<一日目>
昨年の1月、鹿児島の霧島にある天孫降臨地、千穂河原へ行きましたので、今回は天孫降臨のもう一方の地、宮崎の高千穂に行くこととしました。熊本空港から向かいますが、途中、通潤橋に立ち寄ります。これは、1854年、水不足に悩む白糸台地に水を送るため、惣庄屋・布田保之助によって造られた石造アーチ水路橋です。昨年9月、新美の巨人たちで放送されていましたが、間近で見ると、大きさと美しさに感動します。放水は4月からなので残念ながら見学出来ませんでした。
高千穂に着きましたが、天気もいいので、高千穂あまてらす鉄道に乗車してみます。この路線は、かつては高千穂と延岡を結んでいましたが、2005年の台風14号で大きな被害を受け、廃線となっています。今は、日本一の高さを誇る鉄橋からの眺めを目玉に、観光鉄道となっています。施設は全体的に錆びており、メンテは大変そうです。
グランド・スーパーカート
アトラクション
直下の眺め
アトラクション
高千穂は、駐車場はどこも満車で、第3駐車場に隣接する売店の駐車場に停めることができました。車を降りて、下を覗くと、高千穂峡の水面はずうっと下です。降りるのも帰ってくるのも一苦労しそう。どんどん川を下りながら、本日のメインイベントであるボートが見えてきました。
(第3駐車場脇)
神橋(下)
神都高千穂大橋(中)
神橋(下)
(第2駐車場と神橋)
(真名井の滝)
ボートの前に、昼食とします。高千穂は流しそうめん発祥の地とのことなので、御橋そばの、「千穂の家」に入ります。店内は、ほとんど中国語。おにぎりと川魚のセットを注文しました。係の人が上流で流しますので、箸で掬います。掬いそこねた麺は、最後のざるで回収されます。
予約時間になりましたので、貸しボート場に降りていきます。そこまで行くのも、かなりの下り坂です。救命胴衣を身につけいよいよ乗船します。
(御橋から)
真名井の滝に向かって漕ぎだします。滝の下には、沢山のボートがいますので、ぶつからないように、お互い、気を付けて漕ぎます。滝の下を、濡れないように通り、更に進みます。近くに鴨が泳いでいます。慣れているせいか、逃げません。30分はあっという間に過ぎますので、船着き場に戻ります。
(上は御橋)
ボートが終了しましたので、次は坂を20分程一気に登り、高千穂神社を目指します。高千穂神社は、高千穂郷八十八社の総社です。境内には「秩父杉」や「夫婦杉」など杉の巨木がそびえています。境内社の荒立神社・四皇子社では、丁度工事?があり、男神坐像、女神坐像を合間から見ることが出来ました。
(中国人が多い!)
