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国内旅行

出雲大社、鳥取砂丘、松江

【一日目】

 全国的にまだまん延防止等重点措置がとられていますが、山陰に行くこととしました。空は快晴。米子鬼太郎空港から、車で出雲大社に向かいます。途中、ベタ踏み坂として有名な江島大橋を通ります。島根の橋はここに限らず、下を大型船が通るためか、桁がどこも高くなっています。

 出雲大社の駐車場ですが、予想通り、ガラガラです。大社に参拝する前に、神在月(他の場所は神無月)に全国の神様がいらっしゃる浜(稲佐の浜)と道(神迎の道)に向かいます。

 神迎(かみむかえ)の道は、神様の通られる道なので、掃き清められ、各家の軒下には一輪挿しが飾られています。

 神迎の道沿いには、出雲そばのお店が多くあります。「かねや」に入り、三色割子5段をお願いしました。一時過ぎには、お店は閑散となりました。普段は混んでいるのでしょうね。

 食事を終えて、道を急ぎます。稲佐の浜に到着です。浜の中央には神事が行われる弁天島がありますが、工事中で側には行けません。近くの浜で、砂を頂きます。後ほど大社に供えます。

 いよいよ大社に参拝します。鳥居は銅製で毛利藩が寄進したそうです。参道は左を進みます。

 境内のあちこちにウサギ像があります。因幡の白ウサギがモチーフにちなんでいるのでしょう。

 拝殿と御本殿(八足門から)で参拝をします。

 ご本殿の裏手には、素鵞社(そがのやしろ)が鎮座しています。社の下で稲佐の浜で頂いてきた砂をお供えし、代わりに素鵞社の砂を頂きます。

 参拝を終えて、神門通りに戻ります。神門通りの先には、一の鳥居があり、その下あたりに、一畑電車の出雲大社前駅があります。

 出雲大社から、今日の宿泊先の玉造温泉に行く途中、木綿街道に立ち寄ることとしました。木綿の流通の道として栄えたとのことで、酒蔵や醤油蔵、旧家など風情ある町並みです。但し、時節柄?観光客ゼロ。ここの宇美神社も縁結びの社だそうです。

 宿は「佳翠苑皆美」です。従業員は多く、皆さん丁寧で、逆に恐縮しました。宿は割と混んでいました。ここは、2021年度の「人気温泉旅館ホテル250選」で「料理」「接客」「温泉・浴場」「施設」「雰囲気」の5項目でいずれもベスト10前後となっているとのことです。

 いよいよ夕食です。和風懐石です。

 お酒は、地ワインと豊の秋を頂きました。

 最後は、炊き込みご飯とデザートで終了。良い一日目でした。

【二日目】

 朝食は、和洋50種類以上あるというビュッフェで頂きました。昨夜は見えませんでしたが、お庭がとても美しいです。

 食事の後は、玉作湯造神社に参拝です。玉造温泉は、宍道湖に注ぐ玉湯川に沿って両側に温泉宿があります。神社の途中、川岸に足湯がありました。

 玉作湯神社は高台にあります。二の鳥居から階段を上がると、一の鳥居に着きます。時間が早かったことから、残念ながら社務所はまだあいていません。叶い石は頂けませんでした。拝殿で参拝後、石はありませんが願い石に触れ、お願いをしてきました。宿に戻って、最後、最上階にある展望露天風呂に入りました。

 鳥取砂丘への途中、黄泉の国にまつわるパワースポットに立ち寄ることとします。イザナギノミコトと結婚し、国生みとと神生みを行った女神イザナミノミコトを祀る揖夜(いや)神社です。

 近くには、黄泉比良(よもつひら)坂があります。夫であるイザナギノミコトは死んでしまったイザナミノミコトに会いたくて、黄泉の国に行くのですが、変わり果てた妻の姿に驚き、現世に逃げ帰ります。追っ手が来る中やっとの思いで脱出し、千引(ちびき)の岩で封印をしますが、ここがその場所です。途中ここに生えていた桃の実を追っ手に投げ、退散させたそうです。

 砂丘の前に、鳥取城址に立ち寄ることとします。二の丸の石垣の下に迎賓館等を設計した片山東熊設計の仁風閣があります。旧藩主はこの窓から、石垣をご覧になっていたのでしょうね。仁風閣の向かいにある鳥取博物館で、小早川秋聲展をしていました。東京で見逃していたので、さっと見学しました。

