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武生、敦賀

<一日目>

 今回は、昨年の5月に続き、福井を訪問します。小松空港から出発し、最初は、NHKの「光る君へ」で紫式部が使っていた、武生の越前和紙の里に向かいます。初めに、そこの紙祖神である岡太(おかもと)神社を目指します。後ほど気がついたのですが、ここは岡太(おかふと)神社で、全くの別物。紛らわしいですね。しかし、この地は栗田部地区といい、26代継体天皇が潜龍(即位までの長期間在郷)した歴史有る地区で、この神社は、治水事業の安全を祈願し、476年に創建した由緒有る神社です。そのせいもあってか、建物の細工も手が込んでいます。但し、残念ながら、雪囲いで全容は見えません。本殿は高台に有り、一帯の街並みが、よく見えます。

 街の中心部にある「紙の文化博物館」に立ち寄ります。ここでは、越前和紙発祥の伝説や歴史が解説されるとともに、美しい手の込んだ和紙の見本が数多く展示されています(展示は残念ながら撮影禁止)。

 博物館の前から「和紙の里通り」が始りますが、紙すきの実演を見るため、「卯立の工芸館」に入ってみます。ここは、全国で唯一、工程を一つの工房で再現しているそうです。但し、原料の楮(こうぞ)、三椏(みつまた)は、茨城県等から調達しています。工程は、原料の乾燥した木の皮を釜で煮る→漂白しちり等を取った後、棒で1本の繊維まで打解(重い木の棒で長時間叩きます!)→繊維の入ったすき槽に、トロロアオイの根からとった粘液を入れ、すく→均一に力を加え脱水→乾燥、です。担当の方から、実演も混ぜながら、詳細に説明頂きました。

 次は、五箇地区に紙すきの業を伝えた「川上御前」を祀る岡太(おかもと)神社・大瀧神社に向かいます。日本の紙幣は、国立印刷局王子工場から始まり、越前の紙すき職人と用紙開発を進め、世界一の透かし技術を確立したとのこと。そこにはかつて岡太神社の分社もあったそうです。神社の社屋は、拝殿と本殿が一体化し、屋根は独特で、日本一複雑な形状(地元のパンフレットでは)をしています。

 昼食は、地元の武生製麺が、そばの栽培、製粉、つゆ造りまで、全てを一貫して行っている「越前そばの里」で頂くこととします。人気№2のたけふセットにしました。ちなみに№1は、福井セットで、おろしそばの代わりに、ソースカツ丼です。ここは、観光客だけでなく、地元の人も大勢来ています。

 越前には、南北朝の時代、刀匠千代鶴国安が、作刀のかたわら鎌を作ったことに始る「越前打刃物」があります。食事の後、越前打刃物の共同工房である「タケフナイフビレッジ」に立ち寄ります。次は、敦賀に向かいます。

 敦賀港を囲むように金ケ崎緑地が整備され、その周囲に歴史有る建物が並んでいます。ところが、一帯は全て定休日が水曜日。残念ながら、どこにも入れませんでした。調査不足ですね。敦賀赤レンガ倉庫では、翌日から9月2日まで「かいじゅうステップSDGs大作戦 in敦賀赤レンガ倉庫」が開催されるようで、PR動画を作成していました。

 気を取り直し、神社仏閣を巡ります。最初は近くの金崎宮(かねがさきぐう)です。ここは南北朝の戦いで金ケ崎城に籠城し、非業の死をとげた、後醍醐天皇の2人の皇子、尊良親王、恒良親王を祀る神社です。尊良親王が永年思いを寄せた姫とめでたく結ばれたことから、恋の宮として有名です。また、「金ケ崎の退き口」の際、お市の方が、両端をひもで結んだ小豆袋を兄の織田信長に届けたことで、窮地を脱したという逸話に因み、「難関突破守」も置かれています。

 次は、越前国一宮の氣比(けひ)神社です。ここは、古事記や日本書紀にも記述が有り、主祭神の氣比の大神は、2000年以上前に、ここに降臨したと言われています。境内の建物は空襲で焼失したそうですが、火災を免れた朱色の大鳥居は、日本三大木造大鳥居(他は、春日大社と厳島神社)と言われています。境内には、702年に社殿建立の際に湧き出したという神水(名称は長命水、飲んでみました)や、南北朝争乱の1336年に宮司氣比氏治が南朝後醍醐天皇を奉じ氣比大明神の神旗を掲げたと云う旗掲の松(落雷で焼け、旧松根として残る)があります。またこの神社は、奥の細道の最後の方で松尾芭蕉が訪れています。

 宿泊先であるマンテンホテルに行く前に、日本三大松原(他は、美保の松原と虹の松原)である氣比の松原に立ち寄ります。ホテルは駅の直ぐ近くにあります。新幹線が開通したことも有り、駅舎は真新しいです。

 夕食はホテルの方の勧めも有り、まるさん屋に入ります。このお店は、下が魚介系の土産物屋で、2階が昼から夜までずうっと開いていて、寿司から鍋から定食から何でもある居酒屋です。地の物、季節の物を、色々頼んでみました。地元の人も訪れるおいしい店でした。これで1日目は終了です。

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ボルドー、パリ(4)

<6日目>

 今日はボルドーSaint Jean駅9:46発、モンパルナス駅11:55着のTGVで、パリに向かいます。予約は日本でし、QRコードが送られてきます。列車はノンストップで、ほぼ定刻に到着しました。今年から、パリの公共交通機関の料金体系が変更になっていますので、Navigo easyカードの入手は必須です。駅員に聞き、地下鉄モンパルナス駅の改札付近の自販機で、Mobilis(1日乗車券)と併せて購入しました。カードの磁気が弱いためか、当日エラーで地下鉄に入場できないことがありましたので、クレームするためにも領収書は携帯しましょう。

 ホテルにチェックインした後、ボンマルシェに行ってみます。今月23日まで、ブラジル人芸術家Ernesto NetoのLe La Serpent(蛇)の空間展示をしていました。訪問者は、木の下で瞑想し、思いついたことを黒板に書いていくようです。

 街をブラブラした後、夕食はいつものパリ8区、シャンゼリゼ通りをセーヌ川の方に入った、Le Relais de l’Entrecote に行きます。開店は18:30からですが、30分早めには行きましたが、いつもの行列です。但し、ここであれば、開店と同時に入店できます。メニューはステーキだけですので、焼き方を言うだけです。ここには何回か来ていますが、その度に肉の食感が変化しています。だんだん柔らかめになっているような気がします。食後は、シャンゼリゼ大通りを歩いてみますが、ボルドーとは異なり超寒いので早々に退散です。