(右は夫婦杉、正面は
荒立神社・四皇子社)
次は、天岩戸神社に参拝します。この神社は、照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)が弟素盞鳴尊(すさのおのみこと)を避けてこもった天岩戸(あまのいわと)をご神体としています。これに因んで、二ノ鳥居の手前には、手力男命(たぢからおのかみ)が岩戸を取り払い給う舞の像が鎮座し、その下にはその神楽歌の石碑(よろずよの あまのいわとのかみかぐら おもしろかれや すえはめでたし)があります。ご神体の天岩戸の洞窟は、西本宮の奥、谷を挟んで反対の壁の中腹にあるそうで、30分に1回ご案内頂けますが、今回はお願いしませんでした。
神楽歌の石碑
(天岩戸神楽の舞台)
参拝の後は、天安河原(あまのやすかわら)にお参りします。西本宮から岩戸川を500mほど遡った所にある河原で、そこには仰慕窟(ぎょうぼがいわや)があり、照皇大神の岩戸隠れの際に八百万の神々が集まって相談した場所と伝えられているます。窟には天安河原宮があり、思兼神(オモイカネノカミ 八百万の神に照皇大神を岩戸の外に出すための知恵を授けた)を主祭神として八百萬神が祀られています。窟の周辺には「願いを込めて小石を積むと願いが叶う」として多数の石積みがあります。この辺りはパワースポット感が充満しています。
(ぎょうぼがいわや)
高千穂の最後は、槵觸(くしふる)神社です。当初は、天孫降臨の地として伝えられる「槵觸の峰」に創建されましたが、1694年に、ここに社殿が建立されたとのことです。本殿までは急な階段が続きます。森の中に有り、神聖な気持ちにさせられます。
高千穂から、延岡に向かいます。途中、道の駅「青雲橋(せいうんばし)」で一休み。高千穂一帯は、山間地農林業複合システムで、世界農業遺産に登録されています。棚田があちこちに広がっています。
延岡に着きましたが、ホテルに行く前に、続日本百名城である延岡城を見学してみます。ここは天守はありませんが、石垣が有名で、通称「千人殺しの石垣」は、高さ22m、野面石を巧みに積み上げています。管理事務所で城のスタンプを押しました。
(正面が千人殺し)
(下は二ノ丸広場と
管理事務所)
事前に調べてこなかったので、町をブラブラ、良さそうな店があったので、入ることに。正解!。地元のお魚のお造り、あげみ、メヒカリの唐揚げ、チキン南蛮、豆腐サラダ、お酒もビール、日本酒、焼酎と延岡の味を堪能しました。
ひむか本サバのお造り
メヒカリの唐揚げ
(雲海酒造 宮崎県綾町)
帰る途中、うどん屋の看板が見えましたので、入ってみます。「白」があっさりしている、とお店の人に言われましたので、お願いしました。実際は、たっぷりのロールキャベツが入っています。超満腹になり、フーフーしながら宿に帰りました。
(ロールキャベツ入り)
<二日目>
今日は、あいにくの雨です。まずは日向岬のクルスの海から。展望台では、願いが叶うというクルスの鐘を思いっきり鳴らします。展望台の先端からはクルスの海がよく見えます。クルスは、クロスから来ているそうで、確か海は十字になっています。隣の島(今は海の下で見えません)と合わせると「叶」の字にも見えるようです。
(五ヶ瀬川)
次は、日向岬の突端にある馬ヶ背に向かいます。観光案内所には、日向岬を歌っている水森かおりの大きな看板がありますが、彼女はこの歌で日向市観光大使になっています。初めは、細島灯台見学です。灯台からは、今から行く馬ヶ背が見えます。
更に進むと日本一の柱状岩と言われる岩の裂け目があります。アクリル板の展望台があり、下を覗くと70mの断崖で足が竦みます。
突端にに向かって更に進むと、馬の背にみえる「馬ヶ背」があります。ここからは日向岬が一望できます。岬には、日向市出身の若山牧水の歌碑があります。(樹は妙に草うるはしき青の國日向は夏の香にかをるかな)
(日向市出身)
日向岬の付け根に大御(おおみ)神社がありますので参拝します。天照大神を祀っており、「日向のお伊勢様」と呼ばれているそうです。荒々しい日向灘に面して建つお社は、なかなか壮観です。
