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善光寺、上田城、小諸城

<一日目>

 今回は、電車で長野へ。長野駅からは路線バスで、善光寺大門に直行します。仲見世を進むと立派な仁王門がありますが、1918年に再建されたもの。仁王像は、高村光雲と米原雲海の作です。さすが迫力があります。更に仲見世を進むと、駒返橋があります。これが橋?という見た目ですが、かつて源頼朝が善光寺を参拝した際、馬の蹄が穴に挟まり、馬を返したという逸話があるようです。

 さらに進むと、「善光寺」の扁額がかかげられた巨大な山門(1750年建立)があります。この山門には登れるようです。山門をくぐり、右手にある六地蔵、ぬれ仏を過ぎると、いよいよ本堂です。その階段を上り、外陣に入ると「びんずる尊者」に会います。病人・けが人は、その像の患部と同じ場所を撫でることで治癒されるとのことなので、私も目鼻口を一撫でしました。外陣での参拝の後、巡り券を購入し、本堂内部での参拝とお戒壇めぐりをします。お戒壇めぐりはご本尊の下の真っ暗な回廊を通り、中間地点にある「極楽の錠前」を探り当てるものですが、光のなにも無い空間を、手探りで進むという滅多にない経験をしました。

 まだ時間もありますので、善光寺近くの長野県立美術館を見学します。丁度、「琳派、若冲、ときめきの日本美術(京都細見美術館の名品)」を催していました。若冲は、極彩色の有名な絵は有りませんでしたが、鶏の掛け軸、屏風絵など20点ほど展示されていました。美術館のある城山公園では、信越放送「夢テレビ」のイベントが行われており、あばれる君とカミナリがゲストで来ていました。

 善光寺の表参道である中央通りを駅に向かって歩きます。大門の八幡屋礒五郎本店は、ベンチが七味缶のデザインです。少し歩くと、小川の庄おやき村がありましたので入ってみます。焼きおやきは食べたことが無かったので、店の奥にある焼きのコーナーに行ってみます。お茶はセルフですが、テーブルがあり、焼き立てを頂くことが出来ます。

 11時、開店と同時に今むらそば本店に入ります。まずは日本酒(菊秀)を飲んで、次におそばを頂きます。「クイチそば」はこの店の登録商標だそうです。せいろには冷たいつけ汁も付いていますので、暖かいそばと冷たいそばが味わえます。

 蕎麦屋さんの前からは、善光寺表参道秋まつりの会場となっています。チンドン屋や4基の町神輿、木遣り、太鼓、お囃子などが巡回しています。中央通りの歩道に長蛇の列、そして遠くには煙が見えましたので、近くに寄ってみると、案の定サンマを焼いていました。時間になりましたので、長野駅から新幹線に乗り上田に向かいます。

 上田までは10分程です。上田駅は、通路から外壁まで真田の六文銭一色です。駅のお城口から上田城を目指して歩きます。駅前で、真田幸村の騎馬像がお出迎えです。

 街の中心部の道路には、真田十勇士の像があります。途中上田藩主居館跡がありますが、なんとそこは現在、上田高等学校の敷地となっています。お堀と塀に囲まれた校舎です。

 お城の手前にある上田市観光会館で、パンフレットを頂きましたが、この場所の主役は真田親子の甲冑です。壁には、来た人のサインが掲げられていますが、結構有名人が来てますね。

 二の丸橋の入り口から城内に入ります。入口右手に二の丸跡があり、左に折れ、進むと、東虎口櫓門(ひがしこぐちやぐらもん、虎口とは城の出入口のこと)が見えてきます。櫓門の右側に真田石がありますが、これは真田信之が松代移封の際、父の形見として持ち運ぼうとしたが動かせなかったという大石です。ところで櫓門の前に大勢の人がいますが、当日「95点以上で1万円、年間最高得点者には100万円!」という透明カラオケBOXが開催されており、その参加者と観客です。

 櫓門は、南櫓の石垣を上って、中に入ることが出来ます。櫓内部の狭間から下ある上田城跡公園を覗くと、丁度「やきとりJAPANフェスティバル2024in信州上田」の最中で、焼鳥の煙が狼煙のようにも見えます。昔はこのエリアは、千曲川の流れる天然の堀だったようです。

 櫓を下りて、すぐそばにある眞田神社に参拝します。この神社は、もともとは真田氏の後ここを治めていた松平氏の先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社でした。当然ですよね。それを、1963年に眞田神社と改称し、歴代の上田城主を御祭神とすることにしています。神社の脇には、眞田井戸(本丸唯一の井戸、深さ16.5m)や西櫓(県宝)があります。本丸跡は今は特に何もありません。

 上田城から15分歩くと、柳町という旧北国街道の昔ながらの街並みがあります。ぶらりした後で、はすみふぁーむ&ワイナリー(アンテナショップ)で、白ワインとシードルを頂きました。ここから徒歩で上田駅に行き、今日の最終地の小諸に行きます。

 小諸駅までは、しなの電鉄で20分ほどです。小諸駅の反対側、東西自由通路の階段を下りたところに懐古園(小諸城址)の三の門があります。料金所で散策券(300円)を購入して園内に入ります。すぐに傾斜が急で高い(写真に写っている人と比べると高さがわかります)二の丸の石垣が現れます。