<7日目>

 今日は、ブローニュの森の敷地内にあるルイヴィトン美術館を見学します。2014年に出来た当初は予約も取れませんでしたが、今は普通に予約できます。帆船をイメージしているそうですが、側面、正面もまさに帆を張った帆船です。今回のテーマはPop Foreverでよく知られているポップ作品が展示されています。特に、村上隆の花のテーマは、現在ルイヴィトンとコラボしているため、屋外の巨大モニュメントやパンフレットに使われていました。

 ホテルの前の通りに、2年前には無かったおにぎりの店が出ています。欧米人は海苔は食べないと思っていましたので意外でした。メニューは、日本と同じですが、店はいつも満員です。

 夕方、ラファイエットを訪れます。ここはいつ来ても華やかですね。買い物をした後、ここのカフェテリアでで軽く夕食を頂くことにします。晴れていますので、食後屋上に上がって、周囲を眺めます。遠くにエッフェル塔や、オペラ座の屋根にある黄金の彫像と並んでモンパルナスタワーも見えます。

 最後のフランスの夜ですので、日が暮れるのを待って、エッフェル塔を見に行きます。よく写真に写るのは、シャイヨー宮からの景色ですが、個人的にはセーヌ川からの方がそれっぽいと感じるのですが。

<8日目>

 帰りのJALは夕方の便ですので、昼にロワシーバスでオペラを出発します。午前中、時間がありますので、徒歩でオペラ周辺をぐるっと一周したいと思います。最初は、マドレーヌ教会です。この教会はナポレオンの指示で、フランス軍の名誉を讃える目的で設計されているため、神殿ギリシャ神殿を思わせる様式になっています。正面のロワイヤル通りを抜けるとコンコルド広場で、ここは、シャンゼリゼ大通りの東の起点です。

 コンコルド広場を抜けるとセーヌ川に突き当たります。ここからは昨日も見た、エッフェル塔が見えます。レオポール・セダール・サンゴール橋で対岸に渡ります。橋の上からは、オルセー美術館が見え、振り返ると、遠くに、パリオリンピックでフェンシング会場となったグランパレが見えます。

 オルセー美術館の入口付近に来ました。オフシーズンですが、長蛇の列です。予約は必須ですね。今度は対岸にルーブル美術館が見えてきます。カルーゼル橋を渡って、ルーブル美術館の入口、ガラスのピラミッド辺りに来ましたが、ここも長蛇の列。並んでいる人は、いつ入館できるのでしょうね。ちょっと前までは、当日来ても入館できたのですが。ルーブル美術館の正面のパレロワイヤル広場に、鏡張りの建物があります。反対側の建物が反射して、一つの建物のように見えます。これは駐輪場でした。さすが芸術の都!

 パレロワイヤルの南側の中庭には、ビュラン作の白黒ストライプの円柱のオブジェが有り、その周りを囲む回廊には、アンティークショップやギャラリーが入っています。北側は庭園となっていますが、今は冬で、緑はありません。公園のベンチをよく見ると、背には、有名な詩の一節が書かれています。オペラ地区に戻ると、ラファイエットが見えてきます。屋上に、多くの人影がありますが、昨日は、そこに居たんですね。これで、予定通り一周しました。これから、バスに乗って、飛行場に行きます。

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ボルドー、パリ(3)

<4日目>

 今日は、ピラ砂丘とアルカションへの個人ツアーを予約しています。天気は幸いなことに、これまでの雨がちの天気から打って変わり、快晴です。ホテルの窓からは、初日に行ったPey Brland塔やSaint-André 教会がよく見えます。

 ピラ砂丘へは車で1時間ほどです。オフシーズンですので道は空いています。ハイシーズンは、大混雑で到着に時間がかかるので、このツアーは実施しないそうです。案内所で地図を頂き、売店・カフェの横を通り過ぎると、目の前にどーんと砂丘があります。高さはヨーロッパで一番、100~120mもありますので、上るのに一苦労。頂上からは、青々とした大西洋が目の前に広がります。海まで行きたかったのですが、戻るのが一苦労で、時間も迫っているので、途中までにしました。砂丘の回りを森林が囲んでいますが、風の影響で毎年1~5m森林を浸食しているそうです。

 次はアルカッションの街に行きます。ここはボルドーのリゾート地で、住宅の様式はVilla Arcachonnaiseとして知られ、カラフルな装飾、木製のバルコニー、中二階(使用人の部屋)などが特徴です。街の全体像を見るため、公共のエレベーターで上に行き、高台の公園に行ってみます。高い建物は無く、オレンジ色の屋根の向こうに、海が見えます。

 公園を下りて少し歩くと、リゾート客や観光客向けのお店が並びます。軽井沢の雰囲気ですね。しばらく行くと海岸に出ます。アルカッションは、カキの産地としても有名で、散策の途中にも何軒かのオイスターバーが有りました。時間があれが入りたい!

 昼食は、ガイドさんの勧めに従い、アルカッションから車で15分程の所にあるる Les Viviersで、カキと白ワイン、メインはタラのソテー、鶏肉とソーセージの煮込みを頂きました。レストランの目の前の漁港にも多数のカキ漁の船が停泊しています。アルカッションのカキは、日本のカキと深いつながりがあります。1970年、アルカション湾のカキが病気で全滅したとき、対応として日本から宮城の真牡蠣を輸入したそうで、今度は逆に東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城や岩手にお返しの支援をしています。

 ボルドーに戻る途中、Grave地区のBouscautというシャトーを見学します。見学者は我々だけでしたので、じっくり案内して頂けました。ここのシャトーは赤ワインが大半ですが、白もロゼも造っています。試飲してみましたが、以外と白がすっきりして飲みやすいと感じました。樽代が結構高いこと、瓶詰はシャトー内で行う必要があることから、瓶詰業者が各シャトーを巡回して行っていることが印象に残りました。今日の観光は、以上です。

<5日目>

 今日がボルドー最終日。快晴です。観光案内所で遊覧船ツアーを予約し、それまでの間、Quinconces広場周辺を散策します。数日前には設置中だった観覧車も、外輪は完成したようで、これからはゴンドラの取り付けです。公園のガロンヌ川の縁には2本のColonnes rostrales(海戦勝利の記念柱)が立っていて、各柱の頂部には貿易 と航海の寓意像が載せられています。今日は日曜日で天気も良いということで、この辺りには、サイクリングや散策する人が大勢居ます。

 出航予定時刻も近くなりましたので、乗船します。入口に、カヌレが置かれていましたので、一つ頂きます。船室に入ると、後ろにバーのカウンターがあります。船は川下に向かって進みます。初日に通ったコースを川側から観光します。最後は、ガロンヌ川の最も河口側の橋であるAquitaine橋の下を通り、ボルドー港まで来たところで、Uターンします。ここまで30分、帰りは倍の1時間かかります。ここでドリンクの時間が始り、ワインが出されます。ボルドーですね。