昼時となりましたので、国道沿いにある「いけすレストラン大漁丸」に入ります。折角ですので「天孫降臨」を一合天ぷら定食と天ぷら定食と刺身定食をお願いしましたが、そのお膳の大きさ、ボリュームに驚きました。
レストランから海側に進むと、美々津(みみつ)の街があります。江戸から大正にかけて廻船で栄え、街並みが歴史地区として保存されていますので散策してみます。
中町通りに日向市歴史民俗資料館がありますので、見学してみます。節句の時期でしたので、おひな様が豪勢に飾られています。当時の繁栄振りが感じられます。また、その頃は武士を見下ろすのは、はばかられるということで、二階へは隠し階段で上がるようになっています。駐車場のそばには山頭火の歌碑があります(墓がならんで そこまで 波がおしよせて)が、確かにここは波に近いですね。
(旧廻船問屋河内屋)
この海から神武天皇は大和に向けて出航したと言われています。その際、旧暦の8月1日の夜明け前、予定より出航が早まったため、皆に、「起きよ、起きよ」と言って集合させたことに因んで、「起きよ祭り」というのがこの地区で行われるそうです。遠くの灯台の周りには八つの瀬が見えますが、神武天皇が美々津に戻ることが無かったことから、地元の漁師はこの瀬の間を通らないそうです。
七ツバエと一ツ神
更に南下します。途中、日向国一宮の都農神社がありますので、参拝します。この神社には色々な神事があります。最初は神の石神事です。参道に神の石がありますので、その石を持ち願を掛けて参拝し、その後本殿の裏に廻って、納所に納めると願がかなうとのことです。他には、お腹にハートマークが見えるご神象や、撫でうさぎ、撫で大国、願掛け太鼓等々。強く印象に残ったのは、まるでビロードの様な参道脇の苔でした。
(お腹にハートが見えます)
今日の最後は、西都原古墳群の見学です。初めにガイダンスセンターに立ち寄りガイドマップを頂きます。初めにそこから徒歩で、鬼の窟(いわや)(206号墳)に向かいます。古墳を見るのは初めてですが、ここは一面、古墳だらけです。6世紀後半とのことですが、良く保存されています。
このはな館
次は、4号地下式横穴墓にいきますが、残念ながら横穴墓を見るモニターは故障中でした。その隣には、前方後円墳(109号墳)があります。
次は、西都原考古博物館を見学します。この博物館は、外観も内部も古墳をイメージして造られています。資料も充実しており、入場無料というのもすごいですね。
(長い階段)
(入口)
最後は、13号墳を見学します。4世紀後半の前方後円墳ということで、1700年位前に造られたものですが、中の状況や外観が良く残っています。いずれにしても、ここ西都原古墳群は総数319基あるそうで、短時間では見切れません。
夕食は、お魚が続いたので、洋食にしたいと思い、街をブラブラ歩きます。やはり県庁所在地の繁華街は明るい!西橋通りのビルの五階に「イタリアンバールPACE」がありましたので、入ってみます。エレベータを出るとそこは店内で、全て個室でしす。お願いした料理は材料にも気を遣い、手が込んでいてなかなか行けます。
(ナポリの粉で手作り、
小林市ダイワファームの
モッツァレラ)
ホテルまで歩いて帰りますが、宮崎だけあって南国調ですね。
(ホテル前)
(ホテル前)
<三日目>
今日の天気は、曇り時々雨です。初めに、神武天皇をご祭神としている宮﨑神宮に参拝します。歴史のある神宮らしく、シンプルですが厳かな雰囲気が漂います。昨日訪れた美々津から、神武天皇は出航したと伝えられていますが、その復元船が展示されていました。「起きよ」に因んで「おきよ丸」と命名されています。
(大淀川)
三の鳥居
次は彦火火出見命(ひこほほでみのみこと、山幸彦)と豊玉姫命をお祀りしている青島神社に参拝します。青島への参道は荒々しい日向灘を、弥生橋で渡ります。波は高く、近くにサーファーがいるくらいです。海岸線の波状の岩は、鬼の洗濯板と呼ばれ、国の天然記念物となっています。