 しばらく進むと、懐古神社が見えてきます。本丸跡の立て札がそばにあります。この神社は、廃藩置県で廃城となり、城が荒廃していく様を憂いた元藩士らが資金を集め、本丸跡に祀ったのが懐古神社とのことです。神社の左側には天守台の跡がありますが、上から下を覗くと、高さは10m位あるでしょうか。手すりもなにも無いので、落ちたら命は有りません。酔っ払いと心臓の悪い人は登らないでとの注意書きがあります。

 馬場の跡を進み、冨士見展望台に行きます。本来は富士山が見えるのでしょうが、その方向に木立があり、見ることはできません。その場所から白鶴橋を通って市営の動物園に行くことが出来ます。この橋から下を覗くと、高さは30mは有るでしょうか、険しい渓谷となっています。この城を作った武田信玄、仙石秀久は、この周囲が急峻な地形を最大限活用してこの城を整備したようです。

 最後は、水の手展望台に行き、千曲川の流れを見ます。展望台のそばには島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の詩碑があります。藤村は、こうした荒涼とした城跡、千曲川、周囲の山々を見て詩情に浸ったのでしょう。「小諸なる古城のほとり・・・・嗚呼古城なにをか語り、岸の波なにをか答ふ・・・・」

 今日の宿は、懐古園から歩いて数分の場所にある小諸グランドキャッスルホテルです。夕食はそこから徒歩で15分ほどの、レストラン車留夢で、そこの評判の大浅間爆裂ハンバーグを頂きました。まずサラダ、次にハンバーグが出てきますが、中はまだ生なので、熱い鉄板の上で切り分け、火を通しながら頂きます。油ははねますが、評判通り美味しく頂けました。

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襟裳、新冠、苫小牧

<三日目>

 朝の5時頃、夜が明け始めますので、朝食前に、ホテルの外の海岸を散歩します。海岸では拾い昆布漁(流れ着いた昆布の採取)がおこなわれています。漁師さんがまっけ(ひっかける鈎)を投げて、都度手繰り寄せますが、ほとんど昆布は拾えていません。早朝にもかかわらず、昆布が既に干場(かんば)に並べられています。

 漁港では、大きなブリが盛んに水揚げされています。漁師さんに聞くと、温暖化の影響で、サケは不良で、ブリが取れるようになったとのことです。昆布漁の船が港にずらりと並んでいますので、今日の昆布漁は休業のようです。

 ホテルに戻る前に、襟裳神社に参拝していきます。ホテルの入り口には、マスコットの犬が、鎮座しています。その前を通っても、こちらは無視されます。

 チェックアウト後、襟裳岬に向かいます。天気は良く、さわやかな風が吹いています。岬の遊歩道を散策します。展望台の横には、島倉千代子と森進一の歌碑が、並んで建っています。展望台から岬の先端へは、5分程歩きます。先端から見える岩礁にはアザラシがいるようですが、肉眼ではよく見えません。

 展望台の下には、風の館という体験施設があります。そこの展望ゾーンには望遠鏡が10台ほど設置され、係の方が事前に角度を調整していますので、覗くとそこにゼニガタアザラシがいます。館には、えりもの風体験コーナーがあり、最大で25m/sの風を体験dきます。風洞の直前は、その風速なのですが、確かに立っているのは難しいです。

 襟裳岬から広尾方向向かう砂浜は、百人浜と呼ばれています。名前の由来は諸説ありますが、何れもこの場所で多数の人が亡くなったことは共通しています。ここ一帯は、かつて開拓民が燃料にするために木を切りつくして森が砂漠化し、生活の糧である昆布が死滅しかかっていました。それを、再び緑の森に復元させるため、1953年から壮大な治山事業が開始され、現在に至っています。この経緯は、NHKのプロジェクトXでも取り上げられています。展望台からは、和人の青年とアイヌの娘の別れ、その娘の涙でできたと伝えられている悲恋沼が見えます。

 国道336号沿いに、えりも町郷土資料館がありますので、見学します。館内には、えりもの昔の生活の展示等ありますが、圧巻は昆布の標本展示です。北海道で採取される代表的な昆布が一堂に観察できます。場所別に、これ程の等級差があることを、初めて知りました。この一帯で取れる昆布は、日高(三石)昆布ですが、北海道には、他に、羅臼、利尻など7種類あるようです。

 昼食は、静内の回転すし「ちょいす」で。「お得な10貫セット」と、エビとウニを追加で頂きました。

 新冠は、競走馬の産地として知られています。競走馬の牧場が集積している「サラブレッド銀座」に向かいます。その起点には「サラブレッド銀座駐車場」があり、そこからは、広大な、牧牛とは異なった、牧場が俯瞰できます。その通りを車で10分ほど行くと、優駿記念館と優駿メモリアルパークがあります。館内には、過去の優駿の記録、記念品が多数展示され、メモリアルパークには、オグリキャップをはじめとした優駿の墓があります。その中でも、オグリキャップの墓は一番立派です。

 次は、判官岬に向かいます。途中、新冠川にかかるメロディー大橋を渡ってみます。橋の手すりには楽譜が施され、橋の中央の庇部分に行くと、鐘のメロディーが流れます。車を降りて、15分程雑木林の中を歩きます。人が誰も居ませんので、ヒグマが出ないかとびくびくしながら進みます。木立を抜けると、判官岬の展望台があり、そこから新冠の街と太平洋が一望できます。帰りも、怖いので急いで林を抜けます。