 船はChartrons地区に発着します。この辺りは、歴史的にワイン貿易の中心地で、ワイン商が住んでいたため、建物には、一階はワイン貯蔵庫、二階以上は住居で細長い窓、鉄製のバルコニーにはアール・ヌーボーなどのデザインが施される等の特徴が有ります。近くで開かれているマーケットもBord’eau Villageも、人でごった返していました。近くの、CAPC現代美術館を見学してみます。ここはかつての羊毛倉庫を改装した美術館で、広大な空間を生かした展示、と言うのが特徴とのことですが、現代芸術なので素人には良く分からないと言うのが感想です。

 今日の最後は、そばにある、葡萄酒とネゴス(仲介業)の博物館を訪れます。試飲付きとのこと。中に入ると、日本語のガイドブックを渡され、地下の昔のワインセラーを活用した展示コーナーに行くように指示されます。ここの名前の通り、ワインとその貿易についての展示がメインです。ワインセラーであったため、湿度が高く少しかび臭いです。1階は売店と試飲コーナーですが、ぶどうの産地や品種について、飲む前にじっくりフランス語?で説明を受ける必要がありあそうなので、試飲は諦め退出しました。

 とうとうボルドー最後の夜を迎えました。思い出にホテルの周囲を散策してみます。春めいた陽気の土曜の夕方と言うことも有り、多くの人が、繰り出しています。どこもテーブルが埋まっています。ガロンヌ川沿いを歩いて戻ります。《翌日はパリに行くのですが、最低気温はマイナスで極寒!!》

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ボルドー、パリ(2)

<ボルドー 3日目>

 今日は、昨日予約したバスツアーが11時30分から有りますので、その間、街を観光します。初めにゴシック建築の傑作といわれているSaint-Michel大聖堂に向かいます。途中、1775年に建設されたメルヘンチックな大鐘楼の下を通りますが、その鐘の重さは7750kgもあります。この鐘は毎年6回の祭日と、毎月第1日曜日の正午しか鳴らないそうです。しばらく歩くと、大聖堂に着きます。その尖塔は高さ114メートルで、ルーアン、ストラスブールに次ぐフランスで3番目の高さです。工事中なので上れません。尖塔の頂上には大天使サン=ミシェルの銅像があるはずですが、高くてよく見えません。この教会は、サンティアゴ・コンポステーラの巡礼路の一つで、教会の中にホタテ貝がシンボルのサン・ジャック(聖ヤコブ)の像があります。ちなみにフランス語でホタテ貝をサンジャックというのはこの聖人からきています。

 バスの出発地のカンコンス広場に戻ります。広場には、高さ43mの自由の女神が翼を広げて立つジロンド記念碑が有ります。ボルドーを拠点としていたジロンド派を称えるためのモニュメントです。ジャコバン派との対立で多くが処刑されています。下にある彫刻群はナチスの金属供出令で溶かされてしまい、1983年に復元されたものです。公園では、移動遊園地の設置工事が本格化しています。公園近くのNotre-Dame教会で、ゴヤの葬儀が行われたそうで、教会の前にはゴヤの銅像があります。そうこうするうちに時間となりましたのでバスに向かいます。

 昨日2階の席を予約していましたので、今日の雨は大丈夫かなと心配しましたが、布製の屋根が付いていて安心しました。バスは、市役所や裁判所などの官庁街を見た後、ガロンヌ川沿いに進み、昨日は靄っていたCité du Vin側のJacques Chaban Delmas橋を渡って川の対岸に渡ります。この橋は2013年に開通したヨーロッパで最も高い垂直昇降橋です。高さ77メートルの4本のパイルで2600トンの中央スパンを53メートルの高さまで持ち上げます。実際の昇降シーンを見たいものですね。ガロンヌ川の対岸は、現在再開発の真っ最中です。今度は旧市街地にPierre橋を渡って戻ります。約1時間のツアーですが、ボルドーの街の構造が良く分かります。

 カンコンス広場でバスを降ります。ボルドーに来ていますので、道の反対側に有るÉcole du Vin(ワイン学校)にあるLe Bar à Vinで、昼食がてらワインの試飲に挑戦してみます。つまみはプレート1人前を頼みましたが、チーズが山盛りです。味は分かるはずも有りませんが、赤を3種類、白を1種注文しました。

 Sainte-Catherine通りのラファイエットの道の反対側に、ボルドーで唯一のパサージュであるGalerie Bordelaiseが有ります。1834年4月に一般公開されています。パリのパサージュと同様に、歩行者専用、ガラスの天井、人工照明、豊かな装飾、多くの小さな店、2つの通りをつなぐ、ですが、ここのパサージュの特徴は、街区を斜めに切り抜けるという珍しい点です。

 ボルドーには3,000種類以上のマスカロン(顔の彫刻)があり、街のファサードや噴水の装飾に貢献しています。特に、ここガンベッタ広場に面した全方向の建物の各窓の上には女性の顔のマスカロンが付いています。理由をツーバスでは説明していましたが、忘れてしまいました。

 今日は、2月14日のバレンタインデーと言うことも有り、夜になると街の賑わいは益々盛り上がってきました。夕食後ホテルを出ると、ホテル前の路地にある飲食店はどこもカップルで一杯です。少し行ったところの広場も同じ状況。今日の夜は2月にしては暖かく、日本の桜の頃の陽気なので、ガロンヌ川沿いを散策してみます。途中、日本の居酒屋風の店が有りましたが、長蛇の列でした。かなりそれっぽいですね。

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ボルドー、パリ(1)

 <ボルドー 1日目>

 今回は、フランスのボルドーに行くこととします。東京~パリ14時間半、パリ~ボルドー約1時間の長丁場です。朝、日本を出て、ボルドーには、19時半(現地時間)到着です。手荷物受取所には、さっそくワインのモニュメントが。この地は、雨が多いとのことですが、当日も小雨です。空港の目の前にあるトラムA線から直接市の中心部に、そこから10分程歩いてホテルに到着しました。空港へのアクセスは抜群です。

<ボルドー 2日目> 

 朝食前にホテル周辺を散策します。まだ霧雨の状態です。ボルドー一賑やかなサン・カトリーヌ通りも人影はまばらです。水鏡で有名なブルス広場に行ってみますが、オフシーズンは水が張られていないので、鏡には見えません。但し、雨のおかげで、それらしい雰囲気はあります。通りを歩くと、ラーメン店が何軒があり、既に仕込みをしている店もありました。