(隆起海床と奇型波蝕痕)
青島に渡り、海岸沿いに歩くと鳥居があります。しばらく進むと手水舎、神門が有り、突き当たりが拝殿となります。
本宮に通じるお成り道の入り口には、絵馬のトンネル(祈りの古道)があります。その先は、熱帯や亜熱帯の植物が群生し、その代表はビロウ(ヤシ科)です。一帯は、国の天然記念物となっています。本宮の奥には投瓮(とうか)所があります。素焼きの盃を奥の磐境に投げ、入れば心願成就、割れれば開運厄祓とされるそうですが、私は後者の開運でした。島からの帰り際、海の向こうに木の花ドームがみえますが、巨人軍が春季キャンプをしていたようです。
疲れてきましたので、参道脇のAOSHIMAYAで一服。昼時も近づいてきましたので、昼食をとることに。
昼食は、青島駅に面した岩見でうどんを頂くこととしました。ここは茹で立てを出すということで、注文してから20分待ちます。店内には、有名人のサインが多数ありますが、巨人軍もここに来ていたようです。
さばのお寿司
神社巡りの最後は、鵜戸神宮です。ここは海を見下ろす洞窟で豊玉姫が出産したといわれ、今はその洞窟に本殿があるという珍しい造りの神社です。まずは駐車場から長い階段を上ります。その先のトンネルを抜け、今度は長い下り坂となり、ようやく平坦な参道となります。
15分とのこと
長い下り坂
鳥居をくぐり、神門、楼門、千鳥橋と進みます。この辺りからでも、眼前に広がる日向灘と奇岩は見応えがあります。
燈籠とうさぎ
玉橋を渡るといよいよ本殿が下に見えてきます。いずれにしても波は荒く、しぶきがかかってきそうです。本殿は、豊玉姫の産殿の址とされる洞窟内にすっぽり建っています。天井が落ちないか不安になり、かなりの圧迫感があります。
本殿下の磯には、豊玉姫が出産のために乗って来たと言われる霊石亀石(れいせきかめいし・桝形岩)があります。この亀石の背中に桝形の窪みがあり、この窪みに男性は左手、女性は右手で「運玉」を投げ入れ、見事入ると願いが叶うといわれています。青島神社と異なり失敗は許されないので、ここではトライせず。代わりに,運玉の碑にお賽銭をあげ、稲荷神社に参拝して帰りました。
(輪の中に運玉を
投げいれる)
次は飫肥城址に向かいますが、途中、日向灘の南端、日南海岸の入江の町、油津(あぶらつ)に立ち寄ります。この町は、江戸時代は、飫肥藩の外港として飫肥杉を積み出し、昭和初期は、東洋一のマグロ基地といわれるほどの水揚げを誇り、その富がこの町に豪壮な町並みを創りだしました。その面影が、堀川運河や赤レンガ倉庫に残っています。
(1階店舗,2・3階住居)
いよいよ今回の最終地、飫肥藩(5万1千石)の城址に到着しました。早速、お城の大手門から入ってみます。入るとまず枡形が有り、更に石段を上った所に飫肥城歴史資料館があります。入館するためドアを開けると太鼓が打ち鳴らされ、気分を盛り上げます。展示は、武具、丁度品等かなり充実しています。
打ち鳴らされる!
歴史資料館の脇にある階段を上ると、松尾の丸があります。これは江戸時代の藩主の御殿を、1979年に再建したものです。御座の間には雛祭りの飾りと御座が有り、座ることが出来ます。藩主の気分?
御座(座れます)
松尾の丸を下ります。旧本丸跡の看板があり、左手の高台が旧本丸とあります。今はいやしの森と言われているようです。
(いやしの森)
次は豫章館(よしょうかん)です。ここは、1869年に造られた藩主伊東家の住まいです。広い空間に庭石や石灯籠・庭木などが巧みに配置され、閑静な佇まいの枯山水式庭園です。ここでも時節柄、ひな人形が飾られていました。
上部には「庵木瓜紋」の
伊東家の家紋
最後は小村寿太郎記念館を見学します。幼少期から、不平等条約改正まで、出来事がパネルで説明されています。「楽しみは昼のワイン」が時に記憶に残りました。
宮崎の最後は空港での宮崎ラーメンです。意外とあっさりしており、徳島・和歌山ラーメンに似ていると思いました。