 新冠は、レコードの街も標榜しており、その中心であるレコード館には、100万枚を超えるレコードが収蔵されているそうです。ここの駐車場にも、ハイセイコーの像があります。さて、ここからは、高速を通り新千歳に向かいます。

 飛行場に行く前に、苫小牧で創業し、ハスカップを使ったロールケーキで有名な三星(みつぼし)本店に行き、ショートケーキを頂きました。時間もなくあわただしかったので、今度は余裕を持って伺いたいと思います。

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帯広、更別、幕別、大樹、広尾

<二日目>

 今日は、帯広から襟裳に向かいます。帯広の本格的な開拓は、依田勉三等の「晩成社」が、1883年に、この地に入植したことから始まります。帯広を発つ前に、これに因んだ史跡を見学していきます。

 次は、旧国鉄広尾線の幸福駅に向かいます。駅舎とその周辺は幸福交通公園・ふれあい広場として整備されています。駅舎には訪れた人のメッセージがたくさん張られています。この駅舎から幸せの鐘を覗く位置は、カップルが記念写真をとる定位置です。売店で切符が売られていましたので、記念に買いました。

 次は、道の駅「さらべつ」に立ち寄ります。更別では、地元高校生の考えたキーマカレーやチーズカレーを買ってみました。後で伺ったのですが、更別は道内で唯一衛星通信での5G配信で、ドローンの自動航行による農薬散布や、無人ロボットトラクターの実証実験がされているとのことです。

 次は、幕別町の道の駅「忠類」に向かいますが、その前に、丸山展望台に行き、十勝平野を俯瞰します。展望台を下ったところに道の駅は有ります。忠類は、ゆり根の名産地らしく、ゆり根やゆり根入りの食品が多数販売されています。さっそくゆり根大福を買ってみました。道の駅の隣に、忠類ナウマン象記念館があります。1969年に、旧忠類村晩成の農道工事現場で、偶然化石が発見されたとのことです。ここのマンホールは、ナウマン象がモチーフとなっています。

 大樹町に着きました。昼食ですが、ご当地グルメはチーズサーモン丼とのこと。昼に頂けるのは、晩成温泉の食堂だけとのことなので、30分(25㎞)程車で走って、行きました。チーズサーモン丼は、その名の通りチーズで包んだサーモンの天ぷらがのった天丼です。大樹町で盛んな酪農と漁業のハイブリッドなのですが、こんなものかな、という感じです。食事後、温泉に入りました。タオル付で500円、褐色のモール温泉で、湯船の窓からは太平洋が望めます。

 大樹町は、「宇宙のまち」を標榜しています。ホリエモンが出資、役員をしているインターステラテクノロジズの本社、打ち上げ場があります。その一角に、大樹町宇宙交流センターがありますので、見学してみます。ここでは、案内の方から丁寧な説明を伺うことができます。現在は1000mの滑走路ですが、将来的には3000mの滑走路(用地確保済)を建設そうです。現在開発しているのは、特に需要が伸びている小型人工衛星を打ち上げるためのロケット「ZERO」で、2024年度の打ち上げを目指すとのことでした。町には技術者が集まり、人口も増え始めているようです。

 今日の最後は、広尾町です。ここには、ノルウェーオスロ市から認められた、日本で唯一のサンタランドがあります。そこに行く前に、サンタランドがある大丸山の頂上展望台から、広尾町の市街地の全景を見てから、山の中腹のサンタランドに向かいます。入口でベルを鳴らして入ります。やはりここにも「恋人の聖地」がありました。サンタの家でサンタグッズを買いました。今年は「サンタランドツリー点灯式」は10月26日(土)だそうですが、イルミネーションは夜ですよね。

 今日の宿泊先の襟裳町に向かいます。途中の道は、絶壁と岩礁の中、多額の費用をかけて通したことから「黄金道路」と呼ばれています。途中には、岩盤から湧き出た水が道路のすぐ脇に流れ落ちるのが珍しい「フンベの滝」があります。冬は氷瀑になるようです。海岸沿いに慰霊碑が多くありますが、昔から海難が多かったのでしょう。

 今日の宿は、クリフハウス・柳田旅館です。イギリスのアンティーク家具が自慢です。窓からは襟裳漁港と太平洋が見えます。

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釧路、浦幌、豊頃、池田

<一日目>

 9月もやはり行くのは北海道ですね。今回は、釧路から帯広経由で、襟裳岬に行きます。釧路空港の温度計は、23.3度(東京の最高気温は34.2度)、ひんやりです。空港から、途中の道の駅「しらぬか恋問」に、「鍛高ラムネ」を買いに寄ってみましたが、なんと店は開いていません。ここは、鍛高譚のしその産地だったのですが。

 海岸沿いに国道336号で浦幌町に入り、砂利道を進み、昆布刈石(こぶかりいし)展望台に行きます。この海岸で、昔、アイヌの人たちが、昆布を収穫していました。遠くは、襟裳岬方向です。近くに、十勝太遺跡がありますので、立ち寄ります。アイヌの人達のチャシ(宗教施設?砦?諸説あり)の遺跡で、足元にあるらしいのですが良く分かりません。ここからは十勝平野のパノラマが見えます。