 朝食後、観光案内所に行き、2日有効のCITYPASSを購入します。これには、交通機関のフリーパスとツアーが1つ付いています。その場で、翌日のバスツアーを予約しました。今日は、まずはCité du Vinに、船に乗って行くこととします。向こう岸のStalingradを経由して、Stalingradに到着しました。向こう岸へ行って戻ってくるだけですので、乗っている時間は、正味10分程です。

 桟橋を下りると、ガロンヌ川沿いに、ボルドーヴィラージュBord’eau Villageと呼ばれる、倉庫跡を改装したショッピングセンターがあります。外観は元々の四角い倉庫型を残しつつも、中はレストラン、衣料品や家庭用品店、チョコレート屋など400m程続きます。川沿いを進むと遠くに、霧にかすんだacques Chaban Delmas橋が見えます。霧のロンドンみたいですね。更に進むと目的地Cité du Vinに到着します。受付の天井はぶどうの蔓のイメージなのでしょうか。

 館内には、ワインのテイスティングルームや、ぶどうやワインの歴史、製法、香りの体験コーナや飲み方等ワインに関する多種多様な展示があります。ワインに造詣があればずーっと居られるのでしょうが、只の飲むのが好きなだけの人なので、見学もそこそこに、試飲コーナーのある8階にエレベーターで向かいます。試飲コーナーへは、早めに行ったので、客は我々だけでした。眼下に、霧雨で曇るガロンヌ川を見ながら、試飲しました。帰りがけ、館内の売店をのぞきましたが、さすがワインの殿堂だけあって、ボルドー産を初め、ワインがうずたかく展示販売されていました。

 昼食のためCité du Vinをでて、近くのフードコートに行きました。ベーグル、肉、魚、チーズ等色々なお店がありその場で食べることができます。平日の昼の早い時間でしたが、近くに勤務する人?でかなり賑わっていました。なんとなく落ち着かないので、Cité du VinのレストランLatitude20で頂くこととします。アントレとメインの定食、お任せワイン3杯のセットを頂きました。爽やかな味のムタバル(焼きなすのペースト)もパンにのせて頂けますし、牛肉のカレー風味も以外とあっさりして有りかなと思いました。

 Cité du Vinの近くにはドイツの旧潜水艦基地があり、今は港湾になっています。周囲にはその基地を活用したデジタルアートセンターや美術館があるのですが、オフシーズンで残念ながら休館です。Musée Mer Marine(海洋博物館)は開いていましたので、行ってみます。館内には、軍艦を含めた船舶模型が多数展示され、海運の歴史が解説されています。港湾の上に宇宙船のアートがありますが、ボルドー市はトラム開業に合わせ「街の芸術」事業をし、16作品を展示したそうですが、その内の一つです。

 帰りはトラムで旧市街に戻ります。Saint-André教会は、Palais Rohanというボルドー市庁舎の目の前にあります。その教会の鐘楼であるPey Berlandの塔は、最上階(地上50m)までは229段もの階段を登る必要がありますが、そこからはボルドーの街並みが一望できます。但し、階段は狭く、すれ違いも一苦労で、延々と続きます。

 次はトラムで対岸に渡り、スターリングラード広場で下ります。ここにも、「街の芸術」事業の一環のライオンの作品があります。Pierre橋を渡って旧市街に戻ります。ガロンヌ川に沿ってホテルに向かいますが、川に向かって、いくつかの門がありますが、川から来る敵に備えていたのでしょうか。途中、ボルドー名物のカヌレの店がありましたので、買って帰りました。カヌレは店によって値段はピンキリです。買った店は、比較的安価な店です。今日の観光はこれで終了。

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尾道、三原

<三日目>

 宿泊先のホテルから岸壁までは100m位です。目の前の尾道海道は非常に狭く、ここから対岸の向島(むかいしま)までは300m位です。

 尾道といえば坂の街、早速、大宝山(通称・千光寺山)の頂上を目指すべく、ロープウェイ山麓駅に向かいます。1階が切符売り場で、3階が乗り場です。乗り場へは、左にある階段か右にあるエレベーターで行きますが、とりあえず今回はエレベーターで。乗っている時間は3分ですので、あっという間に山頂駅に到着です。

 頂上の千光寺公園には、2022年に出来た千光寺頂上展望台PEAKが有りますので早速上り、尾道のパノラマを堪能します。今日は快晴で、左には瀬戸内しまなみ海道の尾道大橋が、正面には向島の造船所が、右には瀬戸内海の島々がよく見えます。

 絶景を見た後、文学のこみち(千光寺公園の山頂から千光寺までつづく散歩道)を下っていきます。途中には、尾道ゆかりの作家・詩人の名作が刻まれた文学碑が所々にあります。こみちとはいうものの、巨岩、奇岩がごろごろの道で、この山の成り立ちは何だったんだろうか、とか、岩は下に落ちて行かないのかな云々と考えさせられます。

 文学のこみちを下った先の、標高140m地点に、806年に弘法大師が開基した千光寺があります。ここの境内からも尾道市街や尾道水道、向島等が一望できますが、ここから取られた朱色の本堂の写真が観光案内などに使用されています。本堂は山の斜面にありますので、突き出た舞台造りで、朱色なので別名「赤堂」とも呼ばれています。この辺りにも大きな石がごろごろあります。

 千光寺からの道を下りる途中、尾道ゲストハウス 「みはらし亭」で一休みと思いましたが、時間が早く、残念ながらまだ開店していません。その辺りから下を見ると、これも尾道紹介の写真には必ずある天寧寺海雲塔がよく見えます。この塔は、1367年に足利義詮が建立し、国の重要文化財となっていますが、現在は三重塔ですが、建築当時は五重塔であったようです。長い坂道の途中、猫が居ましたが、尾道の猫は絵になりますね。

 ロープウェイの山麓駅に接してある、艮(うしとら)神社に参拝します。この神社は平安時代初期の806年創建で、尾道で最初にできた神社とされています。拝殿の手前にある楠は樹齢900年と推定されており、「艮神社のクスノキ群」として広島県指定の天然記念物となっています。また、ここは、大林監督の映画「時をかける少女」のロケ現場で、原田知世演じる主人公の芳山和子が時空を超えて降り立った場所です。それらしい雰囲気はあります。

 昼時となりましたので、やはり尾道ラーメンを頂くことにします。観光協会の店マップを見て、近くにある「丸ぼし」に入りました。店の名前にもあるように、醤油味ベースに、いりこだしがきいています。

 千光寺山からよく見えた尾道市役所に行ってみます。市役所の5階屋上は展望デッキとして開放されており、尾道海道や反対側の千光寺山方向が一望出来ます。当日は風も無く穏やかな日でしたので、しばらく、バルコニーでのんびりします。次はお隣の三原市の三原城に向かいます。

