口など当時の雰囲気をそのままに再現している「港ノスタルジー」や、「昭和」の記憶が残る商店街。街路には赤いポストや木の電信柱など、昭和の稚内をリアルに体感できる「稚内ノスタルジー」があり、過去に浸れます。

 稚内の全貌を見るため、初めは稚内公園の開基百年記念塔に登ります。晴れていれば、海抜250mの展望台から北はサハリン、西は利尻・礼文が見えるそうですが、今日はあいにく曇っていて、市街地しか見えません。1、2階には郷土資料の展示コーナーになっています。

 記念塔のある稚内公園を散策します。樺太犬にまつわるモニュメントがありますが、1956年3月、この地に「南極学術探検隊樺太犬訓練所」が設置され、訓練の後、同年11月に、第一次南極観測隊として22頭が出発したとのことです。また、近くには、九人の乙女の像がありますが、これは1945年8月20日に樺太の真岡郵便局で自決した9人の電話交換手の慰霊碑です。隣り合って氷雪の門がありますが、これは日本領土だった樺太で亡くなった日本人のための慰霊碑です。モニュメントの碑文を読んで、厳粛な気持ちになってきましたので、気分を変えるため、近くの「売店氷雪の門」で、名物の熊笹ソフトクリームを頂いてみました。

 稚内公園の麓には、宮司さんが常駐する神社では最北端の北門(ほくもん)神社がありますので、参拝していきます。頂いたご朱印にも、日本最北端のハンコが押されています。

 次はノシャップ岬に向かいます。そこに立つ稚内灯台は高さ42.7mで、日本で2番目(1番目は44mの出雲日御碕灯台)だそうです。雪の中でも見やすいように、紅白のストライプです。灯台の傍には、南極越冬隊資料展示コーナーがあり、内部には、かつて使用された居住棟や雪上車が展示されています。

 岬にあるノシャップ寒流水族館に入ってみます。水族館の入り口付近には、大きなアザラシの水槽があり、10頭ほど元気に泳いでいます。脇の小さな水槽では、今年3月に生まれたゴマフアザラシの赤ちゃんが泳いでいます。館内の水量90トンの回遊水槽には幻の魚イトウやメバルが、小型水槽には毛ガニやズワイガニが展示されており、入場料500円は安いと感じました。水族館に大勢のNHKのスタッフがいましたが、今日から始まる番組の準備だそうです。

 市内に戻る前に、南のサロベツ方面に10分程、夕日が丘パーキングに行ってみます。ここは、利尻島や礼文島が見える夕日のビューポイントだそうですが、曇っていて何も見えませんでした。市内に戻り、市役所の受付で最北端証明書を頂きます。稚内駅そばの無料駐車場に車を止め、稚内駅を見学します。至る所に「最北端」という文字があります。歩いて、今日の宿であるドーミーインに向かいます。

 夕食は、ホテル周辺の居酒屋を探しますが、観光客でどこも満員です。夕食難民か?とも思ったりしましたが、運よく「ビストロ Keito」開いていました。稚内のだいたいの飲食店は、冬が厳しく観光客もいないので、通年営業していないので、夏はキャパが足りなくなるようです。予約が必須です。Keitoでは、魚介系とお肉系それぞれ頂きましたが、どれもとてもおいしかったです。

カテゴリー
国内旅行

恐竜博物館、越前大仏、越前大野城

<三日目>

 今日も、朝食前に散策します。昨日行った庄屋のあるガレリア元町商店街の前を通ると、福井駅に出ます。今の時間、ティラノサウルス・ロボットは残念ながら動いていません。自然史博物館の様な現代的な建物と恐竜のコントラストが面白い駅前です。福井城に行ってみますが、石垣や堀は見事に整備されており、ここに県庁が建っているのが本当に残念なことです。

 朝食後、福井県立恐竜博物館に向かいます。市内からは、意外と遠く、一時間ほどかかります。昨年、リニューアルされたとのことですが、恐竜のジオラマや骨格標本がてんこ盛りです。恐竜の好きな人であれば、ずうっと居られるのでしょうが、余り知らない人には、それほど違いが分かりません。但し、足の骨が、人の背丈よりも大きいブラキオサウルスの巨大さには驚きました。