 昼食は、浦幌の中心部にある喫茶「カナリア」で、地元グルメ「スパカツ」を頂きました。ソース味のスパゲッティなので、焼きそばに感じが似ています。食事の後は、道の駅「浦幌」で草大福を買いました。

 途中に浦幌神社がありましたので参拝します。「乳神神社」はおっぱいの神様として有名とのこと。高台に在りますので、境内からは、浦幌の町が良く見えます。

 豊頃に入ります。漁港のそばに十勝発祥の地碑がります。本州から渡ってきた開拓者が、ここから十勝の大地を目指したと言われています。十勝川沿いに、豊頃町の町木「はるにれの木」があります。二本の木が一体化し、扇型になったとのことで、永遠の愛を誓い合った恋人?だそうです。

 豊頃の本格的な開拓は、明治中期、大きな役割を果たしたのは二宮尊親(尊徳の孫)で、教育にも力を注ぎ、現在も「報徳のおしえ」として受け継がれているとのことです。旧二宮小学校を利用した「二宮報徳館」があります。報徳館の入り口は残念ながら閉まっていました。

 今日の最後は、池田町のワイン城に行きます。屋上からは、周りに高い建物がありませんので、十勝平野が一望できます。季節も丁度良く、風が爽やかです。レストランは終了していましたので、カフェで山幸(ぶどうの種類)のアフォガードと、白ワイン(セイオロサム)を頂きました。売店では、清舞(赤)とナイヤガラ(白)を買いました。

 今日の帯広の宿は、北海道ホテルです。よく考えず、2段ベッドの部屋を予約してしまいました。上段は慣れていないので、頭をぶつけます。

 夕食は、駅近くの「農家バル」に行きます。ここは、和牛の生産者直営で、十勝のこだわりの食材を使用しているとのこと。飲み放題付きで、二人で税込み8,800円。ビールもスパークリングワインも飲めて、料理もおいしく、本当に良いお店でした。

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旭川

<三日目>

 今日はこれまでと違い、快晴です。稚内でこの天気であれば、樺太や礼文島・利尻島も見えたに違いありません。ここから長駆旭川に行き、そこから羽田に戻ります。ホテルのそばのオホーツクミュージアムえさしはまだ開館していませんので、三笠山の展望台に行ってみます。駐車場から歩いて展望台へ行こうと思いましたが、熊危険の看板。行くのはやめて、ここから町の風景を見ました。

 枝幸を出て、天塩川温泉に立ち寄ります。途中に、宗谷本線の天塩川温泉駅がありますが、ホームが道路のそばにあるので、1両編成なのですが、停車中は遮断機が閉まったままです。

 ようやく旭川に着きました。昼時ですので、あさひかわラーメン村の青葉で、醤油ラーメンを頂きました。11時半頃でしたが、かなり並んでいました。ラーメン村の一角に、ラーメン神社があります。参拝すると、夫婦仲はアツアツで麺のように長く続くとか。

 次は定番の旭山動物園に行ってみます。稚内と違い、24~5度位、日差しも強くなってきました。シロクマは暑さでげんなりのようです。こちらもソフトクリームで一休みです。平日のせいかもしれませんが、8割くらいは、外国人観光客です。

 次は、旭川デザインセンターに行きます。大雪山系の森の木を伐り出し、生活の道具をつくり始めたのが、旭川家具の発祥で、大小100以上の工房やメーカーがあるそうです。その拠点がこのセンターです。当日はIFDA(International Furniture Design Competition Asahikawa 2024)の発表、展示を行っていました。センターには、椅子が多く陳列されているミュージアム、各家具メーカーの展示・販売コーナーがあり、一見の価値があります。

 デザインセンターのすぐそばに、男山酒造り資料舘がありますので見学してみます。醸造の工程が、ガラス越しに見えます。試飲もできますが、運転のため不可。まったく残念!記念に1本買いました。代わりに、館の外にある「延命長寿の水」と呼ばれる男山の仕込水を飲んで我慢です。一人18リットル迄持ち帰れるそうです。ここも、8割程が外国人観光客です。

 まだ時間がありますので、北海道立旭川美術館で開催されている「日本の洋画 150年の輝き」展を見ていきます。それぞれの絵のそばにある日動画廊の長谷川徳七さんの解説、取得の経緯が非常に面白いです。展示されていた鴨居玲の自画像は、本人がしていた指輪と交換したそうです。丁度いい時間となりましたので、空港に向かいます。

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稚内、猿払、浜頓別、枝幸

<二日目>

 ホテルの窓からは、北防波堤ドームが見えます。チェックアウト後、徒歩でそこに向かいます。10分程で到着します。この場所は、北埠頭が樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、1931年から1936年にかけ建設された防波堤です。太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、確かに古代ローマ建築物を思わせますね。ここから樺太の大泊まで、国鉄稚泊航路があり、167㎞の海上を約9時間で行ったそうです。

 歩いて、駅の方向に向かいます。途中、大鵬上陸地の記念碑があります。碑文には、「当初小樽に向かう予定だったが、母親の体調不良のため稚内で途中下船した。その船は、その後、留萌沖でソ連潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した」とあります。運が良い人だったんですね。今回はロシア人を見かけませんでしたが、街のあちこちにロシア語の表記があります。