 いよいよ砂丘です。今日は雨が降ったりやんだりで、本来は良くないのはずですが、砂丘ツアーには好都合と思います。というのは砂がしっとりしているため、砂が靴に入らず、またそれほど抜からないので比較的歩きやすく、砂塵もないためです。とはいうものの、砂丘中央の第二砂丘列の頂上に行くのは一苦労です。砂丘の中にいると、日本にいるとは思えない幻想的な感じになります。

 白兎海岸の道の駅から、白兎神社に参拝に向かいます。階段を上った先に、イナバの白ウサギと大黒様、大黒様と結婚する八上比売(やがみひめ)の砂像があります。一の鳥居の上には、社務所で頂くはずの「縁の結び石」があります。石を投げて鳥居の上に置くことができたら願いが叶うそうです。手水舎でてをかざすと大音量で、唱歌「大黒さま」が流れてきます。社務所に参拝者が来たことを知らせるのでしょうか。白兎神社ですが、本来は白兎の治癒にあやかり皮膚病の御利益のはずなのですが、大黒様と八上比売の方の恋愛成就の御利益メインになっているようです。神社入り口ににはピンクハートの兎ポストもあります。

 夕食はホテル近くの「海鮮問屋村上水産」に行きました。イカ、モサエビ(殻は唐揚げにして頂きました)、赤カレイ、砂丘らっきょ、イカシュウ等々。ワインと日本酒に合います。今日も満足な一日でした。

【三日目】

 鳥取を発ち、一路境港に向かいます。境港は、駅前から水木しげるロードが始まります。道の両側にある妖怪のブロンズ像は全部で177体あるとのこと。水木しげる記念館ですが、通常であれば妖怪の着ぐるみがお出迎えとのことですが、観光客が少ないためか、お出迎えは無しです。

 境港駅前には、水木しげる先生執筆中の像があります。鬼太郎とねずみ男が見ています。駅の待合室のベンチも妖怪一色です。

 境港のお昼と言えばは、お寿司です。駅の隣に、妖怪巨大壁画が書かれている「みなとさかい交流館」があり、その1階にある大漁丸に入りました。東京では頂けない、旬の鮮魚だらけです。のどくろの握りと肝も頂きました。

 昼食後は、松江に向かいます。松江と言えば、松江城。お堀の脇の駐車場に車を止めて、さっそく天守に向かいます。途中には、鳥取城と同様、洋館(興雲閣、現在、中は喫茶スペース)がありました。いずれも、天皇の行幸対応で造られたものです。天守からは、南方に宍道湖が見えます。

 お城を出て、お堀沿いに散策します。残念ながら、小泉八雲記念館は休館中でした。途中、堀沿いの塩見縄手地区(縄手とは縄のようにのびた道をいい、ここは日本の道百選に選ばれた)にある武家屋敷を見学しました。

 休憩したいところです。堀から道を上ったところに、藩主松平不昧公が建てた茶室(明々庵)が移設され、そのそばで、抹茶を頂くことができます。明々庵へは急な石段を登りますが、そのおかげでお城がよく見えます。

 宍道湖の夕日スポットに行くこととします。ここは夕方になると、宍道湖に沈む夕日と嫁ヶ島、袖師地蔵のシルエットがとてもロマンチックで美しいとのことですが、まだ時間が早いのが残炎。今回の旅行最後の食事は「やまいち」で頂くこととします。カレイの唐揚げ定食を頂きました。始めに、豆腐と卵とお漬物。カレイは、からっと揚がっていて、骨まで頂けました。しじみ汁は、しじみが山盛りでした。

 夕食の後、帰りの飛行機にはまだ時間がありましたので、美保神社と美保灯台に寄ることとします。途中には夫婦岩があります。美保神社は、漁業・商売繁盛の神(えびす様)と農業・子孫繁栄の神(ミツホヒメノミコト)が祀られています。出雲大社(大黒様)と両方参拝「両参り」が縁起がいいとされていますので、これで達成しました。

 美保神社の鳥居をくぐると右側に石畳の通りがあります。通りの先にある仏谷寺への江戸時代の参拝道の遺構とのことです。あたりはもう薄暗くなってきていましたので、人もおらず、少し不気味な感じがしました。

 いよいよフィナーレは美保灯台です。この灯台は1898年に初点灯された山陰最古の灯台で、「世界の歴史的灯台100選」や「日本の灯台50選」に選ばれている日本を代表する灯台とのことです。目の前の漆黒の美保湾と灯台の点滅は非常に幻想的でした。