 三原城は、小早川隆景が築いた城で、満潮時に瀬戸内海から見ると、海の上に浮かんで見えることから、かつては「浮城」と呼ばれたそうです。残念ながら、1894年、山陽鉄道三原駅建設の際に、城地は駅用地となり、山陽新幹線開業と三原駅高架化により、高架が本丸および天主台跡を貫いてしまっています。そのため、天守台跡へは駅のコンコースから階段を上っていきますが、立派な堀と石垣以外は残っていません。

 三原市内を歩いてみます。三原沖は岩場が多く、タコの絶好の棲みかとなっているそうで、三原のタコは「三原やっさタコ」というブランドになっています。それに因んでか、道路脇にはタコのモニュメントがあちこちに有ります。市は「浮城三原城」と打ち出していますが、遺構が、街の外れの船入櫓跡位しか残っていないのが残念です。

 空港に向かう途中、紅葉で有名な臨済宗の佛通寺に参拝します。紅葉シーズンの11月は交通規制がされたり無料のシャトルバスが出たりで大賑わいのようですが、今は逆に訪れる人は誰も無く、静寂に包まれています。境内は枯山水で、落ち葉一つ無く掃き清められていますが、お坊さんの影も声もありません。逆に不気味です。

 最後は、小早川隆景の居城であった新高山(にいたかやま)城跡に行ってみます。この城は沼田川を望み、標高約200mの船木山に建つ峻厳な山城です。駐車増から案内が有りますので、行けるところまで行ってみることにします。全くの登山道で、本丸跡まではかなりの覚悟が必要です。急な坂道になったところで、ギブアップ。町の案内パンフレットを見ると、城跡からは、付近一帯を初め、瀬戸内海も望めるようです。この城は、小早川隆景が先ほど行った三原城に移ったため、1596年に廃城になっています。いつかは城の縄張りを見ようと思いながら、広島空港に向かいます。

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広島、呉

<二日目>

 市内の見学は、ホテル周辺を徒歩で巡ることにします。本通りアーケードを進むと元安川に突き当たり、相生橋方向に川沿いを歩きます。橋は架け替えられていますが、原爆は、この橋を目標に投下されたといわれています。途中には、勤労学徒慰霊塔、鈴木三重吉文学碑などがあります。爆心近くの橋のたもとにある原爆ドーム周辺では、大勢の外国人が記念写真を撮っていましたが、彼らの心境はどんな物かなと考えました。

 橋を渡って平和記念公園に入ります。入口そばには、平和の時計塔がありますが、原爆投下の8時15分に、毎日チャイムがなるそうです。近くには、平和の鐘が有り、平和を祈念すれば誰でも打てるそうなので、私も鳴らしてみました。更に進むと、原爆の子の像がありますが、よく知られている佐々木禎子さん(当時12歳)の死をきっかけに建てられています。国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼそうです。道の反対側には、丹下健三が設計した、平和の灯、原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館が、原爆ドームとの直線上に並んで見えます。

 北に向かい、広島城を目指します。途中には、昨年2月に開業したばかりの白亜のサッカースタジアム、エディオンピースウイング広島がそびえています。そこから広島城がよく見えましたので、もう一息、と思いきや、城は立派な掘りで周囲を囲まれ、入口は反対側一ヶ所のみ。結果的に遠回りでした。城の天守閣は原爆で壊滅し、1958年に復元されています。天守の周りには高い建物は無いので、遠くまで見渡せ、原爆ドームも遠くに見ることができます。

 城から東に進み、縮景園を目指します。ここは江戸時代、浅野家の大名庭園でしたが、昭和に入って県に寄贈されています。しかし、原爆の爆心から1㎞ほどの所にあるため壊滅的被害にあいましたが、戦後、徐々に復旧し今の姿になりました。短い時間でしたが、ボランティアの方から、園内を案内して頂きました。この庭園で原爆後も残ったのは一部の木と、跨虹橋のみです。池は汽水域なので、鯉は苦手らしく、真水の湧き出る場所に集まっています。市内観光はこれで終了し、呉に向かいます。

 呉には13時頃到着しましたので、早速、昼食です。ここは、やはり海自カレー、大和ミュージアム近くのBEACONで牡蛎フライカレーを頂きました。「護衛艦さみだれ」の味だそうです。

 昼食後、大和ミュージアムの前で、艦船めぐりの案内をしていましたので、さっそく申し込みます。14時発です。湾内に有るため波は穏やかです。出航すると直ぐに、大和を建造した旧呉海軍工廠造船部(現JMU)の工場群が見えてきます。現在は、デンマークに本拠を置くMAERSK社のコンテナ船(全長 335m、総トン数127,814t)の大型コンテナ船を建造中です。岸壁からは呉港の全体は見えないのですが、思った以上の艦船が停泊しており、多くの護衛艦や潜水艦、その他の補助艦船が間近で見学出来ます。運良く、昼食べたカレーの親元である護衛艦さみだれも見ることが出来ました。航空母艦に換装された、目の前にある護衛艦かがは、ひときわ大きく感じます。

 クルーズの興奮も冷めないまま、大和ミュージアムに入場します。入口から入ると直ぐに大和の1/10の模型が出迎えます。ここの施設は呉市の施設なので、呉市や呉鎮守府、呉の造船業などの歴史がパネルや模型、遺物などで説明されています。くわえて、ゼロ戦、回天、海龍等の実物展示もあります。入場料は500円でとても安価と感じます。

 大和ミュージアムの次は、道を隔てた先にある、てつのくじら館です。海上自衛隊のPR施設なので無料なのですが、呉だけにあって、内容は充実しています。1階は海上自衛隊の歴史、2階は掃海艇の活躍、3階が潜水艦の活躍の構成です。屋外に展示されているのは、潜水艦あきしお(1983~2004年)で、艦内に入って、潜望鏡も覗けますし、操縦席に座り、操縦桿を握ることも出来ます。潜水艦の居住空間は、船長室含め、やはり超コンパクトですね。

 呉からは、宿泊先の尾道国際ホテルまで1時間ほどです。夕食はホテルの方のオススメも有り、尾道駅近くの「たまがんぞう」へ。変わった作りの入口が一階にあり、客席は、2階はカウンター、3、4階が座敷です。3階の窓際の席からは、尾道水道が見えますが、真っ暗、何も見えません。やはり地元のと言うことで、刺身、ガンス天(愛媛のじゃこ天と似ているが、ガンス天はパン粉を付けて魚のすり身を揚げている)、しまなみリーフのソーセージ、タコの唐揚げ、〆には尾道つけ麺。日本酒は、亀齢と神雷を頂きました。気持ちよく、ホテルに帰りました。

