<一日目>
今回は、鯖街道を京都から北上してみます。出発地は、京都出町柳ですが、車窓からの確認だけに留めます。まず初めは、大原に立ち寄り、三千院に参拝します。国道から脇道に入ると、しそ畑と「女ひとり」の歌碑が有ります。そばを流れる呂川(りょせん)に沿って坂道(響の道)を上っていきます。途中には土産物屋が多くありますが、時間が早いのとオフシーズンのためか閑散としています。
しばらく歩くと三千院への参道がありますので、左折し階段を登って行きます。参道の左側、三千院の壁と下の土は一面苔で覆われています。御殿門から中に入り、客殿に上がります。畳に座り、しばらくお庭(聚碧園)を鑑賞します。ここでお茶を頂きたいところですが、ここではパスします。
右は苔むした壁)
次はお庭の散策です。客殿から宸殿に抜け外に出ます。お庭の先には往生極楽院が有り、そこには国宝の、阿弥陀三尊像が納められています。院に上がると、間近で像を拝見できます。手が届く距離です。この辺りの苔むす庭園では、石彫刻家・杉村孝氏が手掛けた「わらべ地蔵」に出会うことができます。
三千院の扁額
(往生極楽院を本堂と
していた頃の正門)
境内散策を続けます。金色不動堂の本尊は秘仏金色不動明王ですが、当日の4月は開扉される期間てあり、お姿を拝すことができました。金色不動堂の先、境内の最北端には観音堂があります。堂の右側には、檀家が奉納した小観音がびっしりと安置されています。境内の西の端には、阿弥陀石仏とおさな六地蔵がひっそりと鎮座しています。
次は、大原の反対方向にある、寂光院に向かいます。三千院からは20分くらいの距離です。ここには平清盛の娘、安徳天皇の母である建礼門院が終生を過ごした場所ですが、山裾に一軒だけということも有り、静かなたたずまいです。観光客も少ないので、ゆったりとお茶を頂き、雰囲気を堪能できました。残念ながら、本堂は放火で2000年に焼失し、その後再建されました。ひどい話ですね。
御庵室遺跡
次は、若狭鯖街道の宿場町、熊川宿に向かいます。途中の道には、鯖街道だけあって、時折、鯖ずしの看板が掲げられています。車はそんなに通ってもいないので、商売になるのかしら?昼食は道の駅「若狭熊川宿」で頂きます。メニューには、福井だけあって、鯖ずし、越前そば、油揚に加え、鯖だしのラーメン、ソースカツ丼など福井名物で一度は食べたいものだらけです。
越前そばと鯖ずし(下)
即時の後は、熊川宿を散策します。今も江戸時代に形成された街並みがのこっており、「御食国(みつけくに)若狭と鯖街道」として日本に認定されています。残念ながらこの街は、水曜日が定休日とのことで、お店は皆お休みでした。
いう石組みの洗い場)
小浜に入る前に、明通寺に参拝します。ここの本堂と三重塔は鎌倉時代中期のもので、いずれも国宝です。本堂には、薬師如来等の重要文化財の仏像が4体安置されており、寺のお坊様からお寺の由緒などを説明して頂けます。山の中腹にありますので、寺からは下界が見渡せます。
小浜は、全国8割の箸を生産しているそうです。その規模を体験出来るのが、箸のふるさと館で、壁一面に箸が展示、販売されています。箸の研出しの体験コーナーもありますが、営業時間が過ぎており出来ませんでした。また、世界最大の箸も展示されています。
WAKASA
2007年度後半放映
鯖街道は一本の道ではなく、多くの道があります。若狭と京を結ぶ幾本もの街道や峠道、それぞれ固有の呼び名がありますが、総称して「鯖街道」と呼ばれるようになっています。最も多くの物資が往来したのが「若狭街道」、若狭と京を最短で結ぶのが「針畑越え」のルートで、それぞれの起点に行ってみました。
まだ時間がありますので、ベンガラ格子や出格子の家々が軒を連ねる三丁目の街並みを見ていきます。この辺りは、旧茶屋町だったようです。どの家の軒先にも、魔除けと幸運を呼び込むため、身代わり申(さる)という赤い人形が吊されています。この辺りも、残念ながら水曜日が定休日でした。
今日の宿は、小浜から車で30分、若狭湾を望む所に建つ「ホテル湾彩」です。夕食の席からは、暮れていく若狭湾が見えます。食事はスタンダードコースでしたが、ボリュームは満点でした。お酒は地元美浜町の「早瀬浦」です。
若狭梅そば、へしこ寿司
鮭の焼き物