 次は越前大仏に立ち寄ります。ここ大師山清大寺は、当初1987年観光目的で建築された寺院で、その後、税の滞納から勝山市に差押されていたようです。今は、臨済宗妙心寺派の宗教法人になったとのこと。ひっそりとした門前町を通り中に入ります。歴史はともかく、その巨大さには度肝を抜かれます。東大寺より大きい大仏(像高17m)、大仏殿(高さ52m)。日本一高い五重塔(高さ75m)。大仏殿の、1281体の小仏群等々。

 いよいよ最後の目的地、越前大野城です。越前大野城は大野市の中心部にある亀山(標高:249m)にそびえる平山城で、城下町が雲海に包まれ亀山だけ見える日に「天空の城 越前大野城」が現れるとのことです。当日は、雲海もありませんし、山の麓からは、城も見えません。車は、結ステーションに停めます。お城の登り口は3ヶ所有りますが、南口から登ってみます。坂道は整備されており、20分程でお城に到着します。そこからは、大野市内が一望出来ます。

 帰りは北登り口から、戻ります。途中に、西国三十三所石仏(亀山観音)が祀られていますが、元々は北口から南口まで並んでいましたが、1959年の伊勢湾台風により大きな被害を受けたため、現在のように集められ、上屋をかけて保存されているとのことです。確かに、石仏は大分傷んでいます。結ステーションに戻り、そこで地場の野菜やお菓子を買いました。

 これから福井を去り、大阪伊丹空港に向かいます。昼食はまだなので、北陸道、南条SAのボルガ食堂で、福井のご当地メニューであるボルガライス(オムライスの上にトンカツ+秘伝のソース)を頂くことにします。この料理は、ガイドブックによると越前市武生の発祥ということなので、まさにこの辺りです。ソースカツ丼が心残りですが、これと似てますね。

カテゴリー
国内旅行

三方五湖、朝倉氏遺跡、永平寺

<二日目>

 朝食前に、ホテル周辺を散策します。初めに、宿泊している部屋から見える、海岸に行ってみます。夏は海水浴場になるとのことですが、波は全く穏やかです。次にホテルの裏側、5分程歩いて、久々子(くぐし)湖に行ってみます。こちらも湖面は鏡のようです。早朝にもかかわらず、ボートを練習している人がいました。

 朝食後、三方五湖のレインボーライン山頂公園に向かいます。山頂へはリフトで登ります。山頂からは、三方五湖が全面に広がっています。早速、五湖テラスの丸いソファーに寝転がり、景色を満喫します。寒からず厚からず、全く気持ちの良い日和です。この公園にも、ご多分に洩れず、カップル用の趣向が多くあります。

 ハンモック広場で一休みした後、バラ園の奥にある和風カフェで、雄大な景色を堪能しながら、お茶を頂きました。公園を散策していると、五木ひろしの「ふるさと」が流れてきます。場違いな感じもしますが、音源のそばに行って納得。彼は、美浜町の出身で、名誉町民でした。寄付もしているのでしょうね。

 次は、高速で一乗谷の朝倉市遺跡に向かいます。一乗谷レストラントで、昼食を取りますが、朝食を沢山食べたので、軽く、越前そばにしました。

 昼食後は、道の反対側にある、平面復元地区を見学します。かつてこのエリアは、幹線道路が走り、寺院や職人の家が建ち並び、町屋を形成していたようです。地区の南端には、復元街並がありますので入ってみます。武家屋敷や庶民の町屋が再現されていますが、堀の石垣や建物基礎はそのまま使っているそうです。ところでこの辺りは、日本のポンペイ?と呼ばれているようですが、南北に1.7キロ㎞、278㏊の広さがあるこの一帯は、それまで農業をしていた地元の人の手によって50年以上発掘・整備が進められたとのことです。

 街並みの反対側には朝倉館跡があります。復元された唐門から中に入ります。ここには、16棟の建物が建っていたようです。館跡の奥の丘の上には、母親が住んでいた中の御殿跡、妻の住んでいた諏訪館跡があります。