 さて、次は宗谷岬に向かいます。途中、空港近くの、北の桜守パークに立ち寄ります。ここは、「吉永小百合」さん主演の映画「北の桜守」のオープンセットを映画の資料展示施設として活用した施設です。

  津軽・会津・秋田藩陣屋の跡に立ち寄ります。北方警備のため、幕府は、ただ単に寒さに強いはずという理由から、まず本州最北端の津軽藩士が、翌年には同じ東北の会津・秋田藩士が、宗谷に派遣されましたが、東北とは比べ物にならないほど厳しい自然環境と野菜不足等が原因で多数の越冬死者をだしたといいます。その後、病気の予防薬としてコーヒー豆が配給されたことから、苦労した藩士をを悼むためのコーヒー豆の形の記念碑もあります。

 間宮林蔵の樺太就航の地にも立ち寄ってみます。林蔵を樺太に送った宗谷アイヌの記念碑もあります。遠くにトドや、弁天島(日本施政下の最北端)が見えます。

 ようやく宗谷岬に到着しました。まずは宗谷岬音楽碑のボタンを押して、千葉紘子の歌う宗谷岬のメロディを聞きます。次は、日本最北端の地の碑に行き、最北端を感じます。残念ながら、今日も樺太は見えません。振り返ると、高台に宗谷岬灯台が見えますので、登ってみます。

 宗谷岬灯台のある高台一帯は、宗谷岬公園となっており、たくさんのモニュメントがあります。その中でも一番規模が大きいものは、祈りの塔です。これは、1983年に発生した「大韓航空機撃墜事件」での遭難者の慰霊と世界の恒久平和を願うために建立され、塔の高さ19.83メートルは事故発生年を表しています。大岬旧海軍望楼跡は、日露戦争前は宗谷海峡がロシアとの境界であったことから、バルチック艦隊を監視する任務を負っていました。

 稚内の最後は、ホタテの貝殻を敷き詰めた「白い道」の見学です。途中には、稚内の風の強さを利用したウインドファームがあり、風車が林立しています。白い道は、本来フットパスコースなので、道幅が狭く、車のすれ違いは大変ですが、丘陵をずうと続く白い道は、幻想的です。

 稚内市からは、国道238号線で、猿払村、浜頓別町、最後は枝幸(えさし)町まで行きます。昼食のため、道の駅さるふつ公園に立ち寄ります。ホタテの網焼きがいいかなと思い、さるべつまるごと館に行きましたが、あいにく終了。同じ敷地にあるホテルさるふつ内の風雪で、帆立ラーメン(貝柱2個)と帆立焼きカレー(貝柱5個)を頂きました。さすが天然ほたて貝の水揚量日本一の村ですね。

 ひたすら一直線の猿払村道エサヌカ線を過ぎると、浜頓別に入り、ベニヤ原生花園を見学します。原生花園とは人の手を加えていない、あくまで自然そのもののことを言うそうです。歩道や木道が整備されており、散策はしやすいです。セリ科のエゾニュウが満開でした。

 浜頓別でも、道の駅「北オホーツクはまとんべつ」に寄ってみます。中にあるこんがり屋でコーヒを頂きます。ここは町民が交流することを目的に作られた道の駅で、中には、遊具施設もあります。

 道の駅の近くに道内最大の湖であるクッチャロ湖(大沼)があり、立ち寄ってみます。キャンプ場の近くに、白鳥の舎がありますが、これは、冬でも白鳥を観察できるように作られた建物です。

 浜頓別町と枝幸町の境界に、神威(カムイ)岬があります。この場所は、アイヌ語で「カムイ・エトゥ(神の岬)」「カムイ・エト(神の鼻)」と呼ばれていたとのこと。神威岬の崖の中腹には、北見神威岬灯台(きたみかむいみさきとうだい)が立っています。

 しばらく行くと、北オホーツク道立自然公園に指定されているウスタイベ千畳岩が現れます。海岸沿いに柱状節理の岩が、波の浸食で、畳を重ねたかのような形になっています。が特徴的。オホーツク海を赤く染める朝日は他では見たことのない千畳敷

 今日は、最後に、枝幸町の道の駅、マリーンアイランド岡島に立ち寄ります。建物の形が、船に似せているのが特徴です。偶然、今日もNHKのスタッフに遭遇。今日の夕方、ここから番組を中継するそうです。

 今日の宿は、ホテルニュー幸林です。早速会場へ行き、頂くこととします。枝幸町は、毛ガニ籠漁水揚げ日本一ということもあってか、毛ガニが半身ついています。ボリューム満点とは、ホテルのHPに書かれていましたが、想像以上のボリュームでした。

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稚内

<一日目> 

 暑い夏は、北海道、それも北か東が過ごしいやすいと思い、今回は最北の地、稚内に行くことにしました。飛行機は12時半頃稚内に到着しますので、早速、昼食をとるため、稚内副港市場にある「てっぺん食堂」に向かいます。この場所はにしん街道(松前町~稚内市、総延長約700km)の出発地点でもあります。うに丼にも目が行きますが、ここはよくばり海鮮丼にします。海の幸のボリューム満点です。