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国内旅行

岩国、宮島

<一日目>

 正月明け、瀬戸内は暖かそうなので、今回は広島に行ってみます。ところが、寒気が訪れ、山の上にあるためか、広島空港周辺は薄らと雪。先が思いやられます。高速で1時間ほどで岩国の錦帯橋に着きます。海岸に近いためか、雪は無し。快晴です。しかし残念なことに、錦帯橋は3月中旬まで保全工事とのことで、橋全体がシートと木枠に囲まれています。こう言う姿はあまり写真では見ませんね。但し、渡ることは出来ました。

 岩国城へのロープウェイの前は、岩国を治めた吉川家の居館や家臣の屋敷跡地に造られた𠮷香公園となっており、初代藩主、吉川広家の像を初め、当時の建造物が多く残っています。公園は噴水や芝生、木陰、ベンチが整備され日本の歴史公園100選に選ばれているそうです。

 公園を横切ると、ロープウェイ駅があり、数分で頂上に到着します。天守へは、平坦な道と、険しい道がありますので、とりあえずは平坦な道を進みます。10分程で天守に到着します。現在の天守は、1962年に復元された物ですが、麓から見えるように本来の場所より50m南になっているようです。そのおかげで、天守からの眺望は抜群です。下には錦帯橋、遠くには瀬戸内海の島々が、パノラマのように一望出来ます。

 帰りは、険しい道を降りますが、実際はあまり険しくはないです。大回りしないので、逆に近道です。ロープウェイ駅の前にある、からくり時計は、1時間毎に3回奏でるようです。ここからも下界一面が眺望できます。城の下を流れる錦川の河口に2012年に開港した岩国錦帯橋空港がありますが、これは米軍岩国基地の滑走路を利用した軍民共用の空港です。今話題のオスプレイが見えるかと探しましたが、遠くてよく見えませんでした。

 ロープウェイを下り、昼食を頂きに近くの長州屋に入ります。山口県ですので名物の瓦そばと岩国寿司を頂きます。瓦そばは、熱く焼いた瓦の上に乗った茶そばを、甘しょっぱいつけ汁で頂く物ですが、西南戦争の際に熊本城を囲む薩摩軍の兵士たちが、野戦の合間に瓦を使って野草、肉などを焼いて食べたという話に参考に、1961年に山口県の温泉旅館で考案されたとのことです。付け合わせで頂いた岩国寿司は小さく見えますが、強く圧縮されていますので、見た目以上にボリュームがあります。駐車場に帰る途中に、佐々木小次郎の像がありました。吉川英治の「宮本武蔵」のなかでは岩国生まれとなっていますが、実際は不明です。次は宮島に向かいます。

 車は宮島口の駐車場に置き、フェリーで宮島に渡ります。ここのフェリーの構造は前後に自動車の出入り口が付いている(前後が同じ形)ため、旋回せずに接岸できます。10分程で宮島に着きますが、行きの船は観光客向けに大鳥居のそばまで近づいてくれます。今日は1月8日ですが、宮島フェリーターミナルには、まだお正月飾りがされていました。関西流?

 接岸後は厳島神社を目指します。途中には厳島の碑と宮島の碑が並んであります。それぞれの名称の違いが気になりますが、正式な地理上の名前(地図)は「厳島」、PR等に使う場合は通称としての「宮島」を使うとのことです。表参道商店街を抜け、石大鳥居から厳島神社の境内に入ります。

 参道の中程に常夜燈が有り、そこから大鳥居がよく見えます。時刻は14時半頃でほぼ満潮の時刻です。干潮時は、この常夜燈の手前の階段から下りられるようです。受付した後、東回廊から神社内に入ります。ブラタモリで放送していましたが、回廊の床板の隙間が、潮が満ち引きする入り江に建つ社殿を守るための工夫だそうです。観光客が大勢いる火焼前(ひたき:海に向かって突き出た部分。船を誘導するためのかがり火が灯されていたことによる)、高舞台(たかぶたい:海に面した舞台、日本三舞台)を見た後、御本社に参拝し、西回廊を通って外に出ます。

 弥山(みせん)へのロープウェイへは、厳島神社から歩いて15分程とのことなので、行ってみることに。坂道を進み、柳小路、藤の棚公園を過ぎても、まだロープウェイの「ロの字」も見えません。道があってるのかなとも思い始めた頃、あと一息の看板が有りました。それでもまだ、急な階段が100歩以上有りそうです。ようやく、紅葉谷駅に到着しました。観光客で来れる人は居るのかしら?

 山頂へはロープウェイを途中で乗り換え、25分程で到着します。2回目を待っている時間もありますので、正味の乗っている時間は初め10分、次は4分程です。但し下は断崖なので、10分でもかなり長く感じます。後ろを振り返ると、遠くに宮島に向かっているフェリーが見えます。駅から弥山山頂までは徒歩20分程とのことなので、諦め、駅から直ぐの、獅子岩展望台から眺望することにしますが、天気も良く、江田島をはじめ瀬戸内海全体がよく見えます。

 帰りは、下り坂なので楽に下りられます。途中に、ロープウェイ駅行き無料バスの停留所が有りましたが、最初からここに来れば良かったとは思いますが、後の祭りです。厳島神社の境内を通り、表参道商店街に進み、途中の「藤い屋宮島本店」で、紅葉まんじゅうセットで一服し、宮島観光を終了します。

 宮島を後にし、今日の宿の広島ワシントンホテルに向かいます。広島での夕食は、やはりお好み焼きと思い、広島出身の方から紹介してもらった「いっちゃん」に行きます。市内にはみっちゃんが何店舗か有りますが、いっちゃんはそこからの、のれん分けともこと。店主(市居馨氏)が掲載されている本がテーブルの上に置いてありましたので、読んでみると、お店がミシュランガイドに掲載されたり、NHK「プロフェショナル仕事の流儀」に出演したりしている超有名な方のようです。壁にも多くのサインが貼ってあります。しかしながら、来ているお客さんは近所の人やサラリーマンで、そんな大層な店には思えません。お店の人の勧めもあって、牡蛎とチーズのお好み焼きを頂きました。思った以上にあっさりした味でした。

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国内旅行

鞍馬、貴船、三条大橋

<三日目>

 昨日の雨もあがりましたので、予定通り鞍馬に向かいます。もみじのトンネルで有名な叡山電車、市原駅と二ノ瀬駅の間は紅葉も盛りを過ぎているためか、誰も外に関心が無いようです。和風な感じの鞍馬駅前で、立派な鼻の天狗が出迎えてくれます。鞍馬寺の入口である仁王門へは5分程で到着です。