 遺跡を一回りした後は、車で5分程の一乗谷遺跡博物館に行きます。駐車場に着くと、博物館の大きさに驚かされます。ロビーから入って二階に上がると、基本展示室が有りそこに城下町の巨大ジオラマがあります。圧巻は、隣にある朝倉館の原寸再現の展示です。一階には川湊の石敷遺構が間近で見られます。

 次は、30分程で永平寺です。今日は参拝者も少ないようで、駐車場もガラガラです。早速参道を通って、永平寺に向かいます。永平寺川の横には、永平寺認定の、宿坊体験の出来る宿が並んでいます。唐門は、新住職などの特別の人用なので、通用門から入ります。

 通用門から境内に入ります。参拝者の研修や宿泊の施設である吉祥院に入り、参観者控え室で永平寺のビデオを見た後、いよいよ寺院内部に入ります。

 吉祥閣の隣の天井絵が有名な傘松閣を通り、七堂伽藍を順に見学します。床には道順が描かれていますので、それに従って進みます。途中、頻繁にお坊さんとすれ違いますので、ここは実際の修行の場であるということがひしひしと感じられます。仏殿には、中央に曹洞宗の本尊である釈迦牟尼仏、幕でよく見えませんが、右に弥勒菩薩、左に阿弥陀仏が祀られています。

 次は仏殿から急で長い階段を通って法堂に進みます。中央に聖観世音菩薩がお祀りされていますが、ここは禅師が説法を行う道場で、朝のおつとめ(読経)など各種儀式が行われる場とのことです。最後は、山門を通り、吉祥閣に戻ります。

 永平寺参拝の後、福井市に向かいます。まだ時間もありますので、福井藩主松平家の別邸であった養浩館の庭園を見学することとします。回遊式のの庭園ですので、池の周囲をぐるりと回って、お庭を鑑賞します。この庭はアメリカの庭園専門誌で、2023年、日本庭園第9位に選ばれています。(1位は足立美術館、栗林公園は11位)

 庭園からの帰りは、水路に沿った遊歩道を歩きましたが、この辺りは、福井城の堀の一部だったようです。途中には、かつて福井城の北側を守っていた舎人門が、復元されていました。

 夕食は、ホテルの近くの創業45年超の「味処庄屋」で頂きます。地産地消にこだわる店とのことで、新鮮なお魚と地場の特産を頂けました。お酒も進み、お店ブランドの破竹の心に加え、黒龍(永平寺町 黒龍酒造)と一本義(勝山市 一本義久保本店)も頂いちゃいました。お値段も安かった!

 酔い覚ましに、福井駅周辺をぶらぶら歩きます。「有る」とは聞いていましたが、恐竜の像がこんなに多く展示されているとは思いませんでした。

 今日の最後は、柴田公園・北庄(きたのしょう)城址にある柴田神社に参拝します。本来は勝家とお市の方をお祀りする神社と思いますが、浅井三姉妹の銅像も設置されています。この神社では、お市の方にあやかって、人を惹きつけ良縁を得ようとする「美(モテ)祈願」という変わった祈願ができるようです。祈願のピンクの幟が沢山掲げられています。

カテゴリー
国内旅行

鯖街道 大原~小浜

<一日目>

 今回は、鯖街道を京都から北上してみます。出発地は、京都出町柳ですが、車窓からの確認だけに留めます。まず初めは、大原に立ち寄り、三千院に参拝します。国道から脇道に入ると、しそ畑と「女ひとり」の歌碑が有ります。そばを流れる呂川(りょせん)に沿って坂道(響の道)を上っていきます。途中には土産物屋が多くありますが、時間が早いのとオフシーズンのためか閑散としています。

 しばらく歩くと三千院への参道がありますので、左折し階段を登って行きます。参道の左側、三千院の壁と下の土は一面苔で覆われています。御殿門から中に入り、客殿に上がります。畳に座り、しばらくお庭(聚碧園)を鑑賞します。ここでお茶を頂きたいところですが、ここではパスします。