 市場の施設内には、かつての樺太への入り口、稚内港駅舎をだるまストーブや木製の改札口など当時の雰囲気をそのままに再現している「港ノスタルジー」や、「昭和」の記憶が残る商店街。街路には赤いポストや木の電信柱など、昭和の稚内をリアルに体感できる「稚内ノスタルジー」があり、過去に浸れます。

 稚内の全貌を見るため、初めは稚内公園の開基百年記念塔に登ります。晴れていれば、海抜250mの展望台から北はサハリン、西は利尻・礼文が見えるそうですが、今日はあいにく曇っていて、市街地しか見えません。1、2階には郷土資料の展示コーナーになっています。

 記念塔のある稚内公園を散策します。樺太犬にまつわるモニュメントがありますが、1956年3月、この地に「南極学術探検隊樺太犬訓練所」が設置され、訓練の後、同年11月に、第一次南極観測隊として22頭が出発したとのことです。また、近くには、九人の乙女の像がありますが、これは1945年8月20日に樺太の真岡郵便局で自決した9人の電話交換手の慰霊碑です。隣り合って氷雪の門がありますが、これは日本領土だった樺太で亡くなった日本人のための慰霊碑です。モニュメントの碑文を読んで、厳粛な気持ちになってきましたので、気分を変えるため、近くの「売店氷雪の門」で、名物の熊笹ソフトクリームを頂いてみました。

 稚内公園の麓には、宮司さんが常駐する神社では最北端の北門(ほくもん)神社がありますので、参拝していきます。頂いたご朱印にも、日本最北端のハンコが押されています。

 次はノシャップ岬に向かいます。そこに立つ稚内灯台は高さ42.7mで、日本で2番目(1番目は44mの出雲日御碕灯台)だそうです。雪の中でも見やすいように、紅白のストライプです。灯台の傍には、南極越冬隊資料展示コーナーがあり、内部には、かつて使用された居住棟や雪上車が展示されています。

 岬にあるノシャップ寒流水族館に入ってみます。水族館の入り口付近には、大きなアザラシの水槽があり、10頭ほど元気に泳いでいます。脇の小さな水槽では、今年3月に生まれたゴマフアザラシの赤ちゃんが泳いでいます。館内の水量90トンの回遊水槽には幻の魚イトウやメバルが、小型水槽には毛ガニやズワイガニが展示されており、入場料500円は安いと感じました。水族館に大勢のNHKのスタッフがいましたが、今日から始まる番組の準備だそうです。

 市内に戻る前に、南のサロベツ方面に10分程、夕日が丘パーキングに行ってみます。ここは、利尻島や礼文島が見える夕日のビューポイントだそうですが、曇っていて何も見えませんでした。市内に戻り、市役所の受付で最北端証明書を頂きます。稚内駅そばの無料駐車場に車を止め、稚内駅を見学します。至る所に「最北端」という文字があります。歩いて、今日の宿であるドーミーインに向かいます。

 夕食は、ホテル周辺の居酒屋を探しますが、観光客でどこも満員です。夕食難民か?とも思ったりしましたが、運よく「ビストロ Keito」開いていました。稚内のだいたいの飲食店は、冬が厳しく観光客もいないので、通年営業していないので、夏はキャパが足りなくなるようです。予約が必須です。Keitoでは、魚介系とお肉系それぞれ頂きましたが、どれもとてもおいしかったです。

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恐竜博物館、越前大仏、越前大野城

<三日目>

 今日も、朝食前に散策します。昨日行った庄屋のあるガレリア元町商店街の前を通ると、福井駅に出ます。今の時間、ティラノサウルス・ロボットは残念ながら動いていません。自然史博物館の様な現代的な建物と恐竜のコントラストが面白い駅前です。福井城に行ってみますが、石垣や堀は見事に整備されており、ここに県庁が建っているのが本当に残念なことです。

 朝食後、福井県立恐竜博物館に向かいます。市内からは、意外と遠く、一時間ほどかかります。昨年、リニューアルされたとのことですが、恐竜のジオラマや骨格標本がてんこ盛りです。恐竜の好きな人であれば、ずうっと居られるのでしょうが、余り知らない人には、それほど違いが分かりません。但し、足の骨が、人の背丈よりも大きいブラキオサウルスの巨大さには驚きました。

 次は越前大仏に立ち寄ります。ここ大師山清大寺は、当初1987年観光目的で建築された寺院で、その後、税の滞納から勝山市に差押されていたようです。今は、臨済宗妙心寺派の宗教法人になったとのこと。ひっそりとした門前町を通り中に入ります。歴史はともかく、その巨大さには度肝を抜かれます。東大寺より大きい大仏(像高17m)、大仏殿(高さ52m)。日本一高い五重塔(高さ75m)。大仏殿の、1281体の小仏群等々。

 いよいよ最後の目的地、越前大野城です。越前大野城は大野市の中心部にある亀山(標高:249m)にそびえる平山城で、城下町が雲海に包まれ亀山だけ見える日に「天空の城 越前大野城」が現れるとのことです。当日は、雲海もありませんし、山の麓からは、城も見えません。車は、結ステーションに停めます。お城の登り口は3ヶ所有りますが、南口から登ってみます。坂道は整備されており、20分程でお城に到着します。そこからは、大野市内が一望出来ます。