 鞍馬寺仁王門の近くには鞍馬山ケーブルの山門駅がありますが、枕草子で清少納言は「近うて遠きもの鞍馬の九十九折の道」と書いていることもあり、今回はそれに乗らず、九十九折参道を歩いて行くことにしました。山門のそばには、「子供はみんなほとけの子」と書かれた「童形六体地蔵尊」が有ります。参道を上ると、御所に祀られていた由岐大明神を都の北方であるこの地に遷宮してできた由岐神社があります。ここの拝殿は中央に通路がある割拝殿という珍しい形式です。その遷宮の際の儀式に感激した鞍馬の住民が、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え守ってきたのが鞍馬の火祭の起源と言われています。参道を更に上ると、鞍馬山の本尊である尊天(大宇宙生命・宇宙エネルギー・宇宙の真理)を具象化?した「いのち」、天に聳える杉を「玉杉大黒天」と尊崇するための双福苑があります。

 中門辺りで、ようやく参道の2/3です。まだ先は続きます。遠くに朱色の転法輪堂が見えます。重怡上人(じゅういしょうにん)が13年間堂内に籠り、毎日12万遍の弥陀宝号を唱え続け、6万字の弥陀宝号を書いて法輪に納めたのが、転法輪堂の名の由来だそうです。手水舎や転法輪堂の屋根には、雪が積もっています。昨日、京都市内は雨でしたが、こちらは雪だったようです。この先の、貴船までの道が思いやられます。

 鞍馬寺の本殿金堂の本尊は尊天(毘沙門天王・千手観音菩薩・護法魔王尊の三身一体)で、秘仏のため60年に一度、丙寅(ひのえとら)の年(次回は2046年)に開扉されます。また、ここは狛犬ではなく虎です。虎は、本尊毘沙門天のお使いの神獣で、毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることによるそうです。本殿金堂前のパワースポットで有名な金剛床は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模しているとか。金剛床の南側には本殿後方にあった経塚の蓋が、結界の中に置かれています。翔雲台からは、比叡山を望むことができるそうですが、今は雲で遠くは望めません。

 いよいよ険しい山道の「奥の院参道」を進みます。かつて義経が、天狗に兵法を習うために深夜、独り通った道です。少し行くと「屏風坂の地蔵堂」が有りますが、この辺りは、義経が途中で息つぎをした場所とされています。今日、参道は、ぱらつく小雨と、木の上から落ちる雪のしずくで最悪のコンディションです。更に進むと、最澄が刻んだ不動明王が安置されている「不動堂」があります。この辺りは、義経が天狗に兵法を習った場所である「僧正ガ谷」です。夜だと確かに天狗が出そうな雰囲気です。地面が固く、木の根が地下に伸びることが出来なため、地表面でアラベスク模様を描いている「木の根道」を過ぎると、ようやく奥の院である「魔王殿」に到着です。「魔王殿」は、護法魔王尊が降臨した場所して、崇拝さ れてきたとのことです。

 ここからは、貴船に向け、滑らないよう、足下に気を付けながら、一気に坂を下ります。貴船に到着後、一服して、今度は貴船川沿いに、貴船神社の奥宮に向かいます。夏はこの辺り一帯、川床で賑わっているはずですが、今は冬。途中の寒暖計を見ると、丁度摂氏0度です。

 道の脇に鳥居が現れ、そこから奥宮への参道が始ります。最後、神門をくぐると、正面に、奥宮の本殿があります。元々は奥宮が貴船神社創建の地でした。奥宮が洪水で流損したため、1055年に、現在の地に本宮が移されています。奥宮の本殿の真下には「龍穴(りゅうけつ)」と言われる大きな穴が空いていて、その上に社が創建されているそうです。龍穴は神聖なため、誰も見ることが許されません。貴船神社の龍穴は日本三大龍穴(他は奈良県の室生龍穴、岡山県の備前龍穴)だそうです。そう言ういわれもあってか、貴船神社では一番パワースポット感があるようです。

 道を引き返し、最後は、貴船神社の本宮に参拝します。貴船神社は、全国約500社の貴船神社の総本宮です。鳥居から有名な写真スポットの階段を登り境内に入ります。境内に黒馬、白馬の像があり、横の立て札には「貴船神社は、雨乞いの社であり、日照りの時は黒馬、大雨の時は白馬または赤馬を天皇が奉じた。その後生き馬に代え、板の馬を奉じ、ここから絵馬が発祥した」とあります。また、社殿前の石垣から溢れる貴船山の湧き水を、霊泉に浮かべると文字が浮かぶ「水占みくじ」も有名です。今回は占いませんでしたが。

 貴船神社から貴船口駅までは長い下り坂で、徒歩30分くらいですが、これまで歩き続けでしたので、バスに乗ります。5分くらいで貴船口駅に着きます。ここまで来ると、鞍馬山の雪が嘘のように思えます。貴船口から出町柳までの間は、年の瀬で雪模様と言うことも有り、電車内はガラガラでした。

 昼食は、出町柳のフランス料理店epiceで、昼のコースを頂きました。お手軽コースでしたが、魚と肉の両方がでました。何れもおいしかったのですが、特に、オードブルの野菜テリーヌは、非常に手の込んだ料理となっています。店構は古民家を改装した京都らしい町屋で、窓から見える坪庭が雰囲気を出しています。

 最後の見学は二條大橋のそばにある、島津製作所創業記念資料館です。epiceを出て、京阪出町柳駅から、京阪三条駅に行きます。三条大橋はブラタモリの東海道五十七次の番組で東海道の終点として放送していましたので、今回は、番組で出たものの実物を確認をしてみます。まず、橋の東側には、高山彦九郎像があります。幕末の勤王の志士に多くの影響を与えた人物で、昨日見学した皇居を望拝しています。そばには、駅伝発祥の地碑が有りますが、五十七次に因んだためでしょうか。橋を渡って西側で、擬宝珠をチェックすると、やはり、豊臣の文字が有ります。これが出来てから400年は経っているんですね。

 資料館に行く途中、高瀬川沿いを進むと、佐久間象山・大村益次郎遭難の碑と、当時の高瀬舟の復元が有ります。橋のそばの石碑を見ると角倉氏邸址とあり、高瀬川を開鑿した角倉了以は、この辺りに住んでいたようです。

 最後は、高瀬川最北の高瀬川取水口のそばにある、島津製作所創業記念資料館の見学です。この場所は、1875年の創業から45年間本店兼住居として使用されていました。今ある二棟は南棟が1888年、北棟が1894年に増築したもので、登録有形文化財となっています。中は、完全にリノベされており、創業の由来やこれまで製造してきた理化学実験装置等が数多く展示されています。壁に掲げられている家訓は、心に響き頭が下がります。