 次はお庭の散策です。客殿から宸殿に抜け外に出ます。お庭の先には往生極楽院が有り、そこには国宝の、阿弥陀三尊像が納められています。院に上がると、間近で像を拝見できます。手が届く距離です。この辺りの苔むす庭園では、石彫刻家・杉村孝氏が手掛けた「わらべ地蔵」に出会うことができます。

 境内散策を続けます。金色不動堂の本尊は秘仏金色不動明王ですが、当日の4月は開扉される期間てあり、お姿を拝すことができました。金色不動堂の先、境内の最北端には観音堂があります。堂の右側には、檀家が奉納した小観音がびっしりと安置されています。境内の西の端には、阿弥陀石仏とおさな六地蔵がひっそりと鎮座しています。

 次は、大原の反対方向にある、寂光院に向かいます。三千院からは20分くらいの距離です。ここには平清盛の娘、安徳天皇の母である建礼門院が終生を過ごした場所ですが、山裾に一軒だけということも有り、静かなたたずまいです。観光客も少ないので、ゆったりとお茶を頂き、雰囲気を堪能できました。残念ながら、本堂は放火で2000年に焼失し、その後再建されました。ひどい話ですね。

 次は、若狭鯖街道の宿場町、熊川宿に向かいます。途中の道には、鯖街道だけあって、時折、鯖ずしの看板が掲げられています。車はそんなに通ってもいないので、商売になるのかしら?昼食は道の駅「若狭熊川宿」で頂きます。メニューには、福井だけあって、鯖ずし、越前そば、油揚に加え、鯖だしのラーメン、ソースカツ丼など福井名物で一度は食べたいものだらけです。

 即時の後は、熊川宿を散策します。今も江戸時代に形成された街並みがのこっており、「御食国(みつけくに)若狭と鯖街道」として日本に認定されています。残念ながらこの街は、水曜日が定休日とのことで、お店は皆お休みでした。

 小浜に入る前に、明通寺に参拝します。ここの本堂と三重塔は鎌倉時代中期のもので、いずれも国宝です。本堂には、薬師如来等の重要文化財の仏像が4体安置されており、寺のお坊様からお寺の由緒などを説明して頂けます。山の中腹にありますので、寺からは下界が見渡せます。

 小浜は、全国8割の箸を生産しているそうです。その規模を体験出来るのが、箸のふるさと館で、壁一面に箸が展示、販売されています。箸の研出しの体験コーナーもありますが、営業時間が過ぎており出来ませんでした。また、世界最大の箸も展示されています。

 鯖街道は一本の道ではなく、多くの道があります。若狭と京を結ぶ幾本もの街道や峠道、それぞれ固有の呼び名がありますが、総称して「鯖街道」と呼ばれるようになっています。最も多くの物資が往来したのが「若狭街道」、若狭と京を最短で結ぶのが「針畑越え」のルートで、それぞれの起点に行ってみました。

 まだ時間がありますので、ベンガラ格子や出格子の家々が軒を連ねる三丁目の街並みを見ていきます。この辺りは、旧茶屋町だったようです。どの家の軒先にも、魔除けと幸運を呼び込むため、身代わり申(さる)という赤い人形が吊されています。この辺りも、残念ながら水曜日が定休日でした。

 今日の宿は、小浜から車で30分、若狭湾を望む所に建つ「ホテル湾彩」です。夕食の席からは、暮れていく若狭湾が見えます。食事はスタンダードコースでしたが、ボリュームは満点でした。お酒は地元美浜町の「早瀬浦」です。

カテゴリー
国内旅行

湯村温泉、竹田城、丹波篠山

<三日目>

 朝、窓の外は霧がかかっています。これから行く竹田城も、今なら、雲上の城になっているのでしょうね。春来川沿いに散策してみます。川沿いに桜が、映えます。しばらく行くと、湯気が見え、荒湯(源泉)があります。玉子を茹でている人もいます。ここ湯村温泉は、今からおおよそ1200年前、平安時代初期に「慈覚大師」により発見されたと伝えられている古湯で、その像も荒湯の脇にありました。近くには、ここが舞台となったNHKのドラマ「夢千代日記」の記念碑があります。