 帰りは北登り口から、戻ります。途中に、西国三十三所石仏(亀山観音)が祀られていますが、元々は北口から南口まで並んでいましたが、1959年の伊勢湾台風により大きな被害を受けたため、現在のように集められ、上屋をかけて保存されているとのことです。確かに、石仏は大分傷んでいます。結ステーションに戻り、そこで地場の野菜やお菓子を買いました。

 これから福井を去り、大阪伊丹空港に向かいます。昼食はまだなので、北陸道、南条SAのボルガ食堂で、福井のご当地メニューであるボルガライス(オムライスの上にトンカツ+秘伝のソース)を頂くことにします。この料理は、ガイドブックによると越前市武生の発祥ということなので、まさにこの辺りです。ソースカツ丼が心残りですが、これと似てますね。

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三方五湖、朝倉氏遺跡、永平寺

<二日目>

 朝食前に、ホテル周辺を散策します。初めに、宿泊している部屋から見える、海岸に行ってみます。夏は海水浴場になるとのことですが、波は全く穏やかです。次にホテルの裏側、5分程歩いて、久々子(くぐし)湖に行ってみます。こちらも湖面は鏡のようです。早朝にもかかわらず、ボートを練習している人がいました。

 朝食後、三方五湖のレインボーライン山頂公園に向かいます。山頂へはリフトで登ります。山頂からは、三方五湖が全面に広がっています。早速、五湖テラスの丸いソファーに寝転がり、景色を満喫します。寒からず厚からず、全く気持ちの良い日和です。この公園にも、ご多分に洩れず、カップル用の趣向が多くあります。

 ハンモック広場で一休みした後、バラ園の奥にある和風カフェで、雄大な景色を堪能しながら、お茶を頂きました。公園を散策していると、五木ひろしの「ふるさと」が流れてきます。場違いな感じもしますが、音源のそばに行って納得。彼は、美浜町の出身で、名誉町民でした。寄付もしているのでしょうね。

 次は、高速で一乗谷の朝倉市遺跡に向かいます。一乗谷レストラントで、昼食を取りますが、朝食を沢山食べたので、軽く、越前そばにしました。

 昼食後は、道の反対側にある、平面復元地区を見学します。かつてこのエリアは、幹線道路が走り、寺院や職人の家が建ち並び、町屋を形成していたようです。地区の南端には、復元街並がありますので入ってみます。武家屋敷や庶民の町屋が再現されていますが、堀の石垣や建物基礎はそのまま使っているそうです。ところでこの辺りは、日本のポンペイ?と呼ばれているようですが、南北に1.7キロ㎞、278㏊の広さがあるこの一帯は、それまで農業をしていた地元の人の手によって50年以上発掘・整備が進められたとのことです。

 街並みの反対側には朝倉館跡があります。復元された唐門から中に入ります。ここには、16棟の建物が建っていたようです。館跡の奥の丘の上には、母親が住んでいた中の御殿跡、妻の住んでいた諏訪館跡があります。

 遺跡を一回りした後は、車で5分程の一乗谷遺跡博物館に行きます。駐車場に着くと、博物館の大きさに驚かされます。ロビーから入って二階に上がると、基本展示室が有りそこに城下町の巨大ジオラマがあります。圧巻は、隣にある朝倉館の原寸再現の展示です。一階には川湊の石敷遺構が間近で見られます。

 次は、30分程で永平寺です。今日は参拝者も少ないようで、駐車場もガラガラです。早速参道を通って、永平寺に向かいます。永平寺川の横には、永平寺認定の、宿坊体験の出来る宿が並んでいます。唐門は、新住職などの特別の人用なので、通用門から入ります。

 通用門から境内に入ります。参拝者の研修や宿泊の施設である吉祥院に入り、参観者控え室で永平寺のビデオを見た後、いよいよ寺院内部に入ります。

 吉祥閣の隣の天井絵が有名な傘松閣を通り、七堂伽藍を順に見学します。床には道順が描かれていますので、それに従って進みます。途中、頻繁にお坊さんとすれ違いますので、ここは実際の修行の場であるということがひしひしと感じられます。仏殿には、中央に曹洞宗の本尊である釈迦牟尼仏、幕でよく見えませんが、右に弥勒菩薩、左に阿弥陀仏が祀られています。

 次は仏殿から急で長い階段を通って法堂に進みます。中央に聖観世音菩薩がお祀りされていますが、ここは禅師が説法を行う道場で、朝のおつとめ(読経)など各種儀式が行われる場とのことです。最後は、山門を通り、吉祥閣に戻ります。

 永平寺参拝の後、福井市に向かいます。まだ時間もありますので、福井藩主松平家の別邸であった養浩館の庭園を見学することとします。回遊式のの庭園ですので、池の周囲をぐるりと回って、お庭を鑑賞します。この庭はアメリカの庭園専門誌で、2023年、日本庭園第9位に選ばれています。(1位は足立美術館、栗林公園は11位)

 庭園からの帰りは、水路に沿った遊歩道を歩きましたが、この辺りは、福井城の堀の一部だったようです。途中には、かつて福井城の北側を守っていた舎人門が、復元されていました。

 夕食は、ホテルの近くの創業45年超の「味処庄屋」で頂きます。地産地消にこだわる店とのことで、新鮮なお魚と地場の特産を頂けました。お酒も進み、お店ブランドの破竹の心に加え、黒龍(永平寺町 黒龍酒造)と一本義(勝山市 一本義久保本店)も頂いちゃいました。お値段も安かった!