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国内旅行

京都御所、平安神宮

<二日目>

 当初は鞍馬に行く予定でしたが、駅に行く途中で雨が降り出したので、急遽、明日行く予定だった京都御所に行き先を変更します。平安時代の御所は、ここから西2㎞に有りましたが、焼失後、南北朝時代1331年から500年間ここは御所として使用されています。見学者は乾御門から入り、参観者休憩所で案内開始時刻を待ちます。その間、売店でお土産を購入しました。

 スタートは、宜秋門(ぎしゅうもん)からです。ここから参内した高貴な公家や武家は玄関である御車寄からは入り、諸大夫の間で控えます。こには、襖の絵によって、右から虎の間、鶴の間、桜の間と三つの部屋に分かれていますが、それは身分が高い順です。畳も壁も異なっています。桜の間を使用する人は、御車寄からでは無く、外から直接入ります。隣には新御車寄が有りますが、これは、大正天皇の即位の礼の際、南面からの出入のために新設されたています。 

 京都御所の南には、天皇と国賓のみ使用する、正門である建礼門が有ります。その門から、朱色の承明門を通ると、正面に重要な儀式が行われる紫宸殿が見えます。かつてここで「五箇条の御誓文」が発布されています。紫宸殿の前には、天皇側から見て、右には橘(寒さ対策で小屋の中)、左には桜があります。紫宸殿の中には、天皇の玉座である高御座が置かれています。平成、今上天皇の即位の礼の際は、分解して皇居に運んだそうです。

 紫宸殿の東側にある宜陽殿(ぎようでん)は、御物・宝物を保管しておく納殿ですが、その北側の紫宸殿につながる軒廊で、光る君でおなじみの陣定(じんのさだめ)が行われたそうです。紫宸殿北側の渡り廊下の下を行くと、天皇の日常のおすまいである清涼殿が正面に見えます。その中央、畳を敷いた部分が日常の御座である昼御座(ひるおまし)です。

 清涼殿を出た後は、文学や芸能に関わる儀式などに使用された御学問所(おがくもんじょ)です。孝明天皇が徳川家茂や徳川慶喜と対面する際にも用い、1868年には、岩倉具視を中心とした討幕派が御学問所に参内し、王政復古の大号令を発しました。道を隔てた先にある御常御殿(おつねごてん)は、天皇の日常のお住まいの機能を清涼殿から独立させた御殿で、戦前までは、天皇の京都ご滞在の際には、この御殿が使用されていました。最後は、その隣にある御三間(おみま)です。その名のとおり3つの部屋をもつ御殿で、ここも御常御殿に近い東側を上座として、上段の間、中段の間、下段の間の順に並び、庇の高さが異なっています。帰りは御台所跡を抜けて、出発地点に戻りますが、ここは戦争当時空襲に備えて、建物の間隔を広げるため、台所の施設を取り壊したため空き地となっているとのことです。御所見学の感想ですが、御所周辺も中も、維新以降、いろいろな出来事が起こっていますね。

 一時間程歩きましたので、見学通路そばの、京都御苑中立売(なかだちうり)休憩所で、一休みとします。体験型お茶セット1,400円を頂きました。抹茶の泡立ては、以外と難しいです。

 乾御門を出て、烏丸通りを渡ったところで、カフェレストランUENOYAMAが目にとまりました。昼食には若干早いのですが、混雑も避けたいので、入ることに。きのこパスタのランチセットを頂きましたが、パスタのおいしさに加えサラダも鰹のたたきや彩り野菜が入っていたりで大正解のお店でした。

 光の君の晴明を訪れる前に、最強の御利益があると言われる霊光殿天満宮を参拝します。ここは、2度の蒙古来襲の際、時の後宇多天皇が必勝祈願をし見事退散させたことで有名になり、家康もそれにあやかり、天満宮ですが、ともに合祀されています。道真と家康二人にお墨付きを得た「天下無敵必勝利運」のお守りを頂きました。天満宮なので、ご神体の牛もいます。

 次は晴明に因んだ、堀川に架けられている一条戻橋を訪れます、。ここは一条の名の通り、かつての内裏の東北の角、鬼門に当たります。当時はこの橋の向こう(東側)は寂れており、橋を渡ることには特別の意味があったようです。晴明は十二神将を式神として使役し家の中に置いていたが、彼の妻が怖がったので、十二神将を戻橋の下に置き、必要なときに召喚していたという言い伝えがあります。橋から5分程歩くと晴明神社があり、実際に戻橋で使われていた欄干の柱が使用され、昔の風情を再現した一條戻橋と式神石像が置かれています。

 京都御苑の反対側、東側に、紫式部の邸宅跡の廬山寺が有りますので、京都御苑を横切ります。途中、今度は御所の外側から、宜秋門と建礼門を見ていきます。御苑東側に接して、明治維新に貢献した三條實萬・三條實美父子を祀る梨木(なしのき)神社があります。ここの一の鳥居と二の鳥居の間には、珍しいことにマンションが有りますが、社殿の修復等の資金集めのため、苦渋の決断で参道を定期借地権で貸したそうです。やむを得ないと思いますが、神社庁の承認は得られなかったようです。

 神社から寺町通りを渡ると、紫式部の邸宅跡に建つ天台宗の廬山寺が有ります。看板に寄ると、紫式部はこの場所で源氏物語を書いていたようです。但し、現在の本堂は1794年に、光格天皇の仙洞御所の一部が移築されたものです。紫式部が居た頃はこの辺りは街外れで、寂しい場所と思います。

 雨もまだ降ったり止んだりですので、雨宿りも兼ねて京都国立近代美術館を見学することにします。丁度、コレクション展をしていました。モンドリアンや甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)、竹久夢二等の絵が展示されていました。見た後は、Ⅰ階のcafé de 505 (カフェ・ド・ゴマルゴ)で、一休みします。

 雨も止んできましたので、平安神宮に行ってみます。美術館の前に神宮の大鳥居があり、そこから参道が平安神宮に続いています。応天門下で入場券を買い、境内に入ります。2025年に御鎮座130の式年を迎えるとのことで、大極殿は大規模に補修工事を行っています。外拝殿で参拝した後、神苑を見学しますが、夕方で雨模様であったためか、観光客はほとんどいません。暮れなずむ中、池に映る泰平閣や神宮会館には幻想的な雰囲気があります。

 今日は四条河原町の「おにかい」で新鮮な京野菜をメインに頂くこととします。1階の入口は狭く、急な階段を上っていきます。野菜料理を数種類食べたあと、魚の煮付け、フライ、牛のステーキを頂きました。〆の鯛飯には、野菜の煮汁を入れ、茶漬けで食べることも出来ます。従業員は皆さん若く、威勢が良いので、こちらも元気が出ますね。