 宿からは1時間ほどで、お城の麓にある山城の郷に到着します。ここで車をおり、竹田城まで25分程、坂道を上ります。途中には「落ちない岩」がありますが、受験生がここにお参りに来るとか。料金収受棟で入場券を買い、更に階段を上ります。さすが山城で、どこまでも登ります。

 階段の先に、竹田城の大手門(桝形虎口)があります。まっすぐ進めないように、鍵型になっています。大手門を上ると、北千畳という広い空間があります。そこからは、来るときに通ってきた播但連絡道路のコンクリート橋(虎臥城大橋)が遠くに見えます。この道路の先は、トンネルで、竹田城の真下を貫いています。

 見学通路は、三の丸、二の丸と続きます。竹田城の構造は、山の地形を利用して、北千畳、三の丸、二の丸、本丸・天守、南二の丸、南千畳と直線的に配列されています。天守からの眺望を堪能した後、南二の丸、南千畳を通て、最初の山の郷に戻ります。それにしてもこの高い山に、,石垣をどうやって築いたのでしょう。

 次は竹田城の撮影スポット、対岸の朝来(あさご)山中腹の立雲峡に行くことにします。展望台は上から3ヶ所ありますが、一番下の第三展望台で見学します。ここからでも竹田城の難攻さはよく分かります。残念ですが、今日は黄砂が激しいです。小学生の山桜の植樹が一面にありますが、10年程経過すれば、桜満開の景勝地になりそうです。

 次は、丹波篠山に向かいます。丹波市と丹波篠山市が違うということを、今回初めて知りました。昼食は篠山城近くの、大正ロマン館で、黒豆コロッケバーガーと黒豆コーヒーを頂きました。黒豆はコーヒー豆に似ていないことも無いためか、味は豆っぽい?ですがコーヒーでした。

 早速、篠山城に行ってみます。この城は、笹山という小山を利用し、藤堂高虎により築城された城で、関ヶ原後の豊臣対抗のため、防御に徹底した城です。そのためか、天守は造られず、藩政のための大書院がメインの建物となっています。多くのドラマのロケ地となっているとのことです。

 大書院の裏は、二ノ丸となっています。天守台は、通常の城郭と異なり、城の南東の隅にあります。埋門(うずみもん 非常時に埋めて遮断する門)から出ると、そこは広い三の丸です。三の丸を囲むように大きな外堀、幅は江戸城並では、と思えるような堀があります。

 篠山城の西側には、御徒士町武家屋敷群が整備されていますので、行ってみます。他にも商家群や資料館がありますが、時間もありませんのでこれで終了とします。

 最後は、ここから30分程の所にある丹波焼きの里に行くこととします。四斗谷川(しとだにがわ)沿いに、60以上の窯元がありますが、その真ん中ほどに立杭(たちくい)陶の郷(すえのさと)があり、そこには沢山の窯元の作品が展示されています。陶の郷の窯元横町はリニューアル中(10日後オープン予定!)で、アートギャラリー丹波で臨時に展示販売されていました。ここではお皿を買いました。では時間になりましたので、そろそろ伊丹に戻ります。

カテゴリー
国内旅行

舞鶴、琴引浜、余部

<二日目>

 朝食前に、ホテル周辺の散策します。ここは直ぐ近くが舞鶴高(東港)の近くです。目の前は、昔は枯木浦と呼ばれていたようです。西港が漁港メインに対し、こちら側は軍港メインです。海上自衛隊の艦船が多数停泊しています。対岸に見える赤レンガパークもかつては軍の施設でした。

 アマービレ舞鶴を出発します。初めは、田辺城址に向かいます。この城は、関ヶ原の戦いで、古今伝授を継承している細川幽斎がこの城に籠城し、幽斎の戦死を恐れた後陽成天皇の仲介で西軍は攻撃をするのをやめた、ということで有名です。現在の田辺城跡は舞鶴公園になっており、模擬復興されています。

 次は赤れんがパークです。これらは旧海軍舞鶴鎮守府の砲弾等の軍需品保管倉庫を保存・活用した物です。赤れんが3号棟は海上自衛隊関連グッズや舞鶴の特産品のショップとなっています。