 酔い覚ましに、福井駅周辺をぶらぶら歩きます。「有る」とは聞いていましたが、恐竜の像がこんなに多く展示されているとは思いませんでした。

 今日の最後は、柴田公園・北庄(きたのしょう)城址にある柴田神社に参拝します。本来は勝家とお市の方をお祀りする神社と思いますが、浅井三姉妹の銅像も設置されています。この神社では、お市の方にあやかって、人を惹きつけ良縁を得ようとする「美(モテ)祈願」という変わった祈願ができるようです。祈願のピンクの幟が沢山掲げられています。

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鯖街道 大原~小浜

<一日目>

 今回は、鯖街道を京都から北上してみます。出発地は、京都出町柳ですが、車窓からの確認だけに留めます。まず初めは、大原に立ち寄り、三千院に参拝します。国道から脇道に入ると、しそ畑と「女ひとり」の歌碑が有ります。そばを流れる呂川(りょせん)に沿って坂道(響の道)を上っていきます。途中には土産物屋が多くありますが、時間が早いのとオフシーズンのためか閑散としています。

 しばらく歩くと三千院への参道がありますので、左折し階段を登って行きます。参道の左側、三千院の壁と下の土は一面苔で覆われています。御殿門から中に入り、客殿に上がります。畳に座り、しばらくお庭(聚碧園)を鑑賞します。ここでお茶を頂きたいところですが、ここではパスします。

 次はお庭の散策です。客殿から宸殿に抜け外に出ます。お庭の先には往生極楽院が有り、そこには国宝の、阿弥陀三尊像が納められています。院に上がると、間近で像を拝見できます。手が届く距離です。この辺りの苔むす庭園では、石彫刻家・杉村孝氏が手掛けた「わらべ地蔵」に出会うことができます。

 境内散策を続けます。金色不動堂の本尊は秘仏金色不動明王ですが、当日の4月は開扉される期間てあり、お姿を拝すことができました。金色不動堂の先、境内の最北端には観音堂があります。堂の右側には、檀家が奉納した小観音がびっしりと安置されています。境内の西の端には、阿弥陀石仏とおさな六地蔵がひっそりと鎮座しています。

 次は、大原の反対方向にある、寂光院に向かいます。三千院からは20分くらいの距離です。ここには平清盛の娘、安徳天皇の母である建礼門院が終生を過ごした場所ですが、山裾に一軒だけということも有り、静かなたたずまいです。観光客も少ないので、ゆったりとお茶を頂き、雰囲気を堪能できました。残念ながら、本堂は放火で2000年に焼失し、その後再建されました。ひどい話ですね。

 次は、若狭鯖街道の宿場町、熊川宿に向かいます。途中の道には、鯖街道だけあって、時折、鯖ずしの看板が掲げられています。車はそんなに通ってもいないので、商売になるのかしら?昼食は道の駅「若狭熊川宿」で頂きます。メニューには、福井だけあって、鯖ずし、越前そば、油揚に加え、鯖だしのラーメン、ソースカツ丼など福井名物で一度は食べたいものだらけです。

 即時の後は、熊川宿を散策します。今も江戸時代に形成された街並みがのこっており、「御食国(みつけくに)若狭と鯖街道」として日本に認定されています。残念ながらこの街は、水曜日が定休日とのことで、お店は皆お休みでした。

 小浜に入る前に、明通寺に参拝します。ここの本堂と三重塔は鎌倉時代中期のもので、いずれも国宝です。本堂には、薬師如来等の重要文化財の仏像が4体安置されており、寺のお坊様からお寺の由緒などを説明して頂けます。山の中腹にありますので、寺からは下界が見渡せます。

 小浜は、全国8割の箸を生産しているそうです。その規模を体験出来るのが、箸のふるさと館で、壁一面に箸が展示、販売されています。箸の研出しの体験コーナーもありますが、営業時間が過ぎており出来ませんでした。また、世界最大の箸も展示されています。

 鯖街道は一本の道ではなく、多くの道があります。若狭と京を結ぶ幾本もの街道や峠道、それぞれ固有の呼び名がありますが、総称して「鯖街道」と呼ばれるようになっています。最も多くの物資が往来したのが「若狭街道」、若狭と京を最短で結ぶのが「針畑越え」のルートで、それぞれの起点に行ってみました。

 まだ時間がありますので、ベンガラ格子や出格子の家々が軒を連ねる三丁目の街並みを見ていきます。この辺りは、旧茶屋町だったようです。どの家の軒先にも、魔除けと幸運を呼び込むため、身代わり申(さる)という赤い人形が吊されています。この辺りも、残念ながら水曜日が定休日でした。

 今日の宿は、小浜から車で30分、若狭湾を望む所に建つ「ホテル湾彩」です。夕食の席からは、暮れていく若狭湾が見えます。食事はスタンダードコースでしたが、ボリュームは満点でした。お酒は地元美浜町の「早瀬浦」です。