 次は一路、日本海、網野の琴引浜を目指します。ここは鳴砂で有名です。砂浜への入場には、1台1000円の管理費が必要です。砂の上で靴を滑らしたり、手の中に砂を入れ強くもんだりすると、キュッと音がします。青い海と白い砂だけ見ると、外国のビーチにも見えますね。赤い旗が立っているところがよく鳴くよ、と、管理者に言われました。

 海岸沿いにドライブを続け、城崎マリンワールドに駐車します。ここで昼食と日和山海岸の見学をします。外の景色を見ながら、カレーを頂きました。食事後は、日和山海岸の見学です。海岸は、山陰海岸国立公園に属しており、日本海の激しい波風で浸食され複雑に入り組んでいます。遠くにみえる後ケ島は、浦島太郎伝説の島として、言い伝えでは、浦島太郎が玉手箱を開けた場所と言われているようです。

  更に海岸線を行くと、はさかり岩があります。二つの岩中に挟まり、丸い岩が落ちそうで落ちないので、合格祈願で訪れる人も多いとか。この地方で挟まることを「はさかる」と言うことから,「はさかり岩」と名付けられましたとのこと。

 海岸線を更に進み、香住の大乗寺に参拝します。この寺には、円山応挙やその一門の画家たちの襖絵などが数多くあり、応挙寺とも呼ばれています。客殿の正面には、丸山応挙の像がデンとあります。見学者は客殿左側の入口から中に入ります。仏間の十一面観音を中心に13の部屋があり、各部屋毎の障壁画を、スタッフの方に案内頂きます。

 今日の最後は、余部鉄橋です。コンクリート橋に変わりましたが、かつての鉄橋も一部が保存されています。トンネルは、そのまま使用しているため、途中からS字にカーブしています。道の駅で、餡ドーナッツとコーヒーを頂きました。

 1986年12月28日昼、回送中の列車が、日本海からの突風にあおられ、橋梁から転落し、真下の水産加工工場を直撃し、従業員の女性5名と車掌1名の計6名が死亡するという事故がありました。その慰霊碑が橋梁下にあります。合掌。新余部鉄橋は安全対策が強化されています。鉄橋には「空の駅」がありますので、さっそく見学してみます。高さ47mのエレベーターに乗って、展望施設に上ります。展望施設には、休息?眺望?のためのベンチがありますが、足下はスリットで、下が丸見えのため、恐怖を覚えます。

 鉄橋を山側に進むとホームがあります。丁度、上りの電車が停車しま反対に反対にトンネル方向の先端に進むと、旧線路は途中で切れています。新線路はトンネル方向にカーブしているのがよく分かります。

 夕食は、浜坂駅前の浜っ子を予約しています。まずはビールと地元の香住鶴をお願いし、おでんや焼き鳥、お造りを注文しました。まずおでんの分量の多さに感動、その後おつくりがなかなか出てこないので、どうしたのかなと思っていると、出されたお皿をみて腰を抜かしました。食べきれないほどです。食べ終わってお勘定をお願いしましたが、申し訳ない気がしました。

 浜坂駅前から湯村温泉に向かいます。一風呂浴びて、温泉街を散策してみました。ここには、あの、とび太君がいました。

カテゴリー
国内旅行

天橋立、伊根、経ヶ岬

<一日目>

 今回は、京都と兵庫の日本海側を巡ってみます。大阪空港から一路天橋立を目指します。駐車場から天橋立ビューランドへのリフト・モノレール乗り場までは5分ほど。あいにくリフトはまだ整備中で、モノレールで上に向かいます。残念!頂上からは、飛龍観の天橋立が見えます。右が宮津湾、左が阿蘇海です。ここには桜がまだ残っており、天橋立が映えます。

 モノレールで下におり、天橋立そばの日本三文殊の智恩寺に参拝します。このお寺や境内にある2体の地蔵菩薩は、雪舟の天橋立図にも描かれています。文殊堂の見どころの一つは、数多く掲げられている絵馬です。

 参拝で知恵を授かった後は、境内脇の四軒茶屋の一つ、松吟楼彦兵衛茶屋で、智恵の餅を頂くことにします。門前のこれら4軒の店は、江戸時代初期から続くそうです。

 休息後は、早速、天橋立に向かいます。廻旋橋を渡ると砂州がありますが、そこには、天橋立や日本三景の石碑があります。

 砂州の先にある大天橋を渡った先が天橋立です。松並木が続きますが、左の宮津湾側は天橋立海水浴場となっており、砂浜が遠くまで広がっています。道沿いにはシャワーも設置されていました。

 並木道をしばらく歩くと、天橋立神社(橋立明神)があり、その横には日本名水100選の一つ「磯清水」があります。周りを海に囲まれているにもかかわらず真水が湧いている不思議な井戸です。江戸時代以前、天橋立の砂州が南にのびる前には、舟でお参りしており、この祠まで海岸から参道が続いています。

 次は、昇龍観をみに対岸の傘松公園に向かいます。こちらはリフトが運転しています。天気が良く、風が爽やかです。場所によって天橋立が違って見えるのは不思議な気がします。遠くに冠島と沓島が見えますが、これらの島は、これから参拝する元伊勢籠神社の主祭神である彦火明命(ひこほあかりのみこと)と后神の市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)が降臨されたと伝えられている神聖な場所です。これに因んでか、願いの鐘・鍵があります。

 リフトで下におり、丹後一の宮である元伊勢籠(この)神社に参拝します。もともとこの神社は天照大神と豊受大神を祀っていましたが、それぞれ伊勢に遷ったため、元宮という意味で「元伊勢」となったとのことです。今は彦火明命をお祀りしています。

 元伊勢籠神社の奥宮で豊受大神をお祀りしている眞名井神社にも参拝することにします。坂道を5分程上ります。境内の入口には、籠神社海部家三代目の天村雲命が神々が使う「天の眞名井の水」を黄金の鉢に入れ、天上より持ち降ったという御神水が湧き出ています。境内には、波せき地蔵も祀られがいますが、昔ここまで津波が来たようです。

 天橋立地区から、伊根に向かいます。お昼も過ぎましたので、昼食は道の駅「船屋の里 伊根」でとることとします。この道の駅は、伊根湾を見下ろす高台に建っており、建屋も船屋風になっています。定番の海鮮丼を頂きました。記念碑もありますが、ここは1993年のNHK朝ドラ「ええにょぼ」の舞台となっていました。ええにょぼは、丹後弁で内外面の美しい女性だそうです。

 街に下ります。船屋は、思った以上に海岸線に近いです。伊根湾の波はとっても静かということなのでしょう。街の中心部は外国人中心に大勢の観光客がいますが、少し歩くと、人はまばらになります。260年の歴史があるという向井酒造(京春)はひときわ大きな建物です。

 次は浦嶋太郎伝説が伝わる浦嶋神社に参拝します。宇良神社とも呼ばれるようです。創建は 825年と、かなり歴史のある神社です。但し、社殿は明治時代のようです。参拝者は誰もいませんでした。

 丹後半島巡りの最後は、半島最北端の経ヶ岬に立ち寄ります。展望台は近そうに見えましたが、15分程ひたすら急な階段を上り続ける必要があります。これまでで最高の難所に感じました。途中、2018年に「恋する灯台」に選ばれた経ヶ岬灯台も見えましたが、向こうに下ってまた上ると言う気力は湧きません。展望台からは日本海、丹後半島の海岸線がよく見えます。

 きょうの宿は「アマービレ舞鶴」です。隣の別館「松栄館」は、旧海軍御用達の老舗旅館でした。映画「海賊と呼ばれた男」では、鐵造(岡田准一)とユキ(綾瀬はるか)との婚礼のロケ場所でした。

 今日の夕食は、宿の近くの「卑弥呼」で頂きます。お酒も含め地の物をおいしく頂きましたが、今回は「土エビ」が特に印象に残ります。土エビは、漁獲量が少なく、時間が経つと頭の部分がすぐに黒くなるので、ほぼ産地で消費されているため、幻のエビと呼ばれ、刺身に出会えたら超ラッキーなんだそうです。今日の締めに満足して宿に